いよいよ石川県能登地方の災害支援に参加します。

令和6年1月18日

今月1月1日に起きた石川県能登地方の震度「7」の地震での災害支援の要請が全国老施協から来たので、来週月曜日22日から岐阜県老施協の会員施設の職員5名を派遣する事になりました。5名の中のリーダーとして盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の吉澤施設長が参加するので、「派遣した職員が厳しい状況化に置かれるので、出来るだけの支援をしたい。」と言う事で、昨日吉澤施設長と共に災害時の用品を買いに行きました。派遣された職員は最悪廊下などで寝る事になると言う事なので、電気は来ているから暖房は大丈夫との事でしたが、最悪の事も想定して寝袋を買いに『ヒマラヤ本店』に行きました。今はキャンプがブームと言う事もあり、何種類かの寝袋がありましたが、マイナス15℃でも大丈夫と言う品物を今後の派遣も念頭に置いて7個購入して、寝袋の中に敷く保温用のマットも購入しました。

次に、諸々の用品を購入する為にホームセンターの『D2』に行きました。ここでは、ペットボトルのお茶を大量に、カートリッジコンロとボンベ、貼るカイロ、やかん、紙コップ、電気ケトル、懐中電灯など、考えられる用品を購入しました。その後レンタカーの予約に『トヨタレンタカー大垣店』に行き、荷物も多いので10人乗りのハイエースで、当然ながら4WDでスタッドレスタイヤの装備もお願いしました。私が参加するわけでは無いので、参加してくれる職員が頑張れるだけの準備をさせて貰いました。昔から「備えあれば患いなし」と言いますので。

準備と言う意味で、明日19日には5人の集合場所である盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の施設で顔合わせと共に、それぞれが準備すべきものと事前にこちらで準備したものの説明のために10時に集まって貰います。今回は第1陣ですが、今回の派遣は期間が長引くと考えられますので、派遣した5人が元気に帰って来てくれて次につなげていきたいとも考えています。

17時過ぎに岐阜県から情報を頂きました。その情報によると、明日19日から要介護高齢者の広域搬送と受け入れが始まるとの事。「ようやく」との思いと「いよいよ」との思いが交錯しています。派遣にしても、受け入れにしても、被災された方々に少しでも安心な状態を作れる様に、私は岐阜県老施協会長としても、社会福祉法人杉和会理事長としても出来るだけの事をさせて頂こうと考えています。リピーターの皆さんもお互いに手を差し伸べて頂ければ幸いに思います。

昨日が命日だった実母秋江さんの事

令和6年1月17日

私の実母秋江さんは私が中学1年の1月16日に他界しているので生まれてから13年と言う親子関係の中で比較的短い年月なのですが、『中身の濃い13年』だったと思います。と言うより小学3年までの私は母秋江さんの存在なしには考えられない文字通り『べったり』の関係でした。簡単に言えば母秋江がいなければ何も出来ない幼少期だったと思います。そう言う意味では私が小学4年になり、母秋江に癌が見つかり闘病生活の為に入退院を繰り替えしてからの私の生活は『激変』したと言っても過言ではなかったです。

何故ならば小学3年までの私は母秋江の後ろにくっついていれば良かったからです。つまり、小学4年からは後ろにくっついていたくても母秋江は私の前にはいないのですから。我が家の生活は一番年下の私中心に回っていたと言っても過言では無かった。それが許されたのは母秋江が若山家の絶対者でいたから。どうして母秋江が絶対者でいられたかと言うと、母秋江は若山春吉・ますを両親に持ち跡取り息子の長男よりも末娘を溺愛していて、母秋江の上に3人の娘がいたにも関わらず、敢えて母秋江に若山家の分家を作り、父進を養子に迎えたのです。

つまり、母秋江は今須町筋通りの地付きの娘で尚且つ父春吉(私にとっては祖父)は今須村の議員をしていたうるさ型で母ます(私にとっては祖母)は自宅敷地内で機織りの工場を仕切っていたしっかり者だったので、私が25年前に今の事業を始めた頃は、機織りの仕事をしていた時に「秋江さんは色白で綺麗な方だった。」とよく言われたものでした。

