和合でポップコーンと飲み物の提供をしました。

令和6年5月5日

昨日の報告です。

ゴールデンウィーク後半は天候に恵まれると、天気予報で聞いてはいましたが、朝から文字通り『抜けるような青空』だったので「入居者さんに外の空気を吸って貰いたい。」と言うことで、職員と相談した結果「施設の外を散歩して貰い、ウットデッキで新しく購入したポップコーンを食べてもらいながら、好みの飲み物を頂いて貰おう。」と言う事になり、13時過ぎから準備を始めて順次各フロアの入居者の方が散歩を終えてウットデッキに集まって来て下さり、先ずは皆さんにポップコーンの盛り上がって溢れる様子を見て喜んで貰いました。その後、出来上がったポップコーンを器に入れて座られている所にお持ちして、飲み物も好きなものをオーダーして貰い楽しんで頂きました。

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ポップコーンや飲み物を楽しんで貰いながら上を仰いで貰うと、大きな鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいます。ワイワイ皆さんと話をしていて笑顔を一杯頂けると、私のテンションも最高に上がってきます。ウットデッキの所は午後から建物の陰になりそこそこの風が吹くのですが「心地よい風」と言う事で、入居者さんがいつもとは違う場所で雰囲気を変えて貰うには最適な環境だと改めて思った次第です。初めての企画で正直ぶっつけ本番的な企画になりましたが、職員もみんなで協力してくれたので助かりました。実際に実施しての反省は飲み物が出てくるタイミングが遅かったと言う事で、次回からは事前に飲み物のオーダーを聞いておいて、事前にまとめて作っておく様にしようと言う事が申し送られました。昔から言われていることですが『百聞は一見にしかず』です。頭の中で何度シュミレーションしても実際に実施して理解できる事が殆どだと思います。

今コラムを打ちながらつくづく思ったのは、パソコンの操作にしてもスマホの操作にしても、聞くだけ或いは代わりに操作してもらった時の事は殆ど理解する事が出来なくて、何度も何度も聞かなければいけない事があります。と言う事は『百聞は一見にしかず』ではなく『実践に勝るもの無し』と言う事なのだと思った次第です。

リピータの皆さん、私はあと10日もすると満71歳の誕生日を迎えるのですが「70歳を過ぎてもそんな事を言っているのか」と言われそうですが、これが私の実情です。でもね、『人それぞれ』とも言うでしょ。姿かたちが違うように得意不得意があってしかるべきと思うのですが・・・。でも、同じことを聞かれて答えなければいけない方が存在することも肝に銘じていなければとも思っています。

御縁には『良縁』と『悪縁』の二つがあります

子役俳優の事件から改めて悪縁と良縁について考えてみました。

元子役俳優だった方は黒田官兵衛の子役に抜擢された時には才能があり、良縁に恵まれて普通では考えられない活躍が出来たのだと思います。しかしながら、何らかの理由で俳優業を辞められてから、10年の年月の間に悪縁が悪縁を呼んだ結果として、殺人の実行者として逮捕される結果となってしまった。そんな事を考えながら自分自身の御縁について考えてみました。

先ずは生まれて最初に御縁を貰ったのは当然の事ながら私を産んでくれた母秋江さんです。この秋江さんとの御縁は強烈です。母秋江さんは当時の有力者だった父親(私にとっては祖父)春吉さんの末娘で『溺愛』を受けていたので、『今須のじゃじゃ馬娘』だった様ですが、私にとってはとってもありがたい母親でした。と言うより『末っ子の長男で虚弱』だった事もあり、甘える事は3人姉弟の中で独占していたと思います。

そして、父進さんは母秋江さんに絶対服従だったので『甘々』な日々だったと思います。その現象は食事を食べる時間でも理解して貰えるかと思います。と言うのは小さい頃の宏ちゃんは(私の事です)なかなか口を動かさない子であったので凄い時間がかかっていました。(今の私は誰よりも早いと思っています。)そんな両親に育てられたので今の自分が存在するのだと考えています。

