疲れが出ているのか、それとも・・・

3週間の本部施設ゲストルームに泊まり込んでの朝5時からの5ヶ所での挨拶とお参りからの合宿が終了して、畳に薄い敷き布団にタオルケットをお腹に乗せるだけの夜具だけの生活から我が家でのベッドの生活に戻り、起きあがる時に「よっこらしょ。」がない生活になり、「人間は楽を覚えると際限がない。甘える生活が堕落させる。」と言うことで自らを律しようとしても我が家に帰って律しきれていない我が身に「情けないけど少しくらいは良いよね」と勝手に決め込んでいます。「明日からは頑張るぞ」は「明日からでは頑張れない。」を実践していて今は5時50分なのにベッドに横になりながらコラムを打っている体たらくです。但し、体調も戻りつつある今は「明日からは4時25分からのアラームで起きて、我が家での仏間での祈りから妙応寺経由の我が家へのペットボトルに我が家の水を持参してのお墓参りを復活させ様と考えています。これぞ正しく「有言実行が私の真骨頂」と勝手に自画自賛している私です。わけのわからない話にリピーターの皆さんをお付き合いさせてしまいすみません。取り敢えず本日は7時の朝食からスタートさせて頑張ります。さてさて、本日はどんなわくわくがあるのか、この後の事は後程と言う事で、宜しくお願い致します。今は本部施設に戻りと言うかお邪魔してというかでコラムを打っています。朝は7時からの朝食をとり、洗濯が出来た物を2階に運ぶ私の役割を終えてからスーツに着替えて8時30分からの和合の朝の申し送りに間に合う様に家を出ました。ところが車を運転しているとバケツをひっくり返す様な雨が降ってきて思うようには走れなくてそう言う時だからか国道21号線に入る為の交差点では3信号も待つ事になりましたが、何とか申し送りには間に合いました。申し送りを終えてから書類の確認をしていると空気清浄機の故障の報告が2階と3階から出ていたので夜勤責任者に案内をして貰い確認をして直ぐに業者への連絡をしました。その後、購入伺いの書類を見ていて購入の仕方に無駄がある様に思ったので早速事務係長に状況を確認して、今後の進め方について指示を出しました。気が付いた事については間髪入れずに対応することで効果があると思うからです。職員の出勤に合わせて極力話をしたいと考えて実践しているのですが、なかなか全員に満面無く行う事が出来ていませんが、出来るだけ速やかに実施していきたいと考えています。10時から岐阜県老人福祉施設協議会事務局(岐阜県福祉会館)で外国人材の会社の方の挨拶を事務局長と共に受ける事になっていたので、目一杯の対応をして福祉会館に向け車を走らせました。運転中に突然凄まじい雨に襲われる事がありましたが10時10分前に事務局入りができ、お客様がおみえになり、全国老人福祉施設協議会の事、岐阜県老人福祉施設協議会の事や11月29日と11月30日開催の全国大会についてもしっかり話をさせて頂きました。昨日はあまりに待ち時間があるとの事で出来なかった理髪を本部施設に戻る前にして、さっぱりしてから本部施設行き、遅い昼食(ゲンキーでパンと牛乳を購入)を頂き、銀行に行って医療機構への返済手続きを取り、ついでの様に支店長との打ち合わせをして、本部施設に再び戻りコラムの原稿の仕上げに取り掛かっています。リピーターの皆さん秋への移行時期なのか不純な日々が続きますので、お互いに健康には留意していきましょう。

ゆっくりは出来ない様になっています

令和5年9月5日

21時過ぎに久しぶり(3週間ぶり)に自分のベッドに横になりました。直ぐには寝るのがもったいないと考えて合宿中に録画した今話題沸騰の(多分)日曜日21時からの「VIVANT」を見ることにしました。(久しぶりに朝寝を決め込んだからです。)本当は眠いはずなのにあまりにも展開が次々に変わって次へ次へと見てしまい、気が付けば22時20分。「これから寝ても6時30分に起きるのなら大丈夫」と思い眠りにつきました。