父進さんは、母秋江を石垣の陰から見て一目ぼれをして養子に来たとの事だったので(私が大人になり父進とお酒を飲んだ時の話しです。)母秋江に絶対服従だったわけですから母秋江の天下であった事は客観的に間違いない事実だと思います。但し、以前からこのコラムで書いている様に私が虚弱だったので「目の中に入れても痛く無い」息子の為に何をしたら良いのかが母秋江の思考の中心だったと思います。

そんな母秋江が死の淵に立った時に考えたのは私の生末の心配だったと思います。だから私は命日だった昨日には「心配をかけ続けた宏ですが、今は多くの方々に支えられながらも頑張っています。そして、母秋江さんには心配ばかり掛けて何も恩返しが出来ませんでしたが、地域の高齢者の方に母秋江さんに出来なかった恩返しのつもりでこれからも頑張って行きます。と仏壇でお経を唱えながらお話をさせて頂きました。

タッチの差でした。

昨日は昨年11月29日~30日に開催された全国老施協岐阜大会の実行委員会による反省会が岐阜市玉宮で行われました。4階のフロアを貸し切りにして14名が参加して行われました。初めて行く所でいつもだとスマホのナビ機能で行くのですがスマホの充電が出来ていなかったので、本部施設に連絡を取り吉田副施設長に携帯電話で案内して貰って何とか会場に着きました。正直、店の看板が小さくて店の前に来ていてもわからない様な状況でした。

お店の中に入るとお店の方が階段で4階にお願いします。と言われて「おい、おい」と言う感じでしかも階段が急で・・・。4階にたどり着くと事務局長が待っていてくれ、指定された場所で座っていると順次参加者がみえて18時30分定刻に事務局長の進行で始まり、老施協会長である私が最初のご挨拶をして、デイ協の村田会長が乾杯の音頭を取り飲み会がスタートしました。参加者14名はそれぞれに論客揃いなので、飲んで話をして飲み放題の2時間はあっと言う間でした。

結局21時過ぎにお店の前でしばらく話をしていたので、改札を通った時が21時20分。列車の時刻掲示板を見ると米原行きが21時21分。「間に合えばこんな幸運な事は無い」と大垣までご一緒するパサーダの西川さんと共に階段を走っていると出発のベルが鳴っていたので、より急いでホームに着くと乗ろうとした列車の扉がスーッと閉まって暫く動かなかったのでおもいっきり手を挙げてアピールしたのですが扉が開く事はなかったです。

次の列車は15分後ですが残念なから大垣止め。但し西川さんと一緒に15分待って大垣行きまで待ち一緒に乗り、大垣駅で西川さんと別れ、私は1番線から2番線に移動してまたまた15分待って米原行きに乗り関ヶ原まで乗りました。22時4分に着いたので、それなりの方が関ヶ原で降りられて改札を出ると駅前の駐車スペース一杯に迎えの車が止まっていました。タッチの差で乗れなかった事により家に着くのが30分も遅くなってしまいました。

いつもは早くに横になっている私ですから速攻で寝付けるかと思っていたのですが逆に目が冴えてしまいました。そこで改めて思ったのは、生活リズムを壊すと駄目だと言う事です。

本日は和(なごみ)で9時30分に来客があったので、8時30分に家を出て、午後からは和合に移動して来客もあったのですが、合間をくぐって珠洲市の施設に1月22日から職員派遣に行く手配をしていて、ある程度の目処が経った段階で岐阜県老施協事務局に行き最終打ち合わせをして、車に乗って思い出したのは私が中1の本日私を生んでくれた母秋江さんの命日だと言う事で急ぎ家に帰り、いの一番に仏壇で正信偈と般若心経を30分はたっぷりかけて唱えました。リピーターの皆さん。母秋江の事は明日しっかりと語ります。

週刊現代情報です

週刊現代情報です

 

