久しぶりの東京出張です。

令和7年6月16日

全国老施協本部がある平河町塩崎ビル7階で11時から全国介護福祉政治連盟の総会があるので6時30分に朝食を食べ少し休憩をとり着替えをして7時20分に車に乗り込み岐阜羽島に向けて運転をする計画を立てていたのすが少しゆったりしている時に和合ならラインがきたのでこちらから電話をかけて対応していたら予定の時間になってしまったのですが時間に余裕を持っていたので慌てる事なく岐阜羽島駅前の駐車場に停め切符売り場もお客様は誰もいなかったので楽々切符を手に入れ予定通りの8時15分発に乗れて今は名古屋駅でのぞみの待ち合わせをしています。

本日は政治連盟の総会後は昼食を挟んで場所を都市センターに移動して全国老施協代議員総会に出席します。役員の交代や新たな事業を決める大切な会議なので私自身もしっかりと意見を言いたいと考えています。

私の考えは過去の歴史に基づいた話になるので反発する考え方もあると思うのですか、是は是として捉えて貰えたら良いと考えています。総会後はひょんな事から知り合いになった方に手紙を書いて私がかつて岐阜新聞に掲載して貰った本、静大僧正の本及び当法人のパンフレットを送ったらメールでお会いしたいとの事なので、全国的にも有名な方なので私一人で会うのは勿体ないと徳島県と愛媛県の会長も同席して頂く手配をしました。

私はネットワークを大切にする本領発揮だと考えています。今日も一日全力投球でワクワクな一日にして、明日のコラムで報告出来たらと考えています。

何事も根拠を知る事が大切だと言う話です

令和7年6月15日

かなり前の事ですが当法人の顧問であり、びわこ学院大学学部長の烏野先生が介護福祉士の受験対策で職員向けの講義をされている時に受講している職員に問題を投げかけられ職員が自信なさそうに答えた時に「その答えをだされた根拠は」ともう一度投げかけられ、即答しない職員に対して「根拠のない答えは試験本番の時に迷う事になる。確実な根拠を理解して確実な理解を得る必要があります。」と言われた事を思い出しました。

と言うのは先般、本部施設において吉澤施設長が6回に渡ってトランスファーの研修をしてくれた時に吉澤施設長から「何をするにしても相手の方の残存能力を理解して、根拠ある介助に努める事。何もかも介助したら素晴らしい介助だと言う事ではありません。」と言われて私自身も「確かにその通りだ。吉澤施設長が言う事を実践するには居室の環境も含めて確認しなければいけないことが山積みだ」と思った次第です。その中で「根拠あるケアを実践していくには多くの情報を入れながらの展開で無くてはいけない。」と言う事です。

私は「実践していく中で相手の方は何をしたら快適な生活になるのかと言う仮説を立てて実践していく事が肝要。但し、決して相手が言われることを全て叶える事が素晴らしいケアでは無い。」と思っています。トランスファーの研修を終えて部屋の環境の見直しがようやく始まったのですが、職員が「何故この様に変更になったのか」と言う事を理解しての地道な積み重ねこそ大切だと思っているので私が『阿修羅』の内だけと言う事では無いように見守っていきながらより良いケアの充実を図っていきたい。どこまで行っても「根拠ある対応」が全てだと思っています。

17日の日に本部施設において3年以内の外国人対象のトランスファーの研修を吉澤施設長に実施して貰うのですが、分からなくても「はい、分かりました」では無くて本当に理解した事が分かる為には根拠を学ぶことだと思いますので、その点のフォローをフロアの責任者にして貰いながら実施していきたいと考えています。

『ありがたいなあ』

令和7年6月14日

昨日は金沢出張から帰り、本部施設で昼食を食べてバタバタと岐阜県庁に行き、打ち合わせに同席して貰うパサーダの西川さんが既に受付前に来ていたので簡単な打ち合わせをしてから受付で14時にアポイントメントがしてある事を言うと担当者の方に連絡を取って下さり7階にエレベーターで行くと担当者の方が待っていて下さり先ずは『ありがたいなあ』。担当者の方が親切に書類の書き方や今後の対応まで親切に教えて下さり、またまた『ありがたいなあ』。県庁での打ち合わせを終えて、正式な書類を整える為に岐阜県福祉会館6階の老施協事務局に西川さんともども移動して、正式な書類についてはテキパキと西川さんが整えてくれ、改めて岐阜県庁への届と引継ぎを兼ねての次回の打ち合わせについても手際よく決めてくれて、これまた『ありがたいなあ』。

