我が家の大黒柱

令和5年10月14日

垂井にある3施設目の施設である「盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)」には20畳からある仏間があり、そこの大黒柱は本部施設の家族会からご寄付して頂いた今須杉で、本当にきめの細かい年輪であることが自慢の一つだったのです。そんな中で、本日いつもの様に4時25分のアラームで起きて仏間でのお参りのお経を終えて、何となく仏壇と床の間の間にある柱をしみじみと見たのです。そしてはたと気が付いた事があります。それは我が家の大黒柱も和(なごみ)の柱と遜色無い極めの細かい年輪だったのです。正直なところ2004年12月に新築した家も18年が経過していて「何を今更」と言うような話しなのですが、それが事実なのです。今となっては「今須杉」なのかどうかを確認する術は有りませんが「きっと我が家の大黒柱(床柱)は今須杉だ。この極め細やかさは間違いない。自慢する話が一つ増えた。」と言う話です。

4 5

話しは変わって今朝のお墓参りの時の話です。我が家のお墓参りも済ませてお墓から県道に降りて東の空を仰ぐと(6時を広報が知らせていました。)東の空が赤いのです。私はそう言う状況に直ぐに反応して感動してしまい、しばらくはその様子を見つめてから写真をガラケーの携帯で撮りました。この様に感動出来る私だからこそ「気付きの多い」自分であるのだと思います。小さい頃の私は私を目の中に入れてでも守ってやりたいと思っている母秋江さんがいたので、全く気付きの無い自分だったと思います。気付きの少ない自分でしたので、正直なところ26歳の時に児童養護施設の指導員になった時には余りの世間知らずだったので、経営者の方にしっかり怒られながらも何とか食らい付いていったお陰で、今は何とか気付きのある生き方が出来ているのだと思います。

3 2 1

学びと言うのは何歳からでも出来ます。「そんな事できんは」と思った生き方をしているといつまでたっても出来ません。だから、気が付いた時がチャンスです。私は厳しい環境に26歳の時に置かれたのが結果的には良かったのだと「古希」を迎えた今、つくづく思っています。不平を言ってても1日、幸せだと思って過ごしても1日ならば、幸せだと思える1日で有りたいと願っています。今「古希」と書きましたが、自分で「古希」と書きながら「私が古希なの」と思っている自分がいます。だって私が小さい頃、70歳の方を目の前にした時に「めっちゃ年寄り」と思っていましたし、その頃の70歳の方は「ご隠居さん」的な存在だったと思います。でも、現代の70歳は私も含めてバリバリの現役の方が殆んどです。最近も「とても理事長さん。70歳にはみえません。」と言われたのですが、どの時代の70歳を念頭においての話なのかと思うと「けっして喜んで良いのかどうか」と思ってしまいます。

私の事をご存じのリピーターの皆さん 私は本当に若いと思いますか。忌憚の無いご意見を下さい。【蛇足】ところで現代の世の中に「ご隠居さん」はいるのでしょうか。

 

いよいよ全国老人福祉施設大会・研究会議JSフェスティバルin岐阜のカウントダウンが始まっています

大会は11月29日~30日なのですが前日の28日に全国老施協の役員と岐阜県老施協とデイサービス協議会の役員が一堂に集まっての実行委員会があり、その流れの中で交流会も開かれる事になっています。今年の1月に栃木県宇都宮市において「施設大会」と「研究会議」が同時に行われる第1回が行われて、2回目の大会が岐阜の地で行われるのです。

大会が岐阜の地で開催されるのはとても名誉な事なのですが全国老施協前会から「岐阜県らしさをだす大会にして下さい。」と言われてかなりのプレッシャーを感じながらも岐阜県の役員で知恵を出し合い何とか骨子が出来開催要項も会員施設に提示をして今は全国から集まって頂いた方々に「岐阜の大会に参加して良かった。」と言って頂ける様に最終打ち合わせに本部施設と和合の施設を行ったり来たり、時には和(なごみ)の施設にも行き、今月末に開催される「ハロウィン」の準備をしながらも頑張っています。