タイトルは「羽田空港・衝突事故    乗客を救った   新人CAたちの素顔」。この記事はリピーターの皆さんもご存知の通り1月2日に起きた日本航空と海上保安庁の航空衝突事故の事です。「今回の事故で脚光を浴びたのが、客室乗務員による迅速な避難誘導だった。乗客乗員379人が衝突からわずか18分で脱出し、一人も犠牲者ださなかった奇跡の救出劇には、国内外から称賛とねぎらいの声が贈られた。そんななか、JAL社内ではあるニュースが駆け巡っている。」そして、その対応をした客室乗務員の約半数が23年春に入社した新人だったとの事です。経験の少ない新人が冷静に判断して冷静な行動が取れたのは称賛だけではなくて、「その様な乗客乗務員が育つ土壌」に驚かざるを得ない。記事の中にその根拠が示されています。「JALの新人研修は4ヶ月にも及び、基本的なマナー、英語学習、緊急時の対応まで徹底的に叩き込まれる。カリキュラムは朝から晩までみっちりと組まれ、体力的にも精神的にも追い込まれる新人社員は少なくないと言う。今回の救出劇は、まさしく厳しい訓練の賜物だといっていいだれう。「研修ではバードストライク、航行中の火災、滑走路での接触事故などあらゆるスチュエーションの救難訓練を行います。なかには教官から「これが本番だったら、お客様は死んでいました。あなたは命を預かる責任の重さがわかっているの。」と怒られ、涙を流す子もいるほどです。とのコメントには、「命の尊さ」をJALの社風の中には染み付いているのだと思います。

私が行ってしる介護事業も「命を預かる」業務であります。当法人でも入居者の尊厳を理解した対応が求められます。今回の衝突事故を教訓に新人研修により一層力を入れて行かなければいけないと考えています。いみじくも1月1日に起きた石川県能登地方を中心に大きな被害が出て、今なお寒いなかで途方にくれている方々に対しても私なりに精一杯の事をしていくと共に緊急時の備えについて考え実践していかなければとも考えています。リピーターの皆さんお互いに留意していきましょう。

京都三弘法に出掛けます。

令和6年1月14日

6時25分に迎えの車が来たので同乗させて貰い、途中のコンビニで朝食を買い、滋賀信行会本部(長浜市)に7時10分に着き本堂でおみえになっている方にご挨拶をしてから手をあわせてら出発を待っていると内藤会長さんがみえたので改めて挨拶をして、7時40分にバスが待っている所に移動して「いざ、出発」その後何ヵ所かに迎えに行き8時25分に彦根インターチェンジを入り名神高速道路に乗りました。

8時30分にはもう一台のバスと合流の為とトイレ休憩で多賀サービスエリアに。8時45分に再び出発。その後、草津と大津のサービスエリアで2人ずつ乗って頂き9時40分にいよいよ、最初のお参り先である「神光院」に向け出発します。

バスガイドさんの情報では本日京都女子マラソンがあり、京都市内は少し渋滞するかも知れないとの事でしたが順調に走って貰えたので予定の10時15分には着き本堂に上がらせて貰いご住職さんのお経に続き信行会の皆さんで般若心経を唱えた後、ご住職のお寺の由来の話を聞き、本堂に安置されている沢山の仏様に手を合わせて再びバスに乗り、11時27分に上賀茂神社に着いたのですが、凄い人で拝殿までに行くのを挫折して「せめて上賀茂神社での焼きもちを買う」とお店に行ったら「売り切れ」との事で「食べる事が出来ないな。」と思っていたら、バスガイドさんが「別のお店でまとめて買ってきます。」との事で、仁和寺に向け出発。

仁和寺に11時50分について、広い境内を歩いて本堂と御影堂で皆さんと般若心経を唱え(土下座です。)バスの所まで帰ってくると、上賀茂神社で頼んでおいた焼きもち(ヨモギ)が届いていたのでバスの中で早速頂きました。なかなかバスが出発しないので「何かあったのか。」と思っていると同乗していた方の一人が階段で転倒され救急車を呼んでの対応だったと報告を受けましたが、意識はしっかりとしているし大丈夫との事でしたが取り敢えず病院に向かわれたと言う事で、バスは昼食会場である嵐山に向かいました。

