お米の事を私なりに書いてみます

今回の『米騒動』の前の『米騒動』については私自身鮮明に覚えています。

と言うのは1993年の『米騒動』の時期には私は児童養護施設の指導員を退職して大学等での非常勤講師を生活の糧としながら在宅で不登校に陥っている子どもの『私塾』をしていた時期だったのですが、当時中学1年生で「中学校には行きたくないがフリースクールなら通いたい」と言う男の子との接点を持っていました。

我が家では地元の農家から1年分のお米を新米が採れた時に購入して倉庫に保管していたので何ら困る事が無かったのですが、その男の子は両親はいたのですが自分たちの事しか考えていなくて全盲の祖母の面倒共々その子がみていたのです。

私も児童養護施設の指導員時代に随分身勝手な親をみてきましたがかつてない状況に唖然としながら色んな話を聞きました。

その中の一つの話題が「国産米はあまりに高くて買えないのでタイ米を購入している。日本の米とは違ってパサパサなのでそのまま食べると不味くて食べられないけどチャーハンの様な物にしたら全然食べれるよ」と言う話をしてくれたのを鮮明に覚えています。

1993年の米騒動は異常な冷夏の為により収穫量が極端に落ち込んだ事が理由だったと思います。但し翌年は異常な暑さで収穫を持ち直したことも覚えています。

今回の所謂『令和の米騒動』は備蓄米を放出しても殆どの備蓄米が出回らない状況で「いったい流通がどうなっているのか」「中間業者だけが儲けていて米を作っている農家にどれだけのメリットがあったのか」と首を傾けるばかりです。

地元で米を作られている方に聞くと「今までは低温倉庫に確保していたものを、買いたいと言う業者に売ってしまって余分な米はどこにもない」との話を聞くと「売られた米はどこにいってしまったのか」と言わざるを得ません。

米があまりに高くなると消費者の米離れは益々進むし、米農家が安定的に米を作って貰う適正価格はいったいいくらなのかと言う事を真剣に考えているのかと言わざるを得ない。

米作りの大規模化を進めて行くにしても一朝一夕には進まないのでその間の対応をしていくかと言う事を考えていかなければいけない。

小泉さんが農水大臣になって大臣の大英断で5キロ2000円で『古古古米』が売られていて飛ぶように売れているとの事ですが、よくよく考えてみると、その価格は昨年までは普通に買える価格だと思います。

と言う事は今までがあまりに安くて米を作る魅力が無かったと言う事なのでしょうか。

米作りを『魅力ある産業』として育てていく事が肝要だと思います。

もし、世界的な有事が起きた時の事を考えると利害関係など度外視して実行に移さなければいけないのではないでしょうか。

令和7年7月5日が話題になっています

令和7年6月7日

1999年7月に出版された竜樹(たつき)涼(りょう)さんの『私が見た未来』と言う漫画が今話題になっています。竜樹涼さんは、1954年12月生まれなので私より1つ下の満70歳なのですが、高校生だった17歳の時に交通事故にあわれて、高校を卒業後は「家で出来て、生きた証が残せ、顔を出さずに済む仕事がしたい。」と言う事で漫画家になられたと言う事ですが、夢に出てきた事を作品にされていて『私が見た未来』と言う作品の表紙に『2011年3月に大災難が起きる』と言う事が書かれていて、2011年には既に絶版になっていたのだそうですが、「東日本大震災を予知していた」との話が広まり、7月5日が近づいてきた今、色んな物議を呼んでいるようです。

