花粉症の症状が完全に出ています

令和8年2月27日

昨日のコラムで「山がもやっています。」と書いたのですが、「花粉が直ぐそばまで来ている。」と言う事を自覚したからか本日は完全なる自覚症状が出ています。ここ2週間くらい前から大きなくしゃみをすることがあったので「アレルギー性鼻炎の前触れかな。」と思っていたのですが、本日の朝、目を開けようとすると目が開かないくらいに目ヤニが付いていて「完全にアレルギー性鼻炎の症状が出ているな」と思ったら大きなくしゃみを連続でしてしまいました。

かつて春の四国遍路で山の中を歩いていて黄色くもやもやときたと思ったら集団で歩いているあちらこちらから大きなくしゃみが聞こえて大爆笑になった事を思い出しました。本日は9時に大垣市役所の部長さんがおみえになるし、10時からは岐阜県福祉会館で岐阜県社協主催の人材の会議があり、13時30分からは西濃支部の施設長研修があり、15時30分からは和合の施設で実習を受けていた上智大学社会人学生の最終日で総まとめが実施されるので会議や打ち合わせが目白押しですので、二日間の市町村廻りでバテバテですが自分の役割をしっかりと頑張りたいと思っています。

社会福祉法人杉和会理事長になって24年、岐阜県老施協西濃支部長兼副会長から会長になって23年、全国老施協の役員に就任して(色々な役割させて頂きましたが)19年の日々が経過していますが、自分から役職を取りに行った事は一度もありませんが色んな方から依頼を受けて御引き受けしたものに対しては手を抜くことなしに今に至っていると自負しています。

忙しい生活が自分の性分にあっているのか、じっとしているのが性に合わないのかは自分でもわかりませんが高校時代からそんな生き方になっています。「高校時代から」と念を押したのは高校時代に『3無主義』なるものが流行っている時に当時やんちゃな連中から『生徒会に立候補したら』と言われて立候補はしたものの選挙活動なるものをしていなくて通常通り登校していくとスカートが足の踝まであるスカートをはいた見たことがある女子生徒が玄関先におおぜい並んで「若山君を宜しく」と頑張っていてくれたのには驚きましたが、その後も自分自身では選挙活動なるものをした覚えがありませんが、当選してからは生徒会活動を精一杯した事は間違いないです。大学時代も学生会活動にも力を入れました。その頃から自分の事はともかくみんなの為に頑張ってきたのが今に繋がっているのだと思います。

昨日に引き続き市町村まわりです

7時5分前に玄関を出ると既に吉澤施設長の車が家の前に来ていたので急いで私の車を車庫から出して吉澤施設長の車を車庫に入れて1つ目の目的地である中津川市役所に向けて吉澤施設長の運転で走っています。

昨日は役所回りを山県市役所を最後にして本部施設に17時40分で着くと既に全体会前の全体研修が行われていたので、私は18時からの全体会から参加しました。昨日は高速道路を上手く活用しても8市町村しか行けませんでした。と言うのは正直次の目的地までの距離があると言うのと下呂市は高速道路が走っていないと言うのも原因の一つで昨日1日で450キロ走破した次第です。本日は中津川市までは一気に走り、その後一般道で南下してから西に向けて行く予定をしています。距離は昨日よりはかなり少ないのですが、出来る限り多くの市町を回りたいと考えています。中津川インターで高速を降りる手前で山を見るとめっちゃモヤっているのです。昨日の様に雨が降っていてのモヤとは考えられないので「花粉がモヤっているのか」と思うと花粉症がある私としては困った日になりそうだと思っています。中津川市役所に行き「高齢福祉課はどこですか」とお尋ねすると「2つ向こうの建物です。」との事だったので歩いて行と、歩いている途中に大きな木が何本かあり、気温が高い為か湯気の様に出ていたのは感動ものでした。(と言う事は花粉だと思っていたのは湯気だったかも知れません。)

