断言して良いのかな・・・。

令和7年1月8日

天気予報では関東地方にまで大雪の情報になっていました。会う人会う人が「寒いし大雪が心配です。」と言われるので私は「関東に雪が降るとの予報の時には案外降らない事が多いので私はたいして降らないと思っているのですが。」と言うと相手の方も「そう言えばそういう事が多いですね。」との返事が返ってくるので、私は誰かれ構わず「降りませんよ」と言っているのですが果たして・・・。

午前中には岐阜県庁12階で健康福祉部の次長さんと担当課長3人の方に林副会長と事務局長同席のもと新年のご挨拶に行った時も雪の話になりました。その時も私は自信たっぷりに「今回は降らないと思っています。」と言ってから「昨年の1月22日のドカ雪での交通渋滞は凄かったですね」とも話をしました。

勿論、雪の話だけではなく

①物価高騰に対する追加支援

②職員確保に対する支援

③職員のスキルアップに対する支援

④石川県への災害派遣実施をしている事に対する理解等々について熱く語りました。

岐阜県老施協会長として12年(その前に副会長10年)の中で『会員メリット』の為に一生懸命な活動をしてきた中で岐阜県健康福祉部と老施協役員との意見交換会、岐阜県議会厚生環境委員会との意見交換会がそれぞれ年に2回は開催出来る様になってきた中で、かなり風通しは良くなってきたと思っています。

午後からの老施協常任理事会を終えて岐阜県福祉会館を出ると冷たい風が吹いていたので、私が言った様に「雪は大した事ない。」が本当なのかと一抹の不安がありますが「降って欲しくない」との願いも込めて雪が降らないことを願っています。

誰か私の願いを届ける為に急ぎてるてる坊主を作って下さい。「うん?てるてる坊主は晴れにするのだよね。雪の日は晴れだと聞いた事があるんだけど本当の事はわかりませ~ん。」

週刊現代の記事から

令和7年1月7日

大見出しが『時代遅れな「減反政策」の代償。「コメが食えない日本人」が激増する』を興味を持って読ませて頂きました。

昨年のコメ不足は、本当に切実なものがあったと聞いています。「聞いています」と他人事の様に言ったのは、当法人の本部と和合の施設は、本部施設の地元農家さんと契約をして提供して頂き、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)は、所在地である垂井町の農家さんから提供して頂いていて、年間を通したコメの確保をして頂いているからです。コメ不足の話が頻繁に出ていた頃、地元で多くの田圃を頼まれて作られている方から聞いた話として、「減反政策は廃止されたと聞いていたのに、一部を休耕にしてくれと地元の方から言われたので、納得がいかずに作付けをしようとしていたら、農協の職員が我が家に来て何とか休耕に協力してくれと言われ、納得はいかなかったが結果的に休耕にした田圃がある。」と言われたので、私自身何が何だかわからなかったのを思い出しました。

8月にコメがスーパーの棚から消えた時には「9月に新米が入荷されるので、しばらく待てば大丈夫」的な話が流れてきましたが、よくよく考えてみたら、いつもより早くに流通したコメを購入していて、今年の天候によっては昨年以上の深刻なコメ不足になってしまう可能性があると言う事で、本来であれば政府であったり、農林水産省が何らかの政策をしなければいけないと思うのですが、何ら政策変更はされていないと理解しています。

今回の記事を書かれた山下一仁氏(キャノングローバル戦略研究所研究主幹)によれば、【安倍晋三元首相は2018年から「減反政策を廃止する」と主張しましたが、これはまやかしです。確かに国は農家に対する「生産数量目標」の通知はやめました。ところが、飼料用米や麦などへの転作補助金はむしろ拡充したのです。さらに農水省は毎年、翌年作るコメの「適正生産量」を決定・公表し、これに基づいてJA(農業協同組合)などが農家にコメの生産を指導しています。要は、実質的な生産調整が行われており、実態は全く変わっていないため、コメの生産量が右肩下がりになっているのです。】との内容を見て、私は「日本のお米は世界の中で最も安全で美味しい」と思っているので、作りたい農家さんに作りたいだけ作って貰い、生産過剰なものについては輸出をしていく政策をとるべきではないかと思っています。こんな単純な事では無いのでしょうが「出来る事から手を打つ」事こそ肝要だと考えています。リピーターの皆さんのご意見をお聞かせ下さい。

