12月7日の岐阜新聞『5万号記念』の記事から

特集号では『AIが28年後予測「空想6万号」』との表題で【1881年(明治14年)7月19日、岐阜日日新聞として創刊した岐阜新聞は本日、通算発行号である「紙齢」が5万号を迎えました。気の早い話ですが、次の大きな節目となる6万号はおよそ28年後です。その頃の岐阜はどうなっているのか。人工知能(AI)の予測を参考にしながら「28年後の岐阜新聞6万号」を作ってみました。なお、各ニュースに登場する人物は架空で実在しません。】

私は現在72歳なので、28年後には丁度『100歳』なので、28年後にも頑張っているかも知れないので、興味を持って紙面を読ませて頂きました。その中の一部ではありますが、紹介をしながら私の私見も述べさせて頂きます。

1面のトップが『信長居館庭園来場3000万人』『岐阜城、山城らしさ前面』とあり【岐阜市の金華山麓、岐阜公園内に整備された「山麓居館庭園」の来場者が今月、累計3千万人に達した。2028年のオープンから25年。「戦国ロマン」と「憩いの場」が融合した本格的歴史公園となり、国内外から多くの観光客を呼び込んでいる。】そして完成した写真が有り「巨石を使った石垣や岩肌があらわとなり、戦国時代の山城の威容を取り戻した岐阜城」との説明書きがあり、岐阜市では近い将来に、素晴らしい観光スポットが出来上がるのだと知ると共に『関ヶ原古戦場館』とのリンクが上手く出来れば素晴らしい事だと思いました。

次の記事は『リニア県駅前ビル建設好調』とあり、『中津川、開通後15年 首都圏などから人口流入』そして、「本当なのか」との記事として『進む超高齢化 美濃和紙100歳職人 飛騨市の女性120歳』との見出しの中で【人口減少と高齢化が進むなか、世の中では75歳定年が一般化しているが、美濃市ではこのほど「100歳の手すき和紙職人」が誕生した。20代から技術を継承してきた美濃さんだ。「生きた文化遺産」として伝統工芸のブランド力を発揮。生涯現役を体感している】との記事を見た時、確かに今でも私を含めて70代の方はまだまだ元気で、私も美濃和紙職人の方が頑張られているように、28年後に100歳でも頑張れるのかなとも一瞬思いましたが『過去の遺物』と言われない様にしていかなければいけないとも思いました。

しかしながら、AIのレポートは見事としか言いようが無いですが、『AI副知事誕生』の見出しもあったので、人間の知能をAIが担ってしまって、『考える事』『調べる事』をしなくなってしまう世界が来るのかも知れないと思うと、忸怩たるものがあります。こんな風に考える私はやはり『昭和おじさん』なんだろうな。

本日は本部施設で10時からフロア責任者会議なので少しゆっくりしていて気が付いた事

令和7年12月9日

朝起きた時に頭が重く感じたので朝のお参りは中止して7時になり朝食を頂いてから二度寝をして(なかなか眠る事は出来ませんでしたが、目を瞑っているだけでもリラックス出来ました。)ウトウトしていて9時に目を覚まして「これ以上は目を瞑っているのも無理」と言う事で、「9時30分には出掛けなければ」と思いながらベットに横になりながらテレビを点けると国会中継で衆議院予算委員会が放映されていたので何と無く見る事にしました。

最初の質問者は自民党の柴山昌彦衆議院議員(元文部科学大臣等を歴任されたベテラン議員)だったのですが、冒頭に昨夜深夜に青森県沖で震度6強の地震が発生した事による対応からの質問だったので「まだ10時間も経過していない事での質問をしっかりされて、その事に対して高市総理もしっかり答弁されていたのは流石だなと思うと同時に答弁書を作成された方は大変だっただろうとも思いました。次の質問内容は対中国問題について領空侵犯とレーダー照射についての質問でしたが、中国に対する答弁が高市総理、小泉防衛大臣、茂木外務大臣共に毅然とした内容であったのは高市総理を中心にした意思統一が出来ているからだと感じました。

つまり、高市総理がブレる事の無いリーダーシップを取られていて、総理就任時の「働いて、働いて、働いて」に徹してみえるからだと感じました。そこまでで本部施設向けて着替えをして出掛けたのですが、テレビの画面を見ていて気になった事があります。

それは、委員会に出席されている委員の方が映された時に明らかに肘をついている方が何人かみえた事です。私は若い頃小学校の教員をしていましたが、児童が肘をついている事など無かったですよ。小学生に出来て国会議員に出来ないのは余程遅くまで仕事をされていたためなのか・・・。これ以上のコメントは致しません。

