過ぎたるは猶及ばざるが如し

今年の夏の暑さは、9月になっても猛暑が収まらない状況の中、9月13日が和合で、翌14日が本部施設において地域向けの秋祭りを実施するのですが、この暑さの中での実施なので心配しています。昨年は11月に実施して少し寒さを感じたのと、「敬老月間の企画に入れたい。」との思いでこの予定になったのですが、心配した『寒さ』の心配は絶対に無いわけですが、逆に『暑さ』の心配をしなければいけないのは、文字通り『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と言う事で「この暑さはいい加減にしてくれ」と言う感じです。今から考えたら「どうして10月にしなかったのか」と言う事なのでしょうが、話し合いをしたときには、」この暑さは考えていなかったので。つまり『批判はどこからでも出来る』と言う事だと思っています。と言う事で最終兵器は私の祈りにかかっているのでしょうか。

リピーターの皆さんには「何の話をするのか」と言われると思いますので、私が体験をした摩訶不思議な話をします。それは遡る事、平成18年8月8日の事です。その日は、私が全国老施協の立ち上がったばかりの総務委員会の幹事として初めて本部に行く日だったのです。ところがその当日は、本部施設において中学生67名が『ワークキャンプ』での宿泊をしていて、地元向けの夏祭りの実施日で、しかも天気予報によれば台風が琵琶湖の東のルートを通るとの予想を立てていたのです。総務委員会の日程を当施設の都合で変更する事も、今更お祭りの日程を変えるわけにもいかず、職員からは「施設長がいないときに何かあったら困ります。」と言われても何ともならないので、私はワークキャンプの中学生と共に施設に泊まり、早朝5時に起きて玄関先で蠟燭と線香を用意して無心に「雲よ去れ」と真剣に祈ってから東京に向けて出発しました。結果的に台風は予想進路よりかなり東にズレたのでお祭りも無事に行い、私自身は会議終了後事務局が私の事情を考慮してタクシーを手配してくれ、新幹線に乗り名古屋で降りたら関ヶ原止めの『ホームライナー』に飛び乗れたので、お祭り終了前に施設に着き、お客様への挨拶も出来たのです。その時に思ったのは『思いは通じる』だと言う事です。

だから今回の和合と本部の施設での秋祭りも、めちゃくちゃな暑さで無いように真剣に祈りたいと考えています。リピーターの皆さん、私はこんな人間なのであります。

石破総理に対する私の勝手な感想

令和7年9月8日

総理になるまでの石破総理は与党内野党のような存在で私自身は「総理になった途端に今まで発言した事がブーメランの様にならなければ良いのだが」と思っていたのですが、案の定総理になった途端「過去の発言でこんな事を言っていた」と言う攻撃が始まりました。「自民党は右から左までの集団で自由闊達な意見が言える集団」と言う評価をしていたのですが「揚げ足を取る集団になった」様に不協和音を聞こえてきました。石破総理が誕生したのは「クリーンなイメージで不正な資金の流れを是正する為に総理になった。」と思っていたのですが、まるで「裏金問題なんかあったのか」と言う様な対応に「おいおい」と思っていました。

岐阜県においては文字通り『自民党王国』であったのが前回の衆議院選挙で自民4人、野党が4人(それまでは復活も許さず自民5人のみ)と言う事態についてどれほどの戦略をもって参議院選挙に挑んだのかと正直思っています。(私自身自民党員なのですが)石破総理がテレビに出て発言をしている時に「自分の思いで発言しているのかな」との思いが強かったのですが、昨日18時からの辞任発表の会見では自分の言葉で外連味(けれんみ)なく発言されていて、何か吹っ切れた様に話されているように私は感じました。但し、テレビの画面を見ながら「う~ん。」と思った事があります。それは、石破総理の上着の胸辺りに『ふけ』がいくつかあったのです。

それに気が付いた私は「インタビューを受ける前に『ふけ』を含めて身だしなみを整える役割の方がいなかったのか」と思ったのです。と言う事は「石破総理のブレーンはどうなっているのか」と言う事です。改めて思う事は石破総理が優秀なのは言うまでもありませんが、自分を取り巻く方々とのバランス感覚をこれからはもっと身に着けて頂けたら、より素晴らしい政治家になられる様に思います。私が政治の世界について述べるような立場ではありませんが、『秦の始皇帝』と『漢の始皇帝』の歴史的事実から思ったものですから。

