「お」「も」「て」「な」「し」

どこかで聞いたフレーズですが、介護事業にも相通じるところがあると思い、今日のコラムのテーマにしました。

『おもてなし』と言うのは「誰かに言われてするのではない」と言う意味では、これと同じように言われているのが、四国の文化として脈々と続いている『おせったい』と言う言葉だと思っています。どちらの言葉も日本の文化に根付いたものであり、日本が誇るべきものだと考えています。「介護事業に相通じる」と言ったのは、当法人の理念の一つに『お世話するもの、されるものではないと言う構図でなければいけない』と言うのがあります。つまり、「相手の方がいかに安楽であり、有意義な生活を過ごして頂くか」と言う事です。その為には、相手の方の事を理解した上でプランを立てて、その通りにお世話する事です。

『おせったい』をして頂いた時の話をします。私が大学生の時に、50人の学童を中心にした団体の責任者(先達と言います)の一人として参加した、全て歩いての土用団参での事です。あまりに暑くて歩くスピードが遅くなった時は、口数も少なくなっていたので、大きな屋敷の車庫に車が無かったので、家の方に許可も取らずに休憩をさせて貰っていた時に、家の方が飛んで来て「責任者の方は」と言われたので、「私が責任者の一人ですが」と答えると「何人いるのか」と言われたので参加者の人数を報告すると、家の方は「15分くらい待っていてくれ」と言われて、屋敷の中に停めてあった軽トラでどこかに行かれました。そして15分もしない内に戻ってこられて「アイスクリームをみんなで食べてくれ」と言われたのには驚きもありましたが、感謝でしかありません。その方が言われるには「今どきこんな暑い時に歩いての団体で、しかも小中学生の子どもも沢山いて感心した。私が出来るのはこの程度の事だけれども『おせったい』が出来たのは嬉しい限りだ。」と言われたのは今でもしっかり記憶しています。損得無しに、或いは掛け値なしの行為だった事を私は今でも心に大切に思っていますし、私の今を育てて下さったものの原点だとも思っています。

私は介護事業を開始して27年の月日が流れましたが、事業開始の日から片時も携帯を離しません。入居者さんに何か異変があり連絡があった時に、速やかな対応をしたいからです。そんな話をすると「大変だし、ゆっくりやすめないでしょう」と言われる方がありますが常に「そんな事はありません。それよりも連絡が無くて悔しい思いをする方が嫌ですから」と答えます。今は多様化の時代ですから「みんながそうすべきだ」等とは言いません。でも、『相手を思いやる心』は日本の文化として永久に残していきたいと考えています。リピーターの皆さん、私はこんな人間ですが今後ともよろしくお願いいたします。

本日は本部施設4か所においてお参りなのですが

令和7年8月24日

午前中の2か所を終えてコラムを打っています。2か所目の本館2階のお参りを終えていつもの事なのですが入居者さんに向けてお話をさせて貰っている時の話です。お経自体はそれぞれ約30分位なのですが最初のお経である正信偈と御文さんを皆さんと唱えたあとコップに用意してある水を頂き喉を潤す事にしています。

1階のお参りを終えてお話をさせて頂く前にもお水を頂いてからお話をさせて頂き階段で2階に行くと1階より遥かに多い入居者さんが待っていて下さったので1階の時より気合を入れてお経を唱えさせて頂き、1階と同じくコップの水を飲もうとした時に1階とは違ってコップの水は氷が入っていて喉を通る水が冷たくて美味しく感じました。お経を終えて2回目の水を飲む前にお盆の所にこれまた用意してあったおしぼりで顔を拭って感動しました。と言うのはおしぼりが気持ちよいくらいに冷たくしてあったからです。

私は2度目の水を頂いたあと『氷入りの水』と『冷たいおしぼり』の事を入居者さんに話しさせて頂きました。と言うのは水とおしぼりを準備してくれた職員のさりげない行為が嬉しかったからです。1階の水は『業務としての対応』であり、2階は「理事長が大きな声でお経を唱えてくれるし、お経とお話の後に気持ちよくカラオケを歌って下さると入居者さんが喜んでくださるので、少しでも理事長さんに快適さを感じて貰えたら」との思いが私に伝わってきました。

