今週は採血を2度しました。

令和5年9月16日

水曜日には大垣市民病院で、そして本日は関ヶ原診療所での血液検査です。検査する内容が違うので針を何度も刺されるのはあまり気分の良いものでは有りませんが。同じように採血をするにしても本日の採血は大垣市民病院とは違い受付をしたら直ぐに対応していただけたのでストレスが貯まる事は全くなかった為か血圧の数値は全く異常のないものだったです。但し、血液検査の結果にはしばらくかかるので今は内科診察前でガラケーの携帯でコラムを打ちながら待っています。

ここでも沢山の患者が待っているわけでは無いのでゆったりとした気分でコラムを打っている次第です。さて、本部施設での敬老週間は本日が最終日なので新館1階の入居者さんが当施設に入居されて、入居当初は要介護4で精神的バランスも悪くて全てにおいて介護が必要だった方だったのですが、3ヶ月程で生活のリズムが出来てからは自分で出来ることも増え、かつて趣味でされていた事を意欲的にされる様になり、元々は絵の先生に習われていたので、大きな絵を描きたいとの事でしたが流石にそれは叶わなかったのですが、その代わりにと言う事で千切り絵をされる様になり、その作品を多くの方に見ていただく企画を職員が提案して今回の敬老週間に合わせて個展の様に本館2階と新館1階を結んでいる渡り廊下50メートルの所に敬老週間の間、展示する事になっており、デイサービスの利用者さんも入居者さんも日程を分けて見に行って頂き勿論職員も見学をしてそこに置いてあったノートにそれぞれにコメントしてあったのはちぎり絵をされた入居者さんにとっても嬉しいものがあると思いました。

私も一つひとつの作品を見させて頂いているとちぎり絵を作成した本人が来て下さり説明を聞く事が出来ました。本部施設には110名の入居者さんが介護を受けながらの生活をされています。「個別ケア」を念頭に置きながらの提供に心掛けてはいてもなかなか110人おみえになったからと言って110通りのものを構築する事は出来ませんが、出来るだけ入居者さんそれぞれに合わせた計画・実践に心掛けていく事によって、入居者さん一人ひとりの方が「今日一日楽しかったよ」と言って頂ける様に職員一同がやりがいを持った対応が出来る様にしていきたいと考えています。

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そういう意味ではこの1週間の敬老週間での展開では職員にとっても「頑張ったからこその有意義」を感じて貰えたのではないかと思っています。リピーターの皆さん頑張っている職員の姿と生き生きとした入居者さんの姿を見に来て頂けると嬉しいです。

 

