『ゾンビたばこ』なるものがあるそうです

テレビで『ゾンビたばこ』と言う耳慣れない言葉を聞いて、その中で異常な行動が画面で紹介されていたので、改めてインターネットで検索してみたところ、色んな情報が書いてありましたので、私なりに情報を基にコメントします。

『ゾンビたばこ』と検索すると『ゾンビドラックとは』とのタイトルで説明がされていました。【『ゾンビドラック』とは、北米(アメリカやカナダ)を中心に乱用され、多数の中毒死を引き起こし大きな社会問題となっている薬物の事を指します。『ゾンビ』と言う言葉は、特に『フェンタニル』という麻薬性鎮痛剤を違法に入手し、過剰摂取した人々の様子から使われるようになりました。過剰摂取により意識が朦朧とし、体が前のめりにしたまま立ち尽くしたり、フラフラ歩いたりする様子が、まるでゾンビのように見えることから、これらの薬を称して『ゾンビドラック』と呼ぶようになったようです。】

元々は医薬品の鎮痛剤や麻酔薬として開発されたものなので、正しく医者が投与するのであれば全然問題はないのでしょうが、昔の諺で『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の様に、乱用すると常習化して命の危険もあるとの事です。

ここまで書いてきて私は、生母秋江さんとの記憶が蘇ってきました。母秋江さんは、私が中学1年の1月16日に子宮癌~胃癌~肺癌と転移して、最終的には骨に癌が転移して亡くなったのですが、60年程前のことなので、その頃の医療対応で痛みを抑える(骨に癌があるのですから、想像を絶する痛みだったと思います。)為にモルヒネの投与がされたのですが、治療の一貫で慎重な処置がなされていたとは思いますが、所詮は『麻薬』ですので、脳に異常をきたしてきたと思うのですが、大きな声を出したり暴れたりと言う現象になってきました。そんな時でも父進は怒る事も無くじっと見守っている姿には、今でも尊敬しています。

本題に戻ります。何故医療的な処置でも無いのに、自分を傷つけるような行為を若者を中心にしてしまうのでしょうか。『ゾンビたばこ』が、体にとって害になる事を承知で手を出してしまうのは何故でしょうか。私の母秋江は激痛に耐えられずに『モルヒネ』を投与していたのですが、健康な体を蝕む行為をしているのは、母秋江の姿が中学1年の時に焼き付いているので、腹立たしくてたまりません。

途中からでしたが最後まで見てしまいました

主語の無いタイトルにリピーターの皆さんは「またまた理事長は何が言いたいの」と思われた事でしょう。実は昨夜20時30分頃眠い目を擦りつつベットに横になったのですが「いくら何でも寝るには早すぎる」と言う事でテレビのチャンネルをポチポチしていると懐かしい歌が流れていたので「少しこの番組を見てから寝る事にしよう。」とその番組を見ていて結局22時前の最後の曲まで見てしまいました。

改めて昨日の新聞のテレビ欄で確認すると『メーテレ(6チャンネル)』の「昭和の名曲 伝説歌手40組の売り上げ№1曲集結今聴きたいTOP40」と言う番組でした。どうして「結局最後まで見たか」と言えば(多分28曲目からだと思うのですが)次々紹介されるもの全ての曲が私自身も口ずさむ事ができるものでした。レコード(決してCDではありません)の売り上げ枚数だけで言えば『およげたいやきくん』が断トツでしたがこの曲は何故かベスト10には入っていませんでした。その理由は「今聴きたい曲」と言う事だからだと思います。この番組の視聴者は50代から70代に焦点が当てられていたのだと思います。その理由はテレビの画面に視聴者の感想が映り出されていたのですが50代から70代の方のコメントばかりだったからです。但し、第一位が『異邦人』と言う私にとっては余り馴染みの無い曲であった事に「最後まで見ていたけど最後にモチベーションが下がった。」と思いました。そこで『異邦人』について調べてみると、1979年に久保田早紀さんのデビュー曲と言う事が分かりました。勿論この曲も口ずさむ事は出来ますが「まさかこの曲が1位とは」と言う事です。ただしこれは私の独善的な考えに基づいているので強く推すものではありません」。ただ言える事は1979年と言うのは私が児童養護施設の指導員になった年なのでテレビとは無縁の生活をしていた時代とぴたり会いますのでその点はご容赦下さい。

