人材確保と育成で私が実現したいこと

令和7年2月13日

私は38歳まで児童養護施設の児童指導員をしていて、その後6年の経過の中で紆余曲折の結果44歳の時に生まれ育った関ケ原町今須において特別養護老人ホームの事業開始をして27年の年月が経ちました。その間に本館・新館・和合・和(なごみ)の事業展開が出来るまでになり、職員も200名を数える組織にまでなったのです。そんな中にあっても『児童養護』への拘りは今も脈々と流れています。

介護事業での大きな課題の一つが『人材確保と育成』です。私を大きく育ててくれたのは児童養護施設における子どもたちとの格闘です。その中でも26歳で勤務した年の卒業生の中で高校に進学出来なくて就職した子の中で社会に適応出来なかった子がいたことに違和感を持った私は「とにかく親を頼る事が出来ない児童養護施設の子たちには自らが鎧を纏える様にしなければ」と高校全入とそれ以上の学歴や資格を取れるようにと自分で言うのも変ですが心血を注いできました。

ある年には公立高校に進学出来ない子に対して、その当時の理事長にお願いして私立の入学金を出して頂き、その対応が評価されて、それ以降の子には岐阜県単独の助成金が頂ける様になり、ある意味「努力もしない子が進学出来る」システムが出来てしまいました。(今となっては私の思いと違う形になってしまいましたが)27年前は専門学校、短大、大学を卒業した者が当たり前の様に採用出来ましたが今は外国人材に頼らなければいけないのが現実です。

そんな中で私は児童養護施設から高校へは進学したものの簡単に退学した子を徹底した支援をして介護で一人前の職員にしていく事を実現したいのです。その為にはマッチングのルートをしっかり確立することも、キャリアパスの道筋も確立しなければいけません。幸い岐阜県児童養護施設協議会会長は私が児童指導員をしていた時に私を慕ってくれた方なので、私が熱く語る中で確立していきたいと考えています。

負の遺産を正に素晴らしい遺産にすることは並大抵の事では無いことは分かっていますが、土地も資金も無かった私がそれなりの事業を出来るまでになったのは児童養護施設時代があればこそ。恩返しの意味も込めて頑張りたいと考えています。『夢は形にしてこそ価値がある。』リピーターの皆さんの支援を宜しくお願いします。

杉和会の職員にも色んな特技を持っている方がいます。

盲養護老人ホーム優・悠・邑和なごみで9時45分からお参りと全体会があり13時30分から労働局主催の就職氷河期プラットフォーム検討会があるのでなごみの施設で昼食を頂いたのですが、その時に私用のお餅らしきものが特別にあったので食べてみるとあきらかに餅米ではないことは理解したのですがお餅の食感でいて餅のような粘りが無いので餅を食べたような満足感があり尚且つ安全な食べ物と言う事で作ってくれた職員に話を聞くと旧春日村の食べ物で材料は大根と片栗粉で作ったとのこと。作った栄養士さんの話では旧春日村の職員に聞いて初めて作ったとの事に感心しきり。尚且つ職員同士のコミュニケーションも素晴らしいと思いました。

入居者さんにとって有利な事は他の施設でも作って貰いたいので栄養士さんが一生懸命説明して貰っても私は右の耳から左の耳に抜けてしまうの直接栄養士さん同士でやり取りしてもらう事にしたいと思っています。

週刊現代の記事から

令和年2月11日

2月15日号の最終ページの特集に『朽ちる団地』「千葉・茂原市「「真名団地」」を歩く」のタイトルが目に飛び込んできました。

(原文のまま)【まるで下界からの進入を拒むかのように、広大な畑を隔てた小高い丘の上に無数の寂れたアパートが立ち並ぶ。巨大な廃墟群にしか見えないが、いまも住民が生活を営む市営住宅だ。名を「真名団地」と言う。1971年から造成が始まったこの団地は、約5万6000㎡もの敷地に建てられた。主に2階建てメゾネットタイプの棟を中心とし、平屋建てや4階建ても含めておよそ60棟、全299戸から構成されている。この団地を歩いてみると、恐ろしいほどに人気がない。(中略)現在ここに住んでいるのは平屋建ての8世帯のみ。大半が2DKの間取りで家賃は1万円を切る。2021年には老朽化により団地を取り壊すことが決定。今後は3月までに5世帯が転居、来年3月までに残り3世帯が転居する予定だ。

