台風の影響なのでしょうか

我が家の2階で寝ていてめちゃくちゃ涼しい風が入ってくるので、思わず窓を閉めると今度はめちゃくちゃ暑くなって「こりゃたまらない。」と窓を閉めるとまたまた暑くなってくるので窓を半分だけ開ける事にしました。本日午後からは岐阜県老施協の常任理事会がある為に午後からのボランティア「てるてる座」の本部施設対応が出来ないために午前に和(なごみ)で行われる「てるてる座」に顔を出すために車を走らせているとポツボツと雨が降ってきたと思ったらバケツを引っくり返す様な雨が降って来て「久しぶりの雨で土や草も喜んでいるぞ。でも、草は一気に伸びて草刈りがまたまた大変だな。」と思った次第です。和(なごみ)に着き車を降りようとしたら、とても傘無しでが施設まで行くまでにべたべたになると考えて傘をさして施設に行き傘立てに傘を置き中に入って行き、既にてるてる座の座長以下4名のメンバーが着替えをされている所に挨拶に行き、その後事務所で雨が凄まじく降っているのを見ていると樋(とい)から溢れた水が地面を叩きつけているのを見ていて「樋(とい)にゴミが溜まっているのならば、天気の良い日に撤去しなければ」と考えていました。(先ずは天気についての話題を先にしてしまいます。)てるてる座のメンバーとご一緒に施設の食事を頂き12時30分にてるてる座の皆さんをお送りして、私も岐阜県老施協常任理事会がある岐阜県福祉会館に向け車を走らせたのですが、施設を出た時には天気が回復していたんで見事に傘を置いてきてしまいました。常任理事会が始まる前に「垂井では滅茶滅茶凄い雨が降ったけどこちらではどうだった。」と聞くと「全然降っていませんよ。」と言われたので「局地的に雨が降るのだ。」と思った次第です。そして今は(18時40分)本部施設に帰って(「来て」が正しいのかな)コラムを打ちつつ管理宿直の北島部長に「雨が降ったか」と聞くと「14時前に降りました。」と言うので「午前中は降ってないの。」と再び聞くと「降ってませんよ。」との答えに「最近の雨は不思議な降り方をするんだな。」と思った次第です。さて、本日は本部施設でのてるてる座のボランティアに参加出来ないので午前の和(なごみ)のに参加させて頂いたのですが、本部とは少し違った雰囲気ではありましたが、入居者の対応は自分がご存じの歌については大きな声で歌って頂ける事が分かったのは私自身の収穫でした。また、てるてる座の皆さんとの昼食時にはメンバーの方と「お米が美味しい」との話で盛り上がりました。お米は地元の方が生産されたものだと話すると「こんな美味しいお米を毎日食べれる入居者さんが羨ましい。」との話に当法人の考え方が間違っていない事を確信した次第です。リピーターの皆さんも一度食べに来て貰えると嬉しいです。

昨日は疲れのピークで・・・

令和5年8月6日

昨日も朝食後に和合の施設に行き入居者さん、職員さんにご挨拶をしながらフロアを廻り一段落してから本部施設に行き(本部施設に言っての挨拶が「ただいま」なのか「こんにちは」なのかを悩んでいます。)その後、長浜の内藤仏壇に行き、本部施設本館の仏壇のおリンが良い音がしなくて、今月21日に来て頂いてお経を唱えて頂く高野山の静慈圓前官大僧正様に申し訳ないので、新しいおりんを購入して滋賀信行会の会長でもある内藤君に21日の予定を打ち合わせすると共に、9月の敬老週間での千巻経の予定についても打ち合わせをしました。

