三寒四温とは言いますが

本日は和合の事務所にいると日差しが温かく、冬だと言う事を忘れてしまいそうです。昔から『三寒四温』と言う言葉が良く使われますが『三温四寒』と言う言葉が無いのは、日本人が「如何に春を待ち焦がれているか」と言う事でないかと思っています。『梅は咲いたか♪桜はまだかいな♪♪』と言う歌もあったと思うのですが『春≒さくら』と言うくらいに、桜をこよなく愛していると言う事は『春が大好き』と言う事だと思います。

私は高校1年の冬まで『霜焼け』に悩まされて(と言うよりシクシク泣いていました。)いたので、温かくなってくるこれからの時期は霜焼けが治りつつある段階に入ってくるので、『むず痒くなる時期』と言う事で、あまり好きな時期では無かった様に思います。

天気予報を聞いていると、今週の土曜日から極端に寒くなるとの事なので、今年の雪にご苦労されている所に対して心を痛めています。と言うのはテレビの画面を見ていた時に思ったのは「50年程前には、テレビの画面の様に屋根にどっさり雪があり、家の前の道路の雪を除けても除けても次々に雪が積もり、少し暖かい日には屋根の雪が音を立てて落ちてきたな」と言う事を思い出したからです。雪道が変わった為か雪で有名だった(「新幹線が関ヶ原の雪で運休」とか「名神高速道路が関ヶ原の雪で閉鎖」との報道がされていた)関ヶ原なのですが、今年の雪にはさほどの苦労もありませんでした。

雪に対する苦労は実際に経験しないと分からないと思います。「除けても除けても綺麗にならない」と言う途方に暮れる気持ちは分からないと思います。「雪が多い地方であれば、その対応はしっかりしとけよ」と経験の無い方は思われるかも知れませんが「自然の猛威は何ともならない」と言う事だと思います。勿論自助努力は当然の様にされるのでしょうが、公助の助けをしっかりして頂ける為の体制を構築して頂く体制の構築こそ大切なのではないかと思います。『天災かも知れないけれども、人的な配慮で被害を最低限にしていくこと』も大切だと思うのですがリピーターの皆さんはどの様に考えられますか。

ドンドンと和合地区の皆さんと仲良くなれています

本日午前中は岐阜市内のホテルで『岐阜県社会福祉法人経営者協議会』の理事会があり、会議終了後に昼食を頂いてから協議会の井上会長(前老施協会長)に「和合地区の選挙当番が当たっているので食い逃げの様になってしまって申し訳ありませんが午後の研修会は欠席させて貰い帰らせて貰います。」と断りを入れて一旦和合の施設に帰って、推薦はがきの整理をしてから選挙事務所に向かいました。

事務所に入って行くと和合地区の当番が2回目だったので前回もお話をさせて頂いた方々と前回以上に親しくお話が出来ました。

そんな中で「若山さんは何もない中から大きな施設を3施設も運営されているのは凄いね」と言われた時には「お酒が飲めて、歌が歌えて、お話が出来たので色んなネットワークを作れたからだと思います。」と言うと「お酒はどのくらい飲まれるの」との問いかけに対して「我が家での晩酌はしなくて、月に3回飲みに行くとして均すと1日1合です。」と言うと「と言う事は1回に飲む量は1升と言う事」と確認の様に聞かれたので「そう言う事になりますね」とケロッと答えると呆れた様な顔をされてしまいました。

話はドンドン盛り上がって、ドンドン和合地区の方との距離が近くなってきた様に思っています。

そして私が常に言っている「施設の入居者さんが『今日一日楽しかった』と思って貰える様に私が施設にいて可能な限り午前はお参り、午後はカラオケを楽しんでいます。

また、食べる事も大事なので、お米は谷水が直接入って美味しい『今須米』を毎週突きたての米を運んで貰っていますし、年に1回は私が『花魁』になって若い男性職員がドレスを着てくれる企画もあります。」と絶好調に畳みかける様に話しをすると「花魁の時には招待して欲しい」と言われたので「必ず招待しますからこれからは宜しくお願いします。」と言う事で会話がドンドン弾みました。