団地近くの一軒家に住む農家の女性が往時を偲ぶ。「ここは市内の団地の中でも一番人気で抽選待ちは当たり前、299戸すべてが埋まっていました。若い家族なんかも多かったですよ。(中略)」折しも高度経済成長期、全国各地で団地の建設が盛んにおこなわれていた時期だ。ご多分に漏れず、真名団地も郊外につくられたニュータウンとして隆盛を極めた。当時の茂原市には日立製作所や東芝などの工場が立ち並び、県内から多くの働き手が集まって賑わいを見せていた。】

(ここからは私なりのコメントをします。)『1971年』と言えば私が高校3年生の時です。日本が経済的に最も元気だった時代です。当然の事ながら大きな工場が立ち並べば『衣食住』の必要性は高まり、街自体が元気になるのは当然です。そこで私が高校生だった頃の事を思いだしていても、関ケ原町には大きな工場として当時の『日本紡績』があり、多くの若い女工さんがいましたが、現在工場は完全撤退しています。男性工員が多かった関ケ原石材や関ケ原製作所はかなり縮小されて、勤められている方は半減以下の状態です。と言う事は同じ様な事は起きているので、人口減は著しいのですが、『真名団地』の様に建てられたものがそのまま放置されていないだけ良いと思えるのか、茂原市は先の見込みがかなり甘かったのかはわかりませんが、特集記事の中で「幽霊はいないがイノシシは出る」の様な自虐的は言葉が書かれているのには、コメントのしようがありませんが、日本のいたるところにこの様な状況の所が多くあると思うと、バブルに踊されたつけはこれからも払いつずける事になるのでしょうか。

歌謡劇団『てるてる座』のショーを梯子しました

本日、午前10時から和合の施設で、13時30分から本部施設でボランティア活動をして頂くのですが『てるてる座』の座長から「スペシャルゲストで1曲お願いします。」と言われてその気になり和合の施設でも本部施設でも歌を披露することになりました。

和合の施設では理事長室に置いてある緑のジャケットに北島部長から借りたシルクハットの帽子で登場して『宗右衛門町ブルース』を歌いました。

ジャケットとシルクハットへの衣装替えなので簡単に準備出来たのですが、本部施設では黄色のヒラヒラのドレスに銀色のロングヘアのかつらを被っての衣装替えだったので出番は最後の方だったのですが早々に着替えをして、会場に行くわけにも行かず、事務所で仕事をしながら出番を待っていたのですが、お客さんが事務所を覗かれる度に「どうしてこのような姿でいるのか」の説明をしなければいけなかったので、ある意味大変でしたが、理解して頂くと異口同音に「大変ですね」の言葉を頂きました。

「大変ですね」の言葉をそのまま受け取れば良いのか複雑な気持ちもありますが「入居者さん、利用者さんの為にその気になって一生懸命」との気持ちが伝われば良いと思っています。

本部施設ではドレスに着替えて銀色のロングヘアのかつらですから曲目は石川さゆりの『天城越え』にしました。曲のイントロが流れて来て皆さんの前に出て右に左に両手を拡げながらヒラヒラのドレスを見て貰いました。

私は手を拡げながら歌を歌っている時に思ったのは「感情移入を直ぐに出来るのは素晴らしい」と思ったのですが、その思いは『自惚れ』ですか・・・。

リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

昨日の出来事です

令和7年2月9日

既に昨日のコラムで前日に和合の施設で泊り朝から施設内の除雪をした事は書きましたので、除雪を終えてからの9時30分からの1階でのお参りと13時40分からの3階でのカラオケについての報告をさせて頂きます。

