知らないと言う事は不安なものです

本日は生まれて初めて銀行のATMを使って通帳の記帳と共に入金をしました。

とは言え、銀行の受付の方に「すみません。ATMでの操作をしたことが無いので教えて頂けませんか」と恥ずかしくもなく堂々と言ってATMの所まで付いてきてもらいました。

『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』と言う事で「分からない事は聞くべし」と言う事を実践しました。

本当に親切に教えて頂けましたし文字通り『百聞は一見に如かず』で、最初は教えて頂いた場所が分からずもじもじしていたら、これまた親切に指を指して教えて頂き、その後はスムーズに操作出来ました。

いつもは職員が銀行に行くタイミングで記帳をして貰っていたので、ATMの操作をすることが無かったのですが本日は頑張りました。

7月から記帳が出来ていなかったので機械が「カチャカチャ」と結構打ち込んでいたのですが、私の心の中を説明してくれている行員の方は見透かしたように「たくさんの記帳があるようですね。」と言われて「新しい通帳になるようです。」とも言われたので、私は思わず「古い通帳も出てくるのですか。」と聞くと「大丈夫です。新しい通帳の後に元の通帳も出てきますから」と言われたので「凄い機能を持っているんですね。」と言うと「段々と機能が良くなっています。」と答えて頂きました。

通帳を確認すると確かにたくさんの記帳がされていて、その確認をしている内に元の通帳も出てきました。

この経験から実際に体験してみると理解できる事が実践の中で改めて分かったので、何事も体験すべき。

その意味では「やって見せ、やらせてみながら教えていく事の大切さ」銀行のATMの操作をすることによって改めて理解しました。

小さい頃の私だったら母秋江さんから「ひろし、よう頑張ったね。」と褒められるところだったかな。

素敵なお話をします。

令和6年10月3日

昨日の和合の施設でのお話です。午前中は2階でお参りをさせて貰い、午後は3階でカラオケをさせて貰ったのですが午後のカラオケに行った時の事です。いつもだと、お参りの時にはお経の後の私の話が終わったタイミングでお茶(時には抹茶)とお菓子を準備して車椅子の膝の上にお盆にのせたお茶とお菓子を持ってきて下さる入居者さんで、カラオケの時にも私の近くで童謡を歌って下さる方がいつもだと私を待ち構える様に迎えて下さるのに、お見えにならないのです。

カラオケを始める時間になったので私の歌から初めて入居者さんの歌も入れながら「今日に限ってみえないのはどうしたのかな」と思っていたら、風呂場の戸が開いて出てみえました。「お風呂ならば仕方がないな。でも、こちらに向かわずに部屋の方に行かれてしまった。」と私は歌いながら思っていて「しばらくしたらお見えになるだろう。」と考えていたのですが、なかなか見えないので職員に誘ってくるように依頼しての職員の報告が凄いんです。と言うのは「お化粧をしてから伺います」との事。「う~ん。これこそが『今日一日楽しかったよ』の極み」と思った次第です。

ところが、なかなか見えないのです。予定の1時間まであと5分と言う時に車椅子を自分で操作しながらお見えになりました。職員も良く心得ていて、車椅子でお見えになるまでに本人からの選曲を聞いていて私が歌っている状況だったのでデンモクを操作して曲を入れてくれていて、私が歌い終わると同時に童謡『案山子』のイントロが流れてきてしっかり歌って下さいました。その後は私が最後の締めの歌として北島三郎さんの『函館の女』を気持ちよく歌わせて貰いカラオケを終了しました。リピーターの皆さんとても素敵なお話だと思いませんか

グリーフケアをご存じですか

令和6年10月2日

朝、和合の施設に行き、私の机の上に上智大学からの封書が置いてありました。早速に封を開けると『グリーフケア人材育成講座』のチラシが入っていました。わざわざ送付して頂いたのには理由があります。その理由とは、当法人の評議員の方で上智大学と関りのある方が、養成課程の学生さんの現場実習をする場所の提供の為の相談があり、協力する方向で話をしていたので、学生募集のチラシを送って貰ったのだと理解しました。そこで、改めて『グリーフケア』についての話をします。

