岐阜新聞の記事から

『県内出生、初の1万人割れ』『全国も70万人下回る」の一面トップの記事に改めて岐阜県のいやいや日本の行く末に唖然とする思いです。

岐阜県で2024年に生まれた子どもの数は68万6061人で1899年の統計開始以降初めて70万人を割り込んだ。

2023年比4万1227人の減。合計特殊出生率は1.15で、2023年の1.20を下回り、過去最低を更新した。

ちなみに岐阜県においては1.27と言う事で低下に対する歯止めが全く効いていない状況だとの事。

若山家の状況を言えば長男は垂井町で子どもは1人、二男は大垣市で子どもは2人と言う事で関ケ原町には住んでいませんが取り敢えず岐阜県内に在住していると言う事で理解しています。

新聞記事を見ていて、関ケ原町の現状が厳しい状況である事は薄々感じていたので、改めて関ケ原町のホームページで実態を確認してみてあまりに厳しい状況に愕然としています。

具体的に示すと2000年の出生数が63人だったのが2010年には41人、2020年には18人であり2024年は12人でそのうち1人は外国人だとのこと。(関ケ原町住民課に電話で確認しました。)私が中学校を卒業したのが57年前で卒業生が34名でした。

私が卒業したのは今須中学校と言う事で関ケ原中学校には各学年4クラスはあったと理解しています。

この57年間の間に今須小学校の小林分校(2年生まで)は今須小学校に統合され、現在今須には保育園、小学校、中学校もなくなり統合されてしまいました。

それは当然と言えば当然の結果だと思います。だって2023年に関ケ原町で生まれた子どもが12人なのですから。関ケ原町と言えば殆どの国民はご存じだと思います。

にも拘わらず関ケ原町に住んで貰えないで子どもを産んで育てていこうと言う方が少ないのには理由があると思います。

『住みやすい町 関ケ原町』と言う施策に安直だったからだと思います。

当法人の本部施設は確かに過疎地にはありますが働くところがあり、職員向けアパートが1Kではありますが20部屋あり、「買い物に不便」と言うマイナス要因に対して移動販売の業者さんとの提携を結び何とか住みやすい条件になるような対応をしています。

微々たる事かも知れませんが「住んで魅力ある町作り」に真剣に取り組まなければ日本の繁栄もましてや関ケ原町の存続もままならないと思います。

嘆いていても何ら変らないのでそれぞれに出来ることを考えていかなければと思っています。

3ヶ月ぶりに大垣市民病院の受診です。

令和7年6月4日

11時からの予約なのですが、受診前に検尿と血液検査があるので、家を9時に出て病院の駐車場に着くとどの駐車場も満車の表示がされていてどんどんと遠くの駐車場まで行ったのですが一番奥の駐車場まで満車だったので駐車場の案内をされている方にどうしたら良いかと聞くと受診を終わった方がこれから出てくるので順番に並ばれた方が早いと思いますと言われたので素直に一番後ろに並びました。

しばらく待っていると駐車場内に入り病院に入る前に診察券を出そうとしたのですが何度確認してもないので玄関口で対応されている方に診察券を忘れたのですがとお聞きすると予約されてみえますか、と言われたので11時にしています。と言うとそれであれば泌尿器科の受付でその旨を言われたら大丈夫です。と言われたので安心をして泌尿器科の受付をする事が出来ました。泌尿器科の受付を済ませ検尿と血液検査の受付をして、忙しい状況が済んだ時間帯だったので血液検査もスムーズに出来て今は担当医師の受診の順番を待っています。

泌尿器科の待合は座る所が無い状態なので隣のエリアである外科で順番を待ちながらコラムを打っています。正直これほど混んでいる病院でも経営が難しいと聞いています。全国的にも7割近くの病院が赤字で建てて40年が経過していて建て替えが資金的に厳しいとのニュースを聞きました。この問題は私が経営している介護事業等についても同じ事が言えると考えています。だからこそ、効率性を求めつつ他の事業所との差別化を進めて行く。

