昨日は彦根東福寺の護摩供養に参加しました。

令和5年1月3日

新年の三が日は午後2時から護摩供養があると昨年の内に東福寺の住職である静慈彰さんからメールを頂いていたので、元旦一日は亡くなられた方の家族対応もあり行けなかったのですが、昨日はご縁を頂く事が出来たので参加させて頂きました。

昨日の護摩供養には、たまたま東福寺にお昼過ぎに着かれたと言う静慈彰師の高野山大学の大学院でご一緒だったお友達で、和歌山県において護摩供養を専門で毎日の様にされていると言う方(ごめんなさい。しっかりとお名前を聞いていないものですから、この様な表現になってしまいました。)が導師を勤めて頂き、静慈彰さんは鐘や太鼓の所謂伴僧の役割りを担っての豪華な布陣での護摩供養となりました。私にとってはお友達(この表現しか出来ないのが歯痒いです。)が導師をされるのは2度目だったのですが、彼の法衣は2度目と言え凄まじいものでした。

と言うのは、数をするのも法衣は面倒な位に穴が空いていて、片方の袖はかなりない様な状態なのです。と言うのは後程具体的に述べますが、護摩供養での火の子は凄まじいものなので「いつも凄まじいのだろうな。」と理解しました。護摩供養前に私が、その事を指摘すると導師をされる彼はやぶれた袖を見せながら「火の子が燃え移ったんですよ。」とさり気無く言われたのには舌を巻く思いであると共に絶句でした。

さて話を戻します。私は13時30分に車を駐車場(正確には空き地)に停めると、1台の車がスッと入って来たのでご挨拶をしようとすると、その方は昨年初めてにして四国八十八か所を歩いて走破された70台後半と思われる方だったので、一緒に本堂に入って行きました。玄関の戸に仕掛けがしてあり爽やかにして大きな音がした筈なのに誰も出てみえないので、二人でお話をしているとお寺の住職である静慈彰さんが「買い物に行った者が帰って来たと思っていたので」との挨拶の後改めて新年の挨拶をした後、ご祈祷のお願いをさせて頂きました。その後導師を勤めて頂く『彼』とも話をして(前述の通り)14時になり、導師は『彼』が伴僧を住職で護摩供養法要が始まりました。

写真の通り炎は天井にまで届いてしまうのではないかの勢いで、火の子もバンバンと飛びながらしかも伴僧の住職の鐘と太鼓はまるでドラマーの演奏の様に賑やかに、しかもすぐそばで・・・。しかしながらそんなのに負けていてはいけないので、負けじと般若心経を腹の底から唱えました。5本の護摩木を炎の中に不動明王様に届くように1本1本祈願した言葉を念じながら放り込みました。大きな炎の中で燃えていく護摩木に思いを託し「これぞ正に自力本願」と思った次第です。

本日も14時から東福寺(彦根市高宮町2838の⒏)において護摩供養が実施されます。その事が言いたくて早い時間にコラムをアップしましたので興味のあるリピーターの皆さんが参加されると静慈彰師は喜ばれると思います。と言うのは静慈彰師が昨日の話の中で「若山さんから誰も参加者が無くても続けて下さい。必ずや結果が出ますからと言われたのが昨年の一番の言葉でした。」と言われて、私は逆に恐縮してしまいましたが、リピーターの皆さんならば私の意を汲んで下さると思って口幅ったくも最後に書かせて頂きました。

