100歳のお祝いに大垣市から来て頂けました

令和7年3月24日

「100歳のお祝いをして頂けるのなら、このくらい元気な方は最高だ」と思ったのでコラムで書きます。それは和合で10時から行われた時のお話です。車椅子での生活ではありますが、100歳とは思えないくらいにお元気でユーモアもある方で、大垣市の職員の方も「お元気で何よりです」と言って頂けました。大垣市長さんから託された賞状を、市の職員さんが読み上げて手渡されると、自分でも全文を読まれて、その場に参加されている方々がそれぞれ舌を巻くような状況と笑いが生まれました。かつては花屋さんを営まれてみえたとの事で、花束を手渡されると「良い花や」と何度も言われていたのも印象的でした。

『百寿』の言い方を「ひゃくじゅ」と言われる方があったら、即座に「ももじゅ」と言い直されたのは「流石」と思った次第です。百歳を迎えられて益々お元気なのは、ユーモアと頓智に長けておられ、いつもにこやかに過ごされていて、「これから結婚せなあかん」とマジ顔で言われているのは、雰囲気を一気に和ませて下さいました。かつて本部施設に109歳で岐阜県一の長寿の入居者さんがおみえになった時も思った事なのですが『おおらかに生きる事』が元気で長寿の秘訣なのだと・・・。

なかなかおおらかに生きるのは難しい時代なのですが、当法人の理念は『すべてに優しく いつまでも悠(ゆとり)ある やすらぎの邑(ばしょ)でありたい』と『今日一日 楽しかったよ』を展開していく事が入居者さんが元気でいて頂く源だと考えていますので、これからも日々楽しい提案の実践を心がけていきますので、これからも宜しく・・・。「そろそろ、私が花魁にならなければ」と考えているのですが。

本日14時30分から社会福祉法人杉和会の理事会が行われます

3月の理事会は令和6年度の補正予算案と令和7年度新年度事業計画案及び予算案の検討をする特に大切な理事会です。

21日9時前から岩田税理士事務所において理事会で理事長としての考えをまとめたものを持って行き打ち合わせをしました。

本日は14時30分からが理事会なので早めの昼を食べて、岩田先生が作成して下さった案に基づいて再度の打ち合わせをするために岩田先生がおみえになるのをお待ちしています。

本部施設本館が26年、新館が20年の経過の中、設備や備品の劣化による新規購入や全面的な設備替えをしなくてはいけないものが多くあります。

昨今の諸品目の物価高により厳しい予算作成になりますが職員の給与にも加味した形での予算になる様にしています。

設備では具体的に優先順序の1番が緊急機器装置の基盤が26年の劣化で修理をお願いしたら基盤自体が製造されていないと言う事で、全面的な改修になると言う事で400万円、これも事業開始から使用している大型洗濯機も200万円、新館の入居者さんの重度化に合わせて寝たままでのミスト浴の購入にも500万円と言う大きなものがあり、お米の値上がり(今須米を地元の農家さんから購入しているので極端な値上げにはなっていませんが)で、食料品の現価格も上がっているし、人件費や運搬費も上がっているので、より一層の節約をしながらも入居者さん、利用者さんに不利益が行かないような施設運営が求められている事に対して、職員が一丸となって取り組まなければいけないと考えています。

公的価格での事業運営なので収入について上げて行くには稼働率を上げて行くしか無いのですが、令和6年度2月までの稼働率は本部施設が95%で和合の施設が96%と言う事で両施設共に97%を目指してこれも職員が一丸になって取り組まなければと考えています。

本法人の強みは職員の離職が少なく、勤務年数が高い事により組織力が強固になっていることだと自負しています。

本日の理事会において、しっかりとした方向性を示し、1週間後の(30日)評議員会で承認を受けて来年度もしっかりとした方向で頑張って行きたいと考えています。

本日は本部施設4か所でお参りが実施されます。

令和7年3月22日

10時から本館1階でのお参りだったのですが10時3分前に1階フロア主任のカン君(介護福祉士のライセンスを持ったベトナム人)が事務所に「準備が出来ましたのでお参りお願いします。」と来たので1階フロアに行くと1階フロアの入居者さんが多く参加されていたので「これからお参りをしますので大きな声で一緒にお願いします。」と言って、先ずは『正信偈』からだったのですが多くの方が唱えて下さいました。『正信偈』『おふみさん』に続いて『般若心経』を中心とした四国八十八か所団参の時のお経を唱えさせて頂きました。

