本日は月1回のバイキングで鍋料理です

令和7年1月14日

本部施設において月1回のバイキングです。外はやや少なくはなりましたが雪景色です。つまり鍋料理の雰囲気に味方しています。鍋はそれぞれのフロアに準備され、鍋の中の具材としては『白菜』『春菊』『長ネギ』『鶏団子』『たら』『豆腐』『椎茸』『生麩』と盛りたくさんです。しかも鍋料理の他に刺身として『まぐろ』『はまち』があり、副菜に『きゅうり』『しらす』『わかめ』の酢の物です。主食は卵雑炊で『ごはん』『卵』『あさつき』とロールパンサンドで『つな』『いちごジャム』で、デザートには果物の盛り合わせで『いちご』『りんご』と言う豪華なメニューとなっています。メニューを紹介しただけでリピーターの皆さんも「美味しそうで豪華だな」と思って頂けるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

実は昨年4月の介護報酬改正によって『居住費』は1日60円基準額が上がったのに『食費』については全く上がらなかったのです。私は「食糧費も厨房職員の人件費も上がっているのに何故に上がらない。」と思っていたら、事業所の中には「魚の切り身を小さくした。」「おやつを廃止した」「行事食を無しにした」との入居者さん利用者さんにとって不利益な事をして対価を抑えている実態がありました。

私はその様な考え方に怒りを覚えました。勿論「経営が成り立っての運営」である事は百も承知していますが、入居者さん利用者さんに不利益を強いる前に国への働き方をするためのエビデンスを作り訴えて行くことが先ではなかったかと思っています。

当法人はあくまで入居者さん利用者さんファーストの考え方の中でも精一杯に頑張っている職員給与への配慮もしていかなければいけないので、頑固に『今日一日楽しかった』の中で笑顔溢れる施設にするために頑張っていきますのでリピーターの皆さんの介護の今後についてのご理解を益々宜しくお願いします。だって「ワクワク感の無い日々では、つまらないでしょ・・・。」

靴下を履くのが嫌いな私です。

令和7年1月13日

突然に『靴下を履くのが嫌いです。』と何の脈絡もなく言われても、リピーターの皆さんは「何のこっちゃ」と言う事になると思いますので、少しその理由をお話します。

本日13時30分からの『てるてる座』のステージショーがあり、終了後には今年初めてのボランティアと言う事もあり、コーヒーにショートケーキを付けて出した時の話題で、私が小さい時は虚弱で冬になると手も足も霜焼けで真っ赤になって、リンリンに腫れている時は痛くて痛くて、母秋江さんが傍にいる時には甘えた声で「痛い、痛い」と言っていて、少し治りかけた時にはむず痒くて、靴下を履いていても直ぐにぬいてしまう癖がついていて、今でも靴下は家に帰ると冬の時期でもぬいでしまう癖になっていて「靴下は嫌いです。」と言う事です。

「私、綺麗です。」の話です。

本日のてるてる座のボランティアがあまりに楽しそうだったので、私はてるてる座の方に私を「ドレスを着て乱入したい。」と売り込んで、急いでドレスに着替えて八代亜紀の『舟唄』を歌い、次に石川さゆりの『天城越え』では、かなり肌が見える状況で歌いながら「肌がすべすべ」と悪乗りしながら歌いました。参加されている入居者さん、利用者さんも度肝を抜かれながらも大うけで、歌いながら「よ~く声が伸びとるな」と自画自賛でした。社会福祉法人理事長自らがこの様な事をするのは如何なものかと言う考え方もあると思いますが、『率先垂範こそ大切』との信念でこれからも頑張りますので、これからもリピーターの皆さん注目していて下さい。

 

何を無駄と言うのか

令和7年1月12日

12月に入り、年賀状の取りやめのハガキを多く頂いたり、今年の年賀状の末尾に「近年の社会情勢を鑑み、年賀状でのご挨拶を本年で最後にさせて頂く事といたします」との文面の年賀状が多くありました。そこで私の考えを述べさせて頂きます。当法人では、年賀状の代わりに1月1日付けの広報誌を作成して、盛りたくさんの情報を掲載しています。また、法人としての取引がある業者さんの中には、年賀状も頂いた上で年始の挨拶におみえになる丁寧なところもありますから、考え方は様々だと思います。

そんな中で、年に1回年賀状でお元気だとのお便りを頂くのは大切な事だと思います。また、1枚1枚丁寧に筆書きの年賀状を頂いたり、家族の写真付きの年賀状を見ると、ほのぼのとした気分になるのは私だけでしょうか。日本の風物詩の一つだっただけに、オリジナルな年賀状は続けて頂きたいものだと思っています。無駄を省く事は決して悪い事ではありませんが、変化のある時を刻む事は大切な事だと思います。そういう意味では年賀状の風習が始まったルーツを知る事も大切だと思います。