昨日は次の市町に行くのに距離があったのとは違ってどんどんと挨拶が出来ました。中津川市、恵那市、瑞浪市、土岐市、多治見市、可児市、美濃加茂市と午前中に廻り各務ヶ原市に移動中に『さがみ』で昨日よりはゆっくりと昼食を頂き午後から各務ヶ原市、岐南町、笠松町、羽島市、岐阜市、瑞穂市と効率よく廻り我が家まで吉澤施設長の運転で帰り、そのまま本部施設に戻りこのコラムを打っています。市町村廻りの総括としては、「まだまだ、岐阜県唯一の盲養護老人ホームの存在を知らない行政が多い」と言う事と「市町村長が措置権を持っている所謂老人福祉法による措置制度である」と言う事とがわかりました。と言う事は岐阜県の協力も得てしっかりとした理解を市町村による温度差が無い様にしていかなければいけないと改めて思った次第です。

本日は飛騨地区を中心に挨拶まわりです

朝7時前に吉澤施設長が我が家に迎えに来て、吉澤施設長の車を我が家の車庫に入れ、私の車を吉澤施設長の運転で先ずは飛騨白川村に向けて一気に行きます。ナビを入れて時間を確認すると到着時間は10時になっていたのですが、東海環状自動車道で本巣方面を走ると9時30分到着に変わりました。私のナビでは無かったルートだったので、止む無しと言う事ですが楽になったと実感しています。私が児童施設にいた頃には、髙山まで頑張っても4時間近くかかりましたから。

ひるがの高原のサービスエリアで休憩をとったのですが、雪がまだまだのこっていて、関ヶ原はまだ平和な所だと思ってしまいました。気温は3℃まで下がりました。雪でなくて良かったです。但し、雲の中の様にガスでくもってますし、雨もしっかり降っています。

白川村に行き、いまは飛騨市に向かっているのですが、国道41号線の両脇は30センチは雪が残っています。いやいや50センチはあります。この地方の春はまだまだのようです。

白川村、飛騨市、高山市とご挨拶を済ませ、一般道で下呂市に。お昼時で電気は消えていたのですが、私たち2人を見られた上司の方が受付の所まで出て来て下さり話しを聞かれて、担当者は10キロくらい離れたとにいるのでと言ってわざわざ連絡して頂いたので10キロ戻る形になりましたが、行く事にして、時間を節約する為にコンビニでパンとおにぎりを購入して、2人で車のなかで食べてから教えて頂いた所に行きました。連絡をして頂いていたのでしっかりと話を聞いて下さり、視覚障害がある方に進めて良いか迷う方が何人かありますので、良い情報をありがとうございました。と言われたので朝からの疲れが吹っ飛んだ気分になりました。

郡上市に向かう時にナビが山越えを示して、ヘアピンカーブで車に揺られながらスマホを操作していて大変だったし、18時から本部施設において全体会があり、明日も1日市町村まわりなので、まだまだ残りの報告がありますが明日に譲ります。バテましたが、とにかく明日も頑張ります。

軟弱な私です

かなり前から肩が痛かったので、一昨日(22日)ようやくにと言う感じではありましたが、整体で施術をして貰った時には非常に体が楽になった感じだったのですが、翌日には違和感があって、本日は朝起きた時から痛くて我慢出来ない状況なのです。但し、10時から3施設合同幹部会があり、午後からは、関ケ原町の介護保険運営委員会と関ケ原診療所運営委員会がありますので、本調子ではありませんが、やるべきことをしっかり頑張りたいと思っています。

本部施設に来たときは今一体の動きが悪かったのですが、10時が始まる前になりそれぞれに施設の幹部が挨拶に来た時には、不思議なくらいに痛みが軽減していて、改めて「私は仕事人間だ」と思った次第です。10時からの3施設幹部会においては、3月15日の法人の理事会があり、来年度の計画を示さなければいけないので、本日はたたき台を検討して3月8日に再度の幹部会を開催してしっかりしたものが提示していく事を確認しました。

具体的な提案の前に理事長として、本部施設のデイサービスが『地域密着型通所介護』に来年度からなる事によって、滋賀県の方に対しての広報戦略を、今まで以上にしていかなければいけない事を熱く語りました。また、業務省力化を推し進めているうえにおいて、入居者さんとその家族に不合理にならない様な体制を堅持しなければいけない事も熱く語らせて貰いました。

午後から2つの会議を終えてからは(終了時間は17時)少しゆっくりさせて貰い、明日は家を7時に出発をして飛騨地区を中心に、市町村へ盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設の定員を増やした事の告知に行きたいと思っています。3施設の健全経営と健全運営をしていき、地域の皆様から信頼される法人である様に、今まで以上に𠮟咤激励で頑張って行きたいと思っていますので、リピーターの皆さんも今まで以上にご支援ご協力をよろしくお願いいたします。(今になって表題とは真逆な文章である事に気が付きました。だったら表題を変えたら。と言う事ですが、蛇足的に続きを書きます。)

