和合の施設でお経とカラオケを実施するようになってかれこれ2年が経過するのですが

和合は3階建てなので3フロアを順番に回って、午前が『お参り』午後が『カラオケ』を、時間が許す限り実施しています。最初の内はお参り『正信偈』を唱えていても、殆ど誰も声を出してくれる入居者もみえない状況でしたが、今では多くの方が唱和して下さるので、正直私が間違ってお経を言っても間違いが分からないくらいになってきました。また、明らかに認知症でなかなか意思疎通が出来ない方なのですが、経本も見ないで、明らかにお経を口ずさんでみえる方だあったのには感動したので、家族の方が面会におみえになった時にそのことをお話すると、「母は毎朝お仏壇でお参りしていましたから、しっかり覚えているんですね」と涙声で答えて下さったのは、本当に嬉しかったです。

午後のカラオケについても、最初の内は私のワンマンライブのような状況でしたが、今では私が1曲歌うと、次に入居者さんが歌って下さるくらいにまで歌って下さる方が増えてきました。そこで不思議な話をします。1階のフロアは18名の入居者で、2階と3階はそれぞれ40名の入居者さんがおみえになりますが、どのフロアもバランス良く、歌い手がおみえになると言う事です。つまり、1階は18名しかおみえにならないのに、ちょうど良いバランスなのであります。歌い手の入居者さんの中には「私は歌った事が無い」と言われて、マイクを持たれるとセリフも含めて堂々と歌われる方がおみえになるかと思えば、「声が出ないの」と言いながらも、きっちりと歌われる方、いつも歌って下さる方には、かつて歌われた曲をデンモクで入れてからマイクを渡すと、しっかり歌われる方と様々ですが、楽しんで頂いています。歌は歌われないのですが、自分が聞きたい歌を必ずリクエストして下さる方もみえます。私が全く歌った事が無い曲もあるのですが、何となくイントロが流れてくると歌う事が出来て、そんな中で今では得意になった曲があります。ちなみに『宗右衛門町ブルース』であったり、『舟歌』であったり、『天城越え』です。本日は『無法松の一生』がリクエストされて初めてだったのですが、出だしは上手く入れたのですが途中から自信を持って歌えなかったのですが、最後はしっかり歌えたので、「3回ほど練習してからまた歌わせて貰います。」と落ちを付けたお話もさせて頂きました。

2年が経過して、フロアに行くと手を振って応えて下さる方も多くなり、ここでも『継続は力なり』と思っています。こんな毎日ですので、私はお坊様にも歌手にもなれそうな錯覚を持ってしまっているのですが、リピーターの皆さん、こんな私をどう思われますでしょうか。

「思いは色々だと改めて思いました。」「改めて体のメンテは大切だと思いました。」「26年ぶりの再会です」

思いは色々だと改めて思いました。

朝はいつもの様に不思議なのですが、5時過ぎに目覚め、これまた5時25分から行動開始をして、これまた、朝のお参りに行きました。

いつもの光景なのですが、本日は何故かお墓にお供えしてあるものに焦点が当たり、お供え物を確認するたびに「ここに入られている方は「たばこが好きだったんだな」とか「この方は日本酒が好きだったんだ」「この方はビールが好きだったんだ」と理解しながら、7軒のお墓に水を手向けながら「父進さん、生母秋江さん、養母英子さんは何をお供えしたら良いのかな」と考えても「特にこれと言うものはないな」と思いながら「今、家で飲んでいる水道水を、私たちと同じ様に頂いて貰うのがベストなんだ」と改めて思った次第です。

父進はお酒はお付き合い程度だったし、たばこも戦争に行って覚えた様で、特に好んで吸っていたようには思わないし、「特に思い当たるものはないし、食事については、どんなものが出ても美味しいと言っていたし。」「何を持ってお供えするより、元気な姿を見せて我が家の水をお供えするのが何より」と自分で勝手に思っています。

 

改めて体のメンテは大切だと思いました

一昨日12日に久しぶりに整体に行き、しっかり施術をして貰い「本日は絶好調」と思い久しぶりにスキップしたいような気分でした。と言うのは、整体に「もう限界の限界」と思っていった朝には、階段を降りるのも大変で少しの段でも大変な状況でしたが、正直「足のコントロールがしっかり出来る事に感動です。」いつも思うのですが、限界の限界になる前に施術をすれば、それ程苦労しなくても良いはずなのにとは思うのですが「分かっちゃいるけど」と言う事なので、体のメンテに気を付けたいと今は思っています。

