歌謡集団てるてる座の梯子です

午前10時から和合でのショーが始まるので、9時30分に和合に着くと既に、てるてる座の方がみえていたのでご挨拶をしてから事務所で書類の整理をしていて10時前になったので会場である2階に行くと丁度開始されようとしていたので、私の席が準備されていたので座ると後ろに座っていた入居者さんから「最近歌を歌いに来て貰えないけどもうないの」と声を掛けられたので「少し体調を壊していたのでいけませんでしたが、また行きますので宜しくお願いします。」と答えてから私はとても気分が良くなりました。」と言うのは「一人でも私の歌を待っていて下さる。」と分かったからです。

本日は座長の参加は無かったのですが、その代わりに『やまミー』が座長の代わりをしてくださり、その他には、いつもの『小倉っち』と『あんドーナツ』『亀ちゃん』の4人で、たっぷり1時間、歌謡ショーで楽しませて頂きました。

私は大トリとして山崎ていじの『浜防風』を歌わせて頂き気分よく歌わせて頂きました。歌謡ショーを終えて1階の理事長室に移動して頂き、珈琲とお菓子をたべて貰い楽しい会話をして、11時30分に玄関で皆さんを送りながら「本部施設また後でよろしくお願いします。」と言って別れ、理事長室に伊藤副施設長を呼び打ち合わせをしました。

打ち合わせを終えて気が付くと12時15分になっていて車に乗ると私のテンションが高くなってきたので本部施設の水野施設長に「昼食はおもちを焼いておいて。それから、玄関先の人形『さくら』が来ている赤のドレスを私が着るので準備しておいて」と連絡しました。

私が本部施設に着くと既に先程の歌謡集団てるてる座のメンバーは来ていて準備をされているので、急いでおもちを食べて赤いドレスとカツラをつけてスタンバイをしました。私は自分の姿にワクワクしてしまい会場移動している入居者さんを事務所前で出迎える形で声を掛けると入居者さんの反応は色々でしたが、流石は人生豊かな入居者さんです。色んな言葉で褒めて頂けました。

私は会場入りをして、本来『さくら』が座っている車椅子に腰掛ける事にしました。歌謡ショーが始まりてるてる座の方々の自己紹介のあと、トップバッターで私が歌う配慮をして頂いたので赤いドレスで皆さんの前に立ち南こうせつの『夢一夜』を歌わせて貰うと受けに受けました。

その後やまみーの進行で歌と踊りが披露されてるてる座の最後のメニューである『伊勢街道音頭』の歌と踊りで締めの筈が本部施設の手作り神輿が乱入して盛り上がり、盛り上がったのに勢いを得て、最後に私がまたまた赤いドレスのまま北島三郎の『祭』で乱入して盛り上がりのまま歌謡ショーを終了しました。

正に入居者さんとてるてる座と本部施設の職員とのコラボが完成しました。本部施設はてるてる座の発祥の地と言う事で17年の歴史の中で作り上げたものと確信しました。

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NHKの番組での岸田総理の発言を聞いて

令和6年1月7日

物価高騰と賃上げの話が出た時の発言の中で、岸田総理は「物価高騰以上のたくましい賃上げにより、経済に弾みをつけて行きたい。」的な発言がありました。この話を聞いていて岸田総理は「何処を見てこのような発言をされているのか。」と怒りに近いものを感じてしまいました。

確かに極一部の企業の中には多くの黒字を出し、設備投資と共に賃金アップを難なく実施している所もあるように聞いています。しかしながら、設備投資をする余裕など無いし、賃金アップを実施したくても出来ない企業も多く存在する事も事実です。ましてや公定価格での収入しかない介護業界におかれては、2%に届かない介護報酬改定では、物価高騰に対応したあとで賃金アップをどの様にしていくのか頭が痛い話しです。また、いわゆる働き方改革と言う耳障りの良い言葉で、公共団体が範を示せとばかりに年末年始の長期休暇を誇示するような報道もなされていました。

