体調が今一なのと今日のスケジュールが目一杯なので

10時から本部施設での幹部会があるので、9時まで自宅でゆっくりと体を休めました。と言う事で朝のお参りも中止してゆっくりしました。昨夜から体が重かったので「明日の朝のお参りは止めにするので、5時25分のアラームもキャンセルしておこう」とアラームのセットもしなかったので、目が覚めたのが7時10分だったのですが「まだ眠い」と言う事で、再び目を瞑り直ぐに眠りにつき、再び目が覚めたのが8時と言う事で、慌てて起きて朝食を済ませ、「まだ体がシャキッとしないと言うので再びベットに横になり、9時10分に行動開始で背広に着替え行動開始をしました。

今までの私は『ゆっくりする』と言う概念が無くて『トコトンの状態で完全に体調を崩して入院する』パターンばかりだったのですが、「少し大人になった」と言う事です。「気が付いたのが今なの」と言われるのを承知で、恥ずかしながらの告白です。

幹部会議を終えて決裁などをしていて12時5分に昼食にして、食べている時に「今コラムを書かなければ、お酒が入ってホテルに帰ってから書くことになる」と気が付いたので、昼食を駆けこんで「少なくても12時40分に施設を出なければ間に合わない」と言う事で、急いでパソコンで打ち込んでいます。中身のないコラムである事の弁解の様になりますが、13時30分から岐阜県老施協の理事会があり、りじかいに引き続き東海北陸ブロック研修会の総括的な実行委員会が15時30分からあり、18時から実行委員会の解散式を兼ねた懇親会があるので、今日のコラムはここまでにします。継続が出来た事で善しとして下さい。

昨日の和合地区での秋祭りの反省と来年度への戦略

昨日のコラムに書いたように雨予想を覆す素晴らしい天気に恵まれて成功裏に終わったのですが参加者された方が私の思いの半分にも達しなかった事に対しての総括からしたいと思います。

来賓として招待状を16人の方に送らせて頂き、国会議員の方の中には代理の秘書の方も含めると13名の方が来て頂き、来て頂けなかった3名の議員の方は祝電を送って頂けたので、その点については満足していますし、来賓を代表して岐阜県議会議員の重鎮である猫田先生がご挨拶して頂けたのも大垣での存在がかなり理解されてきた証だと思うと有難い事だったのですが、参加者が絶対数少なかったことに対しての来年への布石を1年かけて打っていかなければいけないと考えています。『来年の事を言うと鬼が笑う』とも言われますが私はしっかりとした布石を今から打っていかなければいけないと思っています。

昨年より一歩進んだのは3地区(和合本町、和合新町、三城)の会長さんには来賓として来て頂きましたし、広報版へのポスター掲示の許可も得てポスターを貼らせて頂く事も出来ました。その点は良かったと思うのですが、ポスターでの周知だけではなかなか参加は増えないと言う反省です。招待した方の中には地元の民生委員・児童委員の方や老人会の代表の方も当施設家族会の方もみえたので「声掛けは大丈夫」とこちらがたかをくくって安心してしまった事が最大の原因だと考えています。

全く違う話になりますが私が最初に施設を立てる計画をした時の土地探しの時に親戚の方におんぶにだっこの人任せにして土地所有者の地区での説明会に行かせて頂いた時に大炎上して苦労したことを思い出しました。その時の失敗を今回は生かせなかったので私自身大いなる反省をして1年かけてお祭りに参加して貰える地ならしを1年かけてしていきたいと考えています。

昨日の今日で正直疲れ気味だったのですが本日午前中、本部施設での『椎茸祭り』で七輪での炭での椎茸焼きでは主体的に火の番をさせて頂き入居者さんとの会話も弾み元気を頂きました。椎茸は入居者さんの分はしっかりあったのですが職員の分は足らなかったので急遽昨年末の餅つきでの餅が冷凍保存してあったのを焼いて職員も喜んでくれました。入居者さんや職員が喜んでくれた事で元気を貰いその勢いで和合に行き1階の入居者さんとカラオケを楽しみました。私の力の基は入居者さんや職員の笑顔なのだと改めて思った次第です。

 

思いは通ずる

優・悠・邑 和合の地域の祭りが本日挙行されるのですが、事前の情報では雨マークばかりが並んでいたので、朝のお参り時の妙応寺本堂に設置してある護摩木に3日連続で『9月12日は晴れて、地域向けのお祭りが無事に尚且つ盛大に出来ますように』と護摩木の裏面に書いていたのですが『思いは通ずる』で、有難い事に朝から晴れていて朝起きた時に「ありがたいな~」の言葉が自然に口から出ました。

