介護報酬改定は3年に1度なのですが・・・。

昨年(令和6年)4月に3年に1度の介護報酬改定が実施されたのですが、この1年の間に色んな状況が変わっていて対応に苦慮しています。

具体的にはこの4月からも色んなものが値上げされています。特に「令和の米騒動」と言われて政府が備蓄米の拠出を実行したものの米の値下がりにはあまり貢献出来ていません。

当法人は米については地元の農家さんとの契約をしているので2倍近い値上がり等と言う事は無く、美味しい米を安価に提供して頂いているのでそれ程の影響は受けていませんが、電気、ガスは勿論の事ですが食料品も軒並み値上がりしていますし、人件費については大手企業が軒並み大きく基本給の見直しをしています。しかしながら、当法人では、基本給の見直しを精一杯したいと考えていても公定価格の中で思い切った対応が出来なくて他の産業との格差は開くばかりの状況です。

しかも、昨年の介護報酬改定に合わせて実施された標準価格の見直しで、『居住費』については1日あたり60円のアップがなされたにも関わらず『食費』については変わりなしと言う事で「実態に合っていない」と思い全国老施協の会議の中でも厳しく問題視しましたが、その答えの「事業所では実質上がっていない。」との事だったので「どのようにしたら上がらない結果が出るのかの実態調査をすべきだ」と言う中で前にもこのコラムで書きましたが「行事食の廃止」とか「魚の切り身が小さくなっている」と言う事がわかり、「実際には標準額をどの程度上げるべきか」の調査の結果『標準額を300円は上げなければいけない』と言う結論が出たとの報告を受けました。

確かに厨房の委託業者は値上げの申し出が相次いでいると言う事を考えたら300円と言う数字が実態に合っていると思います。

それぞれの事業所が今の介護報酬で、利用者さんにしっかりとした対応をしていくには次回2年後の介護報酬改定まで待っている事は出来ないので、気が付いた人たちでスクラムを組んで国に対して理解して貰える運動を展開して、介護の質が劣化しない様にしていかなければと考えています。

リピーターの皆さんにもご理解が得られたら幸いです。

岐阜新聞の記事から

令和7年4月2日

本日の朝刊1面に『昭和は「活気と人情」 県民、60歳以上には「古き良き時代」』との見出しを見つけ、自他ともに『昭和おじさん』の私としては興味を持って記事を読ませて頂きました。その中で【特に、昭和期を長く過ごした戦前から昭和30年代生まれ(60歳以上)の世代では、「貧乏なのに心豊かだった」「隣近所と『みそ貸してお米貸して』の付き合いがあった」など、人情にまつわるエピソードがたくさん寄せられた。人間関係が薄れつつある令和の今、濃密な関係を懐かしく思うのかもしれない。さらには「給料は現金でもらえたので給料日はみんなウキウキしていた」「新しい時代への希望があった」など、今にはない社会の活力を感じさせるコメントも並んだ。

ただ、「セクハラ当然の時代」「男尊女卑」といった当時の価値観に対する憤りも多かった。一方で、子供の頃に昭和が終わり、主に平成を生きてきた昭和50~60年代生まれの世代になると、パワハラや根性論、社畜といったネガティブな言葉も表れた。「疲れ切った大人たち」「今と違って、何も気にせず自由に発言できた時代」「昭和は熱いのがかっこいいといたが、平成以降はダサいに変わった」。

現在30~40代と働き盛りの世代でもあり、比較してしまうのかもしれない。その反面、「働けば働くほど給料が増えた良い時代」「頑張った人が認められた」「パソコンなどもない中で創り出してきたのがすごい」など右肩上がりだった社会をうらやむような声も聞かれた】この記事を読んでいく中で「うんうん」と頷いて納得する事が多くありましたが、私が職員採用時や施設の全体会等で「頑張れば頑張った様な処遇をしていく」と言っているのは『昭和おじさん』故のことなのか。

でも「当然と考えているのは古い考え方で時代にそぐわないのか」と思うと「仮に私の考え方を軌道修正していくとしたらどの様に組織を活性化していくのはむずかしいな~。」と思いつつ「昭和的な考え方で何が悪い」と思っている私がいます。「だ、か、ら、是は是、非は非でやっていく中で背中で見せていくしかないな」と思っている私です。

