桜以外でも春を感じています。

令和6年4月6日

本日は10時の約束で大野町の法人の理事長に会いに行くのですが、運転をしていると、どこを走っていると桜が綺麗に咲いていて、正に春爛漫と言う感じです。昨日のコラムで桜の木を切った事を書きましたが、その時に疑問を持った事を書かなかったのでここで書く事にします。それは例年だったら本部施設本館北側の川辺りのソメイヨシノが咲いてから新館南側の川辺りの枝垂れ桜が咲くのですが今年は枝垂れ桜の方が先に満開を迎えたのです。そう言えばいつもはこの辺りの桜が散り始めた頃に咲く根尾の淡墨桜が既に咲いているとの情報を得ました。

これも異常気象のなせる技なのかと思っています。大野町への往復の運転中に感じたのはバイクが多く走っているなと言う事とオープンカーで走っている車が増えたなと言う事です。バイクが増えたのもオープンカーが増えたのも暖かくなってきたから。但しオープンカーは快適かも知れませんが花粉症の方だったら大変だ等と要らぬお節介と言われそうな事を思ってしまいました。本日は14時15分の予約で関ヶ原診療所の定期受診があるので今は血液検査を済ませて主治医の診察を待ちながら待合室でコラムを打ちながら待っています。スマホでコラムを打てる様になったので時間を有効に使えています。

診察が早く終わったら本部施設のデイサービスの花見に乱入したいと考えています。私が植えた桜の苗木が26年経過して立派な花を咲かせたのを利用者と一緒に見ることが出来るのは嬉しいものがあります。もしもまだ花見をしている時間に帰れたら和合の施設で上手く歌えるようになった村田英雄さんの王将を歌いたいと考えています・・・。残念ながら本部施設に戻ると片付けが始まっていたので、本日の『王将』のデビューは叶いませんでしたが、またの機会は何度もあるとおもいますので次回を楽しみにします。

昨年8月から和合に籍を置き「私が出来る事で入居者さんとの接点を持つには」との考えのなかで『お参り』と『カラオケ』を精力的にしていく中で選曲が随分変わってきた中で村田英雄さんの王将にも出会いました。自分で言うのも如何なものかと思いますが「聞き惚れています・・・。」そんな性格になったからこそ思いっ切り声を出せているのだと思います。多分このコラムを読んでいて私の唯一の姉春子さん(久々の登場ですが)はきっと、「音痴で人見知りの激しかっ宏が、変われば変わったもんだ。」と言っているのが聞こえそうです。4つも年上の姉春子さんは「お兄さん元気」と言われて喜んでいるのも私にとっては驚きなのですが・・・。

 

朝一で本部施設の桜の木を切りました。

朝一で本部施設の桜の木を切りました。

 

桜の木を切るのは駄目だと言われていますが敢えて切りました。理由は2つです。1つには近々施設の奥の所に岐阜県の予算で砂防ダムを作って下さるので大型ダンプが通って桜の枝を折ってしまう事が考えられるので、その前に邪魔になりそうな枝を切っておいた方が良いのではとの理由。2つ目には和合の花見が本日からで花見外出に参加出来ない入居者さんに少しでも花見の雰囲気を感じて貰いたいとの理由からです。正直たくさん枝を切りました。とは言え枝を切ってくれたのは水野係長なのですが・・・。本部施設の枝なのですが殆ど和合に持っていき3フロアに飾って貰いましたか。3階のフロアでは入居者さんの中で華道の師範の方がおみえになるので活けて貰ったとの報告を聞き「持って来たかいがあったと思った次第です。

私が枝を持って和合の施設に行った時に北島部長が花見に行く為の準備をしていたので、入居者さんが車椅子用のリフトの昇降の手伝いをさせて貰いました。第1班の入居者さんは4人だったのですが(本日は4グループ)久しぶりの外出での花見と言う事で、それぞれに良いお顔をされていて、軽口も出ていたので、「この企画は正解だった。」と思った次第です。