【『グリーフケア』とは、病気、災害、事故などで大切な人やものを失った後に体験する心理的・身体的・社会的・スピルチュアルな反応を「悲嘆(グリーフ)」と呼びます。悲嘆の悲しみや苦しみをともに受け止め支援していくことを『グリーフケア』といいます。悲嘆者を癒す場が少なくなってしまっている現代において、悲嘆者の想いに耳を傾け、まるごと受け止め、寄り添う人材が求められています。】と言う事での養成課程では、貴重な学習プログラムが組まれているようです。そこで会場を提供することによって、何らかのお手伝いが出来たらと考えています。

『寄り添う』と言う事は当法人が行っている、特養・養護の入居者さんへの対応でも大切な事です。ところで『スピルチュアル』について私なりに簡単に説明するなら(恐れ多いことですが)〈目に見えない存在+精神的な話=スピルチュアル〉と言う事で、私は四国巡礼の歩き団参の時に多く体験しました。そういう意味では、私の今があるのは御大師様との出会いから始まったと言っても過言ではないと言う事なのでしょうか。

復活3日目が出来ました

「『三日坊主』と言われない様に明日も頑張ります。」

「何の話や」とリピーターの皆さんに言われそうなので何の事かを次に書きます。

(ここは一休さんばりに「慌てない、あわてない」と言う事で。

雨の日も雪の日も、もちろん晴れの日も8本のペットボトルに我が家の水を入れたリュックサックを背負って我が家のお墓まで本堂、今須稲荷、六地蔵等々に水を供え、六地蔵様では蝋燭と線香に火を点けてのお参りをするのが日課だったのですか、春先に体調を崩してから体調が良くなっても復活することが出来なくて、そんななかで7月30日からコロナ感染症で入院することになり、ずるずると行けないでいたのですが、今月28日に彦根東福寺での護摩焚き供養に参加させて頂き、「明日から朝のお参りを復活させよう」と思っていたのですが、翌朝は不思議と5時25分に目覚めた(アラームをセットしていたわけではありません。)ので、そのまま着替えと洗面を済ませてから神棚と仏壇のお水を替えてから、リュックサックを背負い金剛杖を手に持ち外に出ました。

外の爽やかな空気に包まれながら歩きました。正直、朝目覚めた時は腰が痛くて一瞬、出掛けるのを躊躇したのですが「エイ、やー」で歩き出すと不思議な事にだんだん身体が軽くなってきました。

そして本日が3日目だったのですが、本日もアラームセット無しでピタリ5時30分に目覚めました。

本日気が付いたのは墓じまいをしたお墓が集められている中心のお地蔵様の帽子と前掛けが新しくなっていたので、墓じまいをした方が新しいのにされたのかと思うとお寺の駐車場にある幸福地蔵さんの帽子と前掛けは誰が替えてくれるのかと・・・。

リピーターの皆さんの中で作ってもらえんでしょうか・・・。

明日は『三日坊主』と言われない様に頑張ります・・・。いやいや、元気な限り頑張ります。

コロナ感染症を経ての『まつり』に対する考え方

令和6年9月30日

コロナ感染症対策としてとにかく『蜜を避ける』『手洗い』『うがい』『マスクの着用』を徹底する中で、『まつり』の企画も大きく様替わりしてしまいました。とは言え当法人の「今日一日楽しかったよ」の考え方をコロナ感染症対策だからと言って180度変えてしまって「何もしない考え方では、法人の理念にそぐわない。」と言う事で『まつり』をフロア単位でそれぞれのフロアの職員が起案して実施してきました。

昨年5月にコロナ感染症が2類から5類になったとは言え、地域の方々の参加を得てのものにすることは見送っていたので今年は入居者さん、利用者さんの企画と地域の方々とに分けての祭りにすることにしました。入居者さん、利用者さんを対象にした祭りは文字通り『夏祭り』として行いました。そして、地域向けの祭りについては11月初旬に実施する予定で敬老週間も無事に終わり、これから具体的に企画を練っていきます。地元の方々も期待されているのでワクワク感のある企画を作っていきたいと思っています。社会福祉法人において『地域貢献』は当たり前にしていくことだと理解しているので頑張って実施したいと考えています。特に本部施設は26年の積み重ねがあるので地域の期待に沿える様に頑張ります。リピーターの皆さんには日程が正式に決まったらこのコラムででもお知らせしますので是非来て頂けたらとおもいます。毎回好評の1cm以上の厚みがある大きな鉄板で作り焼きそばもありますので・・・。勿論、それ以外にも一杯いっぱい・・・。