昨日から実施しているトランスファー研修もその一貫だと考えています。そして、もう1つ強みにしていきたいのが認知症の専門性を高める事。もちろん、その他にも多くの課題はありますがその2つを徹底して実施する事によって派生的に出来る事が出来る様になると考えています。常に切磋琢磨していく事によって気付きの多い職員集団を築いていきたいと思っています。リピーターの皆さん応援を宜しくお願いします。

流石に吉澤施設長はトランスファー研修の第一人者です

本日から本部施設において『トランスファー研修』が断続的に実施されます。

1日目の今日は10時から1回目が実施されました。

研修に先立ち理事長である私から「何故今トランスファー研修なのか」について語り、後は吉澤施設長に任せました。

トランスファー研修の依頼は久しぶりだと言う事でしたが私に言わせると「内容はより精度の高いものになっている。」と思いました。

その根拠となるものは認知症研修の指導者としての展開が大きいのと施設長としての配慮が出来る様になってきたからだと思っています。

最初に『北欧式トランスファーテクニックの基本的な考え方』についておさらいの様な話がありました。

①持ち上げない。

②利用者の積極的な参加。

③自然な動き。

④摩擦。

⑤傾斜。

⑥てこの原理。

⑦太極拳のようにしなやかに。

の7項目についての話をしていく中で吉澤施設長の話術に引き込まれて行きました。

講義の後は実践に入って行ったのですが、3年以上の経験がある職員が受講していたのですが正直、実践の中でトランスファーがなされていない実態がわかってきました。

私は常に『継続は力なり』と言っているのですが、トランスファーを導入した時の思いは正直形骸化されていると痛感せざるを得ないような状況だと言う事です。

『砂上の楼閣』と言う言葉が当てはまってしまうような体たらくさでした。

理事長である私が見ているから出来ないと言うようなものではなく「基礎的な理解もされていない」と思うと同時に吉澤施設長からの指摘を受けるまでもなく「杉和会のハード面での充実と拘りが全く理解されていなくて活用されていない」現状にも唖然とする思いでした。

但し、嘆いてばかりいたのでは何の意味もないので、今後やるべき事の整理をして、今後の展開に生かして行けるようにしていきたいと考えています。

勿論考える主体は現場の職員と言う事なので、研修後に色んな意味で見直さなければいけないところを出し切って展開していけるように私自身も色んな配慮をしていきたいとおもいます。

そして、このことがしっかり出来る様になったら他の事へも派生的に出来る様になっていくと願っています。

いや、間違いなく出来る様になり、より頑張れる施設にしていきたいと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

トランスファーの有効性について語ります

トランスファーを実施しないでいわゆる『垂直移動』(相手の方の腰辺りを両手で持って立ち上がらせる)は介助する側の腰にかかる負荷は相手の方の体重の10倍から12倍と言われています。つまり相手の方の体重が50㎏だとすると500㎏~600㎏だと言われています。「えっ、そんなに」と思われる方が殆どだと思います。当然ながら1回実施しただけでいきなり腰が痛くなることはありません。

しかしながら、本部施設においては110人、和合においても98人の入居者さん、利用者さんのお世話をさせて頂いていて入居条件が『要介護3以上』の方になってからは車椅子を使用されている方が殆どで、3度の食事の他にトイレ誘導や介助の時に多くの方に垂直移動を繰り返し毎日実施していたら腰痛にならないのが不思議だと思いませんか。

良く言われる質問に「いちいちスライディングボードやスライディングシートを使用していたら時間がかかってしまって業務が回らない。」と言われます。そのように言われた時に私は「腰を痛めてしまったら治療に多くの時間がかかるし、治療している間は他の職員により負担がかかります。ましてや腰痛の為に退職するような状況になってしまったら取り返しがつきません。」

移動・移乗にリフトを活用する方法もあるのですが当法人も理念の中に「寄り添いケアの充実」があり、トランスファーを駆使して入居者さん、利用者さんとの信頼関係をより密にする。と言うのがあり、『ノーリフトケア』を推奨していたのですが、形骸化されている現状を理解したいま、トランスファーを展開することによって職員が「楽に対応でき、楽しく介護が出来る」と思って貰える様な展開になる様に研修も密度良く実施していきたいと思います。

