家族が増えました

令和4年10月15日

昨日は午後から法人事務局長(和合の副施設長)と一緒に、職員募集のお願いの為に大学周りをして、和合の施設に着いたのが16時で大垣18時の約束での飲み会には少し時間があると言う事で一旦我が家に帰る事にしました。大垣と自宅への往復をするわけですから多分30分も家に滞在する時間は無いとはわかっていたのですが、家に帰りたい理由がありました。それは我が家に新しい家族が増えたのが気になっていたからです。我が家に着き早速2階の猫部屋に直行すると部屋の一番奥の窓際のガラス戸の所で寝ていました。私は思わず「豆腐、豆腐。ご主人様だぞ。」と声を掛けたのですがしっかりと寝ていたのか全く無視をされてしまいました。

20年前に『リット』が来た時には「ちゃんと挨拶せんかい。」と言って抱きかかえると毛を逆立てて怒っているのが分かったので「最初が肝心」とばかりに厳しく対応したので全く嫌われてしまい、仲良くなれたのは今年に入ってから・・・。だから「ここは我慢、我慢」と遠くから真っ白な猫を見ているばかりでした。17時5分になったので1階に降りていくと、ピアノの生徒さんが帰られたのか奥様がいたので「豆腐が寝とったぞ。」と言うと「『豆腐』ではありません。『お餅』です。」と言うのでいつもの事ながら私は「奥様の話はいい加減に聞いているんだな」と思いつつ「私の中では『豆腐』とインプットされてしまっているからこれからも『豆腐』と言いそうだ。」と思っている次第です。

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昨夜の飲み会も強か飲んだので「4時25分のアラームで起きるのはキツイ」と考えてアラームのセットを解除しておいたのですが5時20分に目が覚めて5分程悩んだ末に妙応寺経由のお墓参りには出掛けました。歩いていてもふわふわした感じでしたが頑張って歩きました。歩くと言うのは良い事です。家に着くとほんのり背中に汗をかいていたので昨夜はお風呂に入らずに寝たのでシャワーを浴びてからゆっくりと湯船に浸かりました。お風呂に入った後でもまだまだ完全にお酒が抜けていないので朝食は食べずに眠る事にしたので猫部屋の前を通った時に部屋をのぞいたのですが猫を見つける事が出来ませんでした。

これは、まだまだ我が家の一員になり切っていない為に部屋の隅っこに隠れて寝ているのだと思うと早くに我が家族となれる様にしたいと思った次第です。昨日の飲み会では当法人の事や岐阜県老人福祉施設協議会の今後の展開についても議論を交わしましたので、本日は頭の回転があまり良くないので、(何とかコラムは書けましたが)本日は早くに仕事を切り上げて明日からはしっかり頑張りますのでリピーターの皆さん、本日はここまでとします。

私の奥様はるんるんです

令和4年10月14日

昨夜夕食前に私の奥様かをり様に一本の電話が入りました。話の内容はわからないのですが、嬉しさが溢れるような話ぶりに「嬉しい用件なんだろう」と思っていたら、最後に「改めてご返事します。」と電話を切り、目を輝かせながら「猫を譲ってもよい。」との獣医の先生からの連絡だったとの事で、猫を飼う話の決定権は私には無いのですが、(私は猫よりは犬が好きなのですが、毎日の散歩など私には物理的に無理なので、奥様が全ての世話をすると言う条件で猫を飼うのです。)取り敢えず報告があったので「明日にでも受け取りに行ったら」と言うと早速折り返しの電話をしていて『ルンルン』さが伝わってきます。