  • ※本日のコラムが大上段なものになったのは、午前中に開催された岐阜県社会福祉法人経営者協議会理事会の後に障害者施設の施設長さんから「若山さんのコラムを毎日読んでいます。昨日は神輿の話しでしたね。」と言われたので、いつもとはかなり違う角度で書いてしまいました。

9時前に本部施設の玄関先に着いたら

9時30分に、来週14日の地域向けのお祭りの告知と、地域の方々への感謝と幸せを願っての神輿行列を実施する事になっていたのです。私が車から降りて行くと、祭り気分でテンションを高くした職員が既に準備も終え待機していたので、「早くからご苦労さん」と声を掛けると「デイサービスの向かえの時間と重なるといけないので、早く準備しました。」と西川課長が答えたので「色んな意味で配慮が出来る様になったな」と思うと、「私ももっともっと頑張らなければ」と思った次第です。

デイサービスの利用者さんのお迎えを終えて神輿行列が出発しました。

先ずは施設の南側にある天満宮まで行きました。最初の内は初めて参加する外国人職員も多く「元気が無いな、まるで葬式の行列みたいやな」と言う私の声が聞こえたのだと思います。その後は鐘や太鼓の音も「ワッショイ」の声も大きくなりました。

 

天満宮に到着して参加者全員でに二礼二拍手一礼をして新明地区を大きな鐘と太鼓に合わせて「ワッショイ」の掛け声で練り歩き、わざわざ外で出迎えて下さっている地域の方に、14日の祭りの案内とお菓子と飲み物が入った袋を手渡し家の前で「〇◎家の家内安全を祈願してワッショイワッショイワッショイ」と掛け声を掛けて、その都度神輿を高々と掲げました。

私は大きな団扇を掲げながら「27年前には施設への理解が得られずにこの様な事をする事すら考えられなかったけど、今は本当に有難い。」しみじみ思った次第です。地域から理解され信頼を得られてこその社会福祉法人だとの思いを強く思って頑張ってきたからこその今だと思うと本当に『有難い』と思うばかりです。

14日の秋祭りについての準備は職員がしっかりしていますので、私はこの1週間で多くの方が参加して貰える様に水面下で頑張りたいと思っています。

  

世界的に自然環境に異変が起きているようです。

少し前のテレビで、白熊(北極熊)が地球温暖化によって氷が解けた影響で、文字通り環境に変化が起き、本来は餌の乏しい時期に痩せてしまう白熊のお腹が、地に着くいるほどに太って(私も白熊の事を言える様な体型ではありませんが)いる映像を見た時に「世界的に自然環境に異変が起きている」と思いました。昨今の日本の自然環境も決して「例外ではないな。」と思っている事について、本日のコラムの題材にします。

今年の梅雨はあったのか無かったのかが分からない様なもので、梅雨明けの大雨も無く、極端な水不足により、米の収穫にも影響しています。そして何より、35℃以上の日が続いたのも特出すべき事だと思います。また、『台風一過』の今日、今までの常識から言うと「台風が去った後は涼しくなる」と言う事が無いのも大変な事です。

昨日1枚のはがきが届きました。その内容は地元名産の富有柿の贈答をお願いしている柿の生産者からのもので、「今年の夏の高温により『カメムシ』が異常発生して、贈答用の柿の出荷が激減する事態になり、予約注文を受ける事が出来ない。」との事でした。「う~ん。日本の四季が難しくなっている今、その時その時にあるべきものが無いと言う事は、今までとは違う対応をしていかなければいけないのか」と思った次第です。

テレビのニュースでは、本来出没しなかった所に熊が出没して、死者や負傷者が出ているとの事。この現象も自然環境の変化(と言うより『異変』との表現の方が的確かも知れません)により、山にドングリ等の食べ物が少なくなっているからだと思っています。高温の夏が長かったからと言って、冬が短く雪も少ないと言う事では無い様なので、生活をしていくのにも大変な状況があると思っています。

