「天災は忘れた頃にやってくる」

令和5年5月19日

明治の物理学者の寺田寅彦の言葉だそうです。「天災は忘れた頃にやってくる」と言う言葉は戒めの意味でも良く使いますが、どこからの引用なのかも知らずに使っていましたが、たまたま先般の本部施設の全体会で法人の顧問である烏野猛先生(びわこ学院大学教授・学部長)が「関東大震災から今年で100年です。最近は北は北海道から南は九州まで至る所で地震が頻繁に起きている。そして地震の後の集中豪雨が重なると被害は倍増する。特に今年の気候はエルニーニョ現象が起きるので大きな被害が起きる懸念がある。」との話を聞き私は「関東大震災から100年なのか」と理解してインターネットで情報を見ていて寺田寅彦先生の言葉だったのだと知りました。最も私は寺田寅彦先生が物理学者として有名な方だと言う事も知らなかったのですが・・・。

最も元々東京帝国大学物理学の先生だった寺田寅彦先生が元々火災や地震などの災害に関心を持っていたが、1923年の関東大震災発生後は、これまで以上に深い関心を示すようになったとの事。寺田寅彦先生の論文の中に『こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津波の周期を十分の一か百分に一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害ではなく五風十雨の亜類となってしまうのであろう。

しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するよりほかはないであろう。』この文章を読んだ時に私は「当たり前の事をここまで難解に書かれる頭脳はどの様な構造になっているのか」と思った次第です。そして次に『文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があると言う事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防護策を講じなければならないはずであるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。その主たる原因は、天災が極めて稀にしか起こらないからであろう。』と警告をしている。

しかしかがら、「天災は忘れた頃にやってくる」のことばは寺田寅彦先生の論文には出てこなくて、この言葉を弟子の中谷宇吉郎が寺田寅彦先生の死後である1938年、朝日新聞に「天災」と題する文章を発表した中に『天災は忘れた頃に来る。之は寺田寅彦先生のが、防災科学を説く時にいつも使われたことばである。そして之は名言である。』と書いて世にこの言葉が残ったと言う事です。この言葉は高齢者施設の経営をしている私にとっては胆に銘じていかなければ災害時に後悔しない為にも大切にしていきたいです。口幅ったい事を言うようですがリピーターの皆さんも心掛けて下さい。

軍国主義に走ったかつての日本は10年毎に戦争をしてきた(日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦)事実がありますが大震災は100年周期とも言われます。お互いに留意したいものです。※ 余談です・・・コラムを書くようになって題材をインターネットで検索するようになって知識が増えてきたと自画自賛です。

 

週刊現代5月20日号の記事から

令和5年5月18日

大見出しが『銀行の「高齢者イジメ」が酷すぎて』であり、小見出しに『三菱UFJ銀行の振込手数料が990円!?』と『「スマホが使えない人はもうくるな」って酷すぎて』と出ていました。そしていきなりの書き出しが『500円以上の値上げ「値上げを発表した銀行側の真意は、はっきり言ってしまえば、もう窓口には来なくてくれ」と言うことでしょう。』とのコメントがあり、もっと端的なコメントとして『メガバンクの収益のほとんどは、高額の資産を持っている富裕層や大企業から得ている。「お金のない庶民はできるだけインターネットを利用して、銀行員の手を煩わせないでくださいね」と言う意図が透けて見えます。』銀行の振込手数料値上げのニュースに関して、こう分析するのは経済ジャーナリストの荻原博子氏だ。

4月27日、三菱UFJ銀行は、10月2日から店頭やATMでの振込手数料を大幅に引き上げる方針を発表した。手数料が高くなれば、店頭窓口をりようして振り込みをする人は殆どいなくなるだろう。これは、銀行の都合と言う事で、「地域にある銀行」とのイメージがどんどんなくなっていく事になると思います。私が中学生の頃(半世紀以上前の事)の記憶として、その頃の銀行員の方はボーナス時期になるとかなりきついノルマが与えられて、預金の勧誘に1件1件の家を回られていた様に記憶しています。会社によっては社内預金の利息が高くて、銀行とのせめぎ合いがあった様に思っています。最もその時代は文字通り高度経済成長期に当たり、日本中が湧きたっていた様に思います。