大会の会場は岐阜国際会議場と岐阜都ホテルを主会場にして2000人の参加者を予定しています。岐阜駅からのおで向かいとバスでの会場への案内、その時の横断幕やプラカード。スタッフのジャンバーの手配。岐阜市内を盛り上げる為にタクシーには歓迎のメッセージがドアに載せて貰う様にしたりと言う事で段々と体制が整いつつあります。

プログラムを一部紹介すると特別記念講演にはフジテレビの元アナウンサーで今はフリーアナウンサーの近藤サトさんに『私らしい生き方~グレイヘアと言う選択~』と言う演題で講演を。また『清水ミチコ・スペシャルトーク&ライブ』と言う事でビアノの引き語りをして貰い、「施設対抗大喜利大会」の企画では進行を『流れ星』にして貰います。いずれも岐阜県出身の方にお願いしています。

ここまでの企画の紹介だけでは「何の大会」と言う事になってしまいそうです。これは『フェスティバル』の部分についての紹介ですが勿論、学会形式の分科会も6分科会を持っています。第1回の分科会の最優秀賞を決める時の審査委員を私も副会長としてさせて頂きましたが、レベルの高い発表が多かったので第2回の今回も素晴らしい発表がされると期待しています。その他にも企業ブースが30社あり、外国人ブースも10事業所が参加されます。

岐阜県らしさをより出すためにあっと驚いて頂けるためのアトラクションを計画していますがその事は本番まで言わずにおきます。本当は言いたくてうずうずしているのですが、ここが辛抱しますのでリピーターの皆さん、当日の報告を楽しみにしていて下さい・・・。

令和5年10月12日

5時15分に、まだ明けきらない空を見ると青空の中に月が忽然と上がっていました。今までは左手にあった月が右手の方向にあり、三日月より太くて半月より細い月でした。私は自信を持って小学時代、中学時代、高校時代を通して理科が全く苦手でした。(自慢して言う事ではありませんが・・・)と言う事で恥ずかしながら『月』についての知識が全く無いのです。確かに「満月」とか「三日月」と言うのは「見たまんま」ですから「今日は綺麗な満月だ。」くらいの話題にはついていけますが、それ以上の事は全く知らないし覚える事も出来ないのです。これも広い意味でのLD障害児(学習障害児)なのでしょうか。そう言えば私はかつて吉田拓郎の歌で「上弦の月だって」とのフレーズがあるので歌っていましたが、「上弦の月」と言うのがどんなものかも知らずに歌っていました。恥ずかしい話ですが、今だから時効の様に話が出来る事を正直に話します。それは私が大学を卒業して教員の末席にいた4年3組の担任だった時の事です。その当時の旧文部省の指導要領に基づいて理科の指導案を立てて時には理科の実験も行っていたのですが、正直実験の意味が理解出来ないままに実施していたのを覚えています。しかしながらそんな時には必ず救世主が現れて実験の結果に気付いてくれるのです。私はそんな時は教え子の子ども達と同じ目線で目を輝かせて実験を楽しんでいた様に思います。考え方によっては「不幸中の幸い」と言う事になるのでしょうか。大学での講義では「社会の指導案では自分なりのものを作成してその当時の8ミリカメラで現地を撮影して子ども達も目を輝かせて見て貰いながらワイワイとした授業をしていました。」と格好をつけて話をしていましたが「先生、理科はどうだったのですか」と質問されたら困るなと思いつつ話していましたがその様な事も無く自慢だけで済んだので正直助かりました。4年3組の担任をしていた時には色んな武勇伝がありますが『担任の先生』と言うよりは『ガキ大将』の様な存在だったと思います。但し、研究授業の時にメロメロな状況になった時には校長先生からの総評で「若山先生を何とかしなければいけない」と言う子どものメッセージをひしひしと感じました。それは日頃の子どもとの親密性がわかる事だったのでその点は自信を持って良いと思いますので授業の組み立てや板書についてしっかり勉強して下さい。」と言われたのは今でもしっかり覚えています。そんな私が今は高齢者福祉の重鎮の仲間入りをしているのだから不思議なものです。リピーターの皆さん、こんな私ですがこれからもよろしくお願いします。