我が家の事で言えば、昨年までは夜寝る時の冷房は使用してなかったのですが、今年は冷房無しでは眠れ無かったので、若山家の家計ではどこを節約していくのか・・・。

敬老月間の準備が景況に入ってきました

7日の日曜日に本部施設のある今須新明地区を14日の地域を対象にしたお祭りの告知を兼ねて職員手作りの本格的な神輿を担いで地域を練りまわります。

その時に沿道に出て来て下さった方にお祭りの告知ビラと共に袋詰めしたお菓子を配ることにしているのですが、昨日の本部での打ち合わせで「まだお菓子を購入していないのですが」と言われて「もう日数が無いな。」と言う事で「急遽ではあるけれども明日買いに行こう」と言う事になりました。

実は本日は10時から13日に和合の施設で開催する『菓子まき』のお菓子を買いに行く予定をしていたので1日に2か所分のお菓子を買いに行って、敬老月間へのギアが1段も2段も上がります。

もう一つ「実は」と言う話があります。

それは、本部施設においても『菓子まき』を行う事にしたのです。

と言う事で本部においても菓子まき用のお菓子が必要になりました。

本部では和合の施設の様に2階のベランダからまくと言う所が無いので水野係長が櫓を組むことからしなければいけないので大変なのですが地域の方々の喜ばれる姿を想像するとワクワクしてきます。

もう1つ「実は」と言う話があります。

それは10時から和合のお菓子を買いに行くのですが、和合の施設が10年前に建った頃の施設周辺は田圃が目立つのどかな感じだったのですが急激に一戸建てが建ち、(お陰様で揖斐川で行われる花火が見えにくくなりました。)

当然の事なのですが子ども達が多くなり(施設近くにある小野【この】小学校は大垣一のマンモス校です。)

菓子まきの参加者がどの程度なのかが分からないのですが、参加した皆さんがそれなりに楽しんで頂ける様な量になる様に安価な物を沢山購入してきたいと思っています。

ギアが上がったところで13日の和合での秋祭りには大道芸のクラウン・アキオさんが前泊で来て下さることから始まり、和合での秋祭り終了後は本部のコミュニティーハウスで泊まって頂くので14日の本部秋祭りの前夜祭を焼肉パーティーで行い21日は笑福亭伯枝師匠が大阪から来て下さり、午前に和(なごみ)午後本部と落語会をして貰った後は師匠と親しく夜の会を行い翌日22日には和合で落語会をして頂きます。

そして敬老月間の締めくくりは滋賀信行会の協力を得て『千巻経』が行われ入居者の健康・幸せ祈願を行います。日常的に当法人のスタンスは『敬老』なのですが特に9月には力が入るので職員が一丸となって入居者さんの笑顔を見られる様にがんばります。

元気に頑張っています

金沢での東海北陸ブロック研修大会が、昨日、一昨日の2日間あり、昨日は吉澤施設長に家まで送って貰ってから、家でゆっくりさせて貰い、昨夜はしっかり眠る事が出来て、今日は元気に和合の施設の3階の皆さんとお参りをさせて貰き、午後は2階の皆さんとカラオケを楽しんで来ます。1昨年の8月から、和合の施設長に赴任して2年1カ月が経過して改めて『継続は力なり』だと思っています。就任した直後にフロアを確認に行くと入居者さんは「まるで覇気がない状態」だった様に思いましたが、今は私がフロアに行くと、どのフロアでも手を挙げて下さったり、挨拶をして下さいます。

就任して1カ月程経過してから、私が和合の施設にいる限りは午前はお参り、午後はカラオケを実施する事にしていて、最初の頃はお参りをしていく時には、私の声だけがフロアに響いているだけでしたが、今では多くの方が『正信偈』を一緒に唱えて下さる様になったので、私が時に咳をしたりして、お経が途切れても入居者さんが続けて下さっているので、お経が途切れることなく続いています。また、午後のカラオケも最初の頃は『若山宏オンステージ』の様な状況でしたが、今は多くの方が歌って下さるので、私の歌の出番は入居者さんの歌の繋ぎ的な役割になってきて、進行とデンモク操作が主な役割になってきました。

