本日、岐阜新聞1面の記事から

令和7年2月1日

『岐阜 転出超過5238人』『東京は転入超過7.9万人』『40道府県で流出』の見出しを見ての、私なりの所感を述べさせて頂きます。

記事を読んでいく中で【岐阜県は「転出超過」が前年比722人増の5238人だった。転出者が411人減の3万6610人、転入者が1133人減の3万1372人だった。】と書いてあったので転出超過の流れが止まらない状況がある事が分かります。また40道府県で流出の方が多いと言う事は、47都道府県の内、転入超過はわずか7県と言う事です。転入超過は埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、大阪府、福岡県と言う事で、東京都の近県に集中しており、東京近県以外では僅かに大阪府と福岡県ということなので、政府が『1極集中の打破』とか『地方創生を進めて行く』と言う考え方に、虚しさを感じているのは私だけでは無いと思います。

記事の中で【林芳正官房長官は記者会見で「若年層や女性の東京への転入超過が継続している。若者、女性にも選ばれる地方の実現へ施策を具体化したい。と述べた。】とありました。「具体化したい」と言っても、具体的な施策がなかなか実現していない状況にあり、それどころか『消滅市町村』と言う言葉が現実味を帯びている。『人口減』『少子高齢化』が進んでいる中での歯止めが利かないのは「より有利・魅力的な所で生活したい。」との考え方があるのと、地方に行けば行くほど『封建的な考え方』が残っているからだとも思っています。

「今須はかつて宿場町として栄えて、旧中山道美濃13宿の中で、岐阜城下町の麓にある加納宿に次いで人口が多かった」と言っても虚しくなるばかりです。「郷土愛はないのか」と言っても「住みにくい所には居られない」と言う事だと思います。東海道本線が出来た時に『今須駅構想』があったと聞いていますが、その頃の地元の有力者が「駅が出来たら若者が出ていってしまう。」と駅の設置に反対をして出来なかったとの事です。『住みよい町』を築いていくには何をすべきかを、今からでも遅くないのでみんなで考えて行かなければと思います。

確かに東京都では財源が多くあり、魅力ある施策を取り入れています。それに対抗するための提案として『ふるさと納税』と言うのが考えられました。しかしながら、その施策だけでは何ともならない状況があります。岐阜県知事が江崎知事に変わられたので、大胆なアイディアで少なくとも「岐阜に住み続けたい」「あるいは岐阜に移住したい」と思って貰えるようになっていければと考えています。「だって、岐阜は日本の真ん中なのですから。」

2月4日、5日、6日と『立春寒波』の予想が出ています

令和7年1月31日

1月が比較的暖かい日が続き「今年は雪も少なくて有難い」と思っていたのですが、昨日今日と関ケ原に雪が降りましたが私の感覚では「この程度の雪は雪が降ったと言う程の事では無い。」と言う事ですが、今回の予報は「10年ぶりの雪予報」と言う事ですので、体制を整えていかなければいけないと思ったのを機にかつての雪の体験を語ります。

正直60年前、50年前の雪への思いは「本当によく降りました。」の一言ですが、何度かあった『ただ事ではなかった雪のエピソード』について述べていきたいと思います。先ずは私の記憶には無い『幼少期』の事なのですが・・・。

多分私が2歳か3歳の頃の事で父進さんから聞いた話なのですが、現在の国道21号線のルートでは無くて、旧中山道の道を車が走っていた頃に大雪が降り当時はまだまだ米軍の駐留が当たり前の様にあった様で、たまたまですが我が家の前に米軍の車が止まったままであり、気の毒に思った母秋江さんが我が家に招き入れ何日か停めたとの事で、我が家の押し入れにはお礼の品の全く大きな丈夫な毛布があったのを記憶しています。

次にはしっかり記憶にある出来事として、高校生の時に大雪で車が全く動かない中、律義にも止まっている車の間を通って何人かの同級生と一緒に関ケ原駅までたどり着いたら改札口に運休の張り紙と共に高校の休校の張り紙があり、家に向かって引き返したものです。半世紀以上前の事ですから当然の様に携帯電話等と言うものは無い時代の事ですから致し方ない事でした。大学生の時にもしっかりと雪が積もり、家が雪の重みで「ミシミシ」と言い出したので父進さんが「大屋根の雪下ろしをしなければ」と言う事で大屋根まで上って下を見ると我が家の西側には川が流れていて「めっちゃ高い」と思いながら雪下ろしをしたものでした。