公共的な所は「休みです。」との情報提示をするだけで大丈夫なのでしょうが、当施設の様に入居者のお世話をしている事業所は文字通り、年中無休の24時間体制でお世話が出来る体制をとっていかなければいけない事業所です。つまり「やりたくても、出来ない話し。」なのです。「だったら、条件の良い所に転職すれば良い。」との考え方が浸透すると、益々人材確保が難しくなる悪循環が起きるのです。「休日もままならないで、賃金評価も低い状況」で介護業界が成り立っていくのでしょうか。

昔ばなしに「姥捨山」と言うのがあり、国は介護事業所を「姥捨山」的な存在で良いと考えているのでしょうか。西暦2000年4月から特別養護老人ホームは措置から契約になりました。それに伴い入居者一人ひとりに対してケアプランを立てて「その人に合った生活」を約束しました。しかしながら、現実にはその実施が難しい状況になっていることを、厚生労働省の官僚の方も政治家の方も理解されているのでしょうか。勿論厳しい状況であっても出来るだけの事はしていかなけれいけないので頑張っています。

リピーターの皆さん、この様な状況を理解して頂き介護事業の評価が少しでも良くなる様にご理解していただけると幸いです。

朝イチで関ヶ原診療所に電話しました。

 

 

電話に出た受け付けの方が「午前中は予約で一杯なので午後の受診にしてもらえますか。」との事で午前中は家でゆっくりさせて頂き12時に昼食としてにゅうめんを軽く食べ(あまり食欲が無かったので)本部施設に出掛けて24日にエレベーターの全面点検があるので、昼食の対応をどのようにしたら良いのかの打ち合わせをして、13時30分から面接を行い終了後に関ヶ原診療所に来た次第です。駐車場にはパラパラと車がある状況で内科受け付けに行くと受け付けに職員がいなくてスイッチを押すと奥から職員が出てきての対応でした。待ち合い室にはたくさんの椅子が並んでいたのですが、患者は私だけと言う事で先ずは別室に案内されてインフルエンザとコロナの検査を受けました。しばらくすると 「若山さん両方共に陰性でしたから内科待ち合い室に移って良いですよ。」と言われて再び内科受け付けで待っていると私の為に先生が来てくださり先生自ら私の名前を呼んで下さり診察室に入って行きました。「お腹が張っている。」「咳がひどい。」「37℃位の熱が続いている。」と話をすると聴診器で胸と背中に当てて下さり、その後にお腹がの張りについて触診して下さり「念のためにCTで胸とお腹を撮ります。」と言う事で検査室に移動して直ぐに検査をして頂きました。患者が少ないと言う事は次々に対応して貰える事を確認しました。再び内科の診察室に入って行くと丁寧にCTの写真を見ながら説明して下さり、お腹の張りについては漢方薬を咳についてはスプレーを処方して頂きました。

本格的に活動していくために明日はゆっくりして体調を万全にします。

今年はお正月から大変です。

令和6年1月5日

元旦の16時過ぎに石川県を震源とした震度7強地震が発生して大垣の和合の施設で会議をしていたのですが大垣市でも震度4との事で会議をしていた理事長室のブラインドが結構長い時間大きく揺れていました。2日の日の18時前には羽田空港で飛行機同士がぶつかり両機共に燃え広がり、旅客機は乗客乗務員全員が火の中を脱出したと言う報道に安堵したのですが空自の乗組員が5人なくなったとの報道には地震が起きた能登に物資を送る為のものだったとの事で「まさか」との出来事でした。そして、3日の日には岐阜県高富で鳥インフルで少なくても50000羽は殺処分しなければいけないとの報道にも愕然としてしまいます。そんな中で私は本日岐阜県庁12階の健康福祉部の浅井次長さんに新年のご挨拶に老施協の事務局長と共に行って来ました。先ずは年始の挨拶と共に昨年無事に終わった全国大会のおを言ってから、物価高騰に対する補助金のお礼、ロボットICTの補助金のお礼を言った後は、石川県能登半島地震の話題になり、支援についてどの様にしていくべきかについて意見交換をしました。その他には2月に岐阜県と老施協役員との意見交換会と3月22日の総会での来賓挨拶の依頼もさせて頂き今年も色んな支援をしていただきたいと話をさせて頂きご挨拶を終えて次長さん自らエレベーターまで見送って頂きました。終了後は場所を福祉会館内の老施協事務局に移動して、リモート会議の東海北陸ブロック会長会議に挑みました。緊急の会議が実施されたのは石川県能登半島の地震に対してブロックとして何をすべきがについて話し合いをしました。先ずは状況把握をして支援出来ることを検討しました。DWATで派遣できる為の根回しについて今後検討していく事になりました。会議終了後はDWATの事務局を担っている県社協の担当者に来て貰い老施協が担う事の整理をしました。困っている状況に「お互い様」と言う事で出来ることは頑張って行って行きたいと考えています。先ずは募金を募って行きたいしDWAT隊員の確保をしていきたいと考えています。

