私の胃袋には山姥(やまんば)がいるのかも・・・

令和8年5月24日

22日に本部施設2回目の互助会の懇親会があり25人の参加者の職員が冷酒(八海山)を飲んでいる私の席にそれぞれにお酒を注ぎに律儀に来てくれるので私も律儀に冷酒用のグラスを飲み干してからグラスに注いで貰いお話をしている時に飲み干しさらに注いで貰う事をして楽しく、それでいて強かに冷酒を飲みお店の送迎用のマイクロバスで家の前まで送って貰い玄関の鍵を開けて家に帰りたらふく飲んで食べたはずなのにリビングの椅子に腰かけ水を飲んでからテーブルに置いてあったあられを見つけて何枚か食べてしまいました。

昨夜の夕食時にもしっかり食べた後に昨夜の残りのあられを袋の中のあられが空になるまで食べました。食べている時は「あと1枚、あと1枚」と食べていて本日も5時30分からのお参りで歩いている時に「またまた余分に食べてしまった。」と後悔するのですが『後悔後に立たず』、いやいや『後悔だけなら猿でもするぞ』と言う事なのですが、どうしてこの様に繰り返してしまうのかを色々自戒を含めて考えてみて、最大の要因は「仕事の上でのストレスを食べる事によって解消しているのだと思います。但し、暴飲暴食を繰り返しても治らない要因はもう一つあると思っています。

それは小さい頃病気をして目の前に美味しいものが並んでいても食べられなかった記憶があり、「今は病気も無く美味しものを美味しく食べられる事が幸せ」との思いがあるからだと言う事です。演題に『山姥がいるかも』と明記しましたが決して山姥が体の中に潜んでいるのではなくて「健康だからこそ」とは思っていますが年々体力は落ちて来るので「少しは考えないと」とは思っていますが、私の生き方で救われているのは『飲み会がある時以外は飲まない』何故なら『飲み会の無い日は自宅で待機』と言う事で家の晩酌の習慣が無いので健康を保てていると思っています。

と言う事は私の生き方は『仕事中心』『入居者中心』なので頑張れているのだと思っています。ちなみに本日は日曜日ですが勿論仕事をしています。結果的には『健康だからこそ仕事も頑張れる』と言う事だと思っています。リピーターの皆さんこれからもますます頑張りますので宜しくお願い致します。

改めて『傾聴』について考えてみました

『傾聴』が大切な事は誰もが理解しているところですが、現実にはなかなか出来ない状況でもあります。私は38歳の時に児童養護施設の指導員を辞めてから、フリーランスとして本部施設が事業開始するまでの6年間を過ごしました。(正直、我が家の生計は成り立たなかったですが・・・。)その頃の私の名刺の肩書は『教育・福祉カウンセラー』(今から考えると恐れ多い肩書でしたが)で、カウンセラーを名乗る以上は相手の話をしっかり聞いて、相手の意向も汲み取りながら何らかのアドバイスをしなければいけなかったのです。しかしながら、最初の頃の私は児童養護施設の指導員の頃は、1964年に開催された東京オリンピックの女子バレーの、ニチボーの大松監督バリに「俺を信じてついてこい」的な指導の仕方で成果を出してきた事も有り、相談者の話を遮断して答えを言ってしまう事が多くて、色んな意味で失敗を繰り返していました。

失敗を繰り返していく中で「相手の気持ちを大切にしていかなければ、適切な助言など出来ない。」と言う事に気が付き「本当はここで話がしたいけど」と言う気持ちをグッと我慢して、話を聞いている内に適切な助言が出来る様になってきたと思っています。つまり、今の私のコミュニケーション力は、相談者に対して一杯ご迷惑を掛けてきての産物と言っても過言ではありません。ようやく本題に入ります。

『傾聴』が大切なのは、相手の話に耳を傾けて聞いて、話をしている方の本意がどこにあるのかを理解したうえで、相手の方が納得をする答えを導きだす事だと思っています。つまり単なる答えを見出すのではないと言う事でいけば『説得』ではなくて『納得』をして貰う手法で無ければいけないと言う事です。原稿を書きながら「傾聴の大切さは充分理解しているけど、実際には出来ていない事も多々あるなあ」と思っているので、本日の原稿は自戒を込めてと言う事と責任ある職員への投げかけと言う事で、リピーターの皆さんご理解下さい。

