オムツへの拘り

本部施設本館が事業開始をして1年が経過した頃に退職者が続出して理事会でも喧々諤々の状況が続き、結論としては施設長である私が自ら施設長を退き岐阜県のOBの方を施設長に迎え私は現場での対応を多くして入居者さんや利用者さんと向き合える状況を作る為『統括指導員』と言う役職で1年半勤務しました。その時に職員の方から一番最初に出て来た検討課題がオムツの見直しでした。

そこで、オムツの供給業者である山本企画の社長さんに私も含めて職員が装着したり許容量を確認する為に3社からのサンプルをお願いしました。ところが3社の内2社は直ぐに提供して頂けたのですが、1社からは「提供するだけでは当社の良さが分からないので提供出来ません。」と言ってきたのです。その当時の私は「どうしてだめなのか」と山本企画の社長さんに怒りをぶつけました。すると、「あの会社は拘りが強いので難しいかも知れませんので2社で検討されたらどうですか」との返事が返ってきたので「そんなに拘っている商品なら是非にサンプルが欲しい。」と言うと社長が中に入って下さり営業の方では無くて上層部の方と話を付けて下さり手に入ったので3社のサンプルを私も装着して許容量の実験をしたりしました。

山本企画の社長さんは営業の方と私がトラブルになっては大変だと思われたのか、「2社選定にしませんか」と言われたのですが結果としてはサンプル提供を拒んでいたスウェーデン製の商品に決まりました。確かに1枚当たりの価格は高かったのですがオムツを当てた時にズボンをはいた状態がすっきりしていて許容量もはるかに多くて安心して使用できる根拠が出来たからです。商品を実際に使用する前はあれほど憎々しい存在だった営業を行われる看護師の資格を持たれている方の指導は素晴らしくて「流石に商品に自信を持たれていたのだ」と思った次第です。但し、今は四半世紀の経過の中で日本の製品も日進月歩をしたので価格面を考慮して日本の製品を使っています。この考え方も当法人の『今日一日楽しかった』の一貫だと考えています。一人ひとりに合わせたケアこそ大切だとの信念の中での一つの結果だと思っています。だからこそ『労を惜しまず』『行動の老施協』で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

『くんくん』が今月いっぱいで閉店です

令和7年3月17日

『くんくん』とは『てるてる座』の座長が経営されていたカラオケスナックです。閉店理由はお店が入っている建物を壊されるからだとの事です。『くんくん』は山崎ていじさんがクリスマス会にきて頂いた後に二次会であったり、大垣で飲み会があった時の二次会でも使わせて頂いていたので少し、いやいやかなり残念なのですし、二次会用のお店を新たに見つけるのは大変です。『くんくん』のお店を使わせて頂くと持ち込みは全然大丈夫なので、経費節約の為に一次会から行う為に食事を持ち込む事も大丈夫なのは本当に有難い場所であったのです。

本日も一次会から『くんくん』でさせて貰うのでてるてる座のメンバーと当法人のメンバー総勢16人分のお寿司をスーパーで購入して持ち込むと共に頂き物の銘酒『獺祭』1升を持ち込みます。私は基本的に晩酌はしないし自分一人で飲むのは勿体ないのでみんなで飲んで貰って楽しみたいと思っています。『くんくん』の閉店セールの為に飲み会を企画したかと言えば、『てるてる座』の皆さんには大変お世話になっているので感謝の意味を込めての企画です。『てるてる座』は20年前に優・悠・邑で生まれた組織であると言う事で毎月第2月曜日にきて頂いたのですが今では午前中に和合と和(なごみ)で交代にして貰い午後は本部でとボランティアとして実施して頂いています。

と言う事で本日も3施設から総勢11名の職員が参加することになっています。本日は午前中は岐阜県社協の理事会があり、13時30分からは月1回の地元の高木さんがカラオケジョイントにきて頂けるのでコラムの原稿については合間をみて打っています。と言うのは16時から業者の打ち合わせが入っていてその後スーパーマーケットで予約したお寿司と若干のつまみを買って18時には『くんくん』に行かなければいけないからです。自分で言うのも可笑しいかも知れませんが『まめな人』だと思っています。

