アクションを起こすと活路が開ける

令和6年6月12日

『社会福祉法人 杉和会』は『公益社団法人 全国老人福祉施設協議会』に所属しているのですが、その団体には「行動の老施協」「労を惜しまず」と言う考え方があります。そのスタンスは私の生き方とも共通するところがあり、平成18年8月8日に本部役員として(当時出来たばかりの総務委員会幹事)になってからは、全国老施協の中においても実直に行動してきました。そんな中で厚生労働省老健局長に就任されたタイミングで、現在の厚生労働省大島事務次官と名刺交換をさせて頂き、その折「中学を卒業して当施設に就職した男子職員がいます。」とお話させて貰ったら「是非介護福祉士の取得が出来るようになると良いですね。」とのお言葉を頂いていて、それから4年後に2回目の挑戦で見事に取得してくれたので、手紙を添えて合格証を厚生労働省大島事務次官宛てに送ったところ、直接電話連絡を頂き舞い上がった事があったのです。

今回は岐阜労働局主催の「就職氷河期プラットホーム検討会」に参加させて頂き(各種事業所代表として)会議の中での私の発言を評価して頂いたのか、会議終了後に、岐阜労働局長さんと親しくお話をさせて頂いたので、パンフレットや本と共に熱い思いを書いた手紙を添えて送らせて頂いたところ(既に以前のコラムで書きました。)、昨日午前中に大垣ハローワークの担当者の方から「局長から指示を頂いたので一度お会いしたい。」との連絡を頂き、午後には労働局長さん自ら電話を頂き「何でも協力します。」との事で「アクションを起こさなければこんな電話を頂く事もないな」と思った次第です。

この様な行動の底辺には私の生みの母親秋江さんの『蒔かぬ種は生えぬ』なので、改めて「小さい時の主体性の無い私が今の様になったのは母秋江さんのお陰だと思っています。リピーターの皆さん、私はこんな生き方なのですが、これからもご支援宜しくお願い致します。

アクションを起こすと活路が開ける

令和6年6月12日

『社会福祉法人 杉和会』は『公益社団法人 全国老人福祉施設協議会』に所属しているのですが、その団体には「行動の老施協」「労を惜しまず」と言う考え方があります。そのスタンスは私の生き方とも共通するところがあり、平成18年8月8日に本部役員として(当時出来たばかりの総務委員会幹事)になってからは、全国老施協の中においても実直に行動してきました。そんな中で厚生労働省老健局長に就任されたタイミングで、現在の厚生労働省大島事務次官と名刺交換をさせて頂き、その折「中学を卒業して当施設に就職した男子職員がいます。」とお話させて貰ったら「是非介護福祉士の取得が出来るようになると良いですね。」とのお言葉を頂いていて、それから4年後に2回目の挑戦で見事に取得してくれたので、手紙を添えて合格証を厚生労働省大島事務次官宛てに送ったところ、直接電話連絡を頂き舞い上がった事があったのです。

今回は岐阜労働局主催の「就職氷河期プラットホーム検討会」に参加させて頂き(各種事業所代表として)会議の中での私の発言を評価して頂いたのか、会議終了後に、岐阜労働局長さんと親しくお話をさせて頂いたので、パンフレットや本と共に熱い思いを書いた手紙を添えて送らせて頂いたところ(既に以前のコラムで書きました。)、昨日午前中に大垣ハローワークの担当者の方から「局長から指示を頂いたので一度お会いしたい。」との連絡を頂き、午後には労働局長さん自ら電話を頂き「何でも協力します。」との事で「アクションを起こさなければこんな電話を頂く事もないな」と思った次第です。

この様な行動の底辺には私の生みの母親秋江さんの『蒔かぬ種は生えぬ』なので、改めて「小さい時の主体性の無い私が今の様になったのは母秋江さんのお陰だと思っています。リピーターの皆さん、私はこんな生き方なのですが、これからもご支援宜しくお願い致します。

