親の愛は素晴らしい

令和7年5月6日

『親の愛』と言うと『母親の愛』を連想されるリピーターの方が大方なのかも知れません。私の場合は、私の我がままと世間知らずな私を常に優しく見守り援助してくれた父進の『父親の愛』と、私を溺愛してくれた母秋江の『母親の愛』と言う恵まれた生き方が出来た事に、感謝しか無いのです。今回紹介する『親の愛』は『父親の愛』についてです。

「今年はタケノコが出ない」と嘆いていて、姉春子さんの屋敷近くにある竹藪を期待して連絡したのですが、つれない返事が返ってきて、(出ていないのだから仕方が無いのですが・・・)いよいよ今年は本部施設においても『タケノコ祭り』が出来ないのかと思っていたら、毎年タケノコを持って来てくれていた職員が体調を崩して休んでいて、体調が戻り復帰したので頼んでみたところ「朝掘りをして持ってきます。」と言って、昨日の『今日の優・悠・邑』で写真を見て頂いた方もあるかも知れませんが、早速職員がタケノコを持ってきてくれたのでタケノコの湯がきをしました。

持って来てくれた職員に話しを聞くと「朝早くに父親と一緒に獲りに行くつもりが、父親が本当に早く一人で掘ってくれたので持ってきました。明日は雨が降ると言う事なので、また出たら持って来ます」との話に、「いくつになっても娘のお願いには張り切ってくださる。」と言うのが嬉しかったし、その事を生き生きと話す職員の姿に嬉しくなった私です。

タケノコの確保が出来た事でタケノコの味噌汁を炊く計画が出来て、「ご飯を炊くにはタケノコが少ない」と言う事で、私が湯がきの火の番をしている時に水野施設長が施設内に生えている『わらび』を取って来てくれたので、『重曹』を買って来て若園管理栄養士に湯がきをして貰い、明日は本部施設において『タケノコ祭り』を急遽企画する予定です。もしかしたら、雨が降ってまたタケノコを持って来てくれたら(50%位期待しています)8時からタケノコの湯がきをして、10時から味噌汁とご飯の二つを並べて火の番をしなければいけないと思うと、今からワクワクです。だって入居者さんが見学にみえて「寒い」と言われたら間髪入れずに「鍋の中に入る」と言うと「そんな事したら火傷してまうがね」で大盛り上がりになる事が分かっているので。リピーターの皆さん「タケノコ万歳です。」と言う事で。

リスクマネジメントについて語ります

令和7年5月5日

私は『平生往生』と言う言葉が大好きです。その意味についての私の思いは「常に何に対しても一生懸命に取り組んでいれば色んな方々からの理解が得られる。」と言う事です。ゴールデンウィークまっ只中で施設の入居者さんの家族の方も多く面会に来て下さいます。そんな時にその入居者さんのご様子を少しでも話させて頂くと、面会に来て頂いた方が安心して頂けると思っています。

また、残念ながら施設にご縁を頂いた方が亡くなられた方の元の契約者の方に『供養祭』の企画の案内を差し上げて実際に久しぶりに施設に来て頂いたりした時、また、『お祭り』や『クリスマス会』等のイベントのご案内を契約者の方に差し上げたりすると、「こんな事もしてくれているのか」と思って頂き、実際に施設に来て頂き入居者さんの笑顔を見て安心して頂けているのも事実です。

私は26歳から38歳まで児童養護施設の指導員をさせて頂いている時に、入職したばかりの頃に「施設が地域から全く理解されていない閉鎖的な所だ。」と感じて先ずは地域の方々に来て頂ける様に色んなイベントを実施して、それが上手くいったならば、地域の子どもが施設に遊びに来てくれて、次には地域へ施設の子どもが遊びに行ける様にしたい。」と考え実践しました。

私が先ず取り組んだのは子ども会活動の学校区の責任者になり、父兄の方々と親しくなることから始めて施設での生活について父兄の方にお話をして理解をして頂く事をして、施設と地域の見えない垣根を無くすような展開に努めました。