新年度を迎えるに当たって

令和7年3月16日

3月8日に本部施設において『フロア責任者会議』、11日に和合の施設で『多職種連携会議』、12日に和(なごみ)の施設で『全体会』、本日16日に本部施設において『幹部会』、24日に本部施設において『全体会』、25日に和合の施設で『全体会』と実施して、新年度開始の4月からの体制作りを確実なものにする為の会議や研修を実施しています。

1998年5月18日に本部施設本館において事業開始した時は「私の理念・思いを構築したい」との思いばかりが先行して職員との乖離が大きく、尚且つその当時は『措置制度』だった事もあり、入居者さんがなかなか入らなくて、先代の理事長にも同行して貰っての行政廻りと、経営が厳しい中で若山家の収入は私の非常勤講師で賄わなければいけなかったので、施設での仕事は土日と夕方或いは夜(宿直を週に3回程度していました。)と言う状態で、職員とのコミュニケーションを図る事が難しくて、しかも殆どの職員が大学・短大・専門学校の新卒者だった事もあり、事業開始1年で施設自体が崩壊寸前の様な状況になってしまいました。残念ながら多くの職員が退職していく事態にもなりました。

そんな中で事業開始2年目には入居者は満床で、私の非常勤講師も大垣女子短大と岐阜協立大(旧岐阜経済大学)に絞って、施設運営に力点を入れれる状況を確立して、職員とのコミュニケーションが円滑に出来る様にしていく中で、少しづつ良い方向に持って行って今があります。私の至らなかったところについても是正しつつです。今では色んな提案が出て来て私はまとめ役に徹すると共に、最終判断の役割を担っています。今は26年の重みを感じながらも組織が大きくなったので、幹部職員に委ねながらの展開に努めています。本日の会議の中で灯油の値段が4月から『115円』になるとの報告を聞いて、開設時は『30円』だったと言う事で、時代のうねりを感じながらの舵取りをしっかりしていかなければと思った次第です。

中津川市にある特別養護老人ホームの竣工式典に参加させて頂きました

本日10時から15床の増床の為の竣工記念式典の招待を岐阜県老施協会長として頂いたので自宅から約130キロの行程があり車に設置されたナビゲーションで確認すると高速道路を使っても1時間40分はかかると言う事だったので家を8時に出て運転して行きました。久しぶりに長距離の運転だった為か小牧のジャンクションで中央道に入るまでが長く感じられました。

「中央道に入り中津川で高速を降りるのか」と思っていたら手前の恵那インターで高速を降りる様にナビゲーションが指示するのでそれに従い進んで行くと段々と道が狭くなってきましたが突然大きな建物が見えて来て大きな建物の方に進むと職員さんが駐車場への誘導をしてくれて駐車をして大勢の方が外で立ってみえる方に歩いて行くと多くの方から声を掛けて頂き、施設長さん自ら館内に案内して頂きメインの招待客が見えるところで恵那県事務所長さん、中津川市副市長さん、地元の中津川市会議員さんらと式典前に名刺交換をさせて頂きました。

10時前に神事が外で行われるとの事で再び外に出て神事に参加させて頂きました。外は正直寒かったのですが皆さんの熱気が伝わって来て「素晴らしい神事だ」と思っている内に神事は滞り無く終わり、記念式典の会場は館内なので移動して来賓祝辞を私もさせて頂く事になっていたので、式典資料の中に『従来型15床』との情報があったので、岐阜県は従来型を認めている数少ない県であり、地域の需要に合わせての計画である事についてお話をさせて頂きました。記念式典も終わり祝宴のご案内を頂いたのですが、和合の施設での決済があったり、23日の予算理事会前の業者との打ち合わせが本部施設においてあるので、祝宴については丁重にお断りをさせて頂き帰らせて頂きました。

コロナ感染症の時期であった為完成が1年遅れたり、物価高騰の波の中規模の縮小が合ったりとのお話を聞き「そんな厳しい状況の中でも竣工式を迎えられたのは役職員の頑張りがあってこそ」と考えながら和合の施設まで帰ってきました。コロナも落ち着きを迎えてこれからは色んな事が動いて行くのだろうと思うと私もギアを1段上げていかなければと思っています。

