昨日は彦根東福寺の護摩供養に参加しました。
令和5年1月3日
新年の三が日は午後2時から護摩供養があると昨年の内に東福寺の住職である静慈彰さんからメールを頂いていたので、元旦一日は亡くなられた方の家族対応もあり行けなかったのですが、昨日はご縁を頂く事が出来たので参加させて頂きました。
昨日の護摩供養には、たまたま東福寺にお昼過ぎに着かれたと言う静慈彰師の高野山大学の大学院でご一緒だったお友達で、和歌山県において護摩供養を専門で毎日の様にされていると言う方(ごめんなさい。しっかりとお名前を聞いていないものですから、この様な表現になってしまいました。)が導師を勤めて頂き、静慈彰さんは鐘や太鼓の所謂伴僧の役割りを担っての豪華な布陣での護摩供養となりました。私にとってはお友達(この表現しか出来ないのが歯痒いです。)が導師をされるのは2度目だったのですが、彼の法衣は2度目と言え凄まじいものでした。
と言うのは、数をするのも法衣は面倒な位に穴が空いていて、片方の袖はかなりない様な状態なのです。と言うのは後程具体的に述べますが、護摩供養での火の子は凄まじいものなので「いつも凄まじいのだろうな。」と理解しました。護摩供養前に私が、その事を指摘すると導師をされる彼はやぶれた袖を見せながら「火の子が燃え移ったんですよ。」とさり気無く言われたのには舌を巻く思いであると共に絶句でした。
さて話を戻します。私は13時30分に車を駐車場(正確には空き地)に停めると、1台の車がスッと入って来たのでご挨拶をしようとすると、その方は昨年初めてにして四国八十八か所を歩いて走破された70台後半と思われる方だったので、一緒に本堂に入って行きました。玄関の戸に仕掛けがしてあり爽やかにして大きな音がした筈なのに誰も出てみえないので、二人でお話をしているとお寺の住職である静慈彰さんが「買い物に行った者が帰って来たと思っていたので」との挨拶の後改めて新年の挨拶をした後、ご祈祷のお願いをさせて頂きました。その後導師を勤めて頂く『彼』とも話をして(前述の通り)14時になり、導師は『彼』が伴僧を住職で護摩供養法要が始まりました。
写真の通り炎は天井にまで届いてしまうのではないかの勢いで、火の子もバンバンと飛びながらしかも伴僧の住職の鐘と太鼓はまるでドラマーの演奏の様に賑やかに、しかもすぐそばで・・・。しかしながらそんなのに負けていてはいけないので、負けじと般若心経を腹の底から唱えました。5本の護摩木を炎の中に不動明王様に届くように1本1本祈願した言葉を念じながら放り込みました。大きな炎の中で燃えていく護摩木に思いを託し「これぞ正に自力本願」と思った次第です。
本日も14時から東福寺(彦根市高宮町2838の⒏)において護摩供養が実施されます。その事が言いたくて早い時間にコラムをアップしましたので興味のあるリピーターの皆さんが参加されると静慈彰師は喜ばれると思います。と言うのは静慈彰師が昨日の話の中で「若山さんから誰も参加者が無くても続けて下さい。必ずや結果が出ますからと言われたのが昨年の一番の言葉でした。」と言われて、私は逆に恐縮してしまいましたが、リピーターの皆さんならば私の意を汲んで下さると思って口幅ったくも最後に書かせて頂きました。


