東海北陸ブロック臨時WEV会長会議

令和6年2月26日

検討議題は能登半島地震支援対策の4回目の会議です。先ずは前回までの報告をブロック会長の太田会長(愛知県)が開会の挨拶と共にされてから、被災施設の「緊急レポート」として輪島市にある特別養護老人ホーム「ゆきわりそう」の小泉氏からの報告を聞きました。その中で先ず最初に報告されたのは1月1日16時10分に地震が発生した日の勤務者が比較的幹部の職員が多かったので落ち着いた対応をして貰ったが、電気も水もこない状況で、職員は家に帰らずに頑張ってきたが、看護のリーダーがダウンして救急車で病院に搬送され入院する事態になった。

また。電気が来ない状況に対しては2台の発電機で何とかしのいだ。入浴支援のボランティアに支援して貰っているが週一の入浴の時の応援があると助かるとの話の後、石川県からは毎日の様に「入居者を全員避難させた方が良い」との連絡が来ていたが、元の生活に戻った時に職員がいない状況への懸念と全く収入が入らない事への不安もあり、重症者の避難以外は施設に留まって頑張っていたら、石川県の方針転換で施設に戻す考えになったのか、石川県からの連絡は一切なくなった。との報告をされた時には涙を浮かべながらされたのには言葉を失いました。

その後、石川県老施協と石川県社協からの報告と全国老施協事務局長と災害対策委員長からの報告を受けた後各県からの報告になら最初に岐阜県老施協として私から意見を述べさせて頂きました。最初に岐阜県の派遣チームが今回発表された「ゆきわりそう」での派遣から帰って来た時の報告で「2日間に分けてお風呂に全員入って貰う介助をしたらとても喜んで貰いモチベーションが上がりました。」との報告をさせて頂きました。そして、岐阜県では隊員登録の方が72人に増えましたので、引継ぎも円滑に行く様に能登町の特別養護老人ホーム鳳寿荘に5日ずつ4名~5名のチームを組んで派遣できる体制を取っています。と報告させて頂きました。

その後それぞれの県の代表者からの報告を受け、この派遣は長期にまたがるとの考えの中、今後の派遣の在り方についてもさせて頂き会議が終了しました。会議の中での話の中で当法人もいざという時の為にしておくべき事を改めて確認しました。例えば電気自動車の場合、電気の活用が出来る。但し、ガソリンが無くなっては使えないのでガソリンは半分になったら必ず満タンにすること。給水用のポリ容器は多く確保しておくこと。発電機を準備して燃料の確保も怠りない等々今すぐしておくべきだと思いました。リピーターの皆さん、参考になったのなら即実行してください。

優・悠・邑 和合の施設2階のお経のあとでの話から

10時30分を回っているのに気が付き、慌ててお参りグッズを押しながら2階に行くと既にお参りが出来る様に皆さんが集まって頂いていたので、経本と数珠をそれぞれの入居者さんに職員から配って貰っている間に、阿弥陀様、蝋燭立て、線香立てを準備し、「正信偈から始めます。今日は気温が低いですが大きな声で唱えて頂いて体が温かくなるようにして下さい。私も大きな声で唱えますので。」と言ってお経を唱えさせて頂きました。

正信偈の後、御文さんを読み、引き続いて、私が滋賀信行会の団参である四国八十八箇所で覚えた般若心経を中心にしたお経を唱えている時に、私が大学生で50人ほどの団体の先達をさせて頂いている時の事が頭に浮かびましたので、お経を終えてから講話の様に話をさせて頂きました。

その話を本日はさせて頂く事にします。その当時の滋賀信行会の団参は1番札所がある霊山寺の最寄りの駅(坂東)から23番札所薬王寺まで全て歩きです。団体は最年少は小学1年生から最高齢は75歳の方までと年齢層は幅広い50人程度の団体です。