午前中は入居者さんにクラウン・アキオさんによるパフォーマンスをして頂き、その間に地域向けの祭りの準備をして、13時からの入場に続々来て頂ける事を祈っています。クラウン・アキオショーで入居者さんが楽しんでみえるのは良かったのですが、職員が盛り上げ役で大きく手をひろげて手拍子をしたりのフォローをしているのは納得いくのですが、入居者と同じようにショーを楽しんでいる職員が何人かいたのは今後の課題だと思っています。

そして痛切に感じているのは(私が心配症過ぎるのかも知れませんが)準備の計画がぎりぎりに組んであり、正直、ストレスが一杯ですが、夜勤明けで、菓子釣りの準備を自発的にしてくれている職員がいたり、公休の職員が自発的に手伝いに来てくれているので、何とか13時からの開始までには整ってくれると思っています。本部施設と比べると指示系統への徹底も主体的に参加する者の体制もまだまだですが、「お客様を迎えると言う事はどういう事なのか」と言う基本から、順次出来る様に指導していかなければいけないと思っています。

   

本日午後から実施される地区向けの秋祭りについてと、明日午前中に急遽実施する『今須でとれとれ焼き椎茸を楽しもう』については、明日のコラムで書くことにします。

天気予報が少し変わりました

朝、お参りの為に外に出るとしっかり雨が降っており、傘をさしながら出掛けました。そして歩きながら思ったのは「本日は一日曇りと言う事だったのに早々と雨が降っていると言う事は、明日は雨が降らないと言う事か」と思い、お参りを終えて早速スマホで大垣の天気を検索すると「雨のマークが消えて曇りになっている。」と一喜一憂をしています。勿論、雨の備えもしながら明日の和合の施設での地域向けの秋祭りに挑みますが、出来たら参加して頂ける方に心から楽しんで頂く為に「雨は勘弁して貰いたい」と言うのが本音です。

秋祭りのメインとしてクラウン・アキオさんの大道芸がありますが、雨の中でも強硬される事は実証済み(本部施設の夏祭りの時に、夕立が来て凄まじい大粒の雨の中でもされていて「凄まじいプロ魂」と思った事がありましたので)なのですが、せっかくなら香川県高松から来て頂いてのパフォーマンスなので、ベストコンディションの中で演じて欲しいと思っています。実は、昨夜は本部施設のコミュニティハウスで泊って頂き、本部施設の入居者さん及び利用者さん向けのパフォーマンスを13時30分からして頂き、大盛り上がりのショーが終わってからも各フロアを歩きながら、風船でプードルや剣等を作りながら回って頂けるとの事です。

今夜は18時から、クラウンアキオさんを囲んでコミュニティハウスにおいて総勢10人ですき焼きと焼き椎茸での会食をします。クラウンアキオさんも明日は和合の施設で午前は入居者さん向けのパフォーマンスを午後からは地域の秋祭りでのパフォーマンスをして頂く予定ですので、お酒はほどほどに提供になりますが、楽しい会話を楽しみたいと思っています。とにかく明日午後は会場が外なので、天気でありますようにリピーターの皆さんも一緒に祈って下さい。そして、てるてる坊主の確認もよろしくお願いします。私はこれから10人の会食が円滑に行くように準備に取り掛かりたいと思っています。

 

爽やかな風を受けながら

昨日までのジメジメとした蒸し暑さが一転して爽やかな空に爽やかな風を受けて、1時間朝のお参りをさせて頂きました。但し、7時前のNHKの天気予報では午後から曇り空になり、所によっては雨が降るとか。今年の夏は暑いばかりで雨があまり降らなかったので、雨不足でダムの水が乏しくて『節水』を呼び掛けているニュースが何度も話題になっていたのですが、暑い夏がようやく終わったと思ったらいきなり『秋の長雨』であり、『線状降水帯』が話題になるとは昔から言われている『過ぎたるは猶及ばざるが如し』で、水不足から水が溢れている話題に正直『あんぐり』です。

