本日、米原14時53分発の新幹線で山口に行きます

明日から山口市において全国老施協の全国大会があり、明日の出発では間に合わないので、本日から山口に向けて出発します。3日間も施設を開けるので午前には和合に行き、1階でのお参りを済ませてから本部施設に行き、明日からの大会資料の確認などをしてからコラムを打ち、本部施設を14時過ぎにもう一人の参加者である吉田副施設長の車で米原駅に向かいます。正直、吉田副施設長が一緒なので非常に気楽に参加できます。但し、米原~新山口までの往復切符の手配については、私が大垣駅でしてきました。帰りは明後日の20時54分米原着なので、結構な強行軍になりますが介護業界の厳しい現状に対する今後の展開について、しっかりと学んできたいと思っています。勿論、大会での講演や事例発表だけでなく、全国の強者(つわもの)との私自身が築いてきたネットワークを駆使して、学習以外の所でも頑張って情報を得ていきたいと思います。

厳しい状況の打開策は施設がどれだけ努力しても叶わない事があるので、政治の力も借りながらの展開もしていかなければいけないので、その為にも『如何にして情報を手に入れて蠢くか』と言う事なので、その点についても頑張って情報を手に入れていかなければとも思っています。具体的には、昨日に手に入れた情報として、介護事業者の職員に一律10,000円のベースアップと、生産性向上に努力している事業所については最大19,000円までみていく。また、食費については1日一人当たり600円の補助金を考えているとの事。この情報の信憑性を確かめていく事によって、経営の在り方も変わっていくので、この信憑性を探る為には誰と接触していったら良いのかについてもしっかり、新幹線の車内で考えて行きたいとも考えています。

また、昨日の17時過ぎに岐阜県庁の議会事務局の方から私の携帯に連絡があり、厚生環境委員会の議員の方々に対して会長から40分程度現状説明をして欲しいとの事だったので、咄嗟に「私一人が行くのではなく、老施協の理事にも参加しての懇談会にすべきだ」と思ったのでその旨を話したところ「委員長と相談させて貰ってから改めて連絡します。」との事だったので、携帯を切って時間をおかずに厚生環境委員会委員長の県議に連絡すると「会長さんの言われる方向で事務局に言います。」との事で、携帯を切って5分程した時に改めて議会事務局の方から連絡が来て、私も含めて13名の理事と事務局長を入れた懇談会になるような部屋の確保をしていきます。との事だったので「会員事業所の為になるとの思いで、かなり不躾な提案になったけれども、大きな風穴を開ける事が出来た」と思っています。この事が上手くいったのは、私自身が岐阜県老施協の副会長を10年した後、会長を13年も勤めさせていただいている中でのネットワークの賜物だと思っています。残念ながら亡くなられた中村博彦会長の教えである『労を惜しまず』の賜物だとも思っています。これからも私が築いたネットワークも活用して頑張って行きたいとおもっています。

本日、岐阜新聞21面『社会』の記事から

令和7年12月2日

『職安職員 実績水増しか』 『求職者装い偽名で4社合格』との大きな見出しに、私は正直『目が点』になりました。記事の中で【東京都内の公共職業安定所(ハローワーク)の職員が偽名で求職者になりすまし、企業9社の採用選考に応募していたことが1日、分かった。うち4社から採用決定を受けていた。

職探しを装うことによって、職業紹介の実績を水増ししていた可能性がある。厚生労働省は、詳しい事実関係の確認を進めた上で、職員を処分する方針だ。(中略)少なくとも9社の採用選考に応募して面接を受けるなどした上で、4社で合格した。その後、就職辞退を伝えたとみられる。職員は求職者として2人分の偽名を登録し、求人を出していた事業所に自ら紹介していた。今秋ごろ、この職員が求人している事業所に面接で出向いた際に実名を記入。事業所側が書類との違いに気づき、ハローワーク側に指摘した事で発覚した。求職者側の採用辞退は就職件数から除外されるが、ハローワーク側が把握していない場合は件数に計上されたままとなる。(中略)厚労省各ハローワークに就職件数などの目標を設定している。ハローワークを管轄する東京労働局管内では、目標の95%を下回る月が続くと労働局から指導を受ける。】この記事を読んで私は数字に追い回されている哀れさと見方を変えたら違法を犯した職員の『実直さ』を垣間見る思いでした。