【年賀状のルーツは平安時代と言われていますが、現在のようなはがきスタイルになったのは、1873年(明治6年)に登場した官製はがきがきっかけです。(年賀状を出す意義についても述べられています)①1年の感謝を伝える・・・お世話になった方に、1年の感謝の気持ちを伝えるのに年賀状を出す人が多い。②普段会わない人と連絡が取れる・・・年を重ねると、近くにいても旧友や恩師に会う機会が減ってきたりします。しかし、1年に1回のやり取りがあれば、会えなくても繋がっている感じがします。③関係が深められる・・・友人だけでなく、親族や仕事関係の人に出す事で、お互いの信頼関係を高める事が出来る。】

ルーツを理解してつくづく思う事は、はがきではなくスマホのラインで事足りている事が一番大きいのではないでしょうか。でも、ラインではオリジナルな作品は多分無理だし、日本人的『情緒』とか『わびさび』とは程遠いものになってしまうと思います。こんな事を言う私はやっぱり『昭和おじさん』なんでしょうね。でもでも昭和おじさんで何が悪いんですか。『古きよきもの』は一杯ありますろ。

 

年1回の京都三弘法に参加しています。

令和7年1月11日

家を出た時に雪がちらついていました。いややなと思うのではなくて、悪縁を含めて綺麗にしてくだれる雪だと思っています。長浜本部に着くと懐かしい顔が多くあり、青年会での時代までいきなり戻った気分になりました。7時になり、内藤会長が導師で本部に集まった方で無事祈願のお参りをして、バスが来たと言う事でバスまで移動してバスに乗車して、一路京都へ。

私が乗車したバスは1号車で、40人の参加者と運転手さんとガイドさんの総勢42人です。バスの中は久しぶりに会った方が一杯の話をされているので、賑やかな雰囲気です。今は多賀サービスエリアで20分のトイレタイムで、私だけがバスに残ってコラムをスマホの画面に向かって目が点になる様な感じで打っています。

京都三弘法は神光院、仁和寺、東寺の3カ寺をお参りすると1年間幸せでいられる。との事で今年もご縁を頂けました。今は嵐山で昼食を食べて、最後の目的地である東寺に向かっています。京都は晴れているので有り難いのですが、長浜を出発した時は雪が降っていたのでなるべく早く帰る配慮をして頂けたので、明日は大役が待っているので助かります。正直上手く流れている様に思っています。今年は私の巳年です。一皮剥ける予感がします。

今のところ雪は大した事がなくてほっとしています。

令和7年1月10日

夜明け前の4時に目が覚めたので窓越しに外を確認すると、薄っすらと雪が積もっている状況で「ほっと」しました。昨夜のテレビでのニュースでは「関ケ原が」との言葉が何度か出て来て、尚且つ昨年1月のドカ雪でのパニック状態の画面が映されていました。「確かにあの時は、私も大変だったな。」と思いながら眠りについたのですが、窓越しに雪の確認をした時に「変だな」と思う事がありました。

それは、我が家の南側に名神高速道路が通っているのですが「全く車が走っていない。」と言う事で情報が無いかとテレビを点けました。(スマホでの確認ではなくて、テレビで確認している私は『昭和おじさん』そのものです・・・。)そうすると「名神高速道路は午前2時から閉鎖しています。」との事だったので「この程度の雪で閉鎖すると言うのは、余程昨年の体験から学ぶことが多かったんだな。でもこの程度の雪で閉鎖していたら、これから先どうするのか。」と思うと共に、「判断をすると言うのは難しいの」としみじみ思うと共に「物流が遅れて大変だ」「輸送トラックの運転手さんもご苦労されているだろうな」と思ったしだいです。

7時5分に、老施協の事務局長さんから「雪の状況によっては、遅刻するかもしれません」とのメールを頂き、全く律義な方だと思うと共に、メールのやり取りの中で「岐阜市内の方が積雪量が関ケ原より多い」と言う情報も得ました。明け方に10cmほどの雪が積もり、尚且つカッカと降っていたので、8時35分に五次副施設長から地元の除雪をお願いしている方に連絡をするとの連絡があり、10時からの本部施設フロア責任者会議の時には降っていたのですが、今(12時5分)は雪も止み、青空が見えてきたので天気予報の「午後には晴れになります。」は予定通りで安心すると共に「事前に脅かされたけど、大したことなくて良かった」と思っていますが、風の向きによって大変な思いをされている地区もあるので、取り敢えず関ケ原は良かったと思っている次第です。