1日目は6番札所『安楽寺』までは比較的起伏の少ない遍路道で何のトラブルもなく歩く事が出来ました。

2日目11番札所『藤井寺』までも問題なく歩けたと思います。

そして3日目は藤井寺の裏山から急な山道になります。この工程では12番札所『焼山寺』までの山の昇り降りを繰り返し焼山寺は海抜1200mある山の頂にあるので、朝7時に出発をして焼山寺に早い方は12時過ぎに着いているのですが、しんがりは2時間以上遅れての到着となります。その他にも20番札所『鶴林寺』の道は最後の上りは険しいものがあり、21番札所『太龍寺』の山越えも大変ですが、本日お話をさせて頂いたのは20番鶴林寺の奥の院『慈眼寺』の行場での話をしました。

『行場』と言うのはいわゆる『修業の場』のことです。そこは慈眼寺から急な坂を約20分歩いたところにあり、行場に入る前に身を清め男女共にパンツの上に白衣をまとうのみです。行場に入る前にそれぞれに1本の蠟燭が手渡されます。と言うのはその行場はいわゆる洞窟で人一人が通れるくらいの所なのです。実際には相撲取りの方でも通れると言うのですが時には通れなくなるアクシデントが起きます。その時に通れなくなったのは当時小学4年生の男児でした。その子は正直落ち着きがなくて先達である私の言う事がなかなか聞けなかった子です。洞窟の中では先頭を行く洞窟の事を知り尽くした方の言われる通りに進む事を約束して貰い、先頭の方が例えば「右足から進んで」とか「左向きになって左足がついたら左足を」とか言われた通りに進むのです。

ところがその4年生の子は自分が体が華奢だから大丈夫と思ったのか指示に従わなかった為か、身動きが出来なくなってしまいました。前にも後ろにも行けない中「体が通れますように」と全員で般若心経や不動明王様のご真言を唱えて30分後には何とか抜け出す事が出来ました。その後その子は指示に従う様になりました。この現象は「仏さんが罰を与えた」のでは無くて「戒めて頂いた」と思っています。と言う話をさせて頂きました。入居者さんはお経も含めて一生懸命に参加して頂いた事に感謝です。

本日も週刊東洋経済の記事から

令和6年2月24日

「機能不全の組織体制が生む、過去最多の高齢者虐待」のタイトルと共に「部屋に閉じ込める」「薬で動けないようにする」「複数の職員が関わっていた虐待事件の背景を追った。」とあり、記事の内容を見て目を覆いたくなる文字が躍っていました。具体的には「部屋の前に机や衝立を置いたり、トイレに鍵をかけるなど利用者の行動を抑制し、自由に動けない様にする。」との事例が書かれていました。この様な行為は一言で言えば『言語道断』『あり得ない』です。当施設の考え方は、タイトルにあった「部屋に閉じ込める」に対する答えは、「特養の入居者さんは如何に部屋から出て素敵な笑顔を醸し出すか。」です。

本日も、午前中は和合の施設で午後は本部施設で私が導師になってお参りをさせて貰ったのですが、椅子から立ち上がられる方も無く、特に本部施設の入居者さんは声も大きくお経を唱えて下さいました。午前の和合ではお経とお話をさせて貰った後に、車椅子の入居者さんが私に近づいてみえたと思ったら、お皿に載ったお菓子を差し出し「抹茶をたてますので少しお待ちください。」で水筒に準備したお湯で抹茶をたてて持って来て下さいました。この行為は「出来る事は精一杯頑張ろう」と言う意気込みだと思い心豊かになりました。