本日は和合の「そわか」でお話をします。

「そわか」は宗教用語だと聞いていますが開催する側の人間なのに意味をしっかり理解してなくてごめんなさい。ただ、「そわか」と名をつけていわゆる地域の中で「認知症カフェ」を月一回開催しているのです。地元の方でヨガを教えられる方がみえて毎回ヨガをして頂いたり、もちろんお茶やお菓子で会話を楽しんで貰ったり血圧測定等の健康チェック等をして頂くと共に講師を招いて(職員が担う事もあります。)お話をして貰う企画もあり、本日は私が講師役をさせて頂くのです。8月から和合の施設長になったので「そわか」の参加は2回目ですから、先ずは私の人となりを理解して頂く様な話をしたいと考えています。午前中9時30分から岐阜県庁での打ち合わせがあり、その後に弁護士事務所での打ち合わせ、岐阜県老人福祉施設協議会で事務局との打ち合わせと目一杯の予定を午前中に入れているのですが、岐阜県庁へ向かう渋滞が渋滞を避ける道をナビが教えてくれたお陰で早く着いたので話をする内容のイメージを膨らます時間が出来たのでイメージ出来た事を携帯に記憶させ午後からの「そわか」に備えます。結果は16時からの全国介護福祉政治連盟役員会が終了してから書く事にします。(只今17時40分ですがコラムを再開します。)岐阜県老施協事務局との打ち合わせに時間がかかり、(12時40分まで)「腹が減っては戦も出来ん」と言う事で和合に行く前にコンビニに寄って、おにぎり2個とパン1個を購入して和合の自販機でお茶を買い(110円で麦茶が買えるので)13時5分に和合に着くと「まだ、お客様は来てみえない。」と言う事で、携帯に記憶させておいたレジメの内容をパソコンで打ちながら昼食のおにぎりとパンをお茶で流し込む様にして食べていて、お客様が揃ったとの報告を受けて開会のご挨拶をさせて頂き、私の挨拶の後はヨガの時間になったので、一旦事務所に戻りレジメに基づいての内容の構想を走り書きで作っていると「出番です。」との事で会場に行き最初の挨拶代わりに「30分のお時間を頂いてタイムオーバーになるとタイムキーパーからブーブーとの合図があるとの事ですので30分で終了しますがレジメに書いてある6項目と内、下手をすると1項目しか話が出来ないかも知れませんがお許し頂きまたの機会を頂ければと考えています。」と言う事で小さい頃の虚弱児であった頃の母親の心情について話をさせて頂きました。久しぶりにリアルでの講演なので感情が入り予想通り3項目も話が出来なかったのですが、終了後高校の校長先生だったと言う方から「理事長さんは話が上手い」と褒めて頂いたので「また、この様な機会を作って下さい。」と返させて頂きました。その後お茶タイムになり(お好きな飲み物と宇治金時のカキ氷も)お客さんの所を回らせて頂き、2回目にしてお客さんとの距離がグッと近くなった様に思います。地域の方々との交流の機会を大垣でも多く持たなければと改めて思った次第です。

四年ぶりでも、全くお変わりない師匠です。

令和5年9月14日

昨日は、和(なごみ)で県福祉事務所による監査があり、残念ながら和合での笑福亭伯枝師匠のお姿を見る事は出来なかったのですが、17時30分に本部施設に自ら「なにわ」ナンバーの車を運転しておみえになりました。コミュニティハウスでは既に伊藤係長が中心になって交流会の準備が出来ており、(伊藤係長がブリ一匹を刺身としてさばいており、果物も綺麗に盛り合わせてありました。私が持ってきた取って置きの「菊姫」を、水野相談員が綺麗なバケツに氷を一杯入れて最高に美味しい冷酒に仕込み、カラオケの機材を吉田副施設長が準備して)伯枝師匠にはコミュニティーハウスでお互いに4年振りの挨拶を済ませてから、先ずはシャワーを浴びて頂き、18時ぴったりに再開を祝してビールもしくはノンアルコールビールで乾杯をして、会話とカラオケを楽しみました。

お酒を飲めるのは笑福亭伯枝師匠と私の他に、「泊まっていきます。」と言った伊藤係長と北島部長の4人だったのですが、氷でガツンと冷やした「菊姫」は最高で、伯枝師匠も最初は「この酒はヤバいです。」と言いながらも飲んで頂き、1升のお酒はあっと言う間に空になりました。ブリのお刺身も喜んで食べて頂き、21時30分までの時間がアッという間に過ぎてしまい「明日が本番だから。」と解散し、コミュニティーハウスでは2人の職員と伯枝師匠が仲良く寝たと思います。

私はいつもの様に4時25分のアラームで起き、これまたいつもの様に仏間での祈りとお墓参りをして、昨夜は結構お酒を飲んだはずなのにお陰様で絶好調です。昨日は午後が和(なごみ)で、本日午前中は和合での仕事だったので、午後からの本部施設での笑福亭伯枝師匠の落語のみ参加する事が出来ました。本部施設の入居者さん、利用者さんは乗りが良くて、師匠も話易かったのではないかと思いました。師匠の落語の時間も良かったのですが、終わってからの師匠が弟子入りした笑福亭松鶴師匠の常識外れしたエピソードを聞いたのがこれまた面白かったです。