テレビを見ながら体を休めていて

昨日はお腹が仔羊を食べたオオカミのようなお腹でとても施設に行ける状態ではなかったし、腸閉塞の恐怖もあり、昼食までは絶食をして、夕食は少し食べれそうな状態まで回復したのでおじやを作って貰い食べました。昨日は寝てばかりだったのでテレビで時間を過ごしなから安静にしていました。

テレビ番組の企画がデジタル放送はつまらなくてBS放送を見る事が多かったです。と言うのはBS放送は昔のいわゆる2時間ドラマが多くあり、けっこう楽しませてくれました。そしてまた、これはデジタル放送を見ていて気がついた事なのですが私がお腹が痛いから思うのかもしれませんが、コマーシャルで大正製薬の大正漢方胃腸薬を見た時になる程このコマーシャルは今でしょと思いました。そんな事を考えていると、昔のコマーシャルでくしゃみ3回ルル3錠を思い出しました。これはデジタル放送の番組ですが久しぶりに笑点をみていて、出演しているメンバーが殆ど代わっていて山田君くらいしか分からない。と思ったのとコマーシャルはあいからわず龍角散と毎日香だと言う事です。このコマーシャルが続いているのは視聴者層に合っているのだとも思った次第です、

2日間も寝正月を送ると新しい発見がある事に気が付きました。お腹が痛かったのは嫌だったのですが、転んでもタダでは起きない私の真骨頂と理解して明日からは改めて休み無しにガンがん頑張ります。

昨年からの無理が今出ているのか

私は21歳の時と丁度1年後の22歳の時に腸閉塞で手術をしています。特に1回目の手術の時は最初に地元の開業医の所に行き薬を処方されて様子をみるように言われて家に帰ってからも一向に痛みが治まらず極端な言い方になりますが布団の上でのたうち回っていて、翌日に大垣市民病院に緊急で行くと先生に診てもらい多分レントゲンを撮った後は緊急手術になり全身麻酔で意識が無くなってから目が覚めたのは手術が無事に終わりかなりの時間が経ってからだったと記憶しています。意識が戻って直ぐに執刀医の先生が来てお話をして下さいました。その先生からはあと1時間も遅れていたら大変な事になっていたので死に損ないと言っても良い状況だったと言われたので生かされたのであればこれからを精一杯生きなければいけないと思いました。

2回目の時はある程度自分でも分かっていたので1回目程ではありませんでしたが、腸閉塞の手術跡に癒着しやすいので気を付ける様にと言われていて、今でも無理をするとお腹の動きが悪くなる事があり、その動きが悪くなります。そんな時は絶食をして胃腸を楽にして体を休める事にしているので今回も昨日の昼から絶食をして様子をみています。

本日は和合においてお参りとカラオケの予定でしたがキャンセルをさせて貰い自宅で安静にしていています。大分良くなっているので明日からはまた頑張れると思っています。自分の体は自分が一番分かっているので。年明け早々のこの現象は過信をしないで頑張りなさいという事だと思っています。

今須では3cm程の雪が積もりました。

令和7年1月4日

正月三が日は、朝一のお参りは行かずに家の仏壇でのお経だけにしていて、昨夜は「3日も休んでしまったので明日からのお墓参りは出来るかな。何と言っても小さい頃から意思の弱い人間だったから」と思って眠りにつきました。でも、リピーターの皆さん、今の私は自分で言うのも何ですが「結構強い人間になっていたようです。」と言うのも、アラームの5時25分を敢えてキャンセルしていたのですが、今朝の目覚めは何と5時20分だったのです。