また「薬で動けなくする」に対しては「睡眠導入剤は基本無しで生活出来る様にしていく」と言う事です。その為には昼間の時間をしっかり起きて頂くような対応をしていく事が大切だと思って実践して貰っています。私が出来るのは一人ひとりの入居者さんとお話をする事と、カラオケとお参りだと考えて実践しています。また愛知県豊橋市の特別養護老人ホーム『つつじ荘』は【22年と23年の夏場にエアコンが故障したことから、入居者をロビーで生活させていた。人前で排泄をさせたり、仕切のない状態でおむつ交換をしたりしていたことが、性的虐待と認定された。22年3月には紙おむつが不足したため、オムツ交換を1日6回から3回に減らした。東洋経済が入手した市の調査資料には、「漏れていても交換しない」「(汚れたおむつの)使い回しもあり」といった関係者の証言もある。さらに18年から5年以上にわたり、入居者からの預かり金を無断流用していたことも発覚。これらの虐待の被害者は合計153人で、虐待を行った職員は38人に上る。】との記事を読んでいくと、「入居者さんを何だと思っているのか。施設を信じて入居させた家族にどの様に説明するのか」との憤りしかない。

この様な事例を「人材不足」と言うひとくくりで考えず、入居して頂いた以上は「人間としての尊厳を守り、日々が快適である施設にどの施設もなって貰いたいと願っています。

週刊東洋経済の続きです

令和6年2月23日

東京大学名誉教授で社会学者の上野千鶴子先生の記事がインタビューの形で掲載されていました。上野千鶴子先生について、個人的には10年程前に全国社会福祉協議会高齢福祉部会でご一緒させて頂き「端的に物事を判断してしっかりとした意見を言われる方だ。」と言う印象を強く持っていたので、興味深く読ませて頂きました。質問に対する答えに「うんうん」と頷くばかりでしたので、紹介させて頂きます。

(質問)介護事業の中でも最も不利な働き方が訪問介護。その報酬引き下げとは、怒りを通り越してあぜんとした。これではますます働き手がいなくなるだろう。なぜこうなったのでしょう。

(上野先生の答え)報酬の低さが招いた人災だ。そもそも介護保険を施行する当初、訪問介護を「身体介護」と「家事援助」(後に「生活援助」に変更)に分けて価格差をつけたのが問題だった。生活援助の報酬は極端に安くされた。背後には、家事は女がやってきたタダ働きと言う誤った労働観がある。

(私の意見)地域の介護を守るのに不可欠なのが訪問介護です。確かに「家事援助に専門性がいるのか」との問題は昭和38年(1963年)に出来た老人福祉法にまで遡り、在宅介護をしないで公的なものに頼るのを善しとしてこなかった長い歴史があると考えています。その当時の政治家の中には「家での介護は当然」と言い切った方も多くいました。

(質問)人手不足を補うためだとして、国はICT機器を導入する施設の人員配置を緩和しました。

(上野先生の答え)ありえない。現場の介護職員たちは、安全面からこれ以上は人を減らせないと言っている。人件費を減らそうとする経営者や官僚の発想は、現場感覚とは懸け離れていると思う。

(私の意見)ICTを導入したからと言って、人件費の削減につなげるのではなくより密度の濃い寄り添いケアにつなげていくものと、経営者の一人として考えています。

(質問)少子高齢化が進み、保険料をめぐって「高齢者vs若者」という構図が持ち出されます。

(上野先生の答え)若いひとたちに言いたいのは「介護保険が無い時代を考えてみて」と言う事。あなたが親から離れて安心して生活できているのは、介護保険があるから。世代間対立をあおるのは政治家とマスコミ。対立に乗せられてはいけない。

(私の意見)元気な高齢者の中にも「介護保険の利用はしていないので、介護保険料は返して欲しい。」等と言われる方も時にはあります。そんな時は「ご利用になられている方はもっと大変な思いをされていますよ」と答える様にしています。若者にしても、親戚関係にお世話にならなければいけない方がいる事を理解して欲しいし、「いつ介護の世話にならないとも言えない。だからこそ介護保険制度があるのだと思います。」と言う風に考えています。

