久しぶりの東京出張です

本日は13時から全国介護福祉政治連盟の総会があり、場所を都市センターホテルに移動して、15時から全国老施協の代議員総会があり、代議員総会終了後に役員による忘年会が行われるので今夜は都市センターホテルで宿泊させて貰い、明日本部施設での幹部会があるのでなるべく早くにホテルを出る予定です。

12月は師走でお坊さんも先生も忙しく走り回ると言う月だそうですが私はお陰様で年中走り回っています。2つの会議はそれぞれに重要なものなので私なりにしっかり意見を述べさせて貰うと共に情報もしっかりと獲得して今後の法人運営に生かしていくと共に私に与えられる役割をしっかり理解して今後も展開していきたいと考えながら東京行きの新幹線に乗っています。

課題は山積しています。政治連盟については組織内に国会議員がいない状況の中で如何に政治と向かいあって行くのかという大きな課題です。私自身は岐阜県の会長として、岐阜県内の衆参議員とのつながりをしっかり構築すると共に、将来的に組織内議員が輩出来る様に岐阜県老施協政治連盟がしっかりとした動きが出来る様にする事だと考えています。勿論簡単な事ではありませんが頑張っていきます。

また、全国老施協については人材確保と育成。そして、物価高と他産業との賃金格差について明確なビジョンと方向性を示せる様にして行かなければと考えています。平成18年8月から全国の役員をさせて貰っているので本日の参加者の中でも、所謂古参的な存在になっていますが私なりに出来る限り良い方向に向かう様にしていきたいと思っています。厳しいと嘆いているだけでは何も解決しない事は当然です。国会の様子を見ていると医療や介護に少し良い風が、吹いているようにもみえますが、穿った見方をするならばそれだけ厳しい状況に立たされていると言う事だと思っています。

明日の帰りの新幹線の中では脈々とした戦略が湧いてくるような情報収集に勤めて、当法人の事だけでは無く岐阜県老施協の会員施設にとっても有効な戦略を勝ち取る為に気合いを入れて向いたいと考えています。

思わずコラムの連続更新が途絶えるところでした

朝からバタバタで和合での幹部会を終えて本部施設に行き、コンビニで購入したお弁当を頂いて時間を確認すると、13時30分からの冷暖房の設備に対して補助金を頂いたところとのリモートによる打ち合わせの時間まであと5分と言う事で慌ててリモートのセットがしてある会議室に行くと、私が着座すると3者(補助金を提供してくれる所、補助金申請のコンサルと当法人)が揃ったと言う事で直ぐに始まり、五次副施設長からはコンサルの方が殆ど答えてくださると聞いていたのですが、結構法人側が答える場面があり、慎重に言葉を選んで答えました。30分程度と聞いていたのですが15時30分までしっかり2時間のリモート会議でした。

15時30分に終了してからも23日のクリスマス会の打ち合わせや、新規入居者の打ち合わせ等をこなしていて17時になったので「少し早いけれども明日は全国介護福祉政治連盟及び全国老施協の代議員総会があり会議終了後に忘年会があり東京で宿泊する事になっているので早く帰ります。」と言って車に乗り自宅に向かっていたのですが「何かやるべきことを忘れていないか」と思った時に神の声の様に「本日のコラムはまだですよ」と言う事で本部施設にUターンをして戻り今、コラムを打っています。

中身の薄いコラムになってしまいましたが明日は新幹線に2時間乗りますのでしっかりとしたものを書きたいと思いますのでとにかくコラムの継続をしましたと言う事でお許し下さい。

追加の様な話を一つだけします。久しぶりの東京での宿泊ですが前回のホテルはなかなか予約が出来なくてめっちゃ狭い部屋でお風呂ではなくてシャワーだけでベットも狭くて横歩きしなければいけない様な部屋だったにも関わらず23,000円の対価を支払って「東京は恐ろしい所だ」と思っていたのですが、何日か前のNHKのニュースを見ていたら中国からの予約キャンセルが相次いだ事の影響で10,000円代前半の料金でそこそこのホテルが泊まれるとの報道にこれまた「東京は怖い所」と思ってしまいました。ちなみに早くに予約しておいたので明日は都市センターホテルにお値打ちな料金で泊まれるので安心です。