箱根駅伝の結果を私の人生とダブらせてみました。

「本日のコラムは私の勝手な思いです。」とのお断りを入れた上でお話させて頂きます。

昨日まで繰り広げられた箱根駅伝で120%の結果を出したのが青山学院大学で80%の結果しか出せなかったのが駒沢大学だったと思います。私は中学校までは70%程度しか自分を出せなかった。それはこのコラムでも何度か取り上げている通り、母秋江さんの庇護(溺愛)の中での生活が心地よくて、弱い自分を演じている方が楽だったからだと思います。と言う事は母秋江が私が大人になるまで元気でいたら私の人生は全く違うものになっていたと思います。

高校時代から大学時代は父進の庇護の中ではありますが100%の自分を出す事が出来ました。しかし、この時代の100%はあくまでも父進の庇護の中での頑張りです。そして、大学を卒業しての教員時代は90%に落ちるのです。かなり好きな事を頑張ったつもりでも父進の教育界での影響力があっての事だったからです。そして父進に断りも無しに教員を辞し自分探しをした旧徳山村での5ヶ月間は自分自身のモラトリアムの時空なので評価は出来ません。

徳山村での生活を終えての13年間は生まれて初めて自らやるべき事を決めて自己責任の中での展開でしたから120%だったと言えます。但し、結果的には経営者にとって都合の良いものだった事を悟ると共に「自分の力で全て切り開いて行きたい。」との思いで38歳の時に児童養護施設を退職しました。その当時父進は健在でしたが私の行動に口を挟む事が無かったのは今になって思うには凄い忍耐力だったと思うようになりました。そして、どこにも所属しない生活を6年間経験さた時代は結果的には多くの素晴らしい支援者を得ましたので自分では150%だったと思います。

そして、法人認可を得て、特別養護老人ホームの事業を開始してからの25年は厳しい状況もたくさんありましたが、その都度理解ある支援者に恵まれて200%だと思っています。この200%は勿論多くの皆さんのご理解とご支援があってのものです。これからも、驕る事無く頑張って行く所存ですので、益々のご支援を宜しくお願い致します。

箱根駅伝100大会が2日間繰り広げられました。

令和6年1月3日

結論から言うと「勝負事に絶対は無い」と言う事です。と言うのは、絶対的王者」と言われていた駒沢大学が往路、復路共に二位に甘んじてかつて箱根駅伝では常勝軍団と言われていた青山学院大学の前評判は大したことがなかったのに、昨日の往路では新記録を打ち立てての堂々の優勝。本日の復路で絶対的王者と言われていた駒沢大学の逆襲がいつ仕掛けられるのかと思ってテレビを見ていても、青山学院大学と駒沢大学との差は開くばかり。

昨日のレース展開の中で私は決して駅伝の事を詳しくは知りませんがレース展開の中で青山学院大学の1番手が9位と出遅れたが2番手の走者が7人抜きの2位に浮上して勢いをつけ3番手が駒沢大学のエースに臆することなく、1位に躍り出て4番手の走者もその勢いのままに快走し5番手の走者も勢いのままに快走出来たと思います。青山学院大学の原監督のコメントをそのまま載せると「私自身が想定していなかった。誰一人勝つとは思っていなかったかもしれないが、たいしたもの。

