手の甲ばかりを蚊が刺します

令和5年7月8日

朝のお墓参りの時に最近は蚊の集中攻撃を受けています。六地蔵様の所で湯飲みの水換え等をしている時は凄いです。その時に蚊が一番に停まるのが何故か手の甲なのです。確かに半袖のTシャツの下に長袖のパジャマを着ているので(どちらにしても汗をかき着替えるので出掛ける時にパジャマの上にTシャツを着ているのです。)パジャマの上からは刺し難い事もあるのでしょうが手の甲を刺されるのです。

水替えをしていて「痒い」と思った時には「時、既に遅し」で手を振って蚊を追い払うと離れるのですがその時には猛烈に痒さを覚えます。「どうして同じ所を刺すのか」としみじみ自分の手の甲を見て理解しました。と言うのは手の甲だけは唯一血管が浮き出ているのです。

身長は変わらず体重だけが倍になった事により(「とほほ」と言う感じですが)色んなところの血管が見えなくなっていると言う事は蚊が針を刺しても血管にまで達しないのかも知れません。(実に情けない話です。)点滴を打って貰う時に腕では血管が見つからず唯一血管が見えている手の甲に針を刺されるのかと思うと考えただけで痛さに卒倒してしまうのではないかと今から心配しています。

岐阜県らしさを出す為に。

全国老人福祉施設協議会主催の全国大会が11月29日~30日に当県が担当で岐阜国際会議場と都ホテルで開催されるのですが「岐阜県らしさ」を出す為に色んなアイディアを出さなければと役員が色んな知恵を出し合っています。先ずは資料の表紙には岐阜を代表するものをコンパクトに入れていきたいと言う事で『岐阜城』『鵜飼』『白川郷』『郡上踊り』『高山祭』『飛騨古川の起し太鼓』等々岐阜県が誇るべきものは沢山あります。

また記念講演も講演をして頂きたい方が岐阜県には沢山おみえになります。但し、高齢者施設の役職員にとっても聞きやすいものになる様にする為の選定には迷うところです。また、娯楽的要素の部分も入れる為の計画も立てなければいけないのでなかなか骨の折れる検討が必要です。全国から岐阜県に来て頂く以上は「岐阜に来て良かった。」と思ってそれぞれの地に帰られてからも頑張って仕事をして貰える様にしなければいけないと思っています。

リピーターの皆さん2千人の大会ですのでこれからもたまにはその報告をこのコラムでしていきますので宜しくお付き合い下さい。

 

日本は完全に亜熱帯圏域になったのかな

令和5年7月7日

今は梅雨の気候だと思いますが、本日は「梅雨の晴れ間」と言う事なのでしょうか。朝から天気が良く暑いです。夜になると雨が降って来るようですが、最近の雨は「しとしと雨」では無くて豪雨になる事がしばしばです。と言うか「線状降水帯」と言う言葉を最近はよく聞くようになりましたのでパソコンで情報収集すると、2014年の広島県の集中豪雨からよく使われる様になったと書いてありました。勿論それ以前にも同じような事は有ったのですが、今は常態化しているので度々耳にする事が多くなったのだと思います。しばしば豪雨がくると言うのは「熱帯雨林」をイメージしてしまうのは私だけでしょうか。そう言えば先般北海道の方と話をしていたら「梅雨がない北海道でも梅雨の様な気候がみられる」と言われていましたっけ。

8時15分からウェブ会議をしました。

朝一の会議になったのは、私自身が10時30分から岐阜県福祉会館において会議があり、ウェブ会議の相手の方との予定がその時間しか取れなかったからです。ウェブ会議をした相手は大阪に本社があるトラピと言う経営コンサルタントの会社です。トラピからは3人の方が参加されたのですが東京、大阪、福岡からそれぞれの参加です。(今はその様な仕事が出来る時代なんだと、つくづく「昭和おじさん」は感心しています。)トラピとは、私が全国老人福祉施設協議会副会長をしていた時に、デイサービス部会の担当副会長だったので、トラピのデイサービス事業者に対する経営相談業務が成果を上げている事に目を付け、先月6月にデイサービスセンター「えりかの里」と1年間の契約を結び、1カ月間職員の動きであったり、一日の動きであったり、周辺の状況を把握して貰ったりして、第1回のウェブ会議を本日持った次第です。