でも、私の本音の思いは、明後日9月12日の優・悠・邑 和合での地域向けの秋祭りを、雨の無い日にしたいと言う事です。「線状降水帯で車が水没して大変だと言われている時に、けしからん」と思っているリピーターの皆さんもおありかも知れませんが、このコラムでリピーターの皆さんにもお願いしたように『てるてる坊主』を作って貰ってでも雨が降らないで欲しいと言う事です。これは、地域の方々に施設の事をより理解して貰い「和合地区に特別養護老人ホームがあって良かった」と思って頂く為にも、当日の天気を良くしたいのです。

突然ですが、少し意味合いは違いますが『半沢直樹』の番組の中で「準備は万端。そして決める時は一気に」と言う言葉が浮かびました。私が和合の施設の施設長になって3年の経過で、本部施設の様にはまだまだ行きませんが、それなりになって企画が成功裏で終わり職員もやりがいを持ってくれるためにもお祭の日を良い天気にして貰いたいのです。妙応寺本堂にある護摩木でも祈願させて頂いたし、リピーターの皆さんの中にもてるてる坊主を作って下さった方もおありだと思いますので(多分)、大成功間違いなしでよろしくお願いします。

妙応寺本堂のチラシの中にありました

いつもお参りに行っているのですが何故か本日気になってチラシを頂いてきました。

タイトルは『子は親の鏡』とあり、19項目の貴重な言葉が書いてありました。

19項目の内のいくつかを紹介しながら私なりにコメントをします。

最初に出品先について書きます。

著者は『ドロシー・ロー・ノルト』と『レイチャル・ハリス』共著で石井千春訳『子どもが育つ魔法の言葉』PHP研究所刊と言う事です。

ドロシー・ロー・ノルトさんは1924年アメリカロサンゼルス出身で家庭教育や子育てコンサルタントと言う事です。

レイチャル・ハリスさんは女優でコメディアンと言う経歴です。

『子どもが育つ魔法の言葉』の著書はシリーズ化されているようですが私自身は全く理解していない方です。

と言うより教員とか児童養護施設の指導員もさせて頂いていましたが『現場主義』の手法だったので、正直、専門書を熟読する様なタイプでは無いのでリピーターの皆さんその点はご理解ください。

前置きが長くなりました。

最初の7項目には

<①けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる。

②とげとげしい家庭で育つと、子どもは乱暴になる。

③不安な気持ちで育つと、子どもは不安になる。

④「かわいそうな子だ」と言って育てると、みじめな気持ちになる。

⑤子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんになる。

⑥親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。

⑦叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう。>

との7項目が書いてありました。

どの項目を見ても親からの負のスパイラルの様に感じました。

残りの12項目は親が子どもを育てる上で大切な事が書いてありました。

<⑧励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる。

⑨広い心で接すれば、キレる子にはならない。

⑩誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ。

⑪愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ。

⑫認めてあげれば、子どもは自分が好きになる。

⑬見つめてあげれば、子どもは頑張り屋になる。

⑭分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ。

⑮親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを学ぶ。

⑯子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ。

⑰やさしく思いやりをもって育てれば、子どもはやさしい子に育つ。

⑱守ってあげれば、子どもは強い子に育つ。

⑲和気あいあいとした家庭で育てれば、子どもはこの世の中はいいところだと思えるようになる>

一つひとつに頷きながら自問自答しています。

私は父進さんからも母秋江さんからも優しく思いやりを持って育てて頂き、今があるけれども私自身は同じように出来たかと思う事がありますが、私の場合は自分の一生懸命な生き方を半ば強制していたのでは無いかとも思いますが、何れは理解してくれるものと思って今まで以上に頑張っている姿を見せられたらと思っています。

「う~ん、独りよがりかな~」

神頼み、仏さん頼み

令和8年9月8日

9月12日は大垣市和合地区にある『優・悠・邑 和合』の地域向けの秋祭りがあります。7月には和合地区にある小野小学校6年生の福祉体験に当法人の職員を大勢引き連れて行かせて頂き、6日にあった地区の奉仕活動の時にも多くの方から秋祭りの事を話題にして頂き、和合地区の広報版にも区長さんの許可を得て、お祭り告知のポスターを至る所に掲示させて頂きました。

コロナ明けだった昨年は参加者が少なかったのですが今年は多くの参加を予想しています。協賛団体の協力も多くして頂き、来賓の方も国会議員の代理の方や県会議員、市会議員を含めて13名の方の参加を確認しています。色んな準備も着々と進んでいますが懸念しているのは12日の当日に雨マークがついているのです。50年前の天気予報だったら「下駄を投げて天気予報をした方が確実だ」などと言う状況では無くて予報が当たる確実が良くなっているので気がかりです。

