科学の発展のおかげです。

昨夜は金沢駅前のホテルに泊まらせて頂き、いつもの様に5時過ぎに目覚め、二度寝を決め込んだものの眠る事が出来無かったので、ゆっくりとお風呂に浸かった後はいろんなことを考えていた時に、何の脈絡も無く、施設建設の為の書類を作成していた時の事を思い出していました。その当時の許認可権は国にあり、岐阜県の担当者の指示に従いいろんな書類を作成していました。作成した書類を持って県の担当者が国に出向き書類の審査を受けるシステムだったので、県の担当者も国に出向く直前には、ガチガチの書類に完成させる為に休みを返上して頑張ってくれて、県の担当者は必要ではないかと思う書類の指示を待った無しで言って来ました。

そんな時に新たな図面の指示がありました。その図面は居室等の色分けをしなければいけなかったので、本来であれば色鉛筆でその当時はしていたのですが時間が無いと言う事で、カラーコピーをして提出するしか無くてカラーコピーをしてくれる所を探したところ、大垣に事務機器を扱っている所で出来る事が分かり、カラーコピーを多分30枚程して貰うと1枚300円で1万円近く支払い、その当時はまだ組織になっていなかったので、私自身痛い出費だった記憶があります。何が言いたいかと言うと、今は施設にも当たり前にカラーコピー機が設置してあり、当たり前の様にカラーコピーが出来ますが、その当時は大変な事だったと言う事です。また、スマホにしてもいろんな情報を手に入れる事が出来るし、原稿にしてもスマホに向かって話をすると言葉を打ち込んでくれるのです。

もっと大きな話しとしては、月に行くのはSFマンガの世界だと思っていたら、一般人が多額のお金を支払えば行けると言う事は、カラーコピーが今では安価に出来る様に、近い将来には月旅行ツアーなるものが出来るようになるかも知れないと言う事なのかと思ってしまいます。と言う事は、江戸時代に手紙を届けるのに飛脚にお願いしなければいけなかったのが、スマホを使って一瞬で出来てしまうと言う事なのですが、私に言わせると世知辛い世の中になってしまい、ますます世知辛い世の中になってしまうのでしょうか。こんな事を考えている私は、バリバリの昭和オジサンと言う事なのでしょうか。

本日は金沢に一泊二日での出張です

本日金沢で全国老施協東海北陸ブロック正副会長会議が開催され、同時に全国老施協の常任理事との意見交流会がリモートで行われるので、米原を10時56分発のしらさぎに乗って敦賀で新幹線に乗り換えて、金沢に向います。来年7月に、東海北陸ブロック研修大会が岐阜の地に於いて行われるので、先般岐阜に於いて大会実行委員会でたたき台が出来、大会長に私が正式に決まったので、本日の会議ではしっかりとした事前予告をしたいと思っています。その他にも11月11日が介護の日と言う事で、各県市に於いて行われた催しについての報告も、しっかりしていきたいです。私がこのブロック正副会長に参加する様になって20年以上になりましたが、発言については是々非非でしていきたいと思っています。

ところで、今、敦賀駅で北陸新幹線に乗り換えたのですが、北陸新幹線が開通する前は乗り換えなく行けたのにと思うと、これで便利になったのかと思っている私がいます。だって敦賀駅構内を結構歩きましたので。取り敢えず、あすまでの出張を頑張ってきます。

見習わなければいけない

昨日は、独居で生活している義兄が「足が痛くて歩きにくい」と言う事で、整形外科に連れて行くと、整形担当の先生から「足は軽い肉離れなので、痛み止めの薬とシップを処方しておきますので、様子をみてください。ただ、今後の事を考えると、介護認定を受けられた方が良いと思いますよ。」と言われたので「この足で役所に行って申し込んできます。アドバイスありがとうございます。」とお礼を言って、病院から役所に行きました。

役所の対応も素晴らしかったので、その時の事を書きます。先ずは案内所に行って担当課を聞き「本人が歩きづらい様なので、車いすをお借り出来ますか」と言うと、案内をして下さった方が、玄関先に設置している車椅子を急いで取って来て下さり、義兄の足をフットレストに乗せる事もして下さり、担当課の所まで案内して、申請担当の方につないで下さいました。また、申請担当の職員の方も丁寧に説明して下さり、尚且つ「医師の意見書を書かれる方が、内科の先生であれば足が痛くて歩きずらい事を電話ででも連絡された方が良いですよ」とのアドバイスを頂いたので「電話で連絡するよりは、直接お話をさせて頂いた方が正確に伝わる」と考えて、かかりつけの病院に行きました。