最後にピンキーさんが『恋の季節』を歌われた時には私自身コメントしたかったです。と言うのは私が15歳で父親に頼んで中古のステレオを買って貰って最初に買ったレコードがこのピンキーとキラーズの『恋の季節』であり、57年前の歌声と変わらない声量で歌われたのは感動でした。と言う事で慣れ親しんだうたを思いっきり聞けたのは幸せでした。リピーターの皆さんはどんな歌が好みなのかを教えて頂けると嬉しいです。

たまたま朝の連続テレビ小説を見たら

朝の番組『あんぱん』を何となく見ていた時の事です。(私には朝の連続テレビ小説を見る習慣は無いのですが)その中で漫画家を目指す(『アンパンマン』の作者柳井崇さんがモデルです。)柳井さんの奥さん(こちらが主人公なのですが)が、稼ぎの少ないご主人に代わってダブルワークの様に仕事をしているのに対して「ご苦労なさっているのですね」的な事を言われた時にきっぱりと「私は苦労だと思っていません。」との言葉を聞いた時に「凄い一言だ」と思い、私なりのコメントをこのコラムでしていきたいと思います。

そこで、先ずは柳井さんの情報を得る事にしました。1919年生まれでテレビアニメ化がされたのは1988年と言う事なので、実に69歳の時だと言う事にも驚きましたが、『アンパンマン』事態が元々は、ヒーロー物へのアンチテーゼ(アンチヒーロー)として作られた、大人向けの作品を子ども向けにアレンジしたものだと言う事には本当に驚きました。

経歴を読んでいく中で、2つの事に思いを馳せました。一つには「苦労と思っていません」と言う奥さんの旦那さんの才能を信じて支えている事で、二つ目は正直な生き方の中で、著名な方々とのネットワークの築きです。私はその築き方は決して打算に基づいたものではなくて、自分の正直な生き方から生まれたものだと思います。また私は今でもたまにBS放送でアンパンマンを見ることがあるのですが、そんな時に「よくこんなキャラクターを思いつくな」と思っていたのですが、インターネット情報で『登場キャラクターが最も多いアニメシリーズ』としてギネス世界記録に認定されていると言うのにも納得です。

最後に言いたいのは、柳瀬さん事態に素晴らしい才能が有った事と、柳瀬さん事態の人柄が素晴らしいのは間違いないと思うのですが、その才能と人柄を信じて連れ添った奥さんの存在は限りなく素晴らしいと思います。そしてかく言う私も『ちら見』(「うん、どこかで聞いた様な言葉だけど」)した番組でここまで書けるのを自画自賛です。

先進的な取り組み

『天変地異』が起きてから後悔しても遅いので法人として出来うることをしておきたいとの思いから本部施設においては10年ほど前に『防災備蓄庫』を造りその中に食料品と水は1週間分確保して、簡易トイレ、段ボールベット、リヤカー等が準備されています。

その他に他には無いものとして一斗炊きの大釜と200食分の味噌汁を作れる大鍋も確保していますので、停電になったりガスが使えない時にも薪を確保(今須にはいくらでも提供して貰えますだけの根拠があります。)しておけばある程度の安心が持てる体制です。

和合の施設長になって3年目を迎えている私としてはある程度の状況もわかる様になってきたので和合にも防災庫を造りたいとの思いで計画していくときに「和合の施設では洪水に対する備えもしなくてはいけない」と言う事で本部は違う対応をしなければ」と言う事で地元の業者さんとも話をして『高床式倉庫』を計画しています。

高床式倉庫で有名なのは『登呂遺跡』がありますが、この時に高床式倉庫にしたのは『湿気とネズミ対策』だったと思うのですが、今回、高床式倉庫を思いついたのは、万が一揖斐川の堤防が決壊して施設にまで水が来た時にも倉庫の下を水が流れる様にしたらどうかとの考えからです。