モラルや常識が通用しない時代なのか

人としての「当たり前」が通用しない時代なのか。最近のニュースを見ていて耳を塞ぎたくなるような報道が沢山あります。社会的問題で言えば「ビックモーター」「損保ジャパン」「ジャニーズ」等々あげればいくらでも挙げられる悲しい現実。「う~ん。社会的責任が伴うモラルは何処に行ってしまったのか。」ビックモーターに関して言えば収益を上げる為には手段を選ばないと言うのは全くの論外。また、損保ジャパンはビックモーターの不正が解決していない段階で「他社に契約が言ってはいけない。」との思いの中で勇み足的にビックモーターとの契約を再開してしまったと言うのが損保業界におけるシェア争いに負けてはいけないとの考え方を優先させてしまった結果なのか。新聞報道によれば白川前社長の鶴の一声で再開をしたとの事だが日本一の損保会社が社長の一存で決まってしまったと言うのでは「万が一のための保険」であると言う事は最もリスクマネジメントが整っていなければいけない業界としてはお粗末と言わざるを得ない。『収益至上主義』の考え方はバブル時代に終焉して経営の円熟化が図られてきたと思っていたのでがっかりしていますし、正当な経営をされている所においては迷惑な話だと思います。かつてのコラムでも書きましたが、知的障害のグループホーム沢山経営されている株式会社『恵』においても架空の職員配置で不正な請求をしていたと言うのもありました。確かに書類がしっかりしていたら報酬が貰えると言うのは『性善説』によって成り立っているし、職員の水増しなど考えにも及ばなかった事ですが、株式会社であっても『福祉事業』において不正が行われると誤解を招くので残念でならない。特別養護老人ホームやグループホームや最近では保育所においても虐待が行われているとの報道には愕然とします。また、今朝の新聞において埼玉県条例で否決をされたとの記事で小学校3年以下の子どもがいる家では子どもを一人にしておいてはいけないとの条例を検討されたとの事。罰則規定はないからと言ってもあまりにも現代の情勢を見誤ったものでは無いかと思います。そう言えばかつて有名な政治家さんが「介護は親族家族で行うものだ」との発言をされて、今風に言うなら『炎上』された事もありました。確かに在宅家庭介護が理想です。しかしながら、今の在宅家庭介護の体制が整う家がどれほどあるのかを考えれば直ぐにわかる話です。コロナ感染症から4年の年月の中でマスクの生活が強いられきちっとした挨拶が出来なくなった状況があり、当たり前が当たり前で無くなった状況の中再構築をしなければいけないと思っているのは私だけではないと思っています。

てるてる座は凄い

昨日のてるてる座のボランティアは本当に久しぶりにデイサービスも含めて各フロアの方が参加して玄関ホールで実施して頂きました。メンバーは3名だったのですがそれぞれがエンターテイメントで1時間中抱腹絶倒の時間となりましたし、入居者さん、利用者さんタンバリンでの参加も最高でした。

例えば小倉さん(愛称は「おぐらっち」)が私のリクエストに応えて下さり、『すーだら節』を歌って頂いた時には会議室である楽屋から出てくるところから『千鳥足』で格好も「いかにも酔っ払い」と言う感じをだして大いに盛り上がり、

IMG_0970

その歌に色を付ける様に安藤奈津さん(愛称は「あんドーナツ」)が酔っ払いの相手をするマダム役で登場されて、チャイナドレスの胸を強調する為に胸に風船を入れての登場での「おぐらっち」とのやり取りは最高でした。「入居者さん、利用者さんを喜ばせる為に何でもやるぞ」の意気込みは大いに学ぶべきものがありました。