コミュニケーションが円滑に行く事によって施設の存在が近いものになる事によって施設への理解を深めて頂ける様にする事も大切な事だと思っています。

突然の様な衆議院選挙で「大変だ」とも言えますが、『転んでもただは起きぬ』の真骨頂で頑張ります。

明日は9時30分に和合の施設に関ケ原副町長さんが来て下さるし、18時30分からは決起集会がありますので、毎日が充実している私は幸せ者だと思っています。

『後悔後に立たず』と言う事ばかりでは無いと考えています

昨日の事ですが、選挙の個人演説会に参加させて頂いた時の話しなのですが、本部施設特別養護老人ホーム優・悠・邑の家族会の会長さんから携帯で「一番前の席を取ったので」との連絡を頂いたので会場前の受付を済ませてから会場に入って一番前の席まで歩いて行くと、既に選対責任者の方が座られていたのでご挨拶に行くと「午前中に引き続きで、ご苦労様。ところで、若山さんは元気だね」と言われたので、いきなりの投げかけに答えを持ち合わせていなかったので思わず「会長さんより若いですから」と言ってしまったのですが、日頃から「若さは生年月日には比例しない」と言っている私らしくない答えだったな。」と、喉に物が刺さったままの様な状態に今になって苛ついています。

「だっていつもの私らしくない答えでしょ。」と言う事で『後悔後に立たず』にならないために、次にお会いした時に訂正すべき答えを用意しました。「だって、いつまでも引きずっていたら楽しくないから」と言う事で私が考えた答えは「施設にいる時は皆さんと午前にお参りでお経を唱え、午後はカラオケをさせて貰い入居者さんから元気を貰っているからだと思っています。」と言う事です。そして勢い余って言うとしたら「今の仕事が私の天職で『趣味は仕事』と言っています。」と言う事だと考えています。

私が今の事業をさせて頂く為に紆余曲折もありました。大変な事もあったと思うのですが、今となってはそれも含めて今の事業への『通るべき道』だったと思うと「有難い試練だった」「軟弱だった私を鍛えて下さった」と思える様になりました。そんな事を言うと私中心に世の中が回っているような錯覚すら覚えてしまいそうですが、」あくまで謙虚にこれからも頑張って行きたいと思っています。

起承転結について語ります

私は何に対しても『起承転結』が大切だと言っています。つまり、「言いっぱなし」「やりっぱなし」は駄目だと言う事です。くだらない事ですが、例えば『川に石を投げたとします。その時に起きた川の変化は見届けなければいけない』と言う事。あまり例えが良くなかったと思うので、少し具体的な話をします。

昨夜、和合の施設で「夕食後の食べ物を大量に嘔吐された方があり、その件について家族に連絡した。」とのラインがきていて、朝の申し送りのラインでは「その後はお元気で普段通り。」との事だったので施設に「家族にその後は大丈夫でした。と連絡しておいて下さい。」と指示を出しました。現場の職員は得てして「今のみ」になってしまう傾向があります。家族の身になったら、その後の事が気になるものです。つまり、「大丈夫になった」と言う事を、家族が理解して完了と言う事です。

一人ひとりの日々の記録を見ていく中でも、熱発された記録や咳がある、鼻水等の風邪症状の記録があっても『完治した』との記録が無いのは『結が無い』と言う事です。何か不備な事が起きた時にマニュアルの見直しや点検表を作成したりすることがあります。ところが、不備があってマニュアル作成や点検表作成を作成当初はしっかり出来ていたのが、いつのまにか元の木阿弥の様になってしまう事が時として起きます。この現象は「色々と決めごとをしても、忙しくて出来ない。」と思っている職員が一人でもいたら、継続しないものです。と言う事は、マニュアル作成や点検表は必要最低限にしていかないと職員も疲弊してしまいます。

起承転結が出来る組織にしていくためには、常に職員が生き生きと生き甲斐を持って『報告・連絡・相談』が確実に出来て、入居者さんも生き生きとして家族を含む地域の方々から信頼して貰える施設になる様に、より頑張って行きたいと考えています。但し、今衆議院選挙が行われていて労働時間の短縮を提案されている所もありますが、施設職員は年末年始も関係なく、24時間体制で頑張っている評価をしてもらう為には、給与の月80000円からの格差をなくして貰いたいと思っています。