本部施設に再び戻り、毎日のコラムが書けたのが16時40分過ぎで、その後何かをしようとはするのですが全く集中力がなくて、17時のデイサービスの利用者さんのお見送りをした後いつもより早い時間だったのですが家に帰らせて貰いました。家に帰って冷たいお茶だけ飲むと異常な眠気が襲って来たので2階に上がって横になると直ぐに眠りにつき、気が付くと19時30分。と言う事でしっかり2時間眠りました。その後1階に下りてお風呂に入り昼食が遅い時間でおまけにラーメン店に入って定食でしょうゆラーメンにチャーハンにギョウザに唐揚げ(食べ過ぎやと反省していますが一向にこの習慣は治らないと思います。)と重たい食事をしたので、アイスクリームだけ食べて再び2階に行き横になり、「眠れないかな」と思っていたのですが、横になり前日の金曜ロードショウの録画を見ていると21時になると眠くなり、眠る事が出来て家に帰ってからの睡眠時間は9時間を越えてしっかり眠れた事により本日は疲れも取れて頭も体もすっきりしています。

大リーグで大活躍している大谷翔平さんは、一日10時間の睡眠をとる事も健康管理にとって大切だとの事ですが、その様に言えるのは「野球一筋」での毎日の様に思います。考えてみたら私の今の生活も「施設の事一筋」で気分転換には録画した番組を見る事くらいかな・・・。いやいや忘れてはいけません。先般次男に生まれた私にとっては孫娘を抱く事が出来たのは至福の喜びで、何よりのリフレッシュだったし、今月12日には父進さんの命日法要と施餓鬼法要があり、次男夫婦と共に孫娘も我が家に来てくれるので、大いなる楽しみが待っています。「じいじだぞ」と言えるのが楽しみで頑張って3施設を駆け巡っている毎日ですが、リピーターの皆さん「毎日が充実している事に感謝」の日々です。

そろそろカラオケデビューをします

色んな理由により、8月1日から大垣にある優・悠・邑 和合に籍を置く事になり、朝食をとって7時30分には家を出て和合の施設に向かうのです。

平日のこの時間は車が混んでいる為、8時20分前後に着き8時30分からの朝の申し送りの時間には何とか間に合うくらいの時間になるのです。しかしながら、本日は土曜日と言う事で空いていた為か8時5分には施設に到着しました。実は昨日「こぼれ話」と言うより「恥かしい話」と言った方が正確だと言える様な事がありました。それは、経費節約と管理上にすべき事をする確認する為に伊藤施設長と業者さんにも協力して頂き施設の内外を見て回りました。最初に外回りを見ていて想像以上に街路樹の伸び方が早くて、これ以上伸びると隣家にご迷惑をお掛けしかねない状況であったり、今年の異常な暑さで草の伸び方が半端で無い事を理解して、施設の職員で出来る事と(私も頑張ります。)業者さんにお任せしなければいけない事を判断して手配すべき事はして、一旦施設内の理事長室に入り業者さんに図面を見て頂いたりした後、施設内を確認する事にして、総勢4人で回る事にしました。

1階から順番に伊藤副施設長の先導で見て回りました。3階まで行って3人の方が行かれる方向と違う所で気になる箇所がありその確認をしている内に3人の方の姿が見えなくなったのでしばらくは探していたのですが見つからず、止む無く1階に下りようとしても階段の位置も分からずウロウロしていて職員に聞く勇気も無く・・・。何とか階段を見つけて下りて行ったのですが、事務所に戻る前にテンキーがあり、4桁の暗証番号がわからなくてケアワーカー室まで戻り職員に聞いて何とか事務所まで戻る事が出来ました。「11年前には計画段階で何度も何度も図面を見て検討して頭に入っているはずなのに」と思うと恥ずかしくて聞けなかったのです。

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と口癖の様に言っているのに・・・。

本日も和合のフロアを回らせて頂きました。広い食堂に殆どの入居者さんがおみえになったのですが、昼食前と言う事で皆さん静かに椅子に或いは車椅子に腰かけてみえたのでそれぞれの入居者さんの目線に合わせてご挨拶をさせて頂くと、ほとんどの入居者さんに笑顔を頂きました。入居者さんへの施設長としての周知は出来た様に思うので、私が入居者さんに提供出来るのは「小噺」「お経」「カラオケ」なので、お経については8月21日に高野山の大僧正の静慈圓前官が本部施設に来て頂いた時に不動明王様の梵字を色紙に書いて頂いてのお参りをするとして、「小噺」「カラオケ」はそろそろスタンバイOKと言う事で「いざ出陣」とさせて頂く事にしましょうか。

