奥様の蘊蓄(うんちく)

令和7年1月24日

いつだったか、このコラムで「小さい頃は虚弱で、霜焼けで治りかけの時にむず痒くて、靴下も手袋も付けるのが嫌いでした。」と言うような内容の事を書いているのですが、本日朝の時間に前後の事は記憶にないのですが、私の奥様『かをりさん』が「寒いからと言って、外に行く前に手袋をしてもなかなか手の中が温かくなることは無いけど、手袋をずっとつけていて車の運転をすると、車の暖房を入れなくても温かい」と言う話をしていたので私は「細かい所まで節約することを徹底しているのは、見習わなければ」と思った次第です。

但し、私は確かに小さい頃はむず痒い思いをしていたのでそのことがトラウマのようになっているのは確かだけれども、高校2年の夏休みに四国団参に行った年の冬からは、一切霜焼けは出来ていないのだから、靴下や手袋を嫌う必要は無いはずなのに、今も嫌っているのは、「小さい頃の記憶はいくつになっても引きずるものなんだ」と改めて思った次第です。

そう言えば、テレビで生鮮食料品の多くのものが高くなっているとの情報の中、私が大好きなミカンが本当に高くて、かつては手が黄色くなるくらいにたくさんのミカンを食べたり、籠にたくさんのミカンが盛る様に入っていて気軽に食べていたのに、文字通り数量制限で出てくるのは「時代かな」と思っています。と言う事は先の事は分からないと言う事なので、何事に対しても先の見通しを立てた展開が必要なんだと思うと共に、私は社会福祉法人杉和会の理事長として、また、岐阜県老施協会長として、しっかりとした見通しを立てての方向性を発信していかなければいけないとも思った次第です。その為には、多方面での情報を得る努力も惜しまずにしていかなければとも思った次第です。リピーターの皆さん、朝の一言から、壮大な事を考える私は変なのでしょうか。

コロナ感染症対策の一貫で中止していた本部施設『カフェ邑』(認知症カフェ)を再開しました

令和年1月23日

一旦中止したものを再開するとなると、結構なエネルギーが必要でなかなか再開出来なかったのですが、来年度からは本格稼働することにして本日、試行的に実施して参加される方の要望も参考にしながら、4月からの本格稼働に向けて実施していきます。

かつて『カフェ邑』に参加して頂いていた方の中で、10時開始にも関わらず9時30分には早々とみえる方があり、地元の方々の期待度が伝わってきたので思わず「ありがたいな~」と思った次第です。

今須地区(旧不破郡今須村)はかつて1か所だけですが、点滅とは言え信号機があったのですが、その信号機もいつのまにか撤去されてしまい、信号機もない地区になってしまっています。国道21号線の通りに唯一喫茶店があり、地元のサロンの様な存在になっていますが、単なる喫茶店のサロンでは無く、健康維持や健康管理は勿論の事、特養とデイサービスのノウハウとハードを駆使して、参加されている方が喜んで頂いて、本日の参加者は8人でしたが次第に参加者も増えて来て、文字通り地域貢献が出来る様な展開にして行けたらと考えています。

国の施策として始まった本筋は「いつまでも健康を維持して貰う為」と言う事で始まり、そのことの象徴として、最近では『フレール』と言う言葉を度々聞くことがありますが『フレール』の意味を日本語にすると『虚弱な』と言う意味で『健康な人と要介護人の間』『介護になる一歩手前』の状態の事。と言う事で、フレールの状態になる前に当施設に足を運んで頂き、時には相談にも応じますし、フレール予防のためのメニューを実施していく事によって、施設の敷居を低くしていく事は大切な事だとも考えています。

今後はより充実な展開にしていき、フレール予防の地域の担い手として頑張って行きたいとも考えています。リピーターの皆さんの中で、参加されたい方は是非参加して下さい。

今年の夏に参議院議員選挙が行われますが

令和7年1月22日

岐阜県知事選挙が真っ只中で微妙な時期なので知事選のコメントは差し控えさせて頂き、今夏7月に実施される参議院議員選挙について私なりの考えを述べさせて頂きます。全国老施協では組織内候補としてその当時全国老施協会長であった中村博彦先生が参議院議員選挙の全国比例候補として立候補され当選され2期目の途中で残念ながらご逝去されましたが、中村博彦会長が参議院議員でみえた時には正直介護報酬の膝詰めでの折衝に私も参加させて頂き、厚労省の担当者と堂々と渡り合えた事を身を持って知っているので、過去2回の組織内候補が全国比例で落選してからの折衝がなかなか上手くいかない状況に忸怩たる思いでいます。