トラピの3人の方は三者三葉の立場で話をして頂き「流石に相談業務でお金をとるだけの価値はある。」と思ったので、私は理事長として最後にお願いしたのは「私はいわゆるエビデンスに基づいての手法では無くて、感性で対応してきた様に思いますが、数字的根拠や実践分析の中でのアドバイスについて正直「いらっ」とする様な内容もありましたが、私はそこに期待をしていますので、どんどん耳の痛い事も指摘して貰いながら、やるべき事をどんどん実践してデイサービスの経営を盤石にしていきたい。私が協力できる事はさせて貰いながら「今日一日楽しかった」の事業所となる様にしていきますので、リピーターの皆さんも良きご助言を宜しくお願い致します。

コロナ感染症9波到来と言われています

令和5年7月6日

新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」にされてから2カ月が経過したが感染者の数は緩やかに増加し、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長だった尾身茂氏も「第9波が始まっている可能性がある。」との発言があった。当施設の様な高齢者施設においては、なかなか感染症が2類から5類になったからと言って、「すべての事を緩和する。」と言う訳には行きません。

第9波の傾向は10代の若者の感染が多い傾向があるそうですが、若者と言う事は同居している家族がおみえになると言う事でいわゆる「家庭内感染」によって拡がる確率は大きいと言う事です。インフルエンザの様に季節によって猛威を振るうと言うのでは無くて、感染力は今だ衰えていないとなると全く油断することが出来ません。尚且つコロナの厄介さはインフルエンザのタミフルの様な絶対的治療薬が無いと言う事です。当施設においては家族等の面会にしても制約をしながらのものですし、イベント事にしても全員が揃って地域交流ホールに集まってのものは出来ていません。

新型の感染症は3年くらいで落ち着くのが定説でしたがコロナ感染症についてはどうも違うようです。とにかく「ウィズコロナ」でいく為にも当たり前の感染症対策として「うがい」「手洗い」「消毒」と「必要に応じた マスクの着用」をして感染症防止に努めながら「今日一日楽しかったよ」を職員一丸になって取り組んでいきますのでリピーターの皆さん高齢者施設の実態をご理解下さり今後とも宜しくお願い致します。

本日は岐阜県庁6階大会議室で17時から感染症対策策定会議が開催され医療代表、感染症専門の大学の先生、福祉施設代表の方々が集まり検討会が実施されました。これは、平時の内に対策を練って厳しい状況になった時に備えると言う意味で開催されました。沖縄県では既に厳しい状況になっている中で岐阜県の取り組み検討が開催されたのは意義深いものだと思いました。高齢者施設は個別化が言われてはいますがなかなかその対応は現実的に難しいので岐阜県を核にして医療との連携強化を図りながら対応していきたいと会議の中で意見を言わせて頂きながら思った次第です。

岐阜新聞の記事から

令和5年7月4日

「社会・総合」(19面)欄に大きな見出しで『子ども世帯 初の1000万割』『22年「老老介護」63%に上昇。』『家族介護者 女性が7割』が載っていました。これは、厚生労働省が4日に発表した2022年国民生活基礎調査結果の公表結果です。その中で【児童(18歳未満の未婚者)がいる世帯は991万7千で、初めて1千万世帯を下回った。全世帯に占める割合も、19年の前回の大規模調査から3.4ポイント低下し、18.3%と過去最低を更新。少子化の加速が改めて示された。】との記事を見て、1990年(平成2年)の「1.57ショック」を契機に、政府は、出生率の低下と子どもの数が減少にある事を問題として認識し、仕事と子育ての両立支援など、子どもを生み育てやすい環境づくりに向けての対策の検討を始めた。」そして、1994年に「エンゼルプラン」、1999年に「新エンゼルプラン」2004年には「子ども・子育て応援プラン」と立て続けに計画されていながら、右肩下がりに歯止めがかからない状況の中、30年以上の月日が流れているのは愕然としますが、本当に難しい問題なのだと思います。

