感無量を味わいたくて

令和8年4月3日

朝のお参りに家を出たのが5時30分で風も無く良い天気で「爽やかだ」と思いながら歩いていて「昨日予定していた花見が雨の為に順延になったと言う事で本日は最高の花見日和だ」と言う事で「私が本部施設本館の建設が進んでいた平成9年に岐阜県庁まで桜の苗木を頂きに行って手植えをしたのが大きく育ち立派な花が咲いているので私も入居者さんと一緒に楽しみたい。」と思ったので、本日10時から本部施設においてフロア責任者会議があり、13時30分から和合でのカラオケが予定されていたのですが、「和合での、カラオケはまたの機会もあるので申し訳ないけど延期して、8時30分までに和合の施設に行き、今月から夜勤が4人体制に変更された2日目と言う事で昨日も確認したのですが、昨夜の夜勤責任者にも混乱はなかったかの確認をして、10時からの本部施設フロア責任者会議に間に合う様な対応にしよう。」と言う事で、朝のお参り後のお風呂と朝食を終えて和合に向けて車を走らせました。

10時からの本部施設での会議が終了すると何人かの職員が花見の準備を手際よくしてくれていたので頼もしく思うと共に午後からの特養入居者を集めての花見の事を考えるとワクワクしてきました。13時30分前から続々と入居者さんが集まってきて、立派に大きくなった桜の木の麓で花見が始まりました。ノンアルの日本酒にビールの他にオレンジ・アップル・梅のジュースに甘酒とお茶を準備し、みんなで盛り上がりました。

お酒が好きだった方で飲める方にはノンアルの日本酒とビールを注いで廻っていたのですが、あまりに美味しそうに飲まれているので、ついつい「本物のお酒を少しでも味わって貰おう」と思い、先般頂いた地元揖斐大野が販売元になっている『条里』と言うお酒を嘗める程度にですが飲んで頂くと益々盛り上がりました。絵画終わりお酒の箱に書いてあるのを確認してびっくりです。

と言うのもこのお酒は『日本酒』ではなくて『リキュール』であり、原材料はブラジル産の芋だと言う事でした。どちらにしても素晴らしい笑顔を一杯見る事が出来たのは本当に嬉しいし、尚且つ、私が28年前に植えた桜の花が立派に咲いていたのは文字通り『感無量』の気分になりました。

     

本部施設は少し桜の開花が遅くてラッキーです。

今朝のお参り時に、妙応寺境内の大きな桜の木の花びらが結構砂利に落ちていて、昨日の「花が満開だったのに一日で寂しくなったのは残念だ。」と思っていて8時過ぎに大垣に向けて車を走らせていて、大垣市内の御首神社の境内の桜の花びらが舞っていて「花が少なくなって寂しくなった」と思いながら車を走らせました。

和合の施設に着き、昨夜の夜勤責任者に4月1日から夜勤体制が5人から4人体制になった事での問題点についての報告を受け、書類の決裁等をして10時30分から1階のお参り(入居者さんと一緒に『正信偈』と『般若心経』等を唱えます。)を終えて、11時30分から業者によるマットレス等の介護用品の提案を受けてから本部施設の駐車場に着くと、入居者さんが満開に近い桜の花を楽しんでみえ、「明日は皆さんで花見をします。」との報告を受けたので「本部施設の桜は、大垣より遅く満開になるんだ」と改めて思った次第です。

話しは変わりますが、水不足でダムの貯水率が0%になったのが今回の雨で14%にまで戻ったとの報道の後、愛知県の大村知事が「田植えの時期を延ばす様に指示を出した。」との報道に対して、私は「大村知事は、田植えの事も含めて農業の事が分かっているのか」と思ってしまいました。と言うのは、田植えをする時の苗の大きさは機械にしっかり収まらないと上手くいきませんし、大きくなり過ぎた苗は病気になりやすい事をご存じなのでしょうか。確かに雨が少なく生活水の節水も言われていますが、田植えの日を遅らせる事のリスクに対しての根回しや、理解が出来ているのかが分からないで意見を言うのは、慎まなければいけないとも思っています。

