逆打ちで歩いたら
いつもの様に5時30分過ぎからお参りの為に歩いて行き、妙応寺の駐車場内の幸福地蔵様に抱き付きながらのお願いをしてから2つのトンネルの中で歩きながら「南無大師遍照金剛」を唱えて本堂に入ろうとすると大きな門が開いていないのでぐるっと回ってお墓の方からお参りすることにしました。
若山家のお墓に行く手前の六地蔵様で花筒とそれぞれのお地蔵様の湯呑に我が家から持ってきたペットボトルの水をお供えして、蝋燭と線香に火を灯してそれぞれに立ててから、それぞれのお地蔵に手を合わせながら「おん ころころ せんだり まり そわか」のご真言を3回ずつ唱えてから我が家のお墓に向かいました。若山家、吉澤家(姉春子さんが嫁いだ家)、及川家(かつて優・悠・邑に入居されていた方)柴田家(大変お世話になったおじさんおばさんで、おばさんは優・悠・邑で看取りまでさせて頂いて恩返しが少しは出来たかなと言う方)の他にお隣同士のお墓も入れて7軒のお墓の湯呑に水を手向けてからいつもとは逆の順番にお参りをしていくのですが、お参りを終えてからの向かう方向がついついいつもの方向に向いてしまい、「今日は違う」と思って方向修正をしながら次の場所に移動する状況だったので「慣れと言うのはこの様な所にもあらわれるのか」と思うと、慣れからくるケアの思い込みは絶対にしてはいけないし、昨日とは違う今日の変化を見逃さない事の大切さを改めて理解した次第です。と言う事は『転んでもただでは起きない』の真骨頂だと自画自賛している私がいるのですがリピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

