コロナ感染症対策の緩和によって可能になってきたこと

令和7年4月16日

永く続いたコロナ感染症対策も、感染がゼロでは無いが落ちきている状況の中で、全面的ではありませんが少しずつ緩和されてきた事により、施設での面会やボランティア活動も、ある程度の規制はありますが出来る様になってきました。和合においては、何日かに分けて施設の車で花見にも出かけましたし、今後も藤棚、バラ園にも順次行く予定をしていますが、本日は午後から、岐阜県社会福祉協議会が所有している『ながら号』と言うバスを借りて、(バス会社のプロの運転手が運転して下さいます。)何と『関ヶ原古戦場記念館』に見学に入居者さんと共に出掛けます。(家族の方も2人参加して下さいます。)

私が和合の施設長に就任してから初めての企画ですが、入居者さん共々ワクワクしています。関ヶ原までは約40分の乗車時間ですが、「40分は短いようでも、されど40分」なので、バスに私も同乗させて貰い、入居者さんと共にバスの中でも楽しく会話していきたいと思います。わざわざ『会話』と書いたのは、事前に職員から「理事長、残念ながらバスにはカラオケはありませんよ。」とダメ押しの様に言われていたので、敢えて『会話』と強調したわけです。

『関ヶ原古戦場記念館』は私の住んでいる町内にあるのですが、「だから、関ヶ原古戦場記念館に来たのではなく、入居者さんが歴史のある所に行きたい。」との要望に沿ったのです。実は私自身は地元にあっても、まだ2回しか行った事が無いので、私自身も楽しみにしながらも、それ以上に楽しみにしているのは入居者さんが久しぶりのバスにどんなアクションをされるのか、関ヶ原古戦場記念館の中ではどんな会話や表情をされるのかが楽しみです。「施設で生活されているからこそ出来る事」をしっかり味わって頂こうと思っています。

朝のお参りから2題

令和7年4月15日

いつもの様に妙応寺の山門まで来るといつもと違う旗と提灯が掛っていて「そう言えば駐車場に入る所の掲示板に『今須稲荷』のお知らせがしてあり4月15日は本日だ。」と気が付きました。そしてその瞬間に「中学時代に実施されていた今須稲荷の大祭は盛大に行われていて、色んな話題で持ち切りだったな。」と思った次第です。

 

具体的に言うと今須稲荷の大祭の日は学校もお昼の給食が終了後は休みになり文字通り『地域行事』の様な感覚であったと思います。演芸もあり、15時からは終了を知らせる様に『餅撒き』が行われお餅の裏に何かが書いてあると景品まで貰えた様に記憶しています。お寺が地域の中に溶け込んでいる形だったと思います。だからその当時は妙応寺において『日曜学校』も行われていました。

今も私は妙応寺からほぼ近くに住んでいますが、何の話題も聞こえてこないのは非常に残念です。そう言えば8月初旬に毎年実施されている『施餓鬼法要』も、盛大に行われていた時はお供えを準備して朝早くに順番を取りに行き、順番が来る前に家族揃って食事を頂くのも楽しみの一つだったと思うのですが一週間に渡って朝7時から21時まで行っていたのも3日で午前中のみの様な状態です。何か寂しいです。

二つ目の話題はいつもお墓参りの時に3仏(観音様・毘沙門天様・不動明王様)に水を手向けた後に7段の階段を上って2つのお社にお参りするのですが一つは地蔵菩薩さんで、その隣のお社にある奥家さん風の石仏に手を合わせていたのですがお社の屋根の所に木札があり『花山院』とあったのを何となくスマホで写真を撮り、

改めて本部施設のパソコンで検索してみると「なななんと、天皇様だった」と言う事で「何で天皇様のお墓が妙応寺にあるんだ。」と思ったのですが「この情報はいずれまた」と言う事で。

毎日の朝のお参りでも色んな変化があるものですし、4代揃い踏みは圧巻でした。

令和7年4月14日

雨が降っても雪が降っても毎日朝のお墓参りに行けるのは私自身が元気だからこそだと思っています。勿論『槍』が降ってきたら流石に無理ですが。と言う事は戦火に襲われている地区では『散歩』などと言う発想すら出てこないと思います。と言う事は私の今の状況は『平和であり健康である』からだと言う事で毎日が充実しているのが『幸せ』と言う事だと思っています。正に静慈圓前官大僧正の書にある『平安之福』の言葉がピッタリの毎日である事に感謝です。