若山家のクリスマス会が昼食時に有ります。

令和7年12月14日

次男夫婦と長女2歳と長男1歳が、我が家で実施するクリスマス会に12時にはやって来ます。基本的には、月に1回の割合でなんだかんだと次男一家と会える様にしています、と言う事で本日は本来よりは10日は早いのですが、クリスマス会と銘打っての昼食会を実施します。寒い時期ですので鍋料理がメインなのですが、鍋料理だけでは物足りないと言う事で、お刺身が美味しい垂井にあるバローに買いに私が行きました。鍋料理が結構なボリュームなのに沢山買って来ました。

バローの入り口の所に、大きくて美味しそうなイチゴが売っていたので、おもわず2パックも買ってしまいました。バローでの買い物を済ませてから、従兄弟が50年経営している洋菓子店でクリスマスケーキを予約しておいたので、クリスマスケーキもゲットして家に帰って来ました。買い物などは滅多に行かない私ですが、次男一家が我が家に来ると言う事で、張り切って頑張りました。

長女が2歳、長男が1歳と言う年子で、1ヶ月前との成長を確認するのも楽しみです。長女2歳の日本語がどれだけ明瞭になったかとか、長男の歩きがどれだけ安定したかなどを、目尻を下げながら見れるのが楽しみです。私は自分の子供との接点よりも仕事中心の生活で、私自身の子育て時代にはこのようにしてこなかったので、今もバリバリ仕事をしてはいますが、本日は職員に任せて甘々爺になってクリスマス会を楽しみたいと思います。

蜂窩織炎

昨日、和合の施設から本部施設に移動して事務所に入ったら、吉田副施設長が車椅子に乗って仕事をしていたので、(先日から足が痛そうにしていたので気になって)「余程痛くて大変なのか」と言うと、「最初に個人病院に行ったら、痛み止めだけ貰って来て様子をみていたのですが、あまりに痛いので市民病院に行ったら、蜂窩織炎と言われて抗生物質と痛み止めと胃薬を貰ってきました。」と言ってズボンの裾をめくって患部を見せてくれて、おもいっきり腫れているのを確認した時に、私自身の出来事が蘇りました。

それは大学3年生の時に、現在滋賀信行会の内藤会長と共に、四国八十八か所の夏の歩き遍路の先達の役割を担っていた時の出来事です。(50年前は参加者も多く、今の内藤会長の父親が先発隊で80人の団体で行かれており、50人の団体の責任者を無謀にもさせて貰った時の話です。)3日目まで順調に進んでいた時の朝、私の足がボンボンに腫れていたのです。多分、蚊に刺されたのを思いっきり搔いてしまい、ばい菌が入ったのだと思うのですが、その当時は病院に行くと言う発想は無く、遍路に参加している皆さんが持ってみえた梅干を患部に一杯貼って、何とか凌いだ思い出があります。この時の皆さんからの行為には、感謝しかなかったです。

本題に戻します。吉田副施設長の足が酷くなった原因について尋ねると「寝ている間に自分の足を気持ちよくかいてしまったからです。」と聞いた時に私は思わず「私もしょっちゅう夢の中で気持ちよく足を掻いていて、次の日からお風呂に入った時に沁みて痛かったり、痛くてズキズキする事が度々なので、私は蜂窩織炎と診断されるまでにはなっていないけれども、今後は夢の中で気持ちよくなっても決して掻かない様にしよう。と思うと共に、吉田副施設長も私のこんな所をまで似なくても良いのにとも思った次第です。

師走の12月はあっと言う間に終わってしまい新年を迎えそうです

11月の後半から『盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)』」の問題、『デイサービス えりかの里』の問題について岐阜県及び関ヶ原町、垂井町等との協議もあり、尚且つ3日~5日には山口県において全国大会にも参加させて貰って、本日が12日で16日には全国老施協の代議員総会及び懇親会もあり、東京で泊まらせて貰うのですが、東京から帰ってきた翌日は午後から本部の幹部会とフォーラムホテルにおいて17時30分から2カ月に1回の長城の会があり、19日は岐阜県老施協の理事会に引き続いての役員との忘年会があり、翌20日は当法人の緊急理事会が招集してあります。

23日と24日は山崎ていじの歌謡ショーを中心にしたクリスマス会を地域でお世話になっている方々を招待しての催しを3施設で開催し23日の夜は山崎ていじを囲んでの会があり、日頃ボランティア等でお世話になっている方にも参加して貰っての賑やかな会があります。

