岐阜新聞に連載されている「ホームレスはどこへ行った」」の特集について思う事。
令和6年8月29日
車上生活者が道の駅を夜の拠点にしている話がありました。色んな事情で路上生活になったのだとは思います。
昨日の記事の事例紹介の中で【車内には3人。うち一人は認知症がある90歳の女性で、決まって後部座席座っている。60代の義理の娘が運転し、助手席にはその夫。(中略)「家をリフォームしとるから。たまにホテルに泊まることがあるの」と義理の娘。そうした生活を、昨年10月から続けている。福祉関係者の話を総合すると、実際には一家には家がない。家賃が払えなくて、住まいを追われた。90歳の女性らの年金は入るが、金銭管理を担うのは主に、住まいがあった当時に同居していた30代の孫の男性。家を失った時点で市役所へ相談には行ったものの、孫は車を手放すのを嫌がり、市側が生活保護の受給を提案しても拒んだと言う。】との記事の中に生活保護の難しさや家族の序列によっての難しさがある様に思いました。
一つには生活保護法の考え方が硬直しているからだと思っています。つまり、「車の所有は生活保護の観点から許されない事なのかと言う事です。そこで改めて生活保護法の理念が書かれている条項である日本国憲法第25条の条文を記載します。『すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての部面について社会福祉・社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』岐阜県内の多くの地域では車がないと生活が不便なところが多くあります。それを十把一絡げ的な基準でいいのか。措置制度も同じです。『持ち家があるから措置できない』と言う基準もどの地区を基準にしているのか。基準は基準として杓子定規な対応は改めるべきでないかと思っています。
最近私がコロナ感染によって入院した時に隣のベットの方と話をしていて、基礎年金だけの生活でとても生活出来ないとの事だったので「生活保護の選択もありますよ」と言うと「車を手放すと生活できない」との言葉に返す言葉がありませんでした。また、家族の中でイニシアティブを持っている方が、他の家族に厳しい生活を強いているのであれば何とか手を差し伸べたいが、なかなか、そこにメスが入らないのには言い表せない苛立ちを覚えてしまいます。今回のコラムでは言い尽くせないのですがリピーターの皆さんに少しでの伝われば幸いです。