阿部巨人監督 辞任の見出しが

昨日から何度も『阿部監督辞任』の報道がテレビの画面を賑わしていましたが、朝のお参り~お風呂~朝食の流れの中で朝食を頂きながら(昨夜の夕食のカレーライスの残りですが、一段と濃くが出て、より美味しくなっていました。)我が家が購読している岐阜新聞の社会面に大きく報じられていましたので、元々は児童福祉が専門の立場で述べさせて頂きます。但し、私が専門として関わっていたのは44歳までですので、約30年前でありそれ以降の情報は一般の方と大して変わりませんので、的外れの事になるかも知れませんが敢えてコメントします。

私は決して『暴力肯定派』ではありませんが『親としての躾』の範疇が難しくなったなと思っています。60年くらい前に我が家の隣の家では、親子での喧嘩が大きい声でされていて、時には父親が仲裁に入る事もありましたが、そんな状況でも『通報』等と言う事は決してなかったです。今回の問題は18歳の長女さんが『SOS』 を求めるのに生成人工知能(AI)「チャットGTPに相談した結果『児童相談所』~『警視庁に110番通報』~『現行犯逮捕』~『監督辞任』の流れだったのですが、いつも仲の良い親子が、1本の児童相談所への長女の電話によって長女の予測を遥かに超える結果となり、通報した長女本人の本意とは全く違っている事は、長女の手紙からも読み取れます。確かに親による虐待は迅速性が求められるので、児童相談所の素早い対応を責める事は出来ません。(極端な事例になりますが、私がアメリカへ研修に行かせて頂いた35歳時の話では、隣の家から大きな鳴き声が止まないとの通報が入っただけでピストルを構えた警察官が家に突入するとの話を聞いていますから。)

但し、今回のケースで長女が相談したのがチャットGPTであり、その指示に従って素直に児童相談所に通報されたのが賢明であったかは微妙だし、喧嘩をしていた相手である妹の存在と阿部監督の奥さん(つまり長女の母親)の存在についても気になります。酒を飲んでいたから云々と書いてありましたが、酒の勢いでの行為と言うのも安直過ぎると思います。長女の手紙の最後に「父とは既に仲直りしております」と書いてありましたが、父親が巨人軍の監督を辞任したとの事実が払拭されることは無いので、私が最後に言いたいのは「相談する相手がチャットGPTと言う現実にも着目すべきではないか」と思っています。だって、現代っ子は外で遊ぶと言う概念の子が少なく、画面を見て完結してしまう今の現状に対して切り込む事をしていかなければいけない様に思っています。でも、この事を前面に出していくと『昭和おじさん』と言われるかも知れませんが・・・。今のままで良いとは決して思えないです。

幸福地蔵様の笠が・・・。

無残な形で紐に絡んで幸福地蔵様の首に絡まっていたので、いつも抱きついて祈りをする時に乗らせて頂く蓮の台座の所までよじ登り無残になっている笠を取り外そうと試みて何とか笠については取れたのですが紐がぐるぐるに結んであり、高くて不安定な姿勢での作業が得意ではない私はなかなか結び目を解く事が出来なかったのですが何とか結び目を解き綺麗に外すことが出来ました。

最近はお地蔵様くらいしか笠を被っていませんのでどこの雑貨屋さんでも売っていると言う代物では無いのでリピーターの皆さんの中で売っているところをご存じの方は教えて下さい。と言うか笠を購入して持ってきて頂けるともっと助かるのですが・・・。

そして、出来たら前掛けも帽子も赤色だったのが殆ど白くなっているので、裁縫が出来る方で新しいものを作成して頂けるリピーターの方がおみえになったらお願いしたいです。

私は自分の事でお願いする事は無いのですが「みんなの為になる事についてはかなり強引なお願いをしてしまいますので誤解の無い様に宜しくお願い致します。

 

本日和合の施設での全体会で

和合の施設の施設長になって今年の8月でまる3年になります。全体会の職員の参加が最初の頃は本部施設に比べると遥かに少なくて「何とかしなければ」との思いと「提案力も脆弱だ」とも思っていたのですが本日の全体会では職員の参加も増え、それぞれの提案もしっかりしたものになってきました。

提案がしっかりしたものになれば今後の展開での大切な会議になって来るので必然的に参加者が増えてきたと言う事だと思います。と言う事で私も総括的な話しに力が入りました。