「何の話をしているのか。タイトルと違うのではないか。」と思われている方も多いと思いますので、ここからタイトルに対するコメントをします。(私の話は井上ひさしさんの作品と同じように結論への導きが遅くて結論はあっと言う間なのですみません。)私は施設の場合は家族の方や地域の方々とのコミュニケーションを常に取る展開がリスクマネジメントにおいての最も大切な事だと考えています。

勿論、職員が一生懸命の中でも『事故』や『トラブル』はゼロにはなりません。勿論ゼロになる様な努力はいつも心掛けています。そんな時にも起こりうる『事故』や『トラブル』に対しては施設長が前面に立ち、時には理事長が前面に立ち、誠意ある対応をして、その間に同じことを繰り返さない為には何をすべきかを職員一丸になって考え、実践していく事だと考えています。

「う~ん、私の真意が職員にも伝わればこのコラムは生きたものになる。」と思っています。

※このコラムを書こうと思った理由は2009年1月6日のコラムで『陰徳』について書いているのを見た事に誘引されたものです。

 

 

今まさにゴールデンウイーク真っ盛りですが

令和7年5月4日

朝のテレビ情報では、高速道路の大渋滞について報道しています。そんな中で本日はゴールデンウィーク真っ盛りの日曜日と言うにも関わらず、歯科診療にきて下さった先生に「日曜日にも関わらずご苦労様です。」と話しかけると「理事長さんもご苦労様です。お互いに休みは関係ありませんね。」と言われたので「休みを頂くとかえって調子を崩すんです。」と話しをすると「そう言うものかも知れませんね。」と言って頂いたので「私は今月16日に誕生日を迎えて72歳になりますが、お陰様で元気に働けています。」と言うと「これからも頑張って下さい。」と激を飛ばして頂きました。

いきなり脇道に反れたので本題に戻ります。『国民の祝日』が長期に渡るので、多くの方が色んな所に出掛けられるのは理解できるのですが、事前に『渋滞情報』が出ているにも関わらず出掛けられるのは「このチャンスを生かさなければ、なかなか家族で出掛けられないから。」と言う事なのでしょうが、本来3時間で行ける所を、倍以上の時間を掛けていかなければいけない状況は私に言わせると「考えものだし、私なら絶対に出掛けたく無い。」と言う事です。これは私の考え方で、今の日本の状況では現実的なことでは無いのですが、休みを色んな企業が分散していつもスムーズに出掛けられる状況にすれば、観光地にしても常に安定的な経営が出来るので『両者良し』の様に思うのですが、現実にはそんな簡単な話ではないと思います。

具体的に述べると、大きな工場が一斉に機械を止めればコストカットに繋がります。また部品の搬入がバラバラに休むと混乱をきたすからです。穿った見方をするならば、長期の休日は『大企業の都合』の様にも思えてきます。今年のゴールデンウィークの傾向は、岐阜新聞1面トップの見出しに『GW旅行安い近い短い』と書いてあり、『物価高、4割が「日帰り」』との事で、『財布の紐が固い』事が伺える。確かに休みの間『家でゴロゴロ』だとすると「家庭の主婦はストレスが溜まるから、何処かに出掛けなければいけないのか」と思うと、昔のCMに「亭主は元気で留守が良い」を思いだしてしまいました。そしてもう一つ時代劇の「あっしには、無縁なことでございます。」私は本日も和合の施設で午前は『お参り』、午後は『カラオケ』が入居者さんと出来る事が何よりのリフレッシュです。

和合の『豪華料理』でのアレコレ

令和7年5月3日

昨日のアレコレになるのですが和合でのお昼の豪華料理の時に私が感じたことをお話します。5月2日が豪華料理だと言う事が分かっていたのでアマゾンでノンアルコール日本酒が購入出来ることが分かっていたので事前に申し込みをして手に入れておいたのを1階、2階、3階の順に回らせて頂きました。入れ物が大きいと「もっと入れて」等と言われてもいけないので紙コップの一番小さいのに7分目位入れる形でお注ぎすることにしました。