老施協の事務局長との打ち合わせをしている時に自民党岐阜県連事務局から携帯に連絡が入ったので「日程的な話だから福祉会館にいますからこれから行きます。」と言うと「ありがたいです」と言われたので改めて相手の意図を理解した対応は大切だと思った次第です。自民党岐阜県連での打ち合わせが終わったのが16時40分で「流石に疲れたので直接家に帰る事を本部施設に連絡しよう。」と考え連絡すると「明日の供養祭の準備を職員が一生懸命にしているので確認に来て欲しい。」との事だったので家では無くて本部施設に向かいました。

本部施設の仏間に行くと多くの職員が私を待っているような状況だったので先ずは労いの言葉を掛けてから確認をすると仏さんの所の準備は無くなった方の芳名録もしっかり出来ていたのですが神棚の榊(さかき)が少し枯れかけていたのでそのことを指摘すると「本部施設の周りにあるのでとってきます。」と何人かの職員が元気に山の方に行ってくれました。榊も整った段階で改めて職員に「これで安心して明日の供養祭が迎えられる。ありがとう。」といってからしみじみ『ありがたいなあ』と思った次第です。お礼を言ったあと、亡くなった方の名まえを一人ひとり確認しながら職員と共に思い出を語りました。

かつての入居者さん537人、法人の役員の方は先代理事長を入れて6人で、ご縁を頂いて亡くなられた方は543人。年に1回の供養祭で事業開始以来の思い出をしみじみと語れる日がある事にも『ありがたいなあ』の思いです。勿論13時30分からの供養祭本番には17家族21人の方が参加して頂けるので参加して頂ける方との懐かしさも含めて語り合えたらと考えています。

金沢駅から帰ります。

何故か9時代の列車にこだわったので金沢駅の13番ホームで9時47分発の列車が来るのを待ちながらコラムを打っています。いつものように朝早くに目が覚めたので時間が来るのを、朝食をとったりお風呂に何度も入ったりしながら、9時前になってから荷物をまとめチェックアウトをして駅に向かいました。ホテルから駅までは5分もかからないので時間は充分あったのでお土産にノドグロ煎餅を買いました。

改めて時間の確認をすると敦賀での乗り換え時間が30分以上あることに気が付いて確かに9時代の列車を指定はしましたが駅員さんも少し気を利かせてくれたら良かったのにと自分の適当さを別にして思っています。

一旦本部施設に戻り、14時に県庁での打ち合わせがあるとベッドに横になりながら考えていた7時に岐阜県老施協の事務局長からメールで県庁の打ち合わせの前後で時間を作って欲しいとの事であいかわらずの「予定は未定であり決定ではない生活だ」と思った次第です。こんな生活を送れるのも元気だからこそだと思うと神仏に感謝しなければいけないとも思った次第です。

話はガラッと変わりますが、昨日交流会までの時間に岐阜県医師会長から連絡を貰いました。内容は来月実施される参議院議員選挙への協力依頼でした。制度は政治で決まると言っても過言ではないと言う事で、今回組織内候補は残念ながらいないのですがそろそろ応援すべき候補に力を入れていかなければと思った次第です。

しらさぎの待ち時間が30分以上あったのでホームで立ちながらコラムを打っていて、ふとずっと停車している列車がひょっとして私が乗る列車ではないかと思い確認したら、乗っても大丈夫との事で今はゆったりとシートにもたれてコラムを打っています。立ってコラムを打っていた自分は一体何だったのかと思うと、もっと早くアナウンスしてくれていたらと少し腹立てながら思ったのは、駅員さんがいない事です。こんなところも世知辛くなっているのを感じました。これが業務の効率化と言う事なのでしょうか。リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

12時56分米原発で金沢に出張です

令和7年6月12日

列車の中でコラムを書くと言う選択肢もあるのですが、本日の会議は東海北陸ブロック正副会長会議と言う事で、三重県、愛知県、岐阜県、福井県の役員さんが同じ列車に乗られる可能性が高くて、隣同士になったりした時に黙々とコラムをスマホで打っていては如何にも申し訳が無いし、金沢駅に着いてからは、会議を行うところは金沢ホテルと言う事で駅から直ぐで、会場に着いてからは、それこそコラムを打っていられる状況では無いので、今、本部施設で打っているところです。