(質問)介護業界は、医師会や看護協会のような政治力がありません。

(上野先生の答え)ワーカーたちの声が小さい。業界団体もまとまりがない。だから政治力が弱い。福祉の仕事に従事する方々は我慢強く、抗議や批判をしないと言う風潮すらある。私は「あなたがたの地位と処遇の向上を、利用者が代弁することは出来ない」と言い続けている。当事者たちに、もっと声を上げてほしい。

(私の意見)政治力を持たなければ実態に即した処遇を受ける事は出来ない。介護事業に関わる一人一人が『我が事』としてとらえて自分たちの権利を守ると言う気構えを持って欲しいと考えています。私は今『全国介護福祉政治連盟』の幹事長代理の立場で一生懸命に汗をかいていきたいと考えています。

3度目のどじょめ

令和6年2月22日

「どじょめ」と言うのが何の事かもわからず何と無く使ってしまいましたが、とにかく本日は次男家族が我が家にやって来ます。お正月に来ることになっていたのが、私が体調を崩した為にキャンセル。その次は次男の仕事のシフトが変わったと言う事でキャンセル。そして本日16時と言う事で我が家での会食が実現します。と言う事で「3度目のどじょめ」なのであります。

昨年暮れに我が家に来て以来なので、2ヶ月振りです。 昨年5月に生まれた孫娘も生後9ヶ月なので、随分成長したのを見ることが出来るのは楽しみです。70歳の今もガンガン役割をこなしている私はなかなか次男家族とゆっくりすることはままならないのですが、年に数回しか会えないからこそ、本日は楽しみです。但し、午前中は前立腺がんの治療の為にホルモン注射の投与をした関係で乳房が大きくなってきて、右の乳房が痛いのです。ホルモンの関係だとは思うのですが「心配な事は解決しなければ」と言う事で、徳洲会病院の院長先生の診察を受ける為に病院に来ています。診察前にいくつかの検査をして(サーモグラフィの検査は恥ずかしいし、痛かったです。)今は診察室前の待合室で診察の順番を待っています。

乳腺科の待合室は流石に女性ばかりで肩身が狭いですが、私の他にもう一人男性がみえましたので、少しホッとしています。本当にホッとするのは診察の結果で大丈夫とのお墨付きを貰う事です。順番が来て院長先生に検査の結果を見ながら説明を聞き大丈夫とのお墨付きを頂きました。これで、14時からの和合での全体会にも安心して参加して気合いを入れて話が出来るし、もちろん、次男の家族との会食もしっかりと楽しめます。この日の為に次男が好きな八海山を準備したし、孫娘には遅くなりましたがお年玉も準備しました。親バカ爺バカと言われたって構わない。年に数回しか無い楽しみを本日は楽しみます。

