岐阜労働局の会議に出席しました。

令和6年6月6日

午前中は岐阜県社会福祉協議会の理事会があり、昼食を頂いた後、岐阜労働局に移動する為、何度か行った事はあるのですが、岐阜労働局の近くまで行き狭い路地に入って迷った事があるので、ナビで案内して貰うことにして運転して行ったのですが、地番の5丁目何番地までは入ったのですがその次の数字まで入らず、結果的に目的地に着かずに焦ってしまいました。結局は老施協事務局に連絡して、改めて電話番号で入力するとすんなりと行くことが出来ました。正直時間にゆとりを持っていたので、時間に遅れる事無く5階の会場に行くことが出来ました。

構成員のメンバーは経営者協会、中小企業団体中央会、商工会連合会の代表である経営団体の他に、労働団体、業界団体(私の位置付けはこの中です。)支援機関、市町村、行政(中部経済産業局・中部運輸局岐阜運輸支局・岐阜県・労働局)と言う、そうそうたるメンバーで事務局側に岐阜県からは労働雇用課・産業人材課・地域福祉課・保健医療課の課長さんがずらりと座られている会議でした。

会議は『ぎふ就職氷河期世代活躍支援プラットフォーム』と言う事で、40歳代半ばから50歳代前半の方で長期に渡って仕事をされていない方の実態についての説明をそれぞれの担当課の説明を聞き、厳しい状況を理解することが出来ました。説明後に構成員による意見交換会があり、私は老施協の立場で人材不足が切実な問題であり、氷河期時代の方々ともマッチングが出来ないかと言う事を話させて頂きました。会議終了後、岐阜労働局長さんと話をすることが出来たので、多くの課題はあるとは思うが情報の共有化を図り、一人でも二人でも介護の現場で頑張って貰えればと強く思いました。ここはリピーターの皆さん私の真骨頂である「アクションあるのみ」で頑張りたいと考えています。ウインウインの関係にするにはどうしたら良いのかリピーターの皆さんで良いアイディアがあれば教えて下さい。

百聞は一見にしかず

昨日14時から和合の施設において避難訓練が行われました。和合の施設は揖斐川の西側で揖斐川が氾濫した事を想定しての訓練を実施しました。

当然の事ながら氾濫した場合は1階のフロアが最も危険にさらされるので1階のフロアの入居者さんを2階に上げる対応をしました。先ずは1階の入居者を氾濫前に2階に誘導する為にエレベーターを活用して行い、誘導終了後に職員が入居者の代わりに道具を活用して階段を移動する訓練をしました。道具を活用しての人力での移動を2人の職員で試みましたがとても無理だったので4人で再び試みたところ出来たので、次に女子職員で実施してもクリアすることが出来ました。道具は一つしか無いので(購入も検討しますが)何か良いものは無いかと考えた結果、シーツを2枚重ねて実施してみても上手く出来たのでいざとなったらこの方法も有りだと言う結論になりました。この発見は実際に実施したからこそ生まれた発想なので正に『百聞は一見にしかず』だとしみじみ思った次第です。この展開からもわかるように、あれこれ頭で考えているよりも『実践あるのみ』と改めて思った次第です。

リピーターの皆さん、本日からのコラムは課題を一つに絞って書くことにして、言いたいことを焦点化していきます。と言うのはスマホでコラムを打ったのを改めて見直すと読むのが結構大変だと思ったからです。正からリピーターの皆さんから「前の方が良かった」との意見が多く寄せられたらまた変更しますが・・・。だって、コラムはリピーターの皆さんに読んで頂いて何ぼですから。

今は毎日書いているコラムですが・・・。

 

 

「コラムをいつから始めたのかな」と思い、最初に掲載した日にちを確認すると2008年7月21日とわかりました。そして最初の記事を見て驚きです。と言うのは、文字数を確認すると150字程度のコラムでした。7月21日の次のコラムが7月28日でその次が8月10日で次が9月1日で次が9月7日で、その次は何と12月5日でその次は年が明けた1月6日でその次は何と何と4月5日なのであります。その事実を確認して「その頃の私はコラムと言うものを何だと思っていたのだ。」と自分自身の事ながらびっくりしてしまいました。『150字』と言う文字数は今のコラムの10分の1程度なのです。しかも、月に1回書くか書かないかと言う状況の時と比べると『雲泥の差』です。ただし、今の私は1500字程度書くのが当たり前になっていますが、「少し長すぎるかな。もっと端的な書き方をしなければいけない。」と思うのですが、植木等さんの歌ではありませんが「わかっちゃいるけどやめられない」と言う状況なのであります。どうして長い文章になるのかと言うとコラムを書いている時に次から次と頭に浮かぶことを書いている内に長くなってしまうのです。時間が無い時などは「適当に書こう」と思って書き出すのですが、いつの間にか長くなってしまうのです。