大道芸のクラウンアキオさんは四国の香川県から来てくだれるのだから『雨天決行』での催しなのです。準備の段階でテントは3張りの予定でしたが5張りを準備する事にしましたが、「大道芸を楽しんで貰うにしても、ゲームを楽しんで貰うにしても、模擬店の品物を食べたり飲んだりするにしても天気が良い方がいいのですが」と言う事で『神頼み』『仏さん頼み』でもしっかりお願いしますので、施設を応援して下さっているリピーターの皆さんで『てるてる坊主』を沢山作って頂き9月12日の秋祭りを成功裏に終わらせたいと思っていますので皆さん宜しくお願いします。

中村博彦先生の事を今日こそ書きます。

私は2006年8月8日が初めて全国老施協の役員として、当時日枝神社の向かいにあったTBRビル2階の本部事務所に行った日に中村博彦先生に声掛けをして頂いてから、早いもので20年の月日が経過しています。どうりで 古株扱いをされるはずです。

初めて中村博彦先生にお会いした時は、私が事務所の部屋に入るのを躊躇している時に階段の方から中村先生の大きな話し声が聞こえて緊張して廊下で直立不動で待っていると、中村先生が私に近づき優しい眼差しで「若山これから頼むぞ」と言われたが今も耳に残っています。初めての役員としての立場は総務委員会が立ち上がり、その委員会の幹事と言う事だったのですが、設立時の委員会のメンバーは選りすぐりの重鎮ばかり。私にとっては顔も名前も分からない中でのものでした。役割を頂いた以上は精一杯に頑張るのが私のスタンス。正直そんな私を中村先生が評価して頂いたのか、翌年の役員改選時に新たな役職で総括幹事と言うものを拝命しました。

この様に書くと順風満帆の様に思われるリピーターの方も多くみえるかも知れませんが、初めてお会いした時に優しくして頂いた後は厳しくいたぶられぱなしでした。但し私がたまに馬鹿馬鹿しくなって勝手に帰ってしまうことが何度かありましたが、懲りずに本部事務所に行けたのは中村先生には損得無く高齢者福祉と向き合われていたからだと思っています。

中村先生の野生の様な感覚で将来の展望に筋道を付けられて行く洞察力と、1聞くと10理解される回転の速さには舌を巻くばかりでした。当法人が早くに外国人介護職員の導入が出来たのも、中村先生からのアドバイスがあっての事です。また、日本が衰退していくなかで社会福祉法人が目指すものの道しるべを示して頂いたのも、中村先生の教えです。私に対して褒められる事は何度も有りませんでしたが、当法人の職員には理事長の姿をしっかり見ておけと言われていたようです。

中村博彦先生の様なカリスマ性がある方が急逝されて組織にとって厳しい時もありましたが、老人福祉法から介護保険法に変わり政治力がより必要になる事を見抜き、自ら参議院議員になられ組織の為に生涯を捧げられた中村博彦先生がみえない中で、私も微力ながら先生の教えを理解しているものとして頑張っていきたいと、このコラムを機に改めてギアを上げていきたいと考えています。

本日、中村博彦先生の事を書く予定でしたが本日嬉しい事があった事を優先して書きます

本日は大垣市和合地区の奉仕活動が7時30分からあり、6時30分に朝食のおにぎりを持って出掛けました。

7時15分に施設の駐車場に着くと奉仕活動に公休であった2人の係長が待っていてくれたので、私は柄の長い草刈り鎌を片手に持ち3人で歩いて出掛けました。

歩いている時に「しゃがんでの作業はきついのでこの鎌を持参したの。」と2人に話しかけると異口同音の様に納得していました。(正直、「トホホ」の様な話ですよね。)

会場に着くとまだ時間より早かった為かお世話役の役員さんだけだったので、3人で挨拶をすると「いつも助かっています。」と声を掛けて頂いたのは「皆勤賞で参加させて頂いている賜物かな」と思った次第です。

その後、草取り作業をしていると奉仕活動で馴染になった方や日頃施設での関りが出来た方等が多く話しかけて下さいました。

その中には「9月12日の施設でのお祭りに孫が6人いるので連れて行きます。」と言われる方や「自分は仕事で行けないけれど、奥さんと子どもが楽しみにしているので参加すると思います。」等と言って下さる方や施設の隣家の方には案内状と模擬店の無料券をポスティングしておいた方から「家にまで案内をして下れて有難うございました。当日を楽しみにしています。」等と声を掛けて頂いたので「大道芸の方は四国の香川県から来て下さるのですが大道芸の世界大会にも参加されている方なので楽しんでください」等と話をさせて頂きました。