枝を水野係長に切って貰っている時に私は社会福祉法人杉和会の先代理事長(義父)が他界される前に病院へ入院されていた時にも桜の枝を頂いて病室に届けて花瓶に入れてベットの中から見て貰った時に喜んで貰った事を思い出していました。私の自己満足であったかも知れませんが「花見に行けないけど、何とか桜の花を見て貰って喜んで貰いたい。」との気持ちを義父は受け取ってくれたと思っています。今回の枝切りも同じような気持ちでした。と言うのは本部施設には本館の建設をして頂いていたタイミングで岐阜県から桜の苗木を頂きました。その苗木を1本1本私は植えさせて頂きました。その当時は「こんなに間隔を開けて大丈夫だろうか。」と思っていたのが、今では間隔が狭い位に立派になっています。それから10年程経過して新館の川べりに家族会の方々によって枝垂れ桜を植えて頂きそれも今では立派に花を咲かせています。そこで改めて思ったのは生みの母秋江さんの遺言である「蒔かぬ種は生えぬ」でした。桜の木の大きさは施設も頑張ってきた証しだと思うと考え深いものがあります。和合でお参り(2階)とカラオケ(3階)を終えて16時からリモートでの会議があると言う事で本部施設に帰ってきたら、明日からの予定だったデイサービスの花見を1日前倒しで実施して大変喜んでいただけたと言う事で、もう一つ満足した次第です。リピーターの皆さん関ケ原の本部施設の桜は最高の見頃を迎えています。良かったら見に来て下さい。ちなみに入場料はいりません・・・。当たり前か。

2018年8月24日から連続更新していますが・・・。

連続更新しているコラムの話です。

5年7カ月以上毎日更新出来ているのに自分ながら感心感動しています。私は小学生の夏休みの日記すらまともに書けなかった私だからなおさらです。連続更新をする様になったのは、ホームページの充実を理事長として提唱している以上率先垂範する事が大切だと考えたのと、私のコラムのリピーターだと言う方が増えて来たことによります。

時には誤字や意味不明の文章であっても肝要な気持ちで読んで頂いている事にも感謝です。勿論、意味不明のコラムであっても私の言いたいことを理解して頂いているからこそ続けて見て頂けているものと思っています。

但し、最近は少し時間に余裕が無くて「短くて端的なものにしたい。」と弱気になる事がしばしばだったのですが、ホームページのリニューアルを法人としてする事になり、プレゼンテーションを実施して業者が決まって打ち合わせをしていく中で『理事長コラム』の重要性を再認識した事により、改めて頑張って書かなければと考えています。

多分私の計算が合っているなら2050回連続更新と言う事なのですが、振り返ってみるに「よくも2050回も毎日書くネタがあったものだ。」としみじみ思っています。時には実名で書いてひんしゅくを買った事もありましたが、とにかく書き続けるだけの『ネタ』がある生き方に自分自身『自画自賛』です。

正直ネタ探しに苦慮した事もありますが「書かなければいけない。」と言う使命感の中「これは」と言うネタに出会った時に今は通信が出来なくなった(ガラケーの番号をスマホにしたため)ガラケーの携帯でメモをして、時間を見つけてはコラムを書く様にしています。

但し、最近は時間を見つけることが出来なくて、仕事を終えてから書く事が多くなり負担を感じていたのですが、思いを新たにしてコラムの更新を頑張りたいと思っています。

GTO PART2

令和6年4月3日

『GTO PART2』と言いながらも反町隆史からの関連からのコラムです。GTOとは「グレート ティチャー オニズカ(鬼塚)」の略なのですが、教師役の『過激版』と言う事なのでしょうが、教師役の『ほんわか版』と言えば水谷豊さんが主役をされていた言わずと知れた『熱中時代』と言う事になるのですが、二人の教師役の共通点は水谷豊さんの長寿番組『相棒』と言う事になります。

リピーターの皆さんの中でご存じないといけないのでお断りしておきますが主役の水谷豊さんの相棒役を7年も務められたのが反町隆史さんなので不思議な縁を持たれていると思います。水谷豊さんが熱中時代をされていた時は私が25歳で神戸北小学校の4年3組の担任をしていた時で熱中時代の水谷豊さんが3年生の担任役で番組の中で「フィーバー」を起こしているのと変わらない様な先生をしていたのを思い出してしまいました。

役者さんは与えられた役柄に沿った演技をされて感情移入をされるのだと思うのですが私は芝居ではなくてそのまんまだったのですから45年前とは言え「良くも良くもあんな事がよく出来たものだ。」と自分の事ながら思っています。私の場合はぶっつけ本番で1回限りの事ですから「常に真剣勝負」と言う生き方だったのだと思います。但し、周りの方々にはかなりご迷惑をかけたと思います。その事は『GTO リターンズ』を見てしみじみ感じました。(気付くのが遅すぎると言われても仕方が無いのですが)だって、半グレ集団を一人でやっつけて生徒を救出するなどはありえない。