例えば「7月になっての外国人観光客の予約が激減している」とか、「外国からの便の予約が激減している」とか、観光地がある所の知事さんや市長さんが「災害に対する根拠は無い」等々を発信されているが、外国の方の方が謙虚に捉えていて、日本ではあまりその様な現象は聞こえてこない。いわゆる『予知能力』については、外国の方の中には『オカルト的』な感覚で捉えられる方も多くあるからかも知れません。私は四国遍路で歩いている時に『不思議体験』を沢山体験しているし、大学3年生の時に、腸閉塞の手術が手遅れ状態に等しい状況での対応で、手術が何とか無事に終わった2日後に全身痙攣になり意識をなくした時に、臨死体験の様な現象を経験しているので、未来を予言できる人が存在しても驚きませんが、昔から言いますよね「当たるも八卦当たらぬも八卦」で、今回の予見は当たらないで欲しいですが「100%無し」と断言する根拠もないので、私は「備えあれば患いなし」で「起きない方が良いに決まっているけど、その様な予見をされた方があるのだから『備え』と『覚悟』と『体制』はしておくべきだ}と考えています。だって後から後悔したくないから。

リピーターの皆さんも災害が来てからでは無くて備えを充分にしておいて下さい。ちなみに本部施設は土砂災害と山火事、和合は洪水、和(なごみ)は山火事への備えを充分にしながら、それぞれ3施設の強みを生かしながら助け合える状況に努めていきたいと考えています。

 

『鉄は熱いうちに打て』と言いますが

令和7年6月6日

本部施設においてトランスファー研修を3日に2グループ、4日に1グループ、5日に3グループの6グループに分け、それぞれ2時間にわたって講義と演習を実施しました。この6グループは少なくても3年以上の経験を有して指導的立場で無ければいけない面々です。10年前に大垣市和合に98床の施設が事業開始して現在の盲養護老人老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長が本部施設にいた時まではしっかりと出来ていたはずなのに、少しづつトランスファーへの想いが形骸化してきて、『トランスファーの7つの原理』は言えるもののその基礎的な手技まで忘れてしまって「何となくボードやシートは使っているけれども」と言う事が今回のトランスファー研修を実施してよ~~くわかりました。

例えば「手を握って立ち上がらせて下さい」と吉澤施設長が言った時に当たり前の様に右手を差し伸べて立ち上がらせようとしたときに吉澤施設長が「いきなり手を握って実施して大丈夫ですか」と言われても受講している職員は「何がいけないのか」が分からず戸惑うばかり。「相手の方が右利きだと言う情報はありませんよね」「手の握りは握手では無くて腕相撲の時の握りですよ。」と言われて「あっ、そうだった。」とはるか昔の記憶を想い出していることから始まりました。

吉澤施設長から「なんでもかんでもボードやシートを使えばトランスファーとは違いますよ。相手の方の残存能力を生かせ事から始めなければいけない」「ベットは入居者さんにとっては寝るための道具でしかないけれども、介護する側にとっては最高の福祉用具だ」と言われた時には「私が最も拘っていたことを言ってくれた」と思った次第です。

吉澤施設長の演習のやり方は「何でもかんでも教えるのでは無くて、考えさせながら実施していく」と言う手法に「流石に現場主義だ」と改めて思った次第です。

他にも色んな学びが2時間の中で凝縮されていましたが、最後に吉澤施設長から「色んな事を思い出し色んなメモをしてくれたのを、今日中に自分の言葉でまとめて明日からの展開に生かして自分で考え、分からないことをみんなで話し合い解決していく。指導者すべき職員が確信を持った考えを持っていなければ新人職員に教える事は出来ない」と話してくれました。

私は吉澤施設長がここまで成長していてくれていることを嬉しく思うと同時に「明日以降各フロアで改善していく事が山ほどあることを一つひとつ解決してくれることによって多くの事に素敵に派生していく事を楽しみにしています。

私が学生時代に学んだ『1点突破の全面突破』をして行けるために『鉄は熱いうちに打て』でより良い展開になっていくと思っています。トランスファーの手技は入居者さんの残存能力を生かしつつ職員の負担を減らす事になることを真に理解出来たら万々歳です。