だからこそ私は『昭和おじさん』なんでしょうね・・・。リピーターの皆さん、こんな私をどう思われますか。

朝のお参りを再開しました

私の性格が元々『軟弱』なので、何らかの理由で歩けなかった時があり、そのまま冬のシーズンに入ってしまいズルズルとお参りが出来なくなっていたのですが、本日から令和7年度は始まると言う事で昨夜に『固い決意』をして今朝は午前5時40分のアラームで速やかに行動開始。

ところが久しぶりと言う事で一先ずリュックサックに入っているペットボトル7本に水を入れようとしたところペットボトルに水が入ったままのものが4本もあり「古い水では申し訳ない」と言う事でペットボトルの水を捨てる事から始めて7本全部に水を入れリュックサックに収めてから玄関先でウォーキングシューズを履いてから金剛杖を持って玄関を出ようと思って「いけない、お賽銭を持っていない。」と言う事で小銭をストックしている入れ物の所まで行き、1円玉1個、5円玉1個、10円玉5個、50円玉1個のお賽銭と100円玉2個(護摩木代)をズボンのポケットに入れて家を出たのが6時5分と言う事で「久しぶりだと手際が悪いな」と思いながら出発しました。

6時を過ぎているので既に明るくて歩くのには丁度良かったのですが、金剛杖を持っている右手が冷たくて「まだまだ寒いな」と思いながらも「これまた修行」と歩いて行き、妙応寺の駐車場の奥にある『幸福地蔵様』の前で「久しぶりでごめんなさい。私がお参りしないと前掛けが曲がったままですね。しっかり直させて貰ってから久しぶりに抱きつかせて下さい。」と言ってお賽銭を入れてから「南無幸福地蔵様」と言いながら抱きしめさせて貰いました。幸福地蔵様でのお参りを終えて妙応寺の本堂でお賽銭を入れて護摩木代200円もお賽銭箱に入れてから護摩木の表に『心願成就 今須門前 若山宏』と書き、裏には『令和7年度杉和会の益々の繁栄を』と書かせて頂いてから書いてある護摩木の所に収めてから、般若心経を中心にしたお経を唱え、今須稲荷、常在不滅之塔、吉川家のお墓、六地蔵様と順次お参りしていったのですが湯飲みが汚れたままであったり、六地蔵様の線香の残りを入れる器の中に入っているのが散らかっていたりと言う事でしっかり時間がかかってしまいました。

最後に若山家のお墓に行き、春分の日には花を持って行きましたが朝のお参りは久しぶりだったことを詫びると共に毎日行きますと誓ってから家に帰ってきました。再出発になった日が新年度の初日であった事で今年度には色んな意味で良い展開が待っていると確信しましたのでリピーターの皆さん、これからの杉和会の動きにも注目して頂けると嬉しいです。

肩が重かったのですが

令和7年3月31日

信じて貰えるかは分かりませんが・・・。3月28日の事です。『28日』は不動明王様の縁日で、毎月28日には彦根にある『東福寺』の護摩供養に参加させて頂いているのですが、2月の護摩供養には参加出来なくて、3月になってから異常に肩が重くて気になっていたのです。その事を気にしていた時に、本部施設の事務所で西川課長が話している会話を聞いていて「そういう事か」と思う事につながりました。と言うのも、西川課長は長浜市にある滋賀信行会が主催する歩き団参四国遍路に小学生の時から参加していて、今も青年会の中心者として熱心に信仰しているのです。会話の中身は「先月の東福寺の護摩供養に行けなかったからか、肩が痛いけど、今日護摩供養に参加すれば楽になると思います。」と言っていたのです。私は先月の護摩供養に行けなかったのと肩が重いのが結びつかなかったのですが、「流石に西川課長は筋金入りの信者だ。」と思った次第です。