でも私も火中の栗を拾う事は数えきれないくらいにあった様に思います。火中の栗を拾うのは決して自分の為では無くて『組織の為』『相手の為』なのであります。正直「腹を括る」様な状況に置かれた事も数えきれないほどありましたが今も頑張れているのだから「まっ、良いか」と言う事で。でも言っておきますが植木等さんの歌われていた『スーダラ節』的な事ではありませんから。勿論植木等さんも役柄としてやられていたのですから・・・。悪しからず。

昨夜は夜ふかししました。

令和6年4月2日

夜更かしと言っても22時40分までですから、夜ふかしと言うほどではないのですが、最近の私にしては夜ふかしなのでをあります。何で遅くなったかというと、夕食の時に私の奥様かをり様が「21時からGTOがあるよ」と言われて「とても23時近くまで起きているのは無理だから、ビデオで録画をしておこう。」とセットはしたものの、21時になりチャンネルを合わせると21時ぴったりに番組が始まり、かつて聴いていた懐かしい音楽が聞こえて来たので「少しだけ見よう」と眠い目を擦りながら見ていると、だんだん目が冴えて来て結局最後まで見てしまったので、番組が終了したのは22時40分。番組が終了したので寝る体制に入ったのですが、なかなか寝付けなくて23時過ぎに寝た様に思います。

GTOの番組が最初に放送されたのは1998年と言う事ですが、その頃の私は本部施設が事業開始をしたばかりで、テレビを見る余裕など全く無くて、多分再放送で見たのだと思いますが、ネットで調べたところ1998年放送と言う事は26年前の番組ですから、主役の反町隆史は現在50歳と言う事なので当時24歳だったわけですが、26年経過したにも関わらず全く変わらない役柄でされているのには感動もんでした。そしてその頃高校生役で出演されていた窪塚洋介さん、小栗旬さん、池田博之さん、山崎裕太さんが、26年後の教え子として出演されていても、全然違和感が無いのにも驚くばかりです。最も驚いたのは、松嶋奈々子さんが主役の『鬼塚英吉』の奥さん役で、正直26年前と変わらない美貌でいたのも「凄い」の言葉以外出てきません。

私は知らなかったのですが、インターネット情報でGTOで共演したのが縁で本当の夫婦になっていたのには時代遅れだと言われても、これまた「凄い」ことだと思いました。夫婦共に26年前と変わらないで、役柄も変わらないでテレビの画面に出ているのを見て、これまた「凄い」です。

私は70歳ですから、26年前と言えば本部施設の事業開始で、自分自身にも借り入れもあったので施設長として慣れない職員集団の為に昼夜を問わず飛び回ると共に、先代理事長と共に市町村回りと、大学の非常勤と家庭教師と大車輪でしたが、今は職員の頑張りもあり、少し落ち着いた生活になった為か、体型は随分変わってしまいました・・・。確かに体型は変わりましたが情熱は変わらないので全力でこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも応援宜しくお願いします

快晴です~

令和6年4月1日

本日から令和6年度が始まります。快晴の空に素敵な予感を感じています。本日は10時から本部施設において辞令交付式があります。これも節目として襟を正す素敵な事だと感じています。今年度の新人の中には、法人として理学療法士の採用と共に20歳の男子を採用する事が出来、看護師も採用する事が出来ました。法人としての体制がより良くなるものと確信しています。

辞令交付式は定刻の10時に、五次副施設長の進行で始まりました。開会宣言は、本部施設の水野施設長が行い、先ずは新たに採用した看護職員、理学療法士、介護職員の3名に、理事長として私から手渡して貰いました。そして引き続き、本部施設で本館から新館に異動になった職員にも辞令を手渡してから、理事長としての訓示をさせて頂きました。新たな職員が加わり戦略が脈々と湧いてきましたので、その思いをしっかり伝えさせて頂きました。

その中で、理学療法士として入職した者は、地元出身で中学校時代に本部施設の場所を提供し、関ケ原町社協主催で実施された『ワークキャンプ』(2泊3日)に参加した経験がある者が仲間になってくれたと言う事ですし、看護職員については京都から滋賀県に家を購入したと言う事で、和合に配属した者はかつて和合に入居されていた家族の方からの紹介と言う事で、「ご縁を大切にしている法人」だからこその入職ではないかと思っています。

朝食の為に1階に降りて行く時に、毎日の様に日めくりカレンダーめくるのですが、本日は月始めで『4月の二十四節気』の紙が1枚余分に入っていて、その中に『清明(毎年4月4日頃)と言うのがあり、その中の説明書きに「すべての生命が生き生きとする頃。気候もすっかり温暖になり、澄みきった空のもと新芽が芽吹き、花が咲き、小鳥がさえずるにぎやかな季節です。」とありました。本日は正にその通りの日で、4月4日頃とありましたので、「3日後には桜が咲き、鶯が鳴くのか」と思うと(今須は少しズレるかも知れませんが)益々ワクワクしてきました。新たな年度を迎え益々頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