しかし今の時代は超が付く低成長時代で、預金をしても殆ど利息らしい利息もつかないし、預金をしてもメリットが無いと言う事は、当然の事ながら銀行にしても預金をして貰っての旨みは殆どない。仮に先程の振り込み手数料で収益を上げようとしても、人件費や管理費の方が高くつくと言う状況では「小口の客はただの『コスト』」と言う事になっていくのかなあ。自他共に『昭和おじさん』の私はこれからの日本の流れについて行けるか心配です。

と言うのは「これからの日本の労働人口はますます減っていく。2022年の労働力人口は約6900万人だが、2030年には6500万人を割り込み、あらゆる業界で人手不足が深刻化するはずだ。そうなると、コンビニやレストランの注文や会計はますますタッチパネルになって、対人サービスを受けられる機会は減っていくだろう。皮肉なのは、あらゆる企業が『サービス向上』を標榜しつつ『デジタル化』を進めていることだ。確かにデジタル化は便利になる側面もある。だが逆に、面倒なスマホ操作や融通の利かなさに不便さを感じる機会が増えていることも事実だ」との記事を読んでいくにつれて、私自身が億劫になって来ました。だってリピーターの皆さん、私は自他ともに「昭和おじさん」と言われているのですよ。でも昔から「習うより慣れよ」と言いますから、それなりに出来る様になるのかな。そう言えばタッチパネルでの注文が何となく出来る様になっている自分がいます。う~ん。デジタル化のスピードについていけるかな~。

本日のコラムは銀行の身勝手さから私の時代について行けない話でわけのわからない話になりましたが忙しさの中でのコラムだったのでお許し下さい。

私の誕生日の報告が出来ました。

昨日の理事長コラムで幹部会後に私の古希のお祝いをして頂いた事は書かせて頂き、その時の雰囲気が分る様に写真も何枚か添付させて頂いたのですが、その写真の中に立派な花束を頂いた写真も掲載されていると思うのですが、その時のお花を本日は仏間の内仏様のお花とお墓へのお花にさせて頂いたお話です。

いつもの場合は4時25分のアラームで起きて着替えた後は神棚と内仏様のお水を替えてから、正信偈と般若心経を唱えて、7本のペットボトルに我が家の水道水を入れたものをリュックサックで背負いお墓に行きます。これがいつものパターンなのですが本日は立派な花束を内仏様とお墓に供えるのでいつも以上にテキパキとすべき事をしていきました。

先ずは内仏様のお花は華やかな花としてヒマワリを意の一番に入れてから、バランスを考えたものを入れました。

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ただし、ヒマワリ以外は花の名前が分らないのでリピーターの皆さん、良かったら教えて下さい・・・。お墓での花入れに時間がかかるといけないとと思いながらも、いつもの様に本堂でのお経(般若心経を中心にして、ご真言も)今須稲荷様・薬師如来様でのお参り、三仏様(観世音菩薩様・毘沙門天様・不動明王様)での水替えとお参り、一段高い所にある(実際には7段)仏様2か所と関ケ原与一様のお墓(ここには13体のお墓もあります)それぞれにお水を供えてお参りもして、六地蔵様ではお水を供えて蝋燭と線香に火を点け、それぞれのお地蔵様にご真言を唱えて、いよいよ我が家のお墓でお花を供えるのです。

先ずは若山家のお墓に荷物を置く為なのか大きな石があるので。いつもはそこにリュックサックを置くのですが今日はそこに花束をどんと置いて先ずは花と睨めっこです。と言うのは吉澤家、及川家、柴田家のお墓にもたとえ1輪ずつでもお裾分けとしてお供えしたい。但し若山家のお墓には父進さん、母秋江さん、養母英子さんが眠っているので、「さてさてどの花をお供えしたら三人が喜んでくれるかな」と思案しながらも「ヒマワリは優先しよう。後はピンクのバラが綺麗だからお供えしよう。バランス的に赤のバラも入れよう。」と言いう事で、何とか若山家の花が決まって、吉澤家、及川家、柴田家のお墓には1本ずつですがお供えする事が出来ました。

