ドクターイエローが東海道新幹線から引退しました

少し前の『週刊現代』(1月11日・18日号)の特集記事での私の思いを含めてコメントしたいと思います。東海道新幹線は東京から来た新幹線は岐阜県内では関ヶ原町山中地区でトンネルに入るまでは見晴らしの良い所を走っているので、(若山家の山の所も走っています)車で走っている時に度々見る事が出来ました。結構何人かから「ドクターイエローを見た」と嬉しそうに話されているのを聞きましたが私自身は「私は何度も見ていてそれ程の感動を持って見ていなかった。」と思うと同時に「あの勇士を見られなくなった。」と思うと「もう少ししっかりと見ておけば良かったな」と思っています。と言う事は人間の感覚は勝手なものだと私自身の事ではありますが改めて思ったものです。

ドクターイエローの正式名称は『新幹線電気軌道総合試験車』と言う厳めしい名称だそうですが、役割としては「トロリー線(架線)の摩耗やレールの歪みなどを点検する、7両からなる保守車両だ。」ドクターイエローの精密な働きぶりについてJR東海道新幹線鉄道事業本部電機部電力課の樋口和俊さん(35歳)が「屋根上の窓から、1秒間に1500回レーザー光を照射し、直径十数㎜のトロリ線の摩耗を約50㎜感覚で検測しています。摩耗が前回測定値より進んだ現場を実際に測定してもらうと、イエローの報告した数値とほとんど誤差がないほどの精密さです。」なおかつ、同施設保線課の岡本崇さん(32歳)が「レールの歪みを0.1㎜単位で測定でき、保線担当がその現場に出向くとき、イエローは東京駅からどれくらいの地点なのかを1m単位で正確に知らせてきます。」と言う事だからこそ、新幹線の安全が担保されてきたのだと思います。

さて、埼玉県八潮市交差点道路陥没事故とドクターイエローのち密さを考えた時「陥没する前に大きく穴が開く前に察知出来なかったのか」と思っていたら特殊な車を走らせたら穴が開いているのを発見する特殊車があるのと報道があったので「陥没事故が起きるとものすごい労力と犠牲を伴うのだから、道路の下に配管がある所を特殊車両で確認する事が大切だ」と思いました。確かに予算が伴う事ですが実際に事故が起きているなか制度設計をしっかりすべきだと思うのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

私はいったい何を期待しているのか

令和7年2月5日

今朝のNHK7時の一番最初のニュースは雪の情報でした。岐阜県の合掌作りで有名な白川村では230cmを超える豪雪だと報道しています。よく色んな方から「岐阜県の合掌作りに行ってみたいので案内して貰えませんか。」と言われるのです。

そんな時に私は「江戸時代には美濃国と飛騨国に分かれていて異国の地だったのですよ。しかも、高速道路を使用しても2時間以上かかります。ちなみに高速道路を使用すれば京都まで1時間ですから、私にとっては岐阜県何だとは理解してはいますが遠い存在なのです。」と答えています。天気予報の中で岐阜市は積雪が1cmで関ケ原は0cmだとの報道があり、「わざわざ関ケ原が0cmとの報道をする意味が分からない。」と思った時に「全国の方の中には関ケ原の情報が多いのはそれだけ主要道路として評価されていて『雪の時に苦労されている方が多い』と言う事なのだ。」とも思った次第です。

「大寒波が続きます」との事ですが「30cmまでは雪が降った内に入らない」と言っている私が「今日も大した事ない」「今日も大した事ない」とのつぶやきをしているのは私自身「何を期待しているのか」と考えるに「これだけ大寒波と言っているのに関ケ原だけのけ者にされているのは寂しいとでも思っているのか」と思うと「とんでもない。雪が降らないのは有難い。だって雪がたくさん積もって良い事があるのはスキー場だけだ」と思っているので。

「でも、雪の話題が無い関ケ原も珍しい」と言うより、雪道が気候変動で変わってきているのか・・・。難しい事は分かりませんが皆さんから「雪で新幹線が関ケ原近辺で止まる。」と言われないのは助かります。でもね。昔の事は良く覚えているのが「世の常」だからこれからの言われ続けるのかな~。