いつもの事ながら「予定は未定で決定ではない。」と言う事で午前3時51分に和合の夜勤責任者から連絡があり、血尿がでて病院に受診した方が「薬を出して様子を見て下さい。」と言われて施設に帰って来られた方が急変して家族からは「何かあれば救急で対応して下さい。」と言われていて、「家族の方は病院で待っています。」との事で、夜中の対応になりました。本部施設、和合の施設、和(なごみ)の施設で200人からのお世話をさせて頂いているわけですから、なかなか『平安之福』とばかりにはいかないのを常と思っています。

楽しいひと時を過ごして頂ければ元気で寿命も延ばして貰えるのではないかと考え、本部施設では9月10日からの1週間を『敬老週間』として、「今日一日楽しかったよ」をより充実させていきたいと考えています。具体的には『千巻経』(滋賀信行会の協力で、家族会も共催※「般若心経を皆さんで千巻唱えます)『笑福亭伯枝師匠(関西落語に真打で6代目笑福亭松鶴の弟子)の落語会』『てるてる座の敬老会』『フロアイベント』『バラ湯』『杉の湯』など一週間を通して開催されます。勿論、和合の施設でも、和(なごみ)の施設でもそれぞれの趣向で開催されます。

職員が企画の段階でワクワクする企画にする事によって入居者さんにいつも以上の楽しみを味わって貰える様にしたいと考えています。その様にすることによって、生き生きとした生活を送って頂く事により、職員の対応も良くなっていくと考えています。施設がより良くなるために頑張って行きますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

合宿生活3週間が終了します

令和5年9月4日

今朝5時からのお参り5ヶ所で、それぞれのフロアで「毎朝の皆さんとのお参りを3週間続けて、本日が最後の日になりました。お参りに参加して頂く方もだんだん増えてきたのは本当に有難いことです。しかし、今回は3週間と決めての事でしたので一先ず、今回のお参りは今日を最後にします。しかし皆さんとの朝のお参りについて、これからも1週間に1回は実施していきたいと考えていますので、これからも宜しくお願いします。」と各フロアでお話をさせて頂きました。お参りを終えての感想を職員に聞くと、「いつも朝起きてくるのが遅かった方が早くにデイルームに来て、理事長がおみえになるのを待っていました。」との話を聞くと、私がお参りに回っていたのが業務の省力化に寄与していたのだと思うと、これからも頑張って実施しなければと思った次第です。

また、体調が優れず自室にこもってみえた方の部屋に言って暫く話し込む日が続いた方が、私と話をしている事によって、本日は元気に話をして頂けたのも業務の省力化に寄与したと思っています。但しこのケースは家族との連携が上手く行った事も大きかったと考えています。

本日は午前中は和合の施設に行き、午後からは13時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会常任理事会があり、11月29日、30日の全国老人福祉施設協議会の全国大会岐阜大会の計画遂行の為の話合いが長引き、フォーラムホテルでの地元の国会議員の国政報告会が16時30分からだったので急ぎ移動して何とか受付に間に合いました。報告会の後は懇親会もあり、懇親会が始まってからは、同じテーブルの方に名刺交換をしたり、地元の町長さん等にご挨拶に行ったりしました。特に成果があがったと思うのは、西濃圏域の県会議員にご挨拶をして物価高騰に対する県の補助金についてのお願いが出来た事は、10年以上に渡って岐阜県老人福祉施設協議会の会長をしている事で出来た事かなと思っています。懇親会を終えて本部施設に戻り、本日は全く書けなかった今(20時20分)パソコンの画面を見ながら頑張って書いています。本日の懇談会のおり、かつて施設建設のおりお世話になった方から「コラム毎日読んでいるので理事長さんのご様子が分かります。癌も克服されたようで良かったですね。」と声を掛けられました。この様に声を掛けられると「まだまだ続けなければと勇気が湧いてきます。」と言う事で、これからも頑張ってコラムを書きますのでこれからもよろしくお願いします。