 

26年ぶりの再会です

本日午前中に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設で地域向けの『カフェ』があり、今年の4月から実施されているので7回目にして初めて参加させて頂き、初めの挨拶を理事長としてさせて頂き、その後大垣市民病院眼科の視覚聴覚士の方のお話が終わり、散会したのですが、椅子に座っていたら親しく話しかけて下さる方がおみえになったのでお話を聞くと「本部施設が開設してすぐの頃に見学に行き、理事長さんのお話を聞いた事を懐かしく思い出しました。でも、あの頃と随分変わられたので、正直最初は分からなかったのですがお声を聴き、話されている事を聞いて、あの時の理事長さんだと気が付きました。」と言われて、若干複雑な思いを持ちましたが、26年前の私を覚えていて下さり、親しく声を掛けて下さったのは本当に有難かったです。

コラムリピーターの皆さんにネタバレです

令和7年10月13日

今月はハロウィンの月だと言う事で本部施設は10月28日に、和合の施設は10月31日に計画されているのですが、私は「どの様に変身したら良いのか、例年だとドレスをきて馬車に仕立てたリヤカーに乗って歩くのだけど。

今年は少し趣向を変えてみたいな」と独り言の様に本部施設で話していたことを聞いていた職員が昨年とはガラッとイメージを変えた衣装を用意してくれていたのを見て、私はワクワクしてきたので水野係長に「ネタバレしてコラムで書きたいので」と言って撮って貰ったのを掲載した次第です。

オオカミのかぶり物とマントだけでも凄いのですが、ネパールに一時帰国した職員からお土産で貰ったアルコール度数42.8%の剣に仕立てた入れ物のラム酒を持って、本来であれば介護実習等で使う人形『さくら』にもハロウィンの恰好をして貰っていたのでツーショットで写して貰いました。リピーターの皆さんなかなかのものでしょ。

 

パソコンでの情報で「アメリカでは怖いものに変身する」との説明がありましたので「今回は完璧」と思ったのですが。だって、ドレスにロングのかつらの時には『怖い』というより『不気味』だったと思うのですが、今回の変身は『怖い』に徹した変身ファッションなので私的には写真を見ながら満足しています。

さてさて、和合の施設ではどの様な変身をすることになるのか、私自身ワクワクしています。但しリピーターの皆さんの皆さん本日の情報はご内密にお願い致します。

昭和おじさんは困ったものです

本日は8時から、大垣市全市のクリーン活動と言う事で、6時30分に朝食を摂り最も大きい『つなぎ服』を何とか着て、7時に家を出発して、日曜日と言う事もあり道路が空いていたので7時35分和合の施設に着き、職員玄関のテンキーを操作して施設内に入ると、一緒に行く事になっている職員が「理事長さん、今日のクリーン活動は延期になっていますよ」と言うので「雨も降っていないのにどうして」と言うと、「昨日の内に延期の連絡がきていますよ」言われて「ぴん」と来たのは「いつもラインの連絡を朝一で確認するのに、バタバタしていて今朝は見ていなかった」と言う事で、通勤してきた職員も参加してワイワイ話をしていると、事務所の早出の職員がわざわざ「ラインにしたのですが御免なさい」と言いに来たので、「ラインを確認しなかった私が悪いのですから、謝らなくて大丈夫です。でも、全く昭和おじさんの私は困ったものです。」と言って苦笑いをして、再び家に向かい、10時から本部施設においてお茶会があるので、若干の休憩を我が家でしてから本部施設に行きました。