4年振りの来演だったのですが、会場も2ヵ所から3ヵ所に増えたのですが、全く4年前と変わらないパワーで演じて頂けたのは良かったです。演じている中でもちゃっかりと「来年も呼んで下さい。」的なアピールも嫌味なくされたのは流石だと思いました。笑福亭伯枝師匠とのご縁は、滋賀信行会の内藤会長からの紹介だったのですが、敬老週間に合わせて落語会で思いっ切り笑って頂けたのは「正に長寿の源」と自画自賛しているのですが、リピーターの皆さん「当たらずとも遠からず」だと思うのですが・・・。

四年ぶりに落語家さんが施設に来ます

令和5年9月13日

コロナ感染症対策の一貫で外部から来ていただく企画をしないでいたのですが、今年5月8日からコロナ感染症が2類から5類になり少しずつ緩和の方向で移行していき4ヶ月が経過した敬老週間のタイミングでコロナ感染症前には敬老週間に合わせて関西落語の真打ちで笑福亭松鶴師匠の弟子である笑福亭伯枝師匠に敬老週間のメインイベントとして本日午後に和合で、明日午前に和(なごみ)、午後に本部施設で実演して貰います。と言う事で本日は午前中に大垣市民病院で定期検診で午後は和(なごみ)で岐阜県の監査の対応をしてから本部施設のコミュニティハウスで職員が計画してくれた「笑福亭伯枝師匠を囲んでの会」にさんかさせて貰います。

私はお酒を準備する事になっているので取って置きのお酒「菊姫」を差し入れする為に車に乗せました。本日の効率的に行いたいと朝の行動はいつもの様に4時25分のアラームからてきぱきと行い6時30分に朝食を頂き7時に家を出発しました。朝早かった為か渋滞にも巻き込まれず、いつもは混んでいる駐車場も一番近い所に停めて病院内の「外来パスポート」なる受けつけの機械の所まで行ったら長蛇の列・・・。最後尾の所に並んでも一向に進まないので「苛々するな。何でや。」と思ってよくよく確認するとまだ機械の操作が始まってない。待つこと10分で7時に50分に動きがありました。

長蛇の列をクリアして外来パスポートで手続きをして採血及び採尿の検査があるので2階の検査受付でずらっと並ばれているので最後尾に並ぼうとしたら「今はAの方をお呼びしてます。」との事で私のを確認すると「私はC―2なのでまだまだなのだ。忍忍」8時になり検査室の受付が始まって1グループ5人で20組呼ばれたので「Aグループだけで100人とは凄いな。これではどれだけ早く来ても駄目だな。」と思いながら忍耐強く待っていました。そしてようやくC―2を呼んでいただけたので列に並ぶと「地元の同級生に似ているな。」と思い名前を呼んで声をかけるとやはり同級生だったので、「お互いに病院でしか会えんのではあかんね。」等と話を弾ませました。採尿及び採血を終えて泌尿器科に行くとこれまた待合室はイッバイ。「やはり、いくら早く病院に着いても結局予約時間より遅くなることはあっても早くなることはないんだ。」と確信しました。改めて「病気の方はたくさんおみえになるのだ。

これぞ正しく予定は未定で決定ではない。」と思った次第です。【余談です】昨夜NHKの歌番組でフォークソング特集を見ていたら出演していた森山良子さんが「ノンポリ」なる言葉を使われたのに懐かしく思うと共に「そう言う時代に私も学生時代だったけど私は決してノンポリではなかったな。」と考え深いものが有りました。今も頑張れるのはその時代を一生懸命に生きてきたから今があるのか」としみじみ思った次第です。

 

私は赤ちゃんの様な人間なのかな・・・。

令和5年9月12日

リピーターの皆さんに先ずはお詫びをしなければいけません。と言うのは、昨日のコラムは内容の無い、正直意味の無いものをダラダラと書いただけのものだったからです。その理由が本日の表題なのであります。と言うのは午前中は和合での敬老週間初日で歌謡劇団てるてる座の皆さんの協力を得て102歳、100歳、99歳、88歳の方には直接てるてる座の催しを見られると共にそれぞれの方にメダルと花束を理事長としてお渡ししました。