新年度が始まったと言う事で、2つの式典が実施されました。

一つ目の式典は『地域密着型通所介護 デイサービスセンター えりかの里』の事業開始に当たり、利用者さんのお迎えが終了したタイミングで実施されたのですが、最初に理事長として「昨日までのデイサービスから全く違うものとして事業が開始され、より楽しいものにしていける様に、職員が一丸となり取り組んでいくようにしていきます。もしも楽しくないものになっていたら、正直に教えて下さい。本日はお祝いすべき日ですので鯛饅頭を準備しましたので、おやつの時に召し上がって下さい。」と挨拶させて頂きました。

私の挨拶のあとデイサービスの職員がそれぞれに決意表明をして、開所式典が終了した段階で2つ目の式典である『入職式及び辞令交付式』の確認をバタバタとではありますがしていると筆頭理事の岩田先生がきて頂けたので、式典を実施する会議・研修室の隣のボランティア室で今後の展開等のお話をさせて頂いていて、10時20分になったので式典会場に移動しました。

既に、新たに入職した2人の他に昇進及び異動になった職員が集まっていたので、予定の時間より少し早かったのですが式典を開始しました。最初に理事長である私から辞令書を一人ひとり手渡したあと、引き続いて理事長としての挨拶をさせて頂きました。その中でいつも話をしている法人の理念である『すべてにやさしく いつまでもゆとりある やすらぎのばしょでありたい』と『今日一日楽しかったよ』を常に念頭において、『ありがとう』の謙虚な気持ちで頑張って下さい。と言う言葉で締めくくりました。その後新人代表者と昇進した代表者が決意表明をして、最後に岩田理事の閉会の挨拶後に全員での記念撮影をしてから会場に机を用意して、鯛饅頭とお茶でお祝いをしました。

 

令和8年度の初日は充実したものになりましたので、これからの一年がより充実したものになり、社会福祉法人杉和会の展開がより明るいものになる様に頑張っていきますので、リピーターの皆さん今まで以上の𠮟咤激励を宜しくお願い致します。

午前中に和合2階でお参りをさせて頂きました

令和8年3月31日

2階のお参りは10時30分からの予定だったのですがエレベーターを降りてフロアに行ったのが10時35分で予定の時間に5分遅れだったのですが、皆さんが静かに椅子に或いは車椅子に腰かけて私が来るのを待って頂いていたので、2年8カ月前にお参りを始めた頃とは随分様変わりしたと感無量な気分になりました。と言うのは2年8カ月前に和合の施設長に就任した頃にお参りにフロアに行っても皆さんが集まられていなくて皆さんを集めて経本を配る事から初めていました。

今はそんなことが嘘の様に職員が皆さんを集めていてくれ経本と数珠も配ってくれていますので、お経に集中できるので大きな声で正信偈も般若心経も唱えています。お経が全て終わり皆さんにお話をするのも皆さんが一生懸命に話を聞いて下さるのでお話にも気合が入るのですがそのタイミングで背中に汗が流れるのも快感になっています。本日のお参り後のお話は「久しぶりに雨が降りました」との事を話題にしました。

その中で「水不足の中久しぶりの雨は有難いし雨が降らなければ困る事が一杯ありますが、雨の中の車の運転は少し鬱陶しいです。しかしながら、田植えの時期に水不足だと田植えも出来ないので本日の雨は文字通り恵みの雨です。」と話をしてから、「私が住んでいる関ヶ原町は田圃が多くある関係で収穫祭の様な感じで10月にお祭りが行われますが大垣はお城があり栄えた街なので4月にお祭りが行われますね。」ともお話をさせて頂いたのですが入居者の皆さんは一生懸命聞いて下れるので事前に話題を考えて行かなければと思っています。

本日は3月31日で令和7年度の最後の日なので明日からの新年度を心新たに出来る様にしていきたいとも思っています。そう言えば、本日の朝のお参りは雨が降っていましたが頑張ったので妙応寺本堂で護摩木に令和7年度が無事に終わる事の感謝の言葉を書かせて貰いました。