IMG_0972

また、「ミネソタのたまご売り」のうたを座長が歌っている時に、またまた「おぐらっち」がニワトリの格好で来て玉子を産む所作をして実際に卵を産み落とした(本当は黄色いボールです。)時には皆さん腹を抱えて笑われていました。本当の笑顔だったと思います。

IMG_0978

1時間があっと言う間に終わり、締めの挨拶代わりに私も歌を歌わせて頂きました。正直本部施設に於いては初めて披露する歌で『ウルトラマン』を歌わせて頂きました。

IMG_0990

この曲は和合の施設に赴任して各フロアでのカラオケで歌わせて頂いて上手く歌える様になった曲です。この曲を選んだ理由は和合の施設の入居者さんの多くの方が口ずさんで下さったからです。正直、週に6回(各フロア2回ずつ)カラオケを可能な限り行う事にして「喜んで貰えそうな曲」を歌っています。例えば「水戸黄門の主題歌である「ああ人生に涙あり」とか、「遠山の金さん」の主題歌の「すきま風」とか舟木一夫さんの「高校三年生」とか「およげたいやきくん」と言う具合です。今、ふと思ったのですが、入居者さんに喜んで貰いたいとの思いでやっていたのですが、結果としては「レパートリーが増えたな」と言う事です。

2010年に「てるてる座」は優・悠・邑本部で産声をあげて13年以上ボランティア活動をされていて600回記念までされて残念ながらコロナ感染症により回数がなかなか増えない状況がありましたが、2類から5類になり、オファーも増えて来たとの事で「1000回記念まで頑張る」との座長の話を聞くまでもなく「みんなに笑顔を」との気持ちを持った座員ばかりの集団ですから、これからも頑張って頂けると確信してます。

IMG_0973

私もてるてる座の皆さんの様に「楽しんで頂きたい」「笑顔を頂きたい」との気持ちを大切にしていきたいと思っています。

IMG_0988

人間は一生難しい年頃

今日の妙応寺本堂の奈良薬師寺執事長の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉です。

正直なところ、今の私の心境を見透かした様な言葉に参っています。

何事も結果が出るまでもがき苦しんでステップアップしていくのでしょうが正直今はキツいです。体力的な事を言うと山登りをしている時になかなか目的地に着かない時に「もう二度と山登りなどしない。」等と思ったりするのですが頂上に着くと、山を征服した時の満足感と爽快感でしんどかった時の事を忘れてしまい「また行くぞ」となるのです。

但し、四国遍路の時は少し違った感覚で体が動きます。例えば『11番札所藤井寺』から「12番札所焼山寺」の行程は約13キロなのですが藤井寺の裏山の急な坂を一機に約1時間上る時には「何でこんなしんどい事をせなあかんのや」と思うのです。

ところが、初めて休憩する時に眼下を見下ろすと雄大な吉野川の流れを見下ろせて「頑張って良かったね。」と言う事になり、再び頑張って歩くのです。山をいくつか上っては下りを繰り返し、「もういやや」と思った時に焼山寺の山門が見えてくると「あと少しや」と言う事でくたくただったはずなのに足取りが軽くなって焼山寺に着くのです。本堂と大師堂でお参りをした後での休憩所でうどんを頂くのは至福の喜びと充実感を持つことが出来「また来るぞ」と思うようになるのです。

精神的なものでは、何と言っても私が40歳の時に高齢者施設の建設を始めて計画した時に土地の確保がなかなか決まらず、地域の方々の説明会でもなかなか理解されずに暗礁に乗り上げ途方にくれていたのが、ある日突然に理解者の方が一人二人と増えていく中で「今まで苦しんでいたのは何だったのか」と嘘の様に消え、建物が完成した時の喜びは竣工式典が行われた時には大変だった事を忘れて満足感で一杯になる事を私は少なくとも4回経験させて頂いていることはとても幸せな事だとは思っています。