1日目の大会終了後から2日目の報告です

研修が17時30分に終わり、会場であったKDDI維新ホールから一旦向かいにある宿泊しているホテルに荷物を置き「少し休憩をしてから、福岡の花田先生と合流しよう」と思っていたところ、花田先生から「予約は18時30分からですが、既にお店の前にいるので直ぐに来られますか」との連絡を頂いたので、吉田副施設長と共にホテルを出て、吉田副施設長の案内でお店に行くと、花田先生を含めて6人の強者が揃われていて、総勢8名で先ずは生ビールで乾杯をして、飲み会と言う名の『交流会』が始まりました。

18時過ぎから20時過ぎまで飲み放題と言う事で、花田先生はビールを、私は乾杯後には熱燗をガンガン飲みましたが、職員さんは男女関係なく、私たち以上に飲まれたと思います。

一次会終了後は歌が歌えるお店に行き、私も沢山歌わせて頂きながらも、法人同士の意見交流もしっかり出来ました。花田先生の施設の方は人数も多かったので、全く元気に文字通り『遠慮は3流』の言葉通り『さすが1流』と思った次第です。

2次会からは、埼玉県の西川理事長と職員の方も合流して、総勢10人で楽しみました。

翌日は分科会が行われ、午前中は第3分科会の『介護人材戦略の最前線~採用・育成・定着を未来につなぐ~』で8事例が発表され、午後は同じ会場で第2分科会の『経営力の強化~地域に合わせた持続的な事業戦略~』で7事例の発表がありました。それぞれの発表には、当法人においての今後への展開へのヒントがありましたので、今後に生かしたいと思っています。発表を聞いている中で、ハード面として或いはソフト面として頑張られているものを、当法人としてどの様に役立てていくのかが問われていると思います。それぞれの事例はそれぞれの施設の強みを発表されていると思うので、当法人としても強みをもっともっと磨いて、いずれ全国大会で発表出来るようのしていきたいです。

大会1日目の開会式典後の様子です

令和7年12月7日

開会式典終了後に舞台替えをして先ずは大山会長からの基調報告です。開会式典のご挨拶とは違い全国老施協としての現状と取り組みの成果についての話の後は会長が入居者さんとの出会いが頑張りの原動力になっているとの話を聞いて「大山会長の思いの厚さ」を改めて理解しました。次に厚生省からの行政説明があり、厳しい状況の中でもより効率的な予算配分を考えてみえる説明だったので、私的にはいつもとは違い納得のいくものでした。

次には特別講演として静岡県立大学教授の鈴木俊文先生による『2040年に向けた人材確保策~地域型プラットフォームの意義と可能性』の演題での講演だったのですが現場経験もある先生からの提言だったので分かりやすい内容でした。次に女性キャリアアップ推進委員会によるシンポジュームで、若林委員長進行役のコーディネーターを勤められシンポジストは東京大学名誉教授の佐藤博樹先生、社会福祉法人今山会の朝野愛子さん、社会福祉法人辻中浩司さんの3人で実施されました。私は委員会の趣旨からも『女性』に特化したものと思っていましたが女性に特化したものではなくて『次世代を担う若者が希望をもって働ける職場』と言うテーマであったので今後の働き方をよりよくするための提案をそれぞれの立場で話をして頂けたので非常に分かりやすいシンポジュームでした。

1日目の最後は特別記念講演として元バレーボール日本代表の栗原恵さんによるテーマは『凜と ~やってから後悔するか、やらなくて後悔するか~』と言うものだったので講演を聴くまでの私は「結論が見え見えの内容ではないのかな」と思っていたのですがとんでもなく中味の深いもので多くの聴講者がハンカチで涙を拭いてみえました。講演の最初に「私の身長は188cmなのですがどのくらい高いのかを体感してもらう為に誰か舞台に上がって貰えませんか」との事で女性の方が舞台に上がられ、舞台に上がられた女性を自分の前に立って貰いその後ろに立たれると館内から大きなどよめきが沸き上がりました。