本日9時から烏野先生との打ち合わせがあります。

令和7年3月14日

烏野先生はびわこ学院大学学部長で、社会福祉界のリスクマネージメントの専門家であり、当法人の顧問でもある先生です。私と烏野先生とのご縁は、私が児童養護施設の指導員を辞めフリーの形になった38歳の時に、当時烏野先生は日本福祉大学中央福祉専門学校(名古屋市鶴舞)の教員をされていて、その頃中央福祉専門学校校長をされていた吉田宏岳先生が代表をされていた『教育と福祉を考える会』が月1回開催されていた中央福祉専門学校に参加させて貰った関係で親しくなり、尚且つ私が非常勤講師をしていた短大で週に1回のペースで非常勤講師室で熱く語った関係もあり、今もお付き合いさせて頂いている次第です。

烏野先生は神戸のご出身であった関係もあり、阪神淡路大震災からは、福祉関係を中心にした防災及びリスクマネージメントの調査研究をされていて今に至っているので、今日も10時からの3施設合同幹部会への助言者としての参加の前に、3月26日に実施予定の『3施設合同防災訓練』の事前打ち合わせを行います。

本日の打ち合わせは「和合の施設が水害の恐れがあり、水害で最も安全な和(なごみ)に入居者さんを避難させ、備蓄品の移動も含めての3施設合同訓練」の打ち合わせをします。防災についてはなかなか『備えあって憂い無し』との言葉は理解していてもなかなか出来ないのですが、当法人には烏野先生と言う良き助言者の方が見えるので実施出来るのだと思っています。本部施設には烏野先生の提案で防災備蓄庫も設置されており、備蓄品も多く確保していますので、今回の企画を実施して県内施設のモデルケースになればとも考えています。モデルケースになる為には、しっかりとした計画に基づいたものの実施をして発信していく事が大切だと思っているので、しっかりと打ち合わせをしていきます。なお、余談ですが烏野先生は私に連絡を頂くときには必ず『若山親分』と言われるのですが、リピーターの皆さん決してそんな関係ではありません。当然の事ながら親しみを持って言って貰っているので悪しからず・・・。

ホワイトデーは明日なのですが

令和7年3月13日

ホワイトデーは3月14日と言う事で明日なのですが、昨日「3月14日の日程は」とかつて使用していたガラケーのスケジュール管理を見ていたら本部施設で9時から烏野先生との打ち合わせがあり、10時から3施設合同幹部会があり、岐阜県福祉会館で13時30分からは岐阜県老施協理事会があり、16時から大倉商店との打ち合わせがあるので、理事会終了後本部施設にトンボ帰りをしなければいけないので和合の施設に行く時間が無い事に気が付いていたので、

「3月14日に拘らず早くに渡すのは大丈夫だ。」と言う事で垂井町にある身内の和菓子屋『みどりや』に「明日の予約ですが大きな鯛饅頭を2つ作って貰えますか」と連絡すると「明日9時には作っておきます。」との事だったので、

本日9時15分にお店に行くと箱の底が熱いような状態のものを受け取り、先ずは和合の施設に行き事務所の職員に中味を見て貰うと歓声が上がったので「10時30分からのお客様にお見せしてから切り分けます。」との事でお客様が理事長室に入られてから見て貰うと早速スマホで写真を撮られ切り分けたもののお裾分けを食べて頂きました。13時30分から本部施設で避難訓練と通報訓練が実施される事になっていたので本部施設に終了後直ぐに向かいました。

本部施設に着いてここでも鯛饅頭の披露をしてから皆に食べて貰いました。『気は心』『御裾分け』と言う言葉が好きな私はホワイトデーでみんなが喜んで頂けたのは良かったなと思うと共にちょっとした配慮を喜んで貰えた事に喜びを感じた次第です。ワクワクの毎日である事にも感謝しています。だらだら過ごしても一日。生き生き過ごしても一日なら当然のことながら、生き生きの一日を送れている事に『感謝』です。