と言うのは恐らく違法を犯した職員は自分の休みを利用して書類を作成して面接に行き、採用が内定したところにはお断りまで入れられているのだから。労働局内でどのような根拠での数字なのかは分かりませんが、この様な事例が出てくるのは、ハローワーク以外での紹介の方が『安易で親切』と言う事で流れている為では無いかと推察しています。

と言うのは当法人において過去において現役の学生さんが紹介会社からエントリーをしてきたことがあり驚いた事があったからです。どちらにしても難しい時代ですが間違った流れにならない様に頑張っていきます。

本日は12月1日と言う事で非常なる思いがある日です

平成9年1日の出来事です。

この年は本部施設本館の施設建設に伴う補助金の内示を頂き、その後社会福祉法人杉和会の認可をその当時の岐阜県知事から7月17日付けで頂き、その認可で初めて所謂『人格ある組織』になった事を受けて8月8日(末広がりの縁起も込めて)に入札を実施させて頂き、大日本土木に工事発注する事になり、11月末にようやく骨格の柱が立ち、生コンで下打ちが出来てはきたものの未だ屋根が無い状態の中で、いきなり12月1日に優に40cmの雪が降ったのです。

私はその当時44歳でしたがこれだけの雪が降った記憶に無いくらいの積雪に(1月、2月には降りますが)私自身も驚きましたが、それ以上に驚かれたのが建設の責任者である総監督でした。

朝現場に行くと監督から「この辺では12月でもこんなに降るのですか」と雪が降ったのが私の責任の様な聞き方だったので、私は「私もあまり経験がありませんが、今回の補助金は単年度事業なので来年の3月を目途に完成させて貰わないといけないですよ」と言うと監督が「分かってはいますが、今後も降りますか」と言われたので「いくら私が地元の人間でも雪の状況までは分かりません。」と答えました。

そんな会話の後の動きは「流石に大手のゼネコンだ」と思う動きをされました。それは大型の温風ヒーターを20台くらいレンタルされ、6時間毎に給油をしなければいけないと言う事で給油当番を決めて泊まり込み体制を組まれました。

また、ガッツのある助監督は夜も徹して重機を操作して雪の除去をされました。

その日を境にして職人さんの数を倍増されての体制が取られました。

12月1日にいきなり降ったのですが、その後の積雪は大したことが無かったので翌年の3月30日には岐阜県による立会もあり色んな設備も入り、駐車場の整備もされて5月15日に無事に竣工式典が出来ました。

『もしも』と言う事はありませんが「平成9年の本日に40cmの降雪が無かったら」と思うと考え深いものがあります。

その後はそれぞれの造作が出来てからは設計管理の設計士と監督を伴って図面を持ちながらの日々であったのもしっかりと記憶にあります。

初めての入札日が『8月8日の末広がり』だったのと、職員の頑張りと地域の方々の理解もあり、平成16年には本部施設新館を、平成26年には和合の施設を令和3年には盲養護老人ホーム和(なごみ)の展開をするまでになりました。

12月1日と言う日に走馬灯の様に思い出しているのですが決して順風満帆ではなくて色んな事を乗り越えての今だと思うのでこれからも地域の為にご縁を頂いた入居者さん、利用者さんとその家族の皆さんにも変わらない笑顔でいて頂く為にこれからも頑張って行きますのでこれからも宜しくお願い致します。

焦りました

和合でのカラオケを終えて、15時30分に本部施設に、和(なごみ)の事務課長が決裁書類を持って来ることに急遽なったので、我が家に寄ってから本部施設に行く予定だったので、家での用事を手短にするための連絡をしようと、ブルートゥース機能を使って車の中からスマホを使える様にしてあったので、その機能を使って家に連絡をするのですが、何度か連絡をするのですが声が聞こえなくて、しばらくすると電話が切れてしまうような状況になり、私は真っ青になってしまいました。と言うのも「家への連絡だけなら良いけれども、その他の連絡も出来なかったら最悪だ」と言う事で、本部施設にもかけても家と同じ様にしかならないので「もしもこんな状態で、緊急的な要件が出来なかったら」と思うと焦りました。