昼食会場に13時45分に着き15時まで昼食とお土産タイムになりましたが、昼食を終えてお土産コーナーに行き簡単にお土産を買いバスに戻ると一番乗りだったので今はコラムを打っています。この後は東寺にお参りして一路滋賀信行会本部です。東寺も広いので結構歩く事になりますが今の段階で 6157歩です。昨夜は思うところがあり眠りが浅かった事もあり、尚且つお寺は結構な階段がありますから今の段階で疲れが出ていますが後一踏ん張りと考えています。

東寺でのお参りを終えてバスに戻り歩数を確認すると「7777」と滅多にでない「これは、京都三弘法のお参りに参加して吉兆の印し」と自分で納得しています。これからは一路長浜へ。明日からはバリバリ頑張って行こうと強く思っています。リピーターの皆さん応援宜しくお願い致します。

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石川県能登地方の地震対応について

令和6年1月13日

石川県能登地方に最大「7」の地震が襲い既に13日目を迎えています。被害に遭われた方々の状況をテレビ、新聞で見るにつけ心を痛めています。私自身若くてフリーの立場であったなら今すぐにでも行って何らかの事を手伝いたいところですが、今の私が行った所で反って足手まといになるだけ。しかしながら、今の私立場で出来る事を頑張れば出来る事があるはずと考えていたところで、厚生労働省から岐阜県を通じて岐阜県老施協事務局に『派遣依頼』と『避難者の受け入れ依頼』の通知がきたのをみて私は「精一杯の事をしたい。」との思いで岐阜県老施協及び岐阜県高齢福祉課とのやり取りをしつつ、リスクマネジメントを専門としている当法人の顧問でびわこ学院大学教授(学部長)の烏野先生に電話連絡をしてその都度アドバイスを得ながら、効率良く派遣と受け入れが出来るような体制作りの構築の為に私なりに頑張っています。

そんな中で『派遣依頼』についても多くの会員施設からエントリーがあり、『避難者受け入れ』についても多くのベットの提供をして頂く報告を受けました。本当に有難い事です。多くの協力が得られる事が分かった今、次に行うべき事は被災地へ送り出す会員施設の職員が頑張れる体制にする為に現地の情報をしっかり得ながら、準備すべきもののリストの作成と援助だと考えています。

また、受け入れ体制についても、円滑な受け入れが出来る様に年密な情報交換が必要だと考えています。そんな中で岐阜県の方から受け入れるのに対してどの様な情報が施設側には必要かとの情報提供の依頼が来たので、受け入れる側の身になり、尚且つ送り出す側の大変さを考慮してコンパクトで最低必要な情報を完結に記載出来る配慮をした資料を作成して送らせて頂きました。

今回の災害復旧には時間がかかると思われます。と言う事は対応が長引く事も想定した計画を立てなければいけないと考えています。出来るだけ速やかに派遣体制と共に受け入れ体制を構築していくように私なりに頑張っていきたいと考えています。北陸地方は文字通り雪国であり今は正に『冬』です。寒い中で耐え忍ばれている方々に少しでもやすらげる場の提供が出来る様にする為にリピーターの皆さんにもお願いする事が出てくると思いますのでその節はよろしくお願いいたします。

業務省力化について思う事

業務省力化について思う事

 

私が特別養護老人ホームの事業開始をしたのは平成10年5月で、その頃は行政からの措置による入居であり、言葉を選ばなければ『十羽一からげ』的な発想でも大丈夫的なものでした。勿論そんな対応をしている施設はありませんでしたが制度的にはそんな感じでした。但しその頃の対応の中でオムツ替えの回数が多い事が大切だと言う考え方があったのも事実です。何が言いたくてこの様な事を書いたかと言うと「業務に手厚い」事が良い事だと考えられていた事実を理解して頂きたかったからです。そして、平成12年4月から介護保険が導入され、一人にいくつかの留意点をもった対応が義務付けされました。つまり『十人十色』のケアが義務付けされました。介護保険制度が導入された頃は戸惑いを持っていた施設もありましたが『ケアプラン』が浸透していくに連れて『十人十色』から『一人十色』に進化して行って今があると思っています。