さて、本題に入ります。妙応寺駐車場内に幸福地蔵様がある事は何度もこのコラムで書かせて頂いていますが、幸福地蔵様の前掛けは新しくなったのですが、帽子が無くて(元々は笠だったのですが)丸坊主の頭でお上手にも「恰好が良い」とは言えなかったのですが、最近帽子をかぶっていたので一先ず安心はしたのですが、正直帽子が小さい様です。

 

リピーターの皆さんの中で、もう少し大きめのを作って頂けたら嬉しいです。

次に桜の話です。妙応寺の境内の桜は立派なのですが、大垣市内の桜が咲いてもなかなか『満開』と言うわけにはいかなくて、ようやく「満開になって綺麗だ」と思っていたら昨日の日曜日にかなり厳しい雨が降ったので、かなり花が散ってしまい残念なのですが、その分『桜の花びらロード』の様になって「これも綺麗なものだ」と思った次第です。

      

本日13時30分から着き回の『てるてる座のボランティア』があったのですが、『座長の母』『座長』『座長の娘』『座長の孫』と4代にわたる催しは圧巻でした。座長の母は「粋な計らいができるから流石に座長の母だ。」と思いましたし、娘さんと孫さんは「流石に座長の血を継いでいる」と思った次第です。毎日が刺激一杯で私は本当に幸せ者です。

 

 

 

またまた『予定は未定で決定では無い』の話です

昨日の本部施設の花見は風も穏やかで暖かく青空にも恵まれ、しかも本部施設の桜の木は『満開』と言う事で、最高の『花見日和』と言う事だったのです。しかしながら昨夜の19時前のNHKの天気予報は「夜の内から雨が強くなり明日は一日雨でしょう。」との情報に、窓越しに「こんなに素敵なお月様が出ているのに明日は雨なの。明日は和合地区の清掃活動に行って地域の方々と親しくお話がしたいのに・・・。」と思って眠りについたのです。

そしていつもの様に5時に行動開始をして先ずは着替えをしてから外の確認をすると「結構な雨が降っていて清掃活動はなさそうだけれども和合の施設に7時15分に集合することになっているので出掛けよう。」と言う事で6時30分に家を出ました。

日曜日と言う事で車が空いていたので7時過ぎには和合の施設に着いたのですが、勿論清掃活動は中止でしたので、事務所で仕事をしていて9時に和合地区の日赤奉仕団の代表の方2名が奉仕活動の打ち合わせにおみえになり、お話をする中で、①最初から色んな事をして頂くのではなく、『会話ボラ』から初めて頂き、回数を重ねていく中で出来る範囲を増やしていく。②継続は力と言うので、とにかく続けて頂く。③施設内で得た入居者さんの情報は他言しない。との事を決めていきました。

30分程度の打ち合わせにして、本部施設で10時から実施される『お茶会』に参加する予定を組んでいたのですが、私の理事長としての思いなども多く語った事により、日赤奉仕団の方を玄関先までお送りして時間を確認すると10時を回っていたので、急ぎ本部施設に向かい『お茶会』が終了して昼食を頂いてからパソコンにコラムの原稿を打ちながら本日の表題の『予定は未定であり決定では無い』をしみじみと感じた次第です。と言う事で、これからも「出来ることを精一杯に行う」と言う事をモットーに頑張っていきますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

時差ぼけを解消する方法

令和7年4月12日

昭和の最後の年に旧厚生省の後援で資生堂財団が主催の海外研修に参加させて頂いた時にアメリカに行った時の事です。成田空港を14時過ぎに出発してロサンゼルスには8時に過ぎに着いたのですがフライト時間としては約10時間だったと記憶しています。リピーターの皆さんの中には「計算が合わない」と思われる方があると思うので地球は周っていて時差があるのです。

参考までに日本時間の方が8時間早いのでこのような時間になるのです。ちなみにワシントンDCとは13時間だと思います。どうして何の脈絡も無くこんな話をしたかと言うと一昨日の夜から明け方に掛けての対応で時差ぼけの様な状態になったのですがあの時の眠い状態でしたが無理やり体を動かした経験で時差ぼけを解消した事を思い出したからです。

