日曜劇場が面白い

令和6年2月7日

「VIVANNT」の大ヒットの番組から毎週日曜日の番組は録画予約をしてあって、疲れて寝てしまっても大丈夫な体制を取っていたのですが、現在放映している「さよならマエストロ~父と私のアパシオナート」と言う長いタイトルと私にとって聞きなれない言葉に、「格好をつけた番組に興味はない。」と決めつけて録画はしてあったのですが見ていなかったのですが、たまたま時間があり、再生してみたら私的に面白かったので4日放送分まで見ました。

そうなると11日の放送が楽しみになっています。本日は和合の施設で10時30分から1階でお参りを、12時40分からは先般フォーラムホテルでの懇親会で隣になった方が施設見学にきて下さり、その後13時30分からは2階のフロアでカラオケを実施して、終了後は本部施設で決済があったので本部施設に行き、その後は時間が空いたので日曜劇場のタイトルをインターネットで調べながらコラムを書く事にしました。先ずは「マエストロ」は「巨匠や大音楽家、指揮者など音楽・芸術分野において指導的立場の人や名人」との記載がありました。これについては番組の中でも主人公の事を「マエストロ」と呼んでいたので「多分、指揮者の事だろう。」とは思っていたので納得したのですが、「アパッシオナート」については「熱情的」との意味が書いてあったので余計に理解出来なくなりました。

と言う事は「番組をしっかり見て情熱的の意味を理解するしかないな」と思った次第です。今まで4回目まで録画で見たのですがここまでのところ、「どうして娘が父親をあれほど嫌っているのかがわからないのです。」ところどころで「5年前の出来事が原因だ」と言う事までは理解出来るのですが、その実態は蚊帳の中で分からないのです。多分5年前の出来事が起きるまでは父親の言う通りの優等生の天才バイオリン奏者だったのでは無いかと思っているのですがあくまで私の憶測です。VIVANNTでは毎回毎回予測不能の事ばかりだったのが心地よかったので、この番組もその様な展開であって欲しいと思っています。今は録画技術が進んで番組を見損なっても或いは興味あるものを何度も見る事が出来るのは嬉しいです。

私が中学生の時(57年前)に勉強が出来る女子生徒の中には自分で見る事が出来ない時に番組の話について行けないといけないと言う事で母親に見て貰い、ポイントを教えて貰うと言う離れ業のような事をしているのがいたな。その子は今は極普通の主婦になっていますが。ところで私は母親大事にされていたのでテレビの優先権を持っていたので、見たい番組を見逃す事は無かったように思います。リピーターの皆さん今日は気楽なコラムになってしまいましたがこんな日もあっても良いのでは無いかと思っています。

 

小噺を一席

令和6年2月6日

昨日無事に石川県能登町の派遣から帰って来たチームが借りていたレンタカーを(10人乗りのハイエース)、午前中に返しに行かなければいけなくて、レンタカーの店の近くがいつも私のガソリンを入れているセルフの店と言う事で行ったのです。

さてさて、ガソリンスタンドはいつもの所ですからスムーズに入ったのですが、車はいつものと違うので先ずは給油口の開け方がわからず戸惑いながら何とか運転席の周りにあるのをみつけてクリア。次が難問でした。給油口が空き給油キャップを開けようとしたのですが、右に回しても左に回しても開かないのです。そこで、車を返却した後本部施設に戻る為に私を乗せてくれる為に付いてきてくれた水野施設長がお店の中に入り女性店員を呼んで来てくれたのですが、その時にその女性店員が私を見るなり「何だ、男の方なの」と言われたので私は思わず心の中で「はいはい男の私が出来なくて悪うございましたね。」と思っているとオイルキャップを簡単に開けられたので、今度は私が「お姉さん、凄い力何だね。」と言うとお姉さんは「そんな事は有りませんよ。少しコツがいるんです。」と言われたので、私は今更ながら「今は男とか女とか関係ありませ~ん」と大きな声で言いたいところでした。(小噺になっていなかったですか。)