本日は何となくコラムの起源を書いただけで留めますのでいつもよりは短いのにしましたが、明日は本日の午前中の会議の様子と和合で実施された避難訓練について書く予定ですので長~くなが~くなると思いますのでリピーターの皆さん「覚悟なされませ」

6月の予定を立ててみました。

令和6年6月3日

5月、6月は総会等が計画されている事が多くあり、和合の施設で午前にいた時はお参りを、午後にいる時はカラオケを計画して組んでいるのですが、休みなく組んでいてもお参りが11回でカラオケも11回しか組めなくて、3フロアに割り振るとお参りもカラオケも3回もしくは4回しか組めないのです。と言う事は、各フロアでの私の企画は月に各フロアでは7回程度と言う事になります。7月になれば総会や会議は少なくなると思うので、もう少しは回数を増やす事が出来るのではないかと考えています。ちなみに明日の予定は、午前中は岐阜県庁20階の会議室で『防災ネットワーク会議』があり、午後は和合の施設で避難訓練があります。明後日は午前中が岐阜県福祉会館で岐阜県社会福祉協議会理事会があり、午後は岐阜労働局に移動して『就職氷河期プラットホーム』の会議があります。どの会議も岐阜県老施協会長としての役割としてしっかりと頑張りたいと考えています。

6月8日は社会福祉法人杉和会の評議員会があり、評議員会終了後には理事、評議員、監事、第三者委員の方々との懇親会もあります。懇親会についてはコロナ感染症への対策の一貫で4年ぶりの開催ですが、幹部職員も参加して法人役員との情報共有をしっかりして、より良い方向に法人の運営が出来るように配慮していきたいと考えています。色んな対応がありますが頭の切り替えをしてしっかりと対応していきたいと考えています。今は16時20分。体調を整えるために肩がかんかんなので、16時30分からマッサージを受けてきます。リピーターの皆さん、健康管理も理事長として大切な事だと考えているので・・・。

『自分の事は自分でしなさい。』は日本の現在社会においては死語となってしまったのか

令和6年6月2日

今朝の岐阜新聞朝刊に、就職紹介業者に就職側の学生が依頼してマッチングさせるケースが増えてきた事によりトラブルが増えている。との記事でした。トラブルのケースの中には「契約するまで説明を止めない。」とか「自分が就職したくない所に無理やりマッチングさせられた。」と言うものが紹介されていました。私に言わせたら「自分の事なのに他人事の様な言い方」「自分の大切な将来を他人に任せて上手くいくのか。」と言う事です。そう言えば、ちょっと前には『退職届斡旋業』なるものが存在すると言う記事もありました。

この様な現象はどうして起きるのか。もちろん、その様な需要があるから存在するのでしょうが、『自分の事は自分でしなさい。』が死語の様になってしまっていることに、今更ながら愕然とします。とは言え私は『田舎のおぼっちゃま』だったので、母秋江さん、父進さん、姉光子さん、そしてもう一人の姉春子さんにおんぶに抱っこの生活をしていたのは事実ですが、『自己責任』の意識が強烈に芽生えたのは、40歳の時に高齢者施設の計画を立てた時に、土地提供者の交渉を身内の方にお願いして失敗した時からです。その時の経験から何をするのも自分自身で折衝する様になりました。確かにすべての事をするには限界がありますから、今はブレーンに委ねる事はありますが、その分『報告・連絡・相談』を密に行う様に心掛けています。

