お陰様で本日は熱もない中1日ゆっくりさせて貰いました。

令和7年5月27日

私にとっては本当に贅沢な1日だったので、昨日優勝杯を手にして横綱確実になった新聞記事をしっかり読んだ事について、私なりにコメントします。

記事の中に、「先場所で敗れた若元春、高安、王鵬を4日目まてに撃退。」とさりげなく書いてありましたが、私に言わせると取り組みがえげつないと思いましたが、考え方を変えると、それだけ横綱になると言う事なのだと、再認識した次第です。但し、出だしで自信を持ったのか、余裕がある安定した取り組みが続き、13日目に優勝を決め14日目の大関戦も無難に勝ち、千秋楽での横綱豊昇龍との対戦には残念ながら負けましたが、これは豊昇龍の横綱の意地にあっぱれをあげると共に、全勝優勝はそんなに甘いものではないと言う教えかなと思っています。

まだ24歳と若いので、久しぶりの日本人が最後にどっかり存在してくれているのは、国技の復活は嬉しいので怪我なく長く健闘してもらいたい。

病気になって健康の有難さを知りました

とは言え有難さを知ったのは今までに数えきれないほどに経験しているはずなのですが。

元々虚弱体質なのを知っているのに、目の前のやっつけ対応に追われて健康な時は充実な毎日に感謝と思っているのですがいざ熱を出すと毎日が忙しいのを今は後悔しています。とは言え過密スケジュールとにらめっこしています。私が調子が悪いと色んな方に迷惑をかけてしまいので元気になってからも健康の大切さにも感謝した生き方にそろそろ変えていかなければと考えています。

フラフラになりました

昨日38、6℃の熱がでて、解熱剤を飲み、何とか朝には熱が下がり午前10時からのからの法人監事監査には参加したものの身体が自由に動かない状態になったので、午後からの理事会についてはお任せして、車の運転は無理と言う事で送って貰い、家に帰って熱を測ると39、6℃もあり流石にフラフラなのはやむ無しと言う事で、午前中に受診したかしの木クリニックの先生に紹介状を書いて頂き徳洲会病院に行きました。

解熱剤が効いてきたのか汗をしっかりかいていて、肺炎を患っていたら入院したいことを救急の先生に話しすると、レントゲンを撮って下さり大丈夫との事。

入院する事無しに家に帰って熱を測ると36、5℃と言う事で、しっかりご飯を食べて、明日まではしっかり休みたいと思っています。疲れが蓄積していたのだと思いますのを今は反省しています。

夏風邪はえらいです

令和7年5月23日

朝5時に目を覚まして「まだ調子が良くないので、お参りは無理だからゆっくりしていよう」と目をつむっていたら、6時過ぎに本部の施設長から連絡がありました。「何事」と思って携帯をとると、昨夜の夜勤職員が早退した理由を確認して、連絡してくれたのです。「早退理由を聞いた以上即、動かなければいけない」と思い、「風邪薬を飲まなければいけないので、急いで朝食を食べて薬を飲んで、出掛ける事にしよう。」と考えて、ギアをマックスにして行動しました。

今の時期は30℃以上の気温に慣れていない中でのいわゆる『夏風邪』なので、微熱であっても正直『しんどい』或いは『えらい』です。急いで本部施設に行き、会議室で情報収集をしてから「さてさて誰に相談すべきか」と考えて「ここは、リスクマネジメントに長けているびわこ学院大学の烏野先生が適任だ」と言う事で、スマホに連絡すると3コール目には出てくれて「親分の体調は大丈夫ですか」と言われたので(「互助会であまり調子が良くなかった事を覚えていての配慮だ」)と思うと(「この配慮の仕方は流石だ」)と思いつつも「先生そんな事を言って貰っても、理事長としてやるべきことはやらなければいけないので。」と言ってから情報収集をして整理したことを話しすると共に、適切なアドバイスを頂き改めて「流石にリスクマネジメントの大家と言われている方だ。私が初めてお会いした34年前から色んな経験を積まれたのだな。」私とは違う為生き方ですが、お互いに頑張っていると思った次第です。

午後は、最近2度に渡って入院された入居者の記録から見えて来たことを、退院されるまでに施設での体制を和合で整理するための話し合いに行きました。昨日、大垣支援学校の先生のご挨拶を忘れていたので、慌てて理事長室に行き、ここでは聞き上手な先生だったので武勇伝を話していて少し元気になり、多職種での話し合いをして、コラムの最後のまとめをしていますが何となく体が熱いのでこのまま我が家に帰り、明日は8時30分に在宅診療を始められた先生の予約が出来たので期待しています。