昨夜の護摩炊き供養の報告です

令和6年9月29日

彦根市内に入り高野山東福寺に行く前に、早い時間でしたが(17時)『餃子の王将』で夕食を頂き(中華そば、キムチチャーハン、餃子・・・お店に入ると食べ過ぎなくらいに注文してしまいましたが完食しました・・・。)東福寺の駐車場に入ろうとしたところ、いつもは人が立っていることが無いのですが、駐車場の手前で車を停められました。「どうしたのですか」とお聞きすると「本日の護摩炊きは外で行いますので、お寺の上の所にある道路沿いに移動して下さい。」と言われ改めて車を停めてからお寺に行きました。お寺に着いて理解したのは、先般千巻経でお世話になった滋賀信行会のメンバーの方がおおぜいみえていたので「滋賀信行会の協力を得て、外で行うのだな」と言う事で、いつもとは違い受付があり、青年会のメンバーが受付を担っていました。

受付を済ませ護摩木に願い事を書き、椅子が準備されていたので座っていると、蚊の集中攻撃を受けたので滋賀信行会の内藤会長に「蚊が元気なので早く初めて蚊がいない様にしてくれよ」等と冗談を言っていると、間もなくして住職の静慈彰さんと2人の伴僧の方がリンを叩きながら入ってみえて、護摩供養が始まりました。いつも以上に丁寧なお経があり、(蚊に刺されたのが痒くて長く感じたのかも知れませんが)いよいよ蠟燭の火からドラム缶に火が移され、燃え盛る火の中へ参拝者が護摩木にそれぞれ願い事を書いたのを入れていきます。私も法人への願い事法人に関わる皆さんの健康を、そして私自身の健康と家内安全の願いを書いた護摩木を燃え盛るドラム缶の中に1本1本願いを込めて入れさせて頂きました。

皆さんの護摩木がドラム缶に入れられる間は、不動明王さまのご真言である「のうまくさまんだ ばーざらだんせんだりまり そわか」を無心に唱えさせて頂きました。その間にドラム缶の中での火の勢いを凝視していると、龍の形になっているのを目の当たりにして「思いは通ずる」と思った次第です。昨夜の出来事を午前中に行った和合の3階のお参りに参加された入居者さんにお話しすると、真剣に聞いて頂けたのは本当に有難かったです。リピーターの皆さん、私にはこの様な形で拠り所がある事に感謝しています。

18時からの護摩供養です。

令和6年9月28日

令和3年3月から彦根にある東福寺で行われている『護摩供養』に行ける限り参加させて頂いています。東福寺は長い事無住であり、荒れ放題の寺だったのですが、平成16年の本部施設新館の各ユニットに書を書いて頂いてからご縁を頂いている静慈圓大僧正の次男の静慈彰)さんが住職としてお見えになり、文字通り荒れ寺をほとんど一人で改修され、護摩供養が出来るまでになったとの情報をたまたまインターネットで知り、参加するようになりました。

最初に参加した時は拝殿のみが何とか座れるような状態で5人も参加したら『満員御礼』(とっても失礼な表現でした。)の様な状態で住職である慈彰さんは寝るところも無くて車の中で寝ておられたと聞いています。と言う事で一か月に一回お参りに行く度に少しずつ整えられて今では客間まである立派な造りになっています。慈彰さんは本当に器用な方で大工仕事だけでなくて廊下に立派な鯉の絵を描かれたりもしています。時には駐車場の隅に石仏が寝かされていてびっくりしたりするのですが次に行くと石仏が立派に立っていて関心したりもします。

ある時住職の慈彰さんが「参加者が増えてこないし続けるのは難しい。」と言われた時に私は間髪入れずに「最初はなかなか増えないかも知れませんが続けていく中で必ず結果は出ますから。」と言ったのです。その事を護摩炊きが終わっての話の中で話をして頂きました。私も大変な時に静慈圓大僧正に手紙で弱音を吐いたときに私の為に祈って頂いて『諸障退散』『七難消滅』のお札を送って頂けたのには力を頂いたので、私も可能な限り28日には参加したいと思っています。

護摩炊きの炎は龍の頭に見えるのは私だけなのでしょうか。リピーターの皆さんはどう思われますか。

兵庫県斎藤知事に対する私見です

令和6年9月27日

本日岐阜新聞の社会面(21面)に『兵庫知事失職、出直し選へ』『パワハラ疑惑 議会解散せず』の記事を見て私自身は、マスコミは色んな事を報道していたが斎藤知事の落としどころは、出直し選の選択しかなかったんだ。だって辞職したら任期は今の残りになるんだから。しかも「解散は私の中でなかった。」と格好付けたことを言ってみえますが、「無駄なお金を使うな」と言う声にこたえただけだと思います。