関ケ原町は7000人弱の人口しかない小さな町ですが『50-80問題』は間違いなくあります。もちろん、その問題を全て本人だけの問題だとは思いませんが、問題を我が事と考えなかった結果だと思います。そう言えば私が大学の非常勤講師をしている時にもありました。それは、学生達との飲み会をしている時に、聞くとは無しに聞いた電話での母子との会話です。「ママ、先生や友達から、もっと飲めと言われているんだけれど、もっと飲んで良いかな」というもので、その学生は電話を切った後は飲まなかったので、母親から飲まないようにと言われたのだと思いました。その時私は「自分が飲みたいと思ったら飲んだら良いのに」と思った次第です。他人に委ねる人生は如何なものかと思うのですが、リピーターの皆さんはどの様に思われますか。出来たらコメントを下さい。

10時30分から和合1階でお参りをしました。

令和6年6月1日

時間になってお参りグッズをゴロゴロ押しながら1階のフロアに行くと、既に皆さんが集まってみえて、尚且つ私の顔を確認すると拍手まで頂いたので、恐縮しながらも「今日はお参りです。カラオケではありませ~ん。」と元気よく言ってお参りをする位置まで行くと、職員が経本と数珠を配ってくれている間にお話ししながらお参りの準備をしていて、準備が出来た段階で「大きな声で唱える競争をしましょう。」と言うと間髪入れずに入居者の方から「お経は競争してするものではありません。」とぴしっと言われたので、多少動揺しながらも「確かにそうですね、かけっこで競争するのとは違いますから」と切り返してから、私が着ているめっちゃ派手なシャツを見て貰いながら「今日は渋めのシャツを着てきました。」と言うと入居者から「派手な服やがね」と正直な感想で言われてしまい、この時の切り返しは出来なくて・・・。「はい、それでは正信偈から始めます。」と言って声を限りにお経を唱えました。

正信偈と般若心経を終えてからお話をさせて貰った時の話をします。先ずは昨日の腸の検査はめちゃくちゃ痛くて脂汗をかいてしまったのですが、ポリープは1つあったのですが綺麗に取って頂き、終了後に検査をして頂いた先生から「5年間は特別な事が無い限り、腸については大丈夫です。」と言われて痛い思いをしましたがほっとしています。

次に最近聞いた話なのですが、時代が変わると常識が変わるとの話をします。それは、孫とおじいさんの会話で猫の餌の話で孫が「猫の餌では『チュール』が喜んで食べる。」と話したらおじいさんは「猫に餌などやった事が無い。」と話が合わないのだとの話でした。つまり、おじいさんの時代は家にはネズミが一杯いて、猫を飼うと言う事は猫がネズミを食べるので餌をあげる必要がなかったと言う事なのです。私は猫がネズミを食べていた時代を知っていますし、入居者の方の殆どの方も「確かにそうだった」と頷いて「今はネズミを見かけんな」との話で盛り上がりました。

お参りやカラオケでフロアに行くと、この様な会話があり楽しいです。ちなみに午後からは2階でカラオケなので入居者の皆さんと楽しみます。リピーターの皆さん、優・悠・邑 和合も楽しくやっています。コロナで全面開放は出来ませんが、またいずれは来て頂ければと思っています。

先週に引き続きの人間ドックです。

本日は大腸の検査をして貰う為にモビプレップと言う経口腸管洗浄剤を1リットル或いは2リットルをドーンと飲むように指示を受けたので10分毎にスマホでタイマーをセットしてスマホでコラムを打ちながら律儀に飲むことにしています。

なかなかお腹に反応が無くて看護師さんにその事を言うと「少し体を動かして下さい。」と言われたので、目的なくさまよっていたら元の所に戻れなくなり、職員さんに「すみません決して認知症では無いのですが戻りたい所に戻れない」と話していると最初に対応して下さった看護師さんが「どうされましたか」と聞かれたので正直に話すとその看護師さんから「建物が新しくなったばかりで私もよくわからなくなります。」と言って案内して貰いました。

(ドアを1つ間違えただけなのですが、わからなくなるとパニックになるものなのであります。)

飲みにくい経口腸管洗浄剤の5回目を飲みましたが殆ど腸の方の反応がみられず少し苛立っています。散歩の様に徘徊するのも限界があるし・・・。1リットルの洗浄剤と水500CCを飲んだ段階で看護師さんが様子を見にみえたのですが「まだまだです。」と言うと、「あと0.5リットルの洗浄剤と水205CCを飲んで下さい。」と言われたので「それだけ飲んだら大丈夫なんですね。」と看護師さんに確認すると「それで大丈夫です」と言われたので頑張って飲みました。