そして電話を切ると直ぐに『11時に行く約束をしたけど結構大変だ。』と言うので私は「猫を受け取りに行く体制を優先すればいいんじゃないか。」と言うと「そうするわ」と言ってからは「名前を付けなければ」と言ったかと思うと「遊ばせる道具が一つしかない。」等と『ルンルン』さが伝わってきます。名前については『リット』にすると言いだしたので「リットは20年以上いた猫の名前にするのは少し抵抗があるな」と言うといつもと違って素直に「だったら今『豆腐』と呼ばれている」と言うので「既に決まっているのであれば豆腐で良いのではないか」と言うと「真っ白な毛の猫なので豆腐とみんなが言っている。今度こそしっかり抱かれる猫にしたい。」と既に夢を馳せているのに私は「しっかり躾をしないと三味線の皮にするぞ」と言ったのですが全然意に返さなくて、つくづく思ったのは「我が家での生活は私より猫様が優先される生活になるのかな」と思った次第です。

今朝も私がお参りから帰ってくると、会話は猫様の事ばかり。「名前は豆腐で良いのかな」と聞いて来るので「真っ白だと言うのであれば『ホワイト』の方がカッコよくないか」と言うと「横文字は駄目」と言うので「だったらいっそのこと『お餅』にしたら」と言うと「『お餅』は・・・」と言うので「だったら『豆腐』で決定」ときりが無いので話を打ち切りました。我が家の飼い猫『リット』は20年間以上マイペースな生活を送ったのですが『リット』が我が家にやって来た時は私が酔っぱらって帰って来て多分乱暴に扱ったのだと思います。私の事を『天敵』の様に思っていたのか、1階でのんびりしていたのが私の車のエンジン音がすると2階に慌てて行くばかりでしたが今年になり20年の経過の末にようやく私にも甘える様になり、私の布団の所にも来て甘えてくれたのを今も懐かしく思っています。

そう言えば本日も大垣まで飲みに行くんだった。『リット』の時の様にいきなり酔っぱらった勢いで気合を入れて『躾』をすると豆腐君にも嫌われるかな・・・。いやいや、私も20年前とは違うので「優しく、やさしく・・・」リピーターの皆さん。今夜酔っぱらって帰ってから豆腐君に優しく出来ると思いますか。

私はこんなにロマンチストだったかな

 

 

今朝も、いつものように歩いたのですが、歩きながら月が面白い所にいるのを楽しみながらガラケーの携帯で写真を撮りました。

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いきなり何となくの風景が並んでいてリピーターの皆さんは「何のこっちゃ。あいからわず若山はワケわからん奴だな」と思われた方もおみえになったと思います。我ながら「お月さまと戯れるとは心にゆとりが出てきた証しかな」とも思っています。厳しい状況の時でも鮮やかなお月さまを見ることが出来たはずなのに、その事を楽しむ事が出来ていない。人間とは正に感情の生き物としみじみ思った次第です。そんな時に何の脈絡もなく思ったのは、少しの努力も継続すると何かが変わると言う事です。と言うのは、6月初めから始めた妙応寺経由の我が家への水を持ってのお墓参りは歩数にすると2500歩程度なので大した運動になっているとは思えませんが2500歩×120日=300,000歩で300,000歩×0.7メートル=210.000メートル(210キロメートル)急にこんな計算をしたのは突然自分を褒めてみたくなったのかな・・・。

さて、本日は10時から本部施設のフロア責任者会議があり、各フロアからそれぞれに提案がなされて、その提案に対して会議に参加した職員との討議をして最後に私が方向性の決定と評価をしていくものです。回数を重ねていく毎に中身が濃くなっているのを感じながら、『幹部会』『フロア責任者会議』に続くメンバーを育てていかなければいけないと痛感しています。『人材=人財』だと考えていますので職員のキャリアアップをしていく事は施設がより良くなることだと考えていますのでこれからも頑張って行きたいと思っています。