今年度の東海北陸ブロック研修大会は石川県なのですが、来年度の主催県は岐阜県なので、既に開催時期と会場に付いては仮押さえがしてあり、日時は令和8年7月30日~31日で、メイン会場は岐阜駅前のじゅうろくプラザと言う事で、今回の会議の中でも提案することになっています。多くの参加が得られる様に頑張って、しっかり説明したいと思っています。本日は会議後に懇親会もあるので金沢ホテルで泊まらせてもらい、明日は午後から岐阜県庁で打ち合わせが入ったので、明日はなるべく早くにホテルを帰ってきたいと考えています。

金沢出張で一旦本部施設に帰ってからは、岐阜県庁での打ち合わせを終えてホッとする間もなく、14日の本部施設での供養祭の対応が待っています。供養祭には、かつて入居されて、残念ながら逝去された方の家族関係者の方が21名も参加して下さると言う事で、1年に1回の供養祭で家族の方々と親しくお話が出来る事を楽しみにしています。他の事業所が供養祭をされているかはわかりませんが、当法人の考え方は「ご縁を頂いた方はいつまでも大切にしたい」との思いでさせて頂いています。と言う事で和合の施設も7月13日に開催する予定でいます。

トランスファーについては再出発をして形骸化している事を是正していくのですが、「ご縁を大切に」の考え方が決して形骸化しない様にしていきます。この様に対外的な日程があるとなかなかお参りやカラオケを入居さんと出来ないのですが、15日の日曜日は基本的にフリーなので午前はお参り、午後はカラオケを頑張ります。元気でいられる時はこれからも120%で頑張りますので、ご支援ご理解をこれからも宜しくお願い致します。

『起承転結』の話をしました

本日10時から3施設合同幹部会が開催され、改めて令和7年度の社会福祉法人杉和会の指針の柱として

①認知症の専門性を深める。

②ロボット・ICTの導入により業務の効率化を促進して余裕ができた時間を『寄り添いケアの充実』に充てる。

であることを具体的に進める為にこれまた改めて『起承転結』の話をしました。

幹部職員の中には「またこの話か」と思った職員もいたかも知れませんが、敢えて話をしました。

『起』の要因が出ている事に対して、気付いたことについて私を含めた職員が『承』としての提案をして具体的な展開をしていく事によって『転』としての良い結果や方向性を見出し『結』としていく。

最近実施した『トランスファー研修』については既に10年以上前に素晴らしい成果を勝ち取りホームページ等で高らかに発信して、多くの法人に対して影響を与えたと言う実績があるにも関わらず、出来ていない事実を把握した段階で、トランスファー委員会の当時の委員長に吉澤施設長と良く相談して研修計画を立てていくようにと噛んで含んだ様に話をしたにも関わらず、遅々として進まなかったので私が烈火の如く怒った事により、3年以上の経験者の研修をしたものの、研修で学んだ事の多くが形骸化されていたので、「このままではいけない」との思いの中で『承』についてのアクションがあまりにも速やかに実施されない状況に怒りを覚え、幹部職員に激を飛ばす意味で『起承転結』の話をした次第です。

「いつまでそんな手法でいくのか」と言われてしまうと「確かにその通りだ」とは思うのですが「せっかく当法人の施設を選んでくれた職員が腰を痛めて退職せざるを得ない状況になるのは避けたい」との思いの中72歳になっても『阿修羅』にならなければいけないのは血圧も上げる事になるので駄目なんですが、「命懸けで頑張る」とのスタンスを変えるには、職員全体の底上げと幹部職員の頑張りを祈るばかりです。

なお、決して難しい事を言っているわけでは無くて、「その人らしく生活して頂く為にはこんな事をしてはどうかと言う仮説を立てて実施していく事が大切」と言う事なのです。

本当に寒暖の激しいのは困ります

半袖で大丈夫な日があれば、本日の様に長袖を着ていても寒く感じる日も(今も本部施設事務所でパソコン操作していても少し開いている窓から入ってくる風に「寒い」と思っています。)

