根本的に『何故その様にしなければいけないのか』が理解出来ていないと本来の理解は出来ないものです。

高校生の時には「校則だから守りなさい」的なものに対して反発をしたものでした。反発をすると「高校生らしい身だしなみの為」とか言われて益々反発をしてきた様に思います。しかしながら、今は職員に対して「◎〇をしなければいけない」と言う事を職員に多く要求している事があります。そして、言ったことが出来ていない事に気がつくと職員本人にも言いますが、それ以上に責任者に厳しく言う様にしています。それは決して理事長として楽をしたいとの思いではありません。フロアの責任者がその様に決めた理由を理解していないと徹底しないと考えての事です。『しっかり手洗い、うがいをする』とか『しっかりとした挨拶をする。』等は基本的な事ですから誰でもが出来ていなかったら指摘する事は出来るのですが『髪の毛が垂れる事の無い様に』とか『スリッパではなくて靴を履く』等の様な決め事は明確な理由を示していかないと、説得力の無いものになってしまい指導が行き届かないものになってしまいます。また、『窓開けをして空気の流れをつくる』との決め事に対して「入居者さんが寒いと言われています」等と言ってくる職員がいたりします。そんな時には「施設はいくら個別ケアをしていてもあくまで集団での生活なので感染症の観点と匂い対策の為には開けるタイミングを工夫して開けて下さい」と重ねて説明しなければ徹底しないものです。また『地域参加を推奨し実践する』とか『ホームページの更新をしっかり行う』等に至っては理事長として丁寧に話をしていかないと、単なる『負担が増えた』との理解にしかならないと思っています。つまり、自分の考えを相手にしっかり伝えるには相手が納得するまで何度でも丁寧に話していくしかないのだと頭では理解しているのですが最近の私には余裕がないのか「イラっと」来てしまう自分がいる事に対して自戒を込めてのコラムなのでリピーターの皆さんご理解下さい。

「能ある鷹は爪隠す」と言う事なのでしょうか

本日、和合1階で午後からカラオケを入居者さんと楽しんでいる時の事です。

最近ショート利用を開始された方で、前回の時に私が歌っている時にも結構に口ずさんでいるのを確認できたので職員に「歌ってもらえるのと違うの」と言うと「お誘いはしたのですが歌えないと言われたので」と言う事だったので「今日は絶対に歌って貰える様にします。」と宣言してからタイミングを見計らって「私と一緒にデュエットなら歌って貰えますか。」と投げかけて『銀座の恋の物語』をデンモクに入れてマイクを差し出すと「歌えるかな」と言いながらマイクを受け取り、出だしのパーツが女性からだったので「どうぞ」とばかりに手で合図をすると、これが本当に上手なのです。しかも男性のパーツになって私が歌おうとしたのですが結局全部歌って頂けたのです。「文字通り『能ある鷹は爪隠す』だなと思ってしまいました。

そして本日のカラオケでは「歌えません」と言われていたのですがデンモクで『銀座の恋の物語』を入れると素直にマイクを持って下さり、しかも椅子から立ち上がり全く上手に歌われて参加されている入居者さんも職員さんも大きな拍手をして「上手やね」との声があちこちから聞こえたので「もう一曲お願いします。」と言うと「ひばりちゃんを歌います。」との事だったのでデンモクで美空ひばりさんの曲を提示すると「『悲しい酒』にします。でも何十年と歌っていないので上手く歌えるかな」と言われたのですが、イントロが流れるとマイクをしっかり持って席を立って台詞も含めて全く上手に歌われました。そのフロアにいた職員から「台詞のところが情感一杯で凄かった。涙が出そう」とまで言っていました。つまり、掛け値なしに「上手い」と言う事だったと思います。歌われた方も満足そうだったので「また、聴かせて下さいね」とカラオケが終了してから声を掛けると目を輝かせている様に感じました。

事務所に戻る前に職員に「彼女は何者」と聞いたところ「主婦だったと聞いています」との事だったので私は「単なる主婦の歌いっぷりではないね」と話をしました。この方に留まらず素晴らしいものを引き出してより目を輝かして貰える様にして行けたらと改めて思った次第です。