看護師さんの言われた事は理に叶っていたようで、1.5リットルを飲んだ段階で腸の方は綺麗になった様で、「それでは検査の準備をします。」と言われて、しばらくすると検査室に案内されました。前回の胃カメラでお世話になった私と同じ苗字の『若山先生』で、前回の対応が良かったので安心して検査に挑む事が出来ました。

順調にいくかと思っていたのですが前回の検査の時よりは難航して、何度か唸ってしまいました。先生から「ポリープが1つ見つかりましたので切除します。」と言われて少し緊張しましたが、ポリープも簡単に切除してくださり何とか無事に検査が終わり検査着から私服に着替えて待合に行くと直ぐに先ほど検査して頂いた若山先生から写真を見せながら説明をして頂きました。

「ポリープは綺麗に取れたし、その他の所は綺麗なものです。今後、特別な事がない限り5年先まではこの検査をする必要は無いですよ。」と言われたので安心した次第です。

血液検査等の結果は今後に説明して貰う事になりますが、取り敢えず安心して車に戻ると急にお腹が空いてきたので、「ご褒美として好きなものを食べることにしよう」と言うことで本部施設に行く前にバローの魚屋さんが握ったお寿司を買って帰り、遅い昼食を食べたらますますほっとしたので、明日からは1段ギアを上げて行きますのでリピーターの皆さん益々の応援宜しくお願い致します。

 

昨日無事に岐阜県老施協社員総会が行われました

総会受付が13時からだったので、12時20分に6階にある老施協事務局事務所に行くと鍵が閉まっていたので「既に事務局の方は会場準備に行かれているのか」と言う事で会場である2階に行くと準備万端整っていたので事務局長との打ち合わせをしたり、賛助会員の企業の方が何社か来て見えたので挨拶をしたりしていると理事の方が順次会場に入ってみえたので挨拶や打ち合わせをしていると会員の方も続々入ってみえ、ここでも挨拶をして13時25分になった段階で自分の席に着き会場を見渡すと70人近くの参加(委任状の方もありましたが)がありコロナ禍では出来なかった時とは違いリアル開催が出来ていることを嬉しく思いました。

13時30分定刻に大村副会長から開会宣言がされ、最初に会長である私が挨拶をして、次に全国老施協大山会長、園田常任理事にリモートで挨拶をして頂き、健康福祉場関谷次長には会場で挨拶をして頂きました。その後渡辺参議院議員の祝電披露の後、林副会長が議長に任命され、令和5年度の事業及び収支決算の説明後議案の承認がされて、円滑に総会は終了して、講演会の為に配置転換の為10分の休憩後に全国老施協の瀬戸副会長による講演でしっかり90分、介護報酬改正に伴う説明をして貰いました。瀬戸副会長が施設長をされているところの資料提供もして頂けたので非常に参考になると共に当法人事業所においてこれからやらなければいけないことの整理が出来て有意義な内容でした。

講演会終了後は折角の機会なので瀬戸副会長を盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』にお連れして施設見学をして頂き、その後瀬戸副会長を囲んでの役員との懇親会に挑みました。懇親会場では講演では聞くことが出来なかった副会長としての苦労話や30年前に福祉新聞の記者をされていた時の話も聞けたのでこれまた有意義でした。私は色んな機会を通してネットワーク作りが出来ることは有難いことだと思っています。明日は人間ドック2日目で大腸の検査があり、お腹をいじめる事になるのは嫌ですが、健康維持の為には大切な事なので頑張ります。だって前立腺がんは人間ドックによって早期発見出来たのでがんを克服出来たのだから。リピーターの皆さん、健康にはお互いに留意しましょう。

私の生き方を検証してみました

本日は岐阜県老施協の総会及び記念講演会があり、会が終了後は講師を勤めて下さる全国老施協瀬戸副会長と岐阜県老施協役員との懇親会があるので、コラムを書く時間は午前中しかないと考えて、いつものお墓参りを終え、シャワーを浴び、朝食を食べた後(昨夜の夕食の残りではありますが朝カレーです。)スマホと睨めっこしながらコラムを書いています。