岐阜新聞の記事から

『県内出生、初の1万人割れ』『全国も70万人下回る」の一面トップの記事に改めて岐阜県のいやいや日本の行く末に唖然とする思いです。

岐阜県で2024年に生まれた子どもの数は68万6061人で1899年の統計開始以降初めて70万人を割り込んだ。

2023年比4万1227人の減。合計特殊出生率は1.15で、2023年の1.20を下回り、過去最低を更新した。

ちなみに岐阜県においては1.27と言う事で低下に対する歯止めが全く効いていない状況だとの事。

若山家の状況を言えば長男は垂井町で子どもは1人、二男は大垣市で子どもは2人と言う事で関ケ原町には住んでいませんが取り敢えず岐阜県内に在住していると言う事で理解しています。

新聞記事を見ていて、関ケ原町の現状が厳しい状況である事は薄々感じていたので、改めて関ケ原町のホームページで実態を確認してみてあまりに厳しい状況に愕然としています。

具体的に示すと2000年の出生数が63人だったのが2010年には41人、2020年には18人であり2024年は12人でそのうち1人は外国人だとのこと。(関ケ原町住民課に電話で確認しました。)私が中学校を卒業したのが57年前で卒業生が34名でした。

私が卒業したのは今須中学校と言う事で関ケ原中学校には各学年4クラスはあったと理解しています。

この57年間の間に今須小学校の小林分校(2年生まで)は今須小学校に統合され、現在今須には保育園、小学校、中学校もなくなり統合されてしまいました。

それは当然と言えば当然の結果だと思います。だって2023年に関ケ原町で生まれた子どもが12人なのですから。関ケ原町と言えば殆どの国民はご存じだと思います。

にも拘わらず関ケ原町に住んで貰えないで子どもを産んで育てていこうと言う方が少ないのには理由があると思います。

『住みやすい町 関ケ原町』と言う施策に安直だったからだと思います。

当法人の本部施設は確かに過疎地にはありますが働くところがあり、職員向けアパートが1Kではありますが20部屋あり、「買い物に不便」と言うマイナス要因に対して移動販売の業者さんとの提携を結び何とか住みやすい条件になるような対応をしています。

微々たる事かも知れませんが「住んで魅力ある町作り」に真剣に取り組まなければ日本の繁栄もましてや関ケ原町の存続もままならないと思います。

嘆いていても何ら変らないのでそれぞれに出来ることを考えていかなければと思っています。

3ヶ月ぶりに大垣市民病院の受診です。

令和7年6月4日

11時からの予約なのですが、受診前に検尿と血液検査があるので、家を9時に出て病院の駐車場に着くとどの駐車場も満車の表示がされていてどんどんと遠くの駐車場まで行ったのですが一番奥の駐車場まで満車だったので駐車場の案内をされている方にどうしたら良いかと聞くと受診を終わった方がこれから出てくるので順番に並ばれた方が早いと思いますと言われたので素直に一番後ろに並びました。

しばらく待っていると駐車場内に入り病院に入る前に診察券を出そうとしたのですが何度確認してもないので玄関口で対応されている方に診察券を忘れたのですがとお聞きすると予約されてみえますか、と言われたので11時にしています。と言うとそれであれば泌尿器科の受付でその旨を言われたら大丈夫です。と言われたので安心をして泌尿器科の受付をする事が出来ました。泌尿器科の受付を済ませ検尿と血液検査の受付をして、忙しい状況が済んだ時間帯だったので血液検査もスムーズに出来て今は担当医師の受診の順番を待っています。

泌尿器科の待合は座る所が無い状態なので隣のエリアである外科で順番を待ちながらコラムを打っています。正直これほど混んでいる病院でも経営が難しいと聞いています。全国的にも7割近くの病院が赤字で建てて40年が経過していて建て替えが資金的に厳しいとのニュースを聞きました。この問題は私が経営している介護事業等についても同じ事が言えると考えています。だからこそ、効率性を求めつつ他の事業所との差別化を進めて行く。

昨日から実施しているトランスファー研修もその一貫だと考えています。そして、もう1つ強みにしていきたいのが認知症の専門性を高める事。もちろん、その他にも多くの課題はありますがその2つを徹底して実施する事によって派生的に出来る事が出来る様になると考えています。常に切磋琢磨していく事によって気付きの多い職員集団を築いていきたいと思っています。リピーターの皆さん応援を宜しくお願いします。