危険信号かも知れませんが・・・

右の足首が悲鳴をあげています。

その原因を考えた時におそらく体重が増えたからだと思います。(それ以外考えられません)と言う事は、『とほほほ・・・。』と言う事です。

何度もこのコラムで書いていますが、中学生時代までは、ガリガリで「おへそと背中がくっついているのではないか」と揶揄されるくらいだったのです。

その頃の私の食事の場面を思い出してみると、実にゆっくりとしか食べられなくて時には食事の途中で寝ていた事も度々だったように理解しています。

時間がかかるので当然の事ながら食事の量は少なかったと思います。

今の私はめちゃくちゃ『早食い』なので食べても食べても満腹感が無いのです。

つまり『大食い』なのであります。

本日は18時から本部施設において全体会があるので、13時30分から岐阜県主催の『岐阜県介護現場革新会議』終了後、本部施設に向かう途中にスーパーに寄ってパンとおにぎりを購入して17時頃に食べてしまい、全体会終了後は家に直行してお風呂に入り何も食べずに寝る事にしています。

と言う事で強い決意を宣言する為に家に連絡をして「夕食は食べません」と伝えました。

私が『早食いの大食い』になったのは26歳の時に児童養護施設の児童指導員になり、子どもたちが食べ始めたのを確認してから食べ始め、誰よりも早くに食べ終える習慣が出来てからです。

これも『職業病』の一つだと私は思っています。

一旦その様になるとなかなかこの習慣は治りません。

でもですね。足が踏ん張れなくなったら行動範囲が狭くなってしまうので、ゆっくりと食べて少量で満足出来る習慣を身に付けていかなければと今は『豆腐』なのか『こんにゃく』なのか、はたまた『鋼』のようになのかは分かりませんが、とにかく頑張っていきますのでリピーターの皆さんは私がスラっとした姿になる様に期待していて下さい。

その様に考えている舌の根が乾かない内に「ストレスと緊張感の解消の為に一杯食べてしまうんですよ」との声が響いているのですが、「果たして・・・。」

家族会による誕生会に参加して

私が住んでいる関ケ原町今須地区は明け方から吹雪くような降り方になったのですが、本部施設に行く時には交通規制がされている為か、我が家の前の旧中山道である町道から国道21号線に入る時には全く車が走っていない状況だったのですが道路の除雪はしっかりされていて思わず「ありがたいなあ、でも道路はアイスバーンに違いないのでゆっくり走ろう」と時速40キロで走っていると後ろから凄いスピードで走って来るのがルームミラーで確認できたと思ったら対抗車線に入り、これまた凄いスピードで私の車を追い抜いていきました。私は「雪道の怖さを知らない運転は許せん。」と思いながらもスピードを上げる事無く国道から今須上の谷地区の道路に入り、「雪が降っている時は時速20キロで走る事になっている。」と言う事でしっかり除雪はされていましたが時速20キロでゆっくり走りました。

本部施設に着いて、10時からの『家族会主催の誕生会』まで郵送されて来ている書類等の確認をしていると9時30分に家族会の吉田会長さんがみえたので会議室に行き今回の衆議院選挙等の話をしていて10時前になり、10名の誕生会対象者の入居者さんと家族の参加者の方も揃われたと言う事で玄関ホールに移動して誕生会が始まりました。

今回は大正12年生まれで103歳の方から90代、80代の方と続き、一番若い方は70歳の方までおみえになり、改めて「生年月日だけではないな」と思った次第です。家族会の吉田会長さんから最高齢103歳の入居者さんから順次誕生プレゼントを渡して頂き一人ひとりの方を紹介して『ハッピバースデイ』の歌を歌いました。参加された方はいつも以上に目が輝いているように思えました。本部施設が事業開始をして27年の経過の中で誕生会についても色んなやり方を模索して今の形になったのですが、やはり家族会を取り込んでの展開で対象者を集めての進め方がベストだと思っています。一度決めたらそれを踏襲する事も大切ですが検討しつつアイデアを出していく事も大切だと改めて思った次第です。

今回の大寒波は関ヶ原には影響が少ないままで済みそうです

2年前の猛吹雪の記憶が鮮明に残っていて、その反省もあってか「この程度で規制をするのか」と言う状況です。私自身、和合の施設で泊まる為にシーパップ(無呼吸症候群の機械)や着替えを準備して車に積んで、畳ベットも持ち込んで準備万端にしていたのですが、私が言っている「積雪30cmまでは雪が降ったとは言わない」の基準で言えば、泊まらなければいけない状況にならずに、今日に至っています。私は常に「関東方面に降る時は、関ヶ原には大して降らない」の俗説が今のところ当たっている状況です。今まで滋賀県の彦根にはそれ程降った記憶が無いのですが、今回はしっかり降った様です、三重県でも降ったとの情報が入り「雪道が変わってきたのか」と思っています。