本日は本部施設において3施設合同幹部会です

令和8年5月22日

本部施設本館が事業開始して27年の経過の中、紆余曲折はありましたが開設当時職員50人程度でのスタートでしたが、今は3施設で優に150人からの職員と共に厨房や清掃業務を委託している組織にまでなりました。

勿論、平成9年5月に法人認可をその当時の岐阜県知事から頂き翌年5月に本館施設が事業開始した時の高揚感は半端なものではなかったですが、その当時からの『すべてにやさしく いつまでもゆとりある やすらぎのばしょでありたい』と『今日一日楽しかったよ』の理念は脈々と続いています。そして本日の3施設合同幹部会が開催する事によって「過去を振り返り、今を見つめ、次の展開を考える」事が出来る事に感謝です。

事業開始は児童施設での経験を高齢者施設で実施していく事の難しさから混乱した時期もありましたが、基本的な考え方を変えずに邁進してきた事が今の成果につながっていると思っています。本日3施設合同幹部会前に地域交流スペース内の玄関ホールを見まわしたら5月16日の『若山宏誕生記念七変化コンサートに着たドレスや職員が手作りをした神輿、私を模した花魁のちぎり絵など盛りたくさんの物が飾られていて「色んな思いを持った職員がいることに感謝」と言う事です。

 

本日は本部施設職員の2組目の互助会があり、6月には本部施設において6日が『聖一座ショーついでに花魁』の企画があり、13日には供養祭が企画されています。勿論、和合の施設も和(なごみ)の施設も本部施設に負けないような企画を実施しています。3施設がお互いに切磋琢磨しつつ、地域の安心・安全の為に今まで以上に頑張っていきますのでリピーターの皆さん今後共宜しくお願い致します。

総会から小泉副会長を囲んでの懇親会まで、無事に終わりました

昨日は本部施設でバイキングがあり早い昼食でしたが、11時30分に食べてから本部施設を出て岐阜県福祉会館に行きました。12時40分に会館に着き、総会が開催される2階の大会議室に行き、事務局長に挨拶をして指定された椅子に腰掛けていると、続々と参加者が受付を済ませて入場されて、13時15分に来賓である岐阜県健康福祉部福祉担当次長さんが会場入りされたのでご挨拶させて貰い、定刻13時30分から総会が始まり、最初に会長挨拶として物価高騰・人材確保と育成についてお話させて貰い、岐阜県の理解を得る為に行政及び議会とのつながりの重要性についても語りました。私の会長の挨拶の後、ビデオメッセージではありましたが全国老施協の大山会長に挨拶して頂き、引き続いての来賓として健康福祉部福祉担当山下次長さんにもご挨拶を頂きました。

その後、令和7年度の事業及び決算の説明をしたあと議案について無事に承認を受け、講演の為の会場変更の為10分の休憩があり、その間に私は講演者の全国老施協小泉副会長を1階に迎えに行き、講演をして貰う2階に案内して、早速介護保険の今後の動向について90分の中に凝縮して話をして貰いました。講演前に資料のボリュームの多さに驚いたのですが、端的にポイントを押さえた話しには、今後の展開に役立つものばかりでした。総会終了後老施協事務局がある6階に移動すると、岐阜県高齢福祉課長さんが外国人材担当の方と共に打ち合わせの為に待って頂いていたので、お約束では20分程度と言う事でしたが、課長さんの投げかけに対して私が暑く語ってしまったので、1時間近くの話し合いになってしまったので、慌てて小泉副会長を囲んでの懇親会場である大垣に移動すると、既に小泉副会長が来てみえたので急いで会場に行き、総勢7名での懇親会が開かれました。

最初に私が挨拶をさせて貰い、小泉副会長の乾杯の音頭で楽しく飲んで話をして、文字通り有意義な会になりました。但し私は乾杯で生ビール1杯は頂いたのですが、その後は冷酒(三千盛)に切り替え久しぶりに会話も弾み、素晴らしい宴になり、充実した一日でした。