除雪を終えて汗をかいたので着替えをしてさっぱりして、本来であれば10時30分からのお参りタイムなのですが10時45分から事務所の会議があると言う事で1階に「これからお参りでも大丈夫か」との確認に行くと「これからでも大丈夫です。」と言う事で理事長室においてある『仏壇セット』を引きながら持って行き1階の皆さんに「久しぶりですがお参りをしま~す。」と言って私が仏壇セットの準備をしている時に職員が正信偈の書いてある教本と数珠を手渡してくれて準備が出来て正信偈から私が大きな声を張り上げて唱えるのに合わせて多くの入居者さん利用者さんが唱えて下さいます。

その中でも際立っている方が見えるのでその方の事を少しお話します。その方は明らかに認知症があり、何事についても声掛けが必要な方なのですが、正信偈のお経が始まると教本も見ないで一生懸命に声を出して下さるのです。かつて娘さんが面会にみえた時にその話をすると「確かに家でお経はやっていたので、お経は覚えていたんですね。」と涙ぐみながら喜んで貰えた事を思いだし「お参りになるといつもとは違う元気を貰って貰えるんだ」と思った次第です。

午後のカラオケは本来13時30分からなのですが13時25分に3階へ内線電話で連絡すると「本日がカラオケと把握していなかったので10分待って貰えますか」との事だったので13時40分に3階に行きカラオケを開始しました。最初に私が石川さゆりの『天城越え』と八代亜紀の『舟唄』の女性歌手2曲を3段階上げて歌いました。(女性の方のキーは基本的に低いのです。)2曲の歌を歌いながら曲の合間に入居者さんの選曲を聞いて回りカラオケにセットして大忙しです。だってその間には当然の如くMCの様な事もしながらマイクも運ぶのです。カラオケも回数を重ねて来て歌って貰える方も把握が出来る様になり進行も段々スムーズになってきました。

その中で歌は歌われないけれどもリクエストをして楽しんで頂ける方があります。私は出来るだけそのリクエストに応えて歌わせて貰っている内に今まで歌った事が無かったのも結構そこそこに歌えるようになり私の持ち歌になったのも多くあります。その中の2曲が本日最初に歌った『天城越え』『舟唄』です。

その他にも『宗右衛門町ブルース』や『ああ 上野駅』などなどがあります。聞いて楽しむ方、歌って楽しむ方、リクエストをして楽しむ方と様々ですし、カラオケはダメでもお経は大丈夫な方と様々です。それぞれの個性に合った事が出来ると良いのですが、私はお経とカラオケで頑張ります。いかん、いかん。花魁とドレスも楽しんで頂かなければ・・・。

 

5時前に目覚めました

令和7年2月8日

昨日のコラムで書いたように、昨夜は和合の施設に泊まりましたので、今朝は5時前に目覚めて先ずは職員通用口から雪の確認をすると、テレビ報道されている様な積雪では無くて、「10cm程なので、あまり早くから除雪機を動かすとご近所さんからクレームがきてもいけないな」(本部施設とは違い、近所の家が近いのです)と言う事で、6時30分まで待って除雪作業をしました。

基本的には、車が通る分には大丈夫なくらいの積雪なので、職員が車を降りてからの歩く道の確保の為の除雪をすることにしました。気温の極端に低い所の雪どけは、雪が解けないのでどけるのであればしっかりと除けないと、雪が凍って雪が重くなると言う事で、除雪するのであれは綺麗に除けなければいけないのですが、関ヶ原や大垣の雪はそれ程でも無いので、除雪すれば雪は解けやすくなるので、撫でる様に除雪しました。

2時間はたっぷりと頑張ったのですが、除雪作業を終えて館内に入るとびっしょり汗をかいているのに驚きながら「久しぶりにいい汗をかいたな。」と思いました。

午前中は1階でのお参りと事務所内のミーティングを終えて、12時過ぎに昼食を頂き、除雪した後の状態を確認に行って、改めて先人の教えは間違いなしだと思いました。「何がですか。」と突っ込みをされるリピーターの皆さんに言います。「除雪機で歩いた所は綺麗に雪が無く地面が見えていたのです。」と。本日も泊まる予定でいたのですが外は明るいし、道路規制も解除したようなので、本日は和合で泊まらずに帰っても大丈夫なようなので、我が家に帰ります。「だって布団が変わると寝られないので・・・。」今の私はそんなに『デレケート?では無いですが・・・。』