関ケ原には禅宗のお寺は1か寺のみで『お西さん』及び『お東さん』の檀家が多く(若山家は『お東』です。)『正信偈』のお経は多くの方が大きな声で唱和して頂けたのですが、『般若心経』については数人の方だけの唱和だったのでより声を張り上げて唱えさせて頂きました。

お経を終え、準備をしてくれていたコップの水を飲んでから「三寒四温で間違いなく春が近づいていて花見の時にはお酒も振り撒いますのでお酒がお好きな方は楽しみにしていて下さい。」とお話をして2階に上がると既に皆さんが待って頂いていたので「お待たせしました。これからお経を皆さんとしますのでお腹から大きな声をあげてお願いします。」と言って1階と同じ様にさせて頂きました。お経が終わって2階でもお話をさせて頂いてからカラオケがセットしてあったので『恋歌綴り』と『お前しか愛せない』(2階の皆さんはこの歌を最も喜んで貰えます。)を歌わせて貰いました。

昼食を頂いてから13時30分からはデイサービスでのお参りだったのですが、要支援の方や要介護1.2の方も多くおみえになる事もあり、このフロアの方が一番大きな声でお経をあげて頂けました。お経の後のお話の後、デイサービスでもカラオケが準備してあったので、「『王将』から入れて」と言ったのを伊藤課長が見逃さなかったので、「もう1曲歌います」と言って舟木一夫の『銭形平次』を歌ったのですが、私としてはあまりうまく歌えなかったので、名誉挽回と言う事で北島三郎の『北の漁場』を歌わせて貰い、結局3曲も歌わせて貰いました。

終了後は最後のフロアの新館に行き皆さんと一緒にお経を唱えるのですが耳の聞こえが悪くても一生懸命に唱えて下さる方が多くて『天でバラバラ』なのに一生懸命のお経に私は皆さんに負けじとお経を唱えました。唱えながら思ったのは「声を張り上げてお経を唱え、尚且つカラオケも歌っているのにしっかり声が出ているな」と思った次第です。

新館でもカラオケが準備してあったので北島三郎の『薩摩の女』を歌ってから「もう1曲」との声が掛ったので「薩摩は南の歌なので北の歌を歌います。」と言って『函館の女』入れて貰い本日はお経を4か所でとカラオケを7曲も歌わせて貰い杉花粉でアレルギーで体調は万全とは言えないし、昨夜はあまり眠れなかったのにも関わらず頑張れた事に自画自賛です。やはり私は入居者さんと共にいて元気を貰っている様です。

     

3月23日に当法人の理事会、30日に評議員会があります

令和7年3月21日

理事会の資料として『令和6年度補正予算案』及び『令和7年度予算案』の打ち合わせの為に、9時前に経理をお願いしている税理士の先生の事務所に行って打ち合わせをしました。特養の経営は全国的に厳しい状況の中、当施設も例外では無い現実があるのですが、地域の中で如何に貢献していかなければと改めて思ったものです。介護保険制度はあっても利用できない様な状況にならない様に、理事長として進むべき方向をしっかりと見極めていかなければいけない、と考えています。

そんな中で、本日13時30分から岐阜県老施協西濃支部の理事会(施設長会)が行われて、総会のあと意見交換会になりました。それぞれの施設の厳しい状況を意見として言われました。具体的には「厨房業者が値上げを言ってきている。」との意見に対しては、先般19日に私が全国老施協代議員総会の折りに出た意見として「これだけ色んなものが値上げしているのに、食費についての基準額が上がらないのはおかしい、との意見を集約する為に実態調査をしたところ、基準額より300円は上げないと対応が出来ないとの結果が出ているので、そのエビデンスを持って国に示していきたい。」との話を大山会長から聞いた事を話ししました。

次に、職員確保の難しさについての話になったので、「10年前に外国人材の話をしても時期尚早と言われていましたが、殆どの施設の共通項になってきたので、人材確保と育成について岐阜県の理解も得ながら、岐阜県老施協としても取り組んでいき情報共有に努めて行きたい。」と岐阜県老施協会長としての立場でコメントさせて頂きました。また、特養の経営が厳しい事については、私の持論である「加算や処遇改善だけでは解決しない。基本単価の大幅なアップを求める展開を、政治的配慮もして貰える展開をしていかなければいけない。」ともコメントさせて頂きました。また、施設の経年劣化による修繕に対しての補助が無い事との意見も出ました。国の考え方としては「修繕については介護報酬の中に含まれている」との見解だと思うのですが、今の介護報酬単価の中では捻出が出来ない状況について国や県に対して訴えて行かなければいけないとの意見が多く出ました。