そして本日、28日の護摩供養から3日が経過した本日は「確かに肩の重いのが無くなっている。」と思ったので本日のコラムで書かして頂いた次第です。仏さんが罰を与える事は絶対にありませんが、『戒め』を与えて頂くことはあると思います。私は高校2年生の17歳の時から四国遍路のご縁を頂き、不思議な体験や理屈抜きで助けて頂けた事や、素晴らしいご縁を頂いたものとして、西川課長の話は真摯に受け止めた次第です。リピーターの皆さんに信じて頂かなくても大丈夫ですが、昔から『事実は小説よりも奇なり』とも言いますので。

社会福祉法人杉和会理事長として

1997年7月17日に社会福祉法人杉和会の認可を当時の岐阜県知事から頂き、28年の月日が流れる中、初代伊藤憲治理事長の逝去に伴い理事長に就任して20年以上の年月が経過しています。

その間に優・悠・邑 新館、優・悠・邑 和合、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の建設と事業運営の責任者として『地域の高齢者福祉に貢献する』と言う大命題の中でブレ無く頑張ってきたつもりです。

勿論、山あり谷ありで今も『物価高』と『人材確保と育成』に苦慮しながらも『入居者さんファースト』『地域ファースト』の中であっても職員がやりがいを持って働ける様な組織である様にと言う理念の基での展開に努めています。

昨年4月の介護報酬改正に伴い『居住費』については標準単価が1日当たり60円上がったにも関わらず、『食費』については『ゼロ解答』だった事に私は「世間一般において諸物価が値上がりしている中でどうしてゼロ解答だったのか」と大いなる疑問を持ったので、全国老施協に対して投げかけたところ「全国事業所の食費の収支に差異が無い。」との回答が返ってきたので「これだけ色んなものが値上がりしている中でどんな努力がなされたのか」と調べて行く中で『行事食を廃止したり』『魚の切り身を小さくしたり』と言う事例が多く出てきた中での収支差無しと言う事が分かりました。

私はその回答を得た時に「事業所として節約は大切だけれども入居者さんに不合理を求めてはいけない。行事食を無しにする事業所ならば楽しい企画も削減しているのではないか」と思うと『本末転倒』の考え方だと思った次第です。

私は社会福祉法人杉和会理事長として『優・悠・邑(すべてにやさしく、いつまでもゆとりある、やすらぎのばしょでありたい)』と『今日一日楽しかったよ』の基本理念を構築できるような舵取りに頑張りたいと考えています。

唐突にこの様な事を思ったのは本日13時30分から当法人の評議員会があり、令和7年度の方向性を決める大切な会議があるからです。

米の値上がりで国がどんな手を打つのかと考えていたら

『米を巡る現状』の分析がされているものに5つの課題が明記されていました。

  • 消費の減少・・・一年に一人当たりの消費量が51.1キロ
  • 自転車操業・・・コスト高で稼げない
  • 生産者が減少・・・20年で半減
  • 平均年齢69.2歳・・・後継者がいない米農家が7割
  • 農地も減少・・・年々東京ドーム5.300個分の農地減少

『どうする?日本の農業・・・稼げる仕組みを後押し』

  • 農地を集約・大区画化して効率的に
  • 海外の売り先を開拓
  • いかに生産コストを減らせるか

以上が専門家による分析だとは思うのですが、『米を巡る現状』に示されている5つについてはかなり前から言われている事に対して何らメスが入っていない現状だと思っています。

『米作り・農業』が魅力ある職業であれば若者が担ってくれると思うのですが、そのような対策が行われてきたとしても大した成果が出されていないのだと思います。

一旦は地元今須を離れて『専業農家』で生活されている若者が戻ってきました。

その若者に話を聞くと「都会での生活は給料は良かったけれども生活は楽ではなかった。」と言う事と「せっかく作ったお米が間違いなく売れる根拠があればやりがいを持って頑張れる」との話があったので当法人の米は3施設共に地元で生産した米を現在の市場価格よりも安価で美味しいものを提供して頂いています。