と言う事で、ベット上での体操を復活させて・・・(朝のお参りに行かないとリズムが悪くなっていたようです。)6時前に外に出ると3cm程の雪が積もっていたのですが、いつものウォーキングシューズでマスク、毛糸の帽子、手袋をして出掛けました。慎重に、慎重にべたついた道を歩きながら、まだ誰も踏んずけていない道に私の足跡をつけながら歩きました。べた雪だったので「気温はそれ程低くないな。」と思いながらも、ズルっと滑るのを気をつけながら歩きました。マスクと毛糸の帽子は保温をするのには最適だと改めて思ったのですが、ウォーキングシューズは次第に水が入ってきて、家に着いた時には靴下までしっかり濡れてしまい、軍手は雪を払ったりして次第に濡れてしまい、手袋としての保温効果は無く、それどころか冷たさが増してくるようなので、軍手を外して歩きました。

いつも以上に時間がかかり、何とか我が家に着いてうがいだけして、ぬるくなっているお風呂に一目散に行き、芯から冷えている体を癒しました。追い炊きで段々と温かいお湯になってくるのは、これまた至福の喜びでした。どんなことに対してもポジティブな考え方が出来るようになっている私は、幸せ者だと改めて思った次第です。だって、小さい頃の私は少し雨に濡れても直ぐに高熱を出していたし、今の時期だと霜焼けで手足がボンボンに腫れていたのに、今はそのような心配が一切無しなので、ポジティブでいられるわけです。これも『お陰様で』と言う事だと思っていますし、休みなしで頑張れるのも健康であればこそと思っています。

昨日は彦根東福寺の正月護摩供養に行って来ました。

令和7年1月3日

午前は和合の施設3階で今年初めてのお参りをさせて頂き、その後彦根東福寺の正月護摩供養に参加させて頂きました。昨年のお正月は熱をだして参加出来なかったので「今年は参加できて有難い。」との思いです。私は基本的に虚弱体質なので、無理をすると熱が出てしまうのでオーバーワークは厳禁なのですが「わかっちゃいるけど・・・。」と言う事なのですが、昨年末12月29日、30日の餅つき大会、今年になっての元日のお屠蘇と抹茶と獅子舞のイベントも、本日の正月護摩供養にも元気に参加出来たので「流石に私の干支の蛇年だから、素敵な一年になる。」と自分自身で納得しています。

東福寺では『心願成就』と書いて頂いたお札を、護摩供養で燃え盛る所で御祈祷をして頂いたので「これは本当に素敵な一年になる。」と確信しました。しかも、そのお札を御祈祷をして頂いた静慈彰師から手渡して貰った時には、お札が熱くなっていたので、益々嬉しくなってしまいました。

 

 

本日は、次男家族が我が家にお昼頃来てくれるので、1歳半の孫娘と共に年子で生まれた孫に会えるので、午後からは『甘々じいじ』を楽しみたいと思っています。まだまだ現職なのでいつも『甘々じいじ』でいるわけにはいきませんが「3か月に1回くらいは許されても良いのでは」と思っています。自分の子どもには『母子家庭に等しい状況』でしたので、楽しみたいと思っていますが、抱っこして泣かれたらどうしようと、今からドキドキしています。リピーターの皆さん、こんな私の気持ち理解して頂けますか。

元旦の日にお屠蘇とお茶会は盛り上がりました

昨日の事ですが、午前に本部施設で午後は和合の施設においてお正月行事としてお屠蘇としてお酒を振舞い、お酒が飲めない方にはお抹茶を飲んで頂きました。

お酒については新潟の大吟醸『久保田萬壽』(1升)を我が家で大切に取っておいたのを持って行き楽しんで頂きました。

本当は私が飲みたかったのですが「入居者さんに喜んで貰うためにはお正月と言う事で最高のお酒を振舞いたい。」と言う事です。

かつて高校の校長先生をされていた入居者さん、岐阜県庁にお勤めだった入居者さんなどは久保田萬壽が最高の酒だと言う事をご存じで「こんな良いお酒はなかなか飲めないのに理事長さんが準備してくれたのは本当に嬉しい。」と掛け値なしで喜んで貰えました。