リピーターの皆さん結果報告をまたしますので見て下さい。

かつての入居者の家族から梨が送って来ました

令和5年8月4日

入居者さんの家族とは言え、小学3年から中学を卒業するまで同級生だったお友達からです。つまり、同級生からの贈り物です。有り難く主だった職員に配らせて頂きました。ところで、「どうして小学3年生から中学を卒業するまでなの。」と疑問を持たれた方の為に説明させて貰うと私が小学校時代には小学1年2年だけの分校があり、そのお友達は分校に通っていたからです。ちなみに、その同級生は今須の一番奥の地区から通っていたので小学3年から小学校を卒業するまでの4年間は片道4キロ、往復8キロを歩いて通学していたのです。(※中学生になると自転車通学)本論に戻ります。梨を送って頂いたお礼の電話をすると本人が出られたので、先ずは贈り物のお礼を言ってから私の朝のお墓参りの時に妙応寺の駐車場の隣地に家がある同級生の情報で「一人っ子だったのに千葉に家を建てているので、お墓の守りが出来ないと言う事で墓じまいをしに帰って来たと聞いた。」との事だったので、その話題に触れると「なかなか今須に帰れなくてお墓が草まるけになってしまうので、今迄あったお墓を失くして妙応寺の中に改めて記念碑的なものを新たに設置したんだ。」との事だったので「私は毎日お墓参りに行っているので代わりにお参りするよ。」と話をして「たまに帰ってくるタイミングを本部施設で毎年開催している6月の供養祭や9月の千巻経の時期に合わせてくれるなら案内を出しますよ」と話をすると「有難い話です。若山君は地元の中で一生懸命活動されていることは素晴らしい事だと思います。」と言って頂いたので滅茶滅茶嬉しくなりました。と言うのは電話で話した同級生は1学年1クラスしかない34人の同級生の中で常に首席であり、その当時岐阜県で一番レベルの高い高校に進学して一流の国立大学を卒業して大銀行に就職して30代でニューヨーク支店長だとかロンドン支店長を歴任されていたと聞いていましたから、同級生ではありましたが尊敬する人物からの言葉だったからです。さて、朝のお墓参りの時「多分設置されているのは常在不滅之塔に隣接された所のお墓だろう。」と目星を付けて行くと「間違いなくありました。」今年の6月に設置されたと言う事も分かりました。早速そのお墓に手を合わせて般若心経を唱えさせて頂きました。と言う事は朝4時25分のアラームで行動開始する限り我が家の仏壇、妙応寺の本堂、三仏(観音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)、我が家のお墓に加えて同級生のお墓の5巻は般若心経を唱えさせて頂けると言う事でリピーターの皆さん、これは健康であればこそと言う事で  (合掌)

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令和6年度に介護報酬改正があります。

介護報酬改正は3年に1度行われるのですが、今回の改正は医療報酬改正との同時改正であり、インフレ基調になっている中で、つまり物価高騰が顕著な中での改正であり、極端な介護人材不足の中であり、特養の事業所の40%が赤字の中であれば介護報酬が上がるのは当然の事と受け止めたいところではありますが、国の機関である財政審議会においては「特養においては貯め込んでいる。」との内容が意見として出ているとの情報を聞くと唖然としてしまいます。

介護人材の賃金は国の平均賃金をはるかに下回っている中で、事業所を経営している側である私としては「大きく賃金アップを」と言いたいところですが、将来的な大規模修繕を考えると「大きく賃金アップは出来るものではない。」との方向しか見えてこない。岸田総理は「賃金を上げて経済の活性化を図る。」と言っていますが、当法人の様に介護報酬はいわゆる『公定価格』なので、勝手に料金を上げると言う事は出来ないのが現実です。

(あり得ない事)最近のニュースの中で『最低賃金が1000円』と言う事なのに、介護報酬が上がらないと言うミスマッチが起きて、介護事業が成り立たない状況になりかねないと考えています。