一昨日の大会前に、6県1市の正副会長による打ち合わせが行われる前の時間に、私が花魁になった時の写真を本部施設の入居者さんから頂いたのを見せて回ったのですが、決して「綺麗」と言って下さる方は無かったのですが、花魁になっている周りを取り囲んでいる男子職員のドレス姿に「理事長さん自らが花魁になられているので、男性職員も一生懸命なんでしょうね。」との言葉を素直に誉め言葉と理解している私がいるのですが、リピーターの皆さん、その様な受け止め方で良いのでしょうか。とにかく私は常にプラス思考なので・・・。だって常にワクワク感でいられた方が良いと考えているので・・・。

ブロック研修2日目です。

昨日の全体会では、開会式で主催者側の席で白いリボンを胸に付けて挑みました。開会式での私の役割は、司会者の方が私の名前を紹介して下さった時に、席を立って会場に向けて挨拶するのみです。次に全国老人福祉施設協議会大山会長の基調報告に引き続き、記念講演はゴルゴ松本氏による話でした。テンポが早かったのですが、貴重な参考になる話が機関銃のように飛んできました。

ゴルゴ 松本さんの講演の後は舞台袖に私は控えて中央まで行き、 次期開催県挨拶をさせていただきました。私の挨拶の後は、1日目が終了しました。17時前に終わったのでチェックインを済ませ部屋で18時30分からの役員懇親会まで少しゆっくりさせていただきました。18時20分になり、懇親会会場に 行くと、全国大山会長の隣の席に案内されました。メインの席なのでいろんな方が挨拶に来ていただき、懇親会では、冷酒をたくさんいただきました。懇親会の締めの挨拶を私がさせていただき、来年度の大会に向けての抱負も述べさせていただきました。

懇親会終了後は吉沢施設長、北島部長、そして林部会長と改めて居酒屋に行き、物足りなかったお腹を満たしつつ冷酒を頂き、満たされたあと歌を歌いに行き、午前様の前に部屋に帰ってきました。

そして本日は9時30分からの分科会に間に合うように、第2分科会に参加させていただきました。 第2分科会は経営の発表 なので興味を持って参加しました。7つの発表があったのですが、それぞれのテーマを持って発表がされました。正直、発表を聞きながら、私自身で参考になるようなものはあまりなかったです。 来年は、岐阜大会なので分科会の充実のために今から情報をしっかりと提供し、より充実した大会にしていきたいと考えています。 今は吉沢施設長の運転で、関ヶ原の方に向かっています。今日は帰って少しゆっくりさせてもらい、明日から頑張って敬老週間企画をより具体的に準備していきたいと考えています。

本日から出張です

今日と明日の 東海北陸ブロック研修大会 金沢大会のため、 今は 吉澤施設長の運転で北陸自動車道を 金沢に向け 走っています。 来年度の大会が 岐阜県において開催されるので、下見も兼ねて 幹部職員と一緒に行くことにしています。昨年度は、 石川県の震災によってブロック大会が中止になったので 2年ぶりの大会です。大会自体は13時からの受付 なのですが、 私が役員であるため 11時から 事前の打ち合わせがあり、 職員ともども 11時に着くように私の家を7時30分 予定で、実際には7時42分に迎えに来てくれました。 3人で車に乗る予定でしたが 、林 副会長が車を当てられたということで 、4人で車に乗っております。 いい車なんですけれども 、狭いです。林 副会長の自分の車で行く予定ができなくなったので、 相変わらず 予定は未定であり、 決定ではないということです。明日までの2日間ですが 、出発の時にこのような状態ですから 、もっととんでもないことが起きないようにお酒も控えながら飲みたいと思っています。

研修大会の開会式では、明日が分科会のみの為、次年度開催 挨拶を岐阜県 老施協議会会長として しなければいけないので 、これから話の骨子を車の中で考えたいと思います。来年度のブロック大会で 岐阜県 らしさを出すために何をすべきか、 その点を参加者にアピールできたらと考えています。大きな会場がバブル期に建ったものが多く、改修工事 が会場設定にも苦労しましたが 、なんとか手配することができたので本日の会議で報告できたらと思っています。研修も楽しみ なんですが、懇親会でいろんな方とお話できるのも楽しみです。