また、長男が小学年の高学年の時も多く積り長男も伴い雪下ろしをした時には雪を下した庭に下した雪の上に長男共々飛び降りたのを覚えています。その時には下した雪が固まっているので次男にも参加させてかまくらを作り、かまくらの中に蝋燭を付けて楽しみました。

また、その時には檀家寺の雪下ろしに駆り出されお寺の屋根に上るとお寺の屋根の傾斜に圧倒されたのを覚えています。その外にも我が家の2階から東海道本線が走っているのが見えるのですが『ラッセル車』が雪を吹き飛ばしていたのは壮大だったなと記憶しています。

記憶を辿ると懐かしい気分になりながらコラムを打ちましたが『立春寒波』の備えは盤石にしたいと考えていますが、今は職員が準備してくれるのを眺めている状況に「有難いな~」と思っています

抹茶ブームだとの事

令和7年1月30日

今朝午前2時15分に本部施設で看取りの入居者さんが無くなられたとの連絡を宿直者の吉田副施設長から受け、主治医の先生が5時30分には来て下さるのに合わせて家族の方も施設に来て下さるとの事だったので、5時過ぎに本部施設に行き、主治医の先生の死亡確認に家族と共に立ち合い、その後家族の方に今後の対応で施設側がお手伝い出来ることの相談にのり、最後のお風呂及びエンゼルケアをした後9時にご自宅にお送りすることになり、その対応をして一旦家に帰り少しゆっくりしようとテレビを点けると『世界的な抹茶ブーム』の特集をしていました。

私は若い頃は「こんな渋いものを喜んで飲まれるのは不思議だ」と思っていたのですが、26年前に本部施設本館の事業開始をしてから、入居者さんと共に抹茶を楽しむ機会に恵まれてからは「美味しい」と思う様になったので、外国の方が好んで飲まれる様になり、所謂『抹茶ブーム』である事が不思議な気がしながらその番組を見ていました。

番組の中でも抹茶は最近好まれる方が急激に増えたとの事で、それまでに抹茶を飲まれた方の感想には「青臭くて雑草の匂いがして嫌だ」との事だった様です。抹茶が広く広まったのは抹茶の葉を活用した製品が多く販売されてからだと思います。

私の場合は東京へ出張に行った帰りの新幹線の車中での販売で(今は実施されていません)『抹茶アイス』を食べるのが楽しみだった事を思いだし、確かに色んなものに抹茶を素材にしているのがある事に気が付きました。この事からも、「コーヒーを飲むのが当たり前になった事によって抹茶を飲まれる方が少なくなった。

と嘆いていても何の解決策にもならない。購買力を高める努力をしていく事こそ大切なんだ。」と改めて思いました。但し、世界中の方が抹茶を望まれている中で「お茶会の企画をしても高級なものが手に入らない。」「沢山購入して方の中で転売している状況もある」との悩みがあるようです。その問題の解決の為には抹茶ブームを単なる『ブーム』として終わらせることの無いように汗をかき生産を増やしても大丈夫な根拠を確立する事。

また、転売が問題になっている事も安定的な生産根拠の確立と販売ルートの確立で解決していかなければいけないと考えています。朝早くからの活動だったのでいつもとは違う脳の働きをしたようですが、こんな切り口で話し出来る事もリピーターの皆さんに理解して貰えると嬉しいです。

岐阜県に江崎知事が誕生します

令和7年1月29日

20年ぶりに岐阜県知事が変わります。

前回4年前の選挙では、自民党が二分しての大変な選挙だったのでおのずと投票率も高かったのですが、投票結果は圧倒的に江崎さんの票が多かったのですが、投票率は過去2番目の低いものであったのは残念な事でした。選挙は、政治に対して自分の意思を表すものなのですが、「投票に行かない」と言う意思の表れだと思うと「政治離れの結果だとすると、そんなことではいけない。」とも思っています。