確かに1m以上地上から上げた倉庫であれば基礎もしっかりしなければいけないのでコストは高くなりますが万が一の時には役にたつと思っています。

この事を大垣市の職員の方にお話をしたら、「一度見に行きたい」と言う事で今月20日に本部施設に来られる予定です。先進的な事を実践するのは一見無駄な事の様にも思えますが『備えあれば患いなし』色んな経費を今なお以上に節約して資金の捻出をして実施したいと考えています。

職員には「けちと節約は違うし節約に努めるには気付きが必要だ」とも話をしています。

施設での習慣

令和7年8月13日

本部施設本館が事業開始をして26年の月日が経過する中で私が施設館内を歩いている時の習慣があります。それは本部施設本館、新館、和合、和(なごみ)のそれぞれの施設でも同様の習慣です。それは何かと言うと廊下を歩いている時は上と下を適度な間隔で見ているのです。上とは『天井』であり、下とは『床』の事です。天井を見ている時は「天井に染みが無いか」と言う事。何故ならが『染み』があれば天井の上の所で『漏水』が起きていると言う事です。どうして拘るのかと言えば「自分の顔に染みがあっても気になりませんか」と言えば「絶対に嫌です」との答えが返ってくると思います。それと同じように心血を注いで建設した建物に染みがあれば「何とかしなければ」と思うのと同じです。気が付いた時に適宜修理をすれば、大変な状況になる前に対応出来常に綺麗な状況を保てるからです。

昨日19時過ぎに和合1階の倉庫の天井に水漏れの報告を受け、19時過ぎですがメンテ契約をしている業者さんに応急処置の為に来てもらい、本日は建設をして頂いた業者さんにお盆休みと言う事は分かっていたのですが理事長である私の性格を知っている責任者が休み返上で来てくれました。本格的な対応はお盆休暇明けになりますがそれまでの対応についてはして頂きました。今回私が見つけたわけではありませんが、職員に対して常に「施設は大切に使う様に」と言っていたので、気付いた職員が報告してくれた事により初期対応が出来たと言う事です。なお、床の確認については「濡れた所があったら転倒リスクが高める」と言う事での対応です。

この様にしているのは特に本部施設本館開設当初はコンクリートが完全に乾ききっていない為に床がべたべた状態になっていたので私は出勤時の一番の仕事は床の濡れている所をモップで拭く事でした。だって床が濡れていて転倒されたら申し訳ないからです。その外には「居室空間に嫌な臭いがないか」「ベットメイキングはしっかり出来ているか」も見て回ります。この習慣はかつてのコラムで書きましたが私が小学4年3組の担任の時にその当時の若原校長先生が窓越しに見てみえた事の教えです。誰もが完璧な人はいません。

最も私の若い頃はチャランポランタンだったので特にそうなんですが貴重な教えはしっかり守りその教えを大切に継続することが大切だと考えています。まだまだ不十分な私ですが今後も貴重な指摘を大切にしながら頑張っていきますので今後共よろしくお願いいたします。

「このお菓子大好き」とか「このプリン美味しい」は、素直に嬉しかった

昨日の午後に実施された本部施設での『てるてる座』のボランティアに、座長のお孫さんで東京八王子から参加してくれた小学1年生の女の子に、控室に行きお菓子をプレゼントしたら「このお菓子大好き」と素直に喜んでくれて、私の方まで嬉しくなったものです。そして、ボランティアが始まる前に入居者さん、利用者さん一人ひとりに自ら手を差し伸べて握手をしてくれていて、入居者さん、利用者さんが本当に嬉しそうな顔をされているのを見た時は、感動して涙をこぼしそうになってしまいました。その後オープニングで『アンパンマンアニメソング』をけれんみなく歌ってくれたのには、清々しさを覚えたものです。

1時間の企画が終了していつものようにコーヒーとケーキを出した時に「小さい子にはケーキではなくてプリンの方が良いのではないか」と考えてプリンをケーキ屋さんで購入して出したのですが「このプリン美味しい」と言って、パクパクと食べてくれたので私自身「しめしめ」と思うと共に「素直に口に出して表現できる事は素晴らしい。」とも思った次第です。