昼食後は全国老人福祉施設協議会による制度政策検討会議が13時30分からあるので資料の確認をしていて時間調整をしました。政策検討検討会議はそうそうたるメンバーが参加されるので資料の理解もして参加させて頂きましたが議題には①要介護1・要介護2を軽度者と認識している財政審議会への対応。②施設管理者の考え方(ローカルルールの整理)③物価高騰に対する対応。④小規模特養の収支状況等調査研究⑤特養の入居申し込みについてのアンケート調査。⑥特養の配置医師の協力体制に関する調査研修⑦認知症の評価尺度の在り方の調査研究。と多岐に渡る検討が2時間行われました。全国老人福祉施設協議会副会長として初めて参加させて頂いた時には全く意見が言えない状況がありましたが本日は私なりにしっかりと自信を持って発言出来たので正直充実した時間を共有出来ました。正直少し疲れを覚えたのですが「ほっ」とする間も無く平石会長と参与であり認知症の権威である鴻江さんから電話を頂き自分の役割りを果たせた事を実感することが出来ました。リピーターの皆さん。知識人の集まりの中に加えて頂いている事によって69歳若山宏はますます進化しております・・・。なんちゃって。

一本の電話をして驚きました。

令和4年10月12日

一本の電話の相手は本部施設本館が事業開始をして(平成10年)1年間の大変な時期を乗り越え(施設が売りに出ている等と言うデマを大学の先生で流す方がいたと聞いています。)2年目にようやく施設も落ち着いてきた頃の事業開始をして3年目を迎えた頃に施設見学をさせて頂いてからのご縁で、それ以降その施設の重鎮の方で素晴らしいご経歴を持たれた方に時にはお教えを頂きながら、施設間交流をさせて頂いて、最近はその法人の若き理事長とも親しくさせて頂いているのですが、しっかりとした考えをお持ちだと思っていたら、流石です。

全国老人福祉施設協議会の役員としてのご縁を4年前から持たせて頂いていて、私は少しは全国老人福祉施設協議会の事がわかるので、時にはアドバイス等をしていたのですが、最近はコロナ感染症対策の一貫でお会いする機会がなかったのですが、本日全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会主催の『2035の会』(将来を見据えた意見交流をするもので各委員会の幹事が参加するもので、私も総務・組織委員会担当副会長として参加させて貰ったのですが、昨日「明日の2035の会では頑張って」との思いを込めて電話をさせて貰ったのですが、久しぶりに話をしてびっくりしました。

と言うのは、以前からの落ち着いた話しぶりは変わらないのですが、「今正に頑張っている。」と言う事が理解出来る自信に満ちた話しぶりに舌を巻く思いでした。そして本日の2035の会は平石会長も参加して頂いての会議だったのですが、平石会長から質問を投げかけられた時には少し緊張されているのは画面の中でも分かりましたが実践している自信からだと思いますがしっかりと尚且つ堂々と答えられているのを頼もしく思って会長とのやり取りを聞いていました。

昨日の電話でのやり取りの中でも自分がやるべき方向が明確で何年か先に対する目標もしっかりしていたのには頼もしさと共に驚嘆の思いを覚えた次第です。明日は午後から全国老人福祉施設協議会制度政策検討会議があり、総合支援事業に要介護1、要介護2を組み入れる事を財政審議会が画策している事に対して絶対反対の声明を出し戦っていく事をしっかり提案していきたいと考えています。

この問題は単に事業所の経営の問題ではなく、結果的には要介護1,要介護2の方の重度化につながり、結果的には余計にお金を使う事になる愚策だと言う事を明確にしていくと共に介護保険の根幹を覆す事になる事もしっかり訴えていきたいと思います。若い方々の息吹も大切にしながも、歴史的背景や知識を活かせるものがバランスよく活動していく事が大切だと考えています。リピーターの皆さんのご意見をお聞かせください。

 

家に入った瞬間は「温かい」と思いました。

令和4年10月11日

いつものようにお墓参りまでは変わらない行動だったのですが、あまりによい天気なので、「田圃の草刈りを同級生に無理を言ってして貰って、彼の事だから完全に仕上がっていると思うので確認に行こう。」と言う事で六地蔵様の蝋燭の火を消してから、行くのを嫌がっている自分がおり、田圃の方を向いたり本堂の方を向いたりを何回か繰り返したあと「えいっ」と決断して田圃に向かいました。何故躊躇したかと言うと「朝露で足元が濡れるから。」と言う他愛ない理由だったのですが、マジで悩むのが私のわけのわからない性格だと自分でも思います。しかしながら、今の私は少々の誘惑には負けない強さが備わっているので(そんなに大袈裟に言わなくても良いのですが)我が家の田圃に向けて歩きました。