そこでも親切にいろんな説明をして下さり、尚且つ「今まで整形の先生がみえなかったのですが、10月から整形の先生が週に2日来て下さる様になったので、良ければ足の方もこちらで診て貰う事が出来ますよ。」と言って頂けたので「有難い情報を有難うございました。」と答えました。行くところ行くところで、しっかりとした対応をして頂いたので、今回私は説明する側では無くて説明される側の対応で「何も知識の無い方への、丁寧な説明の大切さ」を改めて知る事が出来たのは、本当に勉強になりました。

メガネを買いに行きました。

次男の家に今須米を20キロ届けた帰りにメガネ屋さんに立ち寄りメガネを購入に行きました。先ずは検眼をしてく前にフレームを選ぶ事にしました。せっかくメガネを新しくするのならば3年ぶりに新調するのだからメガネを変えたなと分かるくらいに全く違うものにして、イメージチェンジをするのも悪くないと言う事で黒のフレームからシルバーのフレームに変える事にしました。お店の方が言われるにはこのフレームは哀川翔さんのコマーシャルのものですので良いものですよ。と言われて何と無く嬉しくなっている私がいます。

10日後には完成したのが手に入るので楽しみです。それに新しいメガネを掛けて会った方からのコメントを聞くのも楽しみです。メガネを購入するだけてこんなにワクワクしている私は何者なのでしょうか。このコラムを見ている方の中で新しいメガネを掛けた私を確認したら優しく声掛けをして下さい。私はカッコ良いと思っているので

本日は午前に和合で『多職種連携会議』で午後は『法人理事会』があります

午前中の『多職種連携会議』は和合の施設長である私と、ケアマネ業務も担っている副施設長、介護現場の責任者である2人の部長と事務係長、看護師、管理栄養士、理学療法士で構成した会議です。

この会議の話題は多岐に渡っての内容になり、議題によってはそれぞれの立場で思いをぶつける場です。

この会議で決定した事を全職員に理解してもらう場として月1回の全体会があるのですが最近の傾向として参加が少なくなっているので、その点については参加した職員に改めて全体会の意義について話をして各フロアでの職員に対する徹底の指示を出しました。

その他にもホームページの『今日の優・悠・邑 和合』の記事の意義やアップの仕方についての課題では「外国人の理解に苦慮している」との発言に対しての今後のあり方を記事云々以上にしっかりした指導を展開していかなければと考えています。

10時から始まった会議が終了したのが12時10分だったので、15時からの理事会の最終打ち合わせもあるので、急いで本部施設に行き、昼食はパンとおにぎりで済ませて法人事務担当でもある五次副施設長と打ち合わせをして、新たな書類の指示をしていると、経理をお願いしている税理士の先生で法人理事がおみえになったので上半期の収支状況を説明して貰いました。

当然の事ではありますが、盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設と本部のデイサービスえりかの里の収支は厳しいものがある事に対して、今後の展開について岐阜県及び関ケ原町との話し合いをしている事の説明をしっかりしていかなければと思っています。

介護業界が厳しい状況の中、本部施設も和合の施設も稼働率を上げていてくれるので何とか頑張れている結果になっている事を理事の皆さんにも理解して頂ける様にしっかりとした説明をしていきたいと考えています。

プロの歌手が上手に歌えるのは当然だと思います。

毎年クリスマス会に演歌歌手の山崎ていじさんが来てくれる(今年は12月23日10時から和(なごみ)で13時30分から本部施設。24日14時から和合で実施します。)のですが、20年くらい前に初めて施設に来てくれた時には「180cmの長身で自称『股下90cm』でスラっとしていて『いい男』だけれども歌はそれ程上手く無いし、おしゃべりは朴訥としていて上手く無いな」と思っていました。それが平成26年に『昭和男唄』で『カラオケ大賞新人ショー』を受賞された頃からは「歌もしゃべりも上手くなったな」と思った次第です。と言う事は「経験に勝るものは無い」と言う事なのでしょうか。

そんな事を考えている時に「ふと」思ったのは「プロの歌手は自分の持ち歌を歌うのだから同じ曲を何十回何百回と来る日も来る日も歌うのだから持ち歌を中心に上手くなるのは当然か」と思ったのです。そう言えば新人歌手でデビューした時な「こんなんで大丈夫か」と思っていたのが何か月後には上手くなっていたりしています。ただし、下手なうちは「初々しい」等と納得している視聴者がいるのも事実です。