私が大学生の頃の記憶では「所謂、中国寒気団(現在はあまりその様な言葉は使わないようです。)が南下してきて唯一の高い山である『伊吹山』(1337m)に雪雲が当たり、伊吹山の麓である旧米原町や関ヶ原町にドンと雪を降らせ、寒い風は東の方に行くので恵那や中津川の気温が低くなる。」との定説があった様に思いますが・・・。天気予報を見ていると「岐阜県を中心に山地で70cm、平野部で30cm」との報道がありますが、改めて思うのは「岐阜県は広~い」と言う事です。

もう一つ思ったのは「高山市は10cmも降っていない」との報道に「飛騨地方も広~い」と言う事です。私が住んでいるエリアでは「本当に雪が少なくて助かった」と言う事ですが、福井県敦賀では大変な雪で、交通渋滞が起きているとの報道に申し訳なさを覚えています。と言うのは、私自身大雪で除雪をしても除雪をしても積もる方が早い時に、途方に暮れる経験があるからです。どうしてそれ程降ってもいない関ヶ原が、何度もテレビで報道されるのかを改めて考えてみると『交通の要所』だからだとの考えに至りました。東海道新幹線は通り、東海道本線が通り、名神高速道路がとおり、国道21号線、国道365号線と言う大動脈の中心地であるからだと思います。大動脈の中心地であるにも関わらず関ヶ原町の、関ヶ原町の人口は6000人を切ってしまいました。この現象は先人の責任でもありますが、関ヶ原に住んでいる今の住民の責任でもあると思うので、私も微力ながら住み良い街関ヶ原に貢献していかなければいけないと思っています。

菅元総理の政界引退はとても残念です

令和8年1月23日

最近の報道では覇気のない姿が出ていることが多かったので私なりに心配していたのですが、今回の衆議院解散に伴う選挙には出馬しないとの引退表明をされた事に対してとても残念だとの思いを持っています。

と言うのも全国老施協常任顧問で組織内候補として参議院議員でもあった園田修光先生が衆議院議員として当選された時の同期で衆議院議員時代から菅元総理と親しくされていた事もあり、全国老施協の組織内候補として参議院選挙に立候補された時には菅元総理は当時官房長官をされていてとても激務な状況であったと思うのですが、全国老施協の代議員総会の折り私は当時副議長の職責にあり、議長と共に中央に座っていたのですが、その当時の官房長官がおみえになったと言う事で総会を一時中断して園田先生の応援の為のお話を聞いた事がありました。

その時は私が座っていた席をお譲りして私は隣の席でお話を聞いたのですが「菅官房長官は義に熱い方なので今回の運動に対してギアを3段くらい上げないと大変な事になるな」と思ったものでした。全国老施協に対する理解と思い入れも厚い先生だったので本当にお世話になったし、これからも色んな意味で活躍して頂けるものと思っていたので本当に残念です。

菅元総理は総務大臣の時には『ふるさと納税』の実施に漕ぎつかれましたし、官房長官時代には総理をしっかりサポートされ、ぶれない姿には尊敬の念を持っていました。総理になられてからは介護職員の事を良く理解された処遇改善やコロナ対策での医療に対する慰労金を介護分野にも手を差し伸べて頂けたのは本当に有難い事だったと思っています。

世襲とは全く無縁な中で総理にまで上り詰められたのは『人』としての大きさと共に『誠心誠意を尽くす方』だったからだと思っています。政界を引退された今、しっかり体のメンテをして頂き、また元気なお姿で日本の未来の方向性を示して頂きたいと思っています。

取り合えず雪は大した事が無かったです

夜中の2時に目が覚めて雪の状態を確認したところ「大したことが無い」と一安心をして、再び眠る事にしました。次に目覚めたのは4時52分に、管理宿直の吉田副施設長からメールで『施設前、積雪12cmほど。昨日22時ごろから、名神と国道の予防的通行止めが実施されており、先程厨房職員出勤(滋賀方面から)しましたが、例年通り仕事である事を伝えれば通れるとの事です。ライブカメラで確認しましたが国道の除雪はしっかりされている様子です。これからまだ降雪の予報となっていますので、除雪依頼の連絡をします。』との連絡に、 確認した事のメールを送ると共に「管理直の役割をしっかり出来ている」と思った次第です。再び吉田副施設長から、2報として6時59分に『5時30分から除雪入っています。早番の職員も出勤しています。』との連絡に安堵してからテレビでニュースを見ながら朝食を頂いていると、雪がまだまだ降るとの事だったのですが、その中の情報として「彦根が27cmで、三重県や南知多ビーチランドの砂浜が雪で真っ白だ」との報道に「雪道が変わっている様だ」と思ったのですが「これから降って身動き出来なくなるといけないので、シーパップ(無呼吸症候群の医療機器)と着替えを準備してから出掛けよう。」と言う事で、朝食後に準備をして和合の施設に向けて出掛けました。