案の定、草が伸びている所を歩くと間違いなく靴の中に水が入ってきました。しかしながら頑張って我が家の田圃に行くと草は綺麗に刈ってあり、今迄草を刈って頂いていた藤下(とうげ)の高木さんが植えて下さった栗や柿の木が大きく成長している事も確認出来ました。(写真参照)そして改めて母秋江さんの教えであった『蒔かぬ種は生えぬ』を理解した次第です。

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家に帰り玄関の戸を開けて家の中に入った瞬間に「温かい」と実感した次第です。そして、シャワーを浴び朝食を頂いた後、いつもの様にコラムを書く為に2階に上がり部屋に入ると、これまた「温かい」。と言うのは私の部屋は南向きで本日は天気が良く日差しが温かい為だとこれまた改めて思った次第です。そう言えば本日お墓に行く為に外に出た時に見た東の空の「朝焼けが綺麗だったな」と思ったのと「吉兆の印」と都合の良い事を思ったのを思い出しました。(あいからわずのプラス思考です。)天気が良いからでしょうか妙応寺に向かっている時には薄暗かったのがみるみる明るくなってきて、西の空の朝焼けが綺麗で「これまた吉兆」と言う事で・・・。

さて、本日本部施設南側に砂防堰堤の為の調査に入る為の事前打ち合わせの為に10時と言うお約束で業者の方が3人来て頂きました。既に施設の西側には50メートルと言う大規模な砂防ダムを作って頂き、施設の南斜面はコンクリートで綺麗にして頂き入居者さんの安全を守る対策を岐阜県の予算でして頂いています。この様に大規模な援助をして頂いている施設であるからこそ地域の安全・安心に寄与出来る事を色々と考えて取り組んでいく事は、当法人にとって大切な事だと社会福祉法人杉和会の理事長として常に考えています。

具体的に言うならば『防災備蓄庫』や『ガスバルクにより緊急時の電源確保』その他に余暇活動も兼ねての寸胴による味噌汁やご飯作りは緊急時の『炊き出し』(1回に200食は作れます。)に必ずや役に立つと考えています。施設が如何に安全で快適な場所であるかをアピールする事は地域の安心にもつながると考えています。そう言う意味では昨日の『てるてる座』のイベントでの皆さんの笑顔は最高でした。リピーターの皆さん入居者さんの笑顔は最高だと思いませんか。 P1000768 P1000769 P1000771 P1000772

やっぱり・・・最近の気候はおかしいです

令和4年10月10日

本日は祭日だそうですが(『趣味は仕事』と言っている私には関係ないですが・・・)何の祭日かと言えば『体育の日』なのであります。どうして『体育の日』が10月10日と決められたかと言えば、リピーターの皆さんもよくご存知だと思いますが1964年10月10日に初めて『東京オリンピック』があり、その開会式典が開催された日なのであります。私は当時11歳のか弱き少年(本当にか弱かったのであります。)でしたが、オリンピックの開催日になった理由は統計学的に『晴れ』の確率が高くて、その当時の偉い方々で決定されたのだと思います。(ここまで書いた所でインターネット情報を確認すると私の大いなる思い込みが分りましたので訂正して書き加えます。)