大きな会場 900人集まる と聞いていますので、 新たなネットワークができることも大切にしていきたいと思っています。車の中での クラブ 打ちなので、車に揺られながらの打ち込みなのであまり頭の回転が良くないので、内容が浅いものになりましたが、 明日は名誉回復のために しっかりとしたものを書きますので 、リピーターの皆さんよろしくご理解ください。 それでは頑張って 研修を受ける体制にしていきます。

『甘アマじいじ』をしてきました

「今須の米は美味しいぞ」と言って次男に言って家にあった10㎏の米を持って帰った事がありました。

そして『令和の米騒動』になってからは、ちゃっかり私の嫁さんのスマホにラインで「米が欲しい」との連絡がくるようになり、昨日の朝嫁さんから「米を依頼して」と言うので直ぐに米の依頼の連絡をしてから出掛けました。

仕事を終えて玄関先まで来ると10㎏入りの米が2袋積んであったので嫁さんに「明日米を持って行くと孫二人に会えるのは楽しみだ。」とつぶやいたのを嫁さんはしっかり次男にラインで報告していたのだと思います。

和合の施設に行く前に次男の家に行き2袋の米を車から降ろして玄関先のインターフォンを押すと結構な時間(5分位かな)待っていると玄関のドアが開けられて5分待たなければいけなかった理由が分かりました。

それは孫娘2歳3か月と長男9カ月が玄関先の踊り場にいて孫娘はまだ正確では無い言葉で一生懸命に話をしてくれていて、長男は腹ばいになって両手両足をばたばたさせて歓迎するように迎えてくれました。

多分私の顔はデレデレ状態だったと思います。

しかしながら、男の性(さが)なのでしょうかデレデレの顔であるにも関わらず「じいじだぞ」とは言いましたが、玄関先から直ぐに車に乗って「もう少し楽しんでも良かったかな」と後悔しているのであります。

良く良く考えてみると、私は自分の子どものおむつを1回も替えたことがなくて、何をして良いのかも分からなくて固まってしまうのかも知れません。

と言う事は『誰もが経験ない事は出来ない』と言う事を私自身の中で今体験しているのだと思っています。

今も忙しいとは言え少しは『デレデレの時間』を持つゆとりはあると思うのでもう少しデレデレじいじを上手く出来る様に頑張りたいと考えています。本当はそんなに構えなくても良いのに構えてしまう私なのであります。

高校2年の時からの四国遍路のご縁で

令和7年8月31日

本部施設の計画をして最初の土地探しは人任せだったこともあり見事に計画を断念した話はこのコラムでさせて頂きましたが2回目の候補地については私自身で汗を搔いたので上手くいったのですが、この時に上手く成立したお話をさせて頂きます。

『今須』と言う地区は大きく『下の谷』『町筋』『上の谷』に分かれていて私が住んでいる所は『町筋』であり、土地取得の候補地は『上の谷』と言う事で私が土地取得で動く時に地主さんの一人が頼りと言う中で一番多く土地を所有されている方の家に私一人で訪問した2度目の時に訪問先のご主人が「若山さんは四国遍路のご縁で滋賀信行会の青年会でも頑張ってみえたね。私も夫婦で四国遍路には何度か参加させて貰っていたけど一緒になった事は無かったけど、滋賀信行会で頑張っていた方の頼みだから断るわけにはいかんな。

だから、出来るだけ他の地主さんにも声を掛けてあげるよ。」と言われた時は「四国遍路のご縁で協力して貰えるのは本当に有難い。」と思ったものです。勿論それだけでとんとん拍子に事が運んだわけではありませんが、大きく前進したのは間違いありません。

また、四国遍路の延長線上本部新館、和合においても高野山前官大僧正静慈圓師の書を沢山書いて頂いていて4年前に実施した盲養護老人ホーム『優・悠・邑 和(なごみ)の竣工式典では皆さんの前で梵字をかいて頂くパフォーマンスまでして頂きました。その様に考えていくと私の人生を大きく変えた出来事としては『四国遍路』は特筆すべき出来事の一つだとしみじみ思います。

人生に『もしも』と言う事は無いのですがこの様なご縁を頂けた事に感謝です。だから私は『出会い』を大切にしていますので本日も東京からお客さんがおみえになるので精一杯のおもてなしをしたいと思っています。

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