今(15時35分)本部施設(関ケ原町今須)は快晴です

天気予報では本日夕方から大雪との事でしたが、ガラス窓越しに外を見ると『快晴』なのであります。

私は昨日のコラムで「雪は大したことない」と断言していたので「予言?は当たった」といい気になっている私がいます。

これは結果論であっていい気になるのは自分でもおかしいと思っています。

本当は明日になってしっかり結果が出てから言った方が良いのではないかと思うのですが勇み足の様な話しです。

私が小さかった頃に近所の長老的な方から聞いた話は説得力があったと今でも思っています。

その話は長い経験に基づいた話で「うんうん、なるほど」と聞いてしまう話ばかりでした。

現代社会は常に数字を根拠にした話でないと意味が無い様に言われてしまう傾向がありますがそんな状況にあっても私はたとえ『昭和おじさん』と揶揄されても『常に現場主義』で積み重ねたものを大切にしたいと考えています。

私も今年の誕生日が来たら72歳になり、それなりに経験を積んできて「そう言えばそうだったな」の話の一つが「東京が雪でパニックだとのニュースを見た時に関ケ原は雪が少ない」と言う事が多かった事を語ったわけで、その様に考えると私が小さい頃に長老の話に耳を傾けていた時の様に実は私が長老のような存在になっているのかと思うと「唖然」となってしまいます。

今年は巳年で私の年です。最近のテレビで「蛇は脱皮を繰り返す中で大きくなっていく」との事で私も6回目の脱皮の年ですから大概大きくならして貰ったのかと自戒を込めて思っています。

でもまだまだ脱皮しなければいけないことが沢山ありますのでこれからも頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

断言して良いのかな・・・。

令和7年1月8日

天気予報では関東地方にまで大雪の情報になっていました。会う人会う人が「寒いし大雪が心配です。」と言われるので私は「関東に雪が降るとの予報の時には案外降らない事が多いので私はたいして降らないと思っているのですが。」と言うと相手の方も「そう言えばそういう事が多いですね。」との返事が返ってくるので、私は誰かれ構わず「降りませんよ」と言っているのですが果たして・・・。

午前中には岐阜県庁12階で健康福祉部の次長さんと担当課長3人の方に林副会長と事務局長同席のもと新年のご挨拶に行った時も雪の話になりました。その時も私は自信たっぷりに「今回は降らないと思っています。」と言ってから「昨年の1月22日のドカ雪での交通渋滞は凄かったですね」とも話をしました。

勿論、雪の話だけではなく

①物価高騰に対する追加支援

②職員確保に対する支援

③職員のスキルアップに対する支援

④石川県への災害派遣実施をしている事に対する理解等々について熱く語りました。

岐阜県老施協会長として12年(その前に副会長10年)の中で『会員メリット』の為に一生懸命な活動をしてきた中で岐阜県健康福祉部と老施協役員との意見交換会、岐阜県議会厚生環境委員会との意見交換会がそれぞれ年に2回は開催出来る様になってきた中で、かなり風通しは良くなってきたと思っています。

午後からの老施協常任理事会を終えて岐阜県福祉会館を出ると冷たい風が吹いていたので、私が言った様に「雪は大した事ない。」が本当なのかと一抹の不安がありますが「降って欲しくない」との願いも込めて雪が降らないことを願っています。

誰か私の願いを届ける為に急ぎてるてる坊主を作って下さい。「うん?てるてる坊主は晴れにするのだよね。雪の日は晴れだと聞いた事があるんだけど本当の事はわかりませ~ん。」

週刊現代の記事から

令和7年1月7日

大見出しが『時代遅れな「減反政策」の代償。「コメが食えない日本人」が激増する』を興味を持って読ませて頂きました。

昨年のコメ不足は、本当に切実なものがあったと聞いています。「聞いています」と他人事の様に言ったのは、当法人の本部と和合の施設は、本部施設の地元農家さんと契約をして提供して頂き、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)は、所在地である垂井町の農家さんから提供して頂いていて、年間を通したコメの確保をして頂いているからです。コメ不足の話が頻繁に出ていた頃、地元で多くの田圃を頼まれて作られている方から聞いた話として、「減反政策は廃止されたと聞いていたのに、一部を休耕にしてくれと地元の方から言われたので、納得がいかずに作付けをしようとしていたら、農協の職員が我が家に来て何とか休耕に協力してくれと言われ、納得はいかなかったが結果的に休耕にした田圃がある。」と言われたので、私自身何が何だかわからなかったのを思い出しました。