先ずは『体育の日』と書きましたがいつの間にか『スポーツの日』になっておりました。私的には『体育の日』の方がしっくりくるのですが、国の方で決めた事ですから本日の祝日は『スポーツの日』と言う事でリピーターの皆さんに訂正してお詫び致します。インターネット情報によりますと【スポーツを楽しみ、他者を尊敬する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。『スポーツの日』は、昭和41年の祝日法改正により、『体育の日』として設けられた国民の祝日です。『スポーツの日』(旧『体育の日』)は国民がスポーツを親しみ、その精神を通じて健康な精神を培って、明るく住みよい社会を建設することを願い、祝日とされました。この日は、当初『体育の日』と言う名称で、10月10日とされていました。これは、昭和36年に制定されたスポーツ振興法において10月の第一土曜日が『スポーツの日』とされていたことを尊重し、あわせて昭和39年のオリンピック東京大会を記念し、その開会式の日が選ばれたものです。体育の日は、平成10年の祝日改正により、平成12年から、10月の第二月曜日となりました。また、平成30年の祝日改正法により、令和2年から、名称が、『スポーツの日』に改められ。その趣旨についても、「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」から「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うと共に、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました】(文責:政府広報オンライン)

自分で資料を打ちながら自分の知識の無さには改めて驚かされます。本題とはかなりかけ離れた内容になったと思いつつ書いてしまいましたが。私が言いたかったのは近年の異常気象によって色んな事が変わってきていると言う事です。だって昔から『秋晴れ』とか『天高く馬肥ゆる秋』等と言う言葉がある様に「秋は天気が良くスポーツだけでなく野外活動に適しているから『運動会』『祭り』『各種イベント』等の企画も多いのだ」と思います。にもかかわらず今年の秋は休日になると雨の日が多くて一昨日に開催された『関ケ原 夜想語』は夜と言う事もあり「メッチャ寒い」状況だったし、昨日と今日に渡り『大関ケ原祭2022』が繰り広げられていますが、雨と寒さで開催する側も参加される側も折角の企画なのに残念な事だと思います。

異常気象は色んな条件が重なり進行しているのだと思いますが、何らかの対応を考えて実践しないと将来的にはもっと厳しい状況になると思うのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

2日酔い?3日酔い?

令和4年10月9日

一昨日も酔っいていたわけだから『3日酔い』になるのかな?勿論本日は昨日よりはかなり大丈夫なのですが・・・。まだまだ本来の自分の体調かと言うと「そうじゃない」と言う程度なのですが・・・。昨日は車の運転は流石に自信なかったので迎えから送りまで運転はしていただいての1日でした。久しぶりの2日酔い・・・、いやいや3日酔いの状態ですが、私は何事も『転んでも、ただでは起きない。』性格になってしまったので3日酔いとはどんな状態になるのかを先ずは報告します。

昨日は4時25分のアラームが鳴っていたのを知らなかったのです。ただし、5時30分には何と無く目が覚めて、5分位「起きて行動するかどうか」の葛藤をしてから「エイヤー」で起きて昨日コラムに書いたように、仏間でのお参りは中止にして、お墓への歩きのみを実行したのです。歩き方はふわふわだったと思うし、お賽銭は忘れるし、ペットボトルの水は持つ元気はなかったです。最大の現象は妙応寺の本堂でいつもの様に経を唱えようとしても声が出ないのです。(本日はしっかり出ました)当然ですよね。ご本尊様にしてみたら「2日酔いでお経など唱えるな。声が大きいと酒の匂いがこちらに届くだろうが」と言われていたのではないかと思っています。

さて、昨日開催された岐阜県主催の『女性の活躍フォーラム』が15時30分から関ヶ原ふれあいセンターで開催されると言う事で当法人は『エクセレント企業』(※女性の仕事環境を整えているとの認定。当法人の場合は事業所内託児所や短時間勤務での就業、限定正職等々に対する取り組みへの評価)としてのご招待があり参加しました。関ケ原ふれあいセンターに15時に行くと多くの車が来ていて「賑わっているな。交通整理の方も沢山出て頂いてるのに駐車代は無料とは太っ腹」と思いました。ふれあいセンター大ホール前で受付を済ませて中に入ると、既に多くの方だ座られていました。