本日13時30分から労働局や法務局が入っている岐阜市の合同庁舎で会議が有るので、お昼ご飯を12時前に食べたのですが、出掛ける直前にばたばたと対応しなければいけない事が出来、気が付けば12時40分。と言う事で急遽関ケ原インターから高速に乗り大野・神戸インターまで走ったので時間が稼げたので会議が始まる直前に合同庁舎5階の会議室に入る事が出来ました。討議内容は「氷河期時代の方に対する就職支援」と言う事で労働局、ハローワーク、岐阜県商工労働部、県社協人材センター等のメンバーが集まっての会議でした。この会議に参加させて頂き「働きたいのに働けない方と、働き手を求めている側とのマッチングがいっていない現状があるな。」と思いました。また、無業の方が岐阜県にどの位おみえになるのかの実体は、国の人口比率での基準で割り出している現状に対して「申告主義の不充分性」について指摘させて頂きました。つまり最近よく耳にする言葉で「80―50問題」「90-60問題」です。80歳を超えて要介護状態になったりゴミ屋敷状態になり50歳、60歳の方が引き籠っている事が顕在化してくると言う問題。つまり、実態を明らかにして対応すべきと言う事もしっかり意見を言わせて頂きました。

15時前に会議が終了して、本部施設に帰る前に介護労働安定センターが合同庁舎近くにあるので寄らせて頂き、突然の訪問だったのですが支所長さんと結構な時間意見交換をして、本部施設に帰るとロボット・ICTの工事の打ち合わせをしていたので挨拶と最終的な工事日程の確認をして、今は18時40分でようやくコラムも完成しました。毎日色んな事があるのでコラムの題材には苦労しませんのでこれからも頑張ってコラムを書きますので、リピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

 

昨日の花魁道中の余波・・・。

令和6年2月5日

本日10時から岐阜県老施協常任理事会が開かれるので、昨日の花魁道中の写真と聖はじめ一座のパンフレットを準備して会に挑みました。また、移動中に姉の春子さんに(久々の登場です。)電話して昨日のコラムの感想等を聞くと、「よくあそこまでやれるな。」との感想だったので、私は「入居者さん利用者さんの為なら、例え火の中水の中で頑張ります。」と話をしてから、「私の花魁の時の写真は、誰かに似て無いか」と改めて聞くと春子さんの見解は「春吉おじいさんにそっくりだと思います。」との見解に私は正直がっかりしながら「秋江さんの面影はないか」と言うとまたまた「春吉爺さんにそっくりなの」とダメ出しをされたので、少しがっかりしながら「秋江さんは春吉爺さんの娘だから面影は有るはず。」と言って電話を切りました。正直、春子さんは父進さんに似ていると言われていたので、私が秋江さんに似ている事に嫉妬しているのかな・・・。

12時前に理事会が終わり、事前に準備した写真とパンフレットを出す前に事務局の方で昨日の私のコラムに掲載されていた写真を大きく映し出してくれて、昨日の花魁道中の話がし易くなり、ひとしきり昨日の話題で盛り上がりました。聖はじめ一座の内容は聖はじめさん自体プロの歌手であり、もう1人の女性の方もプロの歌手であり、ベリーダンスの女性のかたもプロであり、唯一花魁の2人はプロではありませんが、見る限りは花魁そのもの。この総勢5人の方が入れ替わり衣装を変えて登場されて花魁道中も入れて1時間30分たっぷりとして頂いたのですが、最後のアンコールによる「ふるさと」まで入居者さん利用者さんはしっかり楽しまれました。当然ながらプロの方がたですから多少の出演料はいりますが、私はあれだけ入居者さん利用者さんが楽しんで貰えたので私的には「お値打ち」と考えて、「他の施設でも楽しんで貰えたら」との思いで写真とパンフレットを持参したわけです。役員の方々はそれぞれに興味を示して下さり、「若山会長に言ったら手配して貰えますか」と聞かれたので「それでも構いませんが、聖はじめさんの携帯番号を教えても良いと了解を頂いているので教えます。」と番号を言うと、皆さんしっかりメモして下さいました。役員の中にはイベントの時にお願いしたい。との意見も出ました。私は今までにも良いご縁を頂いた時には出し惜しみなく紹介してきたのですがこのスタンスはこれからも続けていきたいと考えています。

 

