4月15日のコラムでの宿題を少しだけ紐解きます

先ずは花山院が何者であるかをパソコンで検索しました。天皇であることは前回のコラムで書きましたが、より詳しく調べてみました。パソコン上での情報では第63代冷泉天皇の第一皇子で母は摂政太政大臣藤原伊尹の娘で968年に生を受け1008年に亡くなられたと言う事なのですが、65代天皇としての在位は984年~986年の僅か年あまりだった様です。

妙応寺の創建は1360年にその当時の今須領主だった長江重景が亡き母『妙応』の為に創建された岐阜県最古の曹洞宗の寺だと言う事ですが『花山院』が生きられていた時代には妙応寺は存在していないので「どうして花山院の社(やしろ)があるのだ」と不思議に思いました。『関ヶ原与一の墓』が妙応寺にあるのはしっかりとした説明書きの看板があっているので「なるほど」と理解できるのですが、階段を6段上ったところに設置してあって何の説明も無いのは残念な気がします。

ちょっと待って下さい。私も今回インターネットで情報を調べて妙応寺が岐阜県最古の曹洞宗の寺であることを知ったのだから71年も(来月には誕生日が来て72年になるのですが)今須に住んでいながら知らなかったのだから、決して批判出来る立場では無いですよね。かつてこのコラムで「美濃13宿で加納宿について2番目に人口が多かった」と言う事実だけを書かせて頂きましたが、先般和合の遠足で岐阜関ヶ原古戦場記念館に行き「お土産品に地元の物が無いのは残念」と思っていましたが、歴史ある関ヶ原・今須の事を理解してなくて他人事の様に思っていてはいけないので、花山院の事を契機にして皆さんで来ていただいて興味を持って頂ける様に微力ながら貢献出来る様にアクションを起こしていきたいと考えています。

リピーターの皆さんの中でも協力して頂けたら有難いです。

次男の子ども、つまり私の孫二人の話です

令和7年4月18日

次男の子どもは、長女が来月15日に2歳の誕生日(ちなみに私は1日違いの16日が誕生日で、72歳になります。)長男は生後5か月なので、いわゆる『年子』なのですが、次男一家とお正月以来久しぶりに会食をしたのですが、孫二人の成長の早さには目を見張るものがあります。

お正月に会った時、長男は生後2か月になってなくて「小さくて壊れそうだけど、可愛いく愛おしいな」と思い抱かせて貰った時に、ドキドキしたものでした。そして久しぶりに会った長男は首もしっかりすわった状態で「確かな育ちをしている」と思った次第です。長女は1歳7か月で「動きが早くて活発で可愛い」と思っていたのですが、久しぶりに会った長女は「出来ることに挑戦したい」と言う動きに『じいじ』の私は(メロメロになりながら)「たくましいな」と思った次第です。

しかしながら、年子と言うのは「大変だ」と思うばかりで、次男夫婦の頑張りは尊敬に値します。2歳を前にした長女はじっとしていませんし、正直目が離せません。勿論、5か月の長男は何も出来ないので、全て親が全ての事をやらなければいけないので、夫婦の連携が無ければ育児が出来ていきません。父親の私が言うのも可笑しな話なのですが、次男の子育てに対する姿勢には舌を巻くような状況です。と言うのも、会食中に自分の子どもに対して数え切らないくらいに「可愛い」を連発するのです。そして『じいじ』になった私は「こんなに一生懸命に取り組む人間だったか」と自分の子どものオムツを1回も替えた事が無い私は不思議でならないのですが「これが親になって成長したと言う事か」と思うと頼もしい姿の次男を誇りに思っています。