15時30分の開始で先ずは古田岐阜県知事の開会挨拶と『ぎふ女(じょ)のすぐれもの』の認定式が行われ、引き続き佐藤美加氏、坪内知佳氏(2人共に有名な方の様なので経歴等は興味があったらインターネットで調べて下さい。)と古田知事の3人によるトークセッションがありました。16時40分に終了して18時30分から行われる『関ケ原夜想語(やそうがたり)』が笹尾山駐車場特設ステージで行われる為に場所移動をするのですが、これまたシャトルバスが無料で運行されていて(これまた太っ腹)バスに乗って現地に送って頂いたのですが、どうも帰りは歩きになる様なので、送って頂くところから近い所に知り合いの駐車場があるので、連絡すると了解が頂けたので送って頂いたバスに乗り元に戻り車に乗り、知り合いの駐車場まで行き会場入りをしました。丁度会場開始時間の17時30分だったので、指定された場所に行き座った瞬間に思ったのは「じっと座っていると寒い」と言う事でした。

開演が18時30分なのでおおよそ1時間開演を待っていたのですが「寒い」だけで無く音楽も何もない状態で待っていたので大変でしたが、開演になって最初に関ヶ原合戦の時の武将の子孫の方の紹介と挨拶がありました。最初に再び古田知事のご挨拶と関ケ原町長の挨拶があり、花火の打ち上げにより開演されたのですが、『高台院(淀殿)日記異聞』の朗読を竹下景子さんがされる形で進行していったのですが、舞台が野外と言う事もあり迫力のあるスケールでオペラ歌手(角田和弘氏、城宏憲氏)の素晴らしい歌声は意味がわからないとは言え素晴らしいものでした。(演奏も生の迫力で素晴らしかったです。)そして最後には「これでもか」と言う位の花火が打ち上げられ終了しました。芝居が終わった後は皆さん関ケ原町が用意した駐車場に向けて歩かれていましたが私は近い所に車を置かせて頂いたので最後には楽をさせて頂けました。

岐阜県の主催だから出来た大掛かりな企画でしたが『関ケ原』は良く知らない方でも『関ヶ原合戦』の事は良く知っていても私は関ケ原に住んでいても大したメリットは無いと思っていましたが「この様なイベントが出来る所」と言う事が認識出来たのは良かったと思います。雨の確立が高かった中でしたが雨が降らなかったのは良かったですがリピーターの皆さん「本当に寒かったです。」

久しぶりに強か飲みました

令和4年10月8日

今年の4月1日から岐阜県老人福祉施設協議会が一般社団法人となり、事務局が岐阜県社会福祉協議会への委託から独自の事務所と職員の体制をとってます。私が全国老人福祉施設協議会の役員になったのが平成18年8月8日からなので15年にはなるのですが、その間に残念ながら他界された中村博彦会長からいろんな事をお教え頂いた中の一つに「何かをして頂く方には徹底的に誠意ある対応をしろ」と言われたものです。その最たる教えとして中村会長が参議院議員2期目で総務大臣政務官の要職に就かれた時に政務官室に行かせて頂いた時に「政務官秘書官の職員には一生懸命に仕事をして貰う為に目一杯配慮をしている。」との話しには『深いな』と思った次第です。

そんな教えを受けて事務局を担って貰っている常務理事兼事務局長と事務職員の2人の方に私の考え方をしっかり伝える為に酒席を持ちたいと思っていたのですが、コロナ感染症対策の一貫でなかなかその機会を作る事が出来ずようやく昨夜その会を持つことが出来ました。しっかりと私の考え方や人生観を伝えたいとの想いで3人のみの酒席としました。そこで3人のみでゆっくりと出来る様に個室を手配して、二人共岐阜市の方だと聞いていたので私の車で迎えに行き、帰りは電車で帰れる様にと大垣駅の近くでと配慮をしての企画でした。