 

人それぞれです。

本日13時30分から和合の施設の2階において入居者さんとのカラオケを実施しました。実施している時に思った事をコラムに書くことにします。

「カラオケを実施する」とは言え、入居者さんの受け止め方は人それぞれです。と言う事は、カラオケの実施とは言え人それぞれなので、その人その人に合わせた対応が必要だと思ってはいるのですが、カラオケが実施出来るのは各フロア(3フロア)で月に3回から4回ですので、全員の方の思いを形にするまでには至っていません。そんな状態ですから相手の方の所作や表情を見ながらの対応をしています。

今は積極的に歌って頂ける方、歌を聞いて楽しんでみえる方、歌は歌われないけれどリクエストはして頂ける方、過去に歌われた事のある歌を選曲してマイクを持って行くと歌って貰える方と言う事は理解出来ていて、なるべく私が1曲歌わせて貰ってから入居者さんに歌って貰う様にしています。その他にもデュエット曲なら歌っても大丈夫と言う方もいます。

そんな中で今まで歌われなかった方が、本日独り言の様に「岸壁の母」と言われたのを目ざとく聞き取れたので「岸壁の母を歌って貰えますか」と話しかけると「歌ったことないから」と言われたのですが「とにかく入れますね」と言ってスイッチをオンにしてマイクをお持ちすると高音も綺麗な声で歌われたので「能ある鷹は爪を隠す」なのか、それとも私が上手く進めれなかったのかと思いつつ、2曲目をお願いしたら「石川さゆりの歌を」と言われても曲目が出てこなくて根気よくお薦めすると「二輪草なら歌ったことないけど・・・」と言われたので「入れますよ」と背中を押す形で歌って頂いたら、めっちゃ上手に歌われた後で「歌った事なかった」と何度も言われたので「でも上手でしたよ」と言うと満更でもない顔をして頂けました。と言う事でまたまた新たに『歌い手』が誕生です。

こんな調子でこれからも多くの方が歌って貰えるように頑張って行きたいと考えています。私自身もお経と共にカラオケもしっかりと歌えるようになってきたのでこれからも頑張って実施していきたいと思っています。

3月11日は東日本大震災が起きた日です

2011年(平成23年)の本日14時46分に、東北地方太平洋沖で宮城県牡鹿半島の東南東沖約130キロ、深さ約24キロでモーメントマグニチュード9.0、南北約500キロ、東西約200キロが揺れた観測史上最大の地震が発生して、津波及び火災によって関連死を含めて22.325人と言う甚大な被害が起きた日です。

改めて14年前に起きた衝撃的な出来事を思い出しています。

地震が起きた当日は岐阜市にあるホテルで人材についての会議が開催されていました。

その当時の中部学院大学学長だった古田先生が座長を務められていたのですが、岐阜市内も結構に揺れて、立派なシャンデリアがユサユサ揺れ、揺れが収まった段階で機敏にスマホで情報を入れた方から「東北地方で大きな地震があったようです」と教えて下さる方があり、会場が落ち着いた段階で会議の再会の時に古田学長が「一瞬、私の頭が変になったのかと思いました。」と言われたのが印象深くて記憶に残っています。

会議が終了した時にメールの着信が入っていたので、確認すると本部施設からで『結構揺れましたが、入居者さんに影響は無く、機械設備も全て正常です。』との報告に安堵したものです。

家に帰ってテレビを点けると映画を見ているような状況が映り出されて「こんな現実が東北地方で起きているのか」と思うと同時に「被害が無かった我々に出来ることは精一杯していかなければいけないし、備えを充分にしていかなければいけない」とも思いました。

その後当法人の職員を厳しい状況の施設に派遣したり(2か月連続で行った職員もいます。)私も現地の状況を確認に行って長期に滞在している職員の激励をしたりしました。

備えも大切だと言う事でリスクマネージメントが専門の烏野先生(びわこ学院大学教授)のアドバイスを受けて『災害備蓄倉庫』の設置も行いました。

今14時46分と言う事で町報の無線を通じてサイレンが鳴り1分間の黙祷をさせて頂きました。

地域の中での連携が叫ばれていますが(政府においては『自助』『共助』の大切さを広報していますが)『青年会』とか『自衛消防隊』の様な物が希薄になっている今、社会福祉法人として地域の中で出来る事を今まで以上に考えて展開していきたいと東日本大震災の記念日に思った次第です。