通行止めの規制が続いている為か、21号線の車の数は少なかったのですが、除雪はしっかりされていたのでスムーズに車を走らせる事が出来ました。但し、車は少なかったのですが、スピードは控えめで運転していたのですが、たまに猛スピードで走る車があったので「除雪して貰っているので確かに降雪は無いように見えるけど、道路は凍っていて危ないな。」と思った次第です。無事に和合の施設について10時30分から2階のフロアでお参りをしていると、太陽の光がカーテン越しにでもわかるくらいでした。お参りを終えて本部施設に電話をした時に「本部施設も晴れているの?」と聞いたところ「雪がちらついていますよ」との返事に複雑な気持ちになりました。と言うのは「泊まる気持ちが半分で、晴れているので帰れると思っていたのに」と言う事です。私の感覚では積雪が30cm以内は「よく降った」とは思わないし、車での立ち往生も無いもの」と思っているからです。但し雪雲の流れによってはドント降る可能性もあるし、今回の雪は長期に渡るとの予報もあるので、腹を括る事もしなければと思っています。腹を括ると言う意味では、25日に次男家族が孫2人を連れて来る予定でしたが、見通しが立たないので今回は延期する事になったのは残念ですが止む無しと思っています。

昨日行われた賀詞交歓会の報告です

昨日OKBふれあい会館14階で12時30分からの受付で、13時開始の岐阜県老施協主催による『賀詞交歓会』が行われました。私は「準備もあるし、何と言っても初めての企画なので、何か不手際があってもいけないので」と言う事で、12時前に14階の会場に行くと、既に事務局の他にも副会長も何人かきてくれていたので、挨拶をしつつ会場の確認をしました。80人規模での実施を想定していたのですが、来賓の方を入れると100人近くになり、「大盛況で、取り合えず初めてにしては有難い状況だ」と思い、12時30分からの受付の時間を待っていると受付時間前にみえる方もあり、受付される方にそれぞれに挨拶をしたり、名刺交換をしたりしていると、来賓で江崎知事も来ていただける事になっていたので、高齢福祉課の担当者の方が先取りで来て下さったり、健康福祉部長さんや高齢福祉課長さんが来て頂いたりしたので、会場をご案内したりして、13時前になったので、エレベーター前で江崎知事がおみえになるのを部長さん達とお待ちしていると江崎知事がエレベーターから出てみえたので、ご挨拶をすると共にメイン会場にご案内しました。

知事が着座をされたのを確認したタイミングで、林副会長の進行で開催の案内があり、最初に主催者挨拶を会長である私がさせて頂き、引き続き来賓挨拶として全国老施協の大山会長が、リモートではありましたが挨拶をして頂き、引き続き来賓挨拶を江崎知事にして頂きました。江崎知事の挨拶の中で、母親の施設での看取りに感謝され、「最高の笑顔で、安らかに眠っているようだった。」と施設の必要性を示唆して頂いた挨拶には「本当に有難いご挨拶だ」と思いました。江崎知事の後を受けて岐阜市長の代理の部長さんの挨拶があり、岐阜県議会厚生環境委員会の恩田委員長、平野副委員長にもご挨拶を頂けたのは、岐阜県老施協の会員施設と賛助会員で参加して頂いている方々にとっても、インパクトのあるものになったと思います。

来賓のご挨拶を終えて、再び全国老施協大山会長にリモートで登場して頂き、高齢者施設の現状と老施協が行ってきた事と今後の展開についてしっかりとお話をして頂き、式典を終了して同じフロアにある展望レストランに移動して、参加者同士の交流会を行いました。

先ずは、簡単に私から挨拶をさせて頂き、乾杯に移り、烏龍茶もしくはオレンジジュースが行き届いた段階で再び江崎知事に登場して頂き、乾杯の音頭を取って頂きました。ソフトドリンクと軽食を頂いて貰いながら、会員同士の交流と賛助会員との交流を15時まで行いました。私は4人1グループになったテーブルを回りながら、必要に応じて名刺交換をさせて貰うと異口同音の様に「素晴らしい企画をして頂けた」との感謝の言葉を頂きました。公務の為に交流会の途中で退席された江崎知事さんと共にエレベーターに乗り、車が会場を出られるまでお見送りをさせて頂きました。その時には「知事さんにも参加して頂き、素晴らしいものになりましたので、来年も行いたいと思いますので宜しくお願い致します。」と話をさせて頂きました。