関ヶ原駅を11時21分発の列車で岐阜に向かいます

令和6年2月21日

10時から全国大会の最優秀賞を決める審査があり、本部施設の幹部会とブッキングをしたので早くに本部施設に行き最優秀を決める審査資料の印刷をして、資料確認をすると共にズーム会議の接続をして いると、9時に吉澤施設長が来たのでホームページ及び職員手当ての提案の打ち合わせをして、10時からの幹部会の予定を早めて会議に中抜けしても大丈夫な様に理事長としての思いの話をして、進行を水野施設長に任せて事務所に戻りズーム会議での最優秀賞決定の為の会議に挑みました。各分科会の優秀作品の審査を事前に審査員は点数を付けており、その上での最終確認なので、それぞれの審査員からの意見を聞く形で進行して行きました。最初に大山会長が意見を言われて2番目に開催県を代表している私が意見を述べさせて頂きました。各審査員の点数で最も高かった発表に私が一番点数を高くしたのと一致していたので、何故点数を高くしたのかについて話をさせて頂きました。委員さんの考え方によって多少の違いはありましたが皆さんの意見の後、最優秀賞が決まりました。10時25分で終了したので、再び幹部会をしている会議室に急ぎ、11時には私が退席するので、 それぞれの幹部からの提案を一旦中断して貰い、ホームページ及び職員手当ての話を吉澤施設長から提案して私からも意見をさせて貰い11時になった段階で水野係長の運転で関ヶ原駅まで送って貰い今は電車に乗っています。12時前に岐阜駅に着き会場である16プラザに迷うことなく行けたので「少し早かったかな 」と思いつつ、受付に行き「開会式に招待を受けた者ですが」と言うと目敏く「ご案内します。」と係員の方が来て下さり、役員控え室に入ると陣羽織を渡され(徳川の家紋要り)私より早くにみえていた役員の方と名刺交換をしていると次々と部屋に入ってみえたので、順次名刺交換をして行きました。労働局長さんや商工労働部長さんなど凄い肩書きの方ばかりで、大きな体を小さくしていたら(決して小さくなりませんが。)リハーサルがあると言うので舞台に案内して貰い、一通りの流れでリハーサルが行われました。今回は関ヶ原武将隊の方の掛け声に合わせて「エイエイオー」で拳を振り上げる役割です。この時は昨年11月29日の全国大会の開会式で私が鎧兜を身に付け「エイエイオー」の掛け声を出したのを思い出しました。リハーサルを終えて一旦控え室に戻り定刻の12時35分に再び舞台に行き本番の開会式に挑みました。13時から企業フェスの入場が始まったのでしばらくその様子を確認してから岐阜駅に行き列車に乗るためにホームに行くと列車が10分遅れと言う事でした。今は帰りの列車に乗ってコラムを打っていますが、帰りも関ヶ原駅に迎えに来て貰い、その後は本部施設で打ち合わせ等をして16時から関ケ原町地域ケア会議に参加して、時間によっては途中退席をして17時30分からフォーラムホテルでの長城の会に参加します。JRの粋な計らいにより、定刻を過ぎている乗り継ぎの列車に乗れたので14時過ぎには本部施設から迎えに来て貰えるので2時間近く仕事が出来るのでラッキーです。待てよ、お昼を食べていないのを忘れていた。「腹が減っては戦が出来ぬ。」か「武士は食わねど高楊枝か。」とにかく、時間を有効に使えている事に感謝です。本部施設に送って貰い急いでカップの焼きそばを食べてから今回ミヤンマーからの外国人の受け入れの契約書に目を通していると「気が付けば15時35分」と言う事で地域ケア会議の会場であるやすらぎに急ぎ3分前に着き、会議に挑みました。最初に会の委員長と副委員長を決めたのですが私は副委員長に再選されてから委員会が始まりました。今回は3事例の検討だったので、16時50分に終了して、挨拶もそこそこに車に乗りフォーラムホテルに向かいました。結局2分遅れで会場に着くと既に始まっていましたが温かく向かい入れて貰い和やかな雰囲気の中で会食を頂きながら情報交換をしました。19時35分に全てが終わりご挨拶をしっかりして、猫田県議の車を見送ってから直接家に帰らせて貰い今は(21時5分)湯船に浸かりながらコラムを打ち終えます。本日は結局介護崩壊のコメントは出来ませんでしたが、昨日、久しぶりに前の全国老施協正副会長とのライングループに東洋経済の記事についてラインを送った返事がたくさんきてましたのでじっくり見たいと思っています。すみません。本日はここまでと言う事でリピーターの皆さんご理解下さい。

本日も週刊東洋経済の原稿でコメントします。

44ページのタイトルは『低賃金にあえぐ介護職』でサブタイトルは『塾には行かせられない』『結婚相談所は退会した』と言うのに正直私は「何処で取材されたのかは分からないけど、ネガティブな文字が並ぶと真実味が増して介護職はブラックだと思われてしまい益々人材不足になってしまう。」と正直思いました。当法人のシステムを紹介します。