言い当てた言葉が生まれています。

令和7年3月10日

今年の冬から春にかけての天候です。

本来の流れは『三寒四温』と言うのでしょうが、今年に限っては(来年もそうなるかもわかりませんが)『三極寒四温』と言う言葉がラジオから流れて来た時には「う~ん、上手い事を言うな」と思ったものですから。今年の冬は、東京では「大雪」だと言うニュースが何度もあったかと(信じられない様な話ですが東京では3cmの雪でパニックになるので『大雪』と言う事なのですが)思ったら『20℃』くらいに一気に気温が上がったり、と言う事で気温の急降下、急上昇があり、文字通り『極寒』と言う言葉が似あう状況です。

最近の天気予報で気になったのは5月に『夏の陽気の気候になる』と言う事を言っていたので、「日本の気候で、春と秋が無くなって冬と夏だけになる」と言う言葉が真の様に思えてきます。もしも現実に冬と夏だけになったら・・・。春と秋に着る洋服は必要なくなるし、食べるものの中でも食べたくなるものが限定的になる様に思います。

日本にはきちっとした四季があればこその『風流』だと思っているので、現実に春と秋が無くなってしまったら日本人の感性も希薄になってしまう様で心配です。

岩手県の山火事もなかなか鎮火せずに大変な思いをされたのですが、この現象も異常な乾燥状態が続いたためだと思うと、今後もこの気象の変化についての対応もしっかりしていかなければいけないと考えています。東南海地震の確率も段々と高くなっている今、自然災害への備えを今まで以上にしていかなければと考えています。昔から「備えあって憂いなし」との言葉があります。先人の言葉を大切にしていく事にお互いに留意したいものです。

『ITO』の会議に参加させて頂きました。

『ITO』と言うのは今須小学校と今須中学校が関ヶ原小学校と関ヶ原中学校に統合される話し合いが行われた時に(6年程前)「校舎を活用しての活動を関ヶ原町として支援していく」との約束の中で出来た組織です。

関ヶ原小学校、関ヶ原中学校共にこの4月を迎えると全ての学年が単学級になるとの報告を先般行われた『わざみの会』での町長及び教育長の説明の中で聞きました。

そんな中でも『今須地区』を元気にする為に、何が出来るかと言う事で『ITO』のメンバーで企画を練り実践してきて来年度は5年目を迎える節目の年になると言う事で、本日9時30分から15名のメンバーが集まり話し合いが持たれました。

最初に会長の吉田さん(優・悠・邑家族会会長さんでもあります)から、本日集まった趣旨説明も含めたご挨拶があり、その後、2グループに分かれてのグループ討議が行われ、グループで話し合った内容の発表の後全体での討議になりました。

参加された方々は積極的に参加されている方々ばかりなので建設的な意見が一杯出ました。

その中で「若い方が取り組める企画の充実の為の配慮」とか、「地域全体が取り組める様に子ども会、婦人会、青年団、老人会等々がスクラムを組んで取り組むことの重要性」などについての真剣な話し合いがなされました。

人口減少に対して何もしないで手をこまねいていたのでは衰退していく進行を早めるばかりなので気が付いている者がアクションを起こしていく事が肝要だと改めて思った次第です。

私自身は魅力ある今須をどの様にアピールしていくのかと言う事を具体的に推し進めていく為に何が出来るかを考える良い機会になりました。

私自身、今須に育ち今須で生活している者としての責務だとも思いました。

会議の途中から今須駐在所のお巡りさんも加わって下さり「都会には無い地域同士の繋がりの強さは素晴らしい」との話を頂いたので私自身「強みを生かすことで出来る事を実践してより住みやすい今須にしていきたい」とも思った次第です。

リピーターの皆さんも良い知恵があれば教えて下さい。

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