そこで改めて思ったのは昔から言われている『石の上にも三年いれば暖まる』と言う事だと思っています。

現象的な事として私が和合の施設に施設長として就任した頃は「夜勤は大変だからやりたくない」との意見が多く聞かれましたが「昼間のケアをしっかりして楽しい一日にしていく事によって夜間は落ち着いてくる。」との考えをしっかり持ってブレずに言い続けた結果が今に至っていると思っています。

楽しい事の先頭に理事長自らが立ってきた事で今は多くの『祭り男』『祭り女』が生まれてきたと思っています。

苦労しました

「いつものことながら、何の話や!」と言う事で理由を次に書きます。

実は朝、何となく自分が書いたコラムを見ていた時に「このコラムはいつから始めたのか。」と思いパソコンで確認すると2008年7月21日からのスタートでその時の初校で『継続は力なり』と書いているのですが、スタートしてから10年近くは思いついた時に書いていて極端な時は1か月くらい書いていなかったりしていて、しかもほんの数行で終わっていたりで、「こんな事ではリピーターなど出来るわけがない。」と思った次第です。

初校の日は簡単に見つけることが出来たのですが表題の通り「苦労しました」は毎日の更新が始まった日を見つける事が大変だったのです。

苦労して、苦労して、苦労して、苦労して・・・・。ようやく見つけました。

『その日は2018年8月8日で夏祭りの報告を生き生きと書いている。』と「8月8日は末広がりの数字で連続出来た日に相応しい」と書いてから再確認すると「少し書けていない日があったな。正直に訂正しなければ。」思い検索しなおしたのですが、またまたその検索が上手くいかずに居直って原稿を進める事にします。

「とにかく2018年8月に間違いが無いので8年近くは毎日毎日書いていて、しかも文字数が1000文字を超える日が殆どと言うのは自分でも褒めて良いのではないか」と思っています。

毎日書くことを頑固に続けてきたことによってテーマが決まってパソコンもしくはスマホの画面に向かって次々とあらすじが出てくるようになりました。

小学生の頃は感想文の原稿用紙1枚がなかなか書けなかった事を思うと『自画自賛』です。

時にはなかなか文章が浮かばない事もありますが改めてコラムを読んでみるとコラムを通して職員に語り掛けたり激を飛ばしたり、地域に対してのメッセージだったり、施設行事に対して私なりの報告をしたり、時には天下国家のコメントだったりと多彩な事を書かせて貰っているなと思っています。

これからも継続していきますのでリピーターの皆さん宜しくお願い致します。

私の胃袋には山姥(やまんば)がいるのかも・・・

令和8年5月24日

22日に本部施設2回目の互助会の懇親会があり25人の参加者の職員が冷酒(八海山)を飲んでいる私の席にそれぞれにお酒を注ぎに律儀に来てくれるので私も律儀に冷酒用のグラスを飲み干してからグラスに注いで貰いお話をしている時に飲み干しさらに注いで貰う事をして楽しく、それでいて強かに冷酒を飲みお店の送迎用のマイクロバスで家の前まで送って貰い玄関の鍵を開けて家に帰りたらふく飲んで食べたはずなのにリビングの椅子に腰かけ水を飲んでからテーブルに置いてあったあられを見つけて何枚か食べてしまいました。

昨夜の夕食時にもしっかり食べた後に昨夜の残りのあられを袋の中のあられが空になるまで食べました。食べている時は「あと1枚、あと1枚」と食べていて本日も5時30分からのお参りで歩いている時に「またまた余分に食べてしまった。」と後悔するのですが『後悔後に立たず』、いやいや『後悔だけなら猿でもするぞ』と言う事なのですが、どうしてこの様に繰り返してしまうのかを色々自戒を含めて考えてみて、最大の要因は「仕事の上でのストレスを食べる事によって解消しているのだと思います。但し、暴飲暴食を繰り返しても治らない要因はもう一つあると思っています。

それは小さい頃病気をして目の前に美味しいものが並んでいても食べられなかった記憶があり、「今は病気も無く美味しものを美味しく食べられる事が幸せ」との思いがあるからだと言う事です。演題に『山姥がいるかも』と明記しましたが決して山姥が体の中に潜んでいるのではなくて「健康だからこそ」とは思っていますが年々体力は落ちて来るので「少しは考えないと」とは思っていますが、私の生き方で救われているのは『飲み会がある時以外は飲まない』何故なら『飲み会の無い日は自宅で待機』と言う事で家の晩酌の習慣が無いので健康を保てていると思っています。