訪問介護220ヵ所休廃止の記事がトップに

本日の岐阜新聞一面トップ記事です。サブタイトルが「収支悪化 5年で13%減」でした。休廃止の大きな理由が「ヘルパーの高齢化や人手不足、事業の収支悪化などが響いている。」とのコメントがあった。どの業界も人手不足が言われている昨今において、若者が就職の門戸を開かないのには『訪問介護に魅力を感じない。』と言うのがある。政府は「住み慣れた地域で最期まで暮らせるように」と言う理念を掲げるが、厳しい現実が浮き彫りになった。」と言っている。ところが「民間を含めた訪問介護事業所は全国的には近年、微増している。首都圏などでのニーズの高まりが要因だが、地方では訪問先への移動距離が長く、事業の効率化が難しいといった事情がある。社協では人口減に伴う利用者の減少や、高齢化したヘルパーの退職なども重なり、訪問介護は赤字というケースも多い。今後も同じ傾向が続くと、各自治体の中心部から離れた地域に住んでいたり、支援が難しかったりする高齢者が自宅で生活を続けられない例が増える可能性がある。」との説明が書かれているのを見た時に介護保険前夜(介護保険導入は西暦2000年です。)に今は廃業した『コムスン』と言う会社がバンバンとコマーシャルをテレビで流していたのを思い出しました。そのコマーシャルは、山の上の一軒家に清々しい制服を着た若い男女が携帯用のお風呂を持って訪問して「こんにちはコムスンです。」と爽やかに画面に出てくるのです。私はそのコマーシャルを見た時に「こんな事は現実的ではない。でも、政府の考え方はこのコマーシャルの通りなんだ。」と思いました。あれから23年の月日が経ちますます、『老老介護』『忍忍介護』『独居家庭』『高齢者のみ家庭』が増えている現実の中でもまだ、政府は「地域包括ケアシステムと銘打って、重い要介護者状態になっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期まで続けられるようにする事を目指してきた。訪問介護は本来、その要となるサービスのはずだが、ヘルパーの在宅ケアの重要性が評価されず、低い賃金に抑えられてきた。そのために深刻な人手不足が続き、各地の社協が訪問介護から手を引く大きな要因になっている。」と書いてあった。確かに理想的な事を考えると『住み慣れた環境』と言う事になり、自宅での生活が最適な様に思えるが現実的でないのもこれまた事実であると思います。今回の記事で理解出来るワードは「首都圏のニーズが増えている」だと思います。つまり、都市部と地方では状況が全く違うと言う事です。つまり、大きなマンションだけで事業所の収支が成り立つ都会と次の訪問先まで車で10分20分とかかるところでは状況が全く違うのに同じシステムで制度を押し通そうとしている事に私は違和感を持っています。ましてや雪深い地域での移動などは訪問したくても出来ない状況にある事をどの様に考えられているのかと言わざるを得ません。現実に沿った路線の構築に向けての運動が必要だと思います。そしてもう一つ「自宅でサービスを受けることができないため、老人ホームなどの施設に移らざるを得ないといった例が出ているのが実態だ。」との書きぶりに私は施設において『今日1日楽しかったよ』の為に日夜頑張っている職員の為に言いたいです。施設での生活を満喫して頂く選択肢が『悪』の様には言って欲しくない。リピーターの皆さん私の提案をどの様に思われますか。

8月14日からの合宿もあと2日となりました。

令和5年9月2日

本日と明日の2日間本部施設の本館1階のゲストルームで寝れば今月4日の日には我が家のベットで眠る事が出来るので「後二晩か、忍忍」と思っています。ゲストルームでは畳に布団でタオルケットと言う事で、朝布団から立ち上がる時に「よっこらしょ」と言って膝に手を付き起き上がるのに苦労しています。と言う事はベットからの立ち上がりがどれだけ楽かと思っている次第です。

しかしながら立ち上がりに苦労しながらも頑張っているのは健康体を作るトレーニングだったと思うと少し残念な気持ちもありますが、その分は手すりを使っての屈伸運動を適度にやらなくてはと思っています。