大きなイベントの一つであるクリスマス会が終わっても「ほっ」とする事もなく26日には和合の施設において『豪華料理』と銘打っての『おでんとおさしみ』の企画が有りますので、私が色んな所から』送って頂いたお酒を振る舞いたいとも考えています。

29日には本部施設において、翌30日には和合の施設で餅つきが行われ両施設共に火の番とのし餅を伸ばす役割があります。

勿論、この様なスケジュールを全力で対応しながらも、時間がある限り『お参り』と『カラオケ』も31日の大晦日の日まで実施していく予定でいます。

『予定』と書いたのはあくまで『予定』だからです。

だって体調を崩さないと言う事は断言できないからです。

でもこの様なスケジュールを熟せるのは元気な証と思っています。

この勢いで新年を迎えて『午年』ですので大いなる飛躍の年にしたいと思っています。

母秋江さんが今の私の生活を見たら目を丸くして驚くと共に滅茶滅茶喜んでくれるのではないかとおもいます。

極楽湯

12月3日、4日、5日と、山口県であった全国大会に参加させて頂き、大会から帰った翌日に和合の施設の北島部長と会食をしたので、1日置いての3連続の飲み会があったので、仕事を欠ける事は無かったのですが、朝のお参りには行けない状況があったのですが、昨夜寝る前に「朝のお参りを明日まで止めて、明後日から再開しよう。」と思いながら眠りに着きました。ところが私のスマホでの操作が間違っていて、かつてセットしておいたアラームが何故か5時25分に作動して、眠りから覚めました。私は「この知らせは、ばてた状況が無くなったので頑張ってお参りに行きなさいとの、仏様からの教えだ」と思ってお参りに出掛けました。(実はこの時期には無理をして年末年始に体調を崩す事が多かったので、私なりに気を付けていたのです。)

体調も完全に良くなっていたのだと思います。着替えも、お賽銭の準備もペットボトルの水の準備も手早く出来て、玄関先からも元気に歩くことが出来ました。いつものようにお参りが出来(本堂の玄関が開いていなかったので、玄関前でのお参りにはなりましたが。)約1時間のお参りをして家に帰って来ると、頭に被っていた毛糸の帽子の中は汗で濡れている様な状況だったので、そのままお風呂に直行してざっとシャワーを浴びた後に、お風呂に浸かる事にしました。足を入れた時には少し冷たい感じがしたのですが、お湯の中に身体を沈めるとほんのり温かい感じがして「この感覚はお参りに行き体が芯から冷えている中での温もりと言う事で、この感覚こそ至福の喜び。尚且つ段々とお湯の温度が上がってくる(40℃設定)のは堪らない。」と思うと、我が家のお風呂が『極楽湯』と思った次第です。

リピーターの皆さん、一度試されたら如何ですか。虚弱だった小さい頃だったら、きっと母秋江さんは絶対に止めるような行為ですが、今はその様に出来る事も含めて『極楽湯』と言う事なんだと思います。

12月7日の岐阜新聞『5万号記念』の記事から

特集号では『AIが28年後予測「空想6万号」』との表題で【1881年(明治14年)7月19日、岐阜日日新聞として創刊した岐阜新聞は本日、通算発行号である「紙齢」が5万号を迎えました。気の早い話ですが、次の大きな節目となる6万号はおよそ28年後です。その頃の岐阜はどうなっているのか。人工知能(AI)の予測を参考にしながら「28年後の岐阜新聞6万号」を作ってみました。なお、各ニュースに登場する人物は架空で実在しません。】

私は現在72歳なので、28年後には丁度『100歳』なので、28年後にも頑張っているかも知れないので、興味を持って紙面を読ませて頂きました。その中の一部ではありますが、紹介をしながら私の私見も述べさせて頂きます。

1面のトップが『信長居館庭園来場3000万人』『岐阜城、山城らしさ前面』とあり【岐阜市の金華山麓、岐阜公園内に整備された「山麓居館庭園」の来場者が今月、累計3千万人に達した。2028年のオープンから25年。「戦国ロマン」と「憩いの場」が融合した本格的歴史公園となり、国内外から多くの観光客を呼び込んでいる。】そして完成した写真が有り「巨石を使った石垣や岩肌があらわとなり、戦国時代の山城の威容を取り戻した岐阜城」との説明書きがあり、岐阜市では近い将来に、素晴らしい観光スポットが出来上がるのだと知ると共に『関ヶ原古戦場館』とのリンクが上手く出来れば素晴らしい事だと思いました。

