上智大学社会人講座の実習が和合で行われます

令和8年2月23日

『集中臨床実習・演習Ⅱ』のプログラムが7日間開始され、昨日は大阪のサテライト教室で『死の体験』講座を一日受講されて本日から5日間、和合の施設で入居者さんとのコミュニケーションを中心にあいた実践をされる為に9時からチェックインとの予定だったので8時45分に施設に到着して施設の中に入ると6人の実習生と3人の指導者全員が揃われていて、実習生さんはコミュニティホールに、指導者の方は理事長室に分かれて既に打ち合わせが始まっていたのですが、それぞれの部屋に入って行ってご挨拶をさせて頂きました。

打ち合わせの後、施設見学を伊藤副施設の案内でして貰い、その後10時に指導者であり当法人の評議員でもある不破さんから1時間の予定で話をする様にとの事だったので、事前に頂いている実習生のレポートにチェックを入れていたものに基づいて導入の話をしてから私の実践に基づいた話と、入居者さんとのコミュニケーションへの留意点について話をさせて頂きました。

実習生は『スピリチュアル』に興味を持たれている方々であり、専門職としてのキャリアも充分に身に付けられているので、私の実践での話に対しても興味を持って聞いて頂けました。聞き上手な方ばかりだったので話し易さも手伝って1時間の予定を30分も超過してしまったので若干、予定の修正もして頂く結果となりましたが各フロアでの実習時のコミュニケーションについてはやり易くなったのではないかと思っています。

昨年に引き続いての企画なのですが、50代から70代の実習生の方はそれぞれに意欲的なのできっと実りある実習・演習になると確信しています。12時30分からは実習生及び指導者の方と共に和合の施設の食事を体験して貰いながら講義の時よりもリラックスをした形で皆さんとお話が出来たらと考えています。

随分昔に『明治は遠くなりにけり』と言う言葉がありましたが・・

本日は本部施設において誕生会が13時30分から実施されます。最高齢100歳の方から97歳、96歳、95歳、94歳、92歳、91歳、89歳、87歳、85歳、77歳の11名の方が、本日2月生まれと言う事で家族の参加も5名あり、盛大に行います。最高齢の100歳の方は大正15年2月16日と言う事を、職員が写真入りのポスターをそれぞれに作成してくれたのをしみじみと見ていて気が付いた事は、「大正15年が100歳と言う事は『大正も遠い存在になってきたな。」と言う事です。大正は12月25日までと言う事なので、まだしばらくは大正生まれの100歳の方がありますが、「来年からは100歳になる方が昭和になるのか」と言う事を思った次第です。

100歳の入居者さんは非常にお元気で、コーヒーもケーキもぺろりと食べられたのを見て、「人生100年時代は間もなくなのかな」とも思いました。随分前の岐阜新聞に「48年後には、120歳の方が多く生きられている」と言う事をAI情報として掲載されていたのを見た時に「私が丁度48年後に120歳だから、私も120歳まで生きる事が出来るのか」と単純に思いました。100歳の入居者さんがお元気なのを見た時に「満更いい加減な話しではないな。」と思いました。

13時30分からの本部施設での誕生会に参加させて頂き、改めて入居者さんから元気を頂いた様に思いました。生年月日に準じて元気でいられるわけでは無いので何とも言えませんが、昭和28年5月16日生まれ若干72歳の私が、いつまでも元気でしかも現役でいられるのも色んな意味で使命感を持って頑張らせて頂いているからこそと思っています。午前中に和合の施設にいた時に面会にみえた家族の方から「日曜日なのに理事長さんは仕事をされていて、ご苦労様です」と言われたので「休みなく働かせて頂いているのは、健康だからです。」と答えました。そのあと3階の入居者さんとのお参りに行った時も、入居者さんから「毎週お参りに来て下さって有難い」との声が聞こえた時には「理事長さんは日曜日も頑張ってみえる。」との声を聴いた様で『元気百倍』になりました。