もう一つ私にとっての幸運な出会い(御縁)は、我が家から200mくらいの距離に関ケ原病院の診療所があり(今は影も形もありません。)その診療所に住み込みの形で本多先生と言う女医さんがみえたので、私は今も存在していると言っても過言ではありません。

その本多先生から私が小学校の入学時に「1年延ばした方が良いのでは」と言われたのを私の母秋江さんは「1年遅らせるのは宏が可哀想だ。」と言って「何かあれが対応するから」と言う事で遅らす事無く、結果的には病気がちな小学生でしたが何とか今があります。

次の御縁は小学1年から3年までの担任の先生だった塚原先生です。塚原先生は「塚原卜伝」と揶揄されるくらいに厳しい先生だった様で私の姉春子さんは「怖くて嫌いだった」と言うのですが、私は塚原先生が休日に日直をされている時は母秋江さんに食べきれないくらいのお弁当を作って貰い一日中塚原先生の所でニコニコしている子どもだったと記憶しています。現在の事業をするまで、そしてそれ以降もたくさんの御縁を頂いています。それを書くだけでも本になるくらいですが、その事はリピーターの皆さんボチボチ書きますので宜しくお願い致します。

「人との出会いが大切だ」とテレビのコメンテーターが熱く語っていました

栃木県那須町の夫婦の遺体が見つかった事件で、岐阜県出身の元子役俳優が実行役の若山耀人容疑者として逮捕拘留されたとの報道がされていました。

私は大河ドラマ『黒田官兵衛』の幼少期で出演していた姿を鮮明に覚えていて「利発な子役だな」との印象を持っていたので10年後にこの様な形で報道される様になったのは本当に残念に思います。

「岐阜県出身の『若山』」と言う事で「関係ないの?」などと要らぬ心配をして頂いた方もあったのですが・・・。

岐阜県は広くて美濃加茂市と関ケ原町は岐阜県の東と西で全く関係無いのですが、その様に結び付けられる方があるのには感謝すべきなのかなと思った次第です。

本題に入ります。子役俳優で活躍していたにもかかわらず、子役俳優を辞めたのには色んな理由があると思いますが、その結果として『殺人に手を染める』と言う結果は、どんな理由があったとしてもあってはならない事だと言う事です。

「人との出会いは大切だ」と言うコメンテーターの言葉の中には、「人に恵まれるには自分自身の中で正しい事は正しい、悪い事は悪いと言える生き方の中で人間関係を作って行く事こそ大事」と言う事だと私は考えます。

勿論『弱い自分』は誰にでもあります。そこに対して自制心が伴わなければいけない。自分自身を強く見せる為に刺青やタトゥーを入れたりする方がありますが、私は自分の弱さをその様な形で隠そうとしているとしか思えません。

新聞報道の写真で首の所にタトゥーが入っている様に見えたのは、黒田官兵衛の子役で颯爽とした姿であった事とのギャップがあまりにあり過ぎて「考えられない」の言葉しか出てきません。

「楽をしてお金を儲ける」方に考えが偏ってしまったのも残念でなりません。私は改めて「地道にコツコツ」の生き方こそ大切だと思いました。

今の私は入居者さん、利用者さんの笑顔を引き出し、『今日一日楽しかった』と言われる様に「私に出来る事は目一杯」との気持ちで頑張って行きますのでリピーターの皆さん、これからも私の展開にご理解下さい。

価値観の違いですか・・・。

価値観の違いですか・・・。

 

朝のウォーキングを再開して5日目ですが、お墓参りを終えて六地蔵様の所まで行くと近所の方がお参りにみえたので、挨拶すると「朝早くからご苦労様です。」と声かけられ、背中のリュックサックが重そうに見えたのか「背中が重そうですね。」と聞かれたので「我が家の水をペットボトル8本に入れて持って来たもので。」と応えると「天気が良いと花立ての水も沢山必要ですものね。」と言われたので「そう何です。」とは答えたものの私の思いは「確かに花立てにも水は要るけど湯飲みで入れなければいけないのが一杯あるから8本は毎日いるんだけど。」と思うと共に「この方はお勤めをリタイヤされてから家の前の畑を一生懸命にされているので、水撒きの大切さを一番に考えられるのだろうな。でも私の場合は、沢山の仏様に我が家の水を届けたいとの思いが強いんだけど」と思った次第です。