多くの方に飲んで頂けたので本部施設で事前に用意してくれていた金粉入りの清酒1合瓶4本と久保田萬壽の封切したのを3合、締めて7合を飲んで頂きました。

お酒を飲まれると飲まない方も含めて非常に盛り上がり、そんな中に獅子舞が乱入して入居者さん利用者さんの頭を嚙むような事をして貰い益々ヒートアップしました。

本部施設での盛り上がりを受けて和合に移動して同じようにお屠蘇と抹茶と獅子舞で盛り上がりました。獅子舞については若手の男子職員がやる気満々でこれまた盛り上がりました。

和合の入居者さんはあまり飲まれないと思っていたのですが、「1升瓶が空になってしまうのでは」と心配になるくらいの勢いで飲んで貰い、女性の中には「本当に久しぶりにお酒を飲んで気持ちよくなった。」等と言われる方まで現れました。

和合の施設の抹茶では女子職員が着物をきて雰囲気も良く、外国介護職員にも自分が若い時に来ていた着物を着せて益々雰囲気が良い中での開催となりました。「入居者さんに喜んで貰うにはどうしたら良いのか」を考えながら展開することが少しづつ出来る様になってきたのが私にとっては最高の喜びです。結局1升瓶も空になったので和合でも7合のお酒を飲まれたと言う事で素敵なイベントになりました。

当法人は3施設の拠点がありますのでお互いに切磋琢磨の展開をしていき、より良い施設にしていきますのでリピーターの皆さんこれからも当法人のホームページを可愛がって下さい。

リピーターの皆さん、新年あけましておめでとうございます。

大晦日の夜は松坂牛の肉ですき焼きを楽しみながら熱燗を1杯だけ頂きほろ酔い気分で爆睡しながら楽しい夢を見ていて本日はアラームをかけていなかったのですが6時前に起きて、神様に手を合わせながら今年1年が色んな意味で飛躍の年である事を祈りました。

そして仏壇では先ずは父進さん、母秋江さん、姉光子さん、義父憲治さん、義母美和子さんの写真に向かって新年を迎えれた事に感謝するご挨拶をしてからおせち料理とお雑煮を頂きました。お餅は本部施設で12月29日についたものを5個も頂きました。伸びのあるお餅でとても美味しかったのですが正直5個は今の私には多かったようですが(しばらく動けない状態だったので・・・。)しっかり、「まめで(黒豆)たっしゃで(たつくり)みとおせるように(れんこん)」と楽しみながら頂きました。

朝食後は若山家の氏神様(『若山』の『若』は若宮神社の一文字を頂いたと聞いています。)である『若宮神社』に行きどんど焼きの火が残っていたので昨年お世話になったお札等を燃やしながら体を温めてから本殿に向かいました。本殿に上がる石段はとても急なのが38段あり、正直手をつきながら駆け上がりました。本殿では杉和会の繁栄と皆々様の心からの笑顔をお願いすると共に身体強健と家内安全もお願いしました。若宮神社に引き続き妙応寺にお参りしてから若山家のお墓にもお参りして先祖の皆々様の安寧と今年の飛躍を重ねてお願いしました。

家に戻り本日本部施設と和合の施設でお屠蘇を振舞う事になっているので頂き物として大切にしていた『久保田 萬壽』を車に積み午前のお屠蘇行事がある本部施設に行くと、玄関ホールはすでに準備万端になっていたので「私はとっておきのお酒を振舞って喜んで貰うだけで大丈夫だ」と思いました。

 