お茶会は既に盛り上がっていて、東京の宮内先生から送って頂いた一口大のフルーツゼリーが大好評で、入居者さんも職員も喜んでくれていました。

本日は午後の予定を入れていないし、腰がバンバンに張っているし、腰からだと思うのですが、右足首が痛いので久しぶりに整体の施術を受けようと予約の連絡をすると「13時からなら空いています。」との返事を貰ったので、昼からは1時間たっぷり整体で体をほぐして貰い、その後はリラックスをして、明日からの過密スケジュールに備えたいと思っています。万全な体を維持することも理事長としての役割だと思っているので。しかしながら、文字通り『月月火水木金金』の生活ですが、自分でも「良く頑張っているな」とも思っていますが、3施設を経営して、安心・安全で今日一日楽しかったよ、を日々実現するためだと考えているので、リピーターの皆さん、ご理解とご支援を宜しくお願い致します。

不思議です

朝5時過ぎに目覚めて「さてさて、そろそろ起きて行動開始しようか」とベットから起きようとすると「めっちゃ腰が重くて痛い」と思いながら外を見ると「雨が降っている」と言う事で、もう一度寝る体制になったのですが「エイヤー」ともう一度起き上がり、朝のお参りの準備をして外に出ました。

外は雨が降っていて尚且つひんやりしていたのですが、右手に金剛杖、左手に傘を、そして背中にはペットボトル9本の水入りのリュックサックを背負い歩きだしました。

歩きだした時にはまだ腰に違和感があったのですが、妙応寺前の駐車場まで行って幸福地蔵様の階段を上ると「あらまー不思議、腰の違和感が無くなっている。」と言う事でいつものように若山家の他6軒のお墓への水替えもしっかり出来て我が家に帰ってお風呂で汗も流し、さっぱりした段階で朝食もしっかり食べて、予定通り10時30分からの和合施設3階でのお参りで『正信偈』と『般若心経』を大きな声で唱えさせて貰い、終了後は入居者さんの前で昨日実施した『椎茸祭り』の話をさせて貰うと「理事長さん一人で全部焼かれて大変でしたね」と言われる方や「本当に美味しかった。ご馳走さんでした。」等の声をあちらこちらから頂いたので私は嬉しさのあまり、「来月は芋煮会を大きな鍋でやります。その時にはお酒も用意します。」と調子の良い事を言ってしまったのですが、これについては文字通り『有言実行』をしなくてはと思っています。

私は決して『口は禍の元』とは思っていません。

だって、和合の施設長になって2年余りでこの様な軽口が叩ける様になったのですから。

入居者さんの期待を裏切る様な事は絶対にしたくないと思っています。

芋煮会(11月26に)の前に10月31日には『ハロウィン大会』があるので、どんな風に変身しようかと今からワクワクしている私がいます。

だってリピーターの皆さん何事も楽しい方が良いと思いませんか。

和合の施設で『椎茸祭り』が行われました

令和7年10月10日

昨日本部施設がある地域の椎茸工場で10キロしめて1万8百円を事前に予約しておいたのを貰いに行き、本日10時からの会議を終えてから管理栄養士の小栗さんと共に準備をしていて、昨年は炭をおこすのに苦労した反省のもと、『火起こし』の道具をこれまた事前に購入しておいたのをフル活用してガスコンロで順調に火が起きて、13時30分から順次2階、1階、3階の入居者さんが来る事になっていて、「順調に火がおきたので時間的に余裕がある」と言う事で

「職員の分を先に焼くことにしよう。」と言う事で焼いていると匂いに誘われた職員が椎茸を焼いている所にくるのもいて、焼き立ての焼き椎茸を振る舞うと異口同音に「ジューシーで美味しい」と言ってくれたのはとても嬉しくて、その勢いで13時30分からの入居者さんの焼き椎茸も頑張って焼きながら「おかわりしてね」と言う声掛けに「私も」「私も」と言う声があちらこちらからおきて、和やかな雰囲気の中、会場での各フロアの持ち時間は30分刻みにしていたのですが、計画通り15時過ぎには皆さん満足されるまで食べて頂きました。焼き椎茸を食べながら「ご飯が欲しい」とか「お酒が有ったら嬉しいけど」等の楽し気な会話が聞けたのはとても良かったです。

施設において『焼き立て』『炊き立て』を提供する事はなかなか出来ないのですが月に1回くらいはこの様な提供が出来たらと思っています。と言う事で11月は大きな鍋で火を焚いて『芋煮会』を実施しますので、この企画も楽しいものにしていきたいと思っています。家庭では出来なくなった事でも施設では工夫次第で出来るので日本の風物詩を実践していきたいと考えています。ちなみに12月も餅つきを行っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