素晴らしい方とのネットワークが出来る予感

3月22日に自民党県連の支部会合の案内を頂いていたので参加させて頂いた時に、岐阜県内の国会議員の方が多くみえていて、一人ひとりの国会議員の方とお話をさせて頂きました。例えば、かつて経済産業大臣をされた武藤衆議院議員の先生と、施設においての灯油の値上げは大変だとの話をさせて貰ったり、総務大臣の経験者の野田衆議院議員とは、施設での不在者投票の会場では候補者の名簿も置く事が出来ず、不公平感を持っていると熱く話をしました。

2人の先生とは以前にも何度か話をした事があったので、普段通り話せたのですが、今回の衆議院選挙で初めて東海ブロック比例で当選された斎藤りえさんとは面識が無かったのですが、野田先生から斎藤議員の紹介を受けて、聴覚障害がありながらも政治家になられた方だと言う事で、当法人は盲養護老人ホームを運営していて聴覚障害の方も入居出来るので、施設に対して応援して貰う為に積極的にアプローチを試みました。先生は筆談での会話だったのですが、一生懸命に話をして下さり、「一度施設に行き勉強させて下さい。」と言われたのですが「所謂社交辞令かな」と思っていたのですが、昨日丁寧なお手紙を頂いたので、社交辞令だと思った事を恥ずかしく思うと共に、手紙の中でも施設訪問をしたい旨が書いてあり、この方は有言実行される方なので単に綺麗な方ではないと確信をしました。

明日には私の方から改めて自己紹介や、私の思いを熱く書きたいと考えています。手紙の中で、当日お話させて頂いた通り、『現場での実践や工夫について、ぜひ直接学ばせて頂きたく存じます。』と書いてあったので、私が常に言っている現場主義に通じるものがある様に思っています。実際にお会いして、より理解して貰い国に対しての窓口になって貰えればと考えています。

 

お参りでの色々

令和8年3月29日

今朝の妙応寺経由のお墓参りで六地蔵様の花入れに水を注いでいるとカエルが花筒の中からひょっこりと出てきたのに思わずにっこりしてしまいました。

カエルの身になると花筒の中でのんびりしていたのに「朝早くからびっくりした」と言う事なのでは無いかと思ったのですがあまりに可愛く感じたので思わず写メで撮りました。また本堂の境内には大きな桜の木があり、昨日は2部咲き位だったのに本日は5部咲き位に咲いていたのでこれも写メに収めた次第です。

 

写メに収めたと言えば昨夜は『28日で不動明王様の日』と言う事で彦根にある東福寺での護摩炊き供養に参加させて頂いたのですが東福寺の住職は高野山前官大僧正の静慈圓師の次男さんで静慈彰師は、とても元気で行動力のある僧侶なので護摩木が燃える勢いも半端でなかったのでこれも写メに収めました。

 

この時のこぼれ話の様な事ですが、護摩炊きが始まる前に本部施設の為にお札をお願いして、そのお札を護摩炊きの目の前に置いて特に祈って頂いていたのですが、昨夜の護摩木は勢いと共に火の粉も半端ではなくて、私がお願いしたお札に火の粉が飛び、あわよくば『全焼?』の危機になったのですが、そうなる前にお参りに来ていた滋賀信行会の方が火の粉を払ってくだれたので一部が燃えただけで済んだのですが、私はこの現象をネガティブに考えず「こんなことはめったに無い事なので大切に本部施設の仏壇で1年間祈らせてもらおう」と言う事で東福寺の帰りに本部施設により早速仏壇の中に入れさせて頂きました。

私の考えたのは盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の経営が大変で眠れない日々が続いた時に静大僧正前官に手紙を書いた時に3か月間静大僧正前官に祈って頂いたお札を送って頂きました。その時の祈りの言葉は『諸障退散 七難消滅』と書いて頂いたのを大切に本部施設の仏壇内に収めていて、昨夜少し焼けてしまったお札を並べた時に「厳しい状況をこれで焼いて頂いたから令和8年度は最高の光が射す」と思った次第です。ますます福祉の為に頑張りますのでリピーターの皆さんこれからはますます応援支援を宜しくお願いします。

 