冒頭に愚痴が出てしまったのは8月から和合に籍を置き新米施設長になり、わからない事が多く手探り状態ですが弱音を言わず、私が出来る事を頑張って行かなければと思っています。私が得意な事はカラオケとお経と小噺なのでそれを駆使して入居者さんから慕われて沢山の笑顔を頂いて元気を出していけるようにしていきます。

とは言え基本的には3フロアそれぞれに週2回のカラオケの依頼が来ていますので、他に支障がない限り可能な限り頑張ります。また、お参りについても各フロアを月2回のペースで企画していきたいとも考えています。昔から言いますよね

「習うより慣れよと」

 

集中力が足りない今の私です。

いつもの様に朝のお墓参りに行った時のお話です。いつもの流れで六地蔵さんの所に行って「先ずはお賽銭をお供えしよう。」と言う事で「今日はどのお地蔵さんだったかな」と私がお供えした10円玉の数を順番に数えていくとどのお地蔵さんも4枚ずつお供えしてあったので、「今日から5枚目か」と言う事で(全てのお地蔵さんが5枚になると30枚と言う事で1カ月通して出来たと言う事で別の器に入れるのです。)、いつも最初にお供えさせて貰う正面向かって真ん中右側のお地蔵様に10円玉を置いてから気が付いた事があります。それは昨日までは前掛けだけをしていたお地蔵さんがそれぞれに帽子を被られていたのです。

DSC_0490 DSC_0488

ここで一つリピーターの皆さんにお願いなのですが、折角六地蔵様の台座の部分がリニューアルするので元々されていた前掛けと帽子では『一新した』とは言えないので新しい前掛けと帽子を作って貰えないでしょうか。私も作れたら作るのですが残念ながらその様な技量はないものですから・・・。

帽子が被られているのを認識してから「あれ、何か違うぞ」と思い、しばらく六地蔵様の所を見ていて何が違うのかを考えてみました。そして、とんでもない事に気が付きました。それは、元々あった建物が常在不滅之塔の前に仮置きされていたのが元の場所に移っていたのです。こんなに大きな違いを直ぐに理解しなかった私自身に「何で」と自問自答しています。しかしながら、大枠の建物がそのまま活かされての土台の改修は今一理解出来ないものが私の中にはあります。六地蔵様の帽子が脱げていて、台座をよじ登っても何の違和感もなかったものがどうしてなのかと不思議でなりません。ましてや場所が変わったと言うのなら理解出来るのですが同じような場所なので私にとっては不可解です。

但し、昨日までは置いてなかった湯飲みが元の所に置いてあったので、明日からは持参したペットボトルの水をしっかりお供えしなければとは思っています。そう言えば線香立ても元の様になっていたので線香を持参してお供えする事もしなければとも考えています。但し、完全には直されていないので足元がデコボコのままなので気を付けていかなければとも考えています。

これからは日の出が段々と遅くなってきますので暗い中で歩く事(今は何とか歩けています。)になりますので、今の内に足元を照らすものを準備しなければいけないと考えています。(ワークマンに行ったら気に入るものがあると思います。)

準備をすると言えば和合の施設でもお参りをする為の品物も本日施設に持ち込みましたので、各フロアに準備をしたものを持って行き頑張りたいと思っています。可能な限りカラオケとお参りをする事にしていますが、各フロアで今月はカラオケは6回、お参りは2回の予定を入れています。今のところカラオケは順調に入居者さんに受け入れて頂いたのでお参りも頑張っていきたいと思います。

私のカラオケが進化している?

