家康が座った石に対する色々と尾ひれはひれ
私が小さい頃は歴史上の重要な石等とは知らずに平気でその石に乗って遊んでいました。と言うのはその頃(50年~60年位前の記憶です。)の遊び場は青坂神社とその敷地内にあった門前公民館だったからです。
青坂神社の一角には子ども相撲が出来る土俵があり、その土俵を見守る様に家康が座ったと言われる石があったのです。色んな意味で重宝した石であります。
(少し横道に入ります。)10月2日は今須地区の秋祭りがあり、子ども相撲が奉納されていました。その頃私も参加していましたが当時ガキ大将だった同級生には絶対に勝てませんでした。それはそうですよね。彼は大垣日大高校相撲部で全国大会にも出場して優勝こそしていませんが結構な結果を残していましたから。それ程ガタイが大きくはありませんでしたが筋肉質な体形で関取に例えるなら千代の富士関のスケールを少し小さくしたような男で運動神経も抜群だったのでスノーボードで名を挙げスポーツ店を名古屋で経営していたのですが何が原因かは分かりませんが早死にしたので残念でなりません。
ガキ大将だった彼は文字通り「弱気を助け強きを挫く」タイプだったので同級生でありながらも尊敬の念を抱いていました。だって私はその当時は弱虫の部類でしたから。
青坂神社の境内では野球もしました。境内の参道は当然の事ながら細長くて石の鳥居は高いのでその鳥居の上を超すとホームラン。但しそれ程広くない参道を右に逸れると雑木林でそれを超えると鉄道が走っていて、左に逸れると山の中と言う真っすぐに打ち上げるしかない様な所で野球をしていたので下手をするとボールを探している時間の方が長かったかも知れません。
50年、60年前には遊び道具も遊び場所も限定的だったので逆に創意工夫をしてそこでしか通用しない様なルールに元ついて遊んでいた様に思います。相手のメンコをひっくり返すと自分のものになると言うのでメンコに蝋燭の蝋を塗り込み取られにくくしたりして遊んだものです。遊んでいてエキサイトしてきて喧嘩になる事も多々ありましたがいつの間にか仲良くなっていて。今考えても不思議な世界です。
リピーターの皆さん。石一つから50年前60年前に遡り私自身はとても楽しい思いで原稿を書きました。私にもこんな面があるんです。