家での要件をバタバタで済ませながら、携帯がつながらなかった事を確認すると「声は聞こえているけど、無言状態だったので切りました」との事だったので、ますます焦ってしまいました。家での対応はそこそこにして本部施設に行くと、丁度事務課長が来たので決裁を済ませてから、「スマホが上手く繋がらない」と話をすると、「一度自分の携帯でかけてみます」と言って私のスマホにかけて貰ったのですが、家とのやり取りと同じ状態になったので、色んな形で見て貰ったのですが治らなかったので、電源を切って再起動をして貰ったら通常通りにかかったので安心した次第です。色んな機能がついて非常に便利になったのですが、一旦使えなくなると、滅茶苦茶に不安になるものです。私の様に文字通りの昭和おじさんは、これからも色んなものが便利になればなるほど、この様な場面が多くなるのかなと不安ですが、機械の事を覚える事には全く無関心なので、どうしようもないと諦めると共に、今回の様に対応をしてくれる職員を確保していなければとも思っています。

急いでいると判断を間違える事があるものなのですね

9時前に国道21号線バイパスで和合の施設に向かっている時の話です。私は3車線の道路の一番左車線を比較的ゆっくりと走っていて、信号の300m位手前の所で真ん中車線を走っていた車が急に左車線に入ってきたので、急ブレーキを踏んで事なきを得たのですが正直その瞬間は焦りましたし「いらっ」としました。急に進路変更した車は直ぐに左に曲がって行ったのですが曲がった先はマクドナルドだったので「急に食べたくなったのであれば余程お腹がすいていたのか」と今は思える余裕がありますが、「命がけでマクドナルドに行かなくても」とも思いますし、「とっさに思いついての行動だとすれば、そのような行為は止めて欲しい」とも思いました。この様な行為を私は絶対にしないと言う自信はありませんので「事故にならなかったのだから私への警告」と思えば、相手の方に手を合わせなければいけないのかな・・・。いやいや私はそこまで仏様の様な寛容さがあるとは思えません。

26日に人間ドックで最初に血圧測定をして頂いた時に若干高めの数値で、その日の夕方にはかかりつけ医の受診があり17時のお約束だったので、16時30分に本部施設を出たのですが、本部施設を出る前にイライラする事があり、かかりつけ医の先生に血圧を測って貰ったのですが3度測り直しをされたので「どうしてですか」と聞くと「数値が高いのでキャンセルになってしまうんです」と言われたので「施設を出る前にイライラする事があったからですかね」と言うと「数値は正直ですから」と言われたので「苛々すると寿命を縮めるのか」と思った次第です。と言う事は多分今朝の急ブレーキを踏んだのは間違いなく寿命を縮めたと思っていますが、事故にならなかったのは昨夜彦根東福寺での護摩炊き供養のお陰かと思うと「有難い。守られている」と考えた方が良いのだと思う様にします。

今須は『秋本番』です

令和7年11月28日

昨日は人間ドックだったので(胃カメラも含めて異常なし)朝のお参りをしなかったのですが、本日は朝5時25分のアラームで元気にお参りに出掛けました。玄関を出る時に「もっと寒いのでは」と思っていたのですが、それほどでも無く元気に歩くことが出来ました。歩いていて先ずは最初に気が付いたのは幸福地蔵様の前掛けと帽子が新しくなっていたので「赤い布が殆ど白く禿げていたので新しくして頂けたので良かった。

気にかけて下さる方がおみえになるのは本当に有難い事だ」と思いながらいつものように幸福地蔵様の身体中を擦らせて頂きました。その後2つのトンネルを抜けて本堂まで進むと本堂の玄関が閉まっていたので玄関前でお参りをして今須稲荷様に1円、5円、10円、50円のお賽銭を投げ込むと爽やかなリンの音がして何か素敵な予感がしました。その後お墓の方に進んで行くと銀杏の絨毯が一面にあり、思わずスマホで写真を撮りました。

     

本堂内の銀杏の木は既に葉っぱが落ちてしまっていたのですがその事に気が付かなかったのは本堂内と言う事で葉っぱを綺麗に集められていた事と銀杏の実の方に気を取られていたからだと思います。銀杏の木が黄色く色付き落ち葉となっているのは『秋本番』から『冬本番』へとの予感がします。伊吹山に3度目の雪が積もったら今須にも雪が降ると言われていますが既に2度の雪を確認していますので「12月早々には雪が降るのか」と思うと「そろそろ冬支度をしなければ」とも思った次第です。

薄っすら積もった雪景色は情緒もあり、思わず『綺麗』と言葉に出してしまいそうですが50cmを超える積雪になると思わず『絶句』する事になります。昔から『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の諺がありますが、雪も降らないと水不足を心配しなければいけないので『ほどほど』であって欲しいと思っています。