和合のバス遠足

昨日和合においてバス遠足として『岐阜 関ケ原古戦場記念館』に出掛けました。

12時30時には岐阜県社協所有の『ながら号』が日タクのプロの運転手によって迎えにきて下さいました。

予定通り13時から参加される方を各フロアから1階玄関に誘導して貰い家族の方も参加して頂いて13時26分に施設を出発しました。

バスが動き出した時には久しぶりの大型バスでの移動と言うこともあり、入居者さんから「何処に行くの」と言う声があちらこちらからあがりましたが職員の声掛けでそれぞれに落ち着かれて外の風景を楽しまれる様な状況になったタイミングで職員から改めて行き場所の告知と共に『関ケ原の戦い』についての説明があり、参加者のワクワク感が高まった様に思います。

バスは順調に走り14時過ぎには目的地である『岐阜 関ケ原古戦場記念館』に着き、全員の方が入館された後、集合写真を撮ったり大きな武将の絵が掲示されているところで写真を撮ったりしてメインイベントのシアターの予約時間である14時45分まで時間を過ごして貰いました。

その間に私は事務所にご挨拶に行くと、かつて県庁の地域福祉課におみえになった方が挨拶にこられ親しくお話をさせて頂きました。

シアターの設備と内容は圧巻で参加された方は少し興奮気味に嬉しさを表してみえて「この企画は大成功だった」と思った次第です。

シアターの鑑賞を終えて5階の展望室や展示室を職員の付き添いの中で見て貰い、見学が終わった方から1階のレストランでそれぞれに好きな飲み物を飲んで頂き、16時10分にバスに戻って貰ったのですが、玄関先にこの3月まで健康福祉政策課の課長をされていてこれまたお世話になった記念館の副館長さんがバスにまで乗り込んでご挨拶をして下さるサプライズもあり「感謝、感謝」でした。

帰りのバスの中では職員が企画したゲームなどを楽しまれ17時過ぎにはなんのトラブルもなく、しかも喜んだお顔でバスを降りられました。

しっかりとした計画を職員が立ててくれた事に感謝すると共にこれからも楽しい企画をどんどんしていきたいと思っています。

コロナ感染症対策の緩和によって可能になってきたこと

令和7年4月16日

永く続いたコロナ感染症対策も、感染がゼロでは無いが落ちきている状況の中で、全面的ではありませんが少しずつ緩和されてきた事により、施設での面会やボランティア活動も、ある程度の規制はありますが出来る様になってきました。和合においては、何日かに分けて施設の車で花見にも出かけましたし、今後も藤棚、バラ園にも順次行く予定をしていますが、本日は午後から、岐阜県社会福祉協議会が所有している『ながら号』と言うバスを借りて、(バス会社のプロの運転手が運転して下さいます。)何と『関ヶ原古戦場記念館』に見学に入居者さんと共に出掛けます。(家族の方も2人参加して下さいます。)

私が和合の施設長に就任してから初めての企画ですが、入居者さん共々ワクワクしています。関ヶ原までは約40分の乗車時間ですが、「40分は短いようでも、されど40分」なので、バスに私も同乗させて貰い、入居者さんと共にバスの中でも楽しく会話していきたいと思います。わざわざ『会話』と書いたのは、事前に職員から「理事長、残念ながらバスにはカラオケはありませんよ。」とダメ押しの様に言われていたので、敢えて『会話』と強調したわけです。

『関ヶ原古戦場記念館』は私の住んでいる町内にあるのですが、「だから、関ヶ原古戦場記念館に来たのではなく、入居者さんが歴史のある所に行きたい。」との要望に沿ったのです。実は私自身は地元にあっても、まだ2回しか行った事が無いので、私自身も楽しみにしながらも、それ以上に楽しみにしているのは入居者さんが久しぶりのバスにどんなアクションをされるのか、関ヶ原古戦場記念館の中ではどんな会話や表情をされるのかが楽しみです。「施設で生活されているからこそ出来る事」をしっかり味わって頂こうと思っています。

朝のお参りから2題

令和7年4月15日

いつもの様に妙応寺の山門まで来るといつもと違う旗と提灯が掛っていて「そう言えば駐車場に入る所の掲示板に『今須稲荷』のお知らせがしてあり4月15日は本日だ。」と気が付きました。そしてその瞬間に「中学時代に実施されていた今須稲荷の大祭は盛大に行われていて、色んな話題で持ち切りだったな。」と思った次第です。