極めつけは奉仕活動が終わり帰ろうとした時に声を掛けて頂いた方です。

最初は「和合の施設が出来る前の説明会に理事長さんが来られた時に、説明を聞きに来た方から多くの勝手な意見が出た事にも理事長さんは誠意を持って説明されていても、まだまだ言い足りない様な雰囲気だったので、私が手を挙げて、『私は本部施設で父がお世話になり本当に有難かった。高齢者施設に対してもっと理解されたらいかがですかと言わせて貰いみんなのトーンが下がりました。』」との話をされたので、あの時は会場を貸して頂いたお寺への挨拶でお礼が言えなかった事を思い出し「あの時は本当に助かりました。」と改めてお礼を言ってから話をしていると、その方は元々今須出身である事が分かり懐かしい話で盛り上がりました。

この様に親しくお話しできるのも地域の方々との関りを多く持てる様になったからだと思っています。

全く違う角度からの話しですが、私が児童養護施設の指導員をしていた時に小学1年生で施設に来た男子は全くひらがなも書けない状況だったのでマンツーマン指導でひらがなの練習からしました。

最初は自分の名前から何度も何度も練習して1か月で50音の半分程度が書ける様になりました。そして残りの半分は1週間で書ける様になりました。

私はこの時の経験から『学習にはバイパスがある』が持論になったのですが、地域とのつながりも同じで「ここまで出来たら、これからは派生的な展開が出来るのではないか」と思いました。

その確証を得る為にも9月12日の和合の地域向けのお祭りを成功させていきたいと考えています。

私を育てて下さった4人の方のお話『パート2』

令和8年9月5日

昨日書いた吉田宏岳先生の事で大切な事を書いてから3人目に移ります。吉田宏岳先生には陰に陽に社会福祉法人設立の為にご指導を仰ぎ本部施設本館が事業開始をして1年が経過した頃に正直、施設が崩壊寸前まで行った時に理事会が開催され、設立当時は半分以上が吉田宏岳先生の肝いりで大学の先生でした。理事会で組織の不十分なところを色んな角度から指摘を受けパニック状態になった時に私は思わず「理事長を辞めたら~」と言っていました。

その時それまで黙ってみえた吉田宏岳先生が大きな声で「決して辞める等と言う言葉は言ってはいけない。前言を取り消しなさい。」と言われて冷静さを取り戻した事がありました。

その時に学んだのは「決して冷静さを無くしてはいけない。」と言う事と「現場の職員との乖離を埋めていかなければ決して良い組織にはならない」と言う事でした。その時の出来事の後は「冷静さを失わず、現場主義でやりきる」と言う事で今もその時の教えは大切にしています。

3人目は私が事業を開始しようと計画を着実に進めている時に突然岐阜県の担当者から計画の白紙撤回の連絡を頂き、その当時家庭教師をしていた子の祖父であるその当時の大垣商工会会頭だった河合達雄さんです。白紙撤回の通知を受け3日間は何も出来ず布団からも出る事が出来ない状態でしたが「このままでは何も変わらない」と考えて「こんな時には政治力を持っている方にお願いするしかない。」と言う事で家庭教師をしている子の母親にお願いして河合達雄大垣商工会会頭に会わせて頂き精一杯に熱く語らせて貰いました。話を聞いて頂いた翌日に連絡を頂き会頭室で紹介を受けたのが猫田県会議員でした。

猫田県会議員も私の話しに耳を傾けて下さり3日後には議会棟に来るようにとの指示を頂きました。その連絡を受けたお礼の電話をさせて頂き、驚いた事に議会棟にまで河合会頭が来て頂いていたのです。この律義な対応に猫田県会議員も答えて下さりそれからも紆余曲折はありましたが翌年の計画に計上されて無事に1998年5月に竣工式典を迎える事が出来ました。

残念ながら河合会頭は竣工式典の時を迎える前に急逝されましたがあの誠意ある対応は決して忘れる事が出来ませんし、私の生き方の中で『誠心誠意』の大切さを教えて下さった大切な方です。

もう一人全国老施協会長で参議院議員だった中村博彦先生の事は明日じっくりと書かせて頂きます。

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