九州の方では線状降水帯による激しい雨が降っているとのニュースを聞いて「昔の梅雨はそうではなかった」と思うと、「海水温が上がっている事による現象だ」と言われて、「今までとは違う防災対策が必要だ」と思うと同時に「入居者さんの着衣についての配慮は今まで以上に必要だ」と思っています。

『介護』と言うのは「入居者さんが出来ない事のお手伝い」と言う事なので自分で着衣に対して意識のない入居者さんについては、その日その日で職員が考えて対応していく事が肝要だと思っています。

先般3日間で合計6回のトランスファー研修を吉澤施設長が講師となり実施しました。

幹部職員も含めて、トランスファーの考え方も手技も殆ど理解されていなくて驚くと共に今後の展開での対応をなるべく早くに決めて周知していく事が大切だと考えている時に、研修のレポートが出て来て「それぞれに理解している事は分かったが、アクションが何も起きていないことに不安を感じています。」

私はいつも声高らかに『行動の老施協』と言っていますが、『灯台下暗し』で当法人が出来ていない事を嘆いていてもいけないので、改めて本日の本部施設の午前中の『フロア責任者会議』で「プレイヤーに徹した対応をして欲しい。

間違っても単なる評論家にはなるな。」と激を飛ばしました。色んな面での不十分性が見えてきた今、一つひとつに対して出来る事からアクションを起こして貰える様に私は理事長として何をして言ったら良いのかと言う事を考えながら『一歩前へ』と確実に進めて行きたいと思っています。

『3歩進んで2歩後退』が『2歩進んで3歩後退』でズルズルきている事が今の現状だと思いますので、焦らず職員を信じて再出発していきます。

6月24日の法人理事会に欠席をした余波

令和7年6月9日

昨日、法人の評議員会と懇親会があったのですが、評議員会には参加されなかった理事の皆さんから異口同音に「入院されて、もう大丈夫ですか」と言われたので「いやいや入院はしていません」と言うと「フラフラで重症だったと聞いていたのに、本当に大丈夫なのですか」と言われたので「25日と26日の2日間は家で安静にしていたのですが、27日には岐阜県老施協の総会があり、これを会長としては外せないので頑張って対応して、それ以降はなし崩し的にやるべきことをしています。」と言うと、これまた異口同音に「あまり無理をしないで下さいね。杉和会の中心者として、まだまだ先頭に立って貰わなければいけないですから。」と言われて改めて「自分の立場を考えながらの対応が大切だ。」と思った次第です。

ただ、高熱を出し「2週間以上が経過しているのに、疲れやすくて昼間でも眠くなることがあるし、疲れやすいのは入院もせずにムリをしてきたことによる後遺症なのか」と思うと、どこかで少しゆっくりしなければいけない。でも、明日10日は午前が本部施設フロア責任者会議があり、午後は和合の施設に移動して事務所会議と、北村社労士との打ち合わせがあり、11日は本部施設で3施設合同幹部会があり、その後吉澤施設長となごみ50床分の事業承認に向けての話し合いをしなければいけないし、12日、13日は金沢で東海北陸ブロック正副会長会議があり、14日は本部施設において供養祭が行われます。「う~ん。どこでゆっくりすればいいのか」「世間では働き方改革をしっかりすべき」と言われていますが、私には縁遠い話だと思っています。「鞭打つのにも限界がある」とは思っていますが、私の生き方では難しい様です。

随分昔の時代劇で「死して屍拾うものなし」いやいや屍を拾ってくれる方は沢山いると思いますが、今は心強くして頑張って行くしかないなと理解しました。但し、私が元気なく或いは機嫌悪くしていると、多くの方に迷惑をかけるので精一杯の配慮をしながら頑張りたいと考えています。リピーターの皆さん、手を抜くタイミングがあれば教えて下さい。と言うか「仏様にすがる以外にないのかな」

お米の事を私なりに書いてみます

今回の『米騒動』の前の『米騒動』については私自身鮮明に覚えています。

と言うのは1993年の『米騒動』の時期には私は児童養護施設の指導員を退職して大学等での非常勤講師を生活の糧としながら在宅で不登校に陥っている子どもの『私塾』をしていた時期だったのですが、当時中学1年生で「中学校には行きたくないがフリースクールなら通いたい」と言う男の子との接点を持っていました。

我が家では地元の農家から1年分のお米を新米が採れた時に購入して倉庫に保管していたので何ら困る事が無かったのですが、その男の子は両親はいたのですが自分たちの事しか考えていなくて全盲の祖母の面倒共々その子がみていたのです。