今夏7月の参議院議員選挙においては全国比例での組織内候補者を出すことすら出来ない状況に危機感を思えているのは私だけではないと思います。2度の選挙で落選したとは言え組織として常に5万票は出せる組織であり、全国老施協の職員が心を一つにしてまとまれば30万票は楽に取れる組織であるにも関わらず落選の憂き目をみて、候補者を出せないのは「情けない」との思い以外ありません。「他産業との賃金格差は開くばかり」とか「介護職の評価が上がらない」等と嘆いていても問題解決にはならない。

介護保険の制度設計を決定していくのは政治だと言う事を介護に関わる方々に理解して貰う努力をもっともっとしていかなければいけないと思っています。先ずは当法人に関わる職員及びその家族、そして入居されている方々の家族や地域の方々に理解して頂ける様に声掛けをして行く事を今まで以上にしていきたいとも考えています。

もう一つの展開としては今夏の参議院議員選挙では出来なかった事ですが3年後にしっかりとした考えを持った若手の方に組織内候補になって貰い、しっかり支えて行ける体制を構築しなければとも考えています。だって、『安心した生活』にはしっかりとしたセーフティーネットが無ければいけないわけですから。

花粉症なのかな

令和7年1月21日

今のところ関ヶ原の雪は大した事がなく、「昨年の1月22日には一機に雪が降り、交通渋滞して、自衛隊が出動する事態になったし、私自身も和合の施設から自宅に帰れなくて、和合の施設にUターンして泊まることになったけれど、今年については、昨日が暦の上では大寒だったけど暖かい日で、本日も暖かい日なので、このまま今年は春になるのかな」などと考えていたのですが、昨夜は鼻詰まりを起こして喉も乾く現象があり、寝にくかったので「1月のこの時期に花粉症が始まったのか、デリケートな私の体は、敏感に反応してしまっている。」と『デリケートな体』と言う事を強調してみたものの「トホホ」と言う事です・・・。

確かに地球的規模で『温暖化』が進んでいて、「日本のしっかりとした『四季』が無くなってしまい『夏』と『冬』だけになってしまって『春』と『秋』が無くなってしまうのでは」との提言をされる方があると聞いています。となると、自然界の状況も変化せざるを得ないので、私の花粉症の症状もどの様になってしまうのかが心配です。何たって『デリケート』ですから。鼻づまりの症状が酷くなると、睡眠に影響して頭もぼーっとしてしまう嫌な季節なので、私的にはそんな季節が無くなれば良い等と勝手な事を考えていますが、花粉が飛ばない自然界になれば、木の成長にも影響してくるし、大変な事が起こるのかも知れないと考えると、花粉症くらいは我慢しなければと思っています。

昨日のコラムを朝一で確認すると過去の原稿がアップされていて・・・

令和7年1月20日

スマホで確認して正直『目が点』になりました。と言うのは私が大分前に書いた原稿がアップされていたからです。

(確認したところ昨年12月24日のものでした。)「このままでは連続記録で無くなる。」と言う事で7時になった段階で本部施設に連絡をすると宿直だった五次副施設長が出たので直ぐに昨日和合から送信した原稿が来ているかの確認をして貰い送信されている事が確認出来たので直ぐに事情説明する一文の指示を出し直ぐにアップして貰い「何とかクリア」と言う事で私の精神状態は落ち着き、改めて昨日のコラムを見ていくと現行の下の所にお正月の大きな花立の中に我が家の紅梅の木の折れたのを(私的には捨てたもの)再利用してあった紅梅の木から新しい息吹として綺麗な花が咲きている写真が掲載されたていたので改めて実物を見に行くと確かに上の方に細い枝から可憐な花が咲いていました。

正直下の方の花は造花だったのですが写真で見ると本物と上手くマッチングが出来ていたので「上手に見せてあるな」と思うと同時に紅梅の木の生命力には舌を巻く思いでした。と言う事で、お正月飾りの役割を終えたらきちっとした形で植え治したいと考えています。そのことから改めて色んなものにも役割があるので大切にしていきたいと考えています。

本日は10時30分から和合3階でお参りをしました。

昨日、以前の原稿を間違って入れてしまったため、改めて19日分の原稿を入れます。

令和7年1月19日

令和5年8月から和合の施設長として私なりに出来る事をしようと言う事で、2か月が経過したその年の10月から午前はお参りを、午後はカラオケを各フロアで実施することにしました。最初の内は、フロアによっては集まって下さる入居者さんが少ない所もありましたが、『継続は力なり』で徐々に集まる方が増えてくるのと並行して、職員の協力も充実してきました。