現実の話として、長期化する新型コロナウイルス感染症及び物価高騰の影響で、法人の経営努力だけでは介護事業のかじ取りがますます難しくなってきます。介護報酬も賃金スライド及び物価スライドを導入して貰えると今まで以上に安定した経営が出来ると思います。職員の賃金を上げて行く為に『介護従事者の処遇改善』が行われてきたが、この手法の問題点として、『介護職』以外には恩典が行かない所からスタートしたので、事務職等への配慮が無くて介護職以外の職員の賃金アップは法人が捻出するしかなかったのですが、若干の配慮がされる様になって、処遇改善加算の事務手続きが複雑になった事は間違いない事実なので、事務手続きの簡素化についても配慮して頂きたいと考えています。端的に言えば処遇改善加算等と言う姑息な(言い過ぎかな)手段を使わづに『基本報酬の増額』を打ち出して頂けると正直有難いのですが。

また、介護報酬とは別の『食費・居住費』についても諸物価の高騰もあり基本単価を上げて頂かないと、今のままでは素敵な食事の提供が出来なくなってしまいます。利用者負担には『減額制度』と言うのがあり、いくら法人で食費や居住費を上げても、減額への配慮をしなければいけない利用者が半分おみえになるので、標準単価を国で上げて頂かないと厳しい状況である事は間違いない事実だと思います。特養の入居基準が『要介護3以上』になった事により、入居者の重症化が進んでいる中、職員の多配をしていかなければいけないのも現実です。この現実を政治家やマスコミに訴えていかなければいけないと考えています。

リピーターの皆さん、この現実をご理解下さい。

蝉がしっかり鳴いています

 

 

朝のお墓参りの帰り道に幸福地蔵菩薩の所まで来るとしっかり蝉が鳴いています。「まだ、6時過ぎなのにこの鳴き方は暑くなると言う事か」と思った次第です。最近の最高気温は35℃を越えるのが当たり前で逆に最高気温が32℃等と聞くと「今日は比較的過ごしやすいのか」と思ってしまう自分がいます。人間の順応性の高さに驚いてしまいます。だって、私が20歳の頃、つまり50年前には35℃を越える日はめったになかった様に思いますが、今は当然の様に35℃を越えて、先般も岐阜県で39℃を越えました。39℃と言うのは人間の平熱をはるかに越えているのです。通常平熱が36℃の方が39℃の熱を出したらえらくて大変なのにと思うと信じられない温度だと思います。当施設のインドネシアの介護職員に「インドネシアと比べてどうなの。」と聞くと「同じくらいかな。」と言われたので「日本の夏は熱帯と同じか」と思った次第です。

話しは少し変わるのですが最近天気予報を聞いていて熱中症アラートの地区の話が出てきて不思議に思うことがあります。と言うのは日本の中でも気温の高い所として岐阜県がよく紹介されるのです。その中で近隣の愛知県や三重県に熱中症アラートが出ても、何故か岐阜県には出ないのです。別に熱中症アラートが出て欲しいわけではありませんが不思議でなりません。昨日は雷がゴロゴロ鳴っていて今にも「ザーッ」と雨が降ってきそうな感じがしたのですが残念ながら驚かされだけで雨が降る事は有りませんでした。但し、近い所では降ったのだと思います。と言うのは若干ではありますが涼しい風が網戸越しに入って来たものですから。土砂降りの雨が降るのは困りものですが30℃以上の気温で雨が降らないので少々の水を撒いても花は元気が出ません。(そんな中で元気に咲いているのは向日葵くらいですかね)いやいや、一度で良いのでバケツをひっくり返す様な雨が降って埃っぽい土も生き返らせたいし、草木も元気にしたいです。「したい。」と言っているだけではいけないので雨乞い踊りでもやりますか。リピーターの皆さん、こんな考え方では駄目ですかね。あまりに熱いので頭もあまり働かないのでこの様なコラムになりましたがお許し下さい。