当法人には吉澤施設長の様に先駆的に実施してしっかりとした現場に基づいた指導が出来るのは私に言わせると「トランスファーに現場の状況を取り入れた日本一の指導者」と私は思っていますので、必ずや成果を出してくれると思っています。但し、もう少し早くに私自身気が付き、気が付いた段階で職員任せにしていた分、今は『阿修羅と化す』で高熱から治癒した体に鞭打って頑張って成果を出していきたいと考えています。

私が北欧式トランスファーに拘るわけは

令和7年6月1日

1998年(平成10年)5月18日に優・悠・邑が事業開始をしました。そんな中で、私の専門分野は『児童養護』であり、『福祉への思いと理念』は誰にも劣らない自負は持っていましたが『高齢者福祉・介護』の知識はハード面への知識はあっても、ソフト面に対する知識は全く無くて、その当時は新卒者の採用には困る事がない状況で、高齢者介護の経験者は数える程しかいなくて、正直手探りのような状態で、私自身が大学等の講義で週13コマも引き受けていて、家庭教師も引き続き行っていました(借り入れに対する償還財源に充てる為)。尚且つ、なかなか措置依頼が来ない中で、その当時の理事長と共に市町村廻りをしていて、現場にいく時間は土日を中心にしか時間が取れなくて、職員教育もままならない状態でした。

そんな中で、一生懸命に頑張っている職員が腰を痛めている事に心を痛めて、その当時の対応としては、各職員に腰痛ベルトをそれぞれに2本づつ貸し与える事しか出来ない事に対しても苛立ちを覚える毎日でした。そんな中で、全国老施協全国大会が岐阜の地で実施された時の最後の記念講演で『北欧式トランスファー』に巡り合い、「私が悶々としていた問題を解消するには『北欧式トランスファー』の導入しかない。」との思いで、その時の講師の先生(デンマーク在住の小島ブンゴウド孝子氏)を翌年に岐阜県老施協の研修で、高山・中津川・岐阜・大垣の4会場で実施して頂くと共に、当法人でも2日間に渡って指導して頂くと共に、現在、優・悠・邑 和(なごみ)の施設長の吉澤に小島ブンゴード孝子氏の家にホームステイをしながらの指導を受けさせ、吉澤が帰国後は3か月をかけて徹底指導を実施すると共に、ハード面としてスライディングボード、スライディングシート及び跳ね上げの車椅子の購入を行い、その頃は全員の職員がしっかりトランスファーが出来ていて、遠く北は山形県から南は鹿児島県からと、多くの法人が指導を仰ぎに来ていました。

その頃は確かに出来ていたのです。但し、吉澤施設長が10年前に大垣の優・悠・邑 和合に異動になり、4年前に盲養護老人ホームが事業開始して職員の異動や新規採用があり、最近職員の中に腰痛を訴える職員が出ました。その職員に話を聞くと、トランスファー自体についても理解していないと言う事がわかり、私自身愕然となってしまいました。そこで改めて体制を立て直す事を指示したのですが、遅々として進んでいない事を本日確認して正直怒り心頭です。しらしながら、任せていて出来なかった時間を取り戻す事は出来ないので、20年前の思いをもう一度立て直しの為に、私が中心になって実施していきたいと考えています。

「いつまで理事長が先頭に立つの」との意見もあるだろうし「職員に任せては」との意見もある事は理解するのですが、大切な職員が一人でも欠けることの無い様に『阿修羅』と化して頑張って行きたいと考えています。先ずはトランスファーの大切さを理解させ、技術の習得に力を入れていきたいと考えています。『継続は力なり』が出来ていなかった事に忸怩たる思いはありますが、ここは正念場と頑張ります。

良く回復したと自分でも思っています。

1週間前の5月24日は午前中が法人監事監査で午後は法人理事会が予定されていて24日の朝から熱っぽかったのですが、「理事長としての職責を全うしなければ」との思いで10時からの監事監査に出席をして理事長としての挨拶をして、決算の資料について全面的にお願いしている岩田理事の説明で話が進んでいったのですが段々と頭がぼーっとするような状態になり、監事監査が終了した段階で本来理事会の議長は理事長である私がするのですが三輪理事に依頼する事にして事業説明についてはそれぞれの施設長が、決算等々については岩田理事にお願いをして職員に家まで送って貰い14時30分に徳洲会病院に行きました。そこで見て頂いた先生から入院を勧められたのですが「入院すると色んな予定に対して迷惑を掛けるので投薬と安静で行きたい。」と話をして家での安静に努めました。