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めっちゃ気分が良いです

令和5年1月2日

「いきなりのこのタイトルは何ですか」とリピーターの皆さんは思われたと思います。ここは一休和尚の様に「慌てない、あわてない。」と言う事でこれからいつもの様に脇道にそれながらになると思いますが語ります。先ずは朝イチの仏間での祈りを終えてお墓参りの為に家を出たら雨が降っていたので「雪で無くて良かった。」から始まり、妙応寺の本堂でのお経を終えて外に出ると「雨が止んでいる。」と言う事でこれまた「雨降って地固まるとは気分かいい。」その後にお墓参りを終えて道路に出るためにブロック2段の所を最近は躊躇してなかなか降りれなかったのに(降りるのに恐怖を覚えていたのです。と言うのは情けない話ですが上手く足がすっと出なくて)今朝は何の恐怖もなく『すっと』足が動いたのです。素晴らしいと思うのは私だけかも知れませんが何事も『面白くない』と思うより『気分がいい』と思った方が1日が「ハッピーじゃないですか」と言う事です。そして今朝のもっとものハイライトは2022年年末ジャンボに下一桁にしか当たっていなかった事です。リピーターの皆さんの中には「強がりを言うな」とか「そんなわけないやろ」と思われる方が殆どだと思うのですが私は「一等前後賞10億円が当たらなかったと言う事は今年齢(よわい)70歳になる私に対して楽をする事なく、これからも健康に留意しながらも仕事に没頭しなさい。との主示(おもしめ)しだ。」と思うとやる気と元気が出てきました。決して強がりで言っているのではなくて本当にその様に思っているのです。というのは、資金的に厳しくて自分の力では何ともならない状況がありましたがその都度、救世主が現れて今があるからです。今も多くの方のご理解を得ていますので「宝くじ等に頼ることなく頑張れば大丈夫」との事なんだと思っている次第です。本日午後からは高野山真言宗の静慈圓前官大僧正の次男さんである静慈彰師が住職をされている彦根にある東福寺と多賀大社に参拝をして私自身及び私に良縁を頂いている皆々様の幸せを祈念していきたいと思っています。参拝に行く事が出来るのも年中無休で頑張っている職員がいて入居者さん利用者さんが落ち着いてみえるからだと思うとこれが一番に良い事なんだと改めて思いました。そんな事を書いていて静慈圓師の書の中の『平安之福』を思い浮かべる事が出来たのも心穏やかはお正月を迎える事が出来たからだとしみじみ思っています。勿論課題は多く有ります。しかしながら解決への方向が見いだせたり、解決の方向に向かっていたり、解決に向けて職員が動き出している中での状況にも感謝です。リピーターの皆さん、この1年も色んな事があると思いますが色んな事があるからこそ「充実した生き方」と言う事だと思うとまたまた嬉しくなってきました。リピーターの皆さん私の生き方はこんな風なのですがこれからも宜しくお願い致します。

新年あけましておめでとうございます

何も変わらない1日が4時25分のアラームでの行動から始まりましたが、やはり年初めの元旦ですから、気持ちも新たにいつも以上にテキパキと動く事が出来たのです。しかしながら、やはり年明けの元旦です。仏間でのお参りにも力が入りました。そして仏間の床の間は若宮八幡大神様のお祭りが違う家に行った(1年交代なのであります。)関係で七福神の掛け軸の隣には先代の理事長宅にあった西国三十三観音霊場の掛け軸を飾らせて頂きましたので、祈りの仕方も「南無観世音菩薩様」と変えてのものにさせて頂きました。

妙応寺・今須稲荷経由のお墓参りについてはいつも以上に丁寧にお水を替えてお経を唱えさせて頂きました。家に帰り家にあったお札やしめ縄が正直ここ何年間燃やしに行けて無かったものが5袋もあったのを、車に積み込み今須平井にある若宮八幡神社まで行くとまだまだ大きな材木が燃えていたのでその火の中に入れると勢いよく燃え上がるのを見届けてから、階段を37段上った所にある社まで一気に上がりました。(その様に書くと全く楽勝な様に理解されると思うのですが実際には半分くらい上った所から手をついでいたのでありますが、そのお陰で早く上がる事が出来ました。)

