『仕事は趣味』とは書きましたが・・・
『仕事は趣味』と格好よく書きましたが、私の生き様は「そんな単純なものでは無い」と言う事を敢えて書かせて頂きたいと思います。
26歳の時に児童養護施設指導員になった時は「私との関りの中で子ども達が生き生きと成長していく事に生きがいを持ち、公休日であっても仕事に行って、基本的には14時頃に出勤をして一人ひとりの子に合ったプリントを手作りをして16時からは小学3年生から順番に学校から帰って来た子の宿題や本読みの確認をして、18時から19時には小学1年生から高校生と夕食を共にして19時~22時までは中学生の集団学習で、その後は『マンツーマン特訓』と銘打っての個人指導を時には午前零時を過ぎても実施したりしました。その時代は「子どもの成長が私の喜び」の様な生活でした。
38歳で児童養護施設を辞し、大学等の非常勤講師をしながら、自分なりの想いを実現すべく奮闘したのですが、現実的には生活が厳しい状況になり、自分の想いを児童福祉から高齢者福祉に種別替えをして「自分が理想とする施設作り」を目指し、44歳の時に本部施設本館が事業開始をしたのが1998年5月でそれからの27年間は片時も携帯を離さず、寝ている時も3回以内のコールでの対応をして、家での晩酌は一切しない毎日にしました。その理由は「お酒が入って直ぐに動けない状況にはしたくない。」との『頑固な思い』からです。(外で飲むときは職員に任せています。)
『仕事は趣味』とは言え『辛い事』も『厳しい状況』になることも一杯あるのが現実です。でもそんな事は入居者さんにも職員にも関係のない事なので『今日一日楽しかった』の実現の為に頑張るのみ。この様にさせて貰えるのは『福祉が天職だから』いやいや『使命感』の中で精一杯生かされているから。
とにかく私が出来る事を精一杯頑張るのみと言う事でリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。今回も格好良すぎですよね。