大切なのはこころの向きだと思います
令和5年2月12日
大谷徹奘師の日めくりカレンダーの言葉です。「こころの向き」だと言われれば、私は地域の為には身を粉にして、また、地域のニーズに応えて頑張りたいと常に考えています。しかしながら、かつて児童養護施設に勤務していた頃に、県内の児童福祉の中心にみえた方で常に全力で話される方だったので私は尊敬していた方だったのですが、私が44歳の時に本館の完成をして50歳の時に新館を増床した頃に会合でお会いした時の休憩時間に私がいないと思われていたのか、それとも故意かどうかはわかりませんが私の事業展開について「拡張路線で行くのは良くない。」的な話をされていました。正直少なからずショックでした。私は決して私腹を増やしたい等とは考えた事はありません。地域のニーズに合わせて出来る事をしていきたいとの思いで頑張ってきたのに・・・。
私が特別養護老人ホームの建設に着手したのは38歳で児童養護施設を退職して児童の分野で私なりの思いを形にしたいと言う事でした。だから、大学の非常勤講師や家庭教師や時には講演をしながら個別指導に力点を置いた展開をしてきました。しかしながら、現実には我が家の経済力は厳しい状況に陥り、拠点となる施設を造らなければ何も出来ない現実の中で情緒障害児短期施設を計画して土地の確保や建物の図面まで作成してその当時の岐阜県児童家庭課に持ち込んだのですが、10年先にしか建設の予定はないとの中から紆余曲折の結果特別養護老人ホームの建設に対するアドバイスを頂き完成したのが本部施設本館でした。
完成して2年後には特別養護老人ホームの制度が措置制度から契約(介護保険制度)になり、入居の需要が急激に増えた事もあり、地域のニーズに合わせた展開と職員の頑張りの中での展開をしてきた事に対するコメントがあのようなものなのかと思うと正直愕然としました。その後の60歳の時に大垣に優・悠・邑 和合を造った時は「これから先に個室ユニットばかりを造ると、利用料が高くて払えなくなる方が出てくるとの考えでした。
2年前に造った盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)は岐阜県内に視覚障害者の養護老人ホームがないのは視覚障害者の方にとっての安心が担保されないとの思いでした。つまり私のこころは一貫して変わっていません。但し、児童福祉から高齢者福祉に変えた時には凄い葛藤があった事は否定しませんが、今は高齢者福祉で全くぶれる事無く頑張っていますのでリピーターの皆さん、私のこれからの展開についても見守って下さい。