今回感じたのはそれぞれの立場によって同じものに対しても思う事が違うと言う事です。介護においても同じような事が言えると思っています。例えば私が入居者さんと共に午前中は『お参り』を午後は『カラオケ』をさせて頂いていますが、カラオケをさせて頂いている時は眠そうにされている方が俄然お参りになると経本無しでも数珠をしっかり握って手を合わせてお経を唱えられている方があります。また、カラオケの中で自分が歌っている時は張り切って歌われているのに、聴く立場になるとつまらなそうにされる方、歌は歌われないけれどもリクエストを積極的にしてくださり、手拍子をしっかりしてくれる方と千差万別です。私は千差万別だからこそ面白いしやりがいがあります。お参りについては粛々とお経を唱えてからの私のお話についても各フロアによって聞いて貰える雰囲気が違います。これもまた面白い事だと思います。『継続は力なり』でカラオケへの参加も歌われる方も増えてきましたし手を叩いたり、タンバリンやすずを鳴らして下れる方も日に日に増えてきました。そんな中でも各フロア共に私がフロアに行くと手を挙げて下さる方や声を掛けて下さる方も日に日に増えてきているのは私にとって至福の喜びです。職員さんの協力も日に日に増えて来たのも有難い事です。皆さんが盛り上げてくだれるお陰でお経もカラオケも上達しています。カラオケについては『古城』『王将』『宗右衛門町ブルース』など新規開発も進んでいます。勿論、時には砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』を歌っていて「いよいよCDデビューか」等と思っている私は太平楽過ぎますかね。リピーターの皆さんはこんな私をどう思われますか。

朝の出来事に心弾んでいます。

令和6年5月1日

今朝も5時15分のアラームで起きて、お賽銭とお水の準備をしてから仏間で四国八十八か所の軸と七福神の軸に手を合わせた後、仏壇で正信偈と般若心経を唱えて家の外に出ると雨は降ってなかったのですが肌寒さを感じたのですが歩き出すと「丁度良いくらい」で歩く事が出来ました。

いつもの様に(とは言え4日目ですが)幸福地蔵様でお賽銭を入れ(この行為は2日目です)これまた幸福地蔵様に祈りと共に抱き付いてから(見てる人がいたら「あの人おかしいのでは」と思われる方があるかも知れませんが私自身は大真面目なのであります。)般若心経を1巻あげて、今須稲荷でのお参りを復活して(昨日までは鉄パイプで通れないようになっていたのですが、お参りが出来る様になっていたので)お賽銭を入れるとリンが鳴るのを久しぶりに聞いて、三仏様、関ケ原与一の墓、六地蔵様とお水替えをして若山家のお墓に行くと微笑ましくて凄い現象に出くわしました。

それは我が家のお墓の文字は『南無阿弥陀仏』と刻んであるのですがその『無』の文字の中に全く器用にカエルさんが入っているのです。それだけでも「凄い」と思ったのですが柴田家のお墓の『田』の字の中にもカエルが鎮座していたのです。2つのお墓それぞれにカエルが入っていたので、改めて若山家と柴田家の因縁の深さと言うか仲の良さを感じました。また、藤棚の花も綺麗に咲いていたのでそれも心弾みます。もう一つ心弾んだのは、雨上がりと言うこともあったのか小鳥の囀りがいつもより(とは言え4日目ですが)沢山囀っていた様に思います。

もう一つは最近のコラムで書きましたが幸福地蔵様の帽子と前掛けがしっかりしていたのも嬉しい限りです。若山家のお墓のカエル、柴田家のお墓のカエル、藤棚の藤、幸福地蔵様の帽子と前掛けの写真をスマホで撮ったのですが果たして本日のコラムでアップ出来るかどうかは今のところ未定です。だって、ラインの仕方がわからないし、ましてやスマホの写真をアップするなんて今の私には言語道断の事なので・・・。リピーターの皆さん私はこんな人間なので『昭和おじさん』と言われても仕方がないのであります。