[ITO]春休み今須学校カフェに参加してきました

 

「ITO」(今須地域起こし協力会)は私も卒業した今須小学校・中学校が令和元年廃校になり、「廃校になった学校の活用を何とかしなければいけない。」と言う事で、当法人の理事であり、本部施設の家族会会長の吉田さんが骨を折って下さり出来た組織です。会長は発足当時の今須地区長だった松井厳さんで吉田さんが事務局長さんです。「このままでは今須が駄目になる。」との思いで設立されました。私も今須で事業をしている限り、また吉田さんにも松井さんに大変お世話になっているので、何らかのお手伝いをしなければとの思いでいたのですが、本日は春休みイベントを開催されるとの事で本部施設からポップコーンの提供をすることにしていたので一昨日にアミカ(業務用スーパー)でポップコーンの材料と容器を購入して来ていたので、12時からのスタートだったので11時20分に水野係長を従え本部施設を出発して旧今須小中学校に行きました。

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ポップコーンの準備は水野係長に任せて会場内を見て回り、ついでに旧校舎の中を見て回りました。その中でガラスケースの中に運動会の優勝旗を見つけました。その優勝旗には「令和元年度 赤団」と書いてあったので「この年の運動会が最後だったのか」と思うと改めて寂しさを感じました。

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12時開始と言う事でしたので水野係長は早速ポップコーンの商品作りに取り掛かると甘い匂いが立ち込めて雰囲気が良くなり、臭いに誘われた子どもさんが何人か来たので「お金は要らないから貰って」と言って手渡すと喜んでくれました。大人の方は志を置いて行かれる方もありました。12時になると食券の販売が始まり私はいの一番にチケットを買いました。(カレーライス野菜サラダ付き500円)私が購入するとあっと言う間に長蛇の列になり、松井会長さんに「今須にこんなにたくさんの子どもがいたんですか」と思わず言ってしまいました。

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バザーの品物がなかなか売れない様なので丼とお椀のセットを交わせて頂きました。(2点で1000円)12時30分からはマジックショーがあり引き続き江州音頭が始まったのですが13時30分から本部施設で誕生会があるので施設にかえり、吉田家族会会長がおみえになるのを待っていると、「カレーライスの売れ方が凄かったので家で昼を食べて来た。」と言われたのには「凄い配慮だ」と思った次第です。

今回参加させて頂いて一番思った事は中学生・高校生のボランティアの子が本当に一生懸命動かれていた事です。(勿論、大人のボランティアも多くみえましたが)このエネルギーがある限り今須は大丈夫だと思いますがお祭りの要素だけでは限界があるので、永続的なものの構築を考えて行かなくてはいけないと思っています。リピーターの皆さん良い考えがあれば教えて下さい。

ホームページリニューアルのプレゼンを実施しました

以前からホームページに当法人は力を入れており、全国老人福祉施設協議会のホームページ部門で平成19年度には特選を頂きました。その時のコンセプトは「継続性のある進化するホームページ」を念頭において、業者さんとの協議を重ねて完成させました。その後、平成26年に優・悠・邑 和合の事業開始のタイミングで大幅なリニューアルを行い今回10年ぶりのリニューアルです。

今回のリニューアルの最大のテーマは『人材確保』です。本日のプレゼンではプランが明確になっている業者を指名したいと考えています。「日々進化するホームページ」を継続する為には職員の理解と協力が無ければいけません。その為には旗振り役の理事長である私が率先垂範しなければいけないとの思いで『理事長コラム』を毎日書かせて頂いています。毎日書いている事を根拠として、出来ていない時には間髪入れずに指摘して継続性を担保していく。但し現在の状況は抜けなく継続出来ているので、その状況をクリアしつつ『職員確保』の為に如何に魅力あるホームページとしていくか。その為には給与面の改正もしっかり実施していく事も大切です。

その点については職員幹部からの提案もして貰うと共に社労士の意見も取り入れながら改正案を作成して理事会及び評議員会の承認を得て、来月から施行していきたいし、ホームページやハローワークや高校・専門学校・短大・大学への情報にもしっかり反映させていきたい。人材確保は質と量の両面が確立されて有効なものになり、入居者さんの笑顔につながると信じて頑張っていきたいと考えています。リピーターの皆さん常に前向きで頑張りますので益々の応援宜しくお願い致します。