事前にノンアルコール日本酒と紙コップを移動式の台に準備して貰っていたので、先ずは1階のフロアに行きフロアでの私の第一声は「月桂冠の日本種を持ってきました。お酒を飲める方は教えて下さい。」と言ったら元気よく手を挙げられた方があったので、先ずはその男性の所に行き、コップに注ぎながら「たくさん準備しましたのでお代わりを遠慮なくして下さい。と言って順次飲まれる方の所に行ってお酒を注ぎました。

女性の方の中には最初注いだ時には「ほんの少しで良いので」と言われたにも関わらず「美味しいのでお代わり」と言われて3回お代わりをして頂いた方もあります。1階では積極的な方が殆どでめっちゃ盛り上がりました。

続いて2階のフロアに行きました。最初はなかなか飲まれたいと言う方が現れなかったのですが、一人の方が飲まれたのを皮切りに「私も飲んでみようか」と言う形で段々盛り上がってきまて、とても良い雰囲気になりました。続いて3階のフロアに行くと事前にお酒の事が告知されていたのか「早く飲ませろ」的な方が多くおみえになり、忙しく注いで回りました。

特にお酒の好きな方がそれぞれ男性、女性に一人ずつみえて、「もう一杯」「もう一杯」と最後のフロアだったので楽しんで貰いました。この光景からつくづく思ったのは「お酒が飲める雰囲気は最高だ。」と言う事でした。「介護施設だからお酒はご法度」等と言う事は絶対にないと思っています。

勿論むやみに飲んで貰うつもりもありませんし、事前に看護師さんや管理栄養士さんとも打ち合わせをしています。私は出来るだけ楽しみを増やして生き生きとした施設での生活を過ごして頂ける様にしたいと考えています。

 

 

 

タケノコのお話です

令和7年5月2日

昨年は本部施設に地元の方が軽トラの荷台に山程のタケノコを頂き施設の北側にある竹藪(施設の物ではありませんが「竹として成長してしまうと施設に竹が倒れてくると迷惑になるので獲って下さい」と言われているので『タケノコ掘り名人』の職員がイノシシや猿に食べられる前に掘ってくれるのです。)や和(なごみ)の裏山での沢山獲れて3施設共に何度もタケノコの味噌汁を寸胴に大きな鍋で作って入居者さん利用者さんに食べて頂けたので、和合の皆さんにお参りが終わったタイミングで「タケノコの味噌汁を楽しみにしていて下さい。」と何度となく話していたのですが、今年は軽トラで運んで貰う事もなく、本部施設の北側の竹藪の状態を毎日の様に見に行っていたのですが収穫は2本のみで『タケノコの味噌汁祭り』が出来る様な状態では無くて、入居者さんの期待を裏切ってしまうような状況です。

インターネットで全国的な情報を検索すると「タケノコについては裏作で平年の3分の1程度の収穫しかない」との情報を得たので「全国的な出来事なら仕方がない。来年の愉しみにして貰おう。」と思っていますが、本日、和合の施設では『特別豪華食』と言う事で昼食にお刺身・てんぷら(エビ・アナゴ、なす)カニのあんかけ茶碗蒸し等々が出てくるので、最近アマゾンで手に入れたノンアルコール日本酒を振る舞う事にしています。なお、本部施設においても天気が良ければ『鯉のぼり見学会』が明日予定されているので、同じくノンアルコール日本酒を振る舞いたいと考えています。今日も明日も「飲める飲める飲めるぞ」で入居者さん利用者さんの笑顔が見られると思うとワクワクしています。

 

5月です。何に対しても積極的に頑張ります

5月は私の誕生月です。(何度も言っていますが『16日』です。)

盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の厳しい経営状況が続いて4年が経過して、厳しい状況から抜け出すために辛辣な思いをしながらも何とか今に至っています。