遠くから見ていてくれた方の事を書きます

令和5年に『全国老施協大会・研究会議 JSフェスティバル』が岐阜県岐阜市国際会議場で開催された時の開会式典において鎧兜を身に付けた私が大将で副会長以下の役員にも鎧兜で登場して貰った時の事を熱烈な思いで見ていたと言う事で「あの時の大将に会えるのを楽しみにしていた。」と言う事を2月19日の東海北陸ブロック正副会長会の会議の後の懇親会で会長としてテーブルを廻ってお酒を注ぎながら回っている時に声を掛けて下さった方があり、私の自惚れなのでしょうが「私をスターの様に見て下さっている。」と思うと正直舞い上がってしまう様な状態で有頂天になって「フェスティバルと謳っている以上は岐阜での開催なので織田信長が居城を決めた岐阜城の麓での開催である以上はあのようなパフォーマンスをしなければ参加者に申し訳ないと思ったものですから」と話をしていて、お話の流れの中で「名古屋の会長さんは松山千春さんの歌が上手だし、私も負けないくらい上手ですよ」と言うとその方が「私は歌姫と言われています。」と言うので二次会には名古屋市、岐阜県、三重県の役員8人でカラオケボックスでの歌を楽しみました。

皮切りは地元と言う事で私が歌わせて貰い、次に名古屋市会長が歌って下さり、自ら『歌姫』と言った本人は松田聖子の歌をデンモクで入れたあと部屋を出て行かれたので「どういうこっちゃ」と思っているとイントロが始まってから悠々と松田聖子の雰囲気で入ってきたのでみんなが大盛り上がりになりました。何曲か皆さんが歌われ、楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。

私はカラオケボックスからほぼ近い所に泊まらせて貰い、翌日は10時から岐阜県福祉会館で岐阜県老施協の総務委員会がありホテルから直行させて貰ったのですが、実は9時30分過ぎに優・悠・邑 和合の施設に前夜のお礼の電話が入っていたので「先を取られた」との思いと共に「律義な方だ」との思いを持ったので昨日のリベンジと言う事で「電話では面白くない」と言う事で手紙を書かせて貰いました。私は頂いたご縁を大切にする事によって多岐に渡ってのネットワークを構築しての今の事業展開だと考えているので、ここは「倍返し」(懐かしいな。まるで半沢直樹の世界)の意味を込めた手紙を書きました。

ナビよりも携帯での案内の方が間違いないです

前日に吉田副施設長に大体の行き方を聞いていて、尚且つ歩いてのナビを入れて貰っていたのですが、スマホの操作の仕方が分からなくてホテルのフロントの方に操作をして貰って目的地に向けて歩いていて、スマホの画面を見ながら歩いていたのですが、スマホの画面が素直に動かなかった時にふと前日の吉田副施設長の十六銀行云々の話を思い出しながらも、若干不安になったので本部施設に電話すると、丁度吉田副施設長が出てくれたので、吉田副施設長の言う通りに行って無事に目的地に着きました。

会場になったのは結婚式場と言う事で大きな看板も無かったのですが、ドアを開けると案内をしてくれる方があり、会場の3階まで案内して貰うと事務局の方も来ていなくて「私が一番乗り」と言う事だったので「遅くなるよりはましだ」と思って順次役員が集まってきて受付の準備やネームプレートを机の上に置く作業を見守っていると、他県の役員さんが1階に大勢座っているとの情報を得たので、1階に降りてそれぞれに挨拶をしてから、3階にご案内しました。

定刻の15時に事務局の仕切りで会議が始まり、最初に岐阜県老施協会長として挨拶をさせて頂きました。

主な議題は7月30日、31日に開催される『東海北陸ブロック研修大会岐阜大会』の検討だったのですが、その中の話し合いの中で特に感じたのは色んなものがペーパレスにして経費を減らす話でした。

予定していた議題が終わって少し時間があったので、進行をしている私の権限で「物価高騰と人件費の高騰によっての食事の対応が厳しい状況であることに対する情報交換」について各県からの意見を聞きました。

総じて「食事は最も大切なもの」と言う事で「食事以外のお金の流用をしている。」との意見に周知したので「食費の標準価格の引き上げについても政治的配慮をして貰える様に働きかけをしっかり行っていく必要がある。」との結論で集約しました。

17時過ぎに会議を終えて17時30分からの懇親会の会場に移動して、懇親会の席でもホスト県と言う事で私が挨拶をさせて貰い、乾杯の音頭は今年度ブロック研修開催県だった石川県の紙谷会長にして頂き、その後がテーブルを移動して出来るだけ多くの役員さんにお酒等を注いで廻り進行を温めました。