と言う事は私の生き方は『仕事中心』『入居者中心』なので頑張れているのだと思っています。ちなみに本日は日曜日ですが勿論仕事をしています。結果的には『健康だからこそ仕事も頑張れる』と言う事だと思っています。リピーターの皆さんこれからもますます頑張りますので宜しくお願い致します。

改めて『傾聴』について考えてみました

『傾聴』が大切な事は誰もが理解しているところですが、現実にはなかなか出来ない状況でもあります。私は38歳の時に児童養護施設の指導員を辞めてから、フリーランスとして本部施設が事業開始するまでの6年間を過ごしました。(正直、我が家の生計は成り立たなかったですが・・・。)その頃の私の名刺の肩書は『教育・福祉カウンセラー』(今から考えると恐れ多い肩書でしたが)で、カウンセラーを名乗る以上は相手の話をしっかり聞いて、相手の意向も汲み取りながら何らかのアドバイスをしなければいけなかったのです。しかしながら、最初の頃の私は児童養護施設の指導員の頃は、1964年に開催された東京オリンピックの女子バレーの、ニチボーの大松監督バリに「俺を信じてついてこい」的な指導の仕方で成果を出してきた事も有り、相談者の話を遮断して答えを言ってしまう事が多くて、色んな意味で失敗を繰り返していました。

失敗を繰り返していく中で「相手の気持ちを大切にしていかなければ、適切な助言など出来ない。」と言う事に気が付き「本当はここで話がしたいけど」と言う気持ちをグッと我慢して、話を聞いている内に適切な助言が出来る様になってきたと思っています。つまり、今の私のコミュニケーション力は、相談者に対して一杯ご迷惑を掛けてきての産物と言っても過言ではありません。ようやく本題に入ります。

『傾聴』が大切なのは、相手の話に耳を傾けて聞いて、話をしている方の本意がどこにあるのかを理解したうえで、相手の方が納得をする答えを導きだす事だと思っています。つまり単なる答えを見出すのではないと言う事でいけば『説得』ではなくて『納得』をして貰う手法で無ければいけないと言う事です。原稿を書きながら「傾聴の大切さは充分理解しているけど、実際には出来ていない事も多々あるなあ」と思っているので、本日の原稿は自戒を込めてと言う事と責任ある職員への投げかけと言う事で、リピーターの皆さんご理解下さい。

本日は本部施設において3施設合同幹部会です

令和8年5月22日

本部施設本館が事業開始して27年の経過の中、紆余曲折はありましたが開設当時職員50人程度でのスタートでしたが、今は3施設で優に150人からの職員と共に厨房や清掃業務を委託している組織にまでなりました。

勿論、平成9年5月に法人認可をその当時の岐阜県知事から頂き翌年5月に本館施設が事業開始した時の高揚感は半端なものではなかったですが、その当時からの『すべてにやさしく いつまでもゆとりある やすらぎのばしょでありたい』と『今日一日楽しかったよ』の理念は脈々と続いています。そして本日の3施設合同幹部会が開催する事によって「過去を振り返り、今を見つめ、次の展開を考える」事が出来る事に感謝です。

事業開始は児童施設での経験を高齢者施設で実施していく事の難しさから混乱した時期もありましたが、基本的な考え方を変えずに邁進してきた事が今の成果につながっていると思っています。本日3施設合同幹部会前に地域交流スペース内の玄関ホールを見まわしたら5月16日の『若山宏誕生記念七変化コンサートに着たドレスや職員が手作りをした神輿、私を模した花魁のちぎり絵など盛りたくさんの物が飾られていて「色んな思いを持った職員がいることに感謝」と言う事です。

 

本日は本部施設職員の2組目の互助会があり、6月には本部施設において6日が『聖一座ショーついでに花魁』の企画があり、13日には供養祭が企画されています。勿論、和合の施設も和(なごみ)の施設も本部施設に負けないような企画を実施しています。3施設がお互いに切磋琢磨しつつ、地域の安心・安全の為に今まで以上に頑張っていきますのでリピーターの皆さん今後共宜しくお願い致します。