提供して頂いている農家の方は「確実に供給量を見込めるので有難い。」と言って貰っています。

今までは売れない米を買いたたかれてきた歴史があり、だからこそ『青田刈』『減反政策』等と言う愚策がまかり通ってきたのだと思います。

日本の米は『安心・安全で美味しい』と言う事を世界にアピール出来る事を国の政策にしていけば『魅力ある業界』として心ある若者が担ってくれると思います。

農機具は高い割に生産性が無い『自転車操業』では無いものの確立が望まれていると思います。

「米が高くて困る」との意見がある今だからこそ真剣に考え、米や野菜の自給率を上げて行かないと『住みよい日本』の姿は無くなってしまうのではないでしょうか。

だって私が住んでいる『今須米』は本当に美味しいですから。

父進さんの事を書きます

令和7年3月28日

いつものようにベットから跳ね起きる前に(トドの様なお腹なので『跳ね起きる』と言う表現は違うかも知れませんが、私的にはそのように思っているのですが・・・。)、ベット上での体操をするのですが、今朝はふと父進さんが布団の上で体操をしていた時の事を思い出している時に「私は小学生の時まで、仏間8畳の部屋で、私が真ん中で両脇に父進さんと母秋江さんが川流れで寝ていたな。」と言う事と、私に部屋が与えられたのは、中学生になった時だったと今更ながら思っています。『川流れ』『自分の部屋が無い』と言う状態を考えていると『甘アマ』の状態が見えてきます。

『自分の部屋が無い』と言うのも、母秋江さんが自分の手元に置いておきたいとの現れだと、今は思っています。何故なら、私自身母秋江さんにべったりの生活だったので、自宅学習は母が傍にいないと出来なかったからです。国語の本読みをする時も、母秋江さんがいないとやらなかった為なのか、その頃の私は本読みが下手で、母秋江さんが苛々しているのが分かると涙が出て来て・・・。そんな事を思い出していて、もう一つ思い出したのは、小学6年生の時に行われた学芸会の時の事です。

私はお爺さん役を頂いたと言う事を母秋江さんに言ったら凄く喜んでくれて、衣装や付け髭も手作りしてくれていたので、「実はセリフは無い」と言えなくなってしまったのです。当日に見に来てくれた母秋江さんは、家に帰ってから「お爺さんらしい姿になっていて上手だった。」と褒めてくれたのは今でも鮮明に覚えています。そんな私が今は3つの施設を経営している法人の理事長でいるのは、母秋江さんも父進さんも想像すら出来なかったと思います。

天国にいる二人は今の私の生き様に安心しながら「宏は頑張っているな」と思っていてくれていると思うのですが、二人には一杯迷惑はかけたし、世話になったのに親孝行らしい事はは何もできなかったので、入居者さん、利用者さんに精一杯の事をすることが『親孝行の代わり』と言う気持ちで、これからも頑張って行きたいと考えています。

本日は午後から岐阜県老施協の総会があります

本日は岐阜県老施協の総会があるのですが、会員の皆さんから『会員メリット』についての話が良く出ます。そう言う意味では本日の総会においてしっかりとした提案が出来る様に常任理事会及び理事会において検討をしたものを本日上程します。

常任理事会においては令和7年度の老施協のあるべき姿について、理事会においては各委員会の企画をしっかり検討して頂いたものを上程します。老施協の会員施設では『物価高』と『人材確保と育成』が大きな課題です。その事に対して真摯に向き合った提案にしたいと言う事で総会に挑みます。

今の老施協の実態としては、健康福祉部福祉担当の次長さんと担当部署と役員との懇談会や岐阜県厚生環境委員会の県議会議員との懇談会も年に2回ずつは開催出来る様になり風通しの良い関係を築けていて、物価高に対する補助金も速やかに頂ける様になってきたと自負しています。また、今日総会での開会に合わせて来賓挨拶を健康福祉部次長さんが来て頂けるのも有難い事です。また、来賓挨拶には全国老施協大山会長もリモートではありますが参加して頂けるのは全国老施協との関係も密にしていきたいとの思いからです。

コロナ感染の関係でリモート会議やリモートでの研修ばかりになってなかなか元の形には戻りませんが、リモートで良いものとリアルの方が良いものを適切に分けて実りある企画にしていきたいとも考えています。私自身は副会長・会長として20年以上勤めさせて頂いておりますが新しい考え方も柔軟に取り入れながらこれからも会員の皆さんにとってより良いものにしていきたいと考えています。昨日実施した社会福祉法人杉和会の3施設合同防災訓練も一つの提案として会員の皆さんに提供していくのも大切な事だと思っています。