11時までは歌謡劇団てるてる座の催しを見ていたのですが11時30分に岐阜県議会議員の先生の陳情があり中座して移動して、同席して頂く方と合流して陳情を終えて本部施設行き昼食を頂き、「本日もコラムを書く時間がなくなるといけないから13時30分からの本部施設での歌謡劇団てるてる座の前に少しでも書こう」と思いパソコンの前に座って「さてさてテーマをどうしようか」と考えようとしたのですが、突然疲れの為か眠気が襲って来て、「ここで眠るわけにはいけない。」と思いながらもテーマ等何も浮かばなくて、職員から何かを聞かれたりしても適格な事が答えられなくて・・・。

そんな状態に苛々している私を客観的に見ている自分がいるのです。これはAB型の血液型の性(さが)なのか、はたまた今話題騒然のVIVANNTの堺雅人主演の乃木の様に自分にしか見えない会話が出来ないもう一人の自分がいるのかはわかりませんが、赤ちゃんが眠くなるとぐずつくのと同じ現象なのかと思うと「70歳の私が『赤ちゃんの様』と言うのも如何なものか」と思いながらも「そう言えば眠くなってくると体温が上がってくる現象が未だあると言う事は『やっぱり赤ちゃん』なのか。でも年齢より若い時の現象である事は嬉しい限りだ」と思いながらも「いくら何でも『赤ちゃん』と同じとはと思うと嬉しいような悲しい様な複雑な気持ちでいます。但し、周りの方にはきっとご迷惑をかけていると思います。

だって、突然機嫌が悪くなったら周りの方は混乱すると思うから。赤ちゃんなら「眠くなったんだね」で済むのでしょうが・・・。本日も朝一で本部施設のバラ湯の為のバラを神戸町にある薔薇農園に分けて貰いに行き、疲れからか歯が痛いので歯医者さんに無理を言って11時30分から行き、午後は和合の幹部会と引き続きで大垣特別支援学校の先生との打ち合わせがあり、その後は17時から和(なごみ)の施設で設計をして頂いた設計士の先生と駐車場までの舗装の打ち合わせの対応があります。やる事がある幸せを嚙みしめながら頑張って行きますのでリピーターの皆さん応援を宜しくお願い致します。

久しぶりに各フロアが揃ってのボランティアです。

令和5年9月11日

本部施設において、規制を外してのボランティアの受け入れをしました。コロナ感染症での規制をしていた時は、デイサービスと本館1階の比較的元気な利用者さんと入居者さんだけで、その他のエリアはリモートでテレビ画面を見るだけだったのです。ほぼ4年振りに殆どの方に地域交流スペースに集まって頂きました。ボランティアに来て頂いたのは『歌謡劇団 てるてる座』です。私自身全フロアが集合してのボランティアを再開するのであれば、『歌謡劇団 てるてる座』からだと思っていたのですが、正直最高でした。

先ずは誘導を終えた方の配置を見て「これだけの方が参加されると気合が入るな。」と思った次第です。予定通り4人のメンバーで会場入りして頂いた段階で理事長としての挨拶で「久しぶりにおおぜいの参加の中でてるてる座の方も張り切って頑張って貰えると思いますので、思いっ切り楽しんで下さい。」と話をして4人のメンバーの自己紹介があり、本日は残念ながら座長の参加が無かったのですが、テンション高く進行して頂きました。

4人のメンバーの方はそれぞれに歌が上手いのは当然として、衣装にも凝られているのにはいつもいつも感心させられますし、感謝しています。入居者さんの様子を見ていても、テレビ画面ではなくて目の前でのショーですから、タンバリンや鈴を一生懸命に鳴らして下さり、一体感を持った素晴らしい会となりました。歌謡劇団てるてる座の皆さんは「入居者さん、利用者さんを如何に楽しんで貰うか。」「喜んで貰うのが嬉しい」の考え方が素晴らしいと思います。ボランティアの方がそこまでしていただけるならば、専門職である職員はそれ以上でなければと思っています。