今は12時20分で未知の世界にドキドキです・・・。

令和6年2月4日

11時25分、聖一座のメンバー2人がみえて、会議室にご案内をすると黙々と化粧に取り掛かられて、11時40分に座長である聖はじめさんがみえて、しばらくしてから打ち合わせをさせて頂きました。その時に聖はじめさんから「理事長のお化粧は13時からにしましょう。」と言われてから「本当に花魁の姿になるのか。」と高揚感が高まりました。(直ぐに、その気になるスイッチが入るのは自画自賛です。)私の出番は企画の中盤で花魁道中の時に恐れ多くも花魁の中心になるとの打ち合わせに若干の動揺はありますが堂々とやり切りたいと考えています。

その為には「成り切る事」が肝要だとも考えています。リピーターの皆さんにお断りですが私は決して「目立ちたい」のではなくて、入居者さん利用者さんに喜んで貰いたいからです。昔から言いますよね「笑う門には福来る」と。私の想いに賛同してくれた男子職員2人がドレスを着て参加してくれるとの事で嬉しい限りです。13時から化粧に取り掛かる前にカツラが上手く被れる様に頭にテープを巻いて貰うのですが結構きつく巻かれるのです。そして化粧をして貰うのですが、本格的な化粧は初めてなのでやって頂く一つひとつが新鮮でドキドキしたものです。

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化粧の後は着物を着付けて貰い正直「重い」と思いました。13時40分に開始するので「いよいよ出番だ。でもまだカツラを被っていない。」と焦ったので聖座長に聞くと「開始して30分後に出番ですよ。」と言われて「これから30分待つのか」と思った次第です。30分の間に聖さんの歌に合わせて本格的な花魁2人が踊られたり、ベリーダンスに合わせてプロの歌手が歌われたりと入れ替わり立ち代わり衣装を替えて披露されるのを控室になっている会議室で感心しながら見ていました。

私が中心になっての花魁道中が近づいてきて座長にカツラをつけて貰いました。改めて「カツラは重い。」と思いました。着物を引きずっての花魁道中で歩くのは大変でしたが何とか中央まで進む事が出来て予定には無いご挨拶をさせて頂きました。当然私の第一声は「私綺麗ですか」から始めました。その時入居者さん利用者さんが大きく手を叩いて下さったので、改めて入居者さん利用者さんの優しさと頓智の上手さを感じました。その後もショーが続き、最後に出演者全員を座長さんが紹介される時に私の事を「ひろ奴姉さん」との紹介で会場が盛り上がって下さったのも有難かったです。

その後アンコールコールがあり、皆さんで童謡唱歌である「ふるさと」を合唱したのですが私は入居者さん利用者さんの席に行き一人ひとりに挨拶をして回ると「理事長さん綺麗やよ」との声に頓智の効く入居者さん利用者さんが多くみえて有難いと思った次第です。これからも素敵な笑顔でいて頂く為に頑張っていきたいと思います。でも、終わっての感想は良かったと言う事ですが正直疲れました。

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朝起きようとしたら・・・。

朝起きようとしたら身体中が鉛の様に重いのです。腰辺りは鉄の腹巻きをしているようで、足は鉄の鎖を付けているようで、頭もヘッドギアをしているように重いし、とにかく最悪でした。「何でだろう」と考えていてふと思い当たるのは1月24日に関ヶ原を中心に襲ったゲリラ雪で当日は2時間近くかかって和合の施設に行き、本部施設が心配だからと12時30分に和合の施設を出て渋滞に巻き込まれては道を変えて最終的には本部施設どころか家にも着かずに結局17時30分に和合の施設に戻り、和合の施設に泊まり、次の日には朝6時に目覚めて施設の玄関先の雪をどけ、「我が家の雪もどけなければ」との思いで和合の施設を15時30分に出て我が家の屋根から落ちた(例年の雪とは違い早くに屋根から落ちました。)重い雪を川に捨てる作業をして、翌日も家の前の道路を拡げる為(車がすれ違いが出来る様に)雪解けをしたのです。

24日は雪の中をトータル7時間運転して、25日と26日には雪解けをしたのが今になって体の変調になっているとしたら無理をしてから1週間が経過していると言う事ですからトホホの話しです。だって若い時には体にダメージがあった時は直ぐに体が痛くなると言うから。1週間後の変調は正に「歳・年・とし・トシ」と言う事でしょ。