さて、本日の岐阜新聞1面に『江崎県政誕生―――20年ぶりの知事交代――㊦』『刷新 問われる手腕』の記事があったので昨日の㊤も読ませて頂いたので、私なりのコメントを述べさせて頂きます。記事の中で【自民党のベテラン県議は「執行部と議会がいがみあうことは良くないが、政策を巡ってけんかするのは当然」と主張。古田知事との意思疎通が少なくなっていたことを明かし「江崎さんとは健全な形で議論していきたいだけだ」と、今回の県庁への手引きを弁明する。(中略)自民県議の一人は「江崎さんが描く県政のビジョンが見えない。インバウンド誘客など、古田県政が時間も人でもかけて大切に育ててきた政策が、どうなっていくのか」とぼやく。別の自民県議は、立て板に水のような江崎さんの演説を、不安視する。「話がうまいからこそ、言葉選びや言葉の組み立てを間違えたときに炎上する。冗舌になって自分の本音が出ちゃうときは特に危ない」(中略)ただ大半は「お手並み拝見」を決め込む。】との記事を読んで思う事は、かつてのコラムで『立場が人を育てる』と書きましたが、正に江崎さんが知事になられてからは、自分なりの価値観で『知事とは』と考えられていたと思いますが、私は江崎さんが持たれている『郷土愛』と色んな経験からなる『識見』を十分に発揮して頂き、岐阜から全国に、世界に誇れる推進役になって頂けることを信じています。「フレー、フレー江崎丸」と言う事で。

満更ではない穿った見方

令和7年1月28日

『中居正広』さんからのしっかりとした説明が無いままでフジテレビがピンチに立たされていると言うよりもテレビ業界に関わる方々において逆境に立たされていると言っても過言では無いと思っています。昨日の文字通りオープンな形で行われた記者会見は結果的に10時間を超えた長汀場であったようです。このことからもトラブルが起きた時の初期対応がどれだけ大切なものかと言う事も改めて理解しましたし、ぼつぼつと聞こえてくる情報では中居正広さんの常識が世間での常識からかなりかけ離れていたものと理解しています。

フジテレビ系列である東海テレビのチャンネルを点けると、「コマーシャルが短くなったかな」「ACジャパンのコマーシャルが殆どだな」と感じています。ACジャパンは正式には『公益社団法人 ACジャパン』と言って多くの企業が年会費を支払って公共的なものをアピールしていくものです。東日本大震災においては「安易なコマーシャルは逆効果になりかねない」との考え方もあり、ACジャパンがの作品が多かった事は周知の事実だと思います。

しかしながら天災等による差し替えではなくて、この様な形でACジャパンの画面が多く採用されるとは思いませんでした。穿った見方に移ります。(いつもの事ながら前段が長くてすみません。)ACジャパンの画面ばかりが常態化して所謂番組を作成する原資を提供するスポンサーがコマーシャルをしない(出来ない)中で、「コマーシャルを打たなくても売り上げが変わらない」と言う結果が表れた時には企業側が「コマーシャルをテレビで流さなくても変わりがないなら費用対効果が無いわけだしスポンサーになる意味がないな。」との考え方に変わったら民法の存在意義がなくなってしまうのではないかと言う事です。

例えば新聞の販売数がどんどん落ちているのは、「スマホやパソコンで情報を得た方がリアルタイムに情報は入るし便利だから新聞購読する必要がない。との考え方が増えているからだと思います。今回の問題によってマスメディアの考え方も大きく変わる様に思います。このような現象はマスメディアだけの問題ではなくて、私が展開している介護事業においても状況を把握し、情報を得ながら色んなアドバイスを得て健全な経営をしていく中でしっかりとした運営をして地域で喜ばれる社会福祉法人として頑張っていきますのでこれからもよろしくお願いいたします。

1月25日に続いて大相撲の話です

令和7年1月27日

昨日の千秋楽は、3敗同士の三つ巴戦の末『豊昇龍』が『金峰山』と『王鵬』を破り優勝しました。前頭3枚目の『王鵬』と、前頭14枚目の『金峰山』を連覇しての優勝ですから「大関の面目を保っての優勝」と言う事で、今朝の新聞では横綱の昇進も決まったとか。正直私は「横綱とはそんな存在なの」と思わなくはないのですが、照ノ富士が引退して横綱不在の番付表は頂けないからなのかと、穿った見方をしているのは私だけではないと思います。9日目で3敗を期した段階での豊昇龍の優勝を予想した方はいなかったのではないかと思うのですが・・・。しかも優勝したら横綱の昇進まで決まるとは・・・。豊昇龍の住む環境はがらりと変わって行くと思います。「立場が人を育てる」とも言いますので、来場所からの『横綱豊昇龍』に期待を寄せていきたいと思います。

「立場が人を育てる」と言う意味の中には「良くも悪くも」と言う言葉が後に付くのではないかと思っています。今世間を賑わわせている『中居正広』さんの問題にしても「視聴率をとれる男」として重宝がられている内に『世間の常識との乖離が大きく開いてきた結果が『中居正広』と言う人間を育ててしまったのではないかと思います。私は個人的には『味いちもんめ』に出演していた頃の中居さんは愛すべき存在だったのですが、自分の事務所を持って勘違いしてしまったのかな・・・。