半年のブランクは大きいようです

ウォーキング兼お墓参りを再開して3日目と言うのにまだ準備が完璧になりません。

と言うのも本日こそ妙応寺本堂で護摩木に願い事を書く事にして護摩木代200円と共にお賽銭を必要なだけズボンのポケットに入れたつもりで家を出たはずなのに色んな所に供えて行くと足らないのです。本日は雨も降っていたので花立てには水は要らないにも関わらず8本のペットボトルは水が一杯で必要がないとわかると肩にズッシリ堪えます。でも、朝イチのウォーキングとお墓参りは最高です。勿論ウォーキングに行く前に仏壇で声を張上げてのお経も最高で、ウダウダしていた時よりも体調は良くなっているように感じています。

本日10時30分から和合の施設3階でのお参りでもしっかり声が出てお経の後のお話もしっかりと話せました。その折入居者さんの方から「カラオケはいつですか」との質問が来たので事務所に戻り確認をして「3階は3日と6日には取り敢えず実施します。」と内線電話で伝えました。ゴールデンウィーク中は色んな会議が入らないので目一杯お参りとカラオケが出来るのは嬉しい限りです。多くの方が観光等で移動されるのでしょうが、私は入居者さんとの関わりが持てるのが何より嬉しいと考えています。

もちろん私にも法人理事長としての仕事もあります。5月6月は令和5年度決算の為の監事監査、理事会及び評議員会がありますのでその事もしっかりやりつつと言う事は言うまでもありません。社会福祉法人杉和会での役割の他にも、岐阜県老施協、全国老人福祉施設協議会、その他にも岐阜県での役割もありますが、役割が与えられていると言う事は有難い事なのでこれからも頑張っていきたいと思います。

でもね、5月には私にとってとても楽しい事があるのです。それは私の誕生日と共に次男の孫娘の誕生日があり、これはこれで大切にしていきたいと考えています。私の誕生日か。誕生日は年に1回しか無いので嬉しいです。でもね、何歳の誕生日ですか、と言われたら私は迷わず『38歳』と答える様にしています。何故かと言えば、『38歳』から歳を取らない様にしているからです。「とうねん(10歳)取って何歳です。」と答える方がたまにおみえになりますが、私はそれ以上に厚かましい事を堂々と言っているのですが、これも元気でいられるからだと思うと『感謝』しかありません。

リピーターの皆さん、「5月16日をお忘れなく」

決してお祝いを下さいとは言っていません。でもお祝いの言葉は掛けて頂けると嬉しいです。

 

半年のブランクは大きいようです

令和6年4月30日

ウォーキング兼お墓参りを再開して3日目と言うのにまだ準備が完璧になりません。と言うのも本日こそ妙応寺本堂で護摩木に願い事を書く事にして200円と共にお賽銭を必要なだけズボンのポケットに入れたつもで家を出たはずなのに色んな所に供えて行くと足らないのです。

本日は雨も降っていたので花立てには水は要らないにも関わらず8本のペットボトルは一杯で必要がないとわかると肩にズッシリ堪えます。でも、朝イチのウォーキングとお墓参りは最高です。勿論ウォーキングに行く前に仏壇で声を張上げてのお経も最高で、ウダウダしていた時よりも体調は良くなっているように感じですいます。

和合の施設3階での御参りでもしっかり声が出てお経の後のお話も乗って話せました。その折カラオケはいつですかとの質問が来たので事務所に戻り確認をして3階は3日と6日には実施する事を内線電話で伝えました。

ゴールデンウィーク中は会議が入らないので目一杯お参りとカラオケが出来るのは嬉し限りです。多くの方が観光等で移動される様ですが私は入居者さんとの関わりが持てるのが何よりだと考えています。もちろん私にも法人理事長としての仕事もあります。5月6月は決算理事会監事監査評議員会とありますのでその事もしっかりやりつつと言う事は言うまでもありません。