 

今夜は和合の施設で泊まります

「大豪雪だ」とテレビのどのチャンネルも朝から言っています。昨年は1月22日に名神高速道路も基幹道路も今須方面へ向かう車は全く動かなくて自衛隊まで要請したとの出来事があり、私は和合の施設に戻り急遽泊まる事になったのですが、その時の経験を生かして、本日は最初から和合に泊まることにして、「最悪2日間かな」と言う事で着替えを大きな袋に入れて車に積んで一先ず午前中は本部施設においてフロア責任者会議があるので参加して午後から和合に行きました。

今は18時過ぎなのですが雪は降っていません。降らないのは有難いはずなのに「何を宏君は期待しているのか。」と自分でも思っています。本部施設の施設長ならどんなに雪が積もっていても歩いて1時間で行ける所に家があるので「何かあっても何とかなる。」と言う事なのですが和合の施設は我が家から23キロ離れているので「歩いて行く」と言うのは現実的でないので朝の段階で「和合に泊まる」と結論を出して、「最低2日分は着替えが必要だ」と言う事で大きな紙袋に着替えを詰めて車に積み込みました。

和合に行く前に食料品を購入するつもりでいたのですが、和合の施設で緊急ショートステイの依頼が来てケアマネさんも地域包括も動いて見えるとの連絡を貰ったので直接和合の施設に行き、一段落して2日分の食料を近くのドラックストアに買いに行きました。パンとおにぎりとカップ麺とお茶と牛乳と言う所謂「健康に良くない」と言われるもののみを購入したのですがこれは「緊急時の非常食」と考えれば致し方がないと思っています。今は雪が降っていませんが本部施設にある古い方(本部施設本館事業開始に購入したものですから26年使っています。)の除雪機を運んできたので朝起きた時には頑張って除雪したいと考えています。「完璧な準備をすると意外と大丈夫だったりして」と言う結果になるかも知れませんが『備えあれば憂いなし』と言う事でワクワクしながらおにぎりとパンを食べて早くに寝て朝に備えます。

ドクターイエローが東海道新幹線から引退しました

少し前の『週刊現代』(1月11日・18日号)の特集記事での私の思いを含めてコメントしたいと思います。東海道新幹線は東京から来た新幹線は岐阜県内では関ヶ原町山中地区でトンネルに入るまでは見晴らしの良い所を走っているので、(若山家の山の所も走っています)車で走っている時に度々見る事が出来ました。結構何人かから「ドクターイエローを見た」と嬉しそうに話されているのを聞きましたが私自身は「私は何度も見ていてそれ程の感動を持って見ていなかった。」と思うと同時に「あの勇士を見られなくなった。」と思うと「もう少ししっかりと見ておけば良かったな」と思っています。と言う事は人間の感覚は勝手なものだと私自身の事ではありますが改めて思ったものです。

ドクターイエローの正式名称は『新幹線電気軌道総合試験車』と言う厳めしい名称だそうですが、役割としては「トロリー線(架線)の摩耗やレールの歪みなどを点検する、7両からなる保守車両だ。」ドクターイエローの精密な働きぶりについてJR東海道新幹線鉄道事業本部電機部電力課の樋口和俊さん(35歳)が「屋根上の窓から、1秒間に1500回レーザー光を照射し、直径十数㎜のトロリ線の摩耗を約50㎜感覚で検測しています。摩耗が前回測定値より進んだ現場を実際に測定してもらうと、イエローの報告した数値とほとんど誤差がないほどの精密さです。」なおかつ、同施設保線課の岡本崇さん(32歳)が「レールの歪みを0.1㎜単位で測定でき、保線担当がその現場に出向くとき、イエローは東京駅からどれくらいの地点なのかを1m単位で正確に知らせてきます。」と言う事だからこそ、新幹線の安全が担保されてきたのだと思います。