二つのショック

令和8年3月28日

昨日のお話です。一つ目は毎月1回の定期受診でかかりつけ医の先生が前回の血液検査の結果の中で「ヘモグロビンの数値が基準値より高いのでこれ以上悪化をして糖尿病にならない様に気を付けられた方が良いですよ」と言われたので「薬を飲んだ方が良いですか」とこちらから先生に問いかけると「薬を飲むより食生活に留意された方が良いと思います。」と言われたので「そう言えば」と思い当たる事がありました。

それは、出張や会議で施設での対応が出来ない時以外は和合の施設での対応を終えてから本部施設に行く事にしているのですが、本部施設に着くと無性にお腹が空いて感覚になり、しかも苛々するような事があるとお腹が満足するまで特に『あられ』を食べてしまうのです。「これも職業病だ」等と恰好を付けていましたが何百回も「あられを食べません」と言ってきたのですがかかりつけ医の先生からサラッと言われたのは頭にしっかり入ってきたので『有言実行』で夕方のお菓子は無しにして夕食まで我慢して尚且つ夕食も控えめにしていく事にします。(今回ばかりは豆腐の様な決意で無い様にします。)もう一つのショックはお風呂からあがって私がさりげなく言葉にした事に対しての奥様の一言でした。

私がさりげなく言った言葉とは「体重が少しづつ減ってきているのにお腹が大きくなった様に思うんだけれど」と言った事に対して奥様が言ったのは「足が細くなったのでは」との一言です。その言葉に思い当たる事があるからです。それは、[足が細くなると言う事は足の筋肉が落ちていると言う事なのか。そう言えば最近足がもつれたりふらついたりするようになった」と思いました。そこで、本日からの朝のお参りから歩く歩幅を大きくして歩く事と本堂でのお経を唱えている時に屈伸運動をしながらすることにしました。

実際に屈伸運動をしていると、かなり息が荒くなりますしお経も途切れてしまう事がありますが頑張りました。勿論毎日頑張ります。ささやかな努力(抵抗?)でしか無いかも知れませんが次回の血液検査で数値が下がればと思っています。38歳からの私は決めた事はしっかり徹して実施してきたのですが、飲食についてはなかなか、イヤイヤ全く出来ない私でしたが、自分の体は自分で守らなければ誰も守れないので『有言実行』で頑張ります。

 

「当たり前は当たり前ではない」と言う事

朝の番組で豊橋の春キャベツを作っている農家の方に「大変な事は何ですか」との投げかけに、「誰でも作れますよ」と言われている事に対して物申すコラムにします。

私は「当たり前が出来る」と言うのは「基本的な事がしっかり出来ている事」と「大変な事が大変で無くなっているからだ」と思っています。以前にもこのコラムで私が児童養護施設の指導員として岐阜県児童養護施設協議会の調査広報委員会の一員として、先進的に『自立援助ホーム』を立ち上げられたご夫婦の取材に石川県まで言った時に、私が単刀直入に「大変な事は何ですか」とお聞きした時に5分程の沈黙のあとポツリと、「大変な事って何だろうな」と言われた時に「めっちゃ稀有な方だ」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

「だって一杯あるでしょ。」でも、大変だと思わないから続ける事が出来るのだと言う事は、私も最近になって理解できる様になってきました。私の好きな地元の歌手で砂田おさむの曲に『人生夢の途中駅』と言うのがあり、その中の言葉の中に「夢中で駆けた時代もあった 振り向けば、雨や嵐の時代もあった」と言うのがあり、好んで歌う事があるのですが、その歌の通りで一生懸命に目的に向かっている時は『苦労』等と言う言葉は無縁なのだと思います。

私も何もない中から3つの拠点を作ったので「立ち上げは大変だったでしょう」と言われる事がよくありますが「大変だと思ってやったことはないな」と思っています。つまり、夢中で頑張っている時は「雨だとか嵐だとかと思っていたら、何も出来ないから」と言う事なのだと思います。インタビューに答えられていた農家の方も今は楽しく仕事をされて天職だと思われているのかも知れませんが、間違いなく大変だったり、農家を辞めたいと思われた時もあったのでは無いでしょうか。キャベツを育てるのに畝をきって種を撒いたらひとりでに成長するなんて事は無いと思うので。インタビューに答えられた方も苦労を苦労とは思わない稀有な方だったのだと思っています。ひょっとすると私も『稀有な人』なのかなと思っているのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