明日は2組目の本部施設互助会での飲み会がありますが、明日は明日で職員と楽しい会になればと考えています。

今の天気予報は正確です

昨日本部施設から帰らせて貰う時に、水野係長に「明日草刈り機を借りたいので、準備しておいて下さい。」と言うと水野係長が「理事長が草刈りをされるのですか」と聞かれたので「我が家のお墓の周辺の草が背丈くらいに伸びているので、狩りたいんです」と言うと「今日は宿直で明日は明け休みなので、刈りますよ」と言ってくれたので「だったら8時15分に、妙応寺の駐車場で待ち合わせして場所を案内します。でも、明日は雨ではなかったか」と言うと、水野係長は自信ありげに「大丈夫です。午前中は降らないので」と言うので「そうなのか」と思っていて、朝のお参りの時には雨が降るような感じが無かったので「今の天気予報はしっかり当たるな。私が小学生の頃はスリッパを投げて裏返ったら雨だ」等とマジで思うくらいに、天気予報が当たらなかった様に思っていました。でも、今は多くの人工衛星からの情報もあり、間違いの無い天気予報になっている様です。

さて、本日8時15分に水野係長と妙応寺の駐車場で待ち合わせをするとの予定でしたが、朝のお参りの時に、背の高い草の中にマーガレットの様な花が一杯咲いていたので、「草と一緒に刈ってしまうのは勿体ない。」と言う事で、家に帰って朝食を頂いている時に本部施設に宿直者でいる水野係長に「草の中の花を摘みたいので、お墓の所まで来てくれると有難い。」と言って道案内をして、電話を切り、「8時15分に合流するのなら8時前に家を出て、旧今須農協の自販機でコーヒー缶を買って行けば丁度良いかな」と考えて、予定通り8時前に家を出て自販機でコーヒー缶を2本買ってお墓の所に8時10分には着いたのですが、既に水野係長が来ていたので「8時15分と違ったの」と聞くと「10分前行動ですから」と朝から1本取られながら背丈ほどになっている草を水野係長に草刈り機で刈ってもらっている時に、私はマーガレットの様な花を挟みで切り取り、若山家と吉澤家の花筒に入れさせて貰いました。

花筒に入れながら「雑草だった花を家に持ち帰り、長い間に進化させていったのが今では花屋さんに綺麗な花としてあるんだろうな」と思った次第です。背丈ほど伸びていた雑草を手馴れた調子で刈ってくれたので、明日からのお参りでは草をかき分けて歩かなくて良くなったので有難いし、朝から汗をかく事もなくて良かった。水野係長に感謝。と思うと共に、本日は(一般社団法人)岐阜県老人福祉施設協議会総会及び講演会及び公演講師の全国老施協小泉副会長を囲んでの懇親会に全力で取り組めることに感謝です。

日本の高度経済成長期について

1945年8月15日に敗戦を迎えた時の日本の復興は大変な状況であったと思います。

私は1953年生まれなので戦後の混乱期については記憶の中に無いのですが2歳くらいの時に所謂進駐軍の兵隊さんが我が家の前で雪の為に立ち往生していた時に我が家で何人かの兵隊さんを泊めたと言う事を聞いているくらいです。

私が生まれて2年後に高度経済成長期に入ったと言う事ですが、突入する原因になったのは隣国朝鮮での南北に分かれての朝鮮戦争によって多くの物資を輸出出来た事によって未曾有の好景気になったと言う事だと私は理解しています。(朝鮮戦争が無ければ日本の復興はもっと遅れたのではないでしょうか)

この1950年から1953年(北緯38度線により停戦)の時期を『神武景気』と言うのですが、この様に言われたのは「日本初代の天皇とされる神武天皇が即位して以来、例を見ないほどの好景気」と言われて名付けられたとの事。

次には1958年から1961年の次期で『岩戸景気』と言われたので「3種の神器」に代表される、急速な技術革新と設備投資の活性化による好景気で神武天皇よりさらにさかのぼり「神武天皇が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名付けられたとの事で技術革新の象徴であり、昭和のシンボルである、東京タワーが完成したのも1958年と言う事で、日本の経済の勢いを感じる時代です。

次には1963年から1964年の『オリンピック景気』です。

オリンピック開催の為にインフラの整備も進んできた事によりこの時期に日本の先進国入りが出来た様に思います。

1965年から1970年までの『いざなぎ景気』は重工業の発展に後押しされ、神武景気、岩戸景気を上回る好景気として「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」が天津神(あまつかみ)の命により日本列島を創ったと言う神話になぞらえて名つけられたと言う事ですが、命名の仕方がドンドン遡って行くのは興味深いと思いました。

日本経済の発展は他国からの影響を大きく受けるので1970年代の『オイルショック』以降に大きく景気が良くなっているとは言えない中、現在はかつて程の満足感を得られない国民が多い様に思います。