肩が痛い原因は、体重が増えて右肩を下にしているからだと理解しています。だったら、「食生活を見直したら」と言う事なのですが、「苛々したりすると机の上においてある『あられ』に手が行ってしまって「ボリボリ、ボリボリ、ボリボリ」と苛々が収まるまで食べてしまうのです。「あられはお腹も膨れるし、体重が増えますよ」と言われているのですが「私はあられが大好きなの」と言って親切に言われている事に反発する私がいるのです。本当に困った性格だし、軟弱な私なのであります。(表題にたどり着きましたが、毎度のことながら「トホホ」の話しです。

上智大学社会人講座の実習が和合で行われます

令和8年2月23日

『集中臨床実習・演習Ⅱ』のプログラムが7日間開始され、昨日は大阪のサテライト教室で『死の体験』講座を一日受講されて本日から5日間、和合の施設で入居者さんとのコミュニケーションを中心にあいた実践をされる為に9時からチェックインとの予定だったので8時45分に施設に到着して施設の中に入ると6人の実習生と3人の指導者全員が揃われていて、実習生さんはコミュニティホールに、指導者の方は理事長室に分かれて既に打ち合わせが始まっていたのですが、それぞれの部屋に入って行ってご挨拶をさせて頂きました。

打ち合わせの後、施設見学を伊藤副施設の案内でして貰い、その後10時に指導者であり当法人の評議員でもある不破さんから1時間の予定で話をする様にとの事だったので、事前に頂いている実習生のレポートにチェックを入れていたものに基づいて導入の話をしてから私の実践に基づいた話と、入居者さんとのコミュニケーションへの留意点について話をさせて頂きました。

実習生は『スピリチュアル』に興味を持たれている方々であり、専門職としてのキャリアも充分に身に付けられているので、私の実践での話に対しても興味を持って聞いて頂けました。聞き上手な方ばかりだったので話し易さも手伝って1時間の予定を30分も超過してしまったので若干、予定の修正もして頂く結果となりましたが各フロアでの実習時のコミュニケーションについてはやり易くなったのではないかと思っています。

昨年に引き続いての企画なのですが、50代から70代の実習生の方はそれぞれに意欲的なのできっと実りある実習・演習になると確信しています。12時30分からは実習生及び指導者の方と共に和合の施設の食事を体験して貰いながら講義の時よりもリラックスをした形で皆さんとお話が出来たらと考えています。

随分昔に『明治は遠くなりにけり』と言う言葉がありましたが・・

本日は本部施設において誕生会が13時30分から実施されます。最高齢100歳の方から97歳、96歳、95歳、94歳、92歳、91歳、89歳、87歳、85歳、77歳の11名の方が、本日2月生まれと言う事で家族の参加も5名あり、盛大に行います。最高齢の100歳の方は大正15年2月16日と言う事を、職員が写真入りのポスターをそれぞれに作成してくれたのをしみじみと見ていて気が付いた事は、「大正15年が100歳と言う事は『大正も遠い存在になってきたな。」と言う事です。大正は12月25日までと言う事なので、まだしばらくは大正生まれの100歳の方がありますが、「来年からは100歳になる方が昭和になるのか」と言う事を思った次第です。

100歳の入居者さんは非常にお元気で、コーヒーもケーキもぺろりと食べられたのを見て、「人生100年時代は間もなくなのかな」とも思いました。随分前の岐阜新聞に「48年後には、120歳の方が多く生きられている」と言う事をAI情報として掲載されていたのを見た時に「私が丁度48年後に120歳だから、私も120歳まで生きる事が出来るのか」と単純に思いました。100歳の入居者さんがお元気なのを見た時に「満更いい加減な話しではないな。」と思いました。