高齢者に目を向けると【同居の家庭らによる介護では。介護を受ける人と世話をする人がともに65歳以上の「老老介護」が63.5%に達した。19年調査から3.8ポイント上昇。過去最高を更新した。高齢者世帯は1693万1千。全世帯に占める割合は、19年の前回の大規模調査から2.5ポイント上昇し31.2%だった。高齢化が進む中、単独世帯も1785万2千へ増えた。19年から4.1ポイント上がり32.9%を占めた。】との記事には間違いなく高齢者のみ世帯が増え、どちらかが無くなる事によって高齢者の単独世帯も加速度的に増えて行く事になる事がわかる。また介護に目を向けると【同居する家族の介護を担う「介護者」のうち、68.9%が女性だった。別居している家族の介護者の場合でも女性が71.1を占め、家族介護が女性に偏っている傾向が明らかになった。同居している家族を介護する時間を尋ねたところ、全体の19.0%が「ほとんど終日」と答えた。このうち、女性が74.5%だった。介護が必要な人の介護を主に誰が担っているかを聞いたところ、配偶者、子どもなど同居する家族や親族が全体の45.9%で、19年の前回調査より8.5ポイント減少した。一方、事業者と答えた人は15.7%で前回調査より3.6ポイント増えた。在宅で介護が必要な人がいる世帯のうち、核家族世帯が42.1%、単独世帯が30.7%を占めており、いずれも増加傾向にある。厚生労働省の担当者は「今後、事業者に介護を依頼する世帯はますます増えるだろう」と分析している。家族介護を巡っては、働きながら家族の介護を担う人の支援や介護離職防止が課題になっている。】との統計結果が出ているが、優・悠・邑では介護相談を受ける立場なので、介護現場においては当然の様にとらえている事についても、数字的根拠を示して制度政策に生かして行かなければいけないので、いわゆる「エビデンスの構築」が必要なのですが、当施設が担っている事の評価を上げて行く事によって、事業所の安定経営につなげていかなければいけないとも考えています。リピーターの皆さんますますの支援をお願いします。

4年振りに本部施設の職員懇親会があります

コロナ前は互助会主催の懇親会が夏場はボーリングを2ゲーム楽しんだ後、ビヤガーデンに場所を移しての実施と、冬場はしゃぶしゃぶであったり焼肉であったりの飲み会をしていたのですが出来なくて、料亭で作って貰ったお弁当を配ったり、バームクーヘンを持って帰って貰ったりしていたのですが、ようやく本日互助会による飲み会を養老の焼肉街道のお店で実施します。

正直私は経営者の立場なので互助会の一員にはなれないのでご招待と言う形で参加させて頂きます。(勿論、御祝儀は持参しますよ)正直私は焼肉があまりお勧めではないのですが、招待を受ける側が我儘を言う事は出来ませんので焼肉のご招待に喜んで参加させて頂き海鮮や野菜を中心に少しは肉も頂きながら楽しみたいと思っています。但し、4年前までの飲み会ではお酒を注ぎに来てくれた職員が注いでくれたお酒にしてもビールにしても喜んで頂いていたのですが、「ビールは1杯で後は麦焼酎をロックで」と決めているので職員からビールやお酒を注いで貰う事は出来ませんがコミュニケーションはしっかりとっていきたいと考えています。

ところで本部施設職員が全員参加してしまうと、特養の本来の業務が出来ないので2回に分けての企画なので来週の水曜日(12日)にも同じメニューで実施されますので、8日後にも参加させて頂きます。5月8日にコロナ感染症が2類から5類に変わり、飲み会についても少しずつ緩和されて来ましたが職員の健康管理をしっかりした上での飲み会ですので、優・悠・邑職員互助会の一角での会食になる配慮はしっかりとしていきたいと思います。

緩和された事によりマスクの着用も自己責任になった影響でしょうか先日6月30日~7月1日に高山への出張に行かせて頂いた時に『特急飛騨』での移動になって思ったのは「殆どの乗客が外国の方だ。しかも、殆どマスクをされていないな。」と言う事でした。私も外を歩く時にはマスクを外していますが列車の車内ではしっかりマスクをしているのですが。これは、コロナ感染症が2類が5類になったから無しでよいと言う事では無くて、インフルエンザ対策にもなり、風邪対策にもなる事だと思います。勿論予防にはマスクの他にもうがい、手洗いも欠かせません。と共に元気な身体を維持する事も大切だと思います。と考えていてふと思ったのは、昨年6月から外泊した時以外は朝の仏間でのお参りと妙応寺、今須稲荷経由のお墓参りを欠かさずにする様になってからは風邪さえひかなくなった事に気が付きました。リピーターの皆さん私は元気な身体に感謝です。お互いに健康には留意したいものです。