朝食は雑煮とおせちをいつもよりもゆっくりと頂いてから施設に行きました。10時から各フロアに私がお屠蘇代わりのお酒を振る舞い、お酒の駄目な方は副施設長は羊羹等の甘いお菓子とお茶の接待をして、鐘や太鼓に合わせて獅子舞のパフォーマンス。入居者さんの頭をがぶがぶしながらの笑いの中で行いました。

午後は地元の神社へのお参りで施設のお札等々を火の中に入れると共にお社にお神酒を持ってのお参りで1年の幸せを祈りました。その後は地元4地区の区長さん宅に年始のご挨拶と共にお酒2升を持って行ってきて(運転は水野相談員がしてお酒も持ってくれたので随分楽になりました。)

後はこのコラムが書けたら、次男がコロナに感染して寝ている(本当なら本日は我が家に来てゆっくりお酒を私と二人で飲んで泊まって行くはずだったのですが)ので、おせち料理等々を持って行く予定です。親と言うものはいくつになっても子どもに頼られたら出来る事を精一杯やりたいものです。かつての私は何事も仕事中心でその様な配慮は何か問題でも起こさない限りは何もしない親だったと思うのですが、職員が色んな事を頑張ってくれる状況になり、少しはその様な事が出来る様になったと言う事です。

職員が出来る様になったと言えば12月29日(何日も経過していませんが昨年になるのですね。)の餅つきの時につくづく思ったのは「火の番をしていれば後は準備から片付けまで私の出番が無くても出来る様になった。」と言う事です。(最初の挨拶と一番最初の10回の突きはさせて貰いましたが。)素晴らしいスタートを切れましたので今年は1年が良い年になる予感がしますのでリピーターの皆さん今年も1年よろしくお願いします。

自分が心に決めたなら自分で守り続けなきゃ

令和4年12月31日

この1年は、正直私にとっては厳しい状況が続きました。その様な中にあっても職員の頑張りと、色んな方々からの励ましによって新しい年を迎えられる事に先ずは感謝です。そして本日のタイトルはいつもの大谷徹奘師の日めくりカレンダーにあった『自分が心に決めたなら自分で守り続けなきゃ』の言葉をしみじみと味わっています。

と言うのは正直厳しい状況に直面した時に『弱気な発言』や『弱気な気持ち』になった事実があるからです。しかしながら自分で決めた事を信じて挫折することなく頑張れたのは、大晦日の日に「しみじみ良かったな」と思うと共に来年は良い方向に進んで行くものと信じています。と言うのは、先般本部施設でお参りがあった時に、お経を終えてから年の暮れの挨拶をした時に私は「今年は寅年と言う事で色んな所から嚙みつかれた様に色々大変な事がありましたが、皆さんとのお参りのご利益もあり、何とか新しい年を迎える事が出来そうです。そして来年の干支は兎年なのでぴょんぴょん跳ねて良い年にしていきましょう。」と話をさせて頂きました。このお話は私の素直な気持ちから出た言葉です。

さて昨夜は『吉澤会』と銘打って私と吉澤君と大倉君の3人で強か飲みました。とは言え大倉君は全く飲まないので吉澤と二人が飲んだのですが、21時には家に帰っていたので、いつもの様にお墓参りまで済ませて若宮八幡大神様を1年間お水を手向け燈明を付けてお守りさせて頂いたのを、次にお守りして頂ける家に届けなければいけないので一つひとつを包装紙でくるみ、掛け軸と共に箱に収める作業をしながら、若宮八幡大神様のお守りも出来たので何とか厳しい1年もクリア出来たのだとも思った次第です。何事も続けると言う事は意味のある事だと大晦日の日に思っています。