と言うのも昨日は2つの会議もあり、あっと言う間に1日が終わったので夕食後も何とか21時まで寝ないで頑張った結果本日も4時までぐっすり寝て5時から行動開始してお参りにも行き、午前中は和合で3階でのお参りも含めてしっかり対応が出来、午後は本部施設特養が花見の企画をすると言う事で垂井の酒屋さんで養老の酒『醴泉』を手に入れて花見に乱入しました。

 

 

 

お酒は良いもんです。お酒が好きな方が急に元気になり花見も絶好調になりました。但し、本物のお酒は4合瓶1本と決め、沢山飲みたいかつての酒豪や豪傑の方には追加の酒はノンアルコールの『月桂冠』をしっかり飲んで頂きました。今のノンアルコールは実に良く出来ていて雰囲気を盛り上げてくれて安全に楽しんで頂けました。この表現が妥当かはわかりませんが『噓も方便』と言う事でしょうか。色んな経験や体験をさせて頂ける私は本当に幸せ者だと思っています。

午前と午後にそれぞれ会議がありました

昨夜から明け方にかけての23時から4時まで和合での対応をさせて貰い、4時過ぎから眠りについたのですが、直ぐには眠りにつけず6時頃からグッと寝たのか目が覚めたのが9時過ぎと言う事でバタバタと準備をして本部施設に向かいました。

と言うのは10時から『フロア責任者会議』があったからです。

会議が始まった時には少し頭がぼーっとしていましたが、本館1階、本館2階、新館1階、新館2階、デイサービス、管理栄養士、生活相談員からの提案が順次話されて、その都度私からもコメントをしながらすすめられました。

全員の提案が終了してから「何事も起承転結が大切だ」との話をして会議をまとめました。

12時前に『フロア責任者会議』が終了して、「あまり寝ていない」と言う事で水野施設長の運転で盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の全体会が13時から行われると言う事で向かいました。

和(なごみ)では吉澤施設長も同席でいつものことですが昼食を頂きました。

今日の昼食では栄養士さんが作って下さったきつねうどんに敷地内で採れた初物の筍の煮つけを頂きました。

どれも絶品でしたし、思いが伝わってくる品でした。

13時からの全体会では吉澤施設長が「認知症指導者であり、北欧式トランスファーをデンマークまで行って習得してきたある意味、実践研修指導の第一人者なので時間に余裕がある今習得しておくべきだ。」との話をすると共に、「昼食に頂いた食事には思いが一杯で美味しかったので、入居者さんへの対応もその考え方でして貰いたい。」と話をしてまとめとしました。

夜中の対応は久しぶりで体も頭も重かったのですが、和(なごみ)の職員の頑張りで私も元気を頂く事が出来ました。

再び本部施設に戻るとデイサービスの利用者さんが玄関前の駐車場内で花見をされていたのですが、15時に垂井町の職員が先般亡くなられた入居者さんの手続きの事でみえる事になっていたので事務所で書類の整理をしていると、デイサービス責任者の伊藤課長が「利用者さんが理事長の歌が聞きたい」と言いに来たので「ここは元気に歌わねば」と言う事で、吉幾三の『酒よ』と鳥羽一郎の『兄弟船』の2曲を利用者さんの手拍子を頂きながら歌わせて貰い、ますます元気を頂きました。

しみじみ「色んな方から元気を頂いているからいつまでも元気でいられるのだ」と思った次第です。

令和7年度の辞令交付式は出来ませんでした。

令和7年4月10日

「どうして」と言われるリピーターの方の為に、その理由を先ずはお答えする事から初めていきます。

一つには、新卒者の確保が出来なかったと言う事。二つには「職員の離職が無くて落ち着いている」と言う事です。

一つ目の理由はわかるのですが、『新しい息吹を入れる』と言う意味では、新卒者が一人もいないのは今後の展開においてもだめな事だと考えられるので、今後は高校、専門学校、短大、大学への就職依頼の対応をより充実させなければいけないと、社会福祉法人杉和会理事長として思っています。但し、新卒者を採用するにしても、専門学校、短大、大学で介護を学ぶ学生の内、半数以上が留学生と言うところも多く、『新卒で意欲ある日本人』を確保するのはかなり難しくなっているのが現実です。