大谷翔平が弱音を吐かないのは「中村天風」の言葉があったから

令和5年7月3日

週刊現代7月1日・8日号の特集が「大谷翔平」で、最初からの記事はカラー特集だったのですが、それ以上に私が興味を持ったのは(勿論、カラー特集での大谷翔平の歩みも良かったのですが)、カラー特集の次に掲載されていた表題の通りの記事でした。私は正直「中村天風」と言う人物の知識は全くありませんでした。中村天風の言葉に「私は力の結晶だ」「積極一貫」「虚心平気」の言葉が1ページ目にあり、2ページ目には大きく「私は力だ、だから何ものにも負けないのだ」とあり、小見出しに「大いに希望の火を燃やせ」とあり、具体的内容の中に「大谷翔平の強靭な精神力の源はどこにあるのか。

そのひとつが、花巻東高校時代の恩師・佐々木洋監督から勧められて熟読したという本『運命を拓く』にある。著書は昭和期の思想家中村天風(1876から1968年)だ。物事を悲観的に考えたりせず、つねに前向きでいることが幸福と成功への道である、と天風は教える。天風思想のキーワードは『積極精神』です。一度しかない人生を、積極的に明るく、朗らかに勇ましく生きれば、自分自身が潜在的に持っている力を最大限に発揮できる」と説いています。また「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事があっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」そして大谷翔平が花巻東高校時代に書いた目標達成シートには『プラス思考』『頭は冷静に心は熱く』『一喜一憂しない』とあり、大谷翔平が「無理だ」「できない」と弱音を吐かないのは、天風の言葉があったからと断言している。

天風の言葉の中には「欲を捨てろなんて、そんな消極的な、できないことは大嫌いだ。もっと人生は積極性を発揮して、大いに欲望の火を燃やせ」と説いています。この言葉の源は何なのかと思って次のページを開くと、大見出しに『肺結核で死に直面した後、秘法に出会った』とあり、私はつくづく逆境を乗り越えた人だからこそこの様な強い言葉を発する事が出来るのだと思いました。そう言えば滋賀信行会の初代会長である内藤欣峰先生も、結核になり四国遍路を決行されて『徳』を得られて滋賀信行会を開かれたと聞いています。中村天風先生との共通項がある様に思いました。

パソコンで『中村天風』を検索すると東郷平八郎、原敬、宇野千代、広岡達郎、松下幸之助、稲盛和夫、松岡修造、大谷翔平等々名だたる方が影響を受けられています。私はこの記事を読んだ時に昨年の1月2月頃に優・悠・邑 和(なごみ)の経営が芳しくなく一杯弱音を吐きました。私の考え方は基本的には『プラス思考』だと言われていますが、今回の中村天風の記事に巡り合い「お主まだまだじゃのう」と言われた気がしました。

リピーターの皆さん、これからは常にプラス思考で前を向いて行きたいとは考えていますが、もし弱音を吐くような事があったら咤激励をお願いします。

介護人材不足について

令和5年7月2日

社会福祉法人杉和会の認可を受けたのが1997年7月の事で、その翌年の1998年5月に本部施設本館での事業開始をした時には50人の職員採用をして、2004年4月に本部施設新館の事業開始をした時にも30人の新規採用を行ったのですが、ハローワークの支援と新聞折り込みを入れると共に学校廻りをすれば、新規卒業生の高校生、短大生、専門学校生、大学生の採用には何ら苦労した記憶がありません。特に本部施設本館が事業開始した時には、ハード面の知識はそれなりにありましたがソフト面の理解が私には全くなくて、児童養護施設時代の思いを職員に強いるばかりだったのと、経営の盤石化の為に奔走していたばかりだったので、職員がバタバタ退職していった時期にも補充の採用にもさほど苦労した記憶はありませんでした。(とは言え、職員とのギャップを埋めるための努力は必死になってやってきました。)