学生たちが本当にプラスアルファ120%の力を発揮してくれた。」と述べられていて、本日の復路も往路の勢いのままに総合優勝を成し遂げた。勿論勢いだけでなし得る事ではなくて地道な練習の成果が往路でも新記録を樹立する結果となったと思います。勝負事には絶対は無いし毎回ドラマがあるから見てしまうのだと思います。

駒沢大学の走者も素晴らしい実力者ばかりであっても本来の実力を発揮出来なかったのだと思います。「気負い」によって或いは「使命感」によって・・・。とにかく勝負事に絶対は無い事をつくづく知る事が出来ました。城西大学の3位躍進には新しい歴史を予感するものだったとも思います。駅伝について何の知識も無い私の勝手な意見でした。

我が家の猫を紹介します

令和6年1月2日

我が家に20年いた猫「リット」はこのコラムでも何度か登場させましたが、天命を全うして、天に召されて私の奥さまはしばらく落ち込んでいました。実は私は最初の内はリットにとって天敵の様な存在だった様で、私が車を車庫に入れていると、今まで1階でのんびりしていたのが慌てて2階に行くと言うパターンでしたが、私が仕事の事で落ち込む事が多くて元気がないのを察知したのか急にスリスリするようになり、私の布団の上で寝るのが習慣になり、そうなると、私もいとおしくなったのですが、その様に仲良くなってしばらくして天国にいったのでそんな事ならもっと早くに仲良くなっておけば良かったと思っています。その後しばらくして、真っ白な猫「おもち」が我が家にやって来ました。

リットの事があるので最初から優しくしようと心がけたのですが、ある日お酒を飲んで帰り多分テンションが高かったのだと思うのですが、2階に上がって行くとおもちがいたので頭を撫でようとしたら逃げたので酔った勢いもあり大きな声でしつこく追い回してからは私の顔を見ると逃げると言う可愛げのない猫になってしまい、なかなか仲良くなれなくて、そんなある日、玄関から飛び出して探したのですが見つからず、その時の奥さまの落ち込み様は凄まじく家出猫のチラシを作り色んな家に協力を呼び掛けても見つからず家出猫が4ヶ月経過しても見つからないので、代わりの猫を10月に貰い受け「まる」と銘銘して飼い猫にしました。

まるはリットにそっくりな猫ですが私に言わせると「優雅さに欠ける」と言う事とどうも「まる」は自分が先輩猫だと思っているのか何となく威張っているようで「リット」に似ているけど「おもち」を可愛がろうとするのですが、まだまだ「おもち」はなついでくれません。どちらにしても「まる」は6キロで「おもち」は5キロで結構、猫としては重量級です。もっとも「リット」は最高に重い時は10キロはあっとので驚く事は無いのですが。池の鯉も大きな池の中で育てると大きくなるので、我が家では1階も2階も自由なので大きくなるのかと思っています。リピーターの皆さん。「おもち」と「まる」のファン投票をしたいのですがご協力頂けますか。

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お屠蘇の梯子をしました

昨夜は微熱があったのですが、若山家恒例の大晦日はすき焼きだったので、福井県の最高の酒「究極の花垣」を軽く飲み速攻で寝て3時間後に連続の咳が出て、それからはなかなか熟睡が出来ず、朝の目覚めが良くなかったので体が怠く微熱も有ったのですが10時から本部施設で5会場、14時から和合施設で3会場で「お屠蘇or抹茶&獅子舞い」が実施されるし、本部施設の南側にある村社「天満宮」のお参りもしなければいけないので9時過ぎに本部施設に行きました。

本日からデイサービスに異動になったお祭り男の伊藤係長が待機していたので、先ずは天満宮にお神酒とお塩を持つと共に昨年のお札を持って出掛けました。天満宮の篝火は大きな株が燃えており お札などはあっと言う間に燃えました。本殿でお願い事をしっかりとして、本部施設に戻ると獅子舞いの準備も整っていたので早速新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順に回りました。入居者さん、利用者さんから大歓迎を受け、獅子舞いに頭をがぶっとされながらも皆さんいい顔をされていました。