流石に吉澤施設長はトランスファー研修の第一人者です

本日から本部施設において『トランスファー研修』が断続的に実施されます。

1日目の今日は10時から1回目が実施されました。

研修に先立ち理事長である私から「何故今トランスファー研修なのか」について語り、後は吉澤施設長に任せました。

トランスファー研修の依頼は久しぶりだと言う事でしたが私に言わせると「内容はより精度の高いものになっている。」と思いました。

その根拠となるものは認知症研修の指導者としての展開が大きいのと施設長としての配慮が出来る様になってきたからだと思っています。

最初に『北欧式トランスファーテクニックの基本的な考え方』についておさらいの様な話がありました。

①持ち上げない。

②利用者の積極的な参加。

③自然な動き。

④摩擦。

⑤傾斜。

⑥てこの原理。

⑦太極拳のようにしなやかに。

の7項目についての話をしていく中で吉澤施設長の話術に引き込まれて行きました。

講義の後は実践に入って行ったのですが、3年以上の経験がある職員が受講していたのですが正直、実践の中でトランスファーがなされていない実態がわかってきました。

私は常に『継続は力なり』と言っているのですが、トランスファーを導入した時の思いは正直形骸化されていると痛感せざるを得ないような状況だと言う事です。

『砂上の楼閣』と言う言葉が当てはまってしまうような体たらくさでした。

理事長である私が見ているから出来ないと言うようなものではなく「基礎的な理解もされていない」と思うと同時に吉澤施設長からの指摘を受けるまでもなく「杉和会のハード面での充実と拘りが全く理解されていなくて活用されていない」現状にも唖然とする思いでした。

但し、嘆いてばかりいたのでは何の意味もないので、今後やるべき事の整理をして、今後の展開に生かして行けるようにしていきたいと考えています。

勿論考える主体は現場の職員と言う事なので、研修後に色んな意味で見直さなければいけないところを出し切って展開していけるように私自身も色んな配慮をしていきたいとおもいます。

そして、このことがしっかり出来る様になったら他の事へも派生的に出来る様になっていくと願っています。

いや、間違いなく出来る様になり、より頑張れる施設にしていきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

トランスファーの有効性について語ります

トランスファーを実施しないでいわゆる『垂直移動』(相手の方の腰辺りを両手で持って立ち上がらせる)は介助する側の腰にかかる負荷は相手の方の体重の10倍から12倍と言われています。つまり相手の方の体重が50㎏だとすると500㎏~600㎏だと言われています。「えっ、そんなに」と思われる方が殆どだと思います。当然ながら1回実施しただけでいきなり腰が痛くなることはありません。

しかしながら、本部施設においては110人、和合においても98人の入居者さん、利用者さんのお世話をさせて頂いていて入居条件が『要介護3以上』の方になってからは車椅子を使用されている方が殆どで、3度の食事の他にトイレ誘導や介助の時に多くの方に垂直移動を繰り返し毎日実施していたら腰痛にならないのが不思議だと思いませんか。

良く言われる質問に「いちいちスライディングボードやスライディングシートを使用していたら時間がかかってしまって業務が回らない。」と言われます。そのように言われた時に私は「腰を痛めてしまったら治療に多くの時間がかかるし、治療している間は他の職員により負担がかかります。ましてや腰痛の為に退職するような状況になってしまったら取り返しがつきません。」

移動・移乗にリフトを活用する方法もあるのですが当法人も理念の中に「寄り添いケアの充実」があり、トランスファーを駆使して入居者さん、利用者さんとの信頼関係をより密にする。と言うのがあり、『ノーリフトケア』を推奨していたのですが、形骸化されている現状を理解したいま、トランスファーを展開することによって職員が「楽に対応でき、楽しく介護が出来る」と思って貰える様な展開になる様に研修も密度良く実施していきたいと思います。