25日の2回目の互助会は申し訳なかったのですがキャンセルをして、26日の岐阜県社会福祉法人経営者協議会の理事会・総会・研修会は全てキャンセルして自宅で安静にしていました。と言うのは27日が岐阜県老施協の総会及び講演会があり、終了後に介護福祉政治連盟の説明を私が担わなければいけなくて、会長として穴を開けるわけにはいかなかったからです。27日の岐阜県老施協総会は何とか皆さんに迷惑を掛けない様に対応できました。

流石に翌28日は私の主治医になって頂いている先生に診て頂く以外は毎月参加している彦根東福寺の護摩供養にも行かず29日の聖一座の公演で私の花魁も「穴を開けたくない。」と頑張り、昨日30日は理事会に出られなくて今後の法人経営についての打ち合わせの為に岩田理事の事務所に行きレクチャーを受けに行き、その後は池田にある新生病院の評議員会に参加して、本日は和合の施設で午前はお参り午後はカラオケの対応が出来るまでに回復しました。

但し、岩田理事の所に行った時には岩田理事から「入院しなかったのですか」と言われて、本日も本部施設から和合の施設に向かう時に吉田理事(家族会会長)から「ぶっ倒れたと聞いていたので大丈夫なのか」と言われたりと言う事で「皆さんに心配かけてはいけないので今まで以上に健康に留意しなければ」と思うと共に「ご迷惑を最低限度に抑えられたのは良かった。」と思ったしだいです。

寒暖の激しい今の時期は

令和7年5月30日

私自身文字通りの『夏風邪?』でとんでもない状況になり、出来るだけご迷惑を掛けない様にしながらも、現実には多くの迷惑を掛けてしまいました。「今の時期は寒暖差も激しくて、衣服の調整等をしっかり行って下さい。」と事あるごとに言っていた私自身が風邪をひいた事は、他に示しが付かない思いで一杯です。但し、夜中から明け方に掛けての対応を連続で2回対応したのは、72歳の私にはきつかったのと、元々虚弱であったと言う事実を逸脱していたのが原因だと思うと、私自身の『働き方改革』を真剣に考えた上で「組織体制の在り方を考えていかなければいけない。」と思っています。

本題に戻ります。岐阜県気象台の予報による最低気温と最高気温は、5月30日『16℃-26℃』31日『17℃ー23℃』6月1日『17℃ー24℃』2日『14℃―27℃』3日『17℃―20℃』4日『19℃ー28℃』5日『19℃―28℃』6日『16℃―30℃』との事。この数字から見えてくるのは、例えば本日の気温も最低気温が『16℃』で最高気温が『26℃』と言う事で一日の差が『10℃』もあり、2日の最低気温は『14℃』と言うのも驚きです。そして3日の最高気温が『20℃』と言うのは「何かの間違いではないか」と思ってしまいます。尚且つ3日後の6日には最高気温が『30℃』と言うのは、どの様に理解したら良いのか。緩やかな気温上昇で夏になるのであれば体も緩やかに対応すると思うのですが「何ともはや」と言わざるを得ません。

しかしながら「これが現実」と言う事なので、嘆いていても何ともならないので、この様な状況に対しての対抗手段を私自身は当然の事ですが、施設の職員が入居者さんに代わって対応しなければいけないと思うので、そのための体制もしっかり取り組んでいきたいと考えています。リピーターの皆さんもお互いに気を付けましょう。

いよいよ本日和合にて聖一座の公演です

令和7年5月29日

先週の土曜日には高熱の為にフラフラだったのですが、何とか平熱に戻り「何とかではありますが花魁としての役割は果たせそうです。」と言う事で、11時過ぎには聖一座の面々がおみえになり、会場となる2階の控室に荷物を運び、会場内の打ち合わせをしてから今は昼食も頂き、花魁に化ける為の衣装替えに控室に呼ばれるのを、今や遅しと待ちながらイメージトレーニングを楽しんでいます。