大寒波のニュースが流れています

昨日のニュースで気象予報士の方のアナウンスでは「10年に1度の大寒波がやってくる」との事。

1年で一番寒いこの時期での寒波ですから「これは大変だ」と言うので、昨夜は「和合の施設で泊まる準備をしなければいけないかな」と思いながら寝たのですが、今朝早くに目覚めて外を見ると3cmくらい薄っすらと積もっていただけだったので「長年関ケ原で生活している私としては雪が積もった等と言うのも可笑しいね。」と思った次第です。

7時前のNHKの天気予報に引き続いてのニュースでも「全国的な大寒波がしばらく続く」と言っています。

取り敢えず「西の空は明るいので和合の施設での泊りを本日はしなくても大丈夫だ」と言う事で本日は午前中に岐阜県老施協の常任理事会があるのですが、13時30分から和合の施設において看護学生の実習で講話をするためのレジメを作成して、資料としてのパンフレットも用意する為に取り敢えず本部施設に行き、作業を終えてから岐阜県福祉会館に向け出発しました。

雪の影響は全く無くていつもと同じくらいの時間で着きましたので、会議の時間前に充分到着しました。

常任理事会は12時10分に終了してから林副会長と打ち合わせをして和合で昼食をとり、13時30分から15時までの90分間の中で6分程度の動画を2本見て貰いながら話をさせて貰いました。

実習生は4人だったのですが将来医療従事者としてしっかり活躍して貰うにはコミュニケーション能力が大切であり、コミュニケーションスキルを高めるための大切な事を中心に話をしました。

私自身中学を卒業するまでが『虚弱であった為に対人恐怖症で赤面症』だった事も赤裸々に話をしながらさせて貰いました。

実習生4人の方にとってどれだけお役に立てたかはわかりませんが素晴らしい医療従事者になって貰いたいと思っています。

1日遅れの節分の行事を行います

令和7年2月3日

朝9時から本部施設で入居相談の対応をしていたのですが、途中からは水野施設長にお任せして、10時から本部施設での節分の行事に間に合う様に社会福祉法人杉和会の立ち上げ時から長年に渡り監事をして頂いた方の本葬前に焼香だけでもとお参りをさせて貰い、急ぎ本部施設に戻りました。

準備をしている職員集団の所に行くと「布袋さんの衣装を準備しましたので理事長着替えて下さい。」と言う事でド派手な衣装を身に着けて(決して嫌いではありませんが)私の準備が出来た時には勇ましい赤鬼や青鬼に扮した職員と、台車に乗った共同作品の鬼を引き連れ新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスのエリアで盛り上がりました。先ずは新館2階に行き感じた事は、準備した球を情け容赦なしに投げられる入居者さんと、遠慮気味に投げられる入居者さんとがあるのですが、盛り上がって来るとみんなが思いっきり投げられているのが印象的でした。

 

思いっきり鬼さんに球をぶつけて頂いたあと、布袋さんに扮した私が音頭を取って「鬼は外、福は内」と大きな声を出すと、入居者さんも大きな応えて下さいました。特養の入居者さんは各フロアで同じような状況でしたがデイサービスの利用者さんは最初から思いっきりの対応だったので、この反応の違いは今後の展開での考慮が大切だと思いました。

 

本部施設での節分豆まきを終えて昼食を頂いた後、本部施設での布袋さんの衣装のまま和合の施設に向かいました。

 

和合の施設に着き事務所に入って行くと私の衣装でひとしきり盛り上がり、予定の時間になり1階、3階、2階の順に回りましたが、どのフロアも盛り上がりが凄くて一昨年の8月から和合の施設長になった頃とはくらべものにならないくらいの盛り上がりに感無量でした。これからも入居者さん、利用者さんの喜んで貰える為には『布袋さん』だろうが『花魁』だろうが頑張っていきたいと考えています。

とほほの話をします

令和7年2月2日

本日は家族会の吉田会長に誘われて、「熱田神宮参拝のバス旅行」に行くのですが、スーツを着て行くには仰々しいからと言って、ジャージのズボンでは失礼だと思った時にそれなりのズボンで、お腹が大きくなってはけるのが無いと言う事で、昨日大きな服専門店に行きました。「ズボンが欲しい。」と店員さんに言うと4Lのズボンをすすめられ、試着するとぴったりだったので、同じサイズのを2本選び、ついでにベルトのコーナーに行くと、めっちゃ長いベルトがズラッと並んでいたので、大きなお腹の人がたくさんみえるのだと理解しながら腰に巻いてみると、楽勝で結果的に10センチを切って貰いました。