参加者それぞれの方が熱く語られている事からも、皆さんが真摯に向き合われている事を認識出来たのは大変有意義な会だったと思いました。

昨日の出張は最後に疲れました。

令和7年3月20日

16時過ぎに全国老施協の代議員総会が終了して、会場を出ていつもの様にタクシーを止めようとしたのですがことごとく通り過ぎられたのでタクシーを諦め地下鉄に乗る事にしました。滅多に東京への出張は無いので地下鉄は誰かの案内がないと乗らないのです。でも、あきらめの悪い私なのですが一代決心をして地下に降りて行き地下鉄に乗る事にしました。

「さてさてどの地下鉄に乗ったら良いのか。」と言う事で取り敢えず私の拙い知識の中で、「取り敢えず東京駅に近いところへ」と思い有楽町まで乗る事にして有楽町まで行き出口のところに駅員さんがみえたので駅員さんに「東京駅まで行きたいのですが」に聞くと「反対側の7番出口を出て山手線に乗られると分かり易いですよ。」と親切に教えて頂いたのでその様にすると「めっちゃ遠いな」と思いながらも7番出口を見つけて階段を上がると確かにJRの入り口だったので「これは迷わなくて良かった。」と素直に東京駅までの切符を券売機で購入して東京駅まで来たのですが、構内での乗り換えをしようとしたのがそもそもの間違いのもとでした。

と言うのは、岐阜羽島までの切符を購入しようと販売所を目指したら凄い行列だったので岐阜羽島駅同様に券売機で指定券も手に入れようとして何度も挑戦してみたのですが、何度挑戦しても朝岐阜羽島駅で購入した時より全然安い値段の表示だったのです。

何度試みても同じなのでエイヤーと購入して改札を通ろうとしたら駅員さんから「乗車券が別に必要です。」と言われたので「券売機の仕方を教えて欲しい」と言うと「券売機が難しいのなら販売所で行って下さい。」と言われたので長蛇の列に並びながら「ここでは乗車券のみは買えません。と言われたらブチ切れそうだ。」と思いつつ順番を待っていてようやく順番が来て係りの方に事情をお話すると「ここまでの切符はありますか」と聞かれたのでお見せすると「この切符はこちらに頂き乗車券をつくり直します。」と言う事でようやくクリアで改札も無事に通れて本部と和合のお見上げも買う事が出来て新幹線に乗り込み「20時過ぎには家に着くかな。」とホッとしたものでした。

午前中に東京駅に降りた10時過ぎには結構な雪が降っていたのにコートも着て無くて寒かったのですが帰りはトラブル続きで汗をかくほどに暑くなったものです。スマホを駆使したの行動が取れない昭和おじさんは実に困ったものです。

久しぶりの東京出張です。

令和7年3月19日

朝6時40分に朝食を頂きバタバタと着替えて車に乗り込み岐阜羽島まで運転をして今、新幹線の座席に落ちつき、コラムを書こうとスマホとにらめっこをしても今朝は新聞も見ていないし、朝からの出会いでネタを考えても、屋根がうっすらと白くなったくらいで話題が無いと言う事で、2時間の乗車の時間を利用して、特養の事業開始で無ければ出会えない出来事を書くことにします。

最初に入居して頂いた方は何故か安八町の方でした。その方は身体的にはあまり問題はなかったのですが認知症があり一人での生活は無理だとの事での措置依頼でした。当時の私は認知症に対する知識も体験も無かったので彼女の対応から学ぶ事が多くありました。次に被害妄想が顕著な方の体験です。

その女性はしっかりとした体格でしたが腰が曲がっていて力仕事をされてきた方だとすぐに分かりました。施設に入るなり椅子に腰掛けられ大きな声で「ここは綺麗な所やけど全然いたいと思わない等」と言ってみえたのでさりげなく隣に座り婆ちゃんに手を見せてと言うと「わっちの手をどうするの」と言いつつ手を出して下さったのです。

グッと握りながら「ごっつい手やな」と言うと「わっちは男しと一緒に炭を焼いて男しに負けん位の炭を担いでいたからな」と自慢そうに言われたのをきっかけにして、色んな話ししながらせっかく来てくれたので施設を案内するは、と言ってゆっくり歩きながら気に入った部屋があったらその部屋でゆっくりしてもらっても大丈夫だよと言ってたら2階の一番奥の部屋なら良いよと言って頂けたのでその部屋のベッドに包布をかけて荷物も整理して生活して頂く事にしました。その後もベッド柵に服を干したり、荷物をまとめて廊下を歩かれたりと色んなフィーバーがありましたがその都度彼女の自慢話を聞いて貰う事を繰り返していくうちにいつもニコニコの素敵な入居者さんになられました。