そんな中、本日10時から我が家において父進の命日法要とお盆の先祖供養を兼ねたお参りがあり、次男家族と共に昼食をとったのですが、2歳3か月の孫娘の食べっぷりが良くて、気持ちよく何でも食べてくれて、口に入ると「美味しい」「美味しい」と言ってくれるのには「じいじはメロメロ」と言う事ですし、「素直に表現出来るのは素晴らしい」と言う事です。孫娘は2歳3か月で孫息子は生後9か月ですから、孫と一緒にお酒を楽しむにはあと20年待たなければいけませんので、その頃には90歳になっていますが、孫と楽しくお酒が飲めるまで元気に頑張りたいと考えています。

明日は次男家族が我が家にやって来ます

大垣市内に住居を構えているので、いつでも会える距離なのですが、私の都合もなかなかつかず、お正月とお盆の他はそれぞれの誕生日に昼食を楽しむくらいです。そんな状況の中、明日はお盆と父進の命日に合わせて我が家にやって来ます。

法要についての私の役割は、仏壇の確認とお寺さんの確認くらいなのですが、蝋燭を購入しに行った時に、2歳の孫娘と昨年11月に生まれた孫息子が喜びそうなお菓子を、ついでの様に購入しました。実は蝋燭がメインでは無くて、孫たちのお菓子がメインの様に自分でも理解しています。

先般「お米が欲しい」との事だったので、次男の家に持って行った時に2歳の孫娘が「じいじ、有難う」と言ってくれただけでメロメロになった私としては、日々成長していく孫が明日は来ると言う事で、何となく「うきうき」しています。明日の昼食は次男夫婦の希望により地元のうなぎ屋『魚しげ』さんに無理を言って(最近は遠くからもお客さんがおみえになるようで、結構な人気だと言う事です。)12時にウナギが焼いて貰える様にお願いをしました。

明日はお寺さんに10時に来て頂き、父進の法要と共に、お盆供養のお経も唱えて貰ってからは『メロメロじいじ』を楽しみたいと思っています。ただし、明日も雨が降るとの事だったので、その事だけが心配ですが、我が家は丈夫に出来ているので孫たちを濡らさないようにすれば大丈夫だと思っております。『もう一つ寝ると♪孫が来る♪♪』と歌い出す様な気分でいる私です。

お盆の帰省等の交通ラッシュの報道を見て

「10連休だ」とか「12連休だ」とテレビで報道していますが私はいつも「自分の立場から言って連休を取って海外旅行に行こうと言う状況ではない。」し、決して強がりでは無くて「人込みや交通渋滞の中でどこかに行きたいとは思わない。」とか「大きな工場が一斉に休みを取って機械を再稼働するのならば長期休暇にして再稼働した方が経費的に安く済むから」等と言っているのですが、10年程前に1回だけ何ともならない込々の列車に乗った経験があります。

それは正に10年前の8月10日の日から11日の出来事でした。その日の事は絶対に忘れる事が出来ません。具体的な話は出来ませんが8月10日に東京出張がありその日はホテルも取ってあり翌日の切符の指定も混むことを想定して取ってあったのですが、『予定は未定で』1本の電話があり、出来るだけ早くに長崎県まで行かなければいけない事情が出来、本部施設の職員も2人同行して貰わなければいけない状況の中、東京での会議の後「とにかく今日中に家に帰って朝一番の列車に乗って長崎まで行こう」と言う事で東京駅に行き、指定席を取ろうと思ったら『本日の指定は全て売り切れ』の告知がしてあったので取り合えずホームに行くと『立錐の余地なし』と言う状態で、2本の列車を見送り3本目の列車が出る間際に飛び乗ってドアに持たれた状態で名古屋までの1時間40分立ちっぱなしで、しかも運悪く隣には女性の方だったので考え過ぎかも知れませんが女性に触れて誤解を招くのも如何なものかと思い両手は上にして所謂『フォールドアップ』の状態でいたのは大変でした。