そこで、冷たいお手拭きで顔を拭い冷たい水を頂いた事を正直に入居者さんへのお話で伝えました。つまり、「相手の方に出来るだけの事をしたいと言う思いを持っての行為は嬉しい事だ」と言う事を。この行為も『気付きの一貫』だと思っています。2階でのお参りとカラオケ(『恋の季節』と『浜防風』)を終えて1階のフロアに戻って行った時に車椅子に座っている入居者さんが素足で靴も履いていないにも関わらず誘導をしようとしている外国人介護職員に対して、「素足ではぶつけた時のリスクは増すしフットレスの上に素足では駄目ですよ」と注意しました。

単なる業務としてでは無くて「自分だったらどうなの」と言う事を考えれば相手に対する配慮が出来ると思うので、『単なる業務では無い専門性を持ったケアについてしっかりとした指導をしていかなければと考えています。リピーターの皆さんもお気づきの点がありましたらどんどん教えて下さい

『寄り添いケア』について述べる事にします。

令和7年8月23日

昨日のコラムで「家での生活が出来なくなった入居者さんへの当法人の考え方」について述べましたが、基本的な考え方の中で『寄り添うケア』について本日は語らせて頂きます。随分前の事になりますがその当時三重県老施協も役員の方から『「寄り添いケア」について職員に話しをして暫くしてから若い職員に「寄り添いケアを頑張ってる」と聞いたら「先日、入居者さんの隣で添え寝をしました。」と元気に応えてくれたので、「少し意味が違うんだけどね」と言う話がありました。確かに問いかけた役員の意図とは違いますが当法人の本部施設においても同じような事がかつてありました。

それは看取り期に入っていた入居者さんの状態がより厳しい状態だと感じたので「何か起きたら」と言う事で若い職員だったのですが添い寝をして暫くしたらやすらかに文字通り『眠る様に』ご逝去された事がありました。三重県の事例と当施設の事例の違いをリピーターの皆さんは理解して頂けますでしょうか。三重県の事例は『単に恰好から入った事』であり、当施設の事例は『何かを感じて』の出来事だと言う事。

つまり、平生の対応の中で入居者さんの状態をしっかりと把握しての対応こそ『寄り添いケア』と言う事では無いかと考えています。先般行われた『特別養護老人ホーム優・悠・邑 和合』での月1回の全体会において『気付きの大切さ』を理事長・施設長としてしっかり話をさせて貰ったのですが、『気付き』の積み重ねの集大成の中から『寄り添いケア』の確立が出来、入居者さんから素敵な笑顔が頂け、職員のやりがいに繋がっていくと考えています。

一生懸命に頑張っている職員が正しい援助方法をしていなくて腰を痛めて介護の世界から離れていくのも悲しい事だし、結婚を機に給料が少なくて異業種の世界に行ってしまうのも悲しい事です。正しい援助方法は時間を掛けて根気よく教えていかなければいけないし、収入を上げていく事はしっかりと国に訴えて行かなければとも考えています。リピーターの皆さんのご理解も宜しくお願い致します。

インターネット情報でこんなのを見つけました

タイトル『「帰りたい」要介護の父、《入所3日》で泣きながら電話…面会に行った長男が「言葉を失った理由」』を見た時に、「凄く気になるテーマだ」と言う事で、原稿を読んでいく内に思う事があったので本日のコラムで書くことにしました。

書き出しの文章に【高齢者の施設入所は、「安心」と引き換えに日常の自由や人とのつながりを失うリスクもはらんでいます。身体のケアが整っていても、精神的なケアが十分でないと、入所後に孤独感や不安を深めてしまうことも。家族の支え方やコミュニケーションの取り方によって、その後の生活の質が大きく左右されることがあります。】とありました。この前文については介護事業を展開している私にとっては「当たり前の事」なのですが『忙しい』と言うのを隠れ蓑にして『手抜き』の様になってしまってはいけないし、『家族の協力があってこそ』の施設運営だと私も考えています。

つまり、入居者へのお世話は施設の職員だけで完結するものではないと考えています。その為に家族会を組織して色んな企画に対して参加を促していますし、面会についても積極的にして頂ける様な情報提供をしています。そういう意味ではコロナ感染症対策の為に面会等の規制をしなければいけなかった時期は厳しい状況があった分、職員は良く頑張ってくれたと思っています。その後のみだしに『「やっぱり家がいい」・・・父の涙のワケ』に私は「正直私だって絶対、施設よりも家で面倒見て欲しい」との考えはあります。