令和5年10月7日

昨日は和合の3階でカラオケをさせて頂きました。私が会場に行った時にはカラオケをする所にはほんの5、6人しか集まってみえなかったのですが、13時30分に私の歌から始めさせて頂き、次には入居者さんに歌って頂く形を取り、私は信仰役も買って出て雰囲気作りにも配慮しつつ、私が歌を歌わせて頂く時にはカラオケの歌詞については大きなテレビの画面なので遠いところからこちらを気にしてみえる方の所に行って「もっと近くで参加されませんか。」と言って近くまでご案内して行きました。段々と参加者が増えていくにつれて盛り上がってきて、事前に歌う事を希望されていなかった方の中にも、「歌いたいな」と思っていそうな方に声を掛けて背中を押す形にすると結構な方に歌って頂く事が出来ました。

職員も入居者さんが集まって来て下さった事によって参加者の近くで、お世話してくれる職員も増えて入居者さんと一緒に手拍子をいてくれたり、曲に合わせて大きく両手を動かしたりして会を盛り上げれくれたのも嬉しかったです。一昨日は喉の調子が今一の中「何とか歌えた」と言う感じだったのですが、昨日は声の調子は絶好調で、会場も段々と盛り上がって歌い終わってお礼の挨拶をしている時に「週に2回来てくれるんやろ」との声が掛かったのには正直嬉しかったです。

そして本日も2階でのカラオケが14時から開催されたのですが、声の調子は1日おきに調子が悪くなっていて、私の歌は正直今一だったのですが、2階の入居者さんはカラオケを始める前からノリノリで、歌たくさんエントリーをして頂いていて、午前中は私自身全国大会岐阜大会のアトラクションの打ち合わせが10時からあり、打ち合わせ後には厨房での昼食が頼んで無いのでコンビニでスパゲティとおにぎり2個(主食ばかりを食べ過ぎだと自分でも思っています。)を購入して和合の施設に戻り、食べ終わると13時15分の約束で打ち合わせに来た業者の方がみえたので、待たせるわけには行かないので直ぐに理事長室に移動して打ち合わせをしていると気が付けば13時45分と言う事で昨日と同じ曲目が書いてあるペーパーを持って2階へ。

昨日の反省として少し胡麻化しながら歌った「知床旅情」と「嫁に来ないか」の変更をしたかったのですが、変更する事をお願いする時間も無くカラオケが始まったので、その2曲を歌う時は小さい頃の消極的だった頃の『ひろし君』に戻った様で上手く歌えませんでしたが入居者さんの温かい声援に助けられて何とか歌えました。何事もそうなんですが何かをする時はみんなで作り出すものだと改めて思った次第です。

明日は1階でのカラオケです。選曲を考え直してもう少し自信のあるものに変えて頑張ります。

 

2024年度介護報酬改定に対する私見

2024年度介護報酬改定に対する私見

 

関ケ原町の本部施設本館は1998年の事業開始なので、2年間だけですが措置制度の時代を経験しています。措置とは市町村長から施設長に対して措置依頼をする形で、入居定員の数によって1カ月の措置費の金額が違ったので経営努力をすると言う意識が乏しかった時代です。そんな2年間を経て2000年4月1日からいわゆる、契約による「介護保険」が導入されました。正直、介護保険導入時の介護報酬単価は経営する側にとって余剰金を出す事が出来るものだったと思います。しかしながら、余剰金と言うのは法人がお金を貯め込む事では無くて地域貢献をする事に重きが置かれて来ました。と言う事で当法人も2004年には岐阜県で2例目のユニット型特養40床を建設して特養待機者の緩和に努めました。介護保険が導入されて23年が経過していく中で、コロナ感染症対策や物価高騰並びに介護人材不足と言う難題の中での介護報酬改正では正常な経営が出来る様に介護報酬の大幅アップに対する戦いをしていかなければいけないと考えています。その理由について次に述べていきます。