尚且つ、高校生から手紙を貰って涙を浮かべたとのくだりになると「涙を流すところが違うだろうが」と私は思ってしまいます。確かに斎藤知事は兵庫県の刷新の為に汗を流されていたことまで否定するつもりはありません。しかしながら自殺者を出した事に対しての謝罪はなく、「自分は正しいことをしてきたのに何が悪い」と言う感覚は如何なものか。人の痛みが分からないで自分の痛みに寛容なのは人間性が問われるのでは無いでしょうか。

一生懸命に自分は頑張っているのだから自分は何も悪くない。では世の中は通らない。その事が分かっていないから、出直し選に出ると言う事なのだと思います。結論から言うなら「失敗体験が無い人生が生涯続く事は絶対に無い」と思うのですが。私は失敗体験の中から色んな事を学んできて今があると考えているので。

体重増からみえてきた事

優・悠・邑の本部施設にかつて103歳で入居され109歳まで生活して頂いた方がおみえになりました。その当時では岐阜県一の長寿者と言う事でしかも受け答えもしっかりした方で朗らかな性格と社交的な方だったのでテレビや新聞でもよく取材をして貰ったものです。その方は文字通り『ピンピンコロリ』で天寿を全うされました。長寿で元気だった彼女の事を私の体重増を絡めての話をします。

103歳で入居された時には末娘さんが60代後半で末娘さんの好みなのか本人の希望なのかは定かではありませんが着られる服は『赤』だったり『紫』だったりと目立つものばかりでした。その面では私も決して引けを取っていないと思っています。性格的に『おおらか』と言うのも基本的には同じです。(『基本的に』とわざわざ書いたのは『時に阿修羅になる』からです。でもこの差は大きいかも)私と彼女の大きな違いは彼女には余分な肉が付いてなくて私には「一杯いっぱい肉が付いている。」と言う事・・・。しかも、彼女は1回に食べられる量が少ないのに対して私は満足感と言うのをなかなか感じないと言うより感じた事が殆ど無い生活習慣なのであります。だから・・・。余分なものを食べないと宣言して3日です。

努力は数字に表れるもの。2日で500グラム減りました。と言う事は1日で250グラム減る計算で行くと20日で5キロ減るのか。1か月後が楽しみだと一人ほくそ笑んでいます。でもね、肉が一杯付いている人でも長寿の人はいるし、71歳でも元気に飛び回っているので良しとします。

腰が痛くてトホホなのです

昨日の朝、起きようとした時に「腰が痛くて動けない。」と言う事だったのですが、何とか1階に降りて行き我が奥様『かをり様』に「腰が痛いです。」と言うと冷めた口調で「体重が増えて限界なのでは無いですか。」と言われたので「体重がピークの時は今より2キロは多かったよ」と言うと「若い時は大丈夫でも年を重ねると堪えるのです。」とこれまた冷めた言い方をされたので「昨日、本部施設に行き、お腹の空腹感を満たそうとして、何か食べるものが無いかと言うと『かっぱえびせんがありますよ』と言うので持って来て貰ったら小袋では無くて普通サイズだったのですが、『止められない止まらないかっぱえびせん』と言う事で全部食べてしまったのが駄目だった様です。」と言うと「かっぱえびせんはカロリーが高いのです。」とのこれまた冷めた言葉が返ってきたので『売り言葉に買い言葉』ではありませんが・・・。「今日から余分なものは食べません。食事も減らして貰って構いません。」と言うとまたまた「何日続きますかね~。」とこれまた冷めた答えが返ってきました。冷めた答えが返ってくるのは仕方がない事なのであります。だって過去にも何度かこの様な会話があったので・・・。『昨日の今日』の結果ですが、今朝起きてみたら昨日の様な痛みは無いのです。と言う事は、これ以上体重を増やすと腰が痛くなるとの警告をされているのだと思うと「頑張るぞ。と豆腐の様な決意」をしていますが、ストレスが多い、または、緊張感の多い毎日の中で「何日続くのか」と自信のない言葉が出てきます。

「体重が多くてお腹が突き出ているのは職業病だ」と思ってしまう自分に「トホホ」です。リピーターの皆さん、こんな私の事をどう思われますか。

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