本日、再出発2日目の報告です。

「何の事か」と思われた方は、昨日の私のコラムを見てから本日のコラムを読んで下さい。

雨の日も雪の日も、出張の為に外泊をした日以外は連続更新していたウォーキングを兼ねたお墓参りが、一時体調を崩してから約半年中止状態だったのを、昨日から『再出発』しての2日目と言う事です。今朝はガラケーの携帯でセットした(新しいスマホでのセットの仕方を未だ理解していない為)アラームで、すんなりと起きて着替えをしてから、リュックサックの中のペットボトルの空4本に我が家の水道水を入れ、昨日リュックサックから出しておいた水入りのペットボトル4本もリュックサックに入れてから、仏間に行き正信偈と般若心経を唱えて6時前に家を出ました。

本日も昨日同様にお日様が綺麗に出ていましたので、思わず東の空に手を合わせてから背中に4キロ以上の中身が入っているリュックサックを背負い、首には弘法様の数珠をかけ、右手に金剛杖を持ち若山家のお墓を目指しました。

昨日同様、幸福地蔵様の所で花筒に準備してきたペットボトルの水を手向けながら「しまった、本日もお賽銭を準備するのを忘れてしまった。」と言う事で、半年間のブランクはまだまだ取り戻せていない事に気が付きました。幸福地蔵様の所から妙応寺の山門までに2つのトンネル(東海道本線と国道21号線のしたにあり、今須の方は『マンボウ』と呼んでいます。)内では大きな声で「南無大師遍照金剛」を2回ずつ唱えながら歩きました。本堂の6段の階段は元気に駆け上がり(そんな大袈裟な事では無いのですが。)これまた元気に入り口の大きな重い戸を開けると、大きな線香立てに昨日同様1本の線香が立っていて煙が昇っていたので「これこそが方丈様の陰徳」と思った次第です。ここでも、かつてと同じ様に日めくりカレンダーをめくり般若心経を唱えさせて貰いました。但し、お賽銭を忘れたのでお賽銭を入れる事も護摩木にお願いをする事も出来ませんでした。

三仏様、関ケ原与一様の墓、その他2つのお社と六地蔵様の花立と湯飲みに水を供え、若山家、吉澤家、及川家、柴田家のお墓にも水を手向けて、丁度8本のペットボトルの水は全て空になりました。帰り道の六地蔵様の所で地元の長老さんの奥さんにお会いしたので、長老さんがデイサービスえりかの里を利用されている事をはなしすると、本日が利用日だと言われたので「本日はジョイントカラオケがある日だから1曲歌って貰おう。」等と話をしてから家に着くと、7時5分前と言う事で急いでシャワーを浴びてさっぱりしてから朝食を頂きました。

13時30分からのジョイントカラオケでは、お墓参りの時にお約束をしたデイサービス利用者の私にとっての長老に歌を投げかけると、迷う事なしに三橋美智也さんの『古城』を昔ながらの調子で歌って頂けましたし、後の会話で「バスで出掛けた時も上手かったね。」等と言われて、長老さんも満更では無かった様で「いつでも歌いますよ」との言葉も頂きました。リピーターの皆さん、この様な行為も『営業』と言うのでしょうか。

朝のウォーキングを再開しました

昨日は前日に東京で全国老人福祉施設協議会の若手役員との飲み会があり、強者2人を引き連れ馴染の店『あんど』に二次会と称して行ってからも強かに飲んだので16時には帰らせて貰ったので比較的早くにベットに入り、しっかり寝たはずなのに5時過ぎに悪夢の様な夢を見ていて思わず大きな声で「文句あるんか!」と叫んで目が覚めました。

外を見ると「青空」だったのと「気分を変えたい」との思いと共に24日の日に『ヒマラヤ』に行ってウォーキングの為のシューズを購入しておいたタイミングだった事もあります。

玄関に置いてあったリュックサックを持つと「如何にも重い」と言う事で中を確認すると水が入ったペットボトルが何と8本も入っていましたし、灰を通す笊(ざる)と新聞紙が入っていました。

「何故に8本も入っているのか」と言う事で水入りのペットボトルを半分の4本と笊と新聞紙をリュックサックに入れてウォーキングに出発しました。

玄関を出ると神々しい太陽が東の空にあり思わず『合掌』をしてしまいました。おおよそ半年ぶりのウォーキングですが歩きながらしみじみ「継続は力とは言いますが途切れてしまうと気力も萎えてしまうものなんだ。」と思った次第です。