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昨日の私の古希の祝から我が家の内仏様やお墓までがフィーバー出来たのは有難かったです。

余談です。

朝5時30分には家を出てお墓参りに行くのですが、お墓参りの帰り道でふと気が付いたのは私の影がしっかりと映る様になったと言う事は朝の陽ざしが強くなった証だと思ったので思わず写真で残しました。

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本日は関ケ原でも30℃を越えています。(天気予報では8月の陽気だと言っています。)間違いなく夏に向かっています。リピーターの皆さん、暑さに負けないでお互いに頑張りましょう。

弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス

令和5年5月16日

朝のお参りでの大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、私の人生は何故か「火中の栗を拾う」生き方の中で「弱い自分」と言うよりか「自分では解決出来ない自体になって、弱気の虫が出てきた時に救いの手が入り、その体験が血肉になってきた人生」と思っています。そして、本部施設内の事務所にある同じく大谷徹奘師の言葉では(日めくりカレンダーを手に入れた年によって書いてある内容が違うので)「今 逃げれば 過去に逃げた 自分をつくる ことになる」が書いてあり、「一年に一度しかない私の誕生日の言葉は、私への戒めの言葉だな」と思った次第です。

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しかしながら、モヤモヤする事もあったのですが、本日10時からの本部施設幹部会が終了して幹部の職員がそれぞれに忙しそうにしているので「どうしたのかな」と思っていると、北島部長が紫色の羽織と烏帽子を持って来て、いきなり「若山宏の古希の誕生会」が始まりました。私は恥ずかしくもありましたがそれ以上に嬉しくて、北島部長のサポートを得て羽織と烏帽子を身に付けると、西村課長が大きな花束をそして西川課長がケーキを切って持って来てくれると言う事で、いきなり「若山宏の誕生会・古希を祝して」の会に場面が変わり、今迄の幹部会での緊張ムードから一変しました。

幹部職員か寄せ書きをしてくれたものを手渡され、「ハッピーバースデー ツーユー」の合唱が始まると、目頭が熱くなってくるのを抑えるのが大変でした。幹部職員と共にケーキを頂きました。当然の事ながら大きなハートのチョコレートは、しっかり私が頂いたのですが「若山宏さんお誕生日おめでとう。古希」と書いてあったので「私は38歳だぞ」等と軽口を叩きながら食べました。しかしながら、本部施設の職員は私が喜ぶ事を良く知っていると改めて思った次第です。

立派な花を施設に置いておくと管理が難しいので家に持って帰り、明日、仏花とお墓のお花にさせて貰う予定です。お花を持って玄関を出ようとしたところ、1個余ったケーキを我が家の奥様に持って行くようにと持って来てくれたので「この気配りは流石に凄い」と思った次第です。もう一つ嬉しかったのは、画用紙にお祝いのメッセージと絵を画いて持って来てくれた職員がいて、会議室のホワイトボードに貼ってあったのですが、会議の時のスクリーンで隠してあり、幹部会終了後にスクリーンを収納したら出てくる配慮までしてありました。リピーターの皆さん、色んな所に遊び心がある職員が多い事に感謝してます。

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内孫がなかなか生まれません

私の次男に子どもが産まれます。女の子で既に名前まで決まっているとの事です。

準備が良すぎた為か5月7日の予定日が過ぎて1週間にもなるのに未だ産まれて来ません。色んな事情から岐阜大学附属病院での出産になると言うので「今や遅し」と待ち構えていたのですが・・・・。

と書き出したところラインで「17時15分に生まれました。」と送信されてきました。奥様の所にはラインで写真も動画も送って来たとの事ですから「転送の方法がわからない」との事で「急ぎ家に帰って確認したいけど只今18時15分だけれどもコラムが書けていないのでここは忍忍だ。」と歯を食いしばってパソコンのキーを叩いています。