明日は私自身が花魁にならなければいけないのに大丈夫なのかと一抹の不安があります。と言うのは、昨年の暮れにかつらあわせをした時に頭がフラフラする位にかつらが重かったし、その時にかつらあわせをして下さった聖はじめさんの話では「まだまた飾り物を付けるのでまだまだ重くなりますよ。」との事だったし。

少し話がずれますがお付き合いで会食をしたときなどは苦手な食べ物が出た時にも美味しそうに食べながら呑み込む芸当が出来るのです。その真骨頂が私よりはるかに格上の方達とフランスに行った時に「若山さんエスカルゴ美味しいから食べなさい。」と言われて目の前に出てきたのはどう見てもカタツムリです。私は唾を一杯溜めて飲み込んだのを今も鮮明に覚えています。何が言いたいかと言うとそんな時には嫌な顔をしない対応が出来ると言う事です。だから、きっと明日は重いかつらも衣装もしっかり着てお化粧もバッチリして貰う事になると思います。そして、入居者さんの驚きと笑顔が見られる事を今から楽しみにしています。

2月は和合でのお参りとカラオケを頑張ります。

2月は和合でのお参りとカラオケを頑張ります。

 

2月は和合での入居者さんとの接点をより密にする為に昨日、私の予定が入っていない時に、午前10時30分からの時間が空いている時にはお参りを、午後1時30分からの時間が空いている時にはカラオケの予定を3フロアあるのでバランスよく入れてみました。その結果はお参りが11回、カラオケが10回入れ込むことが出来ました。そして昨日の今日で本日は午前10時30分からは2階のフロアでお参りを、午後1時30分からは3階のフロアでカラオケを実施する事が出来ました。午前10時30分からのお参りの為に時間より少し前に理事長室に置いてあるお参りセット(阿弥陀様も一緒です。)をゴロゴロと引いて行くと既に入居者さんは集まって頂いていたので、正信偈の経本を一人ひとりに「よろしくお願いいたします。」と言いながら配らせて貰い、導師役をさせて貰う事にして「お腹一杯の声を出してお願いします。」と言って正信偈を唱えさせて頂き、御文さんも読ませて頂きました。皆さんに「腹一杯」と言ったので私も精一杯の声で唱えさせて頂きました。入居者さんの多くの方が私と一緒に唱えて下さいました。その後、般若心経を中心にした四国遍路で覚えたお経を一心不乱に唱えてから少し私自身のお話をさせて頂きました。その話は私の生い立ちから四国遍路に参加させて頂いて今があるとの話です。入居者の皆さんは私の話にも一生懸命に耳を傾けて下さいました。お参りを終えて事務所に戻り入居者が食べられる普通食を頂きました。入居者さんと同じものを食べさせて頂くのは入居者さんとの話題作りにもなります。

13時30分からのカラオケに3階へ上がって行くと3階の入居者さんは私が来るのを楽しみにされていたようで、一様に笑顔で迎えて下さいました。最初の曲は皆さんお馴染みの水戸黄門のオープニング曲である『ああ人生に涙あり』を歌わせて貰ったら「水戸黄門は大好きで毎日見とるよ。時代劇は大好き」と言われる方があったので「水戸黄門も面白いですが私は暴れん坊将軍が好きです。」と返すと「私も見とるよ」と返ってきました。改めてコミュニケーションには同一の話題が必要だと思った次第です。その後も入居者さんが好まれるであろう曲を4曲歌わせて貰うと「私も歌いたい」との声が聞こえてきたので、早速曲目を教えて貰い歌って頂きました。一人歌われると4人の入居者さんが次々とエントリーをして下さり、私と交代交代で歌って貰い、締めの歌だけは山崎ていじの「浜防風」を歌わせて貰い、1時間15分の時間を楽しむ事が出来ました。締めの挨拶をすると「また来てね」の声が上がったので、私のモチベーションはしっかりあがりました。

カラオケ終了後は16時から『全国介護福祉政治連盟』の事務局会議がリモートで行われるので急いで本部施設に行き会議に挑みました。会議は17時30分に終了したのですが、会議中に5件の電話があったので折り返しの連絡をしてからコラムを今(19時)書き終えました。自分で言うのも変ですが本日も充実した1日でした。

