選挙事務所に行った時の私の話に児童養護施設時代の事を話ししたので今日のコラムで書きます
私は26歳の時に教員だったのを自ら退職して、父親の逆鱗に会いながらも自分探し(本当の所は家にいられない状況)の為、今はダムの底に沈んでしまった旧徳山村で民宿を営んでみえた増山たづ子さんの所に(大学生の時のサークルの合宿でご縁を頂いた)居候生活を4月から8月までさせて貰い、その当時の徳山村まで来て誘って下さったのが児童養護施設の指導員の仕事でした。
その当時の私は児童福祉の知識は全くなかったのですが、教員資格は小学校と中・高の社会科の資格を持っていたので児童指導員になる事が出来ました。
就職をして1カ月くらいは特別待遇の『家庭教師』の様な扱いをして貰ったので14時に出勤して、子ども達と一緒に夕食を頂き22時には退勤するような毎日で逆に「こんなので良いのか、居心地が悪いな」と思う日々でした。
そんな中で中学2年生の男子が小学1年で習う算数の計算問題も解けない子を発見して、指導の仕方が分からなくて、その時は素直に教育者としての大先達である父進さんに相談して、その当時の特殊学級のベテランの先生を紹介して貰い、自分なりに独自のプリントを作成して文字通り独学に近い形で指導に取り組みました。
そして指導に力を入れたのは集団での学習指導の後の個別指導でした。
一人ひとりにあった学習指導と言う事で時には厳しく指導する事もありましたが、有難い事に子どもの成績も上がってきました。
ところがある年の受験生の中でどうしても公立高校に進学する事が難しい子が2人いました。
その当時の国の支援の中では私立高校の入学金までは考えられていなかったのです。
そこで、その当時の理事長に「何とか入学金を出して頂いて高校進学をさせて欲しい。」とのお願いに行ったところ「本人の努力が足らなかったのだから駄目だ。」と子どもの前ではきっぱりと言われたのですが、その後私だけが理事長に呼ばれて「若山さんが毎晩遅くまで指導している事は知っているので、私立高校でも立派に卒業させると言うのなら私が入学金を出します。」と言って下さり、二人の子もしっかりと高校を卒業して社会人として巣立っていきました。
私は38歳で児童養護施設を退職したのですが、今も児童福祉に対する拘りがあり、かつての仲間である方に聞いたりする中で「高校中退者が続出している」との話の中で、私が私立高校への門戸を切り開いたあと、岐阜県の単独補助金で私立の入学金が出る様になった事によって、安易な指導の中で安易に高校に行き安易に退学する流れがあるとの話を聞いて私は「何の為に切り開いたのか」と激怒している事を今はこのコラムを書きながらも苛つく気持ちは治まりません。
今でも児童養護施設の若い指導員たちに『活』を入れに行きたい思いです。
「今は時代が違います。」と笑う者は笑わしてでも、声を大にして言いたい気持ちで一杯です。