少し自慢をさせて下さい

児童福祉しか知らなかった40歳の私は、自分なりの施設を計画するのなら当然のことながら児童福祉施設しか考えられなかったので児童福祉である情緒障碍児短期施設の計画をして当時の岐阜県児童家庭課に計画を持ち込んだのですが、当時の岐阜県の考え方は高齢者福祉施設の計画以外に予算を捻出する考えが無い状況でした。

その計画を諦めてから、諸先輩方に相談していく中で「若山君の福祉に対する真っ直ぐな考え方を高齢者福祉施設で実現してはどうか」との助言を頂いてから紆余曲折はありましたが計画が俎上に乗ってからは私の思いを形にすることを図面に落として貰える様に設計管理をお願いした方に熱く語ったのを、つい昨日の事の様に思い出しています。

その中で特に拘ったのは

①嫌な匂いの無い施設でありたい、と言う事で可能な限りトップライトを設置して貰う。

②入居者さんが一堂に揃っての企画が持てる。と言う事で地域交流スペースを出来るだけ余裕のあるスペースにして貰う。

③施設の中心に祈りのエリアを作る。と言う事で、デイサービスの静養室に1軒半のスペースに三方開きの仏壇を設置して、しかも仏壇の中に天井と両サイドにステンドグラスをはめ込み、ステンドグラスが浮き出る様に蛍光灯の光が差し込む様に特注で依頼しました。(※依頼先は滋賀県長浜市の内藤仏壇店)

そして、建築が始まってからも毎日の様に設計士と現場監督を伴い現場を確認する中で、浴室の蛇口の位置を職員がしゃがまなくても良い高さに変更して貰う事もさせて貰いました。

また、居室のネームプレートも殺風景なものではなくて木の温かみのあるものを自ら絵にして提示して特製のものを作って貰いました。

また、事業を展開していく中でも提案して変更して貰ったものがあります。例えば、その当時の包布は清潔感があると言う事で『白』と言うのが定番だったのを「部屋が殺風景になる」と言う事でカラーの模様入りの物を作って貰いました。

また、以前にもコラムで書いたと思うのですが、亡くなった後にお風呂に入って頂くホーローの浴槽にタイヤを付けて貰い、職員の作業が楽に、しかも綺麗になるものにしました。

この様な発想を提案して業者さんの理解もして頂いての展開は入居者さんにも快適で尚且つ職員にとっても楽になる発想を提案してきました。

なお、ネームプレートにしても包布にしてもその後は新しい業者のパンフレットに掲載されていることから他の事業所でも活用して貰っていることは私にとっても嬉しい限りです。本日は自慢話のようなコラムになってしまいましたが『現場主義』の真骨頂と理解して貰えると嬉しいです。

本来の狙いとは違いますが

衆議院選挙が始まりました。

地区割等で選挙応援の役割があり、選挙事務所に行ったのですが、参加してみて思った事なのですが「地元の方であっても、なかなかゆっくりと話をしたり出来ない今日ですが、選挙事務所には机も椅子も用意してあり、あちらこちらと机を移動して「こんな時にしかお会い出来ませんね。」とか言いながら「30年前には大変お世話になりました。」とか「長男が小学生の時にPTA活動で仲良くさせて頂きました。」とか「えりかの里の事業が地域密着型通所介護に変更に4月からなりますが、よろしくお願いいたします。」等とのお話を蝶々があちらこちらに行くようにして場所を移動しながら、色んなお話をさせて貰いました。

大垣の施設がある和合地区の皆さんとは、初めてお会いした方に対しても色んなお話をさせて頂きました。例えば「3階建ての建物を建てさせて頂いたので、大垣花火の時に、施設が出来たから見られなくなったと言われない為に、ビニールシートや椅子を用意して尚且つビールやおつまみ、焼きそばなどを準備して、地元の方と一緒に見させて頂いていたのに、施設の周りの多くの建物が建って一等席での花火見学が出来なくなった。」とか、「地区祭りにも参加させて頂ける様になったのは、本当に嬉しいです。」との話の他に、私が高校2年生の時から四国巡拝を歩いてしてきた事によって今も、8月20日と高野山の前官大僧正と親しくさせて頂いているとの話をした時には「若山さん、高校時代にどんなに悪い事をしたの」等と言われた時には「そうですね」と返すしかなかったです。

選挙活動の場がこの様なコミュニケーションの場になるとは思ってもいなかったのですが、色んな関りを持たせて貰っているからだと思うと、これからも地域の為に頑張らなければと思った次第です。