私が特別養護老人ホームの建設を計画している頃から「誰もが家に於いて介護されたいと思っていると思うが、それが叶わない方がおおぜいみえるから施設が存在する。存在するのであれば、施設に於いて『今日一日楽しかった』と言って頂ける様な施設にしていきたい」と考えてきました。コロナ感染症の影響が3年以上続いた事によってなかなか出来なかった事が少しづつ緩和されてきた今だからこそ、頑張って「今日一日楽しかった」が言える施設の再構築をしていきたいと考えています。リピーターの皆さん今後の展開を見ていて下さい。

和合の施設で突然だったのですがカラオケをしました。

令和5年9月10日

1階の利用者さんにご挨拶をしてから2階に上がって各入居者さんにご挨拶をしている時に、入居者さんの中で「立派なお腹やね」と言われた事に私は敏感に反応して「このお腹は歌を歌う時にお腹一杯に声を出した方が上手に歌えるからなんです。」と言ってから、「今のサブちゃんより上手いです。」とぬけぬけと答えると、入居者さんの方から「だったらカラオケ聞きたい。」との事だったのでフロアにいた職員に断りを入れてから事務所前に置いてあるカラオケの機械を2階に運び、カラオケが出来る様にセットしていると、2階の職員も協力してくれてギャラリーが出来ました。「一気に盛り上げたい。」との思いで、「サブちゃんより上手い」と言った手前「18番中の18番の北の漁場を歌おう。」と言う事で頑張って歌いました。

マイクが良かったのか私が上手だったのかはわかりませんが、ギャラリーの皆さんがしっかり聴いて頂いている事がわかったし、手拍子をして頂いている方も多くみえましたし、リズムに合わせて指揮を取る様に聞いて頂いている方がみえたりして、いきなり私自身絶好調になり、2曲目は18番中の17番の鳥羽一郎さんの『兄弟船』を、これも気持ちよく歌わせて頂きました。その後も「あと1曲、あと1曲」と調子に乗って歌わせて頂いたのですが、2階のフロア全部に響くような歌い方だった為か、急遽駆け付けて下さる方もあり、ギャラリーへの参加が増えていきました。自分で言うのも変ですが、入居者さんの表情が豊かになった様に思いました。

最後の曲は松村和子さんの「帰って来いよ」の替え歌で「桃から生まれた桃太郎」「まさかり担いだ金太郎」「亀に乗ってる浦島太郎」の繰り返しを歌っていると、口ずさんで下さる方が多くみえて楽しそうにされていたので、7曲歌い終わってから「カラオケに呼んで頂けたら喜んで飛んできます。いやいや飛んでは来れませんが、時間が合えば喜んできますので宜しくお願いします。」と言うと、自然と皆さんから拍手が頂けたのには私自身が幸せな気分になりました。

1階の事務所に戻ろうとすると遅出の職員が出勤してきたので、「今度はカラオケでデュエットしようね」と軽口を叩くと「私カラオケだめです」と困った様に言われたので「私は小さい頃音痴だったけど回数こなせば上手になるよ。」等と話をしました。まだまだ和合の施設長としては新米ですが、私が出来る事を頑張ってやっていきたいと考えています。

本格的に朝のお参りとお墓参りをしました。

令和5年9月9日

9月4日で合宿を終えて、「翌日から朝のお参りを復活させなければ」と考えていたのですが5日、6日とはアラームが鳴っても起きる事が出来なくて7日の日に何とかのたうち回りながら起きたのが5時30分だったので仏間でのお参りは無しにしてお墓参りには何とか行く事が出来、8日の日には仏間でのお参りもお墓参りも出来たのですが、お水を持って行けずとの体たらくでした。しかしながら本日は4時25分のアラームで神棚と仏壇のお水替えをして、神棚での祈り、七福神での祈りとお仏壇でのお経を終えて玄関先で靴を履き、リュックサックを背負って出発しようとしてリュックサックのペットボトルの水が空っぽだった事に気が付き再び台所まで行き8本のペットボトルに水を入れてようやく家を出ました。