しかしながら、日本経済は低迷して『失われた30年』等との言葉を聞きますが私に言わせれば『平安之福』であればと思っています。

だって、「物価が高くなった」と言いながらも不安なく生活出来ていますから。

低迷している経済と言っても安心した生活が出来ているのに感謝している毎日です。

笑点が60周年だと言っています。

昨日はバテバテだったので午前7時30分からの和合での奉仕活動を終えて一旦和合の施設に行き、その後本部施設に行きコラムを書いたりしていたのですが、集中力が全くなくなってしまったので、帰るには早い時間でしたが14時に本部施設を出て理髪店に向かったのですが、シャッターが閉まっていたので理髪を諦め家に帰りました。

冷たいお茶と私が大好きな大きなあられを食べてから、さてさて何をするといっても思いつかないのでベッドに横になり、ビデオを見たりしてリラックスしていて、確か17時過ぎから笑点があるはずだと思ってチャンネルを合わせると17時30分からとの表示に、前はもう少し長い時間の番組だったと思うけどと思いながら時間になって、笑点をみだしたら、笑点が60周年だと言っていて、同じ年に始まったのがウルトラマンだと言って漫才ネタにしていたので、ウルトラマンと笑点の開始が同じ年からとは凄いなと思いながら見ていたら、座布団運びがいつもの山田隆夫さんでは無くて、ウルトラマンが座布団運びと言うのもなかなか見せるなと思っていると、ガマゴンまで登場して面白可笑しいしょさが面白かったです。

今は大垣市民病院受診の為にコラムを打ちながら、ウルトラマンが60周年と言う事に驚いた事について講釈します。と言うのは、最近ビデオで1957年にまぼろし探偵が、月光仮面が1958年に、ハリマオが1960年に制作されたと言う事を調べて、ハリマオの6年後にウルトラマンが製作された、この6年の歳月での激変ぶりに驚いているのです。

そう言う意味では1954年から始まった日本の高度成長は凄まじいものがあったのだと言う事を改めて思っています。

心地よい疲れがありましたが和合地区の奉仕活動から頑張りました

令和8年5月17日

昨日は13時30分から15時までの1時間半に渡る『若山宏誕生記念七変化コンサート』があり、11時30分に早めの昼食を食べて12時前から水野係長に手伝って貰って衣装の試着をしたりしていたので、色んな意味で舞い上がりながらの3時間半だったのですが、73歳になった私の体は通常は『3日後に疲れが出る』らしいから油断は出来ませんが本日は7時30分から和合地区の八幡神社の境内の草刈り奉仕活動があったので6時30分に自宅を出て和合の施設に車を置いて職員2人(伊藤副施設長と坪井部長)を伴い八幡神社に行くと和合本町の区長さんがみえたので(優・悠・邑 和合の第三者委員をして頂いています。)ご挨拶をしたりしてから草取り作業をさせて頂きました。

今は和合の施設から本部施設に移動して改めて昨日実施した『七変化コンサート』の会場であった玄関ホールの確認をすると『祭りの後の・・・・。』の様にきちんと片付けられていたのですが、しみじみと過激に振舞った事を思いだすと共に本部施設職員の団結力の素晴らしさを感じた次第です。

と言う事は44歳で本部施設本館の事業開始をした時は右往左往するばかりの毎日の中ではありましたが『優・悠・邑』の「すべてにやさしく いつまでもゆとりある やすらぎのばしょでありたい」と「今日一日楽しかったよ」を忘れずに全うしてきた事でびわこ学院大学学部長の烏野先生からは「軍隊の様なシステム」と評価されながらも頑張ってきた成果であり、ある意味集大成の一つなのではないかと思っています。

今後どの業界も厳しい状況になって来て、AIが幅を利かせる時代になっても入居者さんファーストを貫き、地域の皆さんからより信頼される施設にしていきますので大所高所から見守って頂きたいと思っています。73歳ますます元気と言う事でこれからもリピーターの皆さん宜しくお願い致します。

本日は自らの誕生を祝う会です

   

昨夜は久しぶりに本部施設の互助会による飲み会があり25名が参加して(もう一組は22日で25名)強か冷酒(八海山)を飲み、二次会には6名で伊藤係長の奥さんが経営している店に行き、ここではウイスキーのロックをしっかり飲みながらカラオケもしっかり歌わせて貰いました。