今は13時20分と言う事で今年もあと10時間あまりになりましたが、兎年は私にとっても社会福祉法人杉和会にとっても飛躍の年と信じています。この1年は1月2月は危機感が増幅して私自身は何も出来ない状況で、3月4月は苦しいばかりで、5月に光明が見えた様に思ったのは幻の様に消え去り、6月からは打開策を見つける為に色んな方々に相談をして年明けから頑張れる様にと、今は『天命を待つ』思いの中でいます。具体的な話をいずれリピーターの皆さんにもこのコラムでお知らせしますがもう少しお待ちください。ただしこれだけは年の暮れの今言わせてください。私は私欲からではなく、地域の方々の幸せと安心の一助になる事を頑張っていますので、新しい年を迎えてからも変わらぬご支援を賜りますようにお願いします。そして皆々様とっても幸多き1年になる事を祈念しております。

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週刊現代の『週間運気予報』によると

令和4年12月30日

先ずは『今週の運気指数』が、12ヶ月の中で私の誕生月である5月が一番高い98点であったので(正直初めての事だと思います。)いつも以上にしっかりと読むことにしました(自分でも都合の良い人間だと思います)。具体的な内容を全文書かせて貰いその後に私のコメントをします。

《『有終の美&好調な滑り出し』この一年、尽くしてきたことが(令和4年の事です。)大きく実る。要望があれば「いつも悪いね」と感謝しながら言うと通るはず。初詣は早朝に行くとご利益大》(コメントをします。)

先ずは新年の運勢が最高であることに希望と期待が一杯になりました。そんな中で昨年1年間の努力が実ると言う内容には「この運気予報は私の為のものなのかも」と思ってしまいました。次に『要望があれば「いつも悪いね」と感謝しながら言うと通るはず。』には常に感謝の心を持っての声掛けをしているので大丈夫と思っています。その事を昨日の餅つきで改めて思いました。

と言うのは休日返上で来てくれた職員、職員の家族までが協力して下さったり、かつての入居者の家族の方が来てくださったり、取引業者が来て下さったりと色んな方々の協力でスムーズに出来たのは感謝以外の何物でもないと思っています。この現象は『感謝』の集大成だと思っていますから。『初詣は早朝に行くとご利益大』には、6月初めから4時25分のアラームで行動開始をして仏間の花替えとお参りに引き続いての5時30分前後に出発しての妙応寺経由のお墓参りを当たり前に元旦と言えども実行する予定(未定は予定であって決定ではないですので。つまり『まさかの坂』はあるかも知れませんのでその様な表現にしました。)ですので『初詣は早朝に行くとご利益大』もクリア出来るので「正に私の為に運気を書いて頂けた」等と理解している私がいます・・・。

話題は変わって本日の大谷徹奘師の日めくりカレンダーには『気にしても苦にするな』とありました。これも私の令和4年を言い当てている様で怖いくらいです。私がよく口にする言葉に『苦労を苦労と思わない生き方』と言うのがあります。この言葉の意味は色んな捉え方があると思うのですが私は常に「苦労を苦労だと思った瞬間に大変な状況になる。」と考えています。だから、苦労と思わないで向かって行く生き方でいたのですが、今年の1年はその様に思えない状況が続きました。だから、相手を恨んだり、投げやりになったり、自暴自棄になったりもしました。しかしながらその状況で踏みとどまれたのは、私の泣き言に対して懸命に励まして下さる方が多くいて頂いたことです。そして「一人では何も出来ない状況があったとしても多くの理解者や支援者がいて下さる事によって頑張れる。そうする事によって『苦労を苦労と思わずに生きていける』」と思うようになり、生きていくのが楽になりました。勿論今だからその様に言う事が出来る様になりましたが、狂ったようにお経を唱えた事もありましたが今は余裕を持ってお経も唱えれる様になりました。

これからも色んな試練があるとは思いますが、その度に自分が強くなって行けるので昔から言う『苦労は買ってでもしろ』は心理だとおもいました。『苦労は買ってでもしなくても売る程ある』と言っている内は本当の苦労をしていないと言う事で幸せな自分に気が付いていないだけだと思っています。リピーターの皆さん、今年も本日を含めてもあと2日になった今、今年の反省と来年への希望を含めて思うがままに書かせて頂きました。