外に出ると秋らしい空気に変わっていることに気が付きしゃんとしていなかった体がシャキッとして完全復活のギアが入りました。と言う事で本日は爽やかに歩く事が出来て、幸福地蔵菩薩様の花立に水をさし、幸福地蔵菩薩様にもしっかり抱き付きお願い事もしっかり出来ました。国道21号線、東海道本線下のトンネル内では「南無大師遍照金剛」をそれぞれに2回づつ大きな声で唱える事が出来てトンネル内に響き渡って、ますます気合いが入りました。

本堂では護摩木に「心願成就   今須門前    若山宏」と書かせて頂きました。お経を唱えているとご住職が本堂にみえたようなのですが、私の存在に気が付かれた為か本尊様の後ろ側に回られたので「凄いご配慮だ。」と思いつつお経を唱えさせて頂きました。引き続き今須稲荷に行き、ここでも一生懸命に願いを込めて祈らせて貰い、かしわ手を打った後で『気』を入れると素直に空に向かって届いた様に感じられますますテンションが上がりました。

3仏様(観音菩薩様、毘沙門天様、不動明王様)ではそれぞれの湯飲みに水を入れさせて頂き、「久しぶりで ごめんなさい。」と手を合わせました。3仏様の左手向こうに2つのお社があり6段上がり「久しぶりにお水を替えさせて頂きます。」とつぶやいて、花立の花が枯れているのが気になったのでリュックサックから広告の紙を取り出し、花を半分に折り、広告紙に包んでリュックサックに入れて家に持って帰る事にしたのですが、あまりに花立が汚れていたので水道場に行き綺麗にさせて貰いました。花立ても綺麗になり気分も良くなって、手を合わせた後に『気』を入れるとこれまた天まで届いた様に感じました。

その後に関ヶ原与市のお墓でも久しぶりに10体の小さい石仏と関ヶ原与市のお墓にしっかりと水をかける事が出来ました。次に無縁仏の中央にいる地蔵菩薩様のお姿を見ると前掛けはされているものの帽子をかぶられていないので階段を登って確認に行くと帽子がかなり 飛ばされていたので最初は金剛杖で少しずつ手前に引き寄せていたのですが途中から上手くいかなくなったので、無縁仏様の上に体を乗せて何とか帽子を引き寄せる事が出来たので帽子をしっかりかぶせさせて頂きました。

階段から下りて帽子の確認をするとしっかりかぶれていたので、改めてご真言を唱え、続いて常在不滅之塔の所に行くと六地蔵様が仲良く寝てみえたのは何となく微笑ましいと思ったのですが「寝させておくのならばせめて枕を頭の下に敷いて欲しいな。」と思いました。六地蔵様は何の文句も言われないとは思いますが・・・。

最後に若山家のお墓に行き久しぶりに我が家の水をお供えする事が出来ました。いつも以上に気合を入れてお墓参りが出来たのでリピーターの皆さん「完全復活」と言う事で明日からも頑張りたいと思います。

 

素晴らしい講演会でした

令和5年9月8日

昨日13時30分から岐阜県図書館において岐阜県主催による「認知症講演会及び岐阜県認知症希望大使委嘱式」が開催され、若年性認知症の方の講演会と言う事で興味があったので私も一般申し込みをしておいたのですが、主管されている岐阜県高齢福祉課長さんが前日に電話を下さり「若山宏さんと言う名前が参加者リストにあったのですが、会長と同姓同名の方がおみえになるのですか。」との連絡だったので「私自身、興味があったので申し込みをしたのですが。」と言うと「会長さん自らが申し込みをして頂いたのなら、受付で名前を言ってもらえば、係りの者が指定席に案内しますし、7月から厚労省より出向された新任の健康福祉部長にもお会いして頂ける様にしますので、宜しくお願い致します。」との事で「色んな意味で配慮して頂けるのは有難いけど、少し窮屈だな。」と思った次第です。