本日は人間ドックです

昨年の5月に検査をして貰って以来、1年半ぶりの人間ドックなのですが、前回は検査の当日にバタバタと書類を作成して大変だった記憶があったので、今回は3日前に書類を書いて、余裕を持って出来て、検査キットへの月日についてもしっかりと記入できていたので、本日も余裕しゃくしゃくのつもりだったのですが・・・。本日の検便の容器が「ない、ない、ない」と言う事で、出掛ける直前まで探していたのですが、結局見つからず「準備万端の余裕のつもりが・・。」こんな状況を「気が利きすぎて間が抜けた」とでも言うのでしょうか。

とにかく、8時30分までに受付をしなければいけないと書類に書いてあったので、7時40分に家を出て8時15分に病院の駐車場に付いて、車を降りて玄関に急ぐと玄関の自動ドアが開かないので「8時30分までに来るように書いてあったのに、どういう事だ」と思いながら車に戻り、自動ドアが開くのを待っていると、8時30分にドアが開いたのが分かったので、玄関を入り受付の方に「人間ドックに来ました。」と言うと「玄関を出て左に行って下さい」といわれたので、言われた方に行くと専用の玄関があり、玄関前で看護師さんが待っていて下さったので「正面玄関が開くのを待っていました」と言いながら人間ドック専用の受付で検尿、健啖、検便を渡しながら「本日の検便の容器が見つからなかったので、改めて頂けますか」と言うと直ぐに出して頂けたので「私と同じ様な方がみえるんだ」と思った次第です。

受付が終わり更衣室に案内されて検査着に着替えると、身長、体重、血圧、視力、聴力等を手際よく検査して頂いたあと、血液採取を5本も採って頂いている時に「検査項目が多いので」と申し訳なさそうに言われたのには、私の方が恐縮してしまいました。その後も部屋を移動しつつ色んな検査をして頂き、最後は胃カメラだったのですが、鼻からカメラを入れて頂くようにお願いすると、看護師さんが鼻の中に麻酔液を噴霧して頂き、5分程して先生が来て頂き「少し大変かと思いますが、頑張って下さい。」と言われて、鼻からカメラを入れて頂いたのですが、鼻の通りが良かったのか鼻の穴が大きいためか・・・。いやいや先生が上手だったので、何ら問題もなく検査が終了して、しばらく外来の待合で待っていると、胃カメラをして頂いた先生から呼ばれて、写真を見せて頂きながら問題が無いので1年後にまた見せて下さい。と言われ、午前中で人間ドックは全て終了して、今は本部施設で昼食を頂いて(朝食抜きだったので一杯食べました。)コラムも掛けたので、これから関ケ原町役場に行って住民課長さんとの打ち合わせに行ってきます。

人間ドックに行って色んな検査をさせて頂いたのですが、どの検査の先生も親切丁寧だったので気分よく受診することが出来ました。だから、来年もしっかり人間ドックを受けなければと思っています。

本日は和合での芋煮会です

令和7年11月26日

8時40分に和合の施設に着くと職員2人が野菜を一生懸命に刻んでいて、芋煮会場の方に行くと既に釜戸の準備も薪を井桁に組むことも出来ていたので、私の役割は盛塩とお酒を釜戸の周りに振る舞う事と火の番と最終的な味見くらいになっているので「流石に3回目にして有難い事だ」と思った次第です。9時40分になったので薪に着火剤を塗りこみライターで火を点けて芋煮を開始しました。

本部と違って普通食の鍋と刻み食の鍋に分かれているので2つの釜戸の火の番をさせて頂いたのですが、我が家を出た時には雨が降っていたので家の玄関を出た所で『雨雲を切る行』を真剣にしてから運転して行ったのですが、私の祈りが天に通じたのかどうかは分かりませんが 和合の施設に着いた時には青空になっていたので各フロアの入居者さんが順番に見学に来て下さったので軽口を叩きながら楽しむ事が出来ました。