先ず最初に「夜勤をしないと正職を外されパート職になってしまう。との書き出しには正直「今どきそんな施設があるのか。」と思いました。確かに夜勤を確保するのは簡単な事ではありません。しかしながら、結婚して子どもが出来て子育てへの配慮をするのは当然の事です。だから当法人の考え方は「子育てに対する考え方は職員の希望に基付き、子どもが高校を卒業するまでは夜勤を免除して出来るような状況になったら夜勤を復活して貰う。また共働きで子育てを中心に置きながらも仕事をするとの事で時短での勤めになっても正職のままにして1日6時間であれば8分の6での給与計算にして、経験は豊かにあるので役職はそのままで頑張って貰っています。当法人の職場結婚をしたケースも何組かありますが、例えば夏休みなどは親子で出勤して、子どもには学習環境を確保して時には私が勉強を教えたり、横着が過ぎた時には私を含めた職員で注意する事もありますが、毎年12月29日と決めての餅つきには保育園の頃から参加していた子が小学高学年になり、ちょろちょろしているだけだった子がしっかり作業が出来る様になったり、中学生高校生になり成長していく過程を目の当たりにするのは楽しいものです。夫婦で働いている職員のなかには、子どもが2人、3人、4人といて、しっかり育てている中で、学習塾や部活もしっかり頑張っている報告も聞いています。

勿論今の給料で良いとは思いませんが、決して結婚が出来ない様な状況ではありません。当法人は介護報酬から給与を支払っているので所謂公定価格です。頑張っている職員には頑張っただけの対価を支払う為には公定価格が上がる為の運動をしていく事が肝要だと考えています。2000年(平成12年)に介護保険が始まり24年が経過しようとしている今、介護報酬の収支は1%しか上がっていないのには違和感があります。介護保険の原資は介護保険料が半分で税金が半分なのですが保険料を上げるのが難しい状況があるのであれば税金の投与を大胆にしていく事を国も真剣に考えていかないと週刊東洋経済が特集しているように介護保険の崩壊になってしまうのではないかとも考えています。安心安全の為に国民の理解が得られる様な運動をしていかないとネガティブなイメージばかりが先行してしまうのでは無いかと懸念しています。

2度ある事は3度ある

令和6年2月19日

本来「昨日から介護保険崩壊について執筆します。」と声高らかに宣言したにも関わらず、その関連については「最後に少しだけ書きます。」と言う事でタイトルにある「2度ある事は3度ある」について書くことにします。

昨日は午前中は和合の施設での対応をしてから、本部施設に移動して、地元のボランティアの藤下の高木さんとのジョイントカラオケをしてから、事務所の奥にある施設長室で決済等をしていて、五次副施設長に立替分のお金のやり取りがあり、財布や鍵等を持ち歩く為のショルダーバッグをいつもとは違い施設長室に持ち込んでいたのです。その後、事務所でコラムをパソコンで打ち込んでいた時に、水野施設長が施設長室の鍵をしてから帰った事は理解していました。そして、コラムを打ち終えて帰ろうとして、いつも事務所の机の右下に置いてあるはずのショルダーバックが無いのです。そこで、事務所にいる職員を巻き込んでショルダーバッグの捜索が始まりました。皆で頑張って探して貰っても無いのです。そこで落ち着いて考えるに「施設長室に置いてあるかも知れない。」と結論を出しました。ショルダーバッグが施設長室に入っているとしたら、車の鍵は無いと言う事で「家に帰れない」と言う事で、水野施設長に何度も連絡してもつながらない。「早く帰りたいのに」と言う事で丁度帰ろうとしていた吉田副施設長に家まで乗せて貰う事にしました。

そして朝を迎えて施設に電話して、今度も吉田副施設長に迎えに来て貰いました。99%施設長室に置いてあるとは思うのですが、水野施設長に施設長室を開けて貰い机の上にあったショルダーバッグを確認するまで正直不安でした。