生々しい話を聞きました。

令和6年2月1日

本日15時から、全国老施協東海北陸ブロック緊急会長会議がリモートで実施されました。議題は「石川県能登地方を襲った地震の影響による災害支援」で今回が3回目の会議だったのですが、被災から1カ月が経過して状況が分かってきた事と、派遣が具体的に行われている事と、義援金についてが主だった内容でした。その中でもブロック会長である愛知県の太田会長の挨拶の後、能登町の施設で被災に会われた紙谷副会長の具体的な話は、身につまされるものがありました。

その中でも強調されたのは、「当施設では元旦とは言え通常業務であったのが幸いしました。そして地震が発生したのが16時10分と言う事で職員も多くいたのも幸いしました。」と言われた後「職員の家も何らかの被害が無い者は一人もいない中で、1カ月が経過しても自前の職員だけで頑張っています。」との話をされました。当然紙谷副会長自身のご自宅も何らかの影響を受けられていると思いますが、紙谷副会長の冒頭の挨拶が「皆さん元気ですか。私は元気です。」と言われたのには驚きと共に、強靭な精神力をお持ちなのだと思った次第です。

「1回目の地震で廊下にある戸をしっかり握りしめていると、2回目の揺れは大きくど~んときて、これはただ事ではないと思いました。」と。「とにかく3階建てのしっかりとした施設であってもより安全な所へとの思いで、職員みんなで1階にエレベーターも使えない中誘導しました。年に2回実施している避難訓練をしっかり出来ていた事も幸いしました。」また「2年前に購入した3台の自家発電機が大いに役にたち、1日2回だった食事も3回にする事が出来ました。」との話しには当法人の施設でも大いに参考にしていかなければいけないと思った次第です。また、職員の団結力も素晴らしいものがあればこそです。

『ローマは一日にして成らず』なので、私も改めて一歩一歩頑張って行こうと強く思いました。今日の会議でまだまだ被災地でのご苦労は続くと思いました。と言う事は支援もまだまだ必要です。私は会議が終了後、支援の輪が広がる為に何をすべきかを考え、必要な方に連絡を取り私の考えを伝えました。

明日(2月1日)から第4陣が出発します。

令和6年1月31日

1月22日から第1陣は珠洲市に、第2陣は輪島市に盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)』の施設がある垂井町を出発して、1月27日から第3陣は金沢市に『養護老人ホーム和光園』がある飛騨市を出発しました。第1陣と第2陣は1月26日に無事に帰って来て、第3陣は明日帰って来る予定です。そして明日は第4陣が当法人本部施設『優・悠・邑』がある関ケ原町を8時に出発します。介護施設はどこも人材不足の悩みを抱えながら、しかも、インフルエンザやコロナウイルス感染症に罹患した職員や家族がいる中でも、「石川県能登地方を襲った未曾有の被害の中なので、何とか協力したい。」との思いの結果、岐阜県老施協として第4陣までで18人の派遣が出来ている事は会員施設の協力があったればこそと感謝しています。本日は午前中に岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会があり、午後からも研修があると言う事でしたが、午後からはリモートではありますが職員採用面談があるので、本部施設に帰って来て、その対応をして、面接を中抜けして中部電力保安協会の打ち合わせを終えてから、明日の派遣団が乗っていくレンタカー(荷物も沢山あるので10人乗り)を明日が早いので取りに行き、明日バタバタするのはいけないので寝袋や衛生用品や食料品等々を積み終わって、今は18時37分ですがようやく落ち着いてコラムを本部施設のパソコンで打っています。私が石川県の支援に行っても足手まといになるばかりだと思います。であれば下支えの仕事をさせて貰い、支援隊の方々に出来るだけ不便を掛けない様にすることが私に出来る精一杯の事だと思っています。今後も「出来る事・出来るだけ」の信念のもと出来る事を精一杯頑張っていきますのでリピーターの皆さんエールを送って下さい。そう言えば2月4日は『聖はじめ一座』が本部施設に来て楽しい時間を繰り広げてくれる時に言葉を選ばずに言うならば「どさくさに交じって」私が花魁になる日もいよいよカウントダウンに入って来ました。ワクワクする間も無く2月4日がやってくるのは少し残念ですが当日カツラを被り、化粧をして貰い、衣装を着付けて貰う時間にワクワクします。リピーターの皆さん「乞う、ご期待」