『5月戦略』と銘打って「がんがん頑張るぞ。そして今年度中に30床から80床への認可を勝ち取るぞ」との思いを心に秘め朝のお参りに出掛けました。

妙心寺本堂で昨日は4月が無事に過ごさせて頂いた事の感謝の言葉を護摩木に書かせて頂き、本日は厳しい状況で何ともならなかった時に高野山前官大僧正の静慈圓師に窮状を訴える手紙を送った時に何日かしてからお札を送って頂きました。

そのお札には『諸障退散』『七難消滅』と書いてあり、そのお札を支えにして歯を食いしばり色んな事の対応をしてきたと言っても過言ではありません。

と言う事で本日の護摩木には『諸障退散』『七難消滅』と書かせて頂きました。

寒い時季にトロっと眠ったと思ったら寝汗をかいて寒い中で着替えなければいけない状況の日々が続き「いっそ楽になりたい」と思った事も何度かありましたが、そんな事が私を強くしてくれて最後の『諸障退散』『七難消滅』との思いを込めて護摩木に祈りを込めて書きました。

「この5月からは色んな事が花開く」との思いが脈々と戦略として浮かんできます。

勿論これからも厳しい事はあると思いますが、頑張って切り開いていきます。

静大僧正を始め多くの方々に支えられてきた事に感謝すると共に目に見えない助けを頂いている事にも感謝して5月侵攻を進めていきますのでリピーターの皆さん、これからの展開にもご理解下さい。

コミュニケーションを取ると言う事

令和7年4月30日

我が家の猫の『おもち』を通して、改めて気が付いた事を書きます。過去のコラムで書いたのですが、私がお酒を飲んで機嫌よく帰って来た時に猫部屋に『おもち』がいたので「おもち君元気」と声を掛けたらいきなり歯をむいて威嚇したので、私の『いらっと』にスイッチが入ってしまい、徹底的に大きな声を出して追いかけたのです。

その日を境にして、飼い猫であり、餌の支払いをしている私に対して、声を掛けても必ず威嚇しながら逃げていく状態が続いていたので「ご主人様を何だと思っているのだ」と思っていたのですが、良く考えてみると折角少し仲良くなってきて、猫が大好きな『チュール』を嬉しそうに食べてくれる様になっていたのにと、私なりに反省をして歯をむいても怒らないで「我慢、我慢」で対応していたら昨日の朝、いつものように私が部屋を出ようとすると、部屋の外で座って待っているような感じがして、部屋を出たら猫部屋に入っていったので部屋を覗くと、可愛く「ニャー」と鳴いた時にはめっちゃ愛おしく思いました。

そして、本日も昨日の朝と同じような状況だったので嬉しい気持ちになると共に、猫とは言えコミュニケーションを円滑にするには根気がいるし、何と言っても相手から信頼を得なければいけないと思った次第です。

そして改めて思ったのは猫とは言え、相手を愛おしく思わなければ愛おしく接してくれない。児童の指導においては「先生は僕の事を一生懸命考えて色んな事をしてくれている。」との信頼関係を構築しなければ、指導すべきものが『単なる命令』になってしまうのだと言う事を体験してきたのに、猫にはできていなかったと言う事。「う~ん。吾輩は猫であるの様に、猫は人間の観察をしっかりしている。」と言う事かな。

マイペースなもう一匹の猫『まる』とは違い、『おもち』はもっともっと可愛い存在にしなければと思っています。う~ん、リピーターの皆さん、本日も私の言いたいことを何となくでも理解して頂ければ幸いに思っています。