考え方によっては『優秀な外国人』を確保していく事に注力することも大切だと考えています。実際に10年以上前にEPAでインドネシアから来た職員は、結婚をして2人の子育てもしながら、フロアの責任者として主任として頑張っています。また、留学生として短大を卒業して、介護福祉士としての経験によって同じく主任に任命されている職員が、男女一人ずついます。その他にも、ベトナムから来て特定技能介護を取得をして3年の経験で、介護福祉士の取得をして、これまた主任として頑張っている男子職員もいます。多くの外国人が一生懸命に頑張っている現状もあり「日本人だから良い」と言う事ではなくて「如何に人材を確保して育てていき、長く勤めて貰う仕組み作りをしていく事こそ、肝要だと考えています。

また、話題は変わりますが、『業務の省力化』を推進するために『ロボット・ICT』を導入して時間に余裕が出来た分を『寄り添いケアの充実』に当てる事によって、職員一人ひとりのモチベーションとスキルを上げていく事が、離職率の低下に繋がるとも考えています。人材確保と育成に注力をして、より良い施設運営に努めていきますので、リピーターの皆さん、社会福祉法人杉和会の展開にもご理解頂けると嬉しいです。

『能登半島地震復興フォーラム』の詳細について

令和7年4月9日

2部構成で、1部は『老施協DWAT活動レポート・・・老施協DWATが心に刻んだ震災の傷跡』と言うテーマで災害派遣に参加された方からの報告を2人の方にして頂きました。

最初に発表されたのは、愛知県で早々に派遣に参加されたリーダーの方からの発表でした。話の中で写真や動画も映しながらの発表でした。最初には「本来であれば5時間で行ける所を、倍の10時間かかった。」との話をされながら大変な状況である事の写真が提示された時と、震災直後の残って頑張られている職員さんの勤務表の一覧を見た時には、思わず絶句しました。また、話の中で「何とか応援施設に着いて説明を聞いている時に、施設の職員さんから『あんたらは3、4日ここにいたら帰るんだよね。慣れたころに帰られたら迷惑や』と言われたのはびっくりしましたが、心情を考えたらその様に言われる気持ちが理解出来ましたし、一緒にお世話している中で「酷い事言って悪かったね。」と言われた。」との話を聞いて、「施設側の指示で何かと行うと言うのでは、派遣先に申し訳ないんだ。」と私も思いました。「つまり、自ら入居者さんに寄り添える方が求められているのだ。」とも思いました。

2人目の発表は、3施設で4回に渡って参加された方の話を聞きました。この方は揺るぎない考え方を持って参加された事が話の端々で分かりました。この2人のかたの発表は、いずれ岐阜県の職員さんにも聞かせたいと思いました。

第2部のシンポジウムは、受け入れ側の施設長、発表された愛知県の施設長さん、派遣の差配をして下さった福井県老施協の副会長さん、二次避難受け入れ対応をされた名古屋老施協の会長さん、の4人でした。それぞれに思い入れがあり参考になることが多くありました。実際に震災に直面された施設長さんの話で、「体験した事のない揺れに何も出来なかった。」との話には「だからこそ、震災が起きる前の準備をしっかりしておかなければいけない。」と思った次第です。二次避難受け入れについても「色んな所との連携を平時の内にしておかなければいけない。」との思いと「震災があったとしても遠く離れたところでの生活は難しい。と言う報告を聞いて、ハード面の対応と共にソフト面での充実が大切だ」と思いました。

休憩なしの3時間の企画でしたが、参加されていた方は一人も席を離れる事が無く、切実な課題に対して真剣に聞かれていたことが分かり、今回の企画をして頂いた愛知県老施協太田会長に敬意を送りたいと思った次第です。末尾になりましたがフォーラムの最後に6県1市の会長により、能登半島地震の経験を基に協定書の更新をした締結が行われました。