しかしながら、働き方改革の流れの中「如何に業務を省力化するのか」と言う問題を解決しつつ入居者さんの生活をより快適にしていく為の対応をしなければいけないと言う中で、外国人材を導入する観点からも記録に対する時間を削減する事はとても重要な事になるとの考えに基づきハード面ソフト面を考慮していく中で外国人のイントネーションにも対応し、業務を止める事無く記録を取っていく為に『骨伝導』と言うハード面の導入にソフト面がリンクするものを、補助金を頂けるタイミングで今年度導入し、来年度からの実施に漕ぎ着けました。私は全国老施協の前会長から命名された『昭和おじさん』を自他ともに理解していますが、職員業務の効率化に寄与するのであれば、補助金以外に自己資金が必要になりますが導入を理事長として実現していかなければいけないと考えています。

職員に笑顔が無ければ入居者さんの笑顔はあり得ない。今後も職員が笑顔でいられる為に何を成すべきかの情報を得て出来る限りの対応をしていきたいと考えています。『手抜き』と『楽をする』事は全く異質なものである事を理解した展開を今後も頑張って展開していきたいと考えています。リピーターの皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いいたします。

午前10時から17時30分まで断続的に会議です

令和6年1月11日

午前10時からは月一で開催している3施設合同幹部会で各施設の部長以上の職員が参加しての会議です。この会議では各施設の稼働状況、主だったものの支出状況の報告をして3施設の経営状況の共有化を図ると共に職員確保の戦略であったり、法人理念の見直しについて検討します。本日は会議に入る前に石川県能登地方に甚大な被害により多くなお方が亡くなった事に対して参加者で黙とうを捧げてから会議に入りました。本日は職員確保の為にもホームページのリニューアルと職員給与の見直しについて真剣に話し合いました。そして最後には法人として石川県の要請を受けた派遣については盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長を中心に派遣する事も決定いたしました。会議の終了時間は11時30分だったのですが、活発な意見が飛び交い12時過ぎになり、その後吉澤施設長、伊藤副施設長と打ち合わせをして、13時から『モルテン』のプレゼンテーションが予定されていたので急いで昼食を食べ、会議室でのプレゼンテーションに挑みました。エアマットの提案だったのですが、正にこの業界も日進月歩だと感じた次第です。そう言う意味では当法人のホームページの全面リニューアルは優・悠・邑 和合のオープンに合わせてしたので10年の月日が経過しているのでタイミング的にも良い時期での提案だと考えています。モルテンの対応を終えて、予定では13時30分からロボット・ICTの説明があったのですが、17日に延期になったので15時からの東海北陸ブロック会長会議(石川県能登地方の地震支援の為)には少し時間があるので、寸暇を惜しんでコラムを書きだしたのですが、断続的に打ち合わせが入り、ほんの少ししか書けなかったので全ての会議が終わった17時過ぎから頑張って書いています。15時からの会議の終了時間は16時30分までで、もう一つの全国介護福祉政治連盟事務局会議は16時からだったので最初からブッキングしていたのですが、結局16時40分までかかったので、最後の会議は終了前の25分しか参加出来なかったのですが、会議内容が全く違うものだったので事前にズームを繫いで貰っていたので事務所から会議室への移動の間に頭を切り替えて挑みました。体調がしっかりと戻った中での対応だったので、何とか対応する事が出来ましたが明日は明日でスケジュールが一杯ですが、仕事が出来る事に喜びを感じて明日も頑張ります。

「平安之福」

令和6年1月10日

これは、高野山前官大僧正の静慈圓師から頂いた書の中の言葉です。普段は何と無く見ていた言葉なのですが、石川県能登地方を震源とした地震で甚大な被害の情報が入ってくるに従い、「平安之福」の言葉をぐっと噛み締めるばかりです。