和田秀樹先生のお話

全国老施協の東海北陸ブロック研修大会が今年7月に岐阜市において開催される事になっていて、その時の記念講演を和田秀樹先生にお願いしたのです。

和田秀樹先生の講演は全国老施協の大会等においても何度か聞いたことがあるのですが、その都度「大切な事を教えて頂いた。」と思っていて、大会実行委員会において講演者を決める為に事務局からリストを貰って検討していく中で和田秀樹先生に決定したのです。

そこで改めて和田秀樹先生の事をインターネットで検索してみたところ、『死ぬときに後悔しない生き方の心得』と言うものが目に飛び込んできたので、リピーターの皆さんにも紹介したいと思い今日のコラムにしました。

『ごくじょうのしにかた』の最初の文字に言葉が書かれていて「なるほど」と思いました。

【ご・・極上の死を迎えるために、自分が納得のいく生き方を貫き通す。

く・・苦しい事やわずらわしいことは、できるだけやらない。

じ・・自由気ままに暮らす。我慢すると心身ともに老化が加速する。

よ・・要介護になったら残された機能と介護保険をフルに使い、人生を楽しむ。

う・・うかつに医者の言う事を信じない。治療も薬も選ぶのは自分。

の・・脳と体を使い続けて、認知症と足腰が弱るのを防ぐ。

し・・死を恐れれば恐れるほど、人生の幸福度は下がる。

に・・人間関係が豊かなほど老いは遠のく。人づきあいが億劫になったらボケる。

か・・体が動かないとき、意欲が出ない時に「なんとかなる」とつぶやく。

た・・楽しい事だけ考えて、とことん遊ぶ。どうせ死ぬんだから。】

との言葉をかみしめながら読んでいくと「深いな。自分もそうありたい」と思いました。

但し、私の生き方の中で「まだまだバリバリの現役だ。若い者には負けん」との思いがあるので『老い』について考える暇もないし、ボケている暇もない。

と言うのが私の今の正直な思いです。

小さい頃に虚弱で生きているのか死んでいるのか分からないような時期が結構あったので、その分を今元気でおれるのかと独り善がりな考えをしている私です。

その頃の母秋江さんは我が子の事が心配で心配でいたと思うのですが、母秋江さんが苦労した分を私が楽しく頑張りたいと考えています。

根本的に『何故その様にしなければいけないのか』が理解出来ていないと本来の理解は出来ないものです。

高校生の時には「校則だから守りなさい」的なものに対して反発をしたものでした。反発をすると「高校生らしい身だしなみの為」とか言われて益々反発をしてきた様に思います。しかしながら、今は職員に対して「◎〇をしなければいけない」と言う事を職員に多く要求している事があります。そして、言ったことが出来ていない事に気がつくと職員本人にも言いますが、それ以上に責任者に厳しく言う様にしています。それは決して理事長として楽をしたいとの思いではありません。フロアの責任者がその様に決めた理由を理解していないと徹底しないと考えての事です。『しっかり手洗い、うがいをする』とか『しっかりとした挨拶をする。』等は基本的な事ですから誰でもが出来ていなかったら指摘する事は出来るのですが『髪の毛が垂れる事の無い様に』とか『スリッパではなくて靴を履く』等の様な決め事は明確な理由を示していかないと、説得力の無いものになってしまい指導が行き届かないものになってしまいます。また、『窓開けをして空気の流れをつくる』との決め事に対して「入居者さんが寒いと言われています」等と言ってくる職員がいたりします。そんな時には「施設はいくら個別ケアをしていてもあくまで集団での生活なので感染症の観点と匂い対策の為には開けるタイミングを工夫して開けて下さい」と重ねて説明しなければ徹底しないものです。また『地域参加を推奨し実践する』とか『ホームページの更新をしっかり行う』等に至っては理事長として丁寧に話をしていかないと、単なる『負担が増えた』との理解にしかならないと思っています。つまり、自分の考えを相手にしっかり伝えるには相手が納得するまで何度でも丁寧に話していくしかないのだと頭では理解しているのですが最近の私には余裕がないのか「イラっと」来てしまう自分がいる事に対して自戒を込めてのコラムなのでリピーターの皆さんご理解下さい。