立場が変わったと言う意味では、20年振りに岐阜県知事が古田知事から江崎知事になります。私は個人的には江崎さんの知識・経験・発想力に期待する事が大で、知事と言う立場で、4年間のフリーの時間に蓄積されたものを遺憾なく発揮して貰いたいと思っています。

本部施設で誕生会がありました

本日13時30分から家族会主催の月1回の誕生会が行われました。

102歳の入居者さんを筆頭にして、98歳、93歳、92歳、91歳、90歳、84歳の7名の方が1月の誕生日と言う事で、家族の方も2名参加して頂けたのでいつもの会議室ではなくて玄関ホールで行いました。

吉田副施設長の進行で、先ずは家族会の吉田会長さんからご挨拶を頂き、引き続きで理事長である私がご挨拶をさせて頂きました。

挨拶の中で102歳の入居者さんが大きな声で元気に話をされていたので「大きな声で話をされる方は長生きで元気だと言う事が分かったので、私も見習ってより元気な声で話をして長生きをしたいと思います。」とのコメントも入れさせて頂きました。

また、「長いコロナ感染症対策の一貫で面会も控えていたのですが、規制を緩和して思う事は家族の方が来て頂けると入居者さんにより力強い活力を頂けることが分かったので、これからは今まで以上に家族の方の力を借りる企画を頑張って実践していきます。」とも話をさせて頂き、2人の挨拶の後に吉田会長からそれぞれにその方にあったプレゼントを手渡して頂きました。

引き続き年齢の高い入居者順に『ハッピバースデイツーユー』の歌』を一人一人に全員で手拍子を頂きながら歌い、ケーキと飲み物で祝いました。年に1度の誕生日ですから、参加された入居者さんもいつも以上にテンションが高かった様に思います。

家ではなかなか出来ない催しでも施設だからこそ出来る催しをどんどんしていく事によって『今日一日楽しかったよ』を日々実践していきたいと思いますので、当法人のホームページを理事長コラムも含めて益々の検索をよろしくお願いいたします。

 

最近の大相撲の記事を見て

かつて、「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われた時代やハガネの様な体で別名「ウルフ」と言われた「千代の富士」がいた頃、あるいは輪島や朝青龍がいた時代は『絶対王者』的な存在がいて、例えば千代の富士が負けた時には座布団が多く土俵に投げられて盛り上がったものですが、その様な場面が殆ど無くなっているのではないかと思います。

『思います』と書いたのは大相撲をテレビ観戦する事も無いからです。

実際の情報は新聞だけですから座布団が乱れ飛ぶ情報は当然無いのですが、多分座布団が飛ぶ様な事は今の大相撲の状況では無いと思います。

絶対王者の様な横綱や大関が負けた時には大番狂わせ等と大騒ぎだったのですが今は大関であっても前頭の下位の関取に対しても負けてしまう事が度々あり「本日は大関が全員勝って安泰でした。」と言う日が数える程と言うのが現状なのです。

特に際立つのは今場所で綱取りを期待されていた琴櫻関が綱取りどころか負け越したのには驚きを通り越す出来事だと思います。

但し私は琴櫻の名跡を祖父から受け継いでのプレッシャーは想像以上で負けが重なっていく中で前向きな闘志が失せてしまっているのが理由ではないかと思います。

今の大相撲は下剋上の様な時代に入っているのだとも思います。

具体的に書きます。

昨日の取り組みから私なりに理解している事を書きます。

前頭14枚目(下から数えて4つ目)の金峰山が2敗でトップだからとは言えまた横綱の照ノ富士が引退したとは言え大関琴櫻との『結びの一番』での取り組みが組まれ、しかも前頭14枚目の金峰山が大関琴櫻に勝利すると言うのをどの様に理解したら良いのか。

絶好調の前頭14枚目とは言え、場所前には綱取りが予想されていた大関琴櫻に勝てるとは誰もが想像だにしていなかったと思います。

勝負の世界はこのくらい厳しいもので相撲取りは常にどっしり構えているものと思いましたが、改めて『メンタルの強さ』が必要かと言う事が良く理解出来ました。

つまり、『絶対王者』は『心技体』が揃っていなければなれないと言う事を痛感すると共に、『心』についての強さを持った力士がいなくなっている証しだとも思いました。

何故なら波に乗っている時は連勝するけど一旦負けが込むと力を発揮出来ない。

つまり「あんなに簡単に勝てていたのにどうして今は勝てない」またその逆もありで・・・。

相撲の世界など殆ど知らない私が知ったかの評論をしましたが、最後に琴櫻関には来場所に立派な成績を残しカド番を難なくクリアして正に心技体の充実した力士になって貰って日本の国技を日本人に取り戻して貰いたいと思っています。