さて、8月14日の翌朝から、本部施設5か所でのお参りも定例化されて、あと5日で終わると私自身指を折って数えている頃になって「理事長、毎朝のお参りありがとうございます。感謝の気持ちを込めてコミュニティーハウスで理事長の慰労の意味での飲み会をしたいのですが。」との話を聞いて「嬉しい話だけれども合宿生活も9月4はまでだよ。」と言うと「それでは9月2日の日で計画します。」との事だったので「楽しみにしているは。お酒は私が用意するのでカラオケもしたいので宜しく。」

と言っていたのですが、昨日になって「日程的に出来なくなりました。」と言って来たので「急な話だったので仕方が無い大丈夫だよ。」と返していたのですが、本日朝のお参りを終えて本館2階のスタッフルームに入って行くと伊藤係長が大きなビニール袋に入った魚を見せながら(多分ハマチ)「昼食の時間までにさばきますので食べて下さい。慰労会に代わるせめてものしるしです。」との事だったので、和合の施設に向かう時に「12時30分までには帰ってきて、伊藤係長の腕前を確認します。」と出掛けました。ところがいつものことながら『予定は未定であり決定ではない。』の通りになりました。

と言うのは和合の入居者さんの方の中で血尿が激しいと言う事でご家族さんに連絡して救急対応をさせて貰い、気が付けば12時20分。本部施設からは「立派にさばいたお刺身が出来ましたが理事長が戻ってみえないとみんなが食べるわけにはいきません。」との事で急いで本部施設に戻り、さばかれてお刺身になったハマチをひとしきり見てから内線で伊藤係長に「板長立派なお刺身有難う。

帝国ホテルのシェフに負けないくらいの出来倍です。」と話をして大きく切られているお刺身を堪能してから職員にもお裾分けをしました。つくづく「社会福祉法人杉和会も200人のスタッフになり、色んな特技を持っている職員がいる。」と思った次第です。リピーターの皆さん、こんな集団である社会福祉法人杉和会ですがご縁を頂く為に是非一度施設にきてみて下さい。

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朝から気分が良いです。

令和5年9月1日

本日も朝5時からお経を5か所で唱え、8時30分までには和合の施設で『てるてる座』の座長にお会いしなければいけない約束を昨夜電話でしたので、急いで朝食を食べて和合に向かう事にしました。車に乗って施設の方を見ると本館2階の屋根の所にあるトップライトがしっかりと開いていたのです。「流石にしっかり対応が出来ている。この様な地道な『当たり前』の積み重ねが良い施設になっていくのだ」と思い朝から気分が良いです。8時15分に和合に着くとてるてる座の座長だけでなく、『あんドーナツさん』と『亀ちゃん』(長い付き合いですが本当の名前は知りません。)も一緒に来て一生懸命にビー紙大に書かれた多くの歌詞資料の整理をして下さっていました。

一生懸命にして頂いたので先ずはご挨拶をして、ペットボトルのお茶とお菓子をお持ちしました。作業を終わられた段階で敬老週間初日にてるてる座のボランティアが実施されるので施設行事とのマッチングにする為のお願いをすると、快くお受け頂けたので敬老週間初日の企画に華を添えて頂ける結果になりました。話題はガラッと変わりますが先般本部施設で全体会が行われた時に「9月1日は何の日ですか。」と聞いたところ手を挙げて答えてくれた職員が「防災の日です。」と答えてくれました。そんな答えを想定していなかった私ですが、動揺する事なく「防災の日に決められたわけは何ですか。」と再び聞くと「分かりません」との返事には流石に動揺しながら「関東大震災から100年なんです。」と言うと今度は多くの職員が大きく頷いてくれました。

100年前の事ですから当然私は知りません。但しテレビ等の情報によっての知識はあります。「東京が火の海に包まれた。」と言うイメージです。災害に100年周期があるとすれば緊張感を持たなければいけないのだと思います。今朝の新聞の情報では私の中にある大変な地震は2011年の東日本大震災(2011年)の時の死者・死者不明者が2万2217人で阪神淡路大震災(1995年)が6437人なのですが、関東大震災では10万5385人と言う事ですから文字通り桁外れの大災害であったと言う事だと思います。