8月にコメがスーパーの棚から消えた時には「9月に新米が入荷されるので、しばらく待てば大丈夫」的な話が流れてきましたが、よくよく考えてみたら、いつもより早くに流通したコメを購入していて、今年の天候によっては昨年以上の深刻なコメ不足になってしまう可能性があると言う事で、本来であれば政府であったり、農林水産省が何らかの政策をしなければいけないと思うのですが、何ら政策変更はされていないと理解しています。

今回の記事を書かれた山下一仁氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)によれば、【安倍晋三元首相は2018年から「減反政策を廃止する」と主張しましたが、これはまやかしです。確かに国は農家に対する「生産数量目標」の通知はやめました。ところが、飼料用米や麦などへの転作補助金はむしろ拡充したのです。さらに農水省は毎年、翌年作るコメの「適正生産量」を決定・公表し、これに基づいてJA(農業協同組合)などが農家にコメの生産を指導しています。要は、実質的な生産調整が行われており、実態は全く変わっていないため、コメの生産量が右肩下がりになっているのです。】との内容を見て、私は「日本のお米は世界の中で最も安全で美味しい」と思っているので、作りたい農家さんに作りたいだけ作って貰い、生産過剰なものについては輸出をしていく政策をとるべきではないかと思っています。こんな単純な事では無いのでしょうが「出来る事から手を打つ」事こそ肝要だと考えています。リピーターの皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

テレビを見ながら体を休めていて

昨日はお腹が仔羊を食べたオオカミのようなお腹でとても施設に行ける状態ではなかったし、腸閉塞の恐怖もあり、昼食までは絶食をして、夕食は少し食べれそうな状態まで回復したのでおじやを作って貰い食べました。昨日は寝てばかりだったのでテレビで時間を過ごしなから安静にしていました。

テレビ番組の企画がデジタル放送はつまらなくてBS放送を見る事が多かったです。と言うのはBS放送は昔のいわゆる2時間ドラマが多くあり、けっこう楽しませてくれました。そしてまた、これはデジタル放送を見ていて気がついた事なのですが私がお腹が痛いから思うのかもしれませんが、コマーシャルで大正製薬の大正漢方胃腸薬を見た時になる程このコマーシャルは今でしょと思いました。そんな事を考えていると、昔のコマーシャルでくしゃみ3回ルル3錠を思い出しました。これはデジタル放送の番組ですが久しぶりに笑点をみていて、出演しているメンバーが殆ど代わっていて山田君くらいしか分からない。と思ったのとコマーシャルはあいからわず龍角散と毎日香だと言う事です。このコマーシャルが続いているのは視聴者層に合っているのだとも思った次第です、

2日間も寝正月を送ると新しい発見がある事に気が付きました。お腹が痛かったのは嫌だったのですが、転んでもタダでは起きない私の真骨頂と理解して明日からは改めて休み無しにガンがん頑張ります。

昨年からの無理が今出ているのか

私は21歳の時と丁度1年後の22歳の時に腸閉塞で手術をしています。特に1回目の手術の時は最初に地元の開業医の所に行き薬を処方されて様子をみるように言われて家に帰ってからも一向に痛みが治まらず極端な言い方になりますが布団の上でのたうち回っていて、翌日に大垣市民病院に緊急で行くと先生に診てもらい多分レントゲンを撮った後は緊急手術になり全身麻酔で意識が無くなってから目が覚めたのは手術が無事に終わりかなりの時間が経ってからだったと記憶しています。意識が戻って直ぐに執刀医の先生が来てお話をして下さいました。その先生からはあと1時間も遅れていたら大変な事になっていたので死に損ないと言っても良い状況だったと言われたので生かされたのであればこれからを精一杯生きなければいけないと思いました。

2回目の時はある程度自分でも分かっていたので1回目程ではありませんでしたが、腸閉塞の手術跡に癒着しやすいので気を付ける様にと言われていて、今でも無理をするとお腹の動きが悪くなる事があり、その動きが悪くなります。そんな時は絶食をして胃腸を楽にして体を休める事にしているので今回も昨日の昼から絶食をして様子をみています。

本日は和合においてお参りとカラオケの予定でしたがキャンセルをさせて貰い自宅で安静にしていています。大分良くなっているので明日からはまた頑張れると思っています。自分の体は自分が一番分かっているので。年明け早々のこの現象は過信をしないで頑張りなさいという事だと思っています。

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