 

具体的に言うと今須稲荷の大祭の日は学校もお昼の給食が終了後は休みになり文字通り『地域行事』の様な感覚であったと思います。演芸もあり、15時からは終了を知らせる様に『餅撒き』が行われお餅の裏に何かが書いてあると景品まで貰えた様に記憶しています。お寺が地域の中に溶け込んでいる形だったと思います。だからその当時は妙応寺において『日曜学校』も行われていました。

今も私は妙応寺からほぼ近くに住んでいますが、何の話題も聞こえてこないのは非常に残念です。そう言えば8月初旬に毎年実施されている『施餓鬼法要』も、盛大に行われていた時はお供えを準備して朝早くに順番を取りに行き、順番が来る前に家族揃って食事を頂くのも楽しみの一つだったと思うのですが一週間に渡って朝7時から21時まで行っていたのも3日で午前中のみの様な状態です。何か寂しいです。

二つ目の話題はいつもお墓参りの時に3仏(観音様・毘沙門天様・不動明王様)に水を手向けた後に7段の階段を上って2つのお社にお参りするのですが一つは地蔵菩薩さんで、その隣のお社にある奥家さん風の石仏に手を合わせていたのですがお社の屋根の所に木札があり『花山院』とあったのを何となくスマホで写真を撮り、

改めて本部施設のパソコンで検索してみると「なななんと、天皇様だった」と言う事で「何で天皇様のお墓が妙応寺にあるんだ。」と思ったのですが「この情報はいずれまた」と言う事で。

毎日の朝のお参りでも色んな変化があるものですし、4代揃い踏みは圧巻でした。

令和7年4月14日

雨が降っても雪が降っても毎日朝のお墓参りに行けるのは私自身が元気だからこそだと思っています。勿論『槍』が降ってきたら流石に無理ですが。と言う事は戦火に襲われている地区では『散歩』などと言う発想すら出てこないと思います。と言う事は私の今の状況は『平和であり健康である』からだと言う事で毎日が充実しているのが『幸せ』と言う事だと思っています。正に静慈圓前官大僧正の書にある『平安之福』の言葉がピッタリの毎日である事に感謝です。

さて、本題に入ります。妙応寺駐車場内に幸福地蔵様がある事は何度もこのコラムで書かせて頂いていますが、幸福地蔵様の前掛けは新しくなったのですが、帽子が無くて(元々は笠だったのですが)丸坊主の頭でお上手にも「恰好が良い」とは言えなかったのですが、最近帽子をかぶっていたので一先ず安心はしたのですが、正直帽子が小さい様です。

 

リピーターの皆さんの中で、もう少し大きめのを作って頂けたら嬉しいです。

次に桜の話です。妙応寺の境内の桜は立派なのですが、大垣市内の桜が咲いてもなかなか『満開』と言うわけにはいかなくて、ようやく「満開になって綺麗だ」と思っていたら昨日の日曜日にかなり厳しい雨が降ったので、かなり花が散ってしまい残念なのですが、その分『桜の花びらロード』の様になって「これも綺麗なものだ」と思った次第です。

      

本日13時30分から着き回の『てるてる座のボランティア』があったのですが、『座長の母』『座長』『座長の娘』『座長の孫』と4代にわたる催しは圧巻でした。座長の母は「粋な計らいができるから流石に座長の母だ。」と思いましたし、娘さんと孫さんは「流石に座長の血を継いでいる」と思った次第です。毎日が刺激一杯で私は本当に幸せ者です。

 

 

 

またまた『予定は未定で決定では無い』の話です

昨日の本部施設の花見は風も穏やかで暖かく青空にも恵まれ、しかも本部施設の桜の木は『満開』と言う事で、最高の『花見日和』と言う事だったのです。しかしながら昨夜の19時前のNHKの天気予報は「夜の内から雨が強くなり明日は一日雨でしょう。」との情報に、窓越しに「こんなに素敵なお月様が出ているのに明日は雨なの。明日は和合地区の清掃活動に行って地域の方々と親しくお話がしたいのに・・・。」と思って眠りについたのです。