昨日は13時30分からの開始だったのですが、「健康福祉部長にご挨拶をさせて頂けるのならば早く行かなければ。」と言う事でナビを頼りに行ったのですが、13時には岐阜県図書館に以外と早く着いたので、余裕を持って受付か出来、係りの方に最前列に案内して頂くと、高齢福祉課長さんが迎えて下さり、新任の健康福祉部長さんを紹介頂き名刺交換をすると共に、当法人のパンフレットと11月29日、30日に岐阜で開催される全国老人福祉施設協議会岐阜大会の開催要項もお渡ししました。

13時30分に予定通り始まり、開会の挨拶を高齢福祉課長さんがされた後、新岐阜県認知症希望大使の委嘱状交付を健康福祉部長から手渡され、13時50分から「認知症とともに笑顔で生きる~聞こえますか、認知症当事者の声~」との演題で、講師はおれんじドア代表・国認知症本人大使「希望大使」の丹野 智文氏の講演を聞きました。講師の丹野氏は39歳の時にアルツハイマーによる若年性認知症と診断されて10年になられるとの事です。講演では元気な声で生き生きと話されるのは凄い事だと思うと共に、アルツハイマーと診断された時には、目の前が真っ暗になられた事は39歳の働き盛りの時ですから、当然な事だと思います。但しお話を聞く中で丹野氏を取り巻く環境が良かった為に、仕事の内容は変わっても(営業職から事務職に)会社を辞めなくて良かったのは幸運の持ち主だと思いました。また、周りの人の配慮も素晴らしいものがあり、正に『共生社会』と言う事か。勿論さり気無くお話をされていましたが、記憶を失くした時への工夫をされての生活の姿を理解する中で、丹野氏は稀な方だと思いました。つまり「苦労を苦労と思わない性格」であったが為に、講演の端々に自信の漲った話し方がじんじんと伝わってきました。私もどちらかと言うと人並み以上に稀有な生き方なので全く生き方は違うが親しみを覚えた次第です。

 

事前に教えて頂いていたので大丈夫でしたが

3週間の合宿の後の2日間は実行出来なかったのですが、本日から4時25分のアラームからの平常の生活に戻ることが出来ました。

仏間でのお参りを終えて外に出て「正に秋じゃ」と思いながら軽やかに幸福地蔵菩薩様に行くと、帽子と前掛けが新しくなっていたのは良かったのですが「笠がない。」と言う事だったのですが、これまた以前の様に幸福地蔵菩薩様に抱き付きながらお願いしていて幸福地蔵菩薩様の背中をさすろうとしたら笠が背中に有りました。

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「夏は帽子だけで良いので、雪の時期になったら傘をかぶって頂いたら大丈夫と言う事か」と安心しました。

本堂に行きお参りをしようとすると線香立てにお線香が一本立っていたので、感謝と共にお経に気合いが入りました。

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その後に今須稲荷、三仏(観音様、毘沙門天様、不動明王様)関ヶ原与市の墓とお参りして行くと「六地蔵様の社が無い。」とわかったのですが、デイサービスの運転手さんから合宿中に「六地蔵様がなくなっていますよ。」と聞いていたので「何処かに移築してあるはずだ。と余裕を持って確認することが出来ました。そして常在不滅之塔の所に建物が有り、六地蔵様はその横に寝てみえました。「何らかの理由で場所が移動したのやな。」と思った次第です。

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もしも、事前に聞いていなければきっと私の事だから頭が真っ白になった事だと思いますのでここでも「情報が命」と改めて思った次第です。リピーターの皆さんもネットワークを大切にして下さい。

なお只今18時25分ですが19時から岐阜県庁で感染症対策連携会議があるので、会議終了後にコラムを書く気力は無いと思うので、若干短いですがこれにて県庁に移動します。

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