本日が再出発の日と言う事で明日からも頑張っていきたいと考えています。先ずは幸福地蔵様の所に行くと可愛らしい前掛けに粋な帽子をかぶられていたので安心しました。(気に停められている方がある事に『感謝』です。)

幸福地蔵様の所に行って気が付いた事がもう一つありました。それはウォーキング用のリュックサックの中に8本のペットボトルが入っていた理由です。ウォーキングを始めた頃は1本のペットボトルを左手に(右手には金剛杖)持っていたのですが、しばらくしてペットボトルを3本に増やしてビニール袋に入れてぶらぶら歩いていたのです。

しかしながら、幸福地蔵様の所の花筒、3仏(観音様・不動明王様・毘沙門天様)の花筒と湯飲み、関ケ原与一の墓での花筒と水かけ、無縁仏の水入れ、六地蔵様の花筒と湯飲み、勿論若山家、吉澤家(姉春子さん)及川家(かつての入居者さん)柴田家(小さい頃から可愛がって貰った同級生の伯父さん・伯母さん)の花筒と湯飲みに水を持って行く様になって8本に増えていたことを。

どの湯飲みも汚れていたので綺麗にさせて貰うにはとても水が足りません。と言う事で六地蔵様の横に設置されている洗い場で湯飲みを綺麗にさせて貰うと同時にペットボトルにも水を入れさせて頂きました。

六地蔵様の所では大きな線香立ての灰の中に多くの線香の残りがあり、灰も固まっていたので灰通しの笊(ざる)で灰を綺麗にさせて貰い、我が家のお墓と吉澤家のお墓の花筒のお花は新聞紙に包み我が家に持って帰る事が出来たので「リュックサックに入って入る物に無駄なし」と言う事で、明日からは8本の水をペットボトルに入れて持って行かねばと思っています。

明日からは5時に起きて仏壇で30分お経を唱え、5時30分からウォーキングに出掛け、その後シャワーを浴び、朝食を頂く生活にしたいと考えています。と言うのは半年間ウォーキングを休んでいる間に妙応寺本堂に設置してある護摩木のお願いをしていたのが上に積まれてしまっていたのですが、左端の1本だけは一番上にあり、その願い事は『和(なごみ)の健全運営を』だったので「この祈りが叶えられると言う事なのか」と一人納得しているのです。

『思いは通ずる』と言う事でリピーターの皆さん、これからの展開を応援して頂けると嬉しいです。

信じられませんは!!

令和6年4月27日

確かに強か飲みましたが目が覚めたのが7時過ぎでびっくりして飛び起きて何とかお風呂に入ってからスーツに着替えてホテルを出るとタイミング良くタクシーの空車が来たので東京駅丸の内南口まで乗り乗車券を買うことにして岐阜羽島までと言うとこだま8時57分になります。と耳を疑う様な事をサラッと言われました。だって、まだ8時になったばかりでしかもこだまとはどういう事。

駅員さんに聞き返すと全席指定で岐阜羽島に一番早く着くのがこの列車で残り一席ですよ。と言われたのでそんなに混んでいるのと改めて聞くと午前中は一杯です。と言われたのでこの現実を理解するしかないと思った次第です。岐阜羽島まで3時間かかりしかも指定された列車を40分近く待たなくてはならんとは。正直ゴールデンウィークを舐めとった。予定は未定とは言え9時30分に本部施設で味噌汁を炊くことは絶対に無理です。素直に水野係長に謝って味噌汁を炊いて貰う依頼をしました。

17番ホームの待合室でコラムを打ちながら待っていてこだまに乗り込んで3時間と言う事は1時間余分に乗るのですが乗っていてのストレスは各駅での待ち時間です。いつもは停まっている列車を見つめる側だったのに。突然の出張だから仕方が無いのですが良い経験だったと考えるしかない。

でもね、久しぶりに全国の若い役員と親しく楽しく飲めて武勇伝が語る事ができたのでリピーターの皆さん良しとします。

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