大学時代のサークルの仲間14人と下呂温泉で一泊して旧交を温めて来ました

卒業以来30数年ぶりにあった友人もいて、お互いに「このおっさん誰?」しばらくして、かつての面影を見つけて「あっ!長坂君」「あっ!若山」。そこからは、30数年の時空を超えて思い出話しに花が咲いて。ホテルに16時に着きゆっくり温泉のお風呂に浸かり、部屋に戻ると部屋の電話がけたたましく鳴っているので慌てて受話器を取ると「食事前に飲むぞ。」決して嫌いではない私は、慌ててコップを手に駆けつけて。(そう言えば昨日は夏祭りを主体的に担ってくれた職員8人と浴びる程飲んだんだったっけ・・・・・。)食事の時も、思い出話に花を咲かせながらがんがん飲んで。2次会?3次会?のカラオケルームでは飲んで歌って話しをして。
今回の世話役をしていただいた高木君の計らいで60歳を迎えた先輩と一浪して入学してきた同級生と留年して同級生になった5人が赤いちゃんちゃんこに赤い頭巾をそれぞれに被って記念写真。「私も来年はあの格好をしなあかんのか・・・・・。」でも、30数年の時を超えて楽しかった。英気を養ったので新規事業も気合を入れて頑張りますので、大垣の新規事業共々宜しくお願いします。

大垣市高齢福祉課から新規事業の選定結果として選定された旨が送付されてきました

プレゼンテーションが実施されたのが8月18日で、待ちに待った結果として「選定されました」と言う文字を目にした時は、「天命を待つ」とか「やるべき事はやって悔いはなし」とか言ってましたが、不安な毎日でしたので正直嬉しかったしほっとしました。しかしながら、いざ、決定通知を頂いた今、これからやらなければいけない事が山積みされている事と不安材料にしばし呆然!確かに人材確保のノウハウは蓄積されてきたとは言うものの、現実として100名あまりの人材確保が出来るのか不安ですし、果たしてアメーバー方式が通用するのか?その時に取った行動として、大垣市高齢福祉課にお礼と今後の指導を仰ぐ為に車のハンドルを握っていました。

地元消防団の若者と当法人の職員とのバーベキューによる交流会を実施しました。

事業開始から15年目にして始めて実施出来た交流会には、私自身感無量でした。と言うのも、平成8年に事業設立の為の地元説明会をさせていただいた折、地元の長老格の方が「大きな施設が出来て、若い職員さんがこんな山がに来てくれて、一人でも二人でも嫁さんに来てくれる人が現れたら結構な事やないか」と言って頂いて、参加されている皆さんが一様に納得されたのを昨日の事のように覚えています。事業開始当初は地元採用者が少なかったのですが、今は地元採用も増え関ヶ原町の男性職員が職場内結婚をして所帯を持っているケースも現れてきましたが、あの当時の長老さんのご意見が現実になるように、第一興商のDAMのカラオケにミラーボールにスポットライトもあるし、70人は収容できる会議室もあるしがんがん交流をして今須の活性化に少しでもお役に立てればと考えています。

天命を待つ

夏祭りが終わり、東京日帰り出張に続き親子体験が終わり、腰を据えて8月18日に行なはれる大垣市の特養新設のプレゼンテーションの為の原稿作成と補足資料の作成とバタバタでお盆のお墓参りだけは何とか3箇所(父と母の地元の墓と姉が嫁いだ所の墓と先代理事長の養老にある墓)出来ましたが、それ以外はプレゼンテーションの読み合わせ時間に充てて、18日当日まではドキドキイライラで・・・。予定の4分の発表時間については3分45秒でピタリクリア。選定委員の方からの5分間の質問についても私なりにしっかり答えれて。つくづく感じたのは、頑張って実践してきたから質問にも答えれてありがたいな、と言う事。今日は月に1回のバイキング(鮎づくし)の料理を、プレゼンテーションの結果は「天命を待つ」とばかりに、地元の老人会に5名のご招待客をお送りしてから、ゆっくり味わいました。