彦根東福寺の護摩供養での出来事

令和7年4月29日

昨日は28日と言う事で、彦根東福寺の護摩供養に参加させて頂く為、18時スタートなのですが住職の静慈彰師とお話が出来たらと思い、17時30分にお寺に着いたらお参りの方は誰もまだ来てなくて、静慈彰師とお話をさせて頂くことが出来たのですが、いつも元気に話をされる方なのですが、それ以上にテンション高くお話をされました。テンションが高かった理由は、話の内容から東福寺にご縁を頂いている女性の方が高野山での修行を1年されて、その中で『護摩供養の作法』も習得されたとの事で、本来住職である慈彰師が執り行う導師の役割を、一年の修行をされた方に慈彰師の言葉を借りると「護摩供養の作法を習得しても、実際に体験する機会はなかなかない。後進を育てる意味でも本日、私は補助に回って導師を勤めて貰う。」と自分の考え方に酔ったような話し方でした。

18時を少し回った時に、護摩壇の所に座られ慈彰師のやり方とはかなり違うやり方で進められ正直なところ、なかなか護摩木が燃えない状態もありましたが、何とか無事に執り行われたのですが、お参りに参加された私も含めた方が「なれない中で行われているので、お経はいつも以上に声を張り上げ応援しよう。」との気持ちでの参加でした。終了した段階で何らかの言葉を頂けるかと思っていたのですが、早々に退席されたのを受けて慈彰師がテンション高く話をされていたのですが、奥に行かれた3人の女性の方の声が聞こえて来たので、慈彰師が「少しコメントを貰おう」と見に行かれたら、何となく元気なく戻ってみえて「法衣から着替えられているので、本日のお参りはこれで終了します。」と先程までのテンションとは違うトーンで話されました。

その状況から、慈彰師の想いと違った事を察しました。私なりに理解した事を端的に書くと「女性3人の方が護摩供養の中心でされたのは良かったけれど、住職に代わって執り行う重さが分かっていない。しかも、終了してからのお礼の言葉も無く、奥の部屋で興奮気味に話をしているのは理解出来る部分もあるが、言葉を選ばずに言うのなら、大学のサークル活動で初めて経験した事を興奮しながら話ししているのと大差ないな。少なくとも、導師の代わりを勤めた重みを理解して、迷惑を掛けた事をお詫びする事をしっかりしなければ何の為の修行だったのか。」と思うと共に、慈彰師のトーンが下がった事を重く考えて貰いたいと思った次第です。

妙応寺本堂での私の流儀

盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)の造成中に工事の進捗状況の確認の為に現場を歩いていた時に長靴を履いていたにもかかわらず、ぬかるみに足を取られ長靴と共に足を引き脱ぐ事を諦め先ずは足だけぬかるみから抜け出し、そのあと長靴を引っ張り出した事は、既にこのコラムで書いていますので熱心なリピーターの方の中には記憶にある方もおありかと思います。

そしてその頃、段々と建物が建って行くのを確認に行っていてその度に痛切に感じたのは「足腰が弱くなっているな」と言う事でした。その現象を少しでも解消しようと言う事で始めたのが朝のお参りです。それまでにも何度かウォーキングで片道2キロはある『若宮神社』まで歩いたり、ウォーキングマシンで30分以上頑張ったりしたのですが、長続きしなかったので、「無理なく出来るコースにして続けよう」と言う事で始めたのがペットボトルに水を入れてのお参りだったのです。

私はゴルフはしないのでゴルフをされる方から「ゴルフは結構歩かなければいけないスポーツなのでやられたら如何ですか」と進められても「複数での競技なので仕事最優先の私としてはお約束が守れなくてご迷惑かけてもいけないのでやりません」と言って断っていたのですが、今の生活は基本的には座っていることが多くて、足腰が弱ってきているのだと思います。そんな中で単に歩くだけでは「負荷がかからない」と言う事で思いついたのが『幸福地蔵様』に抱きついてのお参りと本堂でのお経中のストレッチです。こんな事を言うと申し訳ないのですがお参りをする前の所に立派なお賽銭箱があり、私が手をついて何かをしたとしてもビクともしないものなのです。そこで、お賽銭箱に手をついてのストレッチをお経を唱えている間、ずっと色んな動作でしているのです。多分10分くらいのお経なのですが結構しんどく、足腰に負荷がかかっている為は寒い時期でも汗が出てくるくらいになりますし、足腰の動きも依然よりは良くなっているように思います。