当法人には吉澤施設長の様に先駆的に実施してしっかりとした現場に基づいた指導が出来るのは私に言わせると「トランスファーに現場の状況を取り入れた日本一の指導者」と私は思っていますので、必ずや成果を出してくれると思っています。但し、もう少し早くに私自身気が付き、気が付いた段階で職員任せにしていた分、今は『阿修羅と化す』で高熱から治癒した体に鞭打って頑張って成果を出していきたいと考えています。

私が北欧式トランスファーに拘るわけは

令和7年6月1日

1998年(平成10年)5月18日に優・悠・邑が事業開始をしました。そんな中で、私の専門分野は『児童養護』であり、『福祉への思いと理念』は誰にも劣らない自負は持っていましたが『高齢者福祉・介護』の知識はハード面への知識はあっても、ソフト面に対する知識は全く無くて、その当時は新卒者の採用には困る事がない状況で、高齢者介護の経験者は数える程しかいなくて、正直手探りのような状態で、私自身が大学等の講義で週13コマも引き受けていて、家庭教師も引き続き行っていました(借り入れに対する償還財源に充てる為)。尚且つ、なかなか措置依頼が来ない中で、その当時の理事長と共に市町村廻りをしていて、現場にいく時間は土日を中心にしか時間が取れなくて、職員教育もままならない状態でした。

そんな中で、一生懸命に頑張っている職員が腰を痛めている事に心を痛めて、その当時の対応としては、各職員に腰痛ベルトをそれぞれに2本づつ貸し与える事しか出来ない事に対しても苛立ちを覚える毎日でした。そんな中で、全国老施協全国大会が岐阜の地で実施された時の最後の記念講演で『北欧式トランスファー』に巡り合い、「私が悶々としていた問題を解消するには『北欧式トランスファー』の導入しかない。」との思いで、その時の講師の先生(デンマーク在住の小島ブンゴウド孝子氏)を翌年に岐阜県老施協の研修で、高山・中津川・岐阜・大垣の4会場で実施して頂くと共に、当法人でも2日間に渡って指導して頂くと共に、現在、優・悠・邑 和(なごみ)の施設長の吉澤に小島ブンゴード孝子氏の家にホームステイをしながらの指導を受けさせ、吉澤が帰国後は3か月をかけて徹底指導を実施すると共に、ハード面としてスライディングボード、スライディングシート及び跳ね上げの車椅子の購入を行い、その頃は全員の職員がしっかりトランスファーが出来ていて、遠く北は山形県から南は鹿児島県からと、多くの法人が指導を仰ぎに来ていました。

その頃は確かに出来ていたのです。但し、吉澤施設長が10年前に大垣の優・悠・邑 和合に異動になり、4年前に盲養護老人ホームが事業開始して職員の異動や新規採用があり、最近職員の中に腰痛を訴える職員が出ました。その職員に話を聞くと、トランスファー自体についても理解していないと言う事がわかり、私自身愕然となってしまいました。そこで改めて体制を立て直す事を指示したのですが、遅々として進んでいない事を本日確認して正直怒り心頭です。しらしながら、任せていて出来なかった時間を取り戻す事は出来ないので、20年前の思いをもう一度立て直しの為に、私が中心になって実施していきたいと考えています。

「いつまで理事長が先頭に立つの」との意見もあるだろうし「職員に任せては」との意見もある事は理解するのですが、大切な職員が一人でも欠けることの無い様に『阿修羅』と化して頑張って行きたいと考えています。先ずはトランスファーの大切さを理解させ、技術の習得に力を入れていきたいと考えています。『継続は力なり』が出来ていなかった事に忸怩たる思いはありますが、ここは正念場と頑張ります。