岐阜県福祉会館まで迎えに行き、二人をお乗せすると早速私は生まれてからの話をさせて頂きました。そして、個室に入ってからも殆ど私が話をしていた様に思いますが事務局長ももう一人の事務職員も聞き上手で、最初の1杯は生ビールで乾杯しましたが、その後は「熱燗が嬉しい時候になった。」と言う事で岐阜県のお酒で辛口の『三千盛』でぐいぐいと飲んで飲めば飲む程に舌の回転が良くなり正直強かに飲みました。一次会を終えて「会長の歌が聞きたい。」等と言われてかつて馴染にしていたスナックを予約しました。ところが5年ぶりに行くのとお酒がかなり入っていた為か道案内すべき私が道案内が出来ずにお店の方に迎えに来て貰う体たらく。目的は私が歌を歌うと言う事でしっかり歌いながら本当に久しぶりにウイスキーをロックで頂きました。私も絶好調で歌いましたが局長の歌も素晴らしかったです。

2人が電車で帰る時間になり、私は代行を呼んで貰い家までは順調に送って貰いました。ところが強か飲んだ為と代行の運転手が私の家を知ってる方だったという安心感も手伝い、車に乗って殆ど直ぐに爆睡して気が付くと車庫に車が入っていたので車を降りて車の鍵をしようとしたのですがリュックサックの中に鍵がなくて大慌て。「鍵が無い」と言う事でお店に連絡して代行に問い合わせて貰うと「間違いなく渡しました。」との事でフラフラの中結局自分が座っていたところに落ちていたのを発見して一件落着。

お風呂にも入らず爆睡して気が付いたのは5時30分。「4時25分のアラームに気付かなかったのか」と思ったら何故かアラームがオフになっていたのです。「全く不思議な話です。」まだまだ頭もフラフラだったのですが「我が家でのお参りは無しでも仕方が無いが妙応寺の方丈様が本堂のお線香を点けて頂いていると申し訳ない。」と言う事でフラフラしながらもいつもの様に歩きました。ただし、お賽銭を持たずに(これは完全に忘れたのです。)水も持たずに「とにかく手を合わせに行く」と言う事でフラフラでしたが何とか歩けました。

家に帰りシャワーではなくてゆっくりお風呂につかり、しっかりお水を飲んだのですがまだふらついていて、そんなタイミングの中6時35分に昨夜ご一緒をした事務局長からお礼のメールが来たのでお風呂の中で返信メールを送りました。本日は午前中はゆっくりさせて頂きお昼に味噌煮込みうどんを食べるとお酒が味噌で吸収されて(徳山村での増山さんの民宿で居候をしていた時に増山さんに教えて頂いたのです。)シャキッとなりましたので15時から関ケ原ふれあいセンターで行われる『清流の国ぎふ女性の活躍推進フォーラム』と『関ヶ原ないと2020』はしっかりと参加させて頂く事にします。リピーターの皆さん、本日はコラムを書く事しか出来ませんでしたが「こんな日があっても良い」と思っているのですが・・・。

雨の中でも頑張りました。

令和4年10月7日

本日は4時21分に目が覚めたのですが、何故か律儀に4時25分のアラームが鳴ってから行動に移しました。面倒臭い性格だと自分でも思う事もありますが直りません。と言うより直す気はさらさらありません。何故ならば、それが『若山宏』そのものだと考えているからです。しかしながら、『やると決めたら必ず形にする。』と言うのを実際に形に出来ているのは今が元気だからだと思います。小さい頃の私なら雨の中を帰ってきた瞬間に熱を出していたと言う事実があるからです。健康だからこそ頑張れる。69歳の今もやるべき事が一杯あるのは幸せだと本当に思っています。

昨日は公益認定社団全国老人福祉施設協議会の緊急理事会が16時からあり本日は10時30分から同じく全国の常任理事会があり、本日の一番の課題はデイサービス部会で慎重に討議してきた要介護1、要介護2が総合支援事業になると言う流れがあるのを阻止すべきだとの提案をデイサービス部会の担当副会長として提案説明をしなければいけないのでいつも以上に気合いが入っています。この事は、単にデイサービスの事業所の経営が難しくなると言うだけでなく、要介護1、要介護2の方がデイサービスの利用が難しくなることによって身体状況が厳しくなったり、認知症に対する知識が乏しい方の対応によって混乱を招いたりすることが懸念されるからです。(そう言う意味ではデイサービスの事業所はより専門性の高いものを構築していかなければいけないと考えています。)少し話題が替わりますが『公設あるいは社会福祉法人のみが特別養護老人ホームの経営が出来る。』との考え方を民間にも認めるべきだとの意見が出ているのは事実です。私はこの様な考え方が出てくるのは社会福祉法人の大切な使命の一つである『地域貢献』と言う役割を蔑ろにしている法人があるからだと思っています。