その後は中学生の段階で既に170cmの背があり、父親が地元のバレーボールの監督をされていた事もあり小さい頃からバレーボールをする環境はあり、父親が指導すると毎日の様に大きな声で反発していたとの事。当然の様に地元の中学でもバレーボール部に所属していたが、1回戦に勝利するのがやっとのチームだったそうですが、中学2年の6月に遠く離れた強豪チームらの誘いがあり、なかなか決断が出来ないでいた時に父親から大きな声で怒鳴られて泣くしか無かった時に母親から「やってから後悔するか、やらなくて後悔するか」と言われて遠い地での単身での生活になり、地元でのレベルとは遥かに違う中、夕食も食べれないで眠ってしまう毎日だったとの事で、そんな中でも毎週長距離の運転をして両親がきてくれ、そんな時に父親の涙を見て「父親の温かさを知った」との話や、1年間ロシアのチームに所属していた時には日本では一番背の高かったのに、ロシアのチームでは低い方から4番目だったとさり気無く話された時には「大変な事が一杯あったはずなのに」と思った次第です。

講演での感動を上手く伝えれませんでしたが少しでも分かって頂けたら嬉しいです。

第4回全国老人福祉施設大会・研究会議の報告をします

山口市で12月4日・5日に開催された正式名称『第4回全国老人福祉施設大会・研究会議 JS フェスティバル in 山口』について、本来であればリアルタイムにお伝えするのが私のスタイルだったのですが、講演や事例発表をしっかり聴いていてスケジュールが終了してからは他法人との交歓会との元お酒が入り、カラオケを歌いでとてもじっくりコラムを書ける状況になかったのでこれからじっくりと尾ひれはひれを付けながら書くことにします。

本題に入ります。開催は4日の10時からの受付だったので「とても当日の出発では間に合わない」と言う事で吉田副施設長と共に前泊をさせて頂いたのですが、米原駅まで吉田副施設長の車に同乗させて貰い京都で乗り換えて(同じホームの向かいで乗れるので便利が良いため)新山口駅についてホテルを探そうとすると駅を出て直ぐの所にあり、しかもメイン会場はホテルの向かいにあると言う素晴らしい立地にあったのでホテルの手配をお願いしたサンケイ会館の高野次長さんに先ずは『感謝』です。

18時過ぎにホテルにチェックイン出来たので「吉田副施設長とゆっくり2人で話をするめったとないチャンス」と言う事でホテル近くの居酒屋さんに行き山口の料理を堪能しながら熱燗を強か頂きながら、しっかり話も出来ました。改めてお酒の効能の素晴らしさを実感しました。

翌朝は素晴らしい目覚めが出来、歩いて5分もかからない距離ではありましたが10時前に吉田副施設長と共に会場に行きました。受付の列がずらっと並んでいる最後尾に着くまでにも多くの関係者の方と挨拶が出来ました。受付前に全国老施協課長の顔がみえたので挨拶をしながら法人オリジナルの味噌煎餅を渡すことが出来ました。受付を終えた段階でタイミングよく大山会長にお会い出来その後も何人かの副会長さん達とも挨拶が出来ました。会場の中に入ると「流石に2000名の参加者と言う事なので凄い人だ。この参加状況を見ただけでも大成功の大会だ」と思った次第です。

開会式典は研修・大会フォーラム委員長の尾関さん(名古屋市会長)の開会宣言では尾関会長がめっちゃ緊張されているのを感じました。引き続き主催者挨拶は全国の大山会長と山口県会長の内田さんがされたのですが、大山会長は自ら恰好だけは女性ですが中身は男ですなどとのジョークも交えてしっかりと抑えるところは抑えながらの流石の挨拶でした。内田会長の挨拶の時はいつも流ちょうに話されるのに原稿を読みながらのものだったので私は2年前の岐阜大会の時に原稿は事前に作成していたけれども演台に立った瞬間事前に準備した原稿を一切無視して話をしていた事を思い出しました。来賓挨拶、来賓紹介、主催者紹介、表彰、大会宣言、次期開催県挨拶と続き次期開催県挨拶は徳島県の大塚会長だったのですが、大塚会長とは色んな場面でご一緒させて頂いているのですがいつもの流ちょうな喋りとは違っていたのですが挨拶の最後の方に阿波踊りの曲が流れて来て多くの徳島県の役員の方が舞台で阿波踊りを踊られた時に来年への思いがヒシヒシと伝わってきました。

本日は開会式典までの紹介になってしまいましたのでこの続きはまた明日と言う事で・・・。

前泊を含めて3日間の全国研究会議も午後の事例発表のみになりました。

令和7年12月5日

吉田副施設長のフォローもあり、何の問題もなく終了しそうです。16時に全てが終わったらお世話になった役員の方々にご挨拶をした後は新山口駅に行きお土産を購入した後は17時11分発ののぞみに乗って京都でひかりに乗り換えて19時54分に米原に着き、吉田副施設長の車で本部施設まで行き自宅に帰ります。