7時40分に随行してくれる吉澤施設長が迎えに来てくれる事になっているので、昨日購入したズボンをはこうとして手に持って、思わずケンタッキーのズボンかと自重気味にはいてみると、確かにぴったりと言う事で思わず「とほほ」と言う事です。

7時40分丁度に吉澤施設長が迎えに来てくれて、集合場所のふれあいセンターに着くと、既にバスが来ていたのでバスに乗り込み、着いたのが早かったので乗り込んでみえる方に一人ひとりご挨拶をして、予定時間になり、出発して、一路熱田神宮に。今は名古屋高速があるので早くに着いて、本殿まで傘をさして歩いていき、しっかりお願い事をさせて頂きました。

この後は蒲郡の竹島ホテルで昼食タイムになりますが、バスの中はお酒を飲む方で盛り上がっていますが、昼前から飲む習慣が無いので、ビールもお酒もカップ置きに置いたままです。昼食時には吉澤施設長にはノンアルコールで我慢して貰い、私も飲む事になると思うので本日のコラムはここまでにします。このバスには日頃お世話になっている方も多く見えますので、付き合いの悪い事は出来ませんので。

本日、岐阜新聞1面の記事から

令和7年2月1日

『岐阜 転出超過5238人』『東京は転入超過7.9万人』『40道府県で流出』の見出しを見ての、私なりの所感を述べさせて頂きます。

記事を読んでいく中で【岐阜県は「転出超過」が前年比722人増の5238人だった。転出者が411人減の3万6610人、転入者が1133人減の3万1372人だった。】と書いてあったので転出超過の流れが止まらない状況がある事が分かります。また40道府県で流出の方が多いと言う事は、47都道府県の内、転入超過はわずか7県と言う事です。転入超過は埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、大阪府、福岡県と言う事で、東京都の近県に集中しており、東京近県以外では僅かに大阪府と福岡県ということなので、政府が『1極集中の打破』とか『地方創生を進めて行く』と言う考え方に、虚しさを感じているのは私だけでは無いと思います。

記事の中で【林芳正官房長官は記者会見で「若年層や女性の東京への転入超過が継続している。若者、女性にも選ばれる地方の実現へ施策を具体化したい。と述べた。】とありました。「具体化したい」と言っても、具体的な施策がなかなか実現していない状況にあり、それどころか『消滅市町村』と言う言葉が現実味を帯びている。『人口減』『少子高齢化』が進んでいる中での歯止めが利かないのは「より有利・魅力的な所で生活したい。」との考え方があるのと、地方に行けば行くほど『封建的な考え方』が残っているからだとも思っています。

「今須はかつて宿場町として栄えて、旧中山道美濃13宿の中で、岐阜城下町の麓にある加納宿に次いで人口が多かった」と言っても虚しくなるばかりです。「郷土愛はないのか」と言っても「住みにくい所には居られない」と言う事だと思います。東海道本線が出来た時に『今須駅構想』があったと聞いていますが、その頃の地元の有力者が「駅が出来たら若者が出ていってしまう。」と駅の設置に反対をして出来なかったとの事です。『住みよい町』を築いていくには何をすべきかを、今からでも遅くないのでみんなで考えて行かなければと思います。

確かに東京都では財源が多くあり、魅力ある施策を取り入れています。それに対抗するための提案として『ふるさと納税』と言うのが考えられました。しかしながら、その施策だけでは何ともならない状況があります。岐阜県知事が江崎知事に変わられたので、大胆なアイディアで少なくとも「岐阜に住み続けたい」「あるいは岐阜に移住したい」と思って貰えるようになっていければと考えています。「だって、岐阜は日本の真ん中なのですから。」

2月4日、5日、6日と『立春寒波』の予想が出ています

令和7年1月31日

1月が比較的暖かい日が続き「今年は雪も少なくて有難い」と思っていたのですが、昨日今日と関ケ原に雪が降りましたが私の感覚では「この程度の雪は雪が降ったと言う程の事では無い。」と言う事ですが、今回の予報は「10年ぶりの雪予報」と言う事ですので、体制を整えていかなければいけないと思ったのを機にかつての雪の体験を語ります。

正直60年前、50年前の雪への思いは「本当によく降りました。」の一言ですが、何度かあった『ただ事ではなかった雪のエピソード』について述べていきたいと思います。先ずは私の記憶には無い『幼少期』の事なのですが・・・。

