昨日家の片付けをしていて

大谷徹奘師の『よっぽどの縁ですね』の本に改めて出合いました。

そこで改めて大谷徹奘師の事をインターネットで情報を検索してみました。

その中で私が大谷徹奘師に出会ったのは2017年6月過ぎだと言う事が分かりました。

と言う事は10年近く前の出会いだったと言う事で、その頃の大谷徹奘師の肩書は『薬師寺副執事長』と言う事だったのですが、大谷徹奘師の経歴を見ると、副執事長の時代は2017年6月から2019年7月までで2019年8月からは執事長に昇格され、尚且つ2025年10月からは副住職に昇格されているので、随分お立場が変わられたにも関わらず、今も全国に講話に走り回れていることに改めて「凄い方だ」と思った次第です。

そしてインターネット情報によって妙応寺本堂に設置されている日めくりカレンダーは2017年3月初版と言う事と毎年新しいのを発行されているのかと思っていましたが、日めくりカレンダーは1995年12月が最初であり、それ以降に全部で8冊の発行で最近では2025年1月の発行だと言う事も分かりました。

尚且つ昨日改めて手にした『よっぽどの縁ですね』の著書の初版は2017年6月との事なので初版として出されたのを私は早くに直接大谷徹奘師から譲り受けたと言う事も今更ながら理解しました。

(もちろんサインも頂いています。)日めくりカレンダーのタイトルは

『みんな迷いがあるんです』

『あなたの笑顔がわたしのしあわせ』

『よっぽどの縁があっての あなたと私』

『人生はいつだって自問自答』

『ようこそ自分』

『ありがとう あなたに出会えて ありがとう』

『育てた 自分を 信じよう』

『努力することを あきらめては いけない』とあり、「決して難しい事は言われていないが心理だけれども難しい事だ」と思ったしだいです。

改めてじっくり本を読ませて頂いて素直な気持ちでコラムで私の考えを書きたいと思います。

本日は父進の祥月命日です

私が38歳の本日、父進さんが他界したので、父進さんの『祥月命日』に当たります。と言う事は父進さんが他界して35年の月日が経過したと言う事です。父進さんには心配や迷惑ばかりかけた38年であったと思います。丁度80歳を迎えた歳であり、私にとってはようやく『自立した』と思えるタイミングであった様に思います。つまり、その年の3月31日を持って児童養護施設の指導員を退職して『自ら決めた道=茨の道』を歩み出したタイミングと言っても過言ではないと、今は思える様になりました。

このコラムでも何度か書かせて頂いていますが、私は生まれつきの『虚弱児』だったので(生後半年と21歳の大学生の時)2度は間違いなく生死をさ迷い父進さんには大変な心配と迷惑を掛けたのですが、私は父進さんに対してなんの恩返しも出来ていなくて、父進さんが他界した日の前の日に、生まれて初めて父が入院していた病院に泊まった翌日の朝に息を引き取りました。その日は養母と一緒に病院にいて付き添いのはずが、私は太平楽に寝ていて養母英子さんに「お父さん息をしていない」と言われてあたふたとしたのを今でも覚えています。

但し、病院の医師に死亡確認をして頂いてからの私は冷静な対応が出来たと自負しています。つまり、父進さんは私の『文字通りの自立を促す為に他界したのでは無いか』と思っています。つまり、今の社会福祉法人杉和会理事長としての素地を築いてくれたのは父進だと言う事です。私が勝手に教員を退職して『勘当』したのも、勘当されて旧徳山村で好き放題している時に、児童養護施設の指導員への道筋を付けてくれたのも(父進は一言もその様な事は言わなかったのですが)父進の根回しだと思っています。児童養護施設の退職を報告した時も「自分で決めたのであれば良いのではないか」と言われただけだったのは、自立しようとして自立しようとしている私に対する父進の素敵なエールだったのだと今になって思っています。