「転送されて来ました。文句なしに可愛い子です。」病室へ連れて来て下さって母親とのご対面の写真には涙がこぼれる程嬉しいです。真っ赤な顔をしていますがめっちゃ可愛いです。何度見ても可愛いです。正直次男の家から岐阜大学付属病院までは40分はかかるので、いざ何かがあった時の対応を心配していたのですが予定日から1週間が経過してお腹の中ですくすく育ちすぎて3キロになったので、医療的な事は分かりませんが入院して点滴をして出産を促すと言う事で昨日入院したと言う事で岐阜大学付属病院に行ったのであれば安心だと思っていたのですが「朝から点滴を打つ」と聞いていたので「生まれた報告が何時になるのか」と朝出勤する時は気になっていたのですが幸か不幸か一日忙しくしていて17時15分に優・悠・邑 和合での打ち合わせが終了してからは「まだ産まれんのか。だったら遅くなった事だし夜中の零時1分を過ぎてから生まれたら最高だ。」等と考えていました。

だって日にちが変われば5月16日になるのだから「じいじと同じ誕生日になるのだから最高じゃ」と勝手な事を考えていました。世の中そんなに都合よくは行きませんがとにかく元気な子を産んでくれた次男の嫁に感謝です。

私はなかなか生まれてこない子どもの事を考えた時に若い時に読んだショートショートにカンガルーの母親が子どもが外に出てきて厳しい状況で苦労するのは可哀想だと言って袋の中から出さずにどんどん成長して袋の中でたばこをパカパカ吸ってお腹の辺が火事になったと言う笑えない話を思い出しました。

リピーターの皆さん私にも可愛い孫娘が出来ましたので、ますます頑張って色んな展開をしていきますのでこれからもよろしくお願いします。

雨の中でも頑張りました。

令和5年5月14日

傘をさしながらでは有りますが、朝のお参りを頑張りました。雨の中を黙々と歩いていると色んな事が頭の中に浮かんできて、頭に浮かんだ事について考えたり、時には行動に移したりしていると、雨の中を歩いている事を忘れて黙々と歩いていました。これは雑念がない世界を朝から体感していると思うと共に、真逆な事として今後の戦略が色んな形で浮かんできます。

本日は今月28日に法人の監査、理事会等があるし、来月のボーナス査定をするための職員の評価をしなければいけないので、1日デスクワークに励みます。昨日の高木さんとのカラオケデュエットのおり、誰とは言いませんが私以上に多動な職員がいることが分かって嬉しかったのですが、お互いにじっくりとデスクワークが出来る事を、本日は示していければと考えています。

朝食を食べながら(昨日の夕食のカレーを「朝カレー」と洒落込んで食べています。)、少し行儀が悪いのですが朝刊のページをめくっていると、前面広告で大きな見出しで「さ だ ま さ し」と書いてあり「笑った、泣いた!傑作トークに元気がもらえる。」その中の一つに「「ローバ(老婆)は一日にしてならず」老いていくというのは、心の奥行が拡がっていくこと。いきなりおばあちゃんで生まれてくるわけじゃない。有名な言葉があります。「ローバは一日にしてならず」。」

当然の事ですが「ローマは一日にして成らず」を引っかけてあるのですが、この様なトークをステージで言う事が出来る「さだまさし」は「歌も響くがトークも響く」と言う事なのだと思いますが「天は二物を与えず」と言うのは違うな。天は時には三物も五物も与えてしまう事があるのだと思った次第です。勿論その様な状況になるには多くの努力と体験を重ねられた結果だと思っています。だって人の事を羨ましく思ったからと言って同じ様になるわけでは無いのだから、自分の特質を理解してその事に磨きをかける努力あるのみだと思っています。