2時間で懇親会も終わり、歌に自信のある方8名でカラオケJOYJOYに行き楽しいひと時を過ごしました。

文字通り『良く学び良く遊べ』ができたと思っています。

本日は少ししかコラムを打てません

令和8年2月19日

午前10時かリモートで岐阜県の主管で外国人材の検討会があり事前に資料の確認をしてリモート会議に挑み11時30分に終了して昼食を食べて少し早いと思いましたが宿泊するホテルに向かいました。ナビはしっかり駐車場まで案内してくれたので14時に事務局が準備に入る時間までコラムを打つ自分の律儀さを自分で褒めている私がいます。

15時からの会議は全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議で45人が集まる責任者として抜けがないように頑張ります。全て事務局に任せれば良いのかも知れませんが、その様な対応が出来ない性分なので。会議が始まったら引き続きの懇談会もあるのでこの辺で打ち込みを止めて多分5分くらいで会場に着くと思うのですが方向オンチの私ですので15分前ですが以上にします。会場報告は明日しっかりします。

今をときめかす『りくりゅう』に対しての私の勝手な思い

令和8年2月18日

『りくりゅう』と言ってリピーターの皆さんから「何のこっちゃ」と言う意見は無いと思いますが、改めてフィギュアスケートペアフリーで見事な演技で金メダルを獲得した三浦璃来(24歳)と木原龍一(33歳)の事です。ショートプログラムが5位であった事で木原選手は「全てが終わった」的な発言をして泣いてばかりで三浦選手が慰めていたとの報道に対して私は「世界の強豪を相手にして5位なら上等だ。ネバーギブアップの精神でフリーの演技を頑張ってくれ。それに5位にも入れない選手も大勢いるぞ」と思いました。(決して結果論では無く正直に思っていました。)そんな中でフリーの競技で誰も出来ない正に神業の様な演技をして見事逆転優勝の金メダル。

泣き崩れていた木原が立ち直って素晴らしい演技が出来た舞台裏には色んな事があったのだと思うのですが、ここからは色んな情報を得ての私の勝手な見解を述べたいと思います。報道によると三浦選手が大変なものを忘れてきた時に(フィギュアの靴だったと思いますが)木原選手が取りに行って帰って来ると三浦選手はちゃっかりウォーキングアップを済ませていると言うエピソードからも三浦選手は木原選手に甘えっぱなしだったのではないかなと思いました。

ところが5位と言う惨敗の中狼狽える木原選手に対して三浦選手が冷静であり、まるで9歳も年上の木原選手を三浦選手が母親の様にあえて言うなら『あやしている』様に思ってしまいました。ショートプログラムの結果が出るまでの木原選手は「三浦選手の面倒をみていかなければ」との思いをずっと持っていたのでは無いでしょうか。

しかしながら木原選手の泣きじゃくる姿を見て三浦選手が「ここは私がしっかりしなければ」との思いが急激に芽生えたのではないでしょうか。その結果木原選手が背負っていたものが無くなり今まで以上の信頼関係が出来た事によって『神業』につながったのでは無いでしょうか。勿論、9歳も年下の三浦選手が母親であるわけがありませんが『母は強し』と言う事では無かったのかなと勝手な事を思っています。

『母は強し』と言う事で言えば私の生母秋江さんは私が13歳の時に他界していますが、私の母秋江の教えである『蒔かぬ種は生えぬ』は今も私の中に脈々と生きていますから。やはり『母は強し』と言う事だと改めて思っています。

年度が新しくなったタイミングで色々やりたいこと

4月になる前までに1ヶ月半をきりました。社会福祉法人の理事長として、施設長としての舵取りをしていく為に色々な思いを膨らませながらも、より多くの事を出来る様にする為に多くの職員と話しをしているのですが噛み合わない事があるとストレスの様に感じるのは私が年をとってしまったからかと感じている私がいます。

10年程前の私は真逆な事を言われても「何故その様な考えになるのか」を分析して、もう一度話しをする根気良さがあった様に思うのですが今はストレスとなって溜まってしまう事が多くなっている自分に嫌気すら感じています。しかしながら、色んな展開を前に進めて行かなければ良くなるものも良くならないので大きく深呼吸をして根気よく話をしていかなければと思っています。