気力あるのみ

令和7年5月22日

昨日は一日バタバタの中で段々と喉が痛くなってきたので本部施設職員による互助会の木曽路大垣店での親睦会に法人理事長として招待を受けていたのですが「しんどいし、行かないでおこうか」とも考えていたのですが、「せっかく招待をうけたのだから参加しなけば」との思いと、「私の5月16日の誕生日の職員によるプレゼントの品物を着ていかなければ」との思いで「エイッ、ままよ」と出掛けました。確かに喉の痛みは強くなり、間違いなく37℃前後の微熱はあったと思うのですが、「せっかく参加してくれた職員に迷惑を掛けるわけにはいかない」と言う事で理事長としての話も終え乾杯の時のビールを1杯は飲んだあと、「体を温めなければ」と言う事で熱燗を飲むことにしました。

お酒飲み5人が私の周りに集まっていたので『道ずれ』にしたのですが「雰囲気を盛り上げなくてないけない」と言う事で2合徳利を5本並べて貰ったのにお猪口があまりに小さいと言う事で店長を呼んで「ぐい飲みを持って来て」と言うと「当店ではぐい飲みはご用意出来ません」と言うので手もとにあった器位のが無いのか」と言うと店長が本当にその器の綺麗なのを持って来たので「言ってみるもんだな」と酒飲み5人で盛り上がり「この器は飲みやすい」と言ってピッチが上がって行ったのですが私は流石に沢山は飲めなかったのですが場を盛り上げる事は出来たと思います。

「流石に本部の職員は外国の方も含めて遠慮なく注文してくれて2時間があっと言う間だった」と思いました。帰りは本部施設までの送迎バスで我が家まで送って貰い家に着くと「流石にしんどい」と言う事でしたのでお風呂も入らずそのまま寝ました。

夜中には体が熱くて目が覚めたり、喉が痛くて目が覚めたりしましたし、朝のお参りも中止してグダグダしていたのですが、10時から和合の全体会があるし、職員にどうしても伝えたいことがあると言う事で『気力あるのみ』と言う事で頑張っている内に喉の痛みも微熱も何処かに行ってくれたようです。改めて思っています。「使命ある生き方だと病気も何処かに行ってくれるのだと・・。

体が弱かった時の私には『使命なるもの』が無かったんだとしみじみ思った次第です。72歳にしてますます元気な私をリピーターの皆さん見守っていてください。

喉の調子が悪いので

令和7年5月21日

昨日から喉がいがらっぽくて若干熱ぽかったので昨夜は早くに寝たのですが朝5時にいつもの様に目覚めたのですが昨夜よりも体が重かったので「お参りで汗をかいてお風呂に入るのは止めなければいけない」と言う事でお参り自体を止めて再び寝る事にしました。7時に朝食を食べてからも出掛ける気になれずグタグタと横になっていたのですが9時前にメールで『お客様がみえてお待ちしてますとの事です」との事だったので無理やりギアを上げて着替えをして本部施設に行きました。我が家から本部施設は車で5分なので状況によっては良し悪しだなと改めて思った次第です。

9時30分から本部施設幹部会があるので車に乗ってから「お客様をボランティア室に案内して珈琲を出しておいて」と連絡しました。5分後に本部施設に到着して直ぐにボランティア室に直行して9時30分になったので幹部会のメンバーが呼びに来たので話を終えて会議室(直ぐ隣の部屋です)に行こうとすると『さくら高校』の実習指導の先生が帰られるところだったので幹部会の為にスーパーバイザーの為に来ていた(ちなみにオンラインで烏野猛びわこ学院大学教授も参加して頂いています)盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の施設長が法人全体の就職担当なので一緒に挨拶してから当施設では骨伝導によりパソコン入力をしていることと、眠りスキャンで眠ってみえる時の心拍数等々がリアルタイムで確認出来る事を熱く語り実習訪問の先生も興味を持って頂けました。

烏野先生は10時30分までの参加と言う事なので一番最初に最近の動向についての話をして貰い「現場が益々難しくて厳しい状況になるな」と感じた次第です。烏野先生の話に引き続きフロアの責任者からの報告があり、その都度方向性を示しながら進めて行き、最後の総括と今後の方向性について理事長として話をさせて頂きました、終了してバタバタと昼食を取り、13時30分から藤下の高木さんとのジョイントカラオケがありますので間隙を縫ってコラムの原稿を書いています。

高木さんは私以上の『昭和おじさん』なので13時過ぎにはおみえになるので、頑張ってコラムを書いています。高木さんとのジョイントカラオケが終わって16時から関ケ原町地域ケア会議があり、18時15分から本部施設の互助会がしゃぶしゃぶの木曽路大垣店であるのでいつも以上にタイトなのに体調が今一なので「これは、お酒はセーブしなさいと不動明王様に言われているように」と思うのですが、果たしてお酒と美味しい料理を前にしてセーブできるのか甚だ自信がありません・・・。