こんな事を考える事が出来るのも8月12日が大切な日であるからと思っていますし、特に感謝の思いを強くする一日だと言う事で、もう一人の『父』伊藤憲治さん(先代理事長)のお墓にも今日は一日お休みを頂いて行こうと思っています。2人の『父』のお陰で今があるのであれば、2人の父に出来なかった恩返しを地域の方々への対応でさせて貰おうと思っています。

何度させて貰っても『買い物』は大変です

本日は夕方の5時から旧今須小中学校を使用してのお祭りが実施され当法人ではデイサービスえりかの里を中心にしたメンバーで日本の琴をベースに弾きやすくした楽器『ポップコーン』の演奏と水野係長が外国人介護職を引き連れて食べる方のこれまた『ポップコーン』の提供をします。

今日の実施主体は「若い力を結集したい」と言う『ITO』会長であり優・悠・邑家族会会長でもある吉田儀一さんの発案で今須出身者の高校生・大学生・社会人が企画を作成して実施するものです。

「今須と言わず関ケ原町はどんどん人口が減ってきて限界集落だから何ともならない」と嘆いているのではなく、「少しでも魅力ある今須であり関ケ原町である為に今いるもので何が出来るか」を考える一つの提案だと思っています。

旧今須村には当然ながら邑役場があり村長もいて村会議員もいて村役場も存在していたものが影も形も無い状態。それどころか診療所も農協もなく唯一残っているのは郵便局だけと嘆いていても何も良い方向性を見出す事は出来ない。と言う事で私自身も今須に生まれて育てて貰い今も今須を拠点に社会福祉法人を運営している者として一肌も二肌も脱がなければいけないとの思いを持っている者として職員の協力も得て、本日のイベントに協力しなければとの思いを持っています。

本日のイベントが夕方からと言う事で午前中は奥様の金魚の糞宜しく3度目の買い物の運転手兼荷物持ちとして本部施設での打ち合わせ後に出掛けました。

本日は大きなスーパーだったのでお盆用のお花やお供え物も購入して奥様の後を文字通り『金魚の糞』の様についていき奥様が手にしたものを籠に入れる様にしていたのですが最後に「猫のおやつを見に行く」と言った時に、私は違うものの品定めをしていて気が付いた時には奥様の姿が見えないので慌てて探しても見つける事が出来ないので(結構にウロウロと探したのですが・・・。)レジの近くで待っていると奥様から携帯が鳴り「何処にいるの。猫のお菓子の所に行ったら付いてきていないし」と機関銃の様に言われたので「おいおい、私は猫のお菓子がある所など知りませんから」と思いましたが決してそのような事は口に出しては言っていませんが・・・。本日は1か所のみの買い物でしたがお墓の花は買い物の帰りにお供えをさせて貰い家に着くとぐったりとなってしまい、まだまだこの買い物補助を何度かしなければいけないと思うと「しんどいな~」と思ってしまいました。

昼食を家で食べて(カップ麺とパン)から1時間ほど寝てエネルギーチャージをしてから本部施設に行きITOのスタンバイをしながらコラムを書きました。

本来昨日のコラムで書く予定だったのを書きます

一昨日に実施された大垣市和合新町の地区祭りの報告を昨日書くと宣言していたのですが急遽『幸福地蔵様の前掛けと帽子』の話題を優先させてしまったので本日「一日遅れ」ではありますが本日のコラムで書くことにします。

まず最初に思う事は「和合地区は建売がドンドン建って大垣市の小学校で一番児童数が多い」と言う事で『盆踊りは日が暮れてから』と言う事なのに準備をしている17時にはどんどんと子どもたちが集まって来て「本部施設とは状況が違うな」と思った次第です。

施設が提供するのは食べ物としては『冷たいチョコバナナ』でゲームとしては『魚つり』と看板には書いてありましたが実は『お菓子つり』と『玉入れ』です。

『お菓子つり』の方は1回当たり50円だったのですが、チャレンジする参加者の小学生は「元を取らなくては」と思っているのか準備したビニール袋に一杯になるくらいにしっかりお菓子を釣ってくれるので「正直大赤字だけれどもみんなが楽しんでくれればいいか」と思うと共に準備したお菓子が無くなってしまい「嬉しい悲鳴」でした。