お参り中に何故か頭に浮かんだこと

令和6年3月29日

午前中に和合の施設の1階で正信偈と御文さんを入居者さんとご一緒に唱えさせて頂いてから、四国遍路で覚えた般若心経を中心にしたお経を腹の底から唱えている時に何の脈絡も無く、38歳で児童養護施設を退職してフリーでのうごめきの中で大学等への非常勤講師や家庭教師の他にフリースクールを地域交流ハウスの一角でさせて貰っていたのですが、フリースクールを展開していた時の30年以上前の事を何故か思い出しましたので、全てのお経を終えてからのお話の中で入居者さんを前にしてお話をさせて頂きました。

その話と言うのは30年以上前の事で、今で言う『ヤングケアラー』の中学1年男子の事を思い出した事を話ししました。どんな話をしたかと言うと【その子の両親は建設現場の日雇いで生計を立てていて、その日の賃金を貰うと夫婦揃ってパチンコに行き閉店の時間までパチンコに講じて、パチンコで儲かった時には優雅な夕食を楽しんでご機嫌になって家に帰ってくるのですが、稼いだお金を全て使ってしまった時には家に帰って中学1年の子が夕食を作ってないと言って怒りだし虐待になることも度々で、しかも、中学1年の子に糖尿病で目が不自由になった祖母の世話をさせていて、祖母の病院の付き添いも中学1年の子させていたので、段々と中学校にも行けなくなり、いわゆる不登校になっていたので中学校と私で協議をして、「学校へ行けなくても私が行っているフリースクールに通えるのであれば、出席扱いにする。」と言う取り決めをして勉強に取り組みました。私は勉強を教えるのですが、それ以外の事は中学1年の子に学ぶ事が多かったし、家庭環境は劣悪な筈なのに決して親の悪口を言わない子で、正直学ぶことが多かった。今でもしっかり記憶にあるのは、その頃から外米の輸入が盛んになった時期で、その子の言う事に感心や感動をしてしまいました。

と言うのは、ある時「先生、タイのお米を食べた事ありますか。」と言うので「食べた事ない。」と言うと「タイ米は安いので食べてるよ。日本の米より長細くて、決して美味しくはないけど、チャーハンにするとそれなりに食べれるよ。」と言うのです。私はその話を聞いて複雑な気持ちになりました。】と話をすると入居者さんは私の拙い話を一生懸命に聞いて下さいました。リピーターの皆さん、こんな話もたまには聞いて下さい。

いよいよ認知症の始まりでしょうか。

令和6年3月28日

本日11時から社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会に引き続き講演会が岐阜市内のホテルであるので10時40分に地下の駐車場に車を入れ、3階の会場に行くと車のキーがポケットの中に無くて「キーを入れておいたリュックサックを持っていない。」と言う事に気が付き慌てて車に戻ると車はロックされていなかったのですが、無事にリュックサックはあったので、車のキーだけポケットに入れてロックされるのを確認してから再び会場に行きました。

11時からの理事会を無事に終えて昼食を頂いてからメールや電話の着信の確認をすると「予定は未定であり決定ではない。」と言う状況になりました。と言うのは、理事会が始まる前に経営協の会長(私の前の老施協会長)にご挨拶と共に「本日は烏野先生の講演があるので講演まで参加します。」と言っていたのに和合の施設からのメールを確認して詳しい事を聞く為に連絡して「私が和合に行き対処すべきだ」と判断して総会と講演をキャンセルして和合の施設に向かいました。トラブルのための対応をしていて色んな事が見えてきたので、その対応をして「さてさて、本部に行ってコラムも書きながら書類の整理をしよう。」と思ってリュックサックを方に掛けた時に1本の電話が入りその対応の為に色んな所に電話をしていると、電話を掛けた事により、次々と電話をして、気が付いたら16時30分が過ぎていて「本日のコラムを書くのも遅くなりそうだ。」と急いで本部施設に帰って来ました。

和合でのやり取りが本部施設でも引きつって何本かの電話対応もしなければいけない中で和合の施設から電話があり「これはまた何かあったのか」と緊張しながら受話器をとると「理事長のリュックサックが事務所にありますよ」との内容に「どれだけ忘れ物をしたら良いのか」と自分自身で「いよいよ認知症の始まりなのか」とつぶやくと「理事長は忙しいから仕方がありませんよ」との助け船が入ったのを額面通り受け取って良いのかと悩んでいます。リピーターの皆さんはどう思われますか。ご意見下さい。

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