ところで私自身の『手前味噌』の話をします。確かにPTA会長をしていた30年程前にPTAの役員によるバスでの懇親会の折りバスの車内で歌を披露した時に「会長さんはお上手ですね」と言われて頭に乗っていたのを覚えています。そして、44歳の時に本部施設本館が出来てからは時々入居者さん利用者さんの前で歌っていて「理事長さんは上手やね」と言われて満足をしていたのですが、その頃は月に1回程度の事だったのでそれ程の上達は無かったと思います。しかしながら和合の施設の施設長になって2年3カ月。時間があれば午前にお参り、午後にカラオケを実施させて貰う様になって自分でも自信を持って歌えるようになり、特に苦手だった低音も自信を持って歌えるようになり、今では八代亜紀さんの『舟唄』、石川さゆりさんの『天城越え』も熱唱出来る様になり、今の北島三郎さんよりは上手く歌えると思っています。(80歳を過ぎた方と競ってもいけませんが)とにかく何事も繰り返し一生懸命にすると出来る様になると言う事です。

介護の日(11月11日)を前にして

昨日は午後から岐阜県福祉会館2階で介護人材マッチング事業があり、参加させて頂きました。マッチングをする機関と、特定技能の介護の資格を得て日本に来てくれるインドネシアとネパールの2つの機関と、リモートによってのマッチングが行われました。今回の企画を主体的に担って頂いた岐阜県老施協『人材・研修委員会』の西川委員長の進行で、最初はネパールの機関とつないで、ネパールで研修を受けている5名の方とのリモートによる交流をしました。半年間の研修の成果として、一生懸命に日本語で答えようとする姿を、大きな画面を通して見ていて「今の若い日本人の方が、あのような目の輝きを持った対応が出来るのだろうか」と正直思ってしまいました。

ネパールの機関の方はこの様な対応に慣れていないのか、少しもたもた感がありましたが、5名の方の一生懸命さは伝わってきました。続いてインドネシアの機関とのマッチングは、現地の責任者の方が日本の女性の方で、日本での実績もある方だった事もあり、説明も分かりやすかったし、研修生4名の方もインドネシアの看護学校を卒業された方ばかりだったこともあり、日本語力も正確さがあり、「日本で頑張りたい」と言う気持ちがひしひしと伝わってきました。

この様な形で行われたのは初めてだったのですが、この様な機会を支援して下さった岐阜県高齢福祉課に感謝したいと思っています。会の終了間際に先般、岐阜広告で介護の日特集の取材を受けた原稿を持って来て貰ったので見させて貰うと、私が取材を受けての記事の他に、和合の職員でEPA介護福祉士候補生として15年前に来てくれたインドネシア人職員の記事も確認出来てしみじみ思ったのは、「和合の職員として立派に頑張っていることがアピール出来て、これからの介護事業所のあり方の1提案になったのではないか」と思っています。

介護の日である11月11日の岐阜新聞に掲載されての反響が楽しみです。

岐阜県の委託事業である外国人介護人材マッチング支援事業が本日開催されます

令和7年11月7日

「外国人介護人材の受け入れにあたり、現地でどんな教育を受け、どんな生活をしているのか」などの不安や疑問等を持っている事業所向けに開催される企画です。岐阜県の委託業務を岐阜県老施協及び岐阜県老健協が受けての事業です。対象国はネパール人材とインドネシア人材です。当法人では両国共に受け入れ実績がありますが(他にベトナム・ミャンマー・インドの受け入れています。)優秀な人材との面談があれば登録機関の新たなるご縁を頂ければと考えて参加させて頂きます。マッチング事業は基本的には「これから外国人介護人材を導入したい。」と言う法人向けの事業なので当法人の様に実績がある所は基本的には必要が無い様にも思えるのですが、優秀な人材がいればとの思いです。

但し岐阜県の委託事業の考え方も「新たに導入する法人向け」から「受け入れている事業所向けにスキルアップする事業」への変換をしていかなければいけない様におもいます。と言うのは参加者施設の名簿を確認させて貰っても導入実績のある所が殆どだからです。例えば外国人介護人材を導入しての困った事の問題共有をして上手くいっている所の話を聞いたり、外国人材の育成が出来る方を講師に招いて研修をするとかとバージョンアップが必要だと思っています。