 

『その一言待っている人がいます。』

本日のタイトルも大谷徹弉師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、私は大谷師から「餅つきの火の番をしながら1年間を振り返れ。」と言われているように思いました。今年は1年を通じて色んな意味で『死ぬほどの試練』をさせて頂きましたが「今も生きている。」と言う事は「まだまだ生きている今も使命があるのだ。」と神仏から言われている様に思っています。

さて、本日12月29日は例年通り本部施設において『ふくもち』をつきます。米を供給して頂いている地元の農家さんから餅米を玄米で1俵(60キロ)頂いたので半俵(30キロ)8臼をつきました。玄米のままだと2.5升なのですが精米をしたので2.3升分位になってしまいましたが、取り敢えず27キロの餅米が何のトラブルもなく餅になりましたので、その時の事を詳しくお約束通り報告します。

まだまだコロナ感染対策をしての餅つきですので、本館玄関先の地域交流ホール、本館2階、新館1階、新館2階に分散しての餅つきだったのですが、石臼1,木臼2については昨日の内に準備を整えて木臼1は1か所がつき終えたら移動する形の計画を立てて実施しました。昨年は5臼だったのに3臼も多く作る計画を立てたので、9時には1臼目の米が蒸しあがる様にするには8時10分に火入れ式を行わなければいけないと胸算用をしていて、施設に8時5分に行くと、多くの職員が「今や遅し」と待ち構えていたので火入れの前にお酒とお塩を火の回りに振る舞ってから既に上手に木が組んである所に火を点けました。

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最初は煙が出る事は分かっていたので私は準備良くゴーグルを付けて煙と闘いながらも順調に火が回り、予定通り1臼目を地域交流ホールでつき始めました。突き手は西川課長が西川親子の協力を得て、私が地元の工務店の社長以下何人かが来てくれたお陰でばっちりでした。想定外だったのは西川課長のお父さんが手返しをして頂けたのは本当に助かりましたし、西川課長の弟さんもパワーがありました。勿論工務店の方々は何をかいわんやで凄いパワーで突いてくれました。

予定は未定で決定で無い事が起きました。それは丸めて大根おろしやきな粉と小豆のちぎり餅は3臼の予定でいたのですが、のし餅の準備が出来なくてちぎり餅が4臼になったのですが、日頃お世話になっている所にパック詰めをしてお届けしたり、夜勤明けの職員に持って帰らせたり、休日なのに来てくれた職員に持って帰って貰ったり、勿論本日出勤している職員にもふんだんに食べて貰えて結果往来です。その他に最後の1臼は「鏡餅を作る」とのサプライズでお店には絶対に販売してない様な鏡餅を3組も作ってくれました。8臼も突くのですから1臼に20分かかったとしたら終了が11時40分にはなると計算していたのですが想定時間に遅れるどころか11時15分には全ての事が終了していたのは『積み重ねの勝利』と言う事でしょうか。蒸し役の私の火の管理もよかったのでしょうか。いやいや職員の連携とボランティアで関わって下さった方々のお陰ですが、この様に出来る様になったのが最大の勝因だと思っています。

最後に「そんなにボランティアの方を導入して大丈夫か」と言う点については玄関先で抗原検査をして頂き、密にならない配慮をしての実施だった事を付け加えておきます。

リピーターの皆さん、本部施設においての今年最後のイベントも無事に終わり正直ホッとしています。後はお正月を迎えるばかりです。

 

お墓の湯飲みの水が凍っていました。

令和4年12月28日

昨日も間違いなく湯飲みには水をお供えしたはずなのに捨てようとしても全く水がないようだったので新しい水を注ごうとするとほんの少し入れただけで一杯になり湯飲みから溢れたので私は「うん??」と言う感じになったのでライトを当てると「水が凍っている。」と言う事で私は楽しい気分になるやら、可笑しいやらで「朝からハッピーです。」こんな出来事にも笑顔でいられるのは幸せな証しだと思いました。