多分私が2歳か3歳の頃の事で父進さんから聞いた話なのですが、現在の国道21号線のルートでは無くて、旧中山道の道を車が走っていた頃に大雪が降り当時はまだまだ米軍の駐留が当たり前の様にあった様で、たまたまですが我が家の前に米軍の車が止まったままであり、気の毒に思った母秋江さんが我が家に招き入れ何日か停めたとの事で、我が家の押し入れにはお礼の品の全く大きな丈夫な毛布があったのを記憶しています。

次にはしっかり記憶にある出来事として、高校生の時に大雪で車が全く動かない中、律義にも止まっている車の間を通って何人かの同級生と一緒に関ケ原駅までたどり着いたら改札口に運休の張り紙と共に高校の休校の張り紙があり、家に向かって引き返したものです。半世紀以上前の事ですから当然の様に携帯電話等と言うものは無い時代の事ですから致し方ない事でした。大学生の時にもしっかりと雪が積もり、家が雪の重みで「ミシミシ」と言い出したので父進さんが「大屋根の雪下ろしをしなければ」と言う事で大屋根まで上って下を見ると我が家の西側には川が流れていて「めっちゃ高い」と思いながら雪下ろしをしたものでした。

また、長男が小学年の高学年の時も多く積り長男も伴い雪下ろしをした時には雪を下した庭に下した雪の上に長男共々飛び降りたのを覚えています。その時には下した雪が固まっているので次男にも参加させてかまくらを作り、かまくらの中に蝋燭を付けて楽しみました。

また、その時には檀家寺の雪下ろしに駆り出されお寺の屋根に上るとお寺の屋根の傾斜に圧倒されたのを覚えています。その外にも我が家の2階から東海道本線が走っているのが見えるのですが『ラッセル車』が雪を吹き飛ばしていたのは壮大だったなと記憶しています。

記憶を辿ると懐かしい気分になりながらコラムを打ちましたが『立春寒波』の備えは盤石にしたいと考えていますが、今は職員が準備してくれるのを眺めている状況に「有難いな~」と思っています

抹茶ブームだとの事

令和7年1月30日

今朝午前2時15分に本部施設で看取りの入居者さんが無くなられたとの連絡を宿直者の吉田副施設長から受け、主治医の先生が5時30分には来て下さるのに合わせて家族の方も施設に来て下さるとの事だったので、5時過ぎに本部施設に行き、主治医の先生の死亡確認に家族と共に立ち合い、その後家族の方に今後の対応で施設側がお手伝い出来ることの相談にのり、最後のお風呂及びエンゼルケアをした後9時にご自宅にお送りすることになり、その対応をして一旦家に帰り少しゆっくりしようとテレビを点けると『世界的な抹茶ブーム』の特集をしていました。

私は若い頃は「こんな渋いものを喜んで飲まれるのは不思議だ」と思っていたのですが、26年前に本部施設本館の事業開始をしてから、入居者さんと共に抹茶を楽しむ機会に恵まれてからは「美味しい」と思う様になったので、外国の方が好んで飲まれる様になり、所謂『抹茶ブーム』である事が不思議な気がしながらその番組を見ていました。

番組の中でも抹茶は最近好まれる方が急激に増えたとの事で、それまでに抹茶を飲まれた方の感想には「青臭くて雑草の匂いがして嫌だ」との事だった様です。抹茶が広く広まったのは抹茶の葉を活用した製品が多く販売されてからだと思います。

私の場合は東京へ出張に行った帰りの新幹線の車中での販売で(今は実施されていません)『抹茶アイス』を食べるのが楽しみだった事を思いだし、確かに色んなものに抹茶を素材にしているのがある事に気が付きました。この事からも、「コーヒーを飲むのが当たり前になった事によって抹茶を飲まれる方が少なくなった。

と嘆いていても何の解決策にもならない。購買力を高める努力をしていく事こそ大切なんだ。」と改めて思いました。但し、世界中の方が抹茶を望まれている中で「お茶会の企画をしても高級なものが手に入らない。」「沢山購入して方の中で転売している状況もある」との悩みがあるようです。その問題の解決の為には抹茶ブームを単なる『ブーム』として終わらせることの無いように汗をかき生産を増やしても大丈夫な根拠を確立する事。

また、転売が問題になっている事も安定的な生産根拠の確立と販売ルートの確立で解決していかなければいけないと考えています。朝早くからの活動だったのでいつもとは違う脳の働きをしたようですが、こんな切り口で話し出来る事もリピーターの皆さんに理解して貰えると嬉しいです。