全国老施協が行った令和4年度収支状況等調査の速報値が10月3日のトップセミナーで資料提供されました。それによると令和3年度の赤字施設が43.0%(補助金含む場合は39.8%)であるのに対して令和4年度は62.0%(補助金含む場合は51.0%)と言う結果が示されています。令和3年から僅か1年で19%の施設が赤字に転落していると言う現実をしっかり捉えなければいけないと思います。尚且つ、岸田総理が人件費の大幅アップを謳いながらも介護事業の原資は介護報酬なのだからその原資が確保されない状況になれば介護職員と他産業との給料格差は拡がるばかりでますます介護業界の経営は厳しさを増すばかりだと言う事です。国家予算に対する諮問機関として財政審があります。財政審の見解では介護事業を展開している社会福祉法人においては「現預金を多く持っている」との見解を示して、暗に介護報酬の上昇を抑えようと言う意図が透けて見えます。しかしながら、借り入れに対する配慮はしないで、尚且つ建て替えを余儀なく迫られていながら、近年の物価高騰で改築の実施に踏み切れない法人もたくさんあると聞いています。と言う事は今の時点での現預金が膨れるのは当然の理だと考えるのが自然ではないでしょうか。人材確保の事を単純に考えても理解出来ると思います。大企業の中には好景気のなか大幅な賃上げをするところが多くあると聞いていますが、介護業界の現状の中では決して安易な状況ではありません。介護報酬は制度内での事業所ですから政治とは切っても切れないものがあります。つまり政治家の皆さんにこの現状を理解して貰う為に汗をかかなければいけないと考えています。

リピーターの皆さんもこの現状を理解して頂けると有難いです。

ようやく(18時)本部施設に帰って来ました。(妥当な言葉なのかはわかりませんが・・・)

いつもの様に朝のお参りとお墓参りを終えてお風呂と朝食を済ませて、7時40分に家を出て和合に向かい、8時20分に着いて8時30分過ぎからの申し送りに出て、申し送りの最後に私の1日の予定も含めて話をさせて頂きました。

その後2日間出張で不在をしていた時の書類等に目を通していると9時30分からの保健所の指導官の方2人がおみえになり、1時間の確認があり(指導すべき項目は無しでした。)終了したと思ったら銀行の支店長さんが10時30分のお約束でお見えになり、11時にはコピー機の新規購入の件で業者の方がおみえになり、そうこうしていると「気が付けば12時を回っている。」と言う事で昼食を頂き、13時から職員との面談をして気が付けば13時30分になっていたので慌ててカラオケのお約束をしていた1階に行くと利用者さんが待ってみえたので準備した曲目を歌う事にしました。

今日の企画では利用者さんにしっかり歌って頂く事に主眼を置いていたので皆さんが歌って頂ける様に進行をしていき次の曲が出ない時に私が歌うやり方で進めて行きました。最初は「私は下手やし」とか言ってみえた方も段々に歌って頂ける様になり、歌って頂くと車椅子の方の姿勢も段々と良くなっていくのが分かったのは本日の成果だと思っています。

14時30分に施設を出ていかなければいけない所があり、14時20分に「後は宜しく。またの機会もご参加頼みます。」と言ってある意味後ろ髪を引かれる思いもありましたが、次の予定は岐阜県感染症の責任者の方の所へコロナ感染症が2類から5類になってからの施設対応についての確認と岐阜県老人福祉施設協議会の会員施設の対応の標準化を進めて頂く為に研修講師の依頼もさせて頂きました。

一昨日は全国介護福祉政治連盟の事、来年の介護報酬改正への取り組み、前回の参議院選挙で組織内候補が残念な結果に終わった事への根回しと多方面に対応した事もあり、しなければいけない課題は沢山あります。しかしながら私のベースは社会福祉法人杉和会にあり、そこでの展開をしっかりと行なはなければ本末転倒になってしまうので、月月火水木金金の毎日ではありますが頑張っていき、より充実した体制になる様にしていきますのでリピーターの皆さん、より一層の支援を宜しくお願いします。

昨日のコラムで社会的論評もすると宣言したのですが、本日は頭が働かないので出来ませんでしたが明日は「来年度介護報酬改定について」と言う事で書きたいと考えています。乞うご期待?

1 95 96 97 98 99 100 101 102 103 328