良く回復したと自分でも思っています。

1週間前の5月24日は午前中が法人監事監査で午後は法人理事会が予定されていて24日の朝から熱っぽかったのですが、「理事長としての職責を全うしなければ」との思いで10時からの監事監査に出席をして理事長としての挨拶をして、決算の資料について全面的にお願いしている岩田理事の説明で話が進んでいったのですが段々と頭がぼーっとするような状態になり、監事監査が終了した段階で本来理事会の議長は理事長である私がするのですが三輪理事に依頼する事にして事業説明についてはそれぞれの施設長が、決算等々については岩田理事にお願いをして職員に家まで送って貰い14時30分に徳洲会病院に行きました。そこで見て頂いた先生から入院を勧められたのですが「入院すると色んな予定に対して迷惑を掛けるので投薬と安静で行きたい。」と話をして家での安静に努めました。

25日の2回目の互助会は申し訳なかったのですがキャンセルをして、26日の岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会・研修会は全てキャンセルして自宅で安静にしていました。と言うのは27日が岐阜県老施協の総会及び講演会があり、終了後に介護福祉政治連盟の説明を私が担わなければいけなくて、会長として穴を開けるわけにはいかなかったからです。27日の岐阜県老施協総会は何とか皆さんに迷惑を掛けない様に対応できました。

流石に翌28日は私の主治医になって頂いている先生に診て頂く以外は毎月参加している彦根東福寺の護摩供養にも行かず29日の聖一座の公演で私の花魁も「穴を開けたくない。」と頑張り、昨日30日は理事会に出られなくて今後の法人経営についての打ち合わせの為に岩田理事の事務所に行きレクチャーを受けに行き、その後は池田にある新生病院の評議員会に参加して、本日は和合の施設で午前はお参り午後はカラオケの対応が出来るまでに回復しました。

但し、岩田理事の所に行った時には岩田理事から「入院しなかったのですか」と言われて、本日も本部施設から和合の施設に向かう時に吉田理事(家族会会長)から「ぶっ倒れたと聞いていたので大丈夫なのか」と言われたりと言う事で「皆さんに心配かけてはいけないので今まで以上に健康に留意しなければ」と思うと共に「ご迷惑を最低限度に抑えられたのは良かった。」と思ったしだいです。

寒暖の激しい今の時期は

令和7年5月30日

私自身文字通りの『夏風邪?』でとんでもない状況になり、出来るだけご迷惑を掛けない様にしながらも、現実には多くの迷惑を掛けてしまいました。「今の時期は寒暖差も激しくて、衣服の調整等をしっかり行って下さい。」と事あるごとに言っていた私自身が風邪をひいた事は、他に示しが付かない思いで一杯です。但し、夜中から明け方に掛けての対応を連続で2回対応したのは、72歳の私にはきつかったのと、元々虚弱であったと言う事実を逸脱していたのが原因だと思うと、私自身の『働き方改革』を真剣に考えた上で「組織体制の在り方を考えていかなければいけない。」と思っています。

本題に戻ります。岐阜県気象台の予報による最低気温と最高気温は、5月30日『16℃-26℃』31日『17℃ー23℃』6月1日『17℃ー24℃』2日『14℃―27℃』3日『17℃―20℃』4日『19℃ー28℃』5日『19℃―28℃』6日『16℃―30℃』との事。この数字から見えてくるのは、例えば本日の気温も最低気温が『16℃』で最高気温が『26℃』と言う事で一日の差が『10℃』もあり、2日の最低気温は『14℃』と言うのも驚きです。そして3日の最高気温が『20℃』と言うのは「何かの間違いではないか」と思ってしまいます。尚且つ3日後の6日には最高気温が『30℃』と言うのは、どの様に理解したら良いのか。緩やかな気温上昇で夏になるのであれば体も緩やかに対応すると思うのですが「何ともはや」と言わざるを得ません。

しかしながら「これが現実」と言う事なので、嘆いていても何ともならないので、この様な状況に対しての対抗手段を私自身は当然の事ですが、施設の職員が入居者さんに代わって対応しなければいけないと思うので、そのための体制もしっかり取り組んでいきたいと考えています。リピーターの皆さんもお互いに気を付けましょう。

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