新たなデイサービスに変わると言う事は

3月31日までは通常のデイサービスなのですが4月1日からは『地域密着型通所介護』のデイサービスに変わります。単に地域が関ケ原町に限定され、規模が小さくなると言うのではなくて、3月31日までの通常のデイサービスは廃止され、4月1日からは新規事業が開始されると言う意味を職員がなかなか理解出来なくて本当に久しぶりに私が大きな声を出しながらも職員にも理解できるように話をしました。

その中で特に強調したのは、①本部施設の自然環境の良さを生かしきれていない。②職員の得意な面が生かし切れていない事。③職員連携を今まで以上にしていく事によって「『新生 デイサービスセンター えりかの里』にしていかなければいけない。」と熱く語りました。4月1日までにあと5日しかありませんがギアを挙げて新規事業に取り組んでいかなければいけないと考えています。

例えば、利用者さんと散歩に行くにしても明確な狙いを持ったプランにしなければいけないし、音楽療法をしていくにしてもしっかりとした『ねらい』を職員一人ひとりが理解していなければいけないとも考えています。『地域密着型通所介護』である以上地域の方々からより信頼されるデイサービスにしていかなければいけないし、挨拶にしても今まで以上に大きな声でしていく事によって『明確に変わった』と認識して貰える様にしていきたい。

4月1日、3日、4日は(2日は定休日)新装オープンと言う事で理事長からの提案として「お祝いには鯛饅頭がつきものだ」との昭和おじさんの心息で和菓子屋さんに自ら行って発注してきました。また、4月1日の新聞折込には関ヶ原町内に理解して頂く為のチラシも入れる予定です。

最近は『瞬間湯沸かし器』の様な事は無くなった事を自覚しています

令和8年3月25日

中学を卒業するまでの私は大きな声も出せない様な人間だったのです。そんなことを今新たにお付き合いさせて頂いている方々に言っても「そんなの信じられません。」としか言われないのですが『小説より奇なり』で事実なのであります。

そんな私が大きな声をみんなの前で出せた事実としての記憶が高校2年生の2月の出来事を今でも鮮明に覚えています。その出来事とは私がその当時生徒会長をさせて貰っている時に卒業生を送るイベントで『予餞会』が開かれ生徒会長として開会の挨拶をする時に卒業生の3年生が騒いでいたので挨拶をする前に「3年生、喧しい」と大きな声で一括してから「在校生のみんなで卒業生を盛り上げる為に頑張ってきたのだからしっかりと見てやって下さい」と言ったのを今でも覚えています。それからの皆にとって納得がいかない出来事については時には声を荒げながら話をする様になったと記憶しています。その様な生き方の中、特に児童養護施設の指導員になってからは自分の生き方に自信を持つ様になってからは大変な生き方ではありましたが堂々とした方向性を見出したものにしてきたつもりです。

そして38歳の時に児童養護施設の指導員を退職して、6年間の無納税者の生活の中で44歳の時に法人設立が承認され翌年に特別養護老人ホーム優・悠・邑 本館が事業開始してからは大変な事が起きた事には前面に立ち、職員の動きが遅かったり、不十分であった時に『瞬間湯沸かし器』の様になった事が度々でした。事業開始をして2年目の時だったと思いますが、夏祭りが無事に終わり片付けを開始して間無しにその当時の主任格だった職員が反省会の為の食事の準備をしているのを見つけて、「順番が違う」と思った瞬間に施設全体に鳴り響くような声で言ったのですが、結果的には後片付けの効率が上がった事を今でも覚えています。

今、同じような事をしたら『パワハラ』と言われかねない行為だったと思っています。今も『瞬間湯沸かし器』の様になることはありますが『一呼吸』おいて話をする術をこの歳になって身に付けた様に思います。但し、とことんの時に大きな声を出した時などに「大きな声を出させて俺が血圧を上げて倒れたら良いと思っているのか」等との暴言を出すとすると「これは歳を取ったと言う事ですかね。

1 3 4 5 6 7 8 9 10 11 333