しかしながら「色んな理由で入居しなければいけない方々なのだからこそ、家では出来ないような楽しみと日々の生活安心な展開をしていかなければいけない。」と考えています。そう言う意味で当法人の考えの中に『今日一日楽しかったよ」と言うのがありますし、その展開こそ大切だとも思っています。次の見出しには『孤独を防ぐため・・・家族にできるサポート』とありました。

冒頭には述べた様に家族のサポートは大切です。そこで、色んな事情で家庭介護での限界が来た時には『デイサービス』や『ショート』を上手く活用することが必要ですし、比較的介護の度合いが軽い方はグループホームやサービス付き高齢者向け住宅の選択も有りだと思いますし、家族に対する相談事を『地域包括支援センター』にしていく事も大切だと思います。最終的にいよいよ特別養護老人ホームに入居されたとしても、家族との絆は大切なので、決して特別養護老人ホームに入居されたとしても関りを持ち続けて頂きたいと考えています。勿論、施設側も精一杯の対応をするのは当然の事と思っています。

ただし、コロナ感染症対策後に良く言われた『エッセンシャルワーカー』の評価を高める機運が高まった様に思ったのですが、現実には賃金が全国平均で月83.000円も低いと言うのは如何なものかと思っているのですが。

静慈圓前官大僧正の話題は広範囲で「あっという間の3時間半」でした。

80歳を超えてもかくしゃくとしてお元気なのには、全く舌を巻くばかりですが、20年前にお会いした時から全くお変わりが無いのも驚きです。と言うよりも「益々お元気だ」と思った次第です。

「どうしてこんなにお元気なのか」との答えはお話をしている中で理解しました。それは、「今なお、やらなければいけない事が多くある」と言う事です。今年だけでも中国に4回もいかれていて、さりげなく「仕事の依頼があってですよ」と言われたのにも「本当に凄い先生だ」と思いました。

広範囲の話題の中で、静師が学生時代には「とことんお酒も飲みました。その当時はビールもラーメンどんぶりでとことん飲んだものです。」との武勇伝も聞くことができ、「私の学生時代と同じだ」と話をしました。

中国から伝来した仏教なので、今もお寺はあるとの事でしたが『密教である真言宗のお寺』は全て無くなっていたのを、静氏が若くて優秀な青年を中国から招いて自坊で面倒をみて、真言宗の僧侶の資格を与えて、真言宗の再興に尽力されたことや、弘法様空海が遣唐使で航海されて、難破して漂着したところから、その当時の都である長安までの2400キロのルートを30年の年月を経て発見され、その功績を中国の高官が認めた事により『空海ロード』が築かれ、『空海ブーム』がおき、最近では中国人によって『空海』と言う交響曲が作られ、色んな国で上演されているが、その時にはそれぞれの国においての一流の交響楽団が演奏を担っているとの話には「どこまでも凄い話だ」と思いました。

また、合唱団は中国から派遣され、観客については全て無料との事で、「半端でないお金持ちがこの様な企画をするのも凄い」と思いました。社交ダンスの話にも「出来ないのは駄目だ」と言う事で社交ダンスのレッスンにも参加して出来る様になった話にも「好奇心旺盛で素晴らしい」とも思った次第です。最後には来年も必ず来ます、とのご返事を頂いたので今から楽しみです。

本日、高野山前官大僧正静慈圓師が本部施設に来て頂けます

令和7年8月20日

静前官大僧正とのご縁は平成15年度の補助事業で本部施設新館(平成16年4月事業開始)の計画の中で滋賀信行会内藤会長に『祈り』のものの計画を相談したところ「静慈圓さんの書を各ユニットに入れたらどうか」との提案を受けて内藤会長の協力も得て各ユニットの名前『喜・笑・天・結(き・しょう・てん・けつ)』に相応しい梵字を書いて頂き各ユニットに飾らせて頂きました。と言う事で開所した平成16年から毎年8月20日と決めてコロナの時期も含めて高野山のお山から下りて本部施設に来て頂いています。但し、1回だけ来て頂けなかった年があります。

それは静慈圓師が高野山法印として1年間を通しての弘法様に代わって催事を執行する為に高野山から下りる事が出来なかった年だけです。と言う事はとんでもない方が毎年来て頂いていると言うのは本当に有難い事です。16時までは滋賀信行く会の長浜本部での行事を終えて(梵字教室が開かれていと聞いています。)から本部施設に来て頂き仏間(図面上はデイサービスの静養室)でお経をあげて頂き、その後は関ケ原駅前の料亭『末廣』で親しく交流をさせて頂きます。参加して頂くのは静前官大僧正と随行の滋賀信行会内藤会長の他に日頃お世話になっている本部施設家族会吉田会長と本部施設第三者評価委員であり大垣市会議員の田中さんと本部施設長と理事長の私の6名です。