私は今でも「児童福祉で全うできたならもっと違う輝きがあったのでは無いか。」と思う事があります。だって、35歳前後の私は児童福祉の革命児の様な展開をしていましたから。ただし、「小規模であっても、自分が中心者で無ければ思う様な展開が出来ない」と思い38歳の時に勤めを辞し、無鉄砲にも大海原に身を投じたのですが漂着した所が高齢者施設であったと言う事かな。勿論今の状況に不満があるわけではありません。ただ、40歳の時に情緒障害児短期治療施設を岐阜県が認めていてくれたら、全く違う状況が展開されていたのではないかと思う事があります。リピーターの皆さんの中には「何を贅沢言っとるんや」と思われる方も多く有ると思います。私もその様に思います。

生き様には何回と無く人生の分かれ目があると思います。その時に右に行くのか左に行くのか、はたまた真っすぐ進むのかは自分で決めるしか無いのです。私の場合は38歳からの生き方は自分の生き方に正直120%位の勢いで頑張って来たつもりです。この様に出来たのは自らで決め、それを支援して頂く方が多くみえたからです。つくづく思うのは、一生懸命の中での幸運が一杯有り、今が有ると思うと今月16日に70歳になる私の生き方は幸せなものだと思います。

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低音が出るようになりました。

令和5年5月13日

今朝の仏間でのお経を唱えている時に、ふと思ったのは「低い声が若い頃よりもしっかり出るようになった様に思うな」と言う事です。お坊様の読経を聞いていて「低音で心にしみる様なお経で上手だな。」と思う事が時としてあるのですが、勿論私はそんな域にまでは達しているとは思えいせんが「お経を毎日唱える様になって、低音に磨きがかかったかな。」と自己満足に浸っています。私はカラオケで歌を歌う時に元々高音については自分なりに自信を持っていたのですが「低音の伸びが今一だな」とも思っていたのですが、最近は「低音についても少し伸びる様になってきたかな。と言うのも今まではどちらかと言うと低音については、ごまかし気味に歌っていたけど、最近は自然に声が出る様になってきたかな。」と内心では自画自賛していたのです。今朝の仏間でのお経で気が付き、妙応寺の本堂でのお経では本堂が広くて天井が高いので「間違いなく低音がしっかり出ていて響いている。」と確信しました。

本日は午後1時30分から藤下の高木さんとのカラオケジョイントなのですが、「低音が出る様になった分、気分よく歌えるかな。」と思っています。13時20分に高木さんがおみえになり会議室で話をして13時30分に玄関先の地域交流ホールに移動してデイサービスと本館1階の利用者さんと入居者さんを前に歌いました。高木さんが7曲、私が3曲、副施設長が2曲歌わせて貰いました。途中で高木さんがお話をされたので1時間までの予定が10分程延びて、本館2階に移動して同じだけの曲数をそれぞれ歌わせて貰いました。本館2階で私の1曲目は北島三郎の「函館の女」を歌わせて貰い、いつもだとこの曲の歌いだしの低音が今一なのですが本日は上手く歌えましたので「低音に伸びが出て来た成果かな」と思いながら気持ちよく歌えました。

 

 

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そして新館でも3人で同じだけ歌わせて貰ったのですが、よくよく考えると藤下の高木さんは現在79歳で来年になると80歳になられるのですが3会場で7曲ずつ歌われたので合計21曲歌われたのですが最後まで声は良く伸びていて疲れたような素振りも見せられないので全く驚きです。今の私が高木さんの歳になるにはまだ10年はあるのですが果たして10年後に今の高木さんのようにエネルギッシュに歌えるのかと思った次第です。でもね、今も声量が伸び、音域も広くなっているのだから大丈夫かなとも思っています。これは、朝の仏壇でのお経とその後のお墓参りを続けている成果かなと思うと昨年6月初めから始めた朝の活動が今のパワーアップに繋がったのだとすると、神仏の力は偉大だと思うので、朝の4時25分のアラームでの行動開始は止められないなと考えています。でも、私はいつからこんなに意志強固な性格になったのか・・・。リピーターの皆さん、これも神仏のお陰ですかね・・・。