15時にデイサービス協議会の村田会長が閉会の挨拶をして貰い、無事に尚且つ盛大に賀詞交歓会を終える事ができました。来年に向けての反省点はありますが、概ね大成功だったのは事務局の下支えと役員がそれぞれに頑張ってくれたと感謝すると共に、積み重ねていたもののある意味集大成だったと思っています。勿論これからも私自身、出来る事を精一杯頑張って行こうと心新たにしています。

雪が長く居座るとか

令和8年1月20日

何年か前に和合の施設にいた時に、朝からの雪が凄い勢いで降ってきたので「本部施設が心配だ」と言う事で昼食を食べて12時30分に本部施設に向けて帰る事にして「関ヶ原町の交差点で大渋滞を引き起こしている」との情報を得たので本来であれば21号を西に向けて一本道なのですが大垣から養老経由で走らせていて牧田の交差点付近までは順調に走れたのですが牧田の交差点でピタッと止まってしまったので牧田の交差点から旧道に入って「あと300mで本道に入れる」と思ったタイミングで対向車が路肩にはまり全く動けない状況になって、しばらく待っているとたまたま私をご存じの方から「戻った方が良いから誘導しますよ」と言われ元の牧田の交差点に戻ると、私が交差点を入った時から停車しているトラックの運転手に「どのくらいここにいるのか」と聞くと「3時間だよ」と諦めた様に言われたので、本部施設どころか我が家に行く事も諦めて和合の施設に戻ると17時前と言う事で「無駄な努力をしたな。」と思うと同時に「(無呼吸症候群の機械)シーパップも無しで寝るのは大変だ」と思ったのですが、「取りに帰るわけにもいかないので何とか機械無しで寝るしかない」と言う事で大変な思いをした記憶があるので「今回はどの様な状況になっても良いようにしなければいけない。」と思っています。

シーパップを利用する前の検査では呼吸をしていないのが長い時には90秒もあったと言う事で昼間も眠い状況があったのですが、シーパップ装着後はその様な事が無くなったので「シーパップの機械を片付けて車に入れておいて必要に応じてセットすれば良い。」と考えています。

これは昔の諺である『備えあれば患いなし』と言う事だと思いますし『自分の健康は自分で守る』と言う事だと思うので大寒波予想に対応して行こうと考えています。この様に準備を万端に考えていると肩透かしになってもこれは良い方向と捉えれば腹も立たないので・・・。私はこんなに人間が出来ていたかなあ~・・・。

大垣市民病院へアフターケアの為に来ています

3年程前に前立腺がんのステージ2と言われて、大学生の時に腸閉塞で2回も手術をしているので、手術をして癒着する可能性が高いので、手術は出来ないと言われて放射線治療に38回通い、癌自体は小さくなったので、放射線治療は無くなり、今は3ヶ月毎に血液検査と尿検査をしに大垣市民病院に行くのですが、昨年末の予約日に予定が入り、行く事が出来なくて変更して頂いた日が本日と言う事で、今は尿は提出して血液検査の順番を待っています。

いつもの事とは言え、血液を採取するのにしっかり待たされるのですが、また癌がいたずらをしてはいけないのでコラムを携帯で打ちながら大人しく待っています。

結果が出て担当医のコメントをいただくまではドキドキですが最悪また放射線治療をすれば良いのだからある意味安心しています。

医療の進歩はめざましいのがあると思っています。

私の母秋江さんは半世紀前に最後は骨癌で他界したのですが母秋江さんも最初に癌が発見されたのは子宮筋腫でその後癌が胃に転移して、肺に転移して最後が骨に移転したと聞いています。

母秋江さんが他界した時私は13歳だったので詳しい事を聞かされていたわけでは無かったので、この程度の理解しか出来ていないのですが、もしも現代に母秋江さんに癌が見つかったとしたら治療は可能だったのではないかと思っています。

医療の進歩と環境の整備と衛生情報も適格になってきた事により平均寿命もめざましく延びて今や平均寿命が百歳になる日も来るのではないかと言われています。

私の母秋江さんは私が老人福祉に寄与出来る道に導いてくれたのだと思うと今からも頑張って活動しなければと思っています。

だって母秋江さんの教えは蒔かぬ種は生えないでしたから。

これからも一生懸命良い種を蒔いていきたいと考えています。

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