静慈圓師は20年前から全く変わらないのですが話の内容は中国での展開など話題がグローバルなので本日も楽しみにしています。当法人に関わる方々は目に見えない力で守られているのは静前官大僧正様のお陰もあると思っています。今後共このご縁も大切にしながら社会福祉法人杉和会が地域の幸せの為に益々貢献出来る様に頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからもご支援宜しくお願い致します。

 

本日は午前9時から関ケ原町長と面談し、午後は法人の理事会が行われます。

昨日は東京出張で東海道本線も東海道新幹線も遅延していたので苛々しながらも何とか開始予定の14時には間に合い、懇親会も終えて家に帰れたのは23時過ぎだったのですが、7時前には元気に目覚め町長との面談は9時からでしたが当法人の評議員の淡川さんに同席して頂くことになっていたので定刻の15分前に役場の駐車場に着き淡川さんと合流して町長室で面談しました。

今の西脇町長は私が事業計画を立てている時にその当時の住民課の主幹でなにかと立ち上げについて相談に乗って頂いた方なのでその当時の出来事にも話が行きました。

本題についての話についても真剣に向き合った話が出来今後の展開の方向性が見えてきました。

評議員の淡川さんも色んな根回しについての協力をして頂けるとの言質を得て、改めて「色んな方の協力があってこその法人経営だ」と思った次第です。

午後からの理事会においては下半期に向けての大切な会議なのでしっかりとした検討をしていきたいと思いますし、必要に応じて評議員会の開催もしていかなければと考えています。

介護報酬改定は3年に1度なので今の現状のままでは厳しい状況が続きますので是は是、非は非の展開の中ではありますが『今日一日楽しかったよ』と言って頂ける様に職員一同で頑張っていきますので、今後共にご支援宜しくお願い致します。

本日は東京へ出張です

令和7年8月18日

本日は10時から本部施設の幹部会、13時30分から岐阜県老施協常任理事会が予定されていたのですが、全国介護福祉政治連盟の事務局会議の日程が他のメンバーの方の都合が良い日が本日しか無くて、私にとっては最後の会議なのでけじめを付ける為にも予定を変更してでも参加したいと言う事で幹部会は9時に時間変更をして、常任理事会は日程変更を理事に了解を得て対応する事になりました。

と言う事で9時からの幹部会を終えた後は関ヶ原駅まで職員に送って貰い東京に向かいます。「けじめ」と書いたのは今回の参議院議員選挙の対応に疑問を持った為に岐阜県での対応は一生懸命にしましたが全国での対応は殆どしなかったし、再生に力を注ぐ事が出来ない状況なので「けじめ」をつける為に東京まで行きます。

一生懸命に出来ない状況である事を会議の中で理解して貰える様に話をして、解散式出来な懇親会が会議に引き続きあるのでそれにも参加させて貰うのですが明日9時から関ヶ原町長との面談があるのでいつもの様に岐阜羽島まで車で行くのでは無くて在来線で名古屋に行き新幹線に乗る予定でいました。関ヶ原から大垣までは予定通り行けたのですが踏み切りでの事故の為にいつ動くか分からないとの事だったので、取り敢えず岐阜までの列車に乗り名鉄に乗り換えて名古屋に行く判断をしたのですが岐阜駅に着くと岐阜発の普通列車が出るとのアナウンスがあったので急ぎアナウンスされたホームに急ぎました。

今は取り敢えず名古屋に向けて列車が走っています。何とか予定の14時の会議には間に合いそうです。いつも思う事なのですが、予定は未定で決定では無いようです。9時からの幹部会では私が最初に話をさせて貰い理事長としての今後の考えを伝えられたので、次には全国介護福祉政治連盟での会議でもしっかり意見を言わせて貰い、懇親会では立つ鳥跡を濁さすで今後に繋がる様にしたいと考えています。

 

 

『ゾンビたばこ』なるものがあるそうです

テレビで『ゾンビたばこ』と言う耳慣れない言葉を聞いて、その中で異常な行動が画面で紹介されていたので、改めてインターネットで検索してみたところ、色んな情報が書いてありましたので、私なりに情報を基にコメントします。