13時30分からの本部施設での誕生会に参加させて頂き、改めて入居者さんから元気を頂いた様に思いました。生年月日に準じて元気でいられるわけでは無いので何とも言えませんが、昭和28年5月16日生まれ若干72歳の私が、いつまでも元気でしかも現役でいられるのも色んな意味で使命感を持って頑張らせて頂いているからこそと思っています。午前中に和合の施設にいた時に面会にみえた家族の方から「日曜日なのに理事長さんは仕事をされていて、ご苦労様です」と言われたので「休みなく働かせて頂いているのは、健康だからです。」と答えました。そのあと3階の入居者さんとのお参りに行った時も、入居者さんから「毎週お参りに来て下さって有難い」との声が聞こえた時には「理事長さんは日曜日も頑張ってみえる。」との声を聴いた様で『元気百倍』になりました。

遠くから見ていてくれた方の事を書きます

令和5年に『全国老施協大会・研究会議 JSフェスティバル』が岐阜県岐阜市国際会議場で開催された時の開会式典において鎧兜を身に付けた私が大将で副会長以下の役員にも鎧兜で登場して貰った時の事を熱烈な思いで見ていたと言う事で「あの時の大将に会えるのを楽しみにしていた。」と言う事を2月19日の東海北陸ブロック正副会長会の会議の後の懇親会で会長としてテーブルを廻ってお酒を注ぎながら回っている時に声を掛けて下さった方があり、私の自惚れなのでしょうが「私をスターの様に見て下さっている。」と思うと正直舞い上がってしまう様な状態で有頂天になって「フェスティバルと謳っている以上は岐阜での開催なので織田信長が居城を決めた岐阜城の麓での開催である以上はあのようなパフォーマンスをしなければ参加者に申し訳ないと思ったものですから」と話をしていて、お話の流れの中で「名古屋の会長さんは松山千春さんの歌が上手だし、私も負けないくらい上手ですよ」と言うとその方が「私は歌姫と言われています。」と言うので二次会には名古屋市、岐阜県、三重県の役員8人でカラオケボックスでの歌を楽しみました。

皮切りは地元と言う事で私が歌わせて貰い、次に名古屋市会長が歌って下さり、自ら『歌姫』と言った本人は松田聖子の歌をデンモクで入れたあと部屋を出て行かれたので「どういうこっちゃ」と思っているとイントロが始まってから悠々と松田聖子の雰囲気で入ってきたのでみんなが大盛り上がりになりました。何曲か皆さんが歌われ、楽しい時間はあっと言う間に過ぎてしまいました。

私はカラオケボックスからほぼ近い所に泊まらせて貰い、翌日は10時から岐阜県福祉会館で岐阜県老施協の総務委員会がありホテルから直行させて貰ったのですが、実は9時30分過ぎに優・悠・邑 和合の施設に前夜のお礼の電話が入っていたので「先を取られた」との思いと共に「律義な方だ」との思いを持ったので昨日のリベンジと言う事で「電話では面白くない」と言う事で手紙を書かせて貰いました。私は頂いたご縁を大切にする事によって多岐に渡ってのネットワークを構築しての今の事業展開だと考えているので、ここは「倍返し」(懐かしいな。まるで半沢直樹の世界)の意味を込めた手紙を書きました。

ナビよりも携帯での案内の方が間違いないです

前日に吉田副施設長に大体の行き方を聞いていて、尚且つ歩いてのナビを入れて貰っていたのですが、スマホの操作の仕方が分からなくてホテルのフロントの方に操作をして貰って目的地に向けて歩いていて、スマホの画面を見ながら歩いていたのですが、スマホの画面が素直に動かなかった時にふと前日の吉田副施設長の十六銀行云々の話を思い出しながらも、若干不安になったので本部施設に電話すると、丁度吉田副施設長が出てくれたので、吉田副施設長の言う通りに行って無事に目的地に着きました。

会場になったのは結婚式場と言う事で大きな看板も無かったのですが、ドアを開けると案内をしてくれる方があり、会場の3階まで案内して貰うと事務局の方も来ていなくて「私が一番乗り」と言う事だったので「遅くなるよりはましだ」と思って順次役員が集まってきて受付の準備やネームプレートを机の上に置く作業を見守っていると、他県の役員さんが1階に大勢座っているとの情報を得たので、1階に降りてそれぞれに挨拶をしてから、3階にご案内しました。

定刻の15時に事務局の仕切りで会議が始まり、最初に岐阜県老施協会長として挨拶をさせて頂きました。

主な議題は7月30日、31日に開催される『東海北陸ブロック研修大会岐阜大会』の検討だったのですが、その中の話し合いの中で特に感じたのは色んなものがペーパレスにして経費を減らす話でした。