岐阜県に江崎知事が誕生します

令和7年1月29日

20年ぶりに岐阜県知事が変わります。

前回4年前の選挙では、自民党が二分しての大変な選挙だったのでおのずと投票率も高かったのですが、投票結果は圧倒的に江崎さんの票が多かったのですが、投票率は過去2番目の低いものであったのは残念な事でした。選挙は、政治に対して自分の意思を表すものなのですが、「投票に行かない」と言う意思の表れだと思うと「政治離れの結果だとすると、そんなことではいけない。」とも思っています。

さて、本日の岐阜新聞1面に『江崎県政誕生―――20年ぶりの知事交代――㊦』『刷新 問われる手腕』の記事があったので昨日の㊤も読ませて頂いたので、私なりのコメントを述べさせて頂きます。記事の中で【自民党のベテラン県議は「執行部と議会がいがみあうことは良くないが、政策を巡ってけんかするのは当然」と主張。古田知事との意思疎通が少なくなっていたことを明かし「江崎さんとは健全な形で議論していきたいだけだ」と、今回の県庁への手引きを弁明する。(中略)自民県議の一人は「江崎さんが描く県政のビジョンが見えない。インバウンド誘客など、古田県政が時間も人でもかけて大切に育ててきた政策が、どうなっていくのか」とぼやく。別の自民県議は、立て板に水のような江崎さんの演説を、不安視する。「話がうまいからこそ、言葉選びや言葉の組み立てを間違えたときに炎上する。冗舌になって自分の本音が出ちゃうときは特に危ない」(中略)ただ大半は「お手並み拝見」を決め込む。】との記事を読んで思う事は、かつてのコラムで『立場が人を育てる』と書きましたが、正に江崎さんが知事になられてからは、自分なりの価値観で『知事とは』と考えられていたと思いますが、私は江崎さんが持たれている『郷土愛』と色んな経験からなる『識見』を十分に発揮して頂き、岐阜から全国に、世界に誇れる推進役になって頂けることを信じています。「フレー、フレー江崎丸」と言う事で。

満更ではない穿った見方

令和7年1月28日

『中居正広』さんからのしっかりとした説明が無いままでフジテレビがピンチに立たされていると言うよりもテレビ業界に関わる方々において逆境に立たされていると言っても過言では無いと思っています。昨日の文字通りオープンな形で行われた記者会見は結果的に10時間を超えた長汀場であったようです。このことからもトラブルが起きた時の初期対応がどれだけ大切なものかと言う事も改めて理解しましたし、ぼつぼつと聞こえてくる情報では中居正広さんの常識が世間での常識からかなりかけ離れていたものと理解しています。

フジテレビ系列である東海テレビのチャンネルを点けると、「コマーシャルが短くなったかな」「ACジャパンのコマーシャルが殆どだな」と感じています。ACジャパンは正式には『公益社団法人 ACジャパン』と言って多くの企業が年会費を支払って公共的なものをアピールしていくものです。東日本大震災においては「安易なコマーシャルは逆効果になりかねない」との考え方もあり、ACジャパンがの作品が多かった事は周知の事実だと思います。

しかしながら天災等による差し替えではなくて、この様な形でACジャパンの画面が多く採用されるとは思いませんでした。穿った見方に移ります。(いつもの事ながら前段が長くてすみません。)ACジャパンの画面ばかりが常態化して所謂番組を作成する原資を提供するスポンサーがコマーシャルをしない(出来ない)中で、「コマーシャルを打たなくても売り上げが変わらない」と言う結果が表れた時には企業側が「コマーシャルをテレビで流さなくても変わりがないなら費用対効果が無いわけだしスポンサーになる意味がないな。」との考え方に変わったら民法の存在意義がなくなってしまうのではないかと言う事です。

例えば新聞の販売数がどんどん落ちているのは、「スマホやパソコンで情報を得た方がリアルタイムに情報は入るし便利だから新聞購読する必要がない。との考え方が増えているからだと思います。今回の問題によってマスメディアの考え方も大きく変わる様に思います。このような現象はマスメディアだけの問題ではなくて、私が展開している介護事業においても状況を把握し、情報を得ながら色んなアドバイスを得て健全な経営をしていく中でしっかりとした運営をして地域で喜ばれる社会福祉法人として頑張っていきますのでこれからもよろしくお願いいたします。

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