次の記事は『リニア県駅前ビル建設好調』とあり、『中津川、開通後15年 首都圏などから人口流入』そして、「本当なのか」との記事として『進む超高齢化 美濃和紙100歳職人 飛騨市の女性120歳』との見出しの中で【人口減少と高齢化が進むなか、世の中では75歳定年が一般化しているが、美濃市ではこのほど「100歳の手すき和紙職人」が誕生した。20代から技術を継承してきた美濃さんだ。「生きた文化遺産」として伝統工芸のブランド力を発揮。生涯現役を体感している】との記事を見た時、確かに今でも私を含めて70代の方はまだまだ元気で、私も美濃和紙職人の方が頑張られているように、28年後に100歳でも頑張れるのかなとも一瞬思いましたが『過去の遺物』と言われない様にしていかなければいけないとも思いました。

しかしながら、AIのレポートは見事としか言いようが無いですが、『AI副知事誕生』の見出しもあったので、人間の知能をAIが担ってしまって、『考える事』『調べる事』をしなくなってしまう世界が来るのかも知れないと思うと、忸怩たるものがあります。こんな風に考える私はやはり『昭和おじさん』なんだろうな。

本日は本部施設で10時からフロア責任者会議なので少しゆっくりしていて気が付いた事

令和7年12月9日

朝起きた時に頭が重く感じたので朝のお参りは中止して7時になり朝食を頂いてから二度寝をして(なかなか眠る事は出来ませんでしたが、目を瞑っているだけでもリラックス出来ました。)ウトウトしていて9時に目を覚まして「これ以上は目を瞑っているのも無理」と言う事で、「9時30分には出掛けなければ」と思いながらベットに横になりながらテレビを点けると国会中継で衆議院予算委員会が放映されていたので何と無く見る事にしました。

最初の質問者は自民党の柴山昌彦衆議院議員(元文部科学大臣等を歴任されたベテラン議員)だったのですが、冒頭に昨夜深夜に青森県沖で震度6強の地震が発生した事による対応からの質問だったので「まだ10時間も経過していない事での質問をしっかりされて、その事に対して高市総理もしっかり答弁されていたのは流石だなと思うと同時に答弁書を作成された方は大変だっただろうとも思いました。次の質問内容は対中国問題について領空侵犯とレーダー照射についての質問でしたが、中国に対する答弁が高市総理、小泉防衛大臣、茂木外務大臣共に毅然とした内容であったのは高市総理を中心にした意思統一が出来ているからだと感じました。

つまり、高市総理がブレる事の無いリーダーシップを取られていて、総理就任時の「働いて、働いて、働いて」に徹してみえるからだと感じました。そこまでで本部施設向けて着替えをして出掛けたのですが、テレビの画面を見ていて気になった事があります。

それは、委員会に出席されている委員の方が映された時に明らかに肘をついている方が何人かみえた事です。私は若い頃小学校の教員をしていましたが、児童が肘をついている事など無かったですよ。小学生に出来て国会議員に出来ないのは余程遅くまで仕事をされていたためなのか・・・。これ以上のコメントは致しません。

1日目の大会終了後から2日目の報告です

研修が17時30分に終わり、会場であったKDDI維新ホールから一旦向かいにある宿泊しているホテルに荷物を置き「少し休憩をしてから、福岡の花田先生と合流しよう」と思っていたところ、花田先生から「予約は18時30分からですが、既にお店の前にいるので直ぐに来られますか」との連絡を頂いたので、吉田副施設長と共にホテルを出て、吉田副施設長の案内でお店に行くと、花田先生を含めて6人の強者が揃われていて、総勢8名で先ずは生ビールで乾杯をして、飲み会と言う名の『交流会』が始まりました。

18時過ぎから20時過ぎまで飲み放題と言う事で、花田先生はビールを、私は乾杯後には熱燗をガンガン飲みましたが、職員さんは男女関係なく、私たち以上に飲まれたと思います。