そしていつもの様に5時に行動開始をして先ずは着替えをしてから外の確認をすると「結構な雨が降っていて清掃活動はなさそうだけれども和合の施設に7時15分に集合することになっているので出掛けよう。」と言う事で6時30分に家を出ました。

日曜日と言う事で車が空いていたので7時過ぎには和合の施設に着いたのですが、勿論清掃活動は中止でしたので、事務所で仕事をしていて9時に和合地区の日赤奉仕団の代表の方2名が奉仕活動の打ち合わせにおみえになり、お話をする中で、①最初から色んな事をして頂くのではなく、『会話ボラ』から初めて頂き、回数を重ねていく中で出来る範囲を増やしていく。②継続は力と言うので、とにかく続けて頂く。③施設内で得た入居者さんの情報は他言しない。との事を決めていきました。

30分程度の打ち合わせにして、本部施設で10時から実施される『お茶会』に参加する予定を組んでいたのですが、私の理事長としての思いなども多く語った事により、日赤奉仕団の方を玄関先までお送りして時間を確認すると10時を回っていたので、急ぎ本部施設に向かい『お茶会』が終了して昼食を頂いてからパソコンにコラムの原稿を打ちながら本日の表題の『予定は未定であり決定では無い』をしみじみと感じた次第です。と言う事で、これからも「出来ることを精一杯に行う」と言う事をモットーに頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

時差ぼけを解消する方法

令和7年4月12日

昭和の最後の年に旧厚生省の後援で資生堂財団が主催の海外研修に参加させて頂いた時にアメリカに行った時の事です。成田空港を14時過ぎに出発してロサンゼルスには8時に過ぎに着いたのですがフライト時間としては約10時間だったと記憶しています。リピーターの皆さんの中には「計算が合わない」と思われる方があると思うので地球は周っていて時差があるのです。

参考までに日本時間の方が8時間早いのでこのような時間になるのです。ちなみにワシントンDCとは13時間だと思います。どうして何の脈絡も無くこんな話をしたかと言うと一昨日の夜から明け方に掛けての対応で時差ぼけの様な状態になったのですがあの時の眠い状態でしたが無理やり体を動かした経験で時差ぼけを解消した事を思い出したからです。

と言うのも昨日は2つの会議もあり、あっと言う間に1日が終わったので夕食後も何とか21時まで寝ないで頑張った結果本日も4時までぐっすり寝て5時から行動開始してお参りにも行き、午前中は和合で3階でのお参りも含めてしっかり対応が出来、午後は本部施設特養が花見の企画をすると言う事で垂井の酒屋さんで養老の酒『醴泉』を手に入れて花見に乱入しました。

 

 

 

お酒は良いもんです。お酒が好きな方が急に元気になり花見も絶好調になりました。但し、本物のお酒は4合瓶1本と決め、沢山飲みたいかつての酒豪や豪傑の方には追加の酒はノンアルコールの『月桂冠』をしっかり飲んで頂きました。今のノンアルコールは実に良く出来ていて雰囲気を盛り上げてくれて安全に楽しんで頂けました。この表現が妥当かはわかりませんが『噓も方便』と言う事でしょうか。色んな経験や体験をさせて頂ける私は本当に幸せ者だと思っています。

午前と午後にそれぞれ会議がありました

昨夜から明け方にかけての23時から4時まで和合での対応をさせて貰い、4時過ぎから眠りについたのですが、直ぐには眠りにつけず6時頃からグッと寝たのか目が覚めたのが9時過ぎと言う事でバタバタと準備をして本部施設に向かいました。