昨夜の帰宅は午前様にはならなかったので朝のお参りは出来なかったのですが、7時には目覚めてゆっくりとお風呂に浸かりしっかり汗をかいて、これまたしっかり水分補給をしたら体も頭も「シャキッと」したので、午後からの『若山宏 七変化コンサート』へと切り替えが出来て、今は水野係長に手伝って貰いドレスやかつら合わせをしました。

新調した赤のドレスは大きいのを購入したはずなのに「何とかギリギリセーフ」と言う感じでしたが、何とか着れる事が分かったので「ほっと」して試着を終えて口紅などをつけて本番を待っています。

あまり早くにドレスを着ると暑くて大変なので本番10分前にドレスを着る予定です。

さてさて七変化コンサートは旨く出来るかの結果についてはプログラムが全て終了してから書きたいと思っています。

 

(無事に終了しての報告をします。)水野施設長の開会の挨拶後に深紅のドレスとかつらを被ってホールに移動して女性歌手の『天城越え』と『みだれ髪』を歌わせて貰いました。

その時思ったのは「テンションが高いのでいつも以上に声がでているな」と言う事と「ドレスはともかくかつらは暑い」と言う事でした。

2曲歌い終えて控室であるボランティア室で黄色のドレスに着替えている時に、高木さんと水野施設長に歌って貰っているので汗だくになりながらも何とか着替えを済ませ、水野施設長が歌い終わったタイミングで再びホールに行き『舟唄』と『北の宿から』を歌いました。

次に控室で黄色のドレスから赤色のスーツに着替えて私の出番になり、『愛しき日々』を歌って直ぐに控室に行き緑のジャケットに着替え、水野施設長は緑のドレスで登場して『いつでも夢を』をデュエットで歌い、傍で控えていてくれた水野係長から茶色のシルクハット(北島部長から借りたもの)を受け取り、かつらからシルクハットに被り直して『恋の季節』を歌いました。

その後は本部施設の幹部職員から誕生プレゼントで貰った作務衣に替えて『酒よ』を歌い、またまた衣装替えをして作務衣の上を陣羽織に替えて最後の歌として『まつり』を歌わせて貰ったのですが、その時には男性職員4名でかつて職員が作製した神輿を「ワッショイワッショイ」と担いでくれ、歌い終わった時には金色の久寿玉が用意されていてロープを引っ張ると久寿玉が見事に割れて、職員からアレンジ花のプレゼントを頂きました。

突然の思い付きでの企画でしたが、職員達は私の意図を察知して想定以上に盛り上げてくれたので自作自演の企画でしたが一生忘れる事が出来ない誕生日記念となりました。

勿論、入居者さん、利用者さんの声援があったればこそではありますが。本当に有難い事でした。

書いてみるもんですね

令和8年5月15日

本部施設で衛生委員会の会議をしている時に吉田副施設長が大きなアレンジ花を抱えて持って来たので「何事」と思って聞くと「花屋さんから届きました」と言う事で送って下さった方の名前を確認するとかつての入居者さんの家族の方からでした。「どうして私の誕生日を知っているのか」と一瞬考えて「多分、コラムを読まれていて送って下さったのだ。」と思った時に「書いてみるもんだ」と思うと共に「明日の自らコーディネートした『誕生記念七変化コンサート』に文字通り花を添えて下さったのは有難い。」とも思いました。

社会福祉法人杉和会のホームページの『理事長コラム』を毎日更新出来ているのも思った事や出来事をあるがままに書いているからこそ続いているのだから、『5月16日は私の誕生日』とか『誕生記念七変化コンサート』を開くと何度も書いている事によって情報を得て貰えたのだと思います。

だとすると6月6日に本部施設で6月21には和合の施設で私が花魁の様にカツラを被り着物を着て目張りもつけて化粧をして登場するのも見に来て頂けたらテンションが上がりますので宜しくお願いします。

午後からは和合の施設で『そわか』と言う地域の方に来て貰っての『認知症カフェ』が行われますので開催の挨拶の中で「6月21日には私が花魁になりますので『そわか』の参加者の皆さんは優先的に見て頂ける様にしますので是非見に来て下さい。

『今日一日楽しかったよ』の為の企画です。『そわか』に参加されてみえる方は地域の方ばかりなので優・悠・邑 和合では楽しい事をしていると言う事を広めて貰えたら有難いので是非とも宜しくお願いします。」と話しました。介護に困っている方が困っている時に気安く来てもらえる事こそ大切だと思っているからです。

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