しかしながら、2006年に全国老人福祉施設協議会の役員になり、2008年の頃から全国の多くの役員の方から「介護人材がなかなか集まらない」との情報を得ていたので、2009年からEPAによるインドネシア人介護福祉士候補生を導入しました。(その年は4人)インドネシア人介護福祉士候補生は一生懸命に仕事に取り組むと同時に、日本文化に慣れ親しんでくれました。実はその時に来た職員の一人は、介護福祉士の資格を3年の経験で取得して、インドネシアで結婚式をあげてから旦那さんを日本に呼び、子ども2人を産み育てなだら今も頑張っています。その後もEPA候補生の導入をしていたのですが、導入したいと思う法人が多くなりなかなかマッチングが出来なってきたこともあり、日本の大学を卒業して特定技能の介護を取得したベトナム人を採用したのを皮切りに、同じくネパール人も採用してその他にもベトナム人留学生を受け入れて、卒業後は正式に職員に採用したりと言う事で外国人の採用に頼らなくてはいけない状況があります。

今、多くの外国人材を採用していての今後の展開を考えた時、専門性を高める為の組織作りや体制を整えていかなければいけないと考えています。例えば、ハード面では外国人のイントネーションでも大丈夫な音声入力を可能にした記録ソフトの導入もしていく事によって仕事効率を高めていき、スキルアップの為の講義は、演習を実践していかなければいけないとも考えています。「人材不足」を嘆いていても何の問題解決にもなりません。しっかりと先を見据えた展開をしていかなければいけないと考えていますので、リピーターの皆さんにもご理解願って良い人材がおみえになったら教えて下さい。資格については仕事をしながらでも取得出来るように支援していきますので。

リラックスしていたら急停車です

令和5年7月1日

昨日の出来事です。もうすぐ高山に着くと思っていた矢先に緊急放送で「緊急停車します。緊急停車します。」と言って、ガタンガタンと停まりました。そのあと車内放送で「小動物が飛び出して来ました。」と言って止まったあと、直ぐに動きだしたので「大したことなかったな。」と思っていたら再び止まったので「何だろうと。」と思っていたら、またまた車内放送で「安全な所に移動しましたので運転手による安全点検をします。」と言う事でまたまた止まっています。15時12分着で余裕があったのですが、正に「予定は未定であり決定ではない。」と言う事で、今正に運転手さんが車両から降りて確認作業をされているのが見えました。改めて安全確保が徹底的にされていることを理解しました。

しょっちゅう起きる事では無いのに遭遇出来たので、コラムのネタも出来たけど、少し時間が気になるところですがやむ無しだし、会議に参加している方も理解して下さると思います。(ここまでは、昨日の列車の中で書きました。)高山駅に22分遅れで着いて(15時34分)、宿泊先であるワシントンホテルは駅前にあるので荷物を預けて行く事にしたので、急いでチェックインをして時間が無いので荷物はフロントに預けて、もう一度駅に向かいタクシーに乗ることにしました。ところが、タクシー乗り場に行ったのですがタクシーがいなくて先客が一人みえたので「どのくらい待ってみえるのですか。」と聞くと「5分くらいかな」と言われてしばらくするとタクシーがきて、先客が行かれた後はそれほど待つことなくタクシーがきて、会議会場である高山グリーンホテルに向かいました。

ホテルに着いたのが15時55分で、会議会場まで行くとまだ前の会議が終了していない事を確認して「間に合った。」と安心して会議室近くのソファーに座って待っていると、会議か終わって前の支部長さんが「16時15分から始めます。」と言う事で会場に入って行き、役員の皆さんにご挨拶をしました。支部会での役員会は終了していたので、会議開始後直ぐに支部長さんから岐阜県老人福祉施設協議会会長として紹介していただき話をするようにとの事で、全国の流れ岐阜県での状況を話した後、全国大会が11月29日30日と開催される事に対する協力のお願いと、2年後の参議院選挙で、組織内議員の復活の為の理解を得る様に話をして、原稿無しで約20分話をさせて頂き、私の話を基にして飛弾支部の役員さんとの意見交換をしました。

中身の濃い意見交換会だったので予定の時間を越えたタイミングで隣の部屋に移動して、引き続きの懇親会になりました。飲み物は何でも注文して良かったのでビールの後は麦焼酎のロックを頼んだのですが、支部の長老でいつもお世話になっている先生から「会長、飛弾は旨い酒があるので飲んで貰わないと。」との声がかかり、日本酒に変えて呑むことにしました。元々日本酒が大好きな私はお付き合い程度とは言え、しっかりと飲みました。