3階のフロアでコロナ感染者が複数出ていた関係で、久しぶりのお参りだったのですが、いつも以上にお参りのお経の声に力が入っていたように思いました。正信偈と般若心経のお経を終えてからの私の話として、1月11日に京都三弘法のお参りに神光院・仁和寺・東寺と行った時のお話をさせて頂きました。お話についても一生懸命に耳を傾けて聞いて頂けたので、「これからもお参りとカラオケを頑張ってしていきますので、宜しくお願いします。」と言って話をして、3階のお参りを終えました。

13時30分からは、1階でカラオケをさせて頂きますが、多くの方に歌を歌って頂ける様に進行も含めて頑張りたいと思いながら、このコラムを打っています。1階のカラオケが終了次第、本部施設の向かいにある整体の施術の予約を16時にしているので帰らせて貰う予定でいます。自分の体のコンディションを整えておくのも大切な事だと思うので・・・。

和合の施設(大垣市)と本部施設(関ヶ原町今須)ではこんなに違います

令和7年1月19日

昨日のことですが、本部施設がある我が家を8時20分に出発時に車の温度計は『0℃』を示していたので「和合の施設に着いた時に何度になっているかな。」と思いながら運転していて、関ヶ原の町の通りまで進むと『2℃』を示し、垂井と大垣の境の所まで進むと『3℃』になり、和合の施設の駐車場に着くと『4.5℃』になっていました。

と言う事は4.5℃は間違いなく温度差があると言う事に驚きです。だって距離にして25キロも離れていないのに。でも納得せざるを得ないのは、家を出た時には雪が降っていたのに大垣市内に入ると太陽が雲の間から覗いていたので・・・。

私は来年の干支である『巳年』と言う事で蛇の様にくねくね絡んでしまうところがあるので(そんな時ばかりではありませんが・・・。)和合の施設を出るときにも温度の確認をしました。と言う事で和合での温度は『7℃』でした。「さてさて本部施設では何度になるかな。」と思いつつ車を走らせると段々と温度が下がっていくのが分かって結局本部施設の駐車場に着いた時には『2℃』になっていたので『5℃』のさがある事にショックでした。

でも、冬は大変ですが夏は今須の方が過ごしやすいので「どっちがいいのかな」と思うとともに最近のニュースで「日本の気候が冬と夏だけになってしまうのではないか。」と言っていたので「う~ん。困ってしまうけど『住めば都』と言うから、結論は「まっ、いいか」・・・。リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

 

確かに高知県のお酒文化は半端ではないと思いました

週刊現代の最新号(1月25日号)の最初のページに『高知の宴会文化「おきゃく」の楽しみ』との見出しで高知県の酒文化について特集がしてありました。

私も2度高知に全国老施協の関係で訪れた時に「お酒に対する拘りは凄いものがある」と思った事も含めて本日のコラムにします。

私のエピソードの一つ目は15年程前に全国老施協総括幹事として高知県で実施された、若手職員対象のカントリーミーティングに講演及び助言者として参加させて貰った時でした。

高知空港まで迎えに来てくれた若手役員だった牛窓君が車を運転しながら「若山先生、高知ではお酒の早飲み大会が行われて男性は1升、女性は5合を飲んで早さを競うのですが、今年の男性の優勝者のタイムはどのくらいだと思いますか」と言われたので、私はマジに考えて「いくら何でも3分はかかるでしょ」と答えると「先生、高知を嘗めたらあかんですよ」と言うので「だったら2分ですか」と再び答えると牛窓君が嬉しそうな顔をして「先生、まだまだです。」と言うので私の頭は機能不全に陥ったのです。

「一体正解はどれだけですか」と聞き返すと牛窓君が涼しい顔で「13秒何です。」と答えたので、その答えを聞いた時には「そう言えば私が高校生の時にサッカー命の同級生が500mlのコーラをごくごくとでは無くて流しのみしていたのと同じか。それにしてもお酒だぞ。」と感心したのを覚えています。

もう1回は高知県で全国大会があり夜の懇親会で役員としてメインテーブルにいたので、高知県の役員さんがお酒を注ぎに来て頂いた時の話です。

どの役員さんも私を前にして自分が持って来た杯に自分で注いでグっと空けてから、おもむろに私にその杯を渡してお酒を注いでくだれたのです・・ところがその杯は底が開いているので自分の指で押さえながら飲むので一機に飲むことになり、返杯するとまた返杯で後ろに待ってみえる方がおみえになってもお構いなしでの宴会でした。