若い頃の役者魂はどこへ行ってしまったのか

令和6年6月11日

大学時代の私は唐十郎さんが主宰されていた状況劇場(赤テント)を大学祭に2日間興行のイベントで呼ぶ企画に主体的に関わったりして、自分で言うのもおこがましいのですが結構役者魂もあって、感情移入も比較的簡単に出来たので71歳になった今も「すぐにその気になれる。」と自負していたのです。

また、大学を卒業して教員を辞めて児童養護施設の指導員をしていた時は夏休みの宿題の読書感想文の原稿を小学校3年生から中学生まで殆ど請け負っていて(40年以上前の事ですから時効と言う事で)それぞれの子どもになりきって書いていました。(私が小学生の時は私の宿題を春子お姉さまがしていたのですが・・・。)

だから感情移入は得意なはずだし自信があったのですが、昨日の『てるてる座』の時に、座員の一人である通称『亀ちゃん』とデュエットで「浪花恋しぐれ」を歌う事にしたのですが、亀ちゃんがビシッと和服を着ていて、セリフに合わせて私にちょっかいを掛けてきたので照れて照れて、自分としてはメロメロの歌になってしまったので、歌の終わりの時は名誉挽回とばかりに「酒や、酒や酒買うてこ~い」と大きな声で締めくくりました。自分で言うのも変ですが、こんな純情な面を71歳になった今も持っているとは驚きです。リピーターの皆さん、この状況をどう思われますか。

若い頃の役者魂はどこへ行ってしまったのか

令和6年6月11日

大学時代の私は唐十郎さんが主宰されていた状況劇場(赤テント)を大学祭に2日間興行のイベントで呼ぶ企画に主体的に関わったりして、自分で言うのもおこがましいのですが結構役者魂もあって、感情移入も比較的簡単に出来たので71歳になった今も「すぐにその気になれる。」と自負していたのです。

また、大学を卒業して教員を辞めて児童養護施設の指導員をしていた時は夏休みの宿題の読書感想文の原稿を小学校3年生から中学生まで殆ど請け負っていて(40年以上前の事ですから時効と言う事で)それぞれの子どもになりきって書いていました。(私が小学生の時は私の宿題を春子お姉さまがしていたのですが・・・。)

だから感情移入は得意なはずだし自信があったのですが、昨日の『てるてる座』の時に、座員の一人である通称『亀ちゃん』とデュエットで「浪花恋しぐれ」を歌う事にしたのですが、亀ちゃんがビシッと和服を着ていて、セリフに合わせて私にちょっかいを掛けてきたので照れて照れて、自分としてはメロメロの歌になってしまったので、歌の終わりの時は名誉挽回とばかりに「酒や、酒や酒買うてこ~い」と大きな声で締めくくりました。自分で言うのも変ですが、こんな純情な面を71歳になった今も持っているとは驚きです。リピーターの皆さん、この状況をどう思われますか。

若い頃の役者魂はどこへ行ってしまったのか

令和6年6月11日

大学時代の私は唐十郎さんが主宰されていた状況劇場(赤テント)を大学祭に2日間興行のイベントで呼ぶ企画に主体的に関わったりして、自分で言うのもおこがましいのですが結構役者魂もあって、感情移入も比較的簡単に出来たので71歳になった今も「すぐにその気になれる。」と自負していたのです。

また、大学を卒業して教員を辞めて児童養護施設の指導員をしていた時は夏休みの宿題の読書感想文の原稿を小学校3年生から中学生まで殆ど請け負っていて(40年以上前の事ですから時効と言う事で)それぞれの子どもになりきって書いていました。(私が小学生の時は私の宿題を春子お姉さまがしていたのですが・・・。)

だから感情移入は得意なはずだし自信があったのですが、昨日の『てるてる座』の時に、座員の一人である通称『亀ちゃん』とデュエットで「浪花恋しぐれ」を歌う事にしたのですが、亀ちゃんがビシッと和服を着ていて、セリフに合わせて私にちょっかいを掛けてきたので照れて照れて、自分としてはメロメロの歌になってしまったので、歌の終わりの時は名誉挽回とばかりに「酒や、酒や酒買うてこ~い」と大きな声で締めくくりました。自分で言うのも変ですが、こんな純情な面を71歳になった今も持っているとは驚きです。リピーターの皆さん、この状況をどう思われますか。