私も児童養護施設の指導員時代に随分身勝手な親をみてきましたがかつてない状況に唖然としながら色んな話を聞きました。

その中の一つの話題が「国産米はあまりに高くて買えないのでタイ米を購入している。日本の米とは違ってパサパサなのでそのまま食べると不味くて食べられないけどチャーハンの様な物にしたら全然食べれるよ」と言う話をしてくれたのを鮮明に覚えています。

1993年の米騒動は異常な冷夏の為により収穫量が極端に落ち込んだ事が理由だったと思います。但し翌年は異常な暑さで収穫を持ち直したことも覚えています。

今回の所謂『令和の米騒動』は備蓄米を放出しても殆どの備蓄米が出回らない状況で「いったい流通がどうなっているのか」「中間業者だけが儲けていて米を作っている農家にどれだけのメリットがあったのか」と首を傾けるばかりです。

地元で米を作られている方に聞くと「今までは低温倉庫に確保していたものを、買いたいと言う業者に売ってしまって余分な米はどこにもない」との話を聞くと「売られた米はどこにいってしまったのか」と言わざるを得ません。

米があまりに高くなると消費者の米離れは益々進むし、米農家が安定的に米を作って貰う適正価格はいったいいくらなのかと言う事を真剣に考えているのかと言わざるを得ない。

米作りの大規模化を進めて行くにしても一朝一夕には進まないのでその間の対応をしていくかと言う事を考えていかなければいけない。

小泉さんが農水大臣になって大臣の大英断で5キロ2000円で『古古古米』が売られていて飛ぶように売れているとの事ですが、よくよく考えてみると、その価格は昨年までは普通に買える価格だと思います。

と言う事は今までがあまりに安くて米を作る魅力が無かったと言う事なのでしょうか。

米作りを『魅力ある産業』として育てていく事が肝要だと思います。

もし、世界的な有事が起きた時の事を考えると利害関係など度外視して実行に移さなければいけないのではないでしょうか。

令和7年7月5日が話題になっています

令和7年6月7日

1999年7月に出版された竜樹(たつき)涼(りょう)さんの『私が見た未来』と言う漫画が今話題になっています。竜樹涼さんは、1954年12月生まれなので私より1つ下の満70歳なのですが、高校生だった17歳の時に交通事故にあわれて、高校を卒業後は「家で出来て、生きた証が残せ、顔を出さずに済む仕事がしたい。」と言う事で漫画家になられたと言う事ですが、夢に出てきた事を作品にされていて『私が見た未来』と言う作品の表紙に『2011年3月に大災難が起きる』と言う事が書かれていて、2011年には既に絶版になっていたのだそうですが、「東日本大震災を予知していた」との話が広まり、7月5日が近づいてきた今、色んな物議を呼んでいるようです。

例えば「7月になっての外国人観光客の予約が激減している」とか、「外国からの便の予約が激減している」とか、観光地がある所の知事さんや市長さんが「災害に対する根拠は無い」等々を発信されているが、外国の方の方が謙虚に捉えていて、日本ではあまりその様な現象は聞こえてこない。いわゆる『予知能力』については、外国の方の中には『オカルト的』な感覚で捉えられる方も多くあるからかも知れません。私は四国遍路で歩いている時に『不思議体験』を沢山体験しているし、大学3年生の時に、腸閉塞の手術が手遅れ状態に等しい状況での対応で、手術が何とか無事に終わった2日後に全身痙攣になり意識をなくした時に、臨死体験の様な現象を経験しているので、未来を予言できる人が存在しても驚きませんが、昔から言いますよね「当たるも八卦当たらぬも八卦」で、今回の予見は当たらないで欲しいですが「100%無し」と断言する根拠もないので、私は「備えあれば患いなし」で「起きない方が良いに決まっているけど、その様な予見をされた方があるのだから『備え』と『覚悟』と『体制』はしておくべきだ}と考えています。だって後から後悔したくないから。

リピーターの皆さんも災害が来てからでは無くて備えを充分にしておいて下さい。ちなみに本部施設は土砂災害と山火事、和合は洪水、和(なごみ)は山火事への備えを充分にしながら、それぞれ3施設の強みを生かしながら助け合える状況に努めていきたいと考えています。

 

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