本日10時30分からの公益社団法人全国老人福祉施設協議会の常任理事会では総合支援事業に要介護1、要介護2が組み入れられる事への反対意見の為の方針が決まった後で、収支状況等調査についての提出の締め切り延長の話題が出て特に30床規模の提出が芳しくない結果を目の当たりにして、正直唖然としてしまいました。と言うのは介護保険制度に切り替わった2000年からの介護報酬の考え方は『スケールメリット』の考え方の中で小規模特養の経営は年々厳しくなっているにも関わらず、言葉を選ばない言い方をすれば「経営が厳しくなると言いながら収支状況等調査にも協力しないと言うのは如何なものか」と言う事です。「今が忙しいのにそんな調査何かやってられるか。」と言うのであれば、「いつの間にか埋没してしまいますよ。」と言う事です。自分で出来る事はお互いに精一杯していく事を念頭に置いて活動すればきっと良い方向に行くと思っているのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

岸田総理が国会で立ち往生です。

令和4年10月6日

確かに決めたことを批判するのは簡単だと思います。ただし、決める側は「これは大切な事だ。」と確信を持って推し進めて行かなければいけません。『批判はどこからでも出来る。』しかしながら決断する側は信念に基づいてやりきる覚悟が必要だと言う事です。私がトップに立っての社会福祉法人杉和会も規模的には比較になりませんが、考え方は同じだと考えています。

国葬問題でも色んな批判を浴びていますが、私は拙速に決めて何の根回しも出来ていない(されているのかも知れませんが)中で岸田総理が発表した時には正直「今までの手法と違いすぎていて大丈夫なのか。」と当初から懸念していました。賛否が分かれたとしても信念を持って実行される為にも慎重な根回しが必要だったと思います。

また、旧統一教会の問題にしても、私は『信教の自由の観点』からも「関連しているもの全てが悪」の考え方は如何なものかと私は思っています。勿論、常識では考えられない行為についてはしっかりと掌握して救済を含めてしっかりとした体制を早急に構築して対応して行かなければいけない事は当然なことだと考えています。

国会の場で党首質問に対して窮した対応の中岸田総理の長男さんが首相秘書官に任命されたニュース聴いた瞬間に正直「岸田総理は今の状況を把握した上で長男さんの処遇を決められたとはとても思えないし、その事に対して進言する方がいなかったのか」と思うと凄い違和感を持ちました。確かに長男さんは優秀で人当たりも良く地元でもしっかりと汗をかかれているようです。だからと言って『何万段飛び』としか思えない人事がまかり通るのは今後の対応に苦慮される事が想定される。尚且つインターネット情報によると、岸田総理の長男さんの他にもう一人の政務担当の首相補佐官は経済産業省の事務次官までされた方との事なので「適材適所」との言い分にはかなり無理がある様に思えます。私の個人的な見解では政治の世界で言葉を選ばない言い方をするならば常に寝首をかかれる状態の中で「ほっ」とする空間を持つために身近な所に気の置けない身内を置きたい気持ちはわかりますし、後継を育てる為にと言うのも理解出来ますが、その事を理解した上でも『衆議院議員 岸田文雄の政策秘書』と言うのであれば、資格を取得した人として採用したと言う事で何の問題もないと思うのですが・・・。そんな形で『箔』を付けなくても後継者として地元での選挙も頑張っておられた様だし、如才ない人当たりで配慮も出来ると言う事であれが・・・。「う~。やっぱり拠り所が欲しかったのかな。」しかしながら厳しい状況だからこそ誠意ある対応が望まれるのでは無いでしょうか。リピーターの皆さんはどの様にお考えになりますか。

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