『覆水盆に返らず』

政治家さんのしかも農林水産大臣の現職の方の発言で、謝罪をしたり、撤回をしたりすれば大丈夫なのか。

『覆水盆に返らず』の意の如く吐いた言葉を無しにすることは出来ないと思っています。

しかも、米の高騰が続いている今、「何を考えているの」と言わざるを得ません。

国民の気持ちを逆なでする発言には耳を塞ぎたくなる思いです。

「『米は買ったことがない。売るほどある』とは国民を馬鹿にするにも程がある。」と言う事です。

(釈明と撤回要旨の中で)

【私自身は週に2回はスーパー回りをしており、定期的にコメを買っている。先週も買った。玄米で買ってほしいことを強調したくて、実態と違うことを言った。お騒がせしてしまったことは遺憾に思う。いただいたもので自分と妻の分はまかなえる量かもしれないが、足りなくなれば買いに行っている。政治資金規正法で禁止されている会社など団体からの寄付ではなく個人から私個人へのいただきものだ。売るほどあると言ったのは言い過ぎだった。講演会場が盛り上がっていて受けを狙って強めに言ってしまった。撤回というよりも訂正だ。正確性を欠いた発言だった。購入に困っている消費者の方々に配慮が足りなかった。】

以上の発言は『恥の上塗り』の様にとれる発言に私自身は『あんぐりです』「だってそうでしょう。」「米は売るほどある。」言っていた方が「定期的にコメを買っている。先週も買った」と言うのは「どこに真実があるの」と言わざるを得ません。

「足りなくなれば買いに行っている。」にも「どの口が言っているの」と言う感じです。

今回の米騒動で米の買い付けに失敗したJA(農協)の損失を助ける為に備蓄米を提供したと言われても仕方が無いくらいの密な関係だったと暴露しているようにも思えてくる。

今まで「減反政策はしない」と言いながら農協職員が農家を廻り減反政策に手を染めてきた現実を今須で米作を営んでいる複数の方に聞きました。

ところが最近の農協職員は「もっと作って欲しい」と比較的大規模な農家に頼みに行っていると聞いています。米に対する政策が思い付きでされて、一生懸命にお米を作られている方々を振り回すことは止めて頂き、安定した価格と数量になる事を切に願っています。

『他山の石』について語ります。

令和7年5月19日

『他山の石』をインターネットで調べると「他人の誤った言動や失敗から学び、自分の成長に役立てる。」との説明書きを見て改めて思う事は「わかっちゃいるけど止められない」の歌が頭に浮かびました。確かに理解はするのですが、「それでもやっていけないことをしてしまうのが人間なんだ。」とつくづく思っています。リピーターの皆さんの中には「あいからわず、前置きが長いけど何が言いたいの。」と思われているかたがおみえになるかと思いますので、具体的な事例でお話をします。

私は26歳まで食が細くてガリガリだったのです。だから自分で言うのも気が引けるのですが「体形が細くて(160cmで50㎏)スリーピースを格好よく着こなしていました。(それを自分で言いますかとも思うのですが。)ところが、児童養護施設の指導員になってから食事を食べるスピードが3倍から5倍程度になり、食事をした後の満足感が無い状況になりました。そして結婚する前は、午前0時前後に仕事から帰り、当然夜食が置いてあるわけでもなく、お風呂に入ったら寝てしまう毎日だったのですが、30歳と10日で結婚した、いわゆる新婚当時の1年間は帰ってくるとお酒と共につまみが用意されていて、私は「せっかく用意してもらっているのだから頂きます。」と言う事で、毎日の様に食べていて、その頃の私の体重がコンスタントに月に1㎏は増えていて「このままいくとえらいことになる」と思いながらも、38歳で児童養護施設の指導員を退職してからは不規則な生活になり、痩せていた時より30キロも増えた頃に腰痛が気になる様になりました。つまり、腰痛の原因の1つがウエイトオーバーだと言う事に気が付きました。

今は腰が痛くなると少し減量をしての繰り返しです。今回、この事を書こうと思ったのは、入居者さんの一人の方が施設の食事の他にカップ麺やジュースを飲まれていて、この1年間で9㎏近く増えたと言う事で腰の痛い訴えが多い事が分かったのです。私も我慢が出来ない状態になる前にセーブしなければいけないので、夕食を食べた後で大きなあられを食べないようにしたいと考えています。色んな問題や課題に対して辛抱強く出来るのに、自分の食生活には辛抱しなくて意志薄弱のような私ですが、頑張ってセーブしたいと考えています。