ほっとする事も無く・・・

ほっとする事も無く本日、東京で全国老人福祉施設協議会の役員会の為に出張で、今は新幹線の中でブログの原稿を書いています

8月5日は杉和会の一大イベントが好天気に恵まれた事と職員の提案実践により地元の保育園、小学校、中学校及び300軒近くの家にもうちわやチラシを配った成果として昨年をはるかに上回る千人近くの方が参加してくださり、おかげ様で外の食べ物(綿菓子、かき氷、ねぎま、たこ焼き、イカ焼き、おでん、冷やしうどんなどなど)ちなみに、ねぎまは千本準備したのですが…。焼きそばは昨年の400食をはるかに上回る準備をしたのでなんとか、8時の終了までありましたが。昨日は起きたら腰が痛いなか、片付けをしている職員を労うのがやっとで〓本日出張なので明日岐阜県主催の親子体験で五十人から施設にお見えになる打ち合わせとバタバタでした!本日の救いは腰の痛いのが収まったので頭の回転も良いので、事務主任に関ヶ原駅まで送って貰いながら、夏祭りのお礼状の手配の打ち合わせをして。有り難いのは、職員が頑張っていてくれること!私も腰が痛いとへこたれてないで、出張から帰ったら、大垣市のプレゼンテーションがより良いものになるように、そして、大垣市での計画が選ばれて職員のモチベーションが今以上に上がるように気を引き締めて頑張っ行きますので、ますますのエールをお願いします〓

ばたばたの毎日です

ゴルフもしないし取り立てた趣味も特技もない私に「一日中自由な時間を過ごして下さい。」と言われても困るのですが。流石に大垣市の新規事業のエントリーの為の打ち合わせ及び書類作成(304ページ分)でばたばたの毎日。書類の受理をしていただいて気が付けば夏祭りまでに後2日!夏祭りの景品やゲーム用品(スマートボール・水風船)反省会用のつまみを買いに行ってない。打ち合わせもまだ不十分。8日の日は岐阜県事業の親子体験。大垣市のプレゼン(ヒヤリング)が8月半ばとの事。あまりに余裕がない。でも、でも、頑張るしかない。でも、良い事もありました。地道な活動をホームページでがんがん載せてきて、私のブログも不定期とは言え結構なものになってきて年間アクセス数35万件を超え、大垣にあるNPO法人くすくすの代表の安田さんから子育て支援の状況を見学に来たい旨の連絡がありホームページを見てとの事。頑張れば頑張った結果がでることがわかり少し元気になりました。

寝ているのが勿体無くて

昨日までの東海北陸研修大会岐阜大会in高山の大会が終わり、くたくたの身体だった為か、折角久しぶりに帰って来た次男に対し色々と話ししたかったのに、半分ウトウトしての話しで・・・・・。(でも元気に仕事している話しが聞けて嬉しかったのですが)九時過ぎに次男が帰っていったので直ぐにベットに横になりバクスイ。良く寝たのに外は暗いので、何時かなと時計を見ると5時前。雨が凄く降っていて暗く感じただけで起きても十分の時間。「寝ているのが勿体無くて」と言う事で、施設に来てパソコンに向かい大垣市の計画の骨子の修正が終わったので、今、ブログの原稿を打っています。早起きは三文の徳が得になるような気分。早寝早起きは健康にも良いし。
今日は、9時には長浜日赤病院に事前訪問、月1回のお経を読む日で、教育課程の学生が事前指導の為に30人近く来るし、大垣のプレゼンテーションの為の打ち合わせ会もあるし。バタバタの一日になりそうですが「寝ているのが勿体無くて」の一日が幸先良く始まったので今日も一日頑張ります。

改めて気を引き締めています

昨日、午後4時から当法人の理事会が開催され、大垣市が平成25年度に計画された特別養護老人ホーム80床のプレゼンテーションにエントリーする事を正式承認していただきました。関ヶ原町今須に平成10年に優・悠・邑の事業開始をさせて頂き15年目を迎えて、職員のスキルもモチベーションも高い状況にある今こそタイミング的に良く、西濃圏域での情報発信をより効率良くしていく為にも頑張って当法人が指名されるようにと改めて気を引き締めています
施設開設当時は、児童養護施設指導員時代の強引さと理念、そして、基盤もない中で出来たと言う事での舞い上がりによって職員との乖離がひどく、「優・悠・邑が売りに出ている。」等との中傷もあり、職員の離職率が30パーセントを超えた時期には正直立ち往生して胃が痛くなるような毎日でしたが、自ら施設長を辞し一職員として現場に入った1年半を経て、職員との乖離も無くなり、今は、何処に出しても恥ずかしくない職員が多く育ち職員のモチベーションを上げる為にも、頑張る事をここに宣言致します。(朝5時から事務所のパソコンでの宣言でした。)