『玉入れ』については比較的小さい子が挑戦してくれたのでなかなか入らない状況でしたが『お菓子の参加賞』はしっかり貰って頂きました。

なお、『お菓子釣り』の方では3回も挑戦する子もいて、「大きな袋を下さい」と言う強者もいました。

私が嬉しかったのは開会式の大会長である連合会長さんから「優・悠・邑 和合の職員さんもおおぜい参加して頂いています。」と紹介して下さったことです。

それよりもなによりもびっくりしたのは6月の当法人の評議員会及びその後の懇親会に私が体調を崩して穴を開けてしまった事に対して当法人の評議員のかた第三者委員の皆さんだけでなく多くの方が「理事長さん大丈夫なの」とか「理事長さんは働き過ぎだよ」と声を掛けて下さったので「私が体調を崩した事がここまで浸透しているのは有難い事だけれども今後は体調を崩さない様にしなければ」と思った次第です。

私が本部施設の施設長から和合の施設長になって丁度3年の経過の中でここまで和合地区で『認知』されてきた事に対して本当に嬉しく思いますし、来月に実施する『優・悠・邑 和合の秋祭り』の計画と準備にギアを3段階くらい上げてより地区の中で貢献できる様にしなければと思っているのは理事長の私だけでは無いと思います。

色んな考え方があるのだと理解しました

朝のお参りで幸福地蔵様に抱きついての祈願をしている事は何度もコラムに書いているところですが、本日はお参り時にいつも疑問に思ってきたことを写真入りで書きます。

実は、かつての入居者さんの家族の方から、私のコラムで幸福地蔵様の帽子と前掛けが赤の布が殆ど白くなっていた表現を端的に言うと「禿げた状態」だった事に気を掛けて下さり、大きくした前掛けと「帽子は作れない」と言う事で竹で出来た傘をわざわざ購入して送って頂いて、水野係長が前掛けと竹笠を取り付けてくれて「これで安心だ」と思っていたら、お参りに行くと傘は背中の方にあったので水野係長に「しっかり傘をかぶせておいて」と頼んでいて、水野係長から「しっかり摂り着けても背中にいっているのです。」との報告に「不思議な話だ」と思っていたのですが本日、その謎が解けた(多分ですが)様なので、写真を掲載して私の推理を書くことにします。

竹笠を背中に置かれる方は「竹笠を頭に載せるのは雪が降っている時で、こんなに暑い時は帽子を被るべし」と思われていたようで、「大きな前掛けの上に赤い前掛けを掛けて、同じ布で帽子を作って下さり帽子をかぶせて下さったのだ」と思った次第です。私なりの謎解きなので正解かどうかは定かでではありませんが、この様な事に『ロマン』を感じている私は幸せ者だと自画自賛です。

もう一つの話題に移ります。本日は9日と言う事で大谷徹奘師(奈良東大寺執事長)の日めくりカレンダーでは『人間は一生 難しい年頃』と書いてあったのを見た瞬間に思ったのは「全くその通りだ」と思った次第です。特に私の生き方は「自ら厳しい生き方を選んでいる」と言う事だそうですが・・・(正直、自分自身はその様に思っていません。)生まれて半年が経過した頃に心臓が5分程度停止していたときから、波乱万丈の人生が始まっていたのかも知れません。

高校1年生の冬のシーズンまでは『霜焼け』で思い通りの活動は出来なかったし、高校2年の夏休みに四国遍路に参加して元気な体を頂いてからは、その当時『三無主義』等と揶揄されていた時代に、生徒会活動に没頭して自分では『大変』とは思っていなかったのですが、当時の高校生の中では厳しい状況だった様だし、大学5年間は学生会活動にこれまた没頭して、児童養護施設指導員時代は低学力の子ども達の学習指導に没頭して、38歳からは現在の事業に没頭して・・・。でも私の取り柄は『大変を大変と思わない生き方』だったから今がある。私の財産は多くの人材とのネットワークだと思っています。人によっては「若山会長は何を目指しているの」と聞かれる事がありますが、そんな時には「いつも全力疾走で」と言う事の集大成をこれから考えて行くことが肝要だと考えています。