若い頃の役者魂はどこへ行ってしまったのか

令和6年6月11日

大学時代の私は唐十郎さんが主宰されていた状況劇場(赤テント)を大学祭に2日間興行のイベントで呼ぶ企画に主体的に関わったりして、自分で言うのもおこがましいのですが結構役者魂もあって、感情移入も比較的簡単に出来たので71歳になった今も「すぐにその気になれる。」と自負していたのです。

また、大学を卒業して教員を辞めて児童養護施設の指導員をしていた時は夏休みの宿題の読書感想文の原稿を小学校3年生から中学生まで殆ど請け負っていて(40年以上前の事ですから時効と言う事で)それぞれの子どもになりきって書いていました。(私が小学生の時は私の宿題を春子お姉さまがしていたのですが・・・。)

だから感情移入は得意なはずだし自信があったのですが、昨日の『てるてる座』の時に、座員の一人である通称『亀ちゃん』とデュエットで「浪花恋しぐれ」を歌う事にしたのですが、亀ちゃんがビシッと和服を着ていて、セリフに合わせて私にちょっかいを掛けてきたので照れて照れて、自分としてはメロメロの歌になってしまったので、歌の終わりの時は名誉挽回とばかりに「酒や、酒や酒買うてこ~い」と大きな声で締めくくりました。自分で言うのも変ですが、こんな純情な面を71歳になった今も持っているとは驚きです。リピーターの皆さん、この状況をどう思われますか。

少し前の記事ですが6+06.3

令和6年6月10日

今月6月6日の中日新聞の1面トップに『出生率1.20過去最低』の記事があり、改めてじっくり読みました。リピーターの皆さんにわかりやすく理解して頂く為に、書き出し部分をそのまま書きます。

【厚生労働省は5日、2023年度の人口動態統計(概数)を発表した。女性1人が生涯に産む子どもの推定人数「合計特殊出生率」は1.20となり、過去最低を更新した。未婚・晩婚化が影響した。東京都は0.99だった。出生数は過去最低の72万7277人(前年比4万3482人減)で、23年の政府推計より11年早いペースで減少している。出生率・出生数ともに8年連続でマイナス。少子化対策関連法が5日に成立したが、出生率上昇への反転は見通せない。】の記事を打ちながら、頭に浮かんだのは1989年の合計特殊出生率が1.57に落ち込み、戦後最低を更新したのです。

丙午の迷信で出産を避ける人が続出し、異常値とみなされていた1966年の1.58を下回った衝撃は大きく、国や自治体に対策を急ぐよう求める声が高まったのです。政策としては1994年に最初の総合的な少子化対策となる「エンゼルプラン」が策定され、仕事と子育ての両立に向けた雇用環境の整備や、保育所の増設や延長保育を可能にして、1999年の「少子化対策推進基本方針」・「新エンゼルプラン」、2001年の「仕事と子育ての両立支援の方針(待機児童ゼロ作戦等)」と制度整理はされてきたのですが、急速な少子化の流れを変えるまでには至っていないのが現状です。確かに多様性を尊重する考え方を否定するものではありませんが、戦後すぐの時代に生まれた団塊の世代の第一次ベビーブームの方々がバリバリ働かれていた頃は、日本も高度経済成長も相まって日本は色んな意味で元気があった様に思います。

「貧乏の子だくさん」との言葉がありますが、「貧しくても輝いていた時代」と言う様な結論を付けをするつもりはありませんが、当法人には子供が3人4人と頑張って育てている職員が多くいますが、それなりの生活をしていますよ。とにかく、日本を元気にするためにも合計特殊出生率を上げるために、当法人は子育てに理解ある法人であるための制度設計をしていきたいと考えています。制度設計については機会があればこのコラムで述べていきたいと思います。