と言うのは10時から『フロア責任者会議』があったからです。

会議が始まった時には少し頭がぼーっとしていましたが、本館1階、本館2階、新館1階、新館2階、デイサービス、管理栄養士、生活相談員からの提案が順次話されて、その都度私からもコメントをしながらすすめられました。

全員の提案が終了してから「何事も起承転結が大切だ」との話をして会議をまとめました。

12時前に『フロア責任者会議』が終了して、「あまり寝ていない」と言う事で水野施設長の運転で盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の全体会が13時から行われると言う事で向かいました。

和(なごみ)では吉澤施設長も同席でいつものことですが昼食を頂きました。

今日の昼食では栄養士さんが作って下さったきつねうどんに敷地内で採れた初物の筍の煮つけを頂きました。

どれも絶品でしたし、思いが伝わってくる品でした。

13時からの全体会では吉澤施設長が「認知症指導者であり、北欧式トランスファーをデンマークまで行って習得してきたある意味、実践研修指導の第一人者なので時間に余裕がある今習得しておくべきだ。」との話をすると共に、「昼食に頂いた食事には思いが一杯で美味しかったので、入居者さんへの対応もその考え方でして貰いたい。」と話をしてまとめとしました。

夜中の対応は久しぶりで体も頭も重かったのですが、和(なごみ)の職員の頑張りで私も元気を頂く事が出来ました。

再び本部施設に戻るとデイサービスの利用者さんが玄関前の駐車場内で花見をされていたのですが、15時に垂井町の職員が先般亡くなられた入居者さんの手続きの事でみえる事になっていたので事務所で書類の整理をしていると、デイサービス責任者の伊藤課長が「利用者さんが理事長の歌が聞きたい」と言いに来たので「ここは元気に歌わねば」と言う事で、吉幾三の『酒よ』と鳥羽一郎の『兄弟船』の2曲を利用者さんの手拍子を頂きながら歌わせて貰い、ますます元気を頂きました。

しみじみ「色んな方から元気を頂いているからいつまでも元気でいられるのだ」と思った次第です。

令和7年度の辞令交付式は出来ませんでした。

令和7年4月10日

「どうして」と言われるリピーターの方の為に、その理由を先ずはお答えする事から初めていきます。

一つには、新卒者の確保が出来なかったと言う事。二つには「職員の離職が無くて落ち着いている」と言う事です。

一つ目の理由はわかるのですが、『新しい息吹を入れる』と言う意味では、新卒者が一人もいないのは今後の展開においてもだめな事だと考えられるので、今後は高校、専門学校、短大、大学への就職依頼の対応をより充実させなければいけないと、社会福祉法人杉和会理事長として思っています。但し、新卒者を採用するにしても、専門学校、短大、大学で介護を学ぶ学生の内、半数以上が留学生と言うところも多く、『新卒で意欲ある日本人』を確保するのはかなり難しくなっているのが現実です。

考え方によっては『優秀な外国人』を確保していく事に注力することも大切だと考えています。実際に10年以上前にEPAでインドネシアから来た職員は、結婚をして2人の子育てもしながら、フロアの責任者として主任として頑張っています。また、留学生として短大を卒業して、介護福祉士としての経験によって同じく主任に任命されている職員が、男女一人ずついます。その他にも、ベトナムから来て特定技能介護を取得をして3年の経験で、介護福祉士の取得をして、これまた主任として頑張っている男子職員もいます。多くの外国人が一生懸命に頑張っている現状もあり「日本人だから良い」と言う事ではなくて「如何に人材を確保して育てていき、長く勤めて貰う仕組み作りをしていく事こそ、肝要だと考えています。

また、話題は変わりますが、『業務の省力化』を推進するために『ロボット・ICT』を導入して時間に余裕が出来た分を『寄り添いケアの充実』に当てる事によって、職員一人ひとりのモチベーションとスキルを上げていく事が、離職率の低下に繋がるとも考えています。人材確保と育成に注力をして、より良い施設運営に努めていきますので、リピーターの皆さん、社会福祉法人杉和会の展開にもご理解頂けると嬉しいです。

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