お墓から帰る時に中町の橋(ローカルな話ですみません。)の欄干で屈伸運動をするのですが橋の手前の家は立派な門扉がある家でかつて今須地区長として当法人の評議員をして頂いた方が門扉を開けてみえたのでご挨拶をすると「毎日大したものだね。いつから歩いているのですか」と声を掛けて頂いたので「6月からなので半年になります。」と答えるとまたまた「大したもんですね。」と褒めて頂いたので「悪い気はしないけど私にとっては普通何だけど。それに朝お参りにいけるのがうれしく仕方がないのです。」と格好をつけるわけではないのですが正直な私の気持ちなのです。

大垣市民病院で待っている時に本部施設からメールで家族会の吉田会長さんが門松を作って持ってきて頂けたとの報告に昨年までは地元の花屋さんから購入していたのに花屋さんの都合で販売出来ないとの連絡を受けていた事を吉田会長さんに話しておいた事をしっかりと覚えてみえて形にして頂いた事に本当に感謝です。

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放射線治療の後で先生の診察があり明日から年末年始の6日間の休みになり薬の処方が出たので薬の受け付け前で待っているのですが受け付け順が『360』で出来ている表示は『260』と言う事で「100番待ちはどの位待つことになるのか。」と最初はのんびり構えていたのですが、椅子に腰かけて25分が経って今は『350」の表示にじりじりしていますが「コラムが760文字まで書けたので良しとするか。」と思うようにしています。

と言う事は「私も随分大人の対応が出来るようになったな」と考えていると『360』が出来たとの掲示があり慌てて車に戻ると11時30分で司法書士事務所での用事を済ませて本部施設に帰ると12時30分は過ぎるし13時にはお客さんとの打ち合わせがあるので本日もうどんの丸のみかな・・・。と思いながら施設の駐車場に入ると(12時40分)私の後ろから来た車がお客様の車だったのでうどんを作って貰う様に依頼してからお客様と会議室に行き話しをしていると結構込み入った話だったので13時25分にお客様を見送り、うどんを丸のみしながら「冷めているので時間が無い中助かります。」と言う事で13時30分からデイサービスからのお参りに10分遅れでしたが行く事が出来ました。

その後、新館1階、新館2階のお参り行き、最後の新館2階ではカラオケを2曲(吉幾三さんの『酒よ』と『雪国』)を気持ちよく歌わせて貰い今年の歌い納も出来ました。明日はお餅つきを4ヵ所に分けて合計8臼着く為にかまどの火入れは8時からと早いのですが頑張りたいと思っています。まだまだコロナ感染は予断を許さないので対策はしっかりとしながら頑張って火の番をしますのでリピーターの皆さん明日のコラムを楽しみにしていて下さい。