本日のコラムは少しまとまりの無い形になってしまいましたが、毎日の様に私のコラムを読んで頂いているリピーターの皆さんであれば理解して頂けるものと思っています。

買い物は疲れます

私の奥様かをりさんが手の手術をして入院した時に自分の着替えを洗濯した事や無事に退院した事は既にこのコラムで書いたのですが、退院時に我が家の食料を買い込んだのですだ、冷凍庫の中の食料が無くなってきたこともあり、午前中に3軒のお店に私の運転兼荷物持ちで買い物に出掛けました。

スーパーのオープンが土曜日は9時30分と言う事で「駐車場が一杯になる前に行きたい。」との奥様の指示に従い9時前に家を出て1軒目のスーパーに行きました。

9時30分は過ぎていましたが満車に近い状況に驚きながら買い物かごを私が持って奥様に従いました。

スーパーの陳列の並びがかなり変わっていると言う事で何度も同じようなところを行き来している奥様の後ろを金魚の糞の様についていくのと館内が混んでいるのとオープン間際と言う事もありスーパーの係員の方も台車に載せた品物を忙しく運ばれていたので結構に神経を使いました。

買い物籠2つに一杯の品物もレジのところにおいてレジ係りの方が綺麗に籠に入れて頂いたのを車まで運ぶのも当然ながら私の仕事で正直1軒目で疲れてしまいましたが頑張って3軒のお店のお抱え運転手兼荷物運びの役割を全うしました。

少しの買い物は何度かしていますが沢山の買い物は大変だと思いましたし、慣れない事は疲れる事を改めて理解しました。

本日は夕方から大垣市和合地区のお祭りに和合の施設も出店しますので私も参加させて頂くのですが、疲れたままに行って足を引っ張ってはいけないので家で1時間ほど休憩してから本部施設に行き入所されている方の家族の中で利用料が遅延されている方の対応をしてコラムも書いてこれから和合に向かいます。

販売するのは『冷たく冷やしたチョコバナナ』とゲームを準備しているのですが果たしてどの様な状況になるのかについては明日のコラムで書くことにします。

慌ててしまいました。

午前中は和合での『多職種連携会議』があり、終了後に幹部職員との打ち合わせをしているとかつて岐阜県老施協の委員長が相談したいことがあると言う事で11時30分の約束だったのですが、打ち合わせが予定の時間よりも延びて少し待って貰ってから相談に乗って12時15分になり終了後急いで本部施設に帰り、政治連盟の書類の整理等をしていると、本日3日目の『流し素麺の日』と言う事で入居者さんの実施の前に水野係長が「理事長準備が出来たので食べに来て下さい」と言う事で私一人の為の流し素麵の実演をしてくれて、「上手くすくえんな」と言いながらも沢山頂きました。

13時35分になったので『第10期介護保険検討会』が関ケ原診療所に併設された『やすらぎ』に向かい会場がある2階に14時からの予定の5分前に着いたので「何とか間に合った」と思いながら会場に入ると「誰もいない。何で」と思って頭が真っ白になった時に2階で事務をしている職員が私の所に近付き「理事長さん、今日の会議は関ケ原町役場だと思いますよ。」と言われて「役場に連絡してみます。」と言われて結果として「役場の3階で実施されます。」と言われたので「場所を間違えたので少し遅れる事を改めて連絡しておいて下さい。」と言って急いで車に乗り関ケ原町役場に向かいました。

結果的には5分の遅刻だったのですが3階に行くと担当係長が会議室の前で待っていて下さり、私が席に着くまで会議を待っていて下さったので皆さんに謝ってから会議が始まりました。

会議の中でアンケート結果等の説明や10期の計画の方向性の説明があり意見交換の時間になり皆さんの意見を聞いた後最後に私も話をさせて頂いたのですが、話の冒頭で遅刻したことを改めてお詫びしてから、「私が本部施設開設の準備をしていた30年程前にその頃の民生委員児童委員の方の協力を得てアンケート調査をした時には『介護保険』も『認知症』も『自分には関係ない』と思われている方が殆どでした。」