続けると言う事は素晴らしい

令和7年10月9日

全国老施協でお世話になっていた税理士の宮内眞木子先生から『西脇基金チャリティーコンサート』が開催されたとの報告が来ました。私も頻繁に東京に出掛けさせて貰っていた時な何度かチャリティーコンサートも見に行っていたので、正直「今も開催されているんだ」と思うと共に「継続されているのはお世話される方がいるからだ。」と思うと宮内先生が一生懸命にされている姿が目に浮かびました。

開催チラシと共に東京新聞の記事も同封されていたのでその記事の抜粋によると

【『西脇基金』は1986年、公認会計士だった故西脇和昭さんの遺産を妻の摩耶さんが寄付して設立。都内の児童養護施設や里親のもとで育った若者を対象に、大学や専門学校などに通う間、月2万円を給付している。西脇さんの生前の言葉、「子どもたちが学ぶ気持ちになった時がチャンスだから成績や過去の素業で差別してはいけない。」をモットーに、施設や里親らの推薦で奨学生を決めており、本年度は298人。給付総額は年間で7千万円に上る。】

との記事を読み、素晴らしい提案が長く続いている事に敬意を表したいと思いました。児童養護施設や里親にスポットが当たる事はなかなかないので実情です。政策は政治によって決められるものなので、政治に興味を持たない親が多い児童養護施設の親の願いはなかなか伝わらないものに視点を当てられた『西脇基金』の存在はとても素晴らしいと思いますし、「子どもたちが学ぶ気持ちになった時がチャンス」との言葉は私が児童養護施設の指導員をしていた時の気持ちと似ています。

と言うより私の場合は『学ぶ気持ちになった時』では無い時に『気が付く為のアプローチを頑張っていたな」と自分なりにしみじみ思っています。私は今は高齢者福祉にどっぷりつかっているので児童養護施設の事を語る事は出来ないのですが、児童養護施設や里親にスポットが当たる事を切に望んでいます。その為のは今も児童養護施設や里親に関わっている方に今の状況をしっかり訴えて貰いたいと思っています。

公定価格の介護事業所は本当に困っています。

令和7年10月8日

石破総理が辞任され自民党の総裁選挙も終わり高市さんが自民党の総裁になられました。次に国会が開かれ想定通りであれば自民党総裁になられた高市さんが総理になられてようやく国会での政策が決められて行くものとは思います。10月1日からは最低賃金が6パーセントのアップが実施され、物価も色んなものが値上げされている状況にも関わらず、政策協議は全く進んでいなくて今後の協議についても皆目分からない状況に困惑しています。

以前のコラムでも書きましたが、前回の介護報酬改定の時には食費についての標準単価は0査定であった事に違和感を覚えて、全国の状況を調査して貰った結果は『一日当たり308円の持ち出し』と言う結果が出たにも関わらず若干の補助金だけでそれ以上の動きは無いのです。朝一で全国老施協大山会長に私なりに窮状を話ししました。その中で「補正予算で何とか対応して貰えるようにしていきたい」との事だったので最後に私から「私にでも出来る事があったら言って下さい。」と言って電話を切りました。

介護保険制度の中での事業展開である当施設では「困った」と言う窮状を以下に国に示していくかと言う事です。介護職員の確保をしていく為には職員が結婚をして子どもを育てられる環境にするには国民の平均給与より83000円も少ない状況は打破しなければ「霞を食べて生活する事は出来ない」し、入居者の生活を劣悪なものにすることは出来ない。

国民の安全安心の為にも私的には『最優先』で政策を立てて頂き、大山会長が言われた様に「補正予算でしっかりとした対応」をして頂きたいと考えています。この問題については我々の業界の努力だけでは何ともならないので、与党も野党も汗をかいて頂きたいと思っています。

第42回ふれあい広場の案内がきました

1979年にユネスコが『国際児童年』の宣言をした年で、いみじくも私が『児童福祉』の世界に足を踏み入れた年でもあります。全国各地で『児童』を対象にした催しがされた年でもありました。その年の9月から、私は児童養護施設の指導員として働くことになったのですが、施設を中心にした企画が11月23日に行う事は決まっているたのですが、正直「企画は決まっていても、準備らしい事は殆ど出来ていない」と言う事で、子ども達には手作りのポスターを作製して貰い、私自身は来る日も来る日も看板作成の為に、のこぎりと金槌と釘との格闘の毎日だったのを覚えています。実は、大学時代も授業に出るより、看板作りを頑張っていたので苦にはならなかったのですが・・・ 。