「トホホ」の話と「ありがたいな」と2題です

2題についてどちらも優・悠・邑 和合の地区での奉仕作業での話です。

先ずは先週日曜日の11日に実施された『どぶさらい』後の話です。

どぶさらいは結構に深い溝に(約1.3m)降りての作業だったのでヘドロをスコップに乗せて上に上げる作業だったのですが頑張りました。

そしてその日の夜に腰や肩や腕が痛くならないかと心配していたのですが全然大丈夫だったので「歳を重ねると痛みが出るのは2,3日してからなのか」と思っていて次の日も、その次の日も全然大丈夫だったので「意外と私の体は丈夫なのだ」と安心していたのです。

ところが4日目の15日になって肩に違和感を覚えたのです。

次の日の16日には我慢が出来ないくらいだったのですが(私の誕生日の日ですから元気に装っていましたが・・・)整体の予約が取れなくて、昨日の17日に整体の施術をしっかり1時間受けてかなり痛い事もされましたが、体をしっかりほぐして貰ってリフレッシュは出来たのですが、施術中に「歳をとると48時間から72時間で痛みがきます。」と何度か言われて、私に痛みが来たのは96時間後だから「忘れたころにしても96時間後とは如何にも遅い」と思うと『トホホ』と言う事です。

そして本日18日は同じく和合地区にある八幡神社の草刈り活動が7時30分から実施されると言うので7時前に和合の施設に行き、インドネシアとネパールの職員2人と一緒に八幡神社に行くと、早く来られている方に「優・悠・邑 和合の施設から来ました。分からない事ばかりですので宜しくお願いします。」と挨拶すると「杉和会さんですか。」との返事が返ってきたので「杉和会をご存じなんですか」と言うと「私はかつて平野学園に勤めていたので」と言われたので私は思わず「日比野先生ですか」と言うと(親しみを込めた声で)「そうです」と答えられたので「8年ぶりくらいですか。その節は大変お世話になりました。」と言ってからしばらくは8年近くのブランクを無くすような話をさせて頂くと、その会話を聞いていた方から「垂井にも施設があるよね」と言われたのでその方とも親しくお話をさせて頂けて、楽しく作業をさせて頂く事が出来ました。

と言う事で、一生懸命な対応をしているとこの様な展開もあると言う事で『ありがたいな』と言うお話でした。

元気にしていると色んな刺激を頂けると言うお話でした。

お参りでのあれこれ

令和7年5月17日

お参りで、妙心寺本堂に設置してある奈良薬師寺の大谷徹奘師の日めくりカレンダーを、その日その日めくるのが日課になっていて、当然ながら私がめくるまで昨日16日だったのですが、本日の17日にする前に16日の『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』を見た瞬間に「この言葉は私の人生そのものだ」と思い、思わずスマホで写真を撮った次第です。

と言うのも、私は両親の愛情を一手に受けて、文字通り世間知らずのボンボンで大変な状況になると、両親が矢面にたってくれた苦労知らずだったのです。しかしながら、私が38歳の時に父進が他界して、文字通り『自立』しなくてはならない状況の中、児童養護施設を退職して、極端な表現をしたら「援護者がいない」状況での『背水の陣』の様な生き方を選んだ私は『弱気の虫』が出そうになる度に下腹に力を入れて乗り越えてきた結果、自分で言うのは可笑しいかも知れませんが『強くなった』と言う事なのだと72歳の誕生日に思った次第です。そして本日の日めくりカレンダーの言葉が『できるとき できること できるだけ』の言葉には、自分自身が強くなった分「うん、うん、確かにそうだな。徹奘師は見抜いてござる。」と思った次第です。

本堂からお墓参りを終えて再び本堂の所に戻り、昨日は私の誕生日と言う事もあり、本堂向かって右側に設置してある、徳川家康が関ケ原の戦いに勝利した翌日に、今須宿本陣伊藤新左衛門宅内にあった石に座ったのが『不思議な力の宿る、今須の徳川家康公天下腰掛石』と言う事で、今は妙心寺境内に設置されているので、誕生日の記念にどっかりと座らせて頂きました。

気分よく帰って来て我が家に戻って来て玄関を開けようとして、玄関先においてある花に「綺麗に咲いている」と思って写真を撮ると「色んな所で綺麗に咲いている」と言う事でパチパチ撮りました。私はあまり花には興味がなくていつもスルーをしていたのですが、誕生日と言う事でテンションが高かったからか花にまで目がいったのだと思います。この花の世話は全て私の奥様かをりさんが種から育てているのですので、改めて感謝なのです。こんだけ花に囲まれた我が家だから、幸せに暮らせているのかと思うと「奥様にも感謝」と言う事なのかな~」

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