と話をしてから「今はその様な極端な方は少なくなりましたが、自分の家に要介護者の方がいない時には色んな情報を流しても全く興味を持って下さらないのが一般的で入院等をされて家では介護出来ないと言う状況になってから慌てて施設に相談にみえるのが殆どです。」

と話をまとめるような形で話をさせて頂きました。

5分遅刻をして皆さんに迷惑を掛けましたが何とか帳尻はあったと自分では思っていますが、スケジュール管理は今まで以上にしっかりしなければいけないと思っています。

9月には敬老月間が有り、10月4日には秋祭りがあります

本部施設の事務所で仕事をしているとベトナム出身のカン主任(介護福祉士取得した6年が経過した職員)が出勤してきて私の顔が見えたと言う事で「敬老月間及び秋祭りの相談に乗って下さい。」と言って来たので、会議室に一緒に行って相談に乗りました。

「9月はまだまだ」と高を括つていたのですが「気が付けば本日は8月6日」と言う事で気合を入れて企画の検討に入りました。カン主任は何事にも一生懸命なので有難い存在なのであります。

敬老月間の企画書を見ると9月に入った初日である9月1日に『ファッションショー』の企画があり入居者さんがモデルになってのものと外国人職員の民族衣装を着た二つの企画プラス特別ゲストで月光仮面のおじさんが出演するとかしないとか・・・。

7日~9日の3日間は『お茶風呂』の提供と言う事でいつもとは違ったお風呂の提供を考えているようです。11日には『クラウンアキオショー』が例年の様に行われて大道芸を楽しんで貰います。

15日には関西落語の笑福亭伯枝師匠の落語をこれまた昨年に引き続いて行って貰います。

22日は滋賀信行会の協力を得て『千巻経』が行われます。この『千巻経』と言うのは参加者皆で『般若心経』を千巻唱えると言う事で例えば20人であれば50巻唱える事になるのですが滋賀信行会から20人は来て下さり入居者さんや職員の中にも般若心経が唱えられるのが私を含めて15人はいるので少なくても28巻唱えれば大丈夫なのですが33巻を皆さんで唱えます。

夏休み中に『夏の四国歩き団参』をした小学生・中学生・高校生の強者も参加してくれるので千巻経が終わった時には施設の中が浄化されたように思います。

今年も敬老月間に合わせて来て頂けるのは有難い限りです。28日~30日の最後の企画は『薔薇風呂』に入って頂きよりゆったりして頂いて敬老月間を終えて、間を置かずに10月4日は『秋祭り』です。

和太鼓のオープニングからベリーダンスと聖一座の歌謡ショーと踊りのパフォーマンスで最後には『お菓子詰め放題』があり、焼きそば、ネギマ、フランクフルトやポップコーンの食べ物にビール、お茶、ジュース等の飲み物があり等々と盛りたくさんの催しがあります。

盛りたくさんの企画なのですが職員やボランティアの方々で頑張って盛り上げ入居者さん及び地域の方々が喜んで頂ける様にしていきたいと考えています。

この企画の中心にカン主任がいてくれて頑張っている事に頼もしさを覚えています。だって仮に私がベトナムに行って同じような動きが出来るとは思わないので。

『有言実行』出来ました

令和8年8月5日

昨日のコラムで「朝のお参りを復活します。」と宣言したものの7月15日に奥様が手の手術をするために入院したのに合わせて本部施設或いは和合の施設のゲストルームで退院した28日まで泊まらせて貰っていて、その後もずるずると朝のお参りに行けなくて昨日13時30分から実施した3階でのカラオケを実施している時に立っての進行をしていて足が怠いので屈伸運動をしようとしたらしっかりとした屈伸運動が出来なくて『ショック』だったので「これは運動不足の為なのか、それとも東海北陸ブロック研修大会の疲れがでているのか」と悩んでしまいました。