私の干支である『巳年』が幸先よく滑り出したのでここ一年が飛躍になり社会福祉法人 杉和会が益々地域の為にお役にたつ法人であると確信しました。リピーターの皆さん、今年も一年、変わらご理解ご支援を宜しくお願い致します。

 

我が家で不要になったものが生かされて嬉しいです。

令和6年12月31日

我が家に屋敷の玄関先に父進が戦後まもなく中古の家を購入した時には既に植えられていた紅梅の古木が、木の枝に大きな穴を開けながらも春になると赤い花を咲かせています。父進が大切にしていた古木ですので私が新築の家を建てた時にも残したいとの思いで本部施設の敷地内に仮植えをして家が完成した時に小さいながらも新たに出来た庭に植えなおしてからも既に20年が(新居に入ったのは2004年12月18日)経過しているのですが今なお花を咲かせて楽しましてくれています。

ところが、道路に面している枝にトラックが引っかけたのか、寿命の為に折れたのかは定かでありませんが枝が折れて紐が絡まり宙ぶらりんになっていたのを何とか取り、処分に困ったので本部施設に持って行き処分をして貰おうと本館玄関軒下に置いていたのですが、本日本部施設の地域交流ホールに行くと正月飾りの大きな花入れの中の中心的役割をしていたので思わず「廃棄しようとしたものが正月飾りの中心になるとは考えもしなかったけど、父進の思いがこの様な形で生かされたのは嬉しい事だと思った次第です。

大きな枝が折れたので少し形は変わりましたが老体に鞭打って咲いていれる古木の紅梅にを見習い明日からは巳年の幕開け、私の干支でもありますのでより頑張りたいと思いますので変わらず宜しくお願いいたします。

 

本部施設に引き続きの餅つきです。

いつもの様に5時25分のアラームでの行動開始で我が家の神棚と仏壇のお水換えから我が家のお墓までのウォーキングでその後お風呂に入り朝食をとり、地元の同級生が勤めていた縫製会社の製品である一番大きなつなぎ服をかなり前に貰った時は結構大きめだったのを恰幅が良くなった(お腹が立派になっただけです。)事によって着るのに苦労する様になったつなぎ服を着て和合の施設に向かいました。

昨日は本部施設において7臼ついての今日なので少しバテ気味ですが気合を入れて8時10分に着くと、既に竈の中の薪も北島部長が上手に組んでおいてくれたので、竈の四隅に盛り塩をしてお酒を振舞いポーズを決めての点火式を8時20分に行い和合の餅つき大会が始まりました。

 

昨日の本部施設においての餅つきには多くの助っ人がいたので突き手も、餅を千切る人もたくさんいてくれたのですが、さてさて和合では蒸籠を竈に8時40分に乗せて2升の米なので1時間も経たずに蒸し上がったので9時30分から突き出そうと思ったら突き手は北島部長しかいなくて最初のこねる作業は北島部長と私がして後は北島部長が大車輪の活躍で何とか1臼目が出来ました。

私の思いでは餅を千切るのに時間がかかるので「先ずは千切り餅から」と思っていたのですが、私が気が付いた時には伸餅の作業に入っていたので「4臼だけだしゆっくりやれば良いか」と言う事で2臼目は10時から3臼目は10時35分からつく事が出来ました。そのタイミングでてるてる座の座長さんがめっちゃ可愛いお孫さん2人を連れて応援に来て下さったので、せっかくのことですので座長とお孫さんに杵を持ってついで頂きました。4臼目は半分千切りで残り半分は伸餅にしました。

私は和合の餅つきに昨年は熱を出していて参加出来なかったので、どの様な展開になるかと心配していましたが、何とか無事に餅つき大会を行う事が出来ました。決して本部施設の様な手際良さは無かったですが次第に上手になると思っています。

これも、『習うより慣れよ』だと思います。取り敢えず本部施設も和合の施設も餅つき大会が終了してほっとしてますが気が付けば12月30日。これからお正月の準備に取り掛かります。

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