幸福地蔵様での行為も、本堂での行為も誰かが見ていたら「あいつは何をやっているんだ」と言う事になるのでしょうか、多分「仏さんはニコニコしながら見て御座る。」と勝手な事を言っている私なのであります。

児童養護施設の指導員時代にお世話になった老僧について語ります

令和7年4月27日

『老僧』と書きましたが、初めてお会いしたのは私が教員を退職して『自分探し』と言えば恰好が良いのですが、父進から『勘当』され、文字通り自由気ままな生活を旧徳山村で謳歌していた時に、その当時大垣市立中学校長をされていた方が、わざわざ徳山村にいる私の所に来て下さり「教員資格を小学校・中学校(社会)・高校(社会)と持っているのだから、児童養護施設の指導員として働いてはどうか」と誘って下さいました。

その校長先生は、児童養護施設経営者の娘さんのご主人と言う関係だったのですが、あまりに唐突だったのでどの様にご返事をすべきか、その当時の私は本当に軽いかるい考え方しか出来ない人間だったので困ってしまったのですが、「わざわざ徳山村まで来て下さったのだから、取り敢えず施設を見に行く事にします。」と答えて、その方の車の後ろをついて行く形で児童養護施設に連れて来て貰うと、その施設はお寺の敷地の中にあり、いわゆる庫裏に案内されてその当時社会福祉法人誠心会の理事長さんだった老僧にお会いしました。

最初の印象は「厳格な威厳のある方だ」と感じていました。お話は殆ど理事長の奥様としていたのですが、その時の話の中心は私が白いカッターシャツの下に四国団参で頂いた数珠を首にかけていることに周知して「四国八十八か所をしている方なら、頑張って職員になって欲しい。」と、私は見学だけのつもりだったのですが「翌月の始めから来てほしい」(その日が8月28日)と言う事で「これもご縁か」と勤める事になりました。

理事長さんである老僧は妙心寺派のお寺の住職で、若い頃には10年近く本山での修行をされたと言う事で威厳があり、若い頃は酒豪だったとの事ですが、大きな病気をされてからは酒を一切飲まれずに、食事は3食共にご飯茶碗1杯に湯豆腐に少しだけ醤油を垂らしたもののみ、15時のおやつに何故かキリンレモンを1本と言う生活を10年以上されていると言う事で、いつも威厳ある座り方で口数の少なく、私以外には副住職で主任指導員の息子さん以外は、女性の保育士さんと厨房のこれまた女性ばかりで、老僧は私とは色んな事を話して頂ける様になったのですが、そのきっかけは9月、10月の台風時期にはとても台風の情報を気にされる方で、極端な表現の様ですが、フィリピン沖で発生した段階から気にされてテレビの天気予報を毎回見られて、それだけでは納得されずに、庫裏に誰も見えない時を見計らって私を呼ばれて、台風情報を探る様に言われるのです。それを契機にして、私は良く老僧の話し相手をする様になりました。

妙心寺での修行をされていた時の話の中で、前回もコラムで書かせて頂いた『陰徳』の話を聞き深く感銘を受けたものです。口数の少ない方ではありましたが、強い信念を持たれた方で、公立高校に行くだけの成績を残せなかった時に上司は「私立高校へは予算の関係で無理だ」と言われたので、私は理事長である老僧に直談判しました。その時に老僧が出された答えは「その子の努力が足らなかったのだから、認めるわけにはいかない。しかしながら、若山さんが、毎晩12時頃まで子どもの勉強を見ていている事に免じて、私立の入学金は私が出すから、立派に卒業出来る様に面倒をみてやって下さい。」と言われたのには本当に嬉しかったし、しっかり職員の動きを見て頂いていたのだ」と思いました。その時に教えて頂いたのは「理事長とは情報を持って決断することなんだ」と理解しました。私の人生の中で色んな場面で『師』と仰げる方に巡り敢えているのには、感謝しかありません。

1 2 3 4 5 6 294