そんな中で「足がしっかりする為にはやはり歩くのが一番だろう」と言う事での『有言実行』だったのですが、だらだらと出来なかった理由は5時前に目覚めて「もう少し寝よう」と思って再び寝につくと6時を過ぎて目を覚まして挫折する日々だったのですが本日、目を覚まして時計が目に入って「5時28分だ。これはお参りに行くグットタイミングだ」と言う事で急いでお参りの準備をして外に出ると「爽やかな風が吹いていて気持ちが良い」と思って歩き出すと昨日はあんなに重かった足が軽やかに動いて颯爽と歩けました。

幸福地蔵様に久しぶりに抱き付きながらのお参りをして本堂では月末と月始めの護摩木が出来ていなかったのでお賽銭の他に護摩木代200円も賽銭箱に入れてから『心願成就』と表に書いて裏には『心身健康で毎日朝のお参りが出来ますように』と書きました。本堂でお経を唱えていると方丈様が本堂にみえたのでご挨拶をすると「若山さん、いつも朝早くのお参りご苦労様です」と言われたので「久しぶりに来ました」と言うと「それでも毎日ご苦労様です。」と言って頂きました。

その後も何カ所かのお参りを済ませて我が家のお墓ではいつも以上に気合を入れてお経を唱えて我が家には軽やかに歩けました。「昨日の足の怠さは何だったのか。これだけ軽やかに歩けると言う事は毎朝頑張りなさいと仏さんが言われているのか」と真剣に思いました。「73歳、ますます元気」と言う事でリピーターの皆さん、これからも頑張りますのでご支援よろしくお願いいたします。

気合を入れなおさなければいけないかな・・・

先月30日~31日に東海北陸ブロック研修大会が前夜祭も入れると3日間の日程で岐阜駅前のじゅうろくプラザを中心に開催され大会長としての役割は前夜祭の計画実施と開会式典での開会挨拶くらいだとたかをくくっていたのですが、600人定員のところに700人以上の参加だったので2日間共に会場を行ったり来たりしていて我が家についてようやくホッとしたのですが、翌日の8月1日は出掛けようとしたにも関わらず体がいつもの様に動かなかったので和合の施設に行って午前はお参り、午後はカラオケをする予定でいたのですが『予定は未定で決定では無い』の通り予定をキャンセルして我が家でゆっくりさせて貰い何とか2日~4日の3日間はバタバタの予定をこなすので精一杯で本日午後からのカラオケ時に気が付いたのは膝が重いので屈伸運動をしようとしたのですが「足が思うように曲がらない」と言う事でその後カラオケが終了するまで入居者さんに気付かれない様に立ったまま入居者さんの周りを『よちよち歩き』で何とかクリアをして3階からの階段は慎重に慎重に下りて、事務所に何とかたどり着き、決裁をした後、熊本の地震対応の打ち合わせに岐阜県老施協事務局がある岐阜県福祉会館6階に行く時には流石にエレベーターに乗って事務局まで行き打ち合わせを済ませて「さてさて我が家に帰らせて貰おうか」と思った時に「本日のコラムが完全には打っていない」と言う事で再び本部施設に帰ってきて今(17時30分)必死になってパソコンに向かっています。タイトルの『気合を入れなおさなければ・・・』と言うのは1日は休みを頂いてゆっくりさせて貰ったのは理解できるのですが、2日の日からも予定をこなしているばかりで『朝のお参り』が出来ていないのは自分の考えの中でも許せないのですが「今日こそ頑張って歩くぞ」と思いながらもズルズルと今日も出来なかったのでここは「気合を入れなければ」と言う事です。但し、明日になって「膝も痛いし、まだ東海北陸ブロック研修大会の疲れも取れていないので本日も中止」等とならない様にしたいです。敢えて本日のコラムにこの様な事を書いたのは『有言実行こそ今の私の生き方』と思っているので、小さい時の『軟弱の虫』が出ない様に気合を入れて明日は頑張ります・・・。(宣言してしまいました。)

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