この2度の経験から高知県はお酒の飲み方が半端ではないと理解しています。

週刊現代の記事の中にも

【「おきゃく」とは高知ならではの宴会のことで、飲酒代が全国の2倍近くに達する酒飲み天国高知の象徴でもある。冠婚葬祭はもちろんの、旧知の仲だろうが初対面だろうが、誰かが来ると「おきゃくしよう」となる】

この記事を読んで改めて高知の凄さを感じていますが、高知県の井上会長とは委員会等でご一緒させて頂く事も多かったので、間違いなく井上会長も酒豪でしたが、そこそこ井上会長と指しでお付き合いできたと言う事は私も酒豪の中に入るのかな~。

令和6年度第三者評価調査委員養成研修実習報告会に参加して

岐阜県社協からの依頼を受けて、令和2年度に第三者評価を受けている施設と言う事で、第三者評価委員養成の為の実習施設として受け入れていた結果報告会が本日、岐阜県福祉会館で行われました。評価は『A』『B』『C』の評価を客観的な聞き取りをして頂いた事に基づいて行われました。『A』ランクは「しっかり出来ている」との評価で『B』ランクは「頑張って実施しているが、もう少し改良の余地があると」の評価で『C』ランクは「今後しっかり計画を立てて実施無ければいけない」との評価でレポートされており、45の項目についてまとめられていました。

結果としては『A』ランクが25項目で『B』ランクが20項目で、『C』ランクは0項目でした。実習指導者の大学の先生から冒頭に「今後の展開にをより良くなって頂きたいので敢えてBランクとさせて頂いたものもありますが理事長さんの思いが色んな形でしっかりされているとの感想も持たせて頂き、私自身も勉強になりました。」との言葉を頂いてから、「A評価については時間の関係で省略させて頂き、B評価についてのコメントをそれぞれに受け持ったところについて説明させ、そのことについてのお考えがあればご指摘を宜しくお願いします。」と言う事でBランクの項目について説明して頂き、調査の段階でしっかり話し出来なかった事も含めて私の方から現場の実態も含めて話をさせて頂きました。

全ての説明を終えてから和合の施設の幹部職員3人から感想も含めて話をさせ終了しました。終了してからの私の思いは「何事も完璧は無いが耳が痛い指摘については真摯に理解して今後に生かしていきたい、」と思いました。第三者の客観的な指摘を聞けたのはとても良かったと思いますので機会があれば正式に第三者評価を受けてみるべきだと思いました。

本日は生母秋江さんの命日です

令和7年1月16日

私が中学1年生の本日1月16日に、子宮癌⇒胃癌⇒肺がん⇒骨癌と転移を繰り返した上で他界しましたので、人生の後半は(と言っても短い人生でしたが)苦しくて辛い闘病生活だったと思います。私は何度もこのコラムで書いていますが、末っ子の長男で、しかも生まれた時から虚弱だったので、母秋江さんにとっては『目の中に入れても痛くない』或いは、「カンガルーの母親がお腹の袋に入れて育てる」くらいに、大切に育てて貰った母秋江さんでした。

13年と言う短い年月でしかなかったのですが、『中身の濃い』母と子の関係でした。母秋江さんは、自分の事より誰よりも私の事を大切にしてくれていたと思います。一つのエピソードを紹介します。

以前にもこのコラムでも書きましたが、私が小さい頃には関ケ原病院(今は関ケ原診療所ですが)の分院として『今須診療所』があり、私はちょっとした事で高熱を出し、常に往診をして貰っていたのですが、正直前後の詳しい事は覚えていないのですが、とにかく診療所も本多先生が私への対応をしっかりして頂けなかった時に、母秋江さんは湯気を出す勢いで怒鳴りに行った結果、本多先生が後日沢山缶詰を持って謝りにみえた事を覚えています。その頃缶詰は貴重なものだったと思いますので、母秋江さんの怒りの凄さが今でも理解出来ます。

自分で言うのも変ですが、『いたいけな』13歳の私を置いて死期を理解した母秋江の心情は、計り知れないものがあったと思います。だからでしょうか、死別して50年以上経過しているにも関わらず、仏壇で或いはお墓でお経を唱えている時には、小さい頃に戻って甘えた事を思っている私がいます。

今の私は母秋江さんに出来なかった恩返しを、施設の入居者さん利用者さんに対して私が出来る精一杯の気持ちで、返しているのだと思っています。そういう意味では今の仕事は『天職』と言えるのかと思ってもいます。この様な書きぶりだと「若山はマザコンか」と言われたら「そうなんです。でも甘える母秋江は50年以上前に他界しているのですが」とややこしい事を言わなければいけません。本日のコラムは母秋江の命日での私のつぶやきですのでご理解頂ければ幸いです。

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