本日10時から本部施設で入札2本が執行されました。

令和6年1月30日

入札を行ったのは本部施設と和合の施設のロボット・ICTの入札です。昭和おじさんの私にとっては苦手な分野になるのですが、今後はより一層業務の効率化を求められる事は明白で、岐阜県を通じての補助金も頂けると言う事もあり実施しました。無事に入札が成立したので、4月からの運用が出来る様に工事をして頂く業者さんと施設側が上手く連携を図り円滑に出来る様にしていきたいと考えています。

ロボット・ICTの世界も日進月歩をしており、職員が使いこなせる体制を確立して業務の効率化を図っていきたい。私は職員がモチベーション高く仕事をしていく為には余裕を持った対応が必要だと考えています。その為に理事長として出来る事を精一杯にしていかなければいけないと本日の入札執行を終えてしみじみ思っています。

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本日は春の様な陽気ですが、国道21号線から本部施設に行く為の道を走っていると、両サイドに広がっている田圃には「まだまだ融けんぞ」と言わんばかりに雪があります。明後日2月1日からは石川県への派遣の第4班が当法人の本部施設を8時に出発する事になっているのですが、天気予報が雨もしくは雪だとの事で、どちらにしても寒さが戻ってくると思いますので、先程関ケ原で唯一色んなものの買い物出来る『ゲンキー』に行って温かくなる食料品を中心に買って来ました。

買い物に行く途中で銀行に立ち寄ると支店長さんが出てみえたので、「石川県の支援に入っています。」と話しかけると「理事長さんが先頭指揮で行かれるのですか」と聞かれたので「私が行ったら反って足手まといになりますので、出発するまでの準備をさせて貰っています。」と答えた次第です。22日から順次派遣出来ているのは岐阜県老施協の会員施設のご理解があったればこそなので、会員施設の方々も厳しい状況が理解されている証だとも思っています。まだまだ石川県能登地方の厳しさは続くと思いますので、より一層の支援体制が整う様に岐阜県老施協会長としてもより理解が深まる様に努めていきたいと考えています。

1月24日の雪について思う事

令和6年1月29日

あの日の雪の降り方は何だったのだろうかと思っています。「まさしくゲリラ雪」と言う事です。暖冬と言われている中で、関ケ原を中心にした局地的な雪。石川県能登地方(輪島市と珠洲市)に派遣した職員が、翌々日の26日に雪の為に帰れなくなるのではないかと心配したのですが、帰って来た隊員に聞いたところ「10㎝も降って無かった。」との報告に改めて「何で関ケ原だけなの」と思った次第です。

何故今更大雪になった24日の事をコラムに書くかと言えば「あれから1週間も経っていないのに、本日の気温は10℃以上で雪が降っていたのが嘘のよう」と言う事だからです。かつての雪は、一旦ドンと降ったらなかなか融けなくて、少しづつ少しづつ家の前の雪を川に捨てると言う作業が何日も続いたのですが、その様な作業はしなくて大丈夫。と言う事は「1月24日のドカ雪は何だったのか」と言う事です。名神高速道路ではトラックを中心にして全く動かなくて、自衛隊までが出動する事態だったと言うのに。

本日、大垣の和合の施設に行く時に我が家を出た時は、屋根にはまだまだあるな。と思いつつ関ケ原の駅前通りまで行くと、屋根の雪は半分になり、垂井まで来ると、屋根には殆ど雪は無くて家の陰にある位で、大垣の道路には全くなくて、和合の施設までいったら、北側の陰になるところにはそれなりに雪は残っていました。昼過ぎに、岐阜市下奈良にある岐阜県福祉会館に石川県への派遣についての打ち合わせに行き、車を降りたら太陽の光が温かくて「春の陽気だ」と思うとまたまた「1月24日の雪は何だったのだ。」と思いました。

打ち合わせを終えて、先般もお世話になった大垣にあるレンタカーのお店で2月1日から第4班が派遣される車の手配を終え、本部施設に戻って車を降りて感じたのは「空気がひんやりだ」と言う事で、雪の融け方は大垣や岐阜とは違うなと言う事でした。私がこんなに寒暖差を感じるのは、行動的に動いているのと私が住んでいる今須は山間地で気温が上がらないエリアだと思った次第です。但し、夏場は涼しいから、夏の事を思って今暫くは我慢我慢ですが「住めば都」と思う事にしています。だってリピーターの皆さん、私はプラス思考の人間ですから・・・。

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