本日午前中は盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設において入居者さんとのお参りとカラオケ3曲(『まつり』『舟唄』『酒よ』)を歌わせて頂いた後に職員との全体会があり、新年度から入居定員を30床から40床にすることによっての職員の心構えについて、本部施設開所時の話を織り交ぜて話させて貰いなした。また、ロボット・ICTの導入をこれから和(なごみ)の施設でも導入する意義についても話をしました。と言うのは30床の時には1棟での対応でしたが40床にすることによって2棟での対応になる事によって今まで以上に連携が必要になるとも話をさせて頂きました。

午後からは30床から40床になる事の告知と理解を得る為に西濃地区11市町の行政廻りに吉澤施設長と共に出掛ける為に和(なごみ)の施設で昼食を頂いてから吉澤施設長の運転で出掛けました。岐阜県全域を廻るにはあと3日はかかりますが、経営の安定化の為に頑張って行きたいと思っています。吉澤施設長に運転をして貰いながら平成10年に本部施設を開設した当初に私の運転に前理事長にご一緒して貰って市町村廻りをした時と比べると町村合併で随分市町村の数は減ったけれども午後一杯かかりました。もう一つ大きな課題はデイサービスが『地域密着型』に大きく変換する事です。広域でのデイサービスと比べてコンパクトになった分、送迎に対する負担が減ったのは良いのですが、滋賀県エリアを受けなくなった事により、滋賀県へのアピールをどの様にしていくのが良いのかについては大きな課題だと思っているので、職員の配置転換と共にしっかりとした対応をしていかなければいけないと思っています。

ストレスが大きい為か朝の血圧は非常に高かったのですが今が勝負の時と思っていますので職員の意見もしっかりと取り入れて頑張って行きたいと思っています。頑張っていれば血圧も下がってくれると私自身の事には『スーダラ節』の考えで頑張ります。

パーカッションアンサンブルコンサートに行って来ました

和合の事務係長の息子さんが中心になって企画された『クララザール じゅうろく音楽堂』で昨日実施されたパーカッションアンサンブルコンサートに出掛けました。

昨年は大垣スイトピアセンターと言う事で行きやすかったのですが、今回の場所は私自身初めて行くところだったので車のナビケーション頼りでの運転だったので案の定迷ってしまいました。細い路地に入ったら通行止めで・・・。適当に車を走らせていくと、ナビは「ここですよ」と示してくれる所に着いたのですが「さてさて、音楽堂の様な建物は何処かな・・・。」と悩むと同時に「何度か行った事があるトーカイの本社のすぐそばやないか」と思いました。通りかかった地元の方らしき方に聞くと「向かいの建物がそうですよ」と言われたので「あの建物がそうなのか。随分こじんまりした建物で大体看板も無いし、事前に聞いていた『駐車場は200mくらい歩いてもらわなければいけません。』」との話だったので、「建物の隣にコインパーキングがあるのは一体どういう事」と言うのも「あの建物は絶対に違う」との根拠になってしまったのです。傍まで行くと確かに建物の玄関らしき所に書いてありました。まだ、会場時間までに時間があったので「多分参加してくれる皆も迷うといけない」と言う事で玄関前の歩道で待っていると、続々と参加してくれる方が来てくれ入場時間になるまで話をしながら待っていました。

13時30分の会場時間になり会場の受付を済ませて入って行くと100人も入ると一杯になるような空間だったので「私がイメージしていたのとは違うので建物が見つからないわけだ。」と思いつつ椅子に腰かけました。14時開演で定刻通り始まりました。奏者は3人みえて1人だったり2人だったり、或いは3人だったりで、それぞれにたたき棒を2本だったり4本だったりしてどの曲も素晴らしい演奏でした。但し、前半はオリジナルの曲が多く、「上手い」と言う事は分かりましたが「なじめん曲ばかりだ」と思いました。1部が終わり15分の休憩後は私でも知っている『見上げてごらん夜の星を』等の曲もあり演奏に合わせて口ずさむ事が出来たのは大変良かったです。2部も終了して出口に向かうと演奏された方にご挨拶も出来たのでオリジナルのCDも購入させて頂きしゃっかりサインもして頂きました。『マリンバ』と言う楽器はあまり馴染のないものですが、綺麗な音色を聞かせて頂き幸せな気分になれたので会場に着くまでの苛々は解消され、帰りはいつも帰るルートで迷うことなく帰る事が出来ました。