さて、埼玉県八潮市交差点道路陥没事故とドクターイエローのち密さを考えた時「陥没する前に大きく穴が開く前に察知出来なかったのか」と思っていたら特殊な車を走らせたら穴が開いているのを発見する特殊車があるのと報道があったので「陥没事故が起きるとものすごい労力と犠牲を伴うのだから、道路の下に配管がある所を特殊車両で確認する事が大切だ」と思いました。確かに予算が伴う事ですが実際に事故が起きているなか制度設計をしっかりすべきだと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

私はいったい何を期待しているのか

令和7年2月5日

今朝のNHK7時の一番最初のニュースは雪の情報でした。岐阜県の合掌作りで有名な白川村では230cmを超える豪雪だと報道しています。よく色んな方から「岐阜県の合掌作りに行ってみたいので案内して貰えませんか。」と言われるのです。

そんな時に私は「江戸時代には美濃国と飛騨国に分かれていて異国の地だったのですよ。しかも、高速道路を使用しても2時間以上かかります。ちなみに高速道路を使用すれば京都まで1時間ですから、私にとっては岐阜県何だとは理解してはいますが遠い存在なのです。」と答えています。天気予報の中で岐阜市は積雪が1cmで関ケ原は0cmだとの報道があり、「わざわざ関ケ原が0cmとの報道をする意味が分からない。」と思った時に「全国の方の中には関ケ原の情報が多いのはそれだけ主要道路として評価されていて『雪の時に苦労されている方が多い』と言う事なのだ。」とも思った次第です。

「大寒波が続きます」との事ですが「30cmまでは雪が降った内に入らない」と言っている私が「今日も大した事ない」「今日も大した事ない」とのつぶやきをしているのは私自身「何を期待しているのか」と考えるに「これだけ大寒波と言っているのに関ケ原だけのけ者にされているのは寂しいとでも思っているのか」と思うと「とんでもない。雪が降らないのは有難い。だって雪がたくさん積もって良い事があるのはスキー場だけだ」と思っているので。

「でも、雪の話題が無い関ケ原も珍しい」と言うより、雪道が気候変動で変わってきているのか・・・。難しい事は分かりませんが皆さんから「雪で新幹線が関ケ原近辺で止まる。」と言われないのは助かります。でもね。昔の事は良く覚えているのが「世の常」だからこれからの言われ続けるのかな~。

大寒波のニュースが流れています

昨日のニュースで気象予報士の方のアナウンスでは「10年に1度の大寒波がやってくる」との事。

1年で一番寒いこの時期での寒波ですから「これは大変だ」と言うので、昨夜は「和合の施設で泊まる準備をしなければいけないかな」と思いながら寝たのですが、今朝早くに目覚めて外を見ると3cmくらい薄っすらと積もっていただけだったので「長年関ケ原で生活している私としては雪が積もった等と言うのも可笑しいね。」と思った次第です。

7時前のNHKの天気予報に引き続いてのニュースでも「全国的な大寒波がしばらく続く」と言っています。

取り敢えず「西の空は明るいので和合の施設での泊りを本日はしなくても大丈夫だ」と言う事で本日は午前中に岐阜県老施協の常任理事会があるのですが、13時30分から和合の施設において看護学生の実習で講話をするためのレジメを作成して、資料としてのパンフレットも用意する為に取り敢えず本部施設に行き、作業を終えてから岐阜県福祉会館に向け出発しました。

雪の影響は全く無くていつもと同じくらいの時間で着きましたので、会議の時間前に充分到着しました。

常任理事会は12時10分に終了してから林副会長と打ち合わせをして和合で昼食をとり、13時30分から15時までの90分間の中で6分程度の動画を2本見て貰いながら話をさせて貰いました。

実習生は4人だったのですが将来医療従事者としてしっかり活躍して貰うにはコミュニケーション能力が大切であり、コミュニケーションスキルを高めるための大切な事を中心に話をしました。

私自身中学を卒業するまでが『虚弱であった為に対人恐怖症で赤面症』だった事も赤裸々に話をしながらさせて貰いました。

実習生4人の方にとってどれだけお役に立てたかはわかりませんが素晴らしい医療従事者になって貰いたいと思っています。

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