「能ある鷹は爪隠す」と言う事なのでしょうか

本日、和合1階で午後からカラオケを入居者さんと楽しんでいる時の事です。

最近ショート利用を開始された方で、前回の時に私が歌っている時にも結構に口ずさんでいるのを確認できたので職員に「歌ってもらえるのと違うの」と言うと「お誘いはしたのですが歌えないと言われたので」と言う事だったので「今日は絶対に歌って貰える様にします。」と宣言してからタイミングを見計らって「私と一緒にデュエットなら歌って貰えますか。」と投げかけて『銀座の恋の物語』をデンモクに入れてマイクを差し出すと「歌えるかな」と言いながらマイクを受け取り、出だしのパーツが女性からだったので「どうぞ」とばかりに手で合図をすると、これが本当に上手なのです。しかも男性のパーツになって私が歌おうとしたのですが結局全部歌って頂けたのです。「文字通り『能ある鷹は爪隠す』だなと思ってしまいました。

そして本日のカラオケでは「歌えません」と言われていたのですがデンモクで『銀座の恋の物語』を入れると素直にマイクを持って下さり、しかも椅子から立ち上がり全く上手に歌われて参加されている入居者さんも職員さんも大きな拍手をして「上手やね」との声があちこちから聞こえたので「もう一曲お願いします。」と言うと「ひばりちゃんを歌います。」との事だったのでデンモクで美空ひばりさんの曲を提示すると「『悲しい酒』にします。でも何十年と歌っていないので上手く歌えるかな」と言われたのですが、イントロが流れるとマイクをしっかり持って席を立って台詞も含めて全く上手に歌われました。そのフロアにいた職員から「台詞のところが情感一杯で凄かった。涙が出そう」とまで言っていました。つまり、掛け値なしに「上手い」と言う事だったと思います。歌われた方も満足そうだったので「また、聴かせて下さいね」とカラオケが終了してから声を掛けると目を輝かせている様に感じました。

事務所に戻る前に職員に「彼女は何者」と聞いたところ「主婦だったと聞いています」との事だったので私は「単なる主婦の歌いっぷりではないね」と話をしました。この方に留まらず素晴らしいものを引き出してより目を輝かして貰える様にして行けたらと改めて思った次第です。

危険信号かも知れませんが・・・

右の足首が悲鳴をあげています。

その原因を考えた時におそらく体重が増えたからだと思います。(それ以外考えられません)と言う事は、『とほほほ・・・。』と言う事です。

何度もこのコラムで書いていますが、中学生時代までは、ガリガリで「おへそと背中がくっついているのではないか」と揶揄されるくらいだったのです。

その頃の私の食事の場面を思い出してみると、実にゆっくりとしか食べられなくて時には食事の途中で寝ていた事も度々だったように理解しています。

時間がかかるので当然の事ながら食事の量は少なかったと思います。

今の私はめちゃくちゃ『早食い』なので食べても食べても満腹感が無いのです。

つまり『大食い』なのであります。

本日は18時から本部施設において全体会があるので、13時30分から岐阜県主催の『岐阜県介護現場革新会議』終了後、本部施設に向かう途中にスーパーに寄ってパンとおにぎりを購入して17時頃に食べてしまい、全体会終了後は家に直行してお風呂に入り何も食べずに寝る事にしています。

と言う事で強い決意を宣言する為に家に連絡をして「夕食は食べません」と伝えました。

私が『早食いの大食い』になったのは26歳の時に児童養護施設の児童指導員になり、子どもたちが食べ始めたのを確認してから食べ始め、誰よりも早くに食べ終える習慣が出来てからです。

これも『職業病』の一つだと私は思っています。

一旦その様になるとなかなかこの習慣は治りません。

でもですね。足が踏ん張れなくなったら行動範囲が狭くなってしまうので、ゆっくりと食べて少量で満足出来る習慣を身に付けていかなければと今は『豆腐』なのか『こんにゃく』なのか、はたまた『鋼』のようになのかは分かりませんが、とにかく頑張っていきますのでリピーターの皆さんは私がスラっとした姿になる様に期待していて下さい。

その様に考えている舌の根が乾かない内に「ストレスと緊張感の解消の為に一杯食べてしまうんですよ」との声が響いているのですが、「果たして・・・。」

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