その後昼食に餅を焼いて頂き、それを食べた後は獅子飾り、鐘や太鼓とお酒を積み込み和合に向かいました。お酒のつまみがないとの事だったので、途中でえびせんをコンビニで買って和合に着き、1階、2階、3階と順次回りましたが和合にもお酒が好きな方は大勢おみえになり、4合瓶二本ととっておきの愛知の酒一升も封を開けましたので結局一升以上を振る舞った様です。和合の栄養士さんによると「いつもは4合瓶一本で良かったから今日は凄く飲まれたのですね」との事だったので「雰囲気が良かったんだと思います。」と話をしました。お屠蘇の梯子は大成功だったと思います。和合でも多くの笑顔が貰える様に頑張って行きたいと考えています。

本日は大晦日です。

令和5年12月31日

私の仕事は年中無休なので、午前中は本部施設の正月の花を買いに行き、午後からは和合に行き、昨日ついたお餅を本部施設から持参した道具を使って切りました。道具を使うと楽しいくらいに簡単に切れるので、袋詰めを手伝ってくれた伊藤副施設長と佐々木事務員にも体験して貰いました。「やって見せ、やらせてみる。」事は大切だと思ったからです。切り餅を本日出勤している職員に5切れずつビニール袋に入れて配る予定です。手つきのお餅だから美味しいと思って貰えたら嬉しいです。

餅切りも1段落したので3階、2階、1階の順に今年最後のお参りを急遽ですが、することにしました。入居者さんは有り難いものです。お経をあげるとの理解は早く、しっかりと参加して頂けました。移動できる仏様を持参して実施します。正信偈と般若心経を大きな声で多くの入居者さんが唱えて下さり、お経を終えてからは「明日からは新しい年を迎えます。お屠蘇にとっておきのお酒を準備しましたので、お酒を飲める方は楽しみにしていて下さい。お酒が駄目な方は抹茶を用意してます。その他にも獅子舞も特別参加します。頭をかじって貰ってより頭を良くして下さい。とにかく、毎日を楽しくしていきますので、来年も宜しくお願いします。」と話をしました。

最後になりましたが、リピーターの皆さん、ますますこのコラムを愛して下さい。

2日連続の餅つきです。

昨日は本部施設での餅つきで、本日は和合て餅つきが実施され、私は8月から和合の施設長ですから本日の餅つきにも当然の様に参加しました。朝ご飯を6時45分から頂き、7時15分に家を出て和合に向かいました。今朝は年末年始の休みに入っている会社が多い為か信号にも殆んどひっかからずスイスイ走れたので、8時前に和合の施設に着きました。本日は本部施設から風避けの板と大きな金バケツを借りたのを運ぶため久しぶりにキャラバンを運転したのですが運転席が高いので乗り降りは大変でしたが、運転自体は大丈夫でした。和合の施設に着き伊藤副施設長に風避けとバケツを降ろして貰い、火を炊く釜戸、ちぎり餅の会場と入居者を集めての餅つきをする2階のフロアを行ったり来たり。8時40分に釜戸の回りに盛り塩をして回りにお酒を振る舞いました。和合の施設ではこの様な行為はなかった様ですが、しっかりと実施してから釜戸に火を点けました。今は着火材があり、薪もしっかりと乾いているので直ぐに燃え上がりました。火を点け一時間しっかりと薪をくべたので蒸した状況を確認したのですが、蒸した米を食べたのですが、「まだ固い」と思い、後10分蒸して2階の餅つき会場に持って行きました。昨日は力自慢の助っ人が大勢いたのですが、本日はあまり慣れてない男子職員でしかも杵が特大のが無くて手間取りましたがちぎり餅を2臼とのし餅を2臼を12時前に突き終えました。本部施設施設は30キロを和合は12キロを同じように12時前に終えた差は何だったのかをしっかりと分析する必要を感じています。とわ言え2日間の餅つきは無事に終わりました。気が付けば明日は大晦日です。お正月の準備をしっかりとして、明日は午後から和合の施設長として、各フロアで感謝の気持ちを込めてお経を唱えて気持ち良く新年を迎えたいと考えています。

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