もっと大変だったのは、翌日の事です。私を含めた3人の職員の移動で当然の事ながら指定席は取れていないので新幹線は米原から大阪までは座れたのですが大阪から博多までの3時間近くの時間は当然の様に立ちっぱなしで、博多から長崎までは駅前で予約してあったレンタカーで職員の運転で目的地に着きました。あの時の事を考えると「お盆中には車や列車での移動はしたくない。」との思いを持っています。でもね、お盆休みにしか移動できない方にとっては移動しないわけにはいけないと言う事ですから「なんで混むと分かってでも行くの」とは言わない様にします。

何とか地元和合新町の夏祭りが出来そうです。

朝からどんよりとした天気で、岩田理事との打ち合わせを終えて本部施設に行くと「理事長、今日の夏祭りは雨で出来そうも無いですね。」と職員から言われたので「絶対に出来ます。」と言う根拠のない言葉を返していたのですが、今(13時30分)は青空が見えてきたので、私的には「しめしめ」です。夕方からの企画なので「明日が土砂降りでも良いので、20時までは雨が降らないで下さい。」と勝手な事を考えています。

私が和合の施設長になって丸2年が経過して、私が施設長として力を入れて来たものの一つに『地域貢献』があります。つまり、「地域の中で安心・安全な施設の存在」を理解して頂く為には『地域との繋がり』が無ければ何もできません。そこで和合の施設が事業開始する段階で、和合地区の連合会長さんと民生委員児童委員の方に当法人の評議員になって頂いてはいたのですが、地域との交流と言うまでにはなっていなかったのですが、地域の清掃活動などに参加させて頂く中から「お祭りの企画に参加して貰えたら」と言う事で、施設としての企画として『輪投げ』『的当て』の遊びコーナーと『ポップコーン』と『石焼き芋』の販売をさせて頂く事になっています。

『石焼き芋』については、本部施設で所有している本格的な機械を運び、本部施設の水野係長がボランティアとして取り仕切ってくれる事になっています。「こんな暑い時に石焼き芋はミスマッチだ。」との声もありましたが「匂いだけでも楽しんで頂ければ」と思っています。和合地区の皆さんがどんな風に思って頂けるのかと考えると『ワクワク感』が増してきます。

この様な地道な活動が地域からの信頼を産んでいくと言う事で、私も和合地区の方々としっかり交流していきたいと考えています。後は天候だけですが「思いは通じる」と思っています。

今の天気は訳がわからない・・

鹿児島県で線状降水帯が発生して、車が流されてひっくり返っていたり、土砂が流れて道を塞いでいたり、道路と思われるところを警察官が住民を誘導しているところなどの映像が映し出されていて、「凄い事になっているな。」と思いながらテレビを見ていて「天気図で確認すると、この線状降水帯は梅雨の末期の様な形です。」とのコメントに「最近の天気は訳分からない」と思った次第です。

岐阜県においては「今年の梅雨ははっきりしていなかったな」と思うと同時に「季節がぐちゃぐちゃだな。」とも思いました。例年の梅雨は、じとじとした日が続いて梅雨の終わり頃に豪雨に見舞われる事が常だったのにと思うと、世界中の気候はどうなってしまうのだろうと思っています。本部施設は谷に挟まれた所に位置していて、台風などの雨に見舞われると敷地内に流れている川に土砂が流れてきて、川から土砂を取り除く作業があったのですが、岐阜県の災害対策の一貫で大きな砂防を作って頂いたので、土砂が流れてくることが無くなったので「備えあれば患いなし」を岐阜県の方でして頂いたのは、大変ありがたいことだと思っています。

その恩返しと言ってはおこがましいのですが、本部施設では防災倉庫を建てて食料品や水はもちろんの事、簡易ベットや簡易トイレ等も確保しています。尚且つ地域の方にも貢献出来る様に、かつて地域の炊き出しで使われていた大鍋と大釜を防災倉庫で管理させて貰い、タケノコのシーズンには、タケノコの味噌汁を200食くらいは作っていますし、大釜は一斗炊き(10升)で、炊き込みご飯もさせて頂いていますが、流石に一斗は食べきれないので、5升を炊きました。余暇活動の一貫でしているのですが、これも『備えあれば患いなし』だと考えていますし、実際に大変な状況になった時には地域に安心してもらえる対応をして、文字通り『地域貢献』をしていきたいとも考えています。

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