昨日の記念講演は素晴らしいものだったし、本日の事例発表も今後の展開に役立つものが多くあったのですがじっくりと書きたいのでそのコラムは明日に譲ります。今回の一番の成果は全国老施協の大山会長をはじめ多くの役員の方々とお話ができた事です。もう一つは昨夜は福岡県、埼玉県の法人の方々と夜の交流が出来た事です。

多くの素敵な情報を得た事を明日から具体的に展開をしていきたいと思っています。

大会成果は明日のコラムで書きますので宜しくご理解下さい。

全国老施協大会・研究会議山口大会の1日目です

令和7年12月4日

本日は11時開始なので、ホテルを10時に出て全体会場に行きました。歩いて5分で行く事が出来たのですが受付をされる列が長くなっていて最後尾に着こうと歩いて行く時にあちらこちらから声をかけられその都度ご挨拶をしながら最後尾に着いたのですが、最新情報として、参加者が2000人を超えたと言う事で素晴らしい大会になる予感を持ちました。メイン会場に入ってからも沢山の方とご挨拶が出来ました。しっかりとした報告は岐阜に帰ってからしますので、取り敢えずコラムが継続出来たと言う事で。

本日、米原14時53分発の新幹線で山口に行きます

明日から山口市において全国老施協の全国大会があり、明日の出発では間に合わないので、本日から山口に向けて出発します。3日間も施設を開けるので午前には和合に行き、1階でのお参りを済ませてから本部施設に行き、明日からの大会資料の確認などをしてからコラムを打ち、本部施設を14時過ぎにもう一人の参加者である吉田副施設長の車で米原駅に向かいます。正直、吉田副施設長が一緒なので非常に気楽に参加できます。但し、米原~新山口までの往復切符の手配については、私が大垣駅でしてきました。帰りは明後日の20時54分米原着なので、結構な強行軍になりますが介護業界の厳しい現状に対する今後の展開について、しっかりと学んできたいと思っています。勿論、大会での講演や事例発表だけでなく、全国の強者(つわもの)との私自身が築いてきたネットワークを駆使して、学習以外の所でも頑張って情報を得ていきたいと思います。

厳しい状況の打開策は施設がどれだけ努力しても叶わない事があるので、政治の力も借りながらの展開もしていかなければいけないので、その為にも『如何にして情報を手に入れて蠢くか』と言う事なので、その点についても頑張って情報を手に入れていかなければとも思っています。具体的には、昨日に手に入れた情報として、介護事業者の職員に一律10,000円のベースアップと、生産性向上に努力している事業所については最大19,000円までみていく。また、食費については1日一人当たり600円の補助金を考えているとの事。この情報の信憑性を確かめていく事によって、経営の在り方も変わっていくので、この信憑性を探る為には誰と接触していったら良いのかについてもしっかり、新幹線の車内で考えて行きたいとも考えています。

また、昨日の17時過ぎに岐阜県庁の議会事務局の方から私の携帯に連絡があり、厚生環境委員会の議員の方々に対して会長から40分程度現状説明をして欲しいとの事だったので、咄嗟に「私一人が行くのではなく、老施協の理事にも参加しての懇談会にすべきだ」と思ったのでその旨を話したところ「委員長と相談させて貰ってから改めて連絡します。」との事だったので、携帯を切って時間をおかずに厚生環境委員会委員長の県議に連絡すると「会長さんの言われる方向で事務局に言います。」との事で、携帯を切って5分程した時に改めて議会事務局の方から連絡が来て、私も含めて13名の理事と事務局長を入れた懇談会になるような部屋の確保をしていきます。との事だったので「会員事業所の為になるとの思いで、かなり不躾な提案になったけれども、大きな風穴を開ける事が出来た」と思っています。この事が上手くいったのは、私自身が岐阜県老施協の副会長を10年した後、会長を13年も勤めさせていただいている中でのネットワークの賜物だと思っています。残念ながら亡くなられた中村博彦会長の教えである『労を惜しまず』の賜物だとも思っています。これからも私が築いたネットワークも活用して頑張って行きたいとおもっています。

本日、岐阜新聞21面『社会』の記事から

令和7年12月2日

『職安職員 実績水増しか』 『求職者装い偽名で4社合格』との大きな見出しに、私は正直『目が点』になりました。記事の中で【東京都内の公共職業安定所(ハローワーク)の職員が偽名で求職者になりすまし、企業9社の採用選考に応募していたことが1日、分かった。うち4社から採用決定を受けていた。