懇親会の席でもしっかりお話をさせて頂き、懇親会終了後は、前の支部長さんの案内で大垣には無いと思われるお洒落にウィスキーを飲むお店に連れて言って貰い、私はオールドパーをダブルで注文して頂き美味しく頂きました。比較的若い役員さんも3人ご一緒だったので、前の支部長さんが「迎えの車が来たので会長をホテルまでお送りします。」と言う事でホテルには22時30分には帰りましたのでお風呂にも入らす、いつもの4時25分のアラームはオフにして寝ました。

しっかり眠って5時前には目を覚まし(二日酔いは一切ありませんでした。)、ゆっくりと体を休める様にお風呂に浸かりました。ゆっくり汗を流したので体を冷ます為にベッドに横になったのですが、体が火照ったのでもう一度お風呂に行きシャワーで水をかぶりますます体が火照ってきたので、私は「本日も絶好調」て言う事で、「うだうだしていているのは勿体無い。」と言う事でスマホで特急飛弾の時間を調べると(リピーターの皆さんその程度の事は私でも出来ますよ。)、高山発が8時があり、その次は9時36分と言う事だったので、「これは8時の列車に乗るべし。」と言う事で急いで片付けをして高山駅に向かいました。

「せっかく高山に来たのだから何か土産を」と言う事で、我が家と事務所に土産を買い改札を入ろうとすると駅員さんが「8時の列車ですか。」と聞かれたので「そうですが。」と言うと「7時40 分からの改札になるので、皆さんにあちらで並んで頂いてます。」と言う事でおとなしく列に並び7時40分になって改札を通り自由席のある4号車に向かいました。高山始発と言う事で、既に列車はホームに停まっていたので席を確保して、今は下呂を過ぎた辺りです。11時前には関ヶ原駅に迎えに来て貰い、施設でのやるべき事をして本日は早めに家に帰れたらと考えています。それが早くに列車に乗ったご褒美かなと・・・。でも、「予定は未定であり決定ではない。」のでね。と言う事でリピーターの皆さん高山出張の報告でした。

DSC_0325 DSC_0326

妙応寺の盆施餓鬼法要について

令和5年6月30日

本堂の所に8月恒例の盆施餓鬼法要の掲示物があり、写真に撮ったのですが全体に黒くて字を読み取る事が出来ないので私が感じたことをコラムに書く事にします。先ず驚いたのが盆施餓鬼法要の期間が8月3日、4日の2日間で9時から16時で昼食休憩が1時間との事だった事です。何に驚いたかと言うと私が知っている妙応寺の盆施餓鬼法要は1週間通しで朝は7時から休憩はあるにしても21時過ぎまで実施されていたと理解しているからです。コロナの影響でお参りする方が減ったのか、お互いに時間的余裕が或いは金銭的に余裕がないのかはわかりませんがお参りが激減している事は間違いないです。

とは言え若山家もいつの頃からか行っていません。多分息子たちが家から出てしまった事が最大の原因でなかったかと思います。と言うのは盆施餓鬼のお参りの前には参加した全員が食事の接待を受ける事が出来て以外とこの事が嬉しかった様に思います。施餓鬼の申し込みには事前にお供えを準備して施餓鬼の日には妙応寺に早くに受け付けに行ったものでした。今朝の掲示物には注意書の様に「午後からは比較的すいています」と書いてあったのも驚きでした。

本日は高山へ出張です。

テレビの天気予報で「岐阜県には激しく雨が降ります。」との報道を受け昨日の内に車を運転して行くのを諦めて電車で行く事にして、昨日の内に切符を手入れれました。と言うのは関ヶ原駅は駅員の方が少なくて売り場が締まっている事があるからです。列車は関ヶ原を12時22分発に寝ると15時12分に高山に着くので高山駅前にあるワシントンホテルに荷物を預けて16時からの会議に 参加すればちょうど良い時間になるからです。只今、岐阜駅を特急飛弾に乗り込みました。自由席ですがしっかり座関を確保出来ました。

但し、アナウンスが一回は入ったのですが、アナウンスされた番号がどこに書いて有るのかが分からなくてホー私が掲示は上にあるものだと思い込んでいてふと地面を見ると書いてあったのですがその時には先程のアナウンスされた内容を忘れてしまったていたので、ホームに列車が入ってきた時に自由席は4号車で私が立っていた所は1号車の所だったので慌てて4号車の所に行きました。車両に乗り込む時に結構高くて「よっこらしょ」と荷物共々上がりました。