我が家の猫「おもち」についてです

令和5年5月12日

「私は犬と猫のどちらがよいですか」と聞かれたら、即座に「犬」と答えます。しかしながら犬を飼うには絶対に毎日の散歩が必要です。「仕事が趣味」とか「出張で家を空ける事が多い」と言う私が毎日犬の散歩をするのは物理的に不可能です。

ところで私の奥様は「猫派」です。猫が好きですから自ずと猫を大切にするからでしょうか、以前に飼っていた「リット」は20歳まで生きました。リットも我が家に来た時には私の車が車庫に入った事が分ると2階の自分の部屋に退避する毎日でしたが19歳を迎える頃から私が寝ている布団の上で寝るようになって、私もそんなリットが愛おしくなって布団を蹴り上げる様な事をして遊んでいたものです。(死ぬ2日前まで)私は若くて元気な内は追いかけて遊びたい、いやいやからかいたい気持ちが強いのだと思うのです。特にお酒が入ってテンションが高い時はそうなのだと思います。「おもち」に玄関先でいきなり会ったりすると私が大きな声で追いかけまわしたりすると必死に逃げるのが面白くて、それでいて歯を剝いて威嚇してきたりした時は私もむきになって追いかけたりして・・・。お酒が入っているので必死になって逃げまわる「おもち」の姿が面白くて・・・。

しかしながら「おもち」にとっては余程怖かったのか、その日を境にして、猫の好物である「チュール」と言う食べ物をそれまでは喜んで私の手から食べていたのが、傍に行くだけで毛を逆立てて、歯を剝いて威嚇するか逃げて行くのです。「余程嫌われたのだな」とは理解するのですが『餌代は誰が稼いでいると思っているのか』と怒ってみても、猫には理解出来るわけでは無し・・・。「正直たまには私を癒して欲しいな」と追いかけまわしたことを忘れたかの様に思っている私がいます。

但し、昨夜は少しだけ仲良くなれる兆候がありました。と言うのは猫部屋で寝ている「おもち」に近づき「チュール」を見せたらかなり警戒した様子ではありましたが「チュール」を私の方を上目遣いに見ながらではありましたが食べてくれました。しかしながら、食べ終わると部屋からさっと逃げて行きました。今までの私なら逃げて行く猫を追いかけるところなのですが、ここは「ぐっと」我慢して「明日はもう少し構えなくて食べてくれると良いな」と思うようにしました。つまり、まるで私が猫に調教されているような気分ですが「ここは忍・忍」です。だって、私の奥様には仰向けになって寝そべっていると言うので、私は決してそんなことまでして貰わなくても大丈夫ですが、せめて私が帰って来た時に出迎えてくれるくらいにはしたいですよ。リピーターの皆さんこんなことに悩んでいるのは如何なものですかね。

コロナ感染対策の考え方が変わりました

令和5年5月11日

① コロナ感染対策の考え方が変わりました

ゴールデンウィーク明けの5月8日から感染症対策の考え方が大きく変わり、テレビや新聞では色んな対応が変わった事を報道しています。ただし、個別ケアが大切な事は当然ですが高齢者施設はあくまで集団での生活です。世間一般の考え方とは大きく乖離している事をリピーターの皆さんもご理解して頂けると有難いです。但し、少しずつ普通の生活を取り戻す為に状況をみながら徐々に緩和していかなければいけないと考えています。

具体的に実際、当施設で行っている事は家族等の面会については、リモートのみから少しずつ緩和して今では手洗い、消毒、うがい、体温測定、マスクの着用はお願いしていますが、リアルに面会して頂ける様になりました。また、お参りの場所はデイサービスと本館1階を合同で行う事によって4ヵ所にして、カラオケデュエットは3会場にして少しずつ密な状態でも出来る様にしています。昨年から大きく変える事にしたのは、6月18日に開催する「供養祭」です。