石川県能登地方を中心に元旦1月1日16時10分頃に起きた地震は、誰もが予想だにしていなかったと思います。だから、能登の大きな家でみんなが集まってお正月を祝う大宴会をされていた方もあったのではないでしょうか。楽しく酒を飲み、美味しい食べ物に笑顔が溢れていて、誰もが楽しい時間が続くものと思っていた事と思います。そこへ震度7の地震が襲ったのです。これは正に「天国から地獄へ」と言う事だったと思います。

文明国家となった日本において特に「高度経済成長期」において、インフラについては目覚ましく発展を遂げ、どんなに僻地に行っても道路の整備はされ、上下水についてもしっかりと整備され、日常において蛇口を開けば綺麗な水が出て、水洗トイレもボタン操作一つで水が流れ、電気の明かりも昼間同様の明るさを保ち、寒ければ暖房を暑ければ冷房のスイッチをオンにするだけ。食事の素材は必要に応じて購入ができ、好きなものを宅急便で送って貰う事が出来る。その様に出来るのが「当たり前」と思っての生活。これは正に「平安之福」だからこそと言う事を、今回の能登地方の地震が教えてくれた。

自然の中で、100キロの位置の違いは誤差程度のものと言える。と言う事は岐阜県で地震が発生していたかも知れない。だとすると今も「平安之福」である私は感謝すると共に、支援をしっかりとしていかなければと思わざるを得ない。リピーターの皆さんも共に支援に力を貸して頂けませんか。

殆んど1日能登地方の地震についてうごめきました。

朝、和合に向かって車を走らせていると全国老施協事務局から能登の地震対応についての連絡がありました。正直、具体的な行動については本日13時30分からの岐阜県老施協常任理事会で検討しようと考えていたのでタイムリーな連絡を頂きました。

和合に着いても全国老施協の災害対応をしている役員に連絡したり、他県の役員に連絡したり、岐阜県老施協事務局とやり取りをしていて「こんなやり取りでは円滑な対応は出来ない。」と判断をして、岐阜県老施協事務局に行き、具体的に突っ込んだ話がしたいとの思いで、事務局に行くことを伝えて了解を得て事務局に向かいました。

和合から事務局までは15分位で着いたのですが、事務局長さんの方で資料を揃えて頂いていたので、常任理事会で検討すべき事の整理が出来ました。整理が出来た段階で、岐阜県との擦り合わせも必要だと考えて、防災については岐阜県社協が担っているので社協の事務局長さんに検討する内容を事前に話をして、検討結果については、常任理事会終了後に報告することを約束しました。

13時30分定刻に常任理事会は始まり、会議の冒頭に外国人材についての説明があり、その後協議事項について、会長である私の進行で進めて行き、じっくりと検討したい、地震に対する援助体制については最後の議題として常任理事のメンバーから意見をしっかりと聞きました。その結果①厳しい状況に置かれている施設への派遣要請があった時の為にDWATのメンバーに協力への参加についてのアンケートを早急に取る。②募金活動については全国老施協の指示を得て、速やかに各支部で呼び掛け、岐阜県老施協として取りまとめ全国老施協に送金する。③支援物資については、状況の変化に応じて必要なものを集約して送る様にする。との三点について確認を取りました。会長として閉会宣言をしてから岐阜県社協の事務局長さんに再び来て頂き、決まった事を報告して、岐阜県への報告は岐阜県社協の事務局長さんから責任を持って岐阜県に報告して戴く事として、今後もこのしっかりとしたラインを堅持することをお互いに確認しあいました。

石川県能登地方は大変な思いで生活されていて、全国老施協会員施設でも職員の不足の中で頑張ってみえるわけなので、岐阜県老施協としても出来るだけの協力をしていきたいと考えています。互助の精神を忘れずにこれからも頑張って行きたいとこのコラムを打ちながら考えています。

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