私は名誉ある第1回目から関わらせて頂いたのですが、特に1回目から3回目までが印象に残っています。と言うのは、第1回目は施設がある小学校区でのものだったのですが、校区内のPTA、子ども会育成会、老人会、民生委員児童委員協議会、婦人会、青年団、商工会等々の団体が模擬店、バザーや各種イベントを行って下さり、実に1500名の参加を得たので大成功でした。1回だけの予定であったのですが、「来年もやろう」との機運が高まり、旧穂積町4校下を巻き込んで実施する事になり、実に3000名の参加者になりました。「流石に毎年実施するのは大変だ」と言う事で、実行委員会の反省会で「取り合えず来年は実施しない」と決まったのですが、その年の12月にNHK財団の後援依頼があり、急遽第3回が実施される事になり、実に6000名の参加が得られたので、旧穂積町を挙げてのイベントになったので、今も継続されていると言う事です。

私自身は13回目までの関りだったのですが、招待状を頂くと、その当時の事が懐かしく思い出されます。但し、最初の熱い思いを持って関わらせて頂いた私ですので、敢えて『面倒くさい事』を言わせて貰います。『招待状』を見させて貰うと、それなりの『絵』も描いてあるのですが、私が関わっていた時はプリントゴッコで1枚1枚印刷したり、色鉛筆で色塗を子ども達と一緒にしていたのですが、その様な形跡が無いのは残念に思っています。そして、第1回から実施されている『バザー用品の寄付のお願い』の別紙も同封されていたのですが、47年の経過の中で「贈答品や引き出物などが家庭に多くあるのか」と思うと、「違う方法を考えなければいけないのではないか」と思ってしまいます。

30年以上離れている私が、一生懸命に実施している方々に指摘するのは如何な事かと思いますが、『これが正しく昭和おじさんの真骨頂』と言う事で、リピーターの皆さん宜しくご理解下さい。

10月10日に台風が来るとか

令和7年10月6日

『体育の日』が制定されたのは昭和39年10月10日(1964年)に東京オリンピックの開会式が行われて、「その日を祝日にしよう」と言う事で昭和41年に『体育の日』として制定されたと言う事です。その当時『10月10日』を開会式典の日に決定したのは「その日は台風も少なく統計的にも天候に恵まれる」と言う事だったと聞いています。

ところが今朝の天気予報では「10月10日に台風が襲う可能性が高い」と言われたのを聞いて私は「10月10日に台風が来ると言うのは世界的な異常気象に関係があるのか」と思った次第です。と言う事は気象の面でも『絶対』と言う事は無いし今後は『想定外』と言う事がいっぱい起きると言う事なのだと思った次第です。次の話題で興味を持って『体育の日』の情報を集めてみました。そうすると今は『体育の日』とは言わずに『スポーツの日』と言うのだと言う事を始めて知りました。

また、平成12年(2000年)に『10月10日』であったのが10月第2月曜日に変更され令和2年(2020年)から『スポーツの日』になったと言う事です。確かに言葉の重みを考えた時、制定を変えられた時にはいろんな事を考えられたのだと思いますが私なりに考えたのは「1964年に開催された東京オリンピックは遥か遠い存在になって天候が良いので国民の皆さんでスポーツを楽しむ日にして下さい。」と言う事の様に思いました。と言う事は『国民の祝日』の意味合いが『単なる国民の休日』の様な感じで余り私的には面白くないと思っています。

つまり、『祝日の意味』が『形骸化』されている様で残念です。最も当法人の様に入居者さんを365日24時間お預かりをしている事業所においては『国民の休日』と言ってもピンときませんが『国民の祝日』と言うのは入居者さんとの大切な話題の一つなのですが多くのものが『月曜日』になってしまったのは話題にしにくい状況になってしまった様に思っています。また、年中頑張っている事業所に対する評価を高めて貰えると有難いのですが。

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