今の介護事業に外国人介護人材は不可欠な状況である事は国会での高市早苗総理の答弁を聞くまでもない状況です。現象的には地元の介護養成校である中部学院大学においても留学生の方が日本人より多いと言う事なので推して知るべしという事です。外国人介護人材の中にも優秀な職員がいて当法人においてもフロアの責任者もいる状況があります。介護は優しさと一生懸命さだとも考えています。

やはり私には父進さんの血が流れているのでしょうか

令和7年11月6日

介護事業で最も大切な事の一つに『職員の確保と資質向上』があげられると考えています。入職した当時は「この職員は大丈夫なのか」と思っていた職員が3年の経過を経て「ようやくそれなりになってきたな」と思っていて、その職員が『10年表彰』を頂いたのを手渡しするときに「確かに10年の経過で頼もしくなったな。」とつくづく思う事があります。

最初は自信がない所作が目立ち「僕には出来ないので辞めさせて下さい。」と何度も言って来て、その都度その職員の話に耳を傾け、時には「じっくり話を聞かなければいけない」と言う事で食事に誘いお酒を進めても表情が硬くて食時もお酒も進まない状況の中、私にとって介護事業の師匠であった元全国老施協会長で参議院議員だった中村博彦先生の口癖でありお教えであった「遠慮は3流」の言葉を投げかけながら少しづつ表情も良くなると共に食事もお酒も進み段々と言葉が出て来て次の日からは生き生き頑張ってくれる事が何度もあった職員が今は本当に頼もしくなっている姿を見ると自分の事の様に嬉しいものです。

また、会議の時の発言を聞いていて「おいおい、その考え方は私の口移しでは無いか」と苦笑いと共に嬉しくなることもあります。正直な話し「色々あって文字通り手塩にかけた職員が頑張っている姿を見るのは嬉しいもの」と思っています。晩年の父進さんとしみじみお酒を酌み交わした時に「あの子はやんちゃで手を焼いたけど本当に立派になってくれた」と言っていた時には「そんなものか」と思っていたのですが今は父の言葉を素直に理解できます。と言う事は私の中にも父の教育者としての血が流れていると言う事なのかと思っています。

私が営んでいる高齢者施設の職員達には『認知症』に強い職員になって貰いながらも『相手の気持ちがわかる』職員でいて貰う為に研修会への参加や資格取得の為の後押しをしっかりしていきたいし職員の成長の為の後押しもしっかりしていきたいと考えています。

日本の季節から秋は無くなってしまったのでしょうか

本日の私の出で立ちは長袖のポロシャツで、家を出る時に薄手ではありますがジャンパーを羽織り出掛けました。「よ~く考えてみると、つい最近まで半袖だけで良かったのに」と思うと「夏からいきなり冬が来てしまい、秋が無くなってしまったのか」と思った次第です。この様な事が毎年の様になるとしたら「春服も秋服も必要なくなってしまうと、服の製造業者も販売店も対応の仕方が難しくなってしまうな。」と思いながら、「冷房を使わなくてもよくなったら、時間を置かずに暖房の使用をしなくてはいけなくなるのか」と思った次第です。

現に、本日9時からのデイサービスの今後の展開についての話し合いの為に、関ヶ原診療所2階の会議室に入って行ったら「暖房が入っている。」と言う事でびっくりしてしまいました。正直、施設運営している者としては「春と秋が長くあったら、冷暖房が無くても快適に過ごせるので、経費的にも助かるのだけれど」と真剣に思っています。

今年の冬の雪はどれほどになるのかは分かりませんが、昨日岐阜県老施協常任理事会に参加してくれた飛騨支部長の副会長(飛騨古川)に「雪は降ってないか」と冗談交じりに言ったのに対して「山の高い所は白く積もっていますよ」とマジで返されたので「おいおい、本当かよ」と思った次第です。「暑い、あつい」と言っていたらいきなり冬支度をしなければいけないのは大変ですが、頑張ります。

雪と言えば、最初の建築をしていた本部施設本館の時である平成9年の12月1日に、まだ屋根も出来ていない時にど~んと40cmの雪がいきなり降ったのは、今でもインパクトの高い記憶として残っています。あの時の様な状況には2度となってほしくないなと思っています。リピーターの皆さん、急な寒さは体に堪えますので、お互いに健康には気を付けたいものです。

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