『なりきる事』と『やりきる事』が大切だと思っています

令和7年3月26日

昨日のコラムに書いた『3施設合同防災訓練』を実施しました。「和合の施設の東側にある揖斐川が氾濫危険水位である6.4mに達する見込みで大垣市から避難指示が発令された」との想定での訓練を実施しました。

10時30分に揖斐川万石水位局の水位が5.8mに達して大垣市より高齢者等避難命令が出たのを受け和合の施設長が東京出張中との設定だったので、10時35分に伊藤副施設長から和合の施設長である私の携帯に連絡が入ったので、『垂直避難準備』の指示を出し、『非常時持ち出し品リスト』により必要な物品を1階から2階に上げる事を粛々として貰いました。13時30分に万石の水位が6.4mに達したと言う事で再び、出張中の(あくまで想定です)施設長に伊藤副施設長から連絡を受け、盲養護老人ホーム『なごみ』に5名の入居者さんの受け入れを依頼すると共に本部施設に移動の為の車と感染症の備品の提供を支持する連絡をしました。私は東京出張中の出来事と言う想定なので私が和合の施設長として出来るのはここまでなので、これ以降は『入居者役』(要介護5の想定)に徹しました。と言う事で車椅子を押して貰って車への移動も職員の手でして貰いました。車を運転している時とは違う外の風景を見ながらも入居者さんになりきった時には何処に連れていかれるのかも不安になるので添乗の職員がしっかりとした声掛けをして安心して貰う事が大切だと切に思った次第です。(和合を出発したのが14時26分で和(なごみ)に着いたのは15時03分)和(なごみ)に着き私は車椅子のまま会議研修室に連れて行って貰う内に荷物の搬入も終えて貰って、取り敢えず受け入れの訓練を終えてから3施設で対応した職員での総括と今後への対応について烏野先生の進行で話し合いをしました。

私の意見としては他の施設への移動は夜には出来ないと言う結論でした。何故ならば、職員の確保も難しいし、車の運転も経験値の高い職員で無いと難しいとの理由からです。烏野先生からは次回は台風シーズン前に実施したいし、冬場の乾燥シーズンを想定しての森林火災による訓練もしたいとの事でした。『備えあって憂いなし』を全県的に進める為にも頑張って実行していきたいと考えています。

明日(3月26日)3施設合同防災訓練を実施します

令和7年3月25日

第一回目の3施設合同防災訓練は、揖斐川の氾濫を想定して和合の施設で実施するのですが、本日10時から和合の全体会があり、伊藤副施設長から詳細の説明がありました。和合の施設は10年が経過した3階建ての震度7にも耐えうる建物なので、基本的には『籠城での垂直移動』なのでしょうが、世界中で『想定外の異常気象』が起きている現実を想定して、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)に入居者さんの移動と、緊急用の用品の運搬を本部施設の車両も提供して貰って実施します。

全体会において伊藤副施設長の説明の後、リモートで参加して貰っている烏野法人顧問(びわこ学院大学学部長・教授)から、「1回目の合同訓練なので、色んな気づきを出し合って、積み重ねていきたい。」との助言を頂きました。明日の想定は、理事長である私が東京出張時に大雨で新幹線も動かず、理事長としての判断を携帯でやり取りすると共に、緊急会議については携帯をスピーカーにして参加すると言うものです。東京にいる想定なので、実際には要介護5の入居者さんの想定で、和合から和(なごみ)への送迎をして貰う役をさせて頂きます。今後の防災訓練では、本部施設においては『土砂災害』と『森林火災』を想定した計画を。和(なごみ)の施設では『森林火災』を想定した訓練を実施したいと考えています。

『備えあれば患いなし』となるための一貫した実施をさせて頂き、岐阜県の施設でのモデル的な展開が出来ればとも思っています。岐阜県知事が江崎知事に代わり『岐阜県防災省』の計画を打ち出すとの報道を新聞で知りましたので、岐阜県老施協との連携も想定出来れば、会員施設にとってのメリットにもつながっていくのではないかとも思っています。『千里の道も一歩から』と言う事で防災についても地道に頑張って行きたいです。

1 5 6 7 8 9 10 11 12 13 298