6月16日の日曜日に本部施設で供養祭です

令和6年6月9日

コロナ感染症対策の為に、人数制限をせざるを得ず、家族会の吉田会長さんのみにお参りに来て貰う様な事もしてきましたが、今年はかつての入居者さんの家族を過去3年間さかのぼっての案内と案内を出すたびに来ていただいている家族宛てに供養祭の案内を出したのですが、出席の返事を頂いた家族が19家族、参加者26名と言う結果に改めて『継続は力なり』だと思った次第です。

欠席の返事を頂いた方の中でも「別の用事があり残念です。」の様な事を書いて頂いた方もたくさんありました。1週間後に迫った供養祭ですが、かつての家族の方に久しぶりにお会い出来るのを今から楽しみにしています。私は『ご縁を大切に』の思いで本部施設本館開設以来展開してきました。

通常であれば亡くなってしまえばご縁が終了するものですが、その様な関係ではなくて『とことんな関係作り』を築いていきたいとの思いでの展開をしてきました。供養祭に来ていただく方々との会話を今から楽しみにしています。リピーターの皆さん、こんな考え方の人間が理事長をしている法人です。興味を持って頂いたら一度施設に来ていただければ嬉しいです。

肩から胸にかけて痛いです

令和6年6月8日

1か月ほど前から両肩が重くて痛い感じだったのが、2週間ほど前から左胸辺りも痛くなってきていたので気にはなっていたのですが、なかなか病院にはいけなくて、「心臓からきていたら心配だ」と言われていたので、本日は15時から当法人の評議員会があり、18時からは法人役員との懇親会があるので、その前に病院に行って検査等をして貰って安心して会に挑みたいとの思いで、午前中に関ケ原診療所の整形外科に行ってきました。

先生に状態をお話すると「心臓の事はわかりませんが、取り敢えずレントゲンを撮って確認しましょう。」との事で、レントゲンの所の受付をすると、直ぐに名前を呼んで頂いて部屋に入って行き、10枚程のレントゲン写真を撮って頂きました。その後整形外科の待合に戻ると、それ程待つことなく整形外科の部屋に呼ばれて、先生からレントゲン写真を見せて貰いながら説明をして頂きました。

先生:「肩の所が右も左も少し本来の形から変わっています。」

私 :「余程悪いのですか」

先生:「年相応だと思いますよ。」(と言われてから)

先生:「いわゆる40肩と言われるものです。」

私 :「先生、私は71歳なのに40肩になるのですか」

先生:「このような症状を一般的に40肩と言うのです。」

私 :「しょうもないことを言ってすみません」

と言う事で、診療所を出たところにある調剤薬局でシップをたくさん出して頂いて帰ってきました。

リピーターの皆さん私も年なんですかね・・・。いやいやまだまだ鞭打ってでも頑張りますので、これからも宜しくお願いします。

 

ホームページのリニューアルの為の打ち合わせをしました

令和6年6月7日

大垣の和合に新しい施設が出来たタイミングでホームページの全面リニューアルをして、10年が経過して「10年ひと昔」とは良く言ったもので、ホームページで掲載すべき内容はかなり変わってきていると感じています。と言う事は10年前には「法人の思い」であったり、「施設での生活」を紹介していく事に主眼をおけば良かったのですが、今は「職員採用」と「入居に必要な情報」に力を入れていかなければと考えています。プレゼンテーションの結果、新しく契約したのは岐阜広告なのですが、この会社は岐阜新聞系列なのでメディア的には強いので、その強みも生かせたらとも考えています。何事もワイワイガヤガヤ言いながら形を整えていくものでと考えています。

そう言う意味では本日午前中の打ち合わせは有意義なものだったと思います。有意義ついでに岐阜広告の二人の方に本日の昼食はバイキングだったので、当施設の考え方の一端がわかって頂ければと言う事で試食をして貰いました。棒葉寿司やお刺身等々を見られて「写真を撮っても良いですか」と聞かれて、了承すると、さっそく撮られてから喜んで食べて頂きました。昼食をとりながらだったのでリラックスな話題で盛り上がりましたので、今後のホームページの仕上がりにも期待出来る予感がしました。何事もこのように進めてきて今があります。これからもその手法で進めていきますのでリピーターの皆さん宜しくお願いします。

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