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お墓巡りをしてしまいました。

若山家のお墓でのお参りまで全て終えてお墓からいつもの様に少し高い段を降りて道路に出ようとしたのですが、いつもの様には足がすっと出なくて道路に降りる事が出来ず躊躇したうえで「お墓の中を通り本堂に戻る事にしよう。」と言う事でお墓の中の道を歩くのですが、まだまだ今の午前6時過ぎは暗くて明るい時とは違いしっかりとしたルートがわからなくて何と無く道があるだろう所を歩いて行くのですが迷路のように行くところ行くところが突き当たってしまうような状況で「おいおい私は何をしているのですか。」と思いながらも何とか六地蔵様の所まで戻る事が出来たのですがいつもの所まで戻って思った事は「少しコースを変えただけで雰囲気が全く変わるのは不思議な話しだ。」と思った次第です。さて、12月5日から前立腺がんの放射線治療が始まった事はこのコラムでも書きましたが本日になって私が治療者としては優等生だと言う事が分ったのでその事について書く事にします。放射線治療の為の初めての検査をした時は「尿量が多すぎる。」「便が邪魔している。」「ガスが下りてきている。」等々と言われてその都度検査のやり直しをしていたら午前の診療終了時間になってしまい、検査がしっかりと出来なくて「次回もう1回の検査がありますから。」と言われてかなり落ち込んで排泄に対して過敏になった状態だったのですが、2回目の時は1回目に「しっかりチェック出来ました。」と言う事でホッとしたのを今でも覚えています。2回目の時に放射線を充てる所の印をしっかりと付けて頂きました。前立腺がんの場合はと言うか私の場合は38回の放射線治療が必要と言う事で本日が15回目なのでまだ半分の治療も終了していないのですが15回も大体同じような時間に行っているといわやる『お馴染みの顔』が出来て共通の話題があると言う事で少しずつ患者同士で話をする様になります。その中から少しづつ私が治療の優等生だと言う事が分ってきました。と言うのは待合に何人かの患者さんが待ってみえるのですが私は受付を終えてロッカーで検査着に着替えて待合の席に座ると尿量チェックをして頂く先生がスーッと近寄ってきて頂いて「若山さん大丈夫」と聞いて頂けるので「いつもと同じです。」と言うと「だったらチェックしようか」と言われてチェックをして頂く先生と共に検査室に行き尿量が放射線を充てるのに適したことを記録して貰い放射線を充てて貰い再びロッカー室に行き着替えて受付に行き書類を頂き会計を済ませて帰るのです。ところが本日は放射線治療室の待合には3人の方が待ってみえたので話を聞くと「尿量のコントロールが上手くいかなくて時間がかかるのにあんたは(私の事)いつも1回で尿量がクリアで羨ましい。」と言われたので「家から1時間かかるので丁度良いタイミングになる様です。」と答えました。時間に追われた様な生活をしている私としては有難い事だと思いました。と言う事でリピーターの皆さん私は癌治療も忙しくこなしていますが、癌は撲滅してますます頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

今朝は昨日の朝より気温が低いと感じました

どうして今朝の方が気温が低いと感じたかと言うと、昨日の朝は雪がが融けてべたべただったのに今朝は濡れた感じがなくて、特に橋の上を歩いていると明かりに照らされてキラキラと光るのが綺麗だったからです。

私はこのコラムの中で「理科は苦手」とよく書いていますが、早朝にお参りに出るようになって『月』だとか『星』だとか『雪』だとかについて興味を持てるようになった事は事実です。だからと言って理科に強くなったわけではありませんが、理科的なものに興味を持ってきた事は事実の様です。本日、六地蔵様の所で気が付いたのですが「ようやくお賽銭が回収された。」事に安堵しています。

ところで、昨日も書きましたが幸福地蔵菩薩様の前掛けが大きく横を向いていたので、本日は金剛杖を右手にしっかりと握って階段と台座を上がりました。改めて「金剛杖は支えになるな。」と思った次第です。普通に歩いているだけなのですが色んな事に気が付けるのが楽しいです。

さて本日はお参り⇒朝食⇒休憩⇒病院⇒仕事の順にする事から『休憩』が抜けて尚且つ19時からは本部施設において全体会があるので全く余裕が無い一日なのですが、しっかりと体が動くのは有難いと思っています。どうして『休憩』が抜けたのかと言うと、12月になり、岐阜県内にコロナ感染によるクラスターが多く発生していて、職員不足に対応するための職員派遣の依頼に対する対応の為に11時の約束で岐阜県高齢福祉課に岐阜県老人福祉施設協議会事務局長と共に行く事を急遽決めたので、大垣市民病院での放射線治療になるべく早く行って11時前に県庁に行きたいとの思いからの事でした。3年前に職員応援体制の協定を結んではいたものの実績もなく来ていたのが、最近はばたばたと県高齢福祉課に来ていて実際に受けて行こうとすると、不充分な所が出て来て依頼する側にも受け入れる側にも混乱を招くような事があって迷惑を掛けるわけにはいかないとの事での急遽の計画です。