ちなみに2敗でトップを走る金峰山はカザフスタンで、3敗の大関豊昇龍はモンゴルで、霧島もモンゴルなので、今場所については3敗で追走している王鵬(東京)尊富士(青森)に何とか頑張って貰いたいと思っています。

奥様の蘊蓄(うんちく)

令和7年1月24日

いつだったか、このコラムで「小さい頃は虚弱で、霜焼けで治りかけの時にむず痒くて、靴下も手袋も付けるのが嫌いでした。」と言うような内容の事を書いているのですが、本日朝の時間に前後の事は記憶にないのですが、私の奥様『かをりさん』が「寒いからと言って、外に行く前に手袋をしてもなかなか手の中が温かくなることは無いけど、手袋をずっとつけていて車の運転をすると、車の暖房を入れなくても温かい」と言う話をしていたので私は「細かい所まで節約することを徹底しているのは、見習わなければ」と思った次第です。

但し、私は確かに小さい頃はむず痒い思いをしていたのでそのことがトラウマのようになっているのは確かだけれども、高校2年の夏休みに四国団参に行った年の冬からは、一切霜焼けは出来ていないのだから、靴下や手袋を嫌う必要は無いはずなのに、今も嫌っているのは、「小さい頃の記憶はいくつになっても引きずるものなんだ」と改めて思った次第です。

そう言えば、テレビで生鮮食料品の多くのものが高くなっているとの情報の中、私が大好きなミカンが本当に高くて、かつては手が黄色くなるくらいにたくさんのミカンを食べたり、籠にたくさんのミカンが盛る様に入っていて気軽に食べていたのに、文字通り数量制限で出てくるのは「時代かな」と思っています。と言う事は先の事は分からないと言う事なので、何事に対しても先の見通しを立てた展開が必要なんだと思うと共に、私は社会福祉法人杉和会の理事長として、また、岐阜県老施協会長として、しっかりとした見通しを立てての方向性を発信していかなければいけないとも思った次第です。その為には、多方面での情報を得る努力も惜しまずにしていかなければとも思った次第です。リピーターの皆さん、朝の一言から、壮大な事を考える私は変なのでしょうか。

コロナ感染症対策の一貫で中止していた本部施設『カフェ邑』(認知症カフェ)を再開しました

令和年1月23日

一旦中止したものを再開するとなると、結構なエネルギーが必要でなかなか再開出来なかったのですが、来年度からは本格稼働することにして本日、試行的に実施して参加される方の要望も参考にしながら、4月からの本格稼働に向けて実施していきます。

かつて『カフェ邑』に参加して頂いていた方の中で、10時開始にも関わらず9時30分には早々とみえる方があり、地元の方々の期待度が伝わってきたので思わず「ありがたいな~」と思った次第です。

今須地区(旧不破郡今須村)はかつて1か所だけですが、点滅とは言え信号機があったのですが、その信号機もいつのまにか撤去されてしまい、信号機もない地区になってしまっています。国道21号線の通りに唯一喫茶店があり、地元のサロンの様な存在になっていますが、単なる喫茶店のサロンでは無く、健康維持や健康管理は勿論の事、特養とデイサービスのノウハウとハードを駆使して、参加されている方が喜んで頂いて、本日の参加者は8人でしたが次第に参加者も増えて来て、文字通り地域貢献が出来る様な展開にして行けたらと考えています。

国の施策として始まった本筋は「いつまでも健康を維持して貰う為」と言う事で始まり、そのことの象徴として、最近では『フレール』と言う言葉を度々聞くことがありますが『フレール』の意味を日本語にすると『虚弱な』と言う意味で『健康な人と要介護人の間』『介護になる一歩手前』の状態の事。と言う事で、フレールの状態になる前に当施設に足を運んで頂き、時には相談にも応じますし、フレール予防のためのメニューを実施していく事によって、施設の敷居を低くしていく事は大切な事だとも考えています。

今後はより充実な展開にしていき、フレール予防の地域の担い手として頑張って行きたいとも考えています。リピーターの皆さんの中で、参加されたい方は是非参加して下さい。

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