職探しを装うことによって、職業紹介の実績を水増ししていた可能性がある。厚生労働省は、詳しい事実関係の確認を進めた上で、職員を処分する方針だ。(中略)少なくとも9社の採用選考に応募して面接を受けるなどした上で、4社で合格した。その後、就職辞退を伝えたとみられる。職員は求職者として2人分の偽名を登録し、求人を出していた事業所に自ら紹介していた。今秋ごろ、この職員が求人している事業所に面接で出向いた際に実名を記入。事業所側が書類との違いに気づき、ハローワーク側に指摘した事で発覚した。求職者側の採用辞退は就職件数から除外されるが、ハローワーク側が把握していない場合は件数に計上されたままとなる。(中略)厚労省各ハローワークに就職件数などの目標を設定している。ハローワークを管轄する東京労働局管内では、目標の95%を下回る月が続くと労働局から指導を受ける。】この記事を読んで私は数字に追い回されている哀れさと見方を変えたら違法を犯した職員の『実直さ』を垣間見る思いでした。

と言うのは恐らく違法を犯した職員は自分の休みを利用して書類を作成して面接に行き、採用が内定したところにはお断りまで入れられているのだから。労働局内でどのような根拠での数字なのかは分かりませんが、この様な事例が出てくるのは、ハローワーク以外での紹介の方が『安易で親切』と言う事で流れている為では無いかと推察しています。

と言うのは当法人において過去において現役の学生さんが紹介会社からエントリーをしてきたことがあり驚いた事があったからです。どちらにしても難しい時代ですが間違った流れにならない様に頑張っていきます。

本日は12月1日と言う事で非常なる思いがある日です

平成9年1日の出来事です。

この年は本部施設本館の施設建設に伴う補助金の内示を頂き、その後社会福祉法人杉和会の認可をその当時の岐阜県知事から7月17日付けで頂き、その認可で初めて所謂『人格ある組織』になった事を受けて8月8日(末広がりの縁起も込めて)に入札を実施させて頂き、大日本土木に工事発注する事になり、11月末にようやく骨格の柱が立ち、生コンで下打ちが出来てはきたものの未だ屋根が無い状態の中で、いきなり12月1日に優に40cmの雪が降ったのです。

私はその当時44歳でしたがこれだけの雪が降った記憶に無いくらいの積雪に(1月、2月には降りますが)私自身も驚きましたが、それ以上に驚かれたのが建設の責任者である総監督でした。

朝現場に行くと監督から「この辺では12月でもこんなに降るのですか」と雪が降ったのが私の責任の様な聞き方だったので、私は「私もあまり経験がありませんが、今回の補助金は単年度事業なので来年の3月を目途に完成させて貰わないといけないですよ」と言うと監督が「分かってはいますが、今後も降りますか」と言われたので「いくら私が地元の人間でも雪の状況までは分かりません。」と答えました。

そんな会話の後の動きは「流石に大手のゼネコンだ」と思う動きをされました。それは大型の温風ヒーターを20台くらいレンタルされ、6時間毎に給油をしなければいけないと言う事で給油当番を決めて泊まり込み体制を組まれました。

また、ガッツのある助監督は夜も徹して重機を操作して雪の除去をされました。

その日を境にして職人さんの数を倍増されての体制が取られました。

12月1日にいきなり降ったのですが、その後の積雪は大したことが無かったので翌年の3月30日には岐阜県による立会もあり色んな設備も入り、駐車場の整備もされて5月15日に無事に竣工式典が出来ました。

『もしも』と言う事はありませんが「平成9年の本日に40cmの降雪が無かったら」と思うと考え深いものがあります。

その後はそれぞれの造作が出来てからは設計管理の設計士と監督を伴って図面を持ちながらの日々であったのもしっかりと記憶にあります。

初めての入札日が『8月8日の末広がり』だったのと、職員の頑張りと地域の方々の理解もあり、平成16年には本部施設新館を、平成26年には和合の施設を令和3年には盲養護老人ホーム和(なごみ)の展開をするまでになりました。

12月1日と言う日に走馬灯の様に思い出しているのですが決して順風満帆ではなくて色んな事を乗り越えての今だと思うのでこれからも地域の為にご縁を頂いた入居者さん、利用者さんとその家族の皆さんにも変わらない笑顔でいて頂く為にこれからも頑張って行きますのでこれからも宜しくお願い致します。

1 2 3 4 5 6 7 8 318