朝食を食べながら職員依頼をしてくれた施設や対応に関わってくれた役員に連絡をして、問題点を10時までに事務局にレポートをして送信するように依頼をして、8時30分になり岐阜県高齢福祉課にアポの連絡を取ると了解が得られたので、事務局長に11時前に役員からレポートをして貰ったのを印刷をして県庁で合流する連絡をして、大垣市民病院の放射線治療をして頂いたのですが「思いは通じる」と言う事で何の問題も無く治療をして貰えました。10時40分には2階の待ち合わせ場所で局長と合流出来、簡単な打ち合わせ後に10階の高齢福祉課に行きコロナ感染対策の担当者との打ち合わせが出来ました。

私は岐阜県老人福祉施設福祉協議会会長に就任して10年目になるのですが(副会長就任からは20年目です。)会員ファーストにの対応を心がけて来たので本日もその一貫としての対応だったのです。この様な対応が億劫になった時には引退をしなければいけないとは思っています。手抜きの対応が出来ない私のスタンスをリピーターの皆さんがご理解して頂ければ嬉しいです。

 

本日は『雪』の話題です。

昨日の明け方は凄い降い振り方だったのですが今朝は星も出ていて天気が良い事を確認したので「昨日が短シューズで何とか歩けたのだから本日も短シューズで楽勝だろう。」と思い短シューズでお墓参りに出掛けました。旧中仙道を歩いている時は良かったのですが、妙応寺の駐車場まで行くと積もっていた雪が解けた様な状態で正直ベタベタで水溜まりがずっと続いている様な状態で短シューズを履いてきたのを後悔したのですが、今さら家に戻るのも面白く無いのでそのまま行く事にしました。雪のある所を歩くのですが歩いていると「びしゃ、びしゃ」と言う状態でゆっくりゆっくりと歩きながら「昨日の私の足跡は無くなっていて犬の足跡だけが一杯あるな。」と思いながらも慎重に慎重に歩いて幸福地蔵菩薩様の所まで行って「階段は滑りそうだから階段は上がらずに階段下でお参りをするつめりでいたのですが幸福地蔵菩薩様の前掛けが曲がっていたので「前掛けを直さなければいけない。」と言う事で4段の階段を上がり幸福地蔵菩薩様の台座に登り前掛けを直してから地蔵菩薩様のご真言を唱えてお願い事をしてから台座を降りて4段の階段を慎重に慎重に降りようとしたのですが案の定滑りそうになりながらも4段の階段をおり ることが出来ました。これは雪の怖さを知っているから出来る技だと思っています。(そんなに大袈裟に言う事ではありませんが。)本堂のお参りと今須稲荷様のお参りは大丈夫だったのですが、お墓の方に歩いて行くとベタベタの雪の中を歩くのでゆっくりゆっくりと歩いたので若山家のお墓までは短シューズでも何とかギリギリセーフだったのですがお墓でのお墓の後に再び六地蔵様の方に戻るのは止めて県道の雪の無い道を帰る事にしました。と言う事で何とか無事に足元が濡れる事無く家まで帰る事が出来ました。本日は次男の対応の為に施設に行けなかったので、明日からは気合いを入れて頑張りたいと思います。29日には餅つきがあり3,75キロの餅米を8臼つくのでその段取りもしなければいけないしお正月の準備もしなければいけないし、うろうろしていると何もしない内に年が明けてしまうので今夜はしっかりと休んで明日にはギアを3段くらい上げて頑張りますのでリピーターの皆さん本日は頭が働かなくて内容の少ないコラムになってしまいました事をお詫びします。ただし、明日に書く内容は仕込みましたので明日からも宜しくお願い致します。

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