11時30分に出来上がった芋煮をそれぞれの鍋に入れフロアに持って行って貰い昼食の味噌汁として食べて頂きました。その後、打ち合わせに来た業者さんにも芋煮の中に冷凍のうどんを改めて煮たものを食べて貰ったのですが「滅茶滅茶美味しい」と言って貰ったので私のテンションは益々上がりました。業者の方から「煮込んだうどんの腰があるままなのは不思議だ」との話をしている時に厨房業者の方も仲間になって、厨房のかたから「冷凍のうどんの腰は比較的固いままですよ」と教えて頂いたので一つ知識が増えたと思った次第です。

和合での芋煮会は今回で3回目なのですが年々盛り上がって来ていることが嬉しくて「このワクワク感が堪らない」と思っていますし、「次には何をしてワクワクして貰おうか」と考えているとまたまたワクワクしてきました。この瞬間があるからまた頑張れるとも思っています。

本日15時から12月支払いのボーナス査定を行います

午前には和合1階でのお参りを行い、午後には本部施設に移動して15時からのボーナス査定を行います。3施設の責任者が揃い、最終的には理事長である私が最終決裁を行い、12月15日に支払われます。ボーナス査定の方法は事前に本人評価をしたのを基にして、現場の責任者が一次評価をしてから、管理者が2次評価をしたものを、最終的に本日15時から社労士の北村先生にも参加して頂き決定するものです。自分で自分の評価をするのも難しいものですが、人の評価をするのは責任が重いし大変難しいものです。

『相手を評価する』もんの中に『文字通り人を裁く』のが裁判所なのですが、先般行われた「100歳を越した明らかに認知症がある親を、20年以上に渡って介護していた方が親を殺した罪での判決」がテレビで報道をされていたのを見て、私自身が心傷んだものです。「親の介護は当然のもの」としてみなされてしまうと「殺人に至るまでに、何とかならなかったのか」と忸怩たる思いになります。

先般、介護労働安定センターは県の委託を受けての会議があった時に『ケアらー』の方の仕事への援助の様な事が話題になっていました。私は30年くらい前に『教育福祉カウンセラー』と自ら名乗って色んな展開をしていた時に、その当時はあまり世間的には使われていなかった頃に、文字通り『ヤングケアラー』であった中学1年生の男子に出会いました。私にとっては初めての経験だったので、その子から教わるばかりだったのですが、その会議の中で「ヤングケアラーの子も、いずれ大人になった時の支援も大切だ」との意見も出させて頂いたのですが、「介護している方が孤独な状況にならない様にすることの大切さ」についても、きちんと整理しなければいけないと思っています。

査定の話題に戻します。査定をした特に全員の職員が納得するのはとても難しい事ですが、しっかり話し合って客観性のあるものにしていきたいと思っています。だって、せっかくボーナスを出すのですから、それぞれの職員が「これからも頑張るぞ」と思って貰えるようにしたいですから。

頬被り

令和7年11月24日

朝のお参りを復活してから何日か経つのですが、玄関を出た時にいつも思うのは「頭が寒いし首元も寒い」と言う事でした。ちょうど床屋さんでしっかり丸坊主にして貰ったばかりだった事も大いに関係していると思います。私は児童施設に勤務していた38歳の時まではいわゆる『ロン毛』で大学生の時は肩の所まで髪の毛を伸ばしていてしかもパーマをかけていました。流石に児童施設ではそこまでではなかったですが、それなりに『ロン毛』でした。

髪の毛は文字通り『純毛』ですから冬場にマフラーをしてなくても良かったように理解しています。何日かの後悔のあと本日は「首に巻いている赤い比較的長目のタオルを頭の上に載せ首元で結んで歩くことにししよう。」と言う事でその様にしたところ、これが意外と暖かいのです。5時30分過ぎの旧中山道の町道を歩いている人はいないので「あいつ大丈夫か」と思われる方もいないし、仮に誰かにお会いしても多分今の私ならば堂々と「おはようございます」とさらっと挨拶が出来ると思うのですが。

暖かさを感じながら空を見上げたら当然の事ながら以前にも書きましたが東の空は明るさを確認出来ましたが西の空は真っ暗だったこともあり西の空にはいくつかの星を確認することが出来ましたが東の空に星を見ることが出来ませんでした。

リピーターの皆さんの中には「そんなの当たり前だろ」と思われる方もおありかと思いますが小さい頃『ぼーっと』生きていた私が今は元気で活動的なのでこの年になって『感動』しているのです。この様な気付きの多い少年であったならば多分『利発な少年』になっていたと思うのですが、70歳を越してからなのですが「だからこそ今が楽しい」と言う事なのかもわかりません。

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