100年周期があるとした時に海なし県の岐阜県にまで津波が来ることはないと思いますが(来たら日本沈没ですよね。)仮に東南海地震が襲来した時には三重県及び愛知県からの避難者の受け入れを円滑に行う為の計画をより具体的に考えていかなければいけないと考えています。災害が起きた時には地域力を高めていかなければいけないと思う方も多くおみえになると思いますが「災害は忘れた頃にやってくる」と言いますが日頃から地域力を高めていく事が災害時にも役に立つと思いますので今後も心していきたいと考えています。

 

昨夜もくたくたで21時前に眠りについたのですが・・・。

令和5年8月31日

「とろっ」と寝た段階の21時20分に、和合の施設の夜勤責任者からラインで「ガスのランドリーにエラーが出ました。」との連絡が入り、半分頭が働かないでラインを見ていると携帯が鳴り、ここで頭がはっきりして夜勤責任者からの報告を改めて受けて、「ランドリーのエラー等の時の連絡先が書いてあると思うので、確認して連絡をしてみて下さい。」と言ってしばらくすると再び夜勤責任者から連絡があり「つながりません。」との報告だったので、「私の方からガス供給の責任者に連絡をして、指示を出します。」と言ってからガス供給の責任者に携帯をすると「直ぐに現地に向かいます。」との対応に私は「取り敢えず施設に連絡をして直接夜勤責任者に確認して下さい。」と言って、しばらくして再び夜勤責任者から連絡があり「ランドリーの異常なので取り敢えず臭いがあるなら窓を開けてから、ガスの元栓をして、明日改めてランドリーを購入した業者に連絡を入れて下さいとの事でした。」との報告で、取り敢えず一件落着。改めて寝ることにしたのですが今度は目が冴えてしまって、なかなか眠れなくて・・・。

本日は、朝から岐阜の弁護士事務所に行く事になっていたので、朝食後に岐阜市に向かって車を走らせながら和合の伊藤副施設長に昨夜のガスの件で連絡をして、業者への連絡を依頼しました。昨夜は二度寝のタイミングが上手くなくて、「しっかり眠れた」と言う感じではないのですが、朝5時には起きて本部施設の5か所のお参りをして(勿論ご挨拶もしましたよ。)朝食後の岐阜市の弁護士事務所に行き、同席して頂いた方を岐阜駅までお送りしてから和合の施設に行き、その後本部施設にも顔を出し、大垣共立銀行に行き、その後コラムを書きながら洗濯をして、コラムの原稿を途中にして私が最もしたくないと思っている洗濯干しをしていると16時15分になったので、17時から大垣フォーラムホテルでの会合の為、干し終えてから急いで大垣フォーラムホテルに向かいました。

17時からの講演には何とか間に合い、18時過ぎからは食事をしながらの懇談の時間になり、19時30分に終了して色んな方にご挨拶をして再び本部施設に戻り、原稿が途中になっているコラムを書いていると只今20時45分です。何とかコラムの連続はクリアです。フォーラムホテルからの帰りの運転中にてるてる座の座長が明日の朝和合の施設におみえになると言う事ですので、お参りを終えて朝食を急いで頂いてから和合に行く事になるので、明日もバタバタ(いやいや充実した)の1日になりますが頑張りますので、リピーターの皆さん明日も応援宜しくお願い致します。

緊張した為か入居者さんの配慮を軽く見てしまい大失態

令和5年8月30日

夜勤責任者の西川課長から昨夜の全体会終了後に「理事長が施設に泊まっての合宿で毎朝お参りして頂けるのは9月4日までと聞いているのですが、理事長が毎日お参りして頂ける様になって皆さんのデイルームへの集まりが早くなりました。9月5日以降に理事長のお参りの代わりに理事長のお経を録音して朝の時間に理事長のお経を流したいので明日の朝のお経の時に録音させて下さい。」との申し出がありましたので仏間でのお参りを終えて本館1階に行くと既に録音の準備が出来ており、若干緊張気味に入居者さんにご挨拶をして、新兵器の木魚とお輪のセットを駆使してのお経を始めました。