『ゾンビたばこ』と検索すると『ゾンビドラックとは』とのタイトルで説明がされていました。【『ゾンビドラック』とは、北米(アメリカやカナダ)を中心に乱用され、多数の中毒死を引き起こし大きな社会問題となっている薬物の事を指します。『ゾンビ』と言う言葉は、特に『フェンタニル』という麻薬性鎮痛剤を違法に入手し、過剰摂取した人々の様子から使われるようになりました。過剰摂取により意識が朦朧とし、体が前のめりにしたまま立ち尽くしたり、フラフラ歩いたりする様子が、まるでゾンビのように見えることから、これらの薬を称して『ゾンビドラック』と呼ぶようになったようです。】

元々は医薬品の鎮痛剤や麻酔薬として開発されたものなので、正しく医者が投与するのであれば全然問題はないのでしょうが、昔の諺で『過ぎたるは猶及ばざるが如し』の様に、乱用すると常習化して命の危険もあるとの事です。

ここまで書いてきて私は、生母秋江さんとの記憶が蘇ってきました。母秋江さんは、私が中学1年の1月16日に子宮癌~胃癌~肺癌と転移して、最終的には骨に癌が転移して亡くなったのですが、60年程前のことなので、その頃の医療対応で痛みを抑える(骨に癌があるのですから、想像を絶する痛みだったと思います。)為にモルヒネの投与がされたのですが、治療の一貫で慎重な処置がなされていたとは思いますが、所詮は『麻薬』ですので、脳に異常をきたしてきたと思うのですが、大きな声を出したり暴れたりと言う現象になってきました。そんな時でも父進は怒る事も無くじっと見守っている姿には、今でも尊敬しています。

本題に戻ります。何故医療的な処置でも無いのに、自分を傷つけるような行為を若者を中心にしてしまうのでしょうか。『ゾンビたばこ』が、体にとって害になる事を承知で手を出してしまうのは何故でしょうか。私の母秋江は激痛に耐えられずに『モルヒネ』を投与していたのですが、健康な体を蝕む行為をしているのは、母秋江の姿が中学1年の時に焼き付いているので、腹立たしくてたまりません。

途中からでしたが最後まで見てしまいました

主語の無いタイトルにリピーターの皆さんは「またまた理事長は何が言いたいの」と思われた事でしょう。実は昨夜20時30分頃眠い目を擦りつつベットに横になったのですが「いくら何でも寝るには早すぎる」と言う事でテレビのチャンネルをポチポチしていると懐かしい歌が流れていたので「少しこの番組を見てから寝る事にしよう。」とその番組を見ていて結局22時前の最後の曲まで見てしまいました。

改めて昨日の新聞のテレビ欄で確認すると『メーテレ(6チャンネル)』の「昭和の名曲 伝説歌手40組の売り上げ№1曲集結今聴きたいTOP40」と言う番組でした。どうして「結局最後まで見たか」と言えば(多分28曲目からだと思うのですが)次々紹介されるもの全ての曲が私自身も口ずさむ事ができるものでした。レコード(決してCDではありません)の売り上げ枚数だけで言えば『およげたいやきくん』が断トツでしたがこの曲は何故かベスト10には入っていませんでした。その理由は「今聴きたい曲」と言う事だからだと思います。この番組の視聴者は50代から70代に焦点が当てられていたのだと思います。その理由はテレビの画面に視聴者の感想が映り出されていたのですが50代から70代の方のコメントばかりだったからです。但し、第一位が『異邦人』と言う私にとっては余り馴染みの無い曲であった事に「最後まで見ていたけど最後にモチベーションが下がった。」と思いました。そこで『異邦人』について調べてみると、1979年に久保田早紀さんのデビュー曲と言う事が分かりました。勿論この曲も口ずさむ事は出来ますが「まさかこの曲が1位とは」と言う事です。ただしこれは私の独善的な考えに基づいているので強く推すものではありません」。ただ言える事は1979年と言うのは私が児童養護施設の指導員になった年なのでテレビとは無縁の生活をしていた時代とぴたり会いますのでその点はご容赦下さい。

最後にピンキーさんが『恋の季節』を歌われた時には私自身コメントしたかったです。と言うのは私が15歳で父親に頼んで中古のステレオを買って貰って最初に買ったレコードがこのピンキーとキラーズの『恋の季節』であり、57年前の歌声と変わらない声量で歌われたのは感動でした。と言う事で慣れ親しんだうたを思いっきり聞けたのは幸せでした。リピーターの皆さんはどんな歌が好みなのかを教えて頂けると嬉しいです。

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