全国老人福祉施設協議会主催の災害時におけるリスクマネージメント研修イン神戸を受講してきました

新神戸の駅に面したANAクラウンブラザホテル神戸で6月28日29日の二日間の日程でしかも二日目の終了時間は午後5時(ちなみに一日目は午後6時まで)タイトな日程でしたが、中味の濃さと今後の施設運営に生かすべき内容が多く満足のいく研修でしたので報告させて頂きます。
一日目は13時スタートと言う事で10時15分米原発の新幹線に乗れるように、参加者である私と副施設長と伊藤主任は施設に9時に集合して公用車であるアルファードで米原に伊藤主任の運転で行く予定をしていたのですが、、中日新聞の記者が関西電力の計画停電(岐阜県で唯一、当施設がある今須地区だけが関西電力)に伴う電話取材が9時にあり、バタバタと荷物を積み出発。車を駐車場に預け、大阪で乗り換え11時半には神戸に着き、早い昼食をとって会場がある10階に移動して、全国老施協の役員や事務局の方に挨拶(新潟の加藤先生も村上研修担当課長さんも元気でした。)中山全国老施協副会長による開会挨拶及び基調報告があり、講義1「行政説明」は内閣府被災者行政担当参事官補佐の鶴見氏により国の取り組みについて説明を受け、内閣府のホームページで常に情報を理解する必要性を理解しました。講義2「広域連携と相互防災協定を推進するためにー先駆的事例からー」と題し山形県老人福祉施設協議会副会長 峯田氏による熱い話しを聞き、他の県との連携の大切さと何かを推し進めるには素晴らしい人材が必要な事を痛感しました。一日目の最後の講義3「高齢者福祉施設におけるBCPについて」と題し元東京都総合防災部情報統括担当課長 齋藤氏の話しで事業継続計画の大切さを学びました。
二日目は午前9時から1時間の昼食休憩を挟み午後5時まで「自施設の危機管理体制の見直しと緊急時対応力の向上にむけて」と題し、びわこ学院大学准教授 烏野先生による講義とそれに引き続き演習に烏野先生の他に㈱インターリスク総研上席コンサルタント 砂川氏と細井氏が加わり、全員参加の図上訓練を5W1Hで考える方法で実施しました。参加型だったので時間の過ぎるのは早かったのですが、烏野先生が演壇の上から私へのメッセージのように「ここに理事長さんもお見えだろうし副施設長さんや主任さんなどがこの会場にいて、今大きな地震が来て、指示を出す職員がいなかったら大変です。この研修を契機として是非色々な検討を始めて下さい」。烏野先生に言われるまでもなく、ハード面もソフト面も充実させなければいけないと痛感した研修でした。

大学を卒業して・・・

大学を卒業して神戸町立北小学校4年3組35名を担任していた時の事を今の私の立場を踏まえて書く事にします。
昭和53年4月に4年3組の担任となった初日の目標は全員の児童の顔と名前を一致させる事だったと思います。勿論、担任に決まった日に児童35人の資料を頂いていたので、それなりに頭に入れておいたのですが、最初に教壇に立って挨拶した時には舞い上がっていて、何を話したかよく覚えていません。ただし、顔と名前を一致させる事は覚えていたので、名簿を見ながら子どもに起立して貰い、一人ひとりに思い付くままにインパクトのあるコメントをしようと努力した事は覚えています。ただし、それだけで35人の名前を覚えられる程頭が良くない私は、一分一秒無駄のないように子ども達との接点を持つ努力をしました!1日が終わり家に帰って資料にある顔を見て名前を言って行ったのですが、3人だけはどうしても名前が言えなくて自分の不十分性に腹を立てた事を覚えています。
そんな私が、初めての校内研究授業を6月に行った時は板書は全然しない!ビデオを見る為の操作は出来ない!45分の授業なのに10分も残して話しする事はない!研究会の後の指導では有りとあらゆる酷評の嵐!その当時の若原校長先生からは、「何も優れた事はなかったけど、若山先生頑張れと言うメッセージを子ども達みんなが持っていたのは若山さんの素晴らしさかな」・・・・・。その次の日から毎日毎日若原校長先生の窓越しのチェック!若原校長先生の足音が廊下に響くと子ども達が「校長先生が来た来た」とみんな緊張感を持ってくれて涙がでる程に嬉しかった事を覚えています。それからも、はちゃめちゃの教員生活でしたが、9月に県の教育課長さんによる指導を受ける事になり、私なりに6月よりははるかに頑張り自分で言うのも変ですが、パーフェクトに近いものが出来、その日を境に校長先生の窓越しのチェックはなくなりました。
今回のレポートは、こちらから指示を出さなくても出来る組織になるにはどうしたらいいのかを考えている時にふと回想したことをレポートしました。

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