次は男性の入居者さんで当時は喫煙所を設けてあり職員と共に吸える様にしてあったのですが認知症があり5分もしないで今日は一本も吸って無いと事務所に来て訴えられるので、その時は私も対座する形で大きな声でやりあってしまいました。

その方は生活保護の方で何かと言うと市役所に行ってくると言う方だったのですが、最終的に私がタバコを吸った事を忘れてしまうならいっそうの事タバコを止めたらと言ったらやめたるは、と言われて、それからはタバコの要求が一切無くなりました。このケースは理論も根拠もありませんが事実です。26年間の出来事を1日に集約する事は出来ませんがとりあえずここで締めて何れまた書きます。

 

オムツへの拘り

本部施設本館が事業開始をして1年が経過した頃に退職者が続出して理事会でも喧々諤々の状況が続き、結論としては施設長である私が自ら施設長を退き岐阜県のOBの方を施設長に迎え私は現場での対応を多くして入居者さんや利用者さんと向き合える状況を作る為『統括指導員』と言う役職で1年半勤務しました。その時に職員の方から一番最初に出て来た検討課題がオムツの見直しでした。

そこで、オムツの供給業者である山本企画の社長さんに私も含めて職員が装着したり許容量を確認する為に3社からのサンプルをお願いしました。ところが3社の内2社は直ぐに提供して頂けたのですが、1社からは「提供するだけでは当社の良さが分からないので提供出来ません。」と言ってきたのです。その当時の私は「どうしてだめなのか」と山本企画の社長さんに怒りをぶつけました。すると、「あの会社は拘りが強いので難しいかも知れませんので2社で検討されたらどうですか」との返事が返ってきたので「そんなに拘っている商品なら是非にサンプルが欲しい。」と言うと社長が中に入って下さり営業の方では無くて上層部の方と話を付けて下さり手に入ったので3社のサンプルを私も装着して許容量の実験をしたりしました。

山本企画の社長さんは営業の方と私がトラブルになっては大変だと思われたのか、「2社選定にしませんか」と言われたのですが結果としてはサンプル提供を拒んでいたスウェーデン製の商品に決まりました。確かに1枚当たりの価格は高かったのですがオムツを当てた時にズボンをはいた状態がすっきりしていて許容量もはるかに多くて安心して使用できる根拠が出来たからです。商品を実際に使用する前はあれほど憎々しい存在だった営業を行われる看護師の資格を持たれている方の指導は素晴らしくて「流石に商品に自信を持たれていたのだ」と思った次第です。但し、今は四半世紀の経過の中で日本の製品も日進月歩をしたので価格面を考慮して日本の製品を使っています。この考え方も当法人の『今日一日楽しかった』の一貫だと考えています。一人ひとりに合わせたケアこそ大切だとの信念の中での一つの結果だと思っています。だからこそ『労を惜しまず』『行動の老施協』で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

『くんくん』が今月いっぱいで閉店です

令和7年3月17日

『くんくん』とは『てるてる座』の座長が経営されていたカラオケスナックです。閉店理由はお店が入っている建物を壊されるからだとの事です。『くんくん』は山崎ていじさんがクリスマス会にきて頂いた後に二次会であったり、大垣で飲み会があった時の二次会でも使わせて頂いていたので少し、いやいやかなり残念なのですし、二次会用のお店を新たに見つけるのは大変です。『くんくん』のお店を使わせて頂くと持ち込みは全然大丈夫なので、経費節約の為に一次会から行う為に食事を持ち込む事も大丈夫なのは本当に有難い場所であったのです。

本日も一次会から『くんくん』でさせて貰うのでてるてる座のメンバーと当法人のメンバー総勢16人分のお寿司をスーパーで購入して持ち込むと共に頂き物の銘酒『獺祭』1升を持ち込みます。私は基本的に晩酌はしないし自分一人で飲むのは勿体ないのでみんなで飲んで貰って楽しみたいと思っています。『くんくん』の閉店セールの為に飲み会を企画したかと言えば、『てるてる座』の皆さんには大変お世話になっているので感謝の意味を込めての企画です。『てるてる座』は20年前に優・悠・邑で生まれた組織であると言う事で毎月第2月曜日にきて頂いたのですが今では午前中に和合と和(なごみ)で交代にして貰い午後は本部でとボランティアとして実施して頂いています。