田久保元伊東市長は何がしたいのか

令和8年2月15日

私のあくまで私見であり、政治の世界の事を知らずにコメントをするのは如何なものかとも思いますが、ここまで世間を騒がせている事に対して、私なりの思いについて『強制捜査』の記事が出ているのを見たのを契機にして述べさせて頂きます。正直学歴詐称がどれだけの罪になるのかは分かりませんが、市長の立場は所謂公人であり、伊東市の代表者と言う立場になる為の選挙で市民に対して嘘をついて選ばれたと言う事は市民に対して申し訳無いと言う気持ちは無かったのかと伊東市民では無い私ですが思っています。

有識者の中には「卒業している、していないは大した問題でない。」とテレビと言うメディアの場で言われているのを聞いた事に頷ける部分もありましたが・・・かなりの部分で違和感を持ちました。「頷ける部分もありましたが」と言うのは30年前までに大学を卒業された方々の中の私を含めた多くの方が「入学するのは難しかったけど、大学時代にさほど努力しなかったけど卒業できた。」との思いの方がみえると思っています。(最も私は入学する前にも大した努力をした覚えがありませんが・・・。

但し父進さんが他界してからの私は自分で言うのも変ですが結構茨の道を自ら歩んできて今があると思っています。つまり、人生の中で生まれて死ぬまで『スーダラ節』の様な生き方をされている方はいないと思っています。世間を騒がしている『卒業証書』については「あるはずがないものが存在する」と言い張っている事に私は一番に違和感を持っています。「卒業した」と言っている東洋大学からは明確に「除籍になっている」と言われている事に対して「卒業していると思っていた。」との見解には全く驚かされます。

私も「大学の授業をしっかり聴いてノートもしっかり摂って試験の為の勉強もしっかりした。」とは口が裂けても言えません。(大学でもの授業料や生活費をだしてくれたお父さん『ごめんなさい』)でも、自分で取得した単位についてはしっかり確認しています。大学のシステムは単位の取得が全てですから。正直私は大学を5年で卒業したのですが、1年間人さまより1年余分に行かせて貰ったのは『教職課程』の単位が多く取得出来ていなかった為です。その時には父進さんに正直に話をして謝り1年行かせて貰う許しを得たので、いつだったかのコラムで堂々と「小学校課程、中学・高校社会の教員資格を持っています。」と書けたのです。

戻ります。私が分からない点の一つに田久保元市長の顧問弁護士が「卒業証書は弁護士事務所で保管していて出す事は出来ない。」とのコメントを見た時に確かに弁護士は依頼人の弁護に力を注がれるのは理解出来るのですが、もし、静岡県警が弁護士事務所に強制捜査が入った時にどの様な弁明をされるのかとも思っています。

だって、卒業したと言っている東洋大学では除籍だと明らかに言われているのですから。私の結論としては田久保元伊東市長は『謝る』と言う人として当然すべき事が出来ない方なのだと思わざるを得ません。今でも堂々とテレビの画面に映られる姿を見るにつけ「世の中を堂々と歩ける様に一からやり直して欲しい」と思っています。

本日次男一家が来ます。

お正月に来る予定が熱をだして来れなかったし、仕切り直しをした日には雪が降って2度流れてしまったりで、本日は朝から快晴なので、ようやく2月14日になって孫娘に会えます。残念ながら孫息子は熱を出したとの事で、次男の嫁さんと共に来られないので半分残念なのですが、じいじの所に行けないと孫娘に伝えたら強く行きたいと訴えたらしく、孫娘と次男の2人で我が家に来るとの事で、昨日から奥さまは準備に追われています。私は午前の和合でのお参りを30分前倒しでさせて貰い、お参り終了後は帰らせて貰い、家に帰る途中で予約した肉を購入した後、いちごとおさしみを買って帰る事になっています。2月ぶりに会う孫娘の成長を見るのが楽しみです。

2ヶ月ぶりに来た孫娘が車から降りてきて、素直に手をつないで我が家に入って来ました。一番驚いたと言うか感動したのは、言葉が鮮明になってきたと言う事です。昨年12月に肉屋さんを起業した30年来の知り合いで頼んでおいた飛騨肉を、ちいさく切った肉をパクパクと食べている孫娘に、じいじはメロメロなのであります。

孫息子が今回は来れなかったので、3月はひな祭りで会える様にすると、4月は奥さまの誕生日、5月は私と孫娘、6月は次男の誕生日と言う事で、月1で会える事を楽しみにしながらも、やるべき事をしっかり頑張っていきたいと考えています。

1 2 3 4 5 323