総会から小泉副会長を囲んでの懇親会まで、無事に終わりました

昨日は本部施設でバイキングがあり早い昼食でしたが、11時30分に食べてから本部施設を出て岐阜県福祉会館に行きました。12時40分に会館に着き、総会が開催される2階の大会議室に行き、事務局長に挨拶をして指定された椅子に腰掛けていると、続々と参加者が受付を済ませて入場されて、13時15分に来賓である岐阜県健康福祉部福祉担当次長さんが会場入りされたのでご挨拶させて貰い、定刻13時30分から総会が始まり、最初に会長挨拶として物価高騰・人材確保と育成についてお話させて貰い、岐阜県の理解を得る為に行政及び議会とのつながりの重要性についても語りました。私の会長の挨拶の後、ビデオメッセージではありましたが全国老施協の大山会長に挨拶して頂き、引き続いての来賓として健康福祉部福祉担当山下次長さんにもご挨拶を頂きました。

その後、令和7年度の事業及び決算の説明をしたあと議案について無事に承認を受け、講演の為の会場変更の為10分の休憩があり、その間に私は講演者の全国老施協小泉副会長を1階に迎えに行き、講演をして貰う2階に案内して、早速介護保険の今後の動向について90分の中に凝縮して話をして貰いました。講演前に資料のボリュームの多さに驚いたのですが、端的にポイントを押さえた話しには、今後の展開に役立つものばかりでした。総会終了後老施協事務局がある6階に移動すると、岐阜県高齢福祉課長さんが外国人材担当の方と共に打ち合わせの為に待って頂いていたので、お約束では20分程度と言う事でしたが、課長さんの投げかけに対して私が暑く語ってしまったので、1時間近くの話し合いになってしまったので、慌てて小泉副会長を囲んでの懇親会場である大垣に移動すると、既に小泉副会長が来てみえたので急いで会場に行き、総勢7名での懇親会が開かれました。

最初に私が挨拶をさせて貰い、小泉副会長の乾杯の音頭で楽しく飲んで話をして、文字通り有意義な会になりました。但し私は乾杯で生ビール1杯は頂いたのですが、その後は冷酒(三千盛)に切り替え久しぶりに会話も弾み、素晴らしい宴になり、充実した一日でした。

明日は2組目の本部施設互助会での飲み会がありますが、明日は明日で職員と楽しい会になればと考えています。

今の天気予報は正確です

昨日本部施設から帰らせて貰う時に、水野係長に「明日草刈り機を借りたいので、準備しておいて下さい。」と言うと水野係長が「理事長が草刈りをされるのですか」と聞かれたので「我が家のお墓の周辺の草が背丈くらいに伸びているので、狩りたいんです」と言うと「今日は宿直で明日は明け休みなので、刈りますよ」と言ってくれたので「だったら8時15分に、妙応寺の駐車場で待ち合わせして場所を案内します。でも、明日は雨ではなかったか」と言うと、水野係長は自信ありげに「大丈夫です。午前中は降らないので」と言うので「そうなのか」と思っていて、朝のお参りの時には雨が降るような感じが無かったので「今の天気予報はしっかり当たるな。私が小学生の頃はスリッパを投げて裏返ったら雨だ」等とマジで思うくらいに、天気予報が当たらなかった様に思っていました。でも、今は多くの人工衛星からの情報もあり、間違いの無い天気予報になっている様です。

さて、本日8時15分に水野係長と妙応寺の駐車場で待ち合わせをするとの予定でしたが、朝のお参りの時に、背の高い草の中にマーガレットの様な花が一杯咲いていたので、「草と一緒に刈ってしまうのは勿体ない。」と言う事で、家に帰って朝食を頂いている時に本部施設に宿直者でいる水野係長に「草の中の花を摘みたいので、お墓の所まで来てくれると有難い。」と言って道案内をして、電話を切り、「8時15分に合流するのなら8時前に家を出て、旧今須農協の自販機でコーヒー缶を買って行けば丁度良いかな」と考えて、予定通り8時前に家を出て自販機でコーヒー缶を2本買ってお墓の所に8時10分には着いたのですが、既に水野係長が来ていたので「8時15分と違ったの」と聞くと「10分前行動ですから」と朝から1本取られながら背丈ほどになっている草を水野係長に草刈り機で刈ってもらっている時に、私はマーガレットの様な花を挟みで切り取り、若山家と吉澤家の花筒に入れさせて貰いました。