金沢で泊まり午前9時から災害フォーラムが12時過ぎまで休憩無しでありました。

令和7年4月8日

昨夜は18時から交流会が行われ2次会設定が無かったので岐阜県の役員5人で、ホテル近くの居酒屋に行き冷酒をしっかり飲みました。但し、22時30分にはホテルの部屋に戻りお風呂にも入らず爆睡をして6時に目を覚ましお風呂に2回も入り体をシャキッとさせて荷物の整理をして、朝食を食べてチェックアウトを一階フロントでしてから5階のフォーラム会場に行き、色んな方にご挨拶をして、皆さんが集まられていたので、9時5分前から、当番県の太田会長の許可を得て全国介護福祉政治連盟のこの夏に行われる参議院選挙についてのお願いをさせて頂きました。

定刻の9時になり能登半島地震復興フォーラムの開催のアナウンスがあり、最初に震災時にDWATの派遣に行った方2人から話しを聞きながら映像や動画を見て改めて大変だった現状を理解すると共に共助の大切さを実感しました。岐阜県老施協としても震災後の1月22日から要請に応えて派遣を実施してきましたので隊員として大変な苦労をかけた事を改めて理解しました。

2人の発表後、被災地の施設長さんで石川県老施協紙谷副会長、派遣の采配を振って下さった福井県老施協の屋敷副会長さん、2次避難所の対応して下さった名古屋市老施協の尾関会長さんの話しを聞いて、これから各施設ですべき事が山程ある事に気付く事が出来ました。

フォーラムの最後に東海北陸ブロックの会長が新たな災害協定にサインをして最後に被災した施設である石川県老施協紙谷副会長から熱いお礼の言葉を言われて終了しました。今回の企画は素晴らしいものだったと思いなが北陸新幹線の車中でコラムの原稿を打ちました。明日から杉和会の理事長として、岐阜県老施協会長として災害に対する対応の充実をしたいと考えています。

昨日から本日午前中の出来事

令和7年4月7日

本日、全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議が金沢で開催される為に和合での業務を終えて大垣駅で切符を手に入れようと大垣駅北の駐車場に車を停め切符売り場に向い異常な人の多さに驚きながらも切符売り場を目指したのですが売り場の前の行列が凄いのに驚きながらも長蛇の列に並んだつもりで大人しく待っていると駅員さんに声を掛けられました。何を声掛けられるのか不思議に思いながら話しを聞くと駅員さんは私が並んでいる後方に手をやりながらまだ、後ろがある事を示されたので私は思わず絶句をした後「こんなの嫌だからと帰る。」と言ってそそくさと駐車場に戻り垂井駅を目指しました。垂井駅に着いてエスカレーターで2階に行き切符売り場に行くと売り場はシャッターが閉まっている状態でまたまた「絶句」。

昨日に切符を手に入れるのは諦めて本部施設に行き、先程の経過を事務所で話しすると吉田副施設長が「毎年新学期前は新規に定期券を購入する方で混雑するのです。しかも新規購入は大垣駅しか購入出来ないのです。」との情報に「JRとは言えサービス業なのに毎年がそうだと言うのであれば対応を考えなければいけない。」と思うと共に「新入生の定期券購入だと言うのにそれらしき若者が殆どいないと言うのは子どもの代わりに親さんが来ているという事か」と言う事で複雑な思いになる私は「やっぱり、バリバリの昭和おじさんなんだ」とも思いました。

さて、昨日は購入できなかった米原から金沢までの切符は本日8時からの和合対応を終えて米原出発が13時前と言う事で大垣駅での購入を再チャレンジしました。昨日と同様に北口の駐車場に車を停めて売り場に行くと3人程待っていましたが、2人の係員の方が対応されていたのでそれ程の時間もかからず対応して頂けました。

切符を渡して頂くときに「昨日は挫折しました。」といらぬことを言ったのですが係りの方が「大変申し訳ありませんでした。」と丁寧に答えて頂いた事の怒りは収まりました。しかしながら昨日の状況を考えた時、駅に直結した駐車場は30分以内が無料なので私は直ぐに諦めたので無料でしたがあの長蛇の列で待っての対応でようやく駐車場に行き出庫しようとおもったら料金がかかっているのにイラつきを覚えるのは私だけなのでしょうか。

そんな事を考えている時にETCのトラブルの事が頭に浮かびました。だって、長蛇の車の列で待たされた上に後から料金の請求が来るのをリピーターの皆さんはどう思われますか。現代人はその様な事に動じなくなったのでしょうか。これだけ、権利主張がされる時代なのに。この発想こそ『昭和おじさん』なのでしょうか。

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