そして本日、13時30分から岐阜県福祉会館で健康福祉部浅井次長さん、高齢福祉課長さんとそれぞれの担当係長さんに来て頂いての岐阜県老施協正副会長委員長との懇談会があり、2時間、目一杯の懇談会を終え「16時に本部施設で看護師さんの面接を予定していたので急いで帰らなければ」と、先般パサーダに置いて来た(忘れて来た)かごを西川先生持って来てくれたので、それを右手に持って私の車が置いてある所に行き、いつもだと車に近づいただけで鍵が開くのに開かないのです。何度試しても駄目で、ハタと気が付いたのは「鍵や財布が入っているショルダーバッグを会議室に置いて来た。」と言う事に気が付き慌てて会議室まで戻って事なきを得ました。昔から言いますよね。「2度ある事は3度ある。」明日はどんな形でショルダーバッグのトラブルを起こすのやら・・・。

さて、週刊東洋経済「介護保険崩壊」について少しだけ述べます。本日の懇談会でも大きく取り上げられたのは、『介護人材不足』です。そこで私は「2月17日付の週刊東洋現代で30ページ以上の特集が組まれていました。その中で一番訴えたい事は、人材不足が介護保険崩壊を招くと言う事でした。と言う事は今から準備すべき事の援助を岐阜県としてお願いしたい。」と述べさせて頂きました。一日に色んな役割がありその切り替えをしていると、自分の事が疎かになるのか。ショルダーバッグに気を付けて明日は頑張りたいと考えています。

2月17日付け、週刊東洋経済「介護異次元崩壊」の記事から

令和6年2月18日

33ページにも及ぶ特集なので、とても一回のコラムでは語り尽くせませんので、何回かに分けて執筆させて頂きます。尚、昨日の岐阜新聞朝刊で「ホームレスは、どこへ行った。―岐阜の現場から―」の連載が始まりました。と言う事は高齢者対策が 今後の問題としてクローズアップされてきていると言う事なのでしょうか。私も我が事として考えないといけないかと思うと、しっかりとした考え方でコメントしていきたいと思います。

最初のページには、『訪問介護』のヘルパーさんの高年齢化にストップがかからない状況が書かれていましたが、取り敢えず40ページ~41ページの「22人に1人だけで特養は崖っぷち」―綱渡り状態の過酷な夜勤体制。介護職員への重圧は大きい。」とのタイトルに私は確かにそうだ。特別養護老人ホームの入居が要介護1から出来た時には、介護に対する比重が少なかった方も一定量おみえになり、コールされる方もセンサー対応をしなければいけない方も少なかった様に思う。2015年から重度の要介護3以上の人しか入居出来なくなった事により、特に夜勤対応が厳しくなった事は間違いない。入居基準が要介護3以上になった段階で職員の配置基準が見直されることも無く改正されたのは理解に苦しみます。それどころか内閣府の規制改革推進会議では入居者3人に対して介護職員、看護職員の人員配置を4対1に減らす事まで検討された経過があります。これは、全く実態を理解していない暴論であり流石に3対1のままではありますが、政府は完全に4対1の考え方を諦めたわけではありません。

確かに介護職員の人材不足は訪問介護だけの問題ではなくて、介護事業全般の問題です。人口動態調査において、75歳以上の後期高齢者の数は2040年に向けて加速度的に増えていき、反比例するように就労人口は減って行き、訪問介護の訪問介護員のみならず高齢化が進んで行く事は目にみえています。