昨年までの3年間はデイサービスの利用者さんと仏間に理事長である私と家族会の吉田会長のみがリアルの参加であとのフロアはリモートでの参加にしていましたが、今回は仏間に上がって頂くのを条件にしてかつての入居者さんの家族を招待して仏間の西側にデイサービスの利用者さん、東側に本館1階の入居者さんに参加して頂きあとのフロアはリモートでの参加とさせて頂く予定でいます。

そして、3年出来なかった「夏祭り」についてはコロナ感染症の状況を見極めて「秋祭り」で開催したいと考えています。但し地域の方々と入居者さんのエリアは区分けしたものにしていきたいと考えています。コロナ感染症によりクラスターになれば施設での対応にも大変な負荷がかかるので慎重な対応にならざるを得ないのが現実です。

②朝のお参りから

昨日までは早い時間の事なので、外に駐車してある車のフロントガラスは霜がしっかり付いていて「まだまだ寒いよ」と言う感じだったのですが、今朝は霜が付いたような感じは全くありませんでした。

③ 妙応寺の境内は広くて結構に草が延びて来て「歩くのに少し邪魔だな。」と思っていたのですが、単なる草だと思っていたのに綺麗な花が咲くと「綺麗な花が咲いているのだから大切にしなければいけない。」と思う私がいるのですが、リピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

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岐阜新聞の1面の記事から

令和5年5月10日

見出しが「ひきこもり支援  初のマニュアル」「高年齢化、親子で困窮」「厚労省、策定方針 自治体窓口で活用」とありました。私は元々、福祉のスタートは1979年(国際児童年の年です)の児童福祉からです。その当時は「不登校」が少しずつ問題になっている様な状況で13年間児童養護施設に在籍している間に「不登校」の問題は社会問題化して来ていたので私は「施設の子ども達への対応をする職員は必ず存在するけれども地域における子ども達へのアプローチをするのは私以外に存在しない。」との大いなる勘違いもあり6年間の迷走の末に今は高齢者の問題にどっぷり浸かっています。

26年も高齢者での活動に専念している間に「不登校児」だった方も年齢を重ねて、長期化、高年齢化が進み、80代の親と50代の子が困窮する「8050問題」(9060問題とも言われています。)がしんこくになっている。「初のマニュアル作成の方針を固めたのは、多様なニーズに対応出来るよう相談窓口などでの活用を想定している。」との事だが、30年近く具体的な対応ができていなかった結果が今だとすると、マニュアルを作成してそれを読んで対応する事がそんなに簡単な事ではない様に思います。

15歳から64歳のうち、ひきこもり状態にある人は推計146万人。ひきこもりのきっかけはさまざまで新型コロナウイルス禍をあげる人もいた。15歳~39歳の63%に就労経験があり、職場の人間関係で傷ついたことなどが理由と考えられる。40歳~64歳では52%が女性。これまで家事手伝いや専業主婦と位置づけられていた人のひきこもりが明るみに出るなど、支援で求められる内容が刻々と変わっている。厚労省はマニュアルに、ひきこもり状態の新たな定義も盛り込む方向で検討する。一人一人の困りごとに応じ安心できる居場所づくりや、医療、福祉との連携といった支援の方向性を盛り込むとの事だが、どれだけの効果を示せるかについて私は正直懐疑的な見方をしています。

その根拠は「自治体に相談しても、診断を受けていないと行政サービスにつながることができない。ひきこもりの子を医療機関に連れて行くのは至難の業で、そのまま支援が途絶するケースも少なくない」と指摘とありました。私はその記事を見た時に行政の専門職として保健師を採用している所が殆どだが、行政の申請主義によって解決しない事が多いのではないかと・・・。

つまり、役所に訪れた方のみのサービスではざるの穴から殆ど抜け落ちてしまう。その結果数がどんどん増えていく。私は保健師のような専門職の方はどんどん地域に出て行き情報をキャッチして寄り添う体制を確立すべきだと思っています。これが正しく流行りの言葉で言えば「伴走型」支援と言う事なのだと思います。私も何らかの形で出来る事があればしていきたいと考えています。リピーターの皆さんもご一緒にしませんか。

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