空いている席を探すまでもなく座る事が出来たので今は余裕を持ってガラケーの携帯でコラムを打っている次第です。と言う事でのんびりしていたのですが車掌さんから切符の確認にみえたのには感動でした。だって新幹線に乗っても車掌さんから切符の提示を求められた事がないからです。特に自由席なのにと思いましたが、逆に特急券を持ってない方が乗られてないかの確認なんだと理解しました。取り敢えず本日のコラムはこの程度にして飛弾路の景色を車窓から楽しんで16時からの会議及び懇親会は来賓としての役割があるのでリピーターの皆さん頑張りますのでご支援宜しくお願い致します。

DSC_0320 DSC_0321

若山家の食卓

令和5年6月29日

若山家の朝の食卓は常にご飯に味噌汁があり、海苔瓶、しぐれの佃煮、ふりかけ、味付け海苔、鮭フレーク等々がその日によって出てきます。おっと、忘れてはいけません、必ず漬物が5切れもあります。最近は私自身の食事管理の中で『納豆』『野菜サラダ』そして昨日紹介した『糖質ゼロのヨーグルトにきな粉を混ぜたもの』が加わっています。若山家の味噌汁は私が生まれてからずっと赤味噌汁です。但し最近まで奥様が味噌汁にお茶を入れていたのですが、最近はお茶を入れなくても大丈夫なくらいの濃さになっています。(つまり、かなり濃い味噌汁だったので、最初は違和感がありましたが今は普通に頂いています。)かつて私は納豆が食べられなかったのですが(「糸を引く納豆やチーズなど食べてたまるか」と言っていたのです。但し今でもチーズは苦手です。だからピザも食べられません。)

平成18年8月から全国老人福祉施設協議会の役員になり、東京で宿泊する事が多くなり、正直ホテルの朝食で納豆を食べないとおかずがないような感じがして、何とか食べる様になって15年が経過して、今では普通に食べられる様になりました。そしておかずをしっかり頂いてから(10分以上かけて)ご飯を食べる様にしているので、ご飯の量が減っていると思います。昼食は基本的には施設の食事を頂いているのでバランスの良いものだと思います。夕食については文字通り激変しています。

と言うのは、我が家で食事するところから主食の米や大好きだった麺類が消えているのです。つまり、副菜のみにしています。正直、今までの食生活は滅茶滅茶だったと言っても過言ではありません。例えば、遠出をしてサービスエリア等で食事をする時には、ラーメンやうどんを食べた上でカレーライスを食べたり、丼ぶりものを食べていたのです。また夕方にお腹が空いた時等は、情け容赦なくあられを食べていましたが、その様な事も無くなりました。

食事について若山家で特筆すべきは、おかずの味つけに殆ど砂糖を使わない事も挙げられます。今から考えたら無茶な食生活をしてきたものだと思います。それだけではありませんでした。日本酒も時として浴びる様に飲んでいました。この事は「糖質控えめしよう」に対して全く矛盾している事にも気が付き、6月20日に東京で久しぶりに飲んだ時には、おちょこ1杯のみを日本酒にして後は麦焼酎をロックで飲んでいました。(既にコラムで書いています。)

ここ3年はコロナ対応の一貫で外で飲む事は皆無だったので(最近はぼちぼちありますが)、晩酌の習慣が出来てしまっていたのですが、外で飲むことが無かった時には「0の日」のみ、しかも麦焼酎をロックで2杯飲む様にしています。久しぶりに会う友達との会話は病気の事が中心になっていて私は正直うんざりしていたのですが、最近は少し状況が変わってきています。やはり70歳は『古希』と言う事ですので色んな事を考えなければいけない。と言うよりは考えるべき。無茶が効かなくなってきたと言う事でしょうか。

でも古希についてインターネットで情報を調べてみると、奈良時代では40歳が『初老』だったと書いてありました。現代においては「おいおい」と言う事で「70歳はまだまだ」とも言えますがリピーターの皆さん「お互いに油断を召されるな」と言う事なのだと思います。

1 86 87 88 89 90 91 92 93 94 309