一次会終了後は歌が歌えるお店に行き、私も沢山歌わせて頂きながらも、法人同士の意見交流もしっかり出来ました。花田先生の施設の方は人数も多かったので、全く元気に文字通り『遠慮は3流』の言葉通り『さすが1流』と思った次第です。

2次会からは、埼玉県の西川理事長と職員の方も合流して、総勢10人で楽しみました。

翌日は分科会が行われ、午前中は第3分科会の『介護人材戦略の最前線~採用・育成・定着を未来につなぐ~』で8事例が発表され、午後は同じ会場で第2分科会の『経営力の強化~地域に合わせた持続的な事業戦略~』で7事例の発表がありました。それぞれの発表には、当法人においての今後への展開へのヒントがありましたので、今後に生かしたいと思っています。発表を聞いている中で、ハード面として或いはソフト面として頑張られているものを、当法人としてどの様に役立てていくのかが問われていると思います。それぞれの事例はそれぞれの施設の強みを発表されていると思うので、当法人としても強みをもっともっと磨いて、いずれ全国大会で発表出来るようのしていきたいです。

大会1日目の開会式典後の様子です

令和7年12月7日

開会式典終了後に舞台替えをして先ずは大山会長からの基調報告です。開会式典のご挨拶とは違い全国老施協としての現状と取り組みの成果についての話の後は会長が入居者さんとの出会いが頑張りの原動力になっているとの話を聞いて「大山会長の思いの厚さ」を改めて理解しました。次に厚生省からの行政説明があり、厳しい状況の中でもより効率的な予算配分を考えてみえる説明だったので、私的にはいつもとは違い納得のいくものでした。

次には特別講演として静岡県立大学教授の鈴木俊文先生による『2040年に向けた人材確保策~地域型プラットフォームの意義と可能性』の演題での講演だったのですが現場経験もある先生からの提言だったので分かりやすい内容でした。次に女性キャリアアップ推進委員会によるシンポジュームで、若林委員長進行役のコーディネーターを勤められシンポジストは東京大学名誉教授の佐藤博樹先生、社会福祉法人今山会の朝野愛子さん、社会福祉法人辻中浩司さんの3人で実施されました。私は委員会の趣旨からも『女性』に特化したものと思っていましたが女性に特化したものではなくて『次世代を担う若者が希望をもって働ける職場』と言うテーマであったので今後の働き方をよりよくするための提案をそれぞれの立場で話をして頂けたので非常に分かりやすいシンポジュームでした。

1日目の最後は特別記念講演として元バレーボール日本代表の栗原恵さんによるテーマは『凜と ~やってから後悔するか、やらなくて後悔するか~』と言うものだったので講演を聴くまでの私は「結論が見え見えの内容ではないのかな」と思っていたのですがとんでもなく中味の深いもので多くの聴講者がハンカチで涙を拭いてみえました。講演の最初に「私の身長は188cmなのですがどのくらい高いのかを体感してもらう為に誰か舞台に上がって貰えませんか」との事で女性の方が舞台に上がられ、舞台に上がられた女性を自分の前に立って貰いその後ろに立たれると館内から大きなどよめきが沸き上がりました。

その後は中学生の段階で既に170cmの背があり、父親が地元のバレーボールの監督をされていた事もあり小さい頃からバレーボールをする環境はあり、父親が指導すると毎日の様に大きな声で反発していたとの事。当然の様に地元の中学でもバレーボール部に所属していたが、1回戦に勝利するのがやっとのチームだったそうですが、中学2年の6月に遠く離れた強豪チームらの誘いがあり、なかなか決断が出来ないでいた時に父親から大きな声で怒鳴られて泣くしか無かった時に母親から「やってから後悔するか、やらなくて後悔するか」と言われて遠い地での単身での生活になり、地元でのレベルとは遥かに違う中、夕食も食べれないで眠ってしまう毎日だったとの事で、そんな中でも毎週長距離の運転をして両親がきてくれ、そんな時に父親の涙を見て「父親の温かさを知った」との話や、1年間ロシアのチームに所属していた時には日本では一番背の高かったのに、ロシアのチームでは低い方から4番目だったとさり気無く話された時には「大変な事が一杯あったはずなのに」と思った次第です。

講演での感動を上手く伝えれませんでしたが少しでも分かって頂けたら嬉しいです。

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