本日から優・悠・邑 和合の施設長を拝命しました

私の立場は総合施設長であり、昨日までは本部施設に所属していたのですが、本日から優・悠・邑 和合の所属になったのですが、朝はいつもの様に4時25分のアラームで起きて仏間での祈りを終えてお墓参り(小坊主さんの水洗いもしました。)をして、シャワーを浴びて朝食を済ませて、いつもだと少しは休憩を取るのですが、休憩は無しで、スーツに着替えて優・悠・邑 和合に向かいました。7時30分に東に向け車を走らせる事は無いので「いつもと違って混んでいるな」と思いつつ走って行くと8時15分に着いたので事務所で行われている事務所での朝の申し送りには間に合い、夜間の報告を聞き、次に、伊藤副施設長から、本日の予定を聞いた後で、私なりの施設長としてのお話をさせて貰い、その後各フロアの入居者さんの所に行き一人ひとりの方に声を掛けさせて頂きました。突然の登場だったのですが概ね好意的に迎えて頂きホッとしました。再び事務所に戻り、10時30分から本部施設で行われる辞令交付式の準備の確認もしたいと考えて、9時30分に優・悠・邑 和合の施設を出て本部施設に向かいました。10時10分に本部施設に着き、辞令交付式が行われる会議室に行くと、既に会場の準備が出来ていたので事務所で郵便物の確認をしていると筆頭理事の岩田先生が来てくだれたので、辞令式で筆頭理事としてお話をして頂く事と私の辞令については岩田筆頭理事から渡して頂く事をお願いして、辞令交付式に参加する8名全員が揃ったので辞令交付式を行う事にしました。最初に理事長として私が挨拶をして次に岩田筆頭理事にお話と共に私への辞令を渡して頂きました。その後、私から、水野副施設長に優・悠・邑施設長の辞令交付をして、順次伊藤部長に優・悠・邑 和合の副施設長(業務担当)、吉田部長に優・悠・邑の副施設長(業務担当)、五次部長に優・悠・邑の副施設長(事務担当)の辞令を渡し、坪井部長は優・悠・邑 和合から優・悠・邑新館へ、伊藤課長には優・悠・邑本館から優・悠・邑 和合への、西川課長には優・悠・邑新館から優・悠・邑本館への異動に伴う辞令を渡しました。人事異動はとても難しいものではありますが、みんなの協力を得て今以上に素晴らしい社会福祉法人杉和会である様にしたいとの思いでの決断である事を話ししました。岩田先生が帰られてから書類の依頼をしなければいけない案件がある事に気が付き、岩田先生に連絡すると13時には事務所を出るとの事だったので、急いで冷やしうどんを食べて岩田先生に書類を届けると共に打ち合わせをして、13時30分から優・悠・邑 和合の伊藤副施設長と共に大垣市役所や大垣社協や近隣の施設へ新任の挨拶に行く事になっていたので再び優・悠・邑 和合に行きました。アポなしの訪問だったにも関わらず、しっかり話しをさせて頂いたので再び本部施設に帰って来たのは17時前で、帰ってきて全く書けていないコラムを書きだそうとしたところ、火災報知器がけたたましくなって、「何処かで非常のボタンを押されたのか。」と確認しても、押された形跡がなく、復旧の作業をしてもけたたましい音響は停まらないのでメンテの業者に連絡したり、セコムからの連絡の対応をしたりしてバタバタイライラしていて音響が鳴りやまなかった原因が火災探知機の劣化による誤報であることを水野相談員が見つけてくれて一件落着(僅か15分位の出来事でしたがめっちゃ長く感じました。)コラムを落ち着いて書き出したのが17時30分。今は18時50分でコラムが出来たのですが凄まじい一日でした。体重が2倍になったから2倍働けと言う事なのでしょうか。リピーターの皆さん、どう思われますか・・・。