もう少し具体的な話をします。先般、岐阜県高齢者安心策定会議に参加されていた、介護養成校代表の委員から「養成校へ入学する生徒の数は年々減少していき、外国人留学生の入学でクラスを存続させているのが現状です。」との話を聞くまでもなく、日本人の新規採用者が新人として採用出来る事が年々難しくなっているのが現実です。要介護者と就労者のアンバランスを改善しなければ益々厳しい状況が続き、事業の存続が出来ない自体になる恐れすらあります。職員を増員したくても採用する新卒者がいなくて、尚且つ動員する資金も無い状況になったら八方塞の状態になってしまいます。確かにロボット・ICT化を進めて行き業務の効率化を進めていくことも大切ですし、その様な方向性も大切です。しかしながら、抜本的に就労人口を増やす施策を具体的に進めて行かなければと思うのですが、正直私自身も妙案は浮かんできません。仮に妙案が確立されたとしてもその成果が見えて来るのは少なくとも30年後だと思います。

やはり「失われた30年」と言う事なのでしょうか。今の状況の中では正直外国人に頼るしか方法がない。だとしたら、もう少し外国人の就労にお金がかからない様にして、外国人介護職のスキルを上げる為に国も力を入れて行くべきではないかと考えています。勿論当法人においても努力はしていきますが国をあげての施策が望まれているのではないでしょうか。

与えられた役割に全力で向き合えるのが幸せです

令和6年2月17日

一昨日(2月15日)に昨年11月30日の全国大会岐阜大会の分科会の事例発表の優秀作品7事例の中から最優秀賞を選ぶ審査を動画でさせて頂きました。正直どの発表も素晴らしかったです。複数の審査員が選ばれているのは、それぞれの立場で「考え方の違いがあるから」だと思っています。最優秀賞を選ぶ審査員に選ばれた事を有り難く思うと共に責任の重さを感じています。

昨日も岐阜県高齢者安心策定委員会の委員として参加させて頂き、来期からの高齢者安心策定計画の方向性を決める大切な会議に参加させて頂き、岐阜県としての考え方を聞き、その提案を基にして修正を加える委員の立場である事に対して自分の与えられた立場の中でしっかりと意見が言える事に対して感謝しています。私は岐阜県老人福祉施設協議会を代表しての立場ですから、今最も提案していかなければいけないのは、要介護者の安心を守る為に介護人材の量の確保と質の向上をするために何を提案すべきかと言う事だと考えて発言させて頂きました。

高齢者安心策定委員会での発言は担当課を通じて県議会にも上程され政策に反映されます。と言う事で責任の重さを感じずにはいられません。また、今は能登を中心に大きな被害があった施設等への支援にも力を入れています。災害はいつ、どこで発生するかはわかりません。今回は能登を中心にしたものでしたが、本部施設と和(なごみ)の施設は山崩れ、和合の施設は洪水の被害が想定されます。「災害を我が事」として考えて文字通り「共助」の考え方で災害派遣の隊員を精力的に集めて要請があればいつでも派遣出来る体制を私は岐阜県老人福祉施設協議会会長の立場でリーダーシップをとり頑張って行きたいと考えています。

私がこの様に頑張らせて頂けるのは、特養老人ホーム及びデイサービス事業を始めさせて頂き入居者さん利用者さんの笑顔を頂けるからだと思います。先般本部施設のフロア責任者会議において、3施設でそれぞれにカラオケをさせて貰いますが施設によって歌う曲は違います。と話をしました。つまり、入居者さん利用者さんの笑顔を見て選曲をしているからと言う事です。私が今を元気に飛び回れているのは皆さんの笑顔を頂けているからだと改めて思っています。

特に昨年8月から和合の施設の施設長に就任して入居者の笑顔こそ大切だと確信したからです。明日は本部施設において地元のボランティアの高木さんとジョイントカラオケなので本部施設の入居者さんが喜んで頂ける曲の選曲をしました。余談ですが明日のコラムの予告をします。と言うのは、全国老施協議会の監事を長くして頂いた宮内先生からメールがきて2月17日付けの週刊東洋経済に介護保険の特集がしてあるので目を通された方が良いですよとの事で早速本屋さんで購入したので読んだ上でコメントします。東洋経済は辛辣な記事を書く傾向があるのでしっかりと読み解きたいと考えています。

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