花筒に入れながら「雑草だった花を家に持ち帰り、長い間に進化させていったのが今では花屋さんに綺麗な花としてあるんだろうな」と思った次第です。背丈ほど伸びていた雑草を手馴れた調子で刈ってくれたので、明日からのお参りでは草をかき分けて歩かなくて良くなったので有難いし、朝から汗をかく事もなくて良かった。水野係長に感謝。と思うと共に、本日は(一般社団法人)岐阜県老人福祉施設協議会総会及び講演会及び公演講師の全国老施協小泉副会長を囲んでの懇親会に全力で取り組めることに感謝です。

日本の高度経済成長期について

1945年8月15日に敗戦を迎えた時の日本の復興は大変な状況であったと思います。

私は1953年生まれなので戦後の混乱期については記憶の中に無いのですが2歳くらいの時に所謂進駐軍の兵隊さんが我が家の前で雪の為に立ち往生していた時に我が家で何人かの兵隊さんを泊めたと言う事を聞いているくらいです。

私が生まれて2年後に高度経済成長期に入ったと言う事ですが、突入する原因になったのは隣国朝鮮での南北に分かれての朝鮮戦争によって多くの物資を輸出出来た事によって未曾有の好景気になったと言う事だと私は理解しています。(朝鮮戦争が無ければ日本の復興はもっと遅れたのではないでしょうか)

この1950年から1953年(北緯38度線により停戦)の時期を『神武景気』と言うのですが、この様に言われたのは「日本初代の天皇とされる神武天皇が即位して以来、例を見ないほどの好景気」と言われて名付けられたとの事。

次には1958年から1961年の次期で『岩戸景気』と言われたので「3種の神器」に代表される、急速な技術革新と設備投資の活性化による好景気で神武天皇よりさらにさかのぼり「神武天皇が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名付けられたとの事で技術革新の象徴であり、昭和のシンボルである、東京タワーが完成したのも1958年と言う事で、日本の経済の勢いを感じる時代です。

次には1963年から1964年の『オリンピック景気』です。

オリンピック開催の為にインフラの整備も進んできた事によりこの時期に日本の先進国入りが出来た様に思います。

1965年から1970年までの『いざなぎ景気』は重工業の発展に後押しされ、神武景気、岩戸景気を上回る好景気として「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」が天津神(あまつかみ)の命により日本列島を創ったと言う神話になぞらえて名つけられたと言う事ですが、命名の仕方がドンドン遡って行くのは興味深いと思いました。

日本経済の発展は他国からの影響を大きく受けるので1970年代の『オイルショック』以降に大きく景気が良くなっているとは言えない中、現在はかつて程の満足感を得られない国民が多い様に思います。

しかしながら、日本経済は低迷して『失われた30年』等との言葉を聞きますが私に言わせれば『平安之福』であればと思っています。

だって、「物価が高くなった」と言いながらも不安なく生活出来ていますから。

低迷している経済と言っても安心した生活が出来ているのに感謝している毎日です。

笑点が60周年だと言っています。

昨日はバテバテだったので午前7時30分からの和合での奉仕活動を終えて一旦和合の施設に行き、その後本部施設に行きコラムを書いたりしていたのですが、集中力が全くなくなってしまったので、帰るには早い時間でしたが14時に本部施設を出て理髪店に向かったのですが、シャッターが閉まっていたので理髪を諦め家に帰りました。

冷たいお茶と私が大好きな大きなあられを食べてから、さてさて何をするといっても思いつかないのでベッドに横になり、ビデオを見たりしてリラックスしていて、確か17時過ぎから笑点があるはずだと思ってチャンネルを合わせると17時30分からとの表示に、前はもう少し長い時間の番組だったと思うけどと思いながら時間になって、笑点をみだしたら、笑点が60周年だと言っていて、同じ年に始まったのがウルトラマンだと言って漫才ネタにしていたので、ウルトラマンと笑点の開始が同じ年からとは凄いなと思いながら見ていたら、座布団運びがいつもの山田隆夫さんでは無くて、ウルトラマンが座布団運びと言うのもなかなか見せるなと思っていると、ガマゴンまで登場して面白可笑しいしょさが面白かったです。

今は大垣市民病院受診の為にコラムを打ちながら、ウルトラマンが60周年と言う事に驚いた事について講釈します。と言うのは、最近ビデオで1957年にまぼろし探偵が、月光仮面が1958年に、ハリマオが1960年に制作されたと言う事を調べて、ハリマオの6年後にウルトラマンが製作された、この6年の歳月での激変ぶりに驚いているのです。

そう言う意味では1954年から始まった日本の高度成長は凄まじいものがあったのだと言う事を改めて思っています。

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