「きのどくな」について

令和5年7月31日

7月28日にロボット・ICTの先進施設の情報を得る為に富山県の施設に行った帰りにお土産を買う為に寄って、富山と言えば『白エビ』と言う事で買って、その後お店の中をウロウロしていた時に写真の「きのどくな」と書いたお煎餅を見つけたので半分洒落のつもりで購入しました。その袋には「きのどくな」の意味は富山県の方言では「ありがとう」の意味だと書いてありました。確かに私が生活している関ケ原においても「きのどくしたな」の言い回しの中にも「大変ご苦労様でした。」と言う意味がありますので何となく理解出来ますが大きく「きのどくな」と書いてあると正直「どきっ」としてしまいますが確かにインパクトがあって目を引く商品名だと思います。

先般、優・悠・邑家族会の吉田会長と「今須の米は美味しいのでもっと積極的に売り出す方法はないのか。」と言う話をしていたので「消費者の方が興味を持って貰える名前を考えなければ。」と考えていたので「参考になるな。」と思った次第です。今須米が美味しい事を実証してくだれて自信を持ったのは2011年3月11日に起きた東日本大震災の時に一番最初にSOSが来たのは全国老人福祉施設協議会事務局から「水を送って欲しい。」との連絡を頂いてお送りして、しばらくしてから、その当時全国老人福祉施設協議会の監事をして頂いていた税理士の先生から「お米を送って欲しい。」との連絡を頂いたので家にあった古米の玄米を精米して送ったら、お礼の連絡と共に「若山さんの所で獲れたお米は美味しい。

東京の米は高いばかりで美味しくない。」と言われたので私は「実は送らせて貰ったお米は古米だったんです。」と正直に言うと「古米であれ程美味しいのなら新米はもっと美味しいのでしょうね。」と言われたので「今須のお米は最終的に大阪湾と伊勢湾に流れる分水嶺があり、谷から流れて来た冷たい水を朝早くにどっぷり田圃に入れて、昼間の太陽で段々水が温められる環境が美味しい米を作るのだと思います。」と自慢げに話したのを今でも鮮明に覚えています。

丹精込めて作って頂いたお米も購入して食べて頂かなければ意味がありません。最近は休耕地も目立つようになってきましたが、良い値段で売れる事になれば大々的に耕作地を拡げて「米を作ろう」と言う若者が出てくれば地域の活性化にもなります。当施設では地元農家をされている方への応援も兼ねて施設でのお米は1週間に1度精米をして持って来て貰っています。勿論美味しいからこその展開である事は間違いありません。リピーターの皆さん、是非今須米を購入して今須の活性化に協力していただけると有難いです。勿論美味しい事は私が太鼓判を押します。

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真逆の現象

令和5年7月30日

1枚目と2枚目の写真は毎日お参りにいっているお墓の周りの草が綺麗に刈ってあったので「近々、刈らなければいけない」と思っていたので「この気温が異常に高い中で草刈りをして頂いたのは本当に申し訳ないな。」と思いました。お墓の周りが綺麗になり、朝のお参りは益々爽やかな気分になりました。「草が生えると面倒くさいので、除草剤を撒くべし。」とのビックモーターの考え方ではなくて、草刈りをされているのは「お墓の主に除草剤が沁みて行くのは申し訳ない。」との考え方は「流石にお寺の管理は素晴らしい。」とも思いました。

① ②

さて、真逆の話と言うのは、3枚目の写真のたばこの吸い殻が我が家の玄関前の道路に落ちていたのを拾って写したものです。勿論その吸い殻は、我が家のゴミ入れに捨てました。今どき『たばこの吸い殻』を道路に捨てる人がいるのは驚きです。今は、灰皿がない車が殆どなのに、灰皿代わりに車から捨てられる方が存在する事にも驚きです。だって、歩きながら煙草を吸っている方も無くなってきたので、稀に自転車に乗りながら煙草を咥えているのを見ると感動もんです。

③

4枚目の写真はお墓の敷地内にある「小坊主」のモニュメントの頭の所に、べっとりと鳥の糞が付いていたのをバケツに水を入れてスポンジで綺麗にさせて貰い、「今日は大丈夫か」と確認すると鳥の糞は無かったのですが「朝から暑そうだ」と思った私はリュックサックの中のペットボトルの水を小坊主の頭に1本分かけて差し上げました。