さてさて病み上がりの私の顔に化粧が上手く乗ってくれるのかが心配ですが『ブキミ奴』と言われようが『綺麗で素敵』と言われようが、とにかく入居者さんが喜んで頂いて、職員が「理事長があそこまでされるのなら、私たちも頑張ろう」と思って貰えれば本望なのであります。

13時に聖はじめ座長から連絡を貰い控室に行くと、花魁の一人の方が先ずは私のお化粧をして下さり、化粧をしながら「理事長さんの顔はすべすべで化粧の乗りが良いですね。」と言われたので「私の母親は餅肌美人だった」と思わず自慢してしまいました。化粧を終えてから着物を着せて頂く時に、紐の周りが腰が人一倍あるために苦労しながらも何とか着付けをして貰い、最終的には座長さんにかつらをかぶせて貰いました。その間に、和合の男性職員3人のドレスの着付けと化粧をして頂き、ばたばたと本番が始まりました。

  

  

 

私たちの出番は中間からなので控室で待機していたのですが、かつらが重くて下を向くことも出来なくて大変でしたが、何とか私たちの花魁道中になり、本物の2人に続いて私が出ていくとめっちゃ盛り上がったので、皆さんと握手をさせて頂きました。順番に歩いていってもどこでも歓迎して頂けるのは本当に幸せでした。最後のプログラムで参加者が全員集合して、各フロアに分かれて記念写真を順番に撮って頂きました。なお、地域の方も10人近く来て下さったのも有難かったです。

これからも色んなイベントに地域の方を招待して、より地域の方々との信頼関係も構築していきたいとも考えています。とにかく花魁道中を含めて聖一座の公演を終えて、入居者さんの大きな笑顔が見られたので大いに満足しています。来月27日にも本部施設においても行われるのでここでも楽しくしていきたいと考えています。

 

何とか明日花魁になれそうです

何とか明日花魁になれそうです

 

先週土曜日24日には午前中の法人監事監査には参加しましたが熱がありフラフラになり家に帰って熱を計ると39、6℃があり中々熱が下がらす夜中に体な熱くなると咳が止まら無い日々が続きましたが、取り敢えず本日は熱も平熱になり、本日は新しい嘱託医になっての初めての正式な受診で高熱で診て頂いた時の血液検査の結果でCRPの数値が16と驚く様な結果だったのですが、先生が的確な薬を出して下さったので大変な状況は脱しました。と話しをして、先生に立ち上げの厳しさと医者と言えども営業が大切とお話しをさせて貰ってからの運転をしながらの帰り道は明日は私が花魁になれるとワクワクしながら帰って来ました。男性職員用のドレスを本部施設で借りてきてますますテンションが上がってきました。

あまりテンションを上げてまたまた熱が上がると いけないのでゆったりと寝る事にして、成果は明日のコラムでいっぱい書きますし、綺麗な写真もいっぱい掲載しますのでリピーターの皆さん乞うご期待下さい。

何とか岐阜県老施協総会の対応が出来ました

令和7年5月27日

13時30分から総会が始まるので自宅に12時20分に迎えに来て貰い13時過ぎに行くと既に賛助会員企業のプレゼンか始まっていたのですが指定された席に座り定刻の13時30分になり、進行役の中西副会長が開催を宣言し先ずは会長選挙の結果報告を関根選管委員長から私の会長再選の報告があり、参加者からの拍手を受けて、会長としての指針を挨拶としてさせて頂きました。会長挨拶に引き続き来賓として全国老協会長がリモートで話しをして頂きリアルで岐阜県健康福祉部次長に挨拶をして頂いた後祝電を紹介して貰ってから議長選任で3議題の承認がされて総会が無事終了して10分の休憩がとられ、講演会になりました。

今回の講師は石川県の被災地支援に行った愛知県の施設長の話しと言う事で岐阜県健康福祉政策課の課長以下4名の防黴担当者の方も来て下さり、動画で現地の紹介もしながら熱く語って頂いたので参加者の方も一生懸命に聞いて頂けました。3時間30分は寝起きでいきなりの参加で途中てしんどい時もありましたが気力で頑張ったお陰か、家に帰って体温を計っても正常値だったので、少し体力に自信を持ったのですが・・・

 

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