と言う事で本日も3施設から総勢11名の職員が参加することになっています。本日は午前中は岐阜県社協の理事会があり、13時30分からは月1回の地元の高木さんがカラオケジョイントにきて頂けるのでコラムの原稿については合間をみて打っています。と言うのは16時から業者の打ち合わせが入っていてその後スーパーマーケットで予約したお寿司と若干のつまみを買って18時には『くんくん』に行かなければいけないからです。自分で言うのも可笑しいかも知れませんが『まめな人』だと思っています。

新年度を迎えるに当たって

令和7年3月16日

3月8日に本部施設において『フロア責任者会議』、11日に和合の施設で『多職種連携会議』、12日に和(なごみ)の施設で『全体会』、本日16日に本部施設において『幹部会』、24日に本部施設において『全体会』、25日に和合の施設で『全体会』と実施して、新年度開始の4月からの体制作りを確実なものにする為の会議や研修を実施しています。

1998年5月18日に本部施設本館において事業開始した時は「私の理念・思いを構築したい」との思いばかりが先行して職員との乖離が大きく、尚且つその当時は『措置制度』だった事もあり、入居者さんがなかなか入らなくて、先代の理事長にも同行して貰っての行政廻りと、経営が厳しい中で若山家の収入は私の非常勤講師で賄わなければいけなかったので、施設での仕事は土日と夕方或いは夜(宿直を週に3回程度していました。)と言う状態で、職員とのコミュニケーションを図る事が難しくて、しかも殆どの職員が大学・短大・専門学校の新卒者だった事もあり、事業開始1年で施設自体が崩壊寸前の様な状況になってしまいました。残念ながら多くの職員が退職していく事態にもなりました。

そんな中で事業開始2年目には入居者は満床で、私の非常勤講師も大垣女子短大と岐阜協立大(旧岐阜経済大学)に絞って、施設運営に力点を入れれる状況を確立して、職員とのコミュニケーションが円滑に出来る様にしていく中で、少しづつ良い方向に持って行って今があります。私の至らなかったところについても是正しつつです。今では色んな提案が出て来て私はまとめ役に徹すると共に、最終判断の役割を担っています。今は26年の重みを感じながらも組織が大きくなったので、幹部職員に委ねながらの展開に努めています。本日の会議の中で灯油の値段が4月から『115円』になるとの報告を聞いて、開設時は『30円』だったと言う事で、時代のうねりを感じながらの舵取りをしっかりしていかなければと思った次第です。

中津川市にある特別養護老人ホームの竣工式典に参加させて頂きました

本日10時から15床の増床の為の竣工記念式典の招待を岐阜県老施協会長として頂いたので自宅から約130キロの行程があり車に設置されたナビゲーションで確認すると高速道路を使っても1時間40分はかかると言う事だったので家を8時に出て運転して行きました。久しぶりに長距離の運転だった為か小牧のジャンクションで中央道に入るまでが長く感じられました。

「中央道に入り中津川で高速を降りるのか」と思っていたら手前の恵那インターで高速を降りる様にナビゲーションが指示するのでそれに従い進んで行くと段々と道が狭くなってきましたが突然大きな建物が見えて来て大きな建物の方に進むと職員さんが駐車場への誘導をしてくれて駐車をして大勢の方が外で立ってみえる方に歩いて行くと多くの方から声を掛けて頂き、施設長さん自ら館内に案内して頂きメインの招待客が見えるところで恵那県事務所長さん、中津川市副市長さん、地元の中津川市会議員さんらと式典前に名刺交換をさせて頂きました。

10時前に神事が外で行われるとの事で再び外に出て神事に参加させて頂きました。外は正直寒かったのですが皆さんの熱気が伝わって来て「素晴らしい神事だ」と思っている内に神事は滞り無く終わり、記念式典の会場は館内なので移動して来賓祝辞を私もさせて頂く事になっていたので、式典資料の中に『従来型15床』との情報があったので、岐阜県は従来型を認めている数少ない県であり、地域の需要に合わせての計画である事についてお話をさせて頂きました。記念式典も終わり祝宴のご案内を頂いたのですが、和合の施設での決済があったり、23日の予算理事会前の業者との打ち合わせが本部施設においてあるので、祝宴については丁重にお断りをさせて頂き帰らせて頂きました。

コロナ感染症の時期であった為完成が1年遅れたり、物価高騰の波の中規模の縮小が合ったりとのお話を聞き「そんな厳しい状況の中でも竣工式を迎えられたのは役職員の頑張りがあってこそ」と考えながら和合の施設まで帰ってきました。コロナも落ち着きを迎えてこれからは色んな事が動いて行くのだろうと思うと私もギアを1段上げていかなければと思っています。

1 6 7 8 9 10 11 12 13 14 298