予定していた議題が終わって少し時間があったので、進行をしている私の権限で「物価高騰と人件費の高騰によっての食事の対応が厳しい状況であることに対する情報交換」について各県からの意見を聞きました。

総じて「食事は最も大切なもの」と言う事で「食事以外のお金の流用をしている。」との意見に周知したので「食費の標準価格の引き上げについても政治的配慮をして貰える様に働きかけをしっかり行っていく必要がある。」との結論で集約しました。

17時過ぎに会議を終えて17時30分からの懇親会の会場に移動して、懇親会の席でもホスト県と言う事で私が挨拶をさせて貰い、乾杯の音頭は今年度ブロック研修開催県だった石川県の紙谷会長にして頂き、その後がテーブルを移動して出来るだけ多くの役員さんにお酒等を注いで廻り進行を温めました。

2時間で懇親会も終わり、歌に自信のある方8名でカラオケJOYJOYに行き楽しいひと時を過ごしました。

文字通り『良く学び良く遊べ』ができたと思っています。

本日は少ししかコラムを打てません

令和8年2月19日

午前10時かリモートで岐阜県の主管で外国人材の検討会があり事前に資料の確認をしてリモート会議に挑み11時30分に終了して昼食を食べて少し早いと思いましたが宿泊するホテルに向かいました。ナビはしっかり駐車場まで案内してくれたので14時に事務局が準備に入る時間までコラムを打つ自分の律儀さを自分で褒めている私がいます。

15時からの会議は全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議で45人が集まる責任者として抜けがないように頑張ります。全て事務局に任せれば良いのかも知れませんが、その様な対応が出来ない性分なので。会議が始まったら引き続きの懇談会もあるのでこの辺で打ち込みを止めて多分5分くらいで会場に着くと思うのですが方向オンチの私ですので15分前ですが以上にします。会場報告は明日しっかりします。

今をときめかす『りくりゅう』に対しての私の勝手な思い

令和8年2月18日

『りくりゅう』と言ってリピーターの皆さんから「何のこっちゃ」と言う意見は無いと思いますが、改めてフィギュアスケートペアフリーで見事な演技で金メダルを獲得した三浦璃来(24歳)と木原龍一(33歳)の事です。ショートプログラムが5位であった事で木原選手は「全てが終わった」的な発言をして泣いてばかりで三浦選手が慰めていたとの報道に対して私は「世界の強豪を相手にして5位なら上等だ。ネバーギブアップの精神でフリーの演技を頑張ってくれ。それに5位にも入れない選手も大勢いるぞ」と思いました。(決して結果論では無く正直に思っていました。)そんな中でフリーの競技で誰も出来ない正に神業の様な演技をして見事逆転優勝の金メダル。

泣き崩れていた木原が立ち直って素晴らしい演技が出来た舞台裏には色んな事があったのだと思うのですが、ここからは色んな情報を得ての私の勝手な見解を述べたいと思います。報道によると三浦選手が大変なものを忘れてきた時に(フィギュアの靴だったと思いますが)木原選手が取りに行って帰って来ると三浦選手はちゃっかりウォーキングアップを済ませていると言うエピソードからも三浦選手は木原選手に甘えっぱなしだったのではないかなと思いました。

ところが5位と言う惨敗の中狼狽える木原選手に対して三浦選手が冷静であり、まるで9歳も年上の木原選手を三浦選手が母親の様にあえて言うなら『あやしている』様に思ってしまいました。ショートプログラムの結果が出るまでの木原選手は「三浦選手の面倒をみていかなければ」との思いをずっと持っていたのでは無いでしょうか。

しかしながら木原選手の泣きじゃくる姿を見て三浦選手が「ここは私がしっかりしなければ」との思いが急激に芽生えたのではないでしょうか。その結果木原選手が背負っていたものが無くなり今まで以上の信頼関係が出来た事によって『神業』につながったのでは無いでしょうか。勿論、9歳も年下の三浦選手が母親であるわけがありませんが『母は強し』と言う事では無かったのかなと勝手な事を思っています。

『母は強し』と言う事で言えば私の生母秋江さんは私が13歳の時に他界していますが、私の母秋江の教えである『蒔かぬ種は生えぬ』は今も私の中に脈々と生きていますから。やはり『母は強し』と言う事だと改めて思っています。

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