さて、本題に入ります。昨日一昨日と若いころのハチャメチャは生き方について語りましたが、その時に思った事を素直に書くことにします。私は生母秋絵に溺愛をされ、守られ続けの幼少期でした。そして中1の時に溺愛してくれた母秋絵が他界する前にいった「蒔かぬ種は生えぬ」を常に念頭においた事を展開してきたつもりです。そんな生き方の中、振り返ってみると「我が事の様に色んな展開をする」事によって「相手の身になって」と言う事が出来たのだと思います。つまり、相手の身になって一生懸命な展開している中で実は自分自身が成長してきたと言う事です。

例えば高校受験も大学受験もなんら努力をしないでいて、気が付いたら児童養護施設の指導員になったものの中学生の学習指導をする学力がなくて、「中学生に教える為に」と言う事で必死に元同僚の先生に数学と理科を、その奥さんに英語を教えて頂いて結果的には自分の自信になったり、「関ヶ原町の高齢者施策の一助になりたい。」と言う事で特別養護老人ホーム優・悠・邑を設立して地域の為になったり、和合に施設を建設した時は西濃地区に低所得者の方でも入居出来る施設をとの思いで、また、盲養護老人ホームを建設したときは、「富山県、岐阜県、鳥取県、沖縄県に盲養護老人ホームがない現実はダメだ」との思いでした。結果的に自分の欲得ではなくて展開してきたから今があると。もちろん自分だけの力では無く多くの方の色んな支援を頂いたからこそ今があるのは言うまでもありませんが。

福祉の『福』にも『祉』にも『示(しめす)辺』があります。この『示』は「全ての人が幸せになる」と言う思いがあります。私は一生懸命の生き方の中で『慈悲の心』を得ることが出來たのだとすると私は本当に幸せな生き方をさせて頂いているのだとつくづく思ったしだいです。

どっぷり浸かる事になった児童養護施設での出会い

 

 

教員を辞めて父進さんに勘当の形で今須を追われ、それを良いことにして旧徳山村で好き勝手な生活をしている時に、わざわざ旧徳山村まで来て下さって児童養護施設を紹介して下さった方があり、(その当時中学校の校長先生で児童養護施設を経営されている理事長の娘婿)「遠い所を来て頂いて紹介して頂いて採用して頂けたけど、私が好んで選んだ仕事では無いので年明けの3月で辞めて進むべき道に行こう。」等と生意気な事を考えていたのです。そして実際に仕事をしていく中で、就業条件は14時~22時までで、夕食までの時間は小学3年生から6年生が小学校から帰って来てから順次宿題等の勉強をみる。夕食については中学生が準備したものを小学生から高校生までと一緒に食べる。夕食終了後は中学生の勉強をみる。勤務については、基本的には月曜から金曜日までの勤務で土日が休み。しかも、22時になったら直属の上司である理事長の息子さんが「先生ご苦労様でした。」と挨拶にみえるので私はまるで専従の家庭教師と錯覚するような状態でした。しかも、小学生はかわいく慕ってくれるのですが、中学生は何も教えてくれとも言わないので中学生が座って勉強しているのを熊の様にぐるぐる歩き回っていたのです。そんな状況の中3日目に初めて教えてくれと手を挙げてくれたのが当時1年生だった女子です。張り切って教えようとしたのですが、数学の問題が解けなくて教えられる状況でなくて、かつての同僚の数学の先生に泣きついて指導を仰ぎ、それからの半年間はその先生の所に日参しては中学生に教える綱渡りの様な毎日になりました。ここで、自分自身が学ぶことの大切さを学んだ様におもいます。そして、中学生と一緒に学習指導に取り組む中でその当時中学2年生の男子が小学年生の子が置いて行った算数の計算プリントに取り組んでいるのを注意しようとして、回答が全く違っているのに衝撃を受け、その中学生に少なくても中学を卒業するまでに読み書き算盤は出来るようにしたいとの思いから、その時は父進さんに生まれて初めて頭を下げてアドバイスを受けその当時の支援学校の誠意性を紹介して貰い指導を仰ぎ、自分なりの計画と独自のプリント作成をしてその中学生と格闘しました。成果を上げていくと自分自身にモチベーションがあがり、派生効果的に指導にのめり込み13年もの年月を過ごしました。自分で決めた事を実践できる喜びで、オーバーワークを全く苦になりませんでした。リピーターの皆さん人生はわからないものですね。

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