④

5枚目の写真は「常在不滅之塔」の水入れに毎朝並々と水を入れておくのですが、最近の異常気象での高温続きで最近はいつもからからになっています。だから、最近は我が家のお墓と墓誌にもしっかりと水を掛けさせて貰うので、リュックサックの8本のペットボトルの水は今までは二日に回の割合での水の補給で良かったのですが、最近は毎日8本のペットボトルの水が無くなります。いつまでも35度以上の真夏日が続くとは考えられないので、今は8本のペットボトルの水を背中に背負って頑張って歩きたいと考えています。

⑤

毎日、朝のお墓参りをする様になって、ペットボトルの水は1本から始まり、2本になってからはビニール袋に入れてで、3本~5本までは布の手提げになり、6本からはリュックサックで背負って行く様に変遷してきました。今のところ8本からペットボトルの水の持参を増やす予定はありません。だってこれ以上のペットボトルは今のリュックサックでは入らないからです。今の状態でも5キロ近くの重さですからリピーターの皆さん、この状態で大丈夫ですよね。それよりも、毎日続ける事が大切だと思いますので見守っていて下さい。

 

久しぶりに関ヶ原診療所です

令和5年7月29日

10時30分の内科受診の予約なのですが、担当医に診て貰う前に検尿と血液検査があるので、9時過ぎに家を出て今は検査を終えて待合室でコラムを打ちながら受診の順番を待っています。今朝朝食を取りながら情報通の我が奥様かをりさんから今、話題沸騰の色んな意味でやってはいけない行為をしたビッグモーターの話を聞きましたので私なりのコメントをしてみたいと思います。

1つには「道路に植えてある植樹が枯れてしまった事に対して、除草剤を撒いた。と認め、会社の方針で葉っぱ一つ落ちていても駄目だとの指導があった」との話に対して私のコメントですが、環境を良くする指導は決して悪いことでは無いと思いますが、葉っぱ一つ落ちていても厳しい指導が有るとしたら、樹木があれば葉っぱが落ちるのはニュートンの万有引力の法則を出すまでも無くて当然の事です。自然の摂理に対抗しようと考えたなら樹木など無い方が良いと考える従業員がいてもおかしくないと思います。

極端な発想は罪作りな事をする考え方が出てくる事は江戸時代5代将軍綱吉の生類憐みの令が有名な話として証明しています。江戸の粋な町人は役人が水を撒けと言ったのに対して水の中にはボウフラがいますが宜しいですかささやかな抵抗をしたとか。経営者側にそんな意図がなかったとしてもそのような展開になることもあると言う事だと思います。命令をしている方が誰なのかはわかりませんが私は命令を下した絶対的権力者の方は掃除等した事が無い方なのでは無いかと思います。だって広い敷地に葉っぱ一つ落ちていない等と言うのは不可能だし、自然界ではあり得ない事だと思います。

もう一つ、高い所に手を持っていき、「埃がついている。との指摘をしていた。」との話を聞いて私は思わず私が50年前の学生時代の学生寮の意地悪な先輩が同じような事を言われたのを思い出しました。今の時代にそんなやり方があるとはどういう感覚の会社なのかと思った次第です。この様な行為を私自身の学生時代に戻って言うならば「ナンセンス」(懐かしい響きです。)と叫びたくなります。また、保険請求の水増しの為にゴルフボールを振り回したり、 ドライバーを使ってタイヤをパンクさせたりする行為もクローズアップされていますが、収益アップ至上主義の考え方からのものだと思いますが、この考え方を続けていると何れ破綻すると言う典型的な事例では無いかと思います。

今は診療所にいるので医療に例えて(お断りしておきますが、診療所がそうだと言う事では決してありませんので。)医療を例に話をすると、明らかに必要の無い薬を出したり、無意味な検査をすることは決して許される事では無いと思います。顧客のためでは無くて経営ありきの考え方では長続きしませんしいずれ暴露されます。当法人の施設は「今日一日楽しかったよ」を目指して頑張っていますのでリピーターの皆さんの応援宜しくお願いします。

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