「録音されている。」と言う事でいつも以上に大きな声でそれでいてやや緊張気味にお経を唱えさせて頂きました。多分緊張をしていたのだと思います。本館2階への移動する為エレベーターに乗り込もう(本来はケアスタッフルームの螺旋階段を通って行くのですがこの時間は鍵がかかっているので)として2階へのボタンを押してドアが閉まる前に入居者さんが車椅子越しに背中をそらして何かを言われていたにも関わらずそのまま2階に行ってしまいました。その入居者さんが言いたかった事が2階の入居者さんにご挨拶をしている時に分かりました。

と言うのは西川課長が新兵器の木魚とお輪のセットを1階から持ってきてくれたからです。その時つくづく思ったのは「やはり緊張していたんだ。」と言う事です。録音すると言うだけで緊張してしまう私はまだまだ修行が足らないなと思った次第です。本館2階、新館1階、新館2階とご挨拶とお経を終えて本館1階の皆さんが朝食会場にみえたので、車椅子で背中を反らして木魚セットを忘れて行った事を教えようとして頂いた方の所に行って「先程は折角教えて頂いたのに無視する形になりすみませんでした。」とお詫びを言いました。

何事も気が付いた時に行動に移す事の大切さを改めて教えて頂いたと思っています。全く話題を変えます。施設での寝泊まりでは、お風呂に入る前に洗濯のセットをして(とは言え洗濯ものを洗濯機に入れ洗剤を入れて蓋をしてボタンを押すと脱水までしてくれるのですが・・・。)夕食を頂き、21時には眠くなるので寝てしまうので、家での生活で唯一楽しみにしていた毎週日曜21時からの「VIVANNT」は見れていないので家に風を通しにも行きたかった事もあり、録画予約してあったのを見る事が出来、違う意味でリラックスする事が出来ました。

しかしながら、改めて思うのはこのドラマは予測不能の大どんでん返しの繰り返しで最後にはどの様になるのか全く分からない。分からないと知りたくなるのが人間の心理。だからでしょうか原作本がバカ売れだとか・・・。私はそこまでお付き合い出来ないので録画したのを見て楽しみます。合宿生活も本日を含めてもあと5日です。でもこの様な生活も1週間に1日位あっても良いのではないかと考えているのですがリピーターの皆さんはどう思われますか。

初めてを実施しないと何も新しいものは生まれない

毎月28日に彦根の東福寺において『護摩供養』が行われ、先月は富山市のロボットICT先進施設への出張があり行けませんでしたが、基本的に参加させて頂いています。本来は本堂での護摩供養なのですが、今回初めて外での護摩供養が実施されました。主宰される東福寺の住職である静慈彰師は準備が整い、実施する前に「山伏の方が柴燈護摩をされますが私は野外での護摩供養はした事がありませんが、本堂での護摩供養を外で行うやり方で実施します。1回目が無ければ2回目も3回目もないので、皆さんの協力を得て頑張って行いたいと思います。」と言ってドラム缶を活用しての護摩供養が実施されました。私がその時思ったのは「流石に静慈彰師は静慈圓前官大僧正の息子さんとしてDNAを受け継がれている。」と思った次第です。だって静慈圓前官大僧正は30歳の時から40年掛けて『空海ロード』を発掘されたわけです。つまり、30歳にして途方もない事を考えて実施されたわけですから・・・。「誰も成し得ない事をやり遂げる」と言うのは同じ発想だと思います。それにしてもドラム缶で護摩炊きをすると言うのは思いつかない発想だと思います。ドラム缶ですから炎の勢いは桁外れで、18時の開始時では分からなかったのですが、段々と周りが暗くなるにつれて幻想的な演出の様になり、般若心経を唱えさせて頂く声も張り上げる様になってきました。今回外で実施する様になったのは滋賀信行会の内藤会長が8月21日に行われた滋賀信行会の施餓鬼法要で使用したものを含めて火での清めをしたいとの考えからの企画だと言う事なのですが、今回上手く実施出来たので「年に2回は外で実施したい。」との事で「年末に実施して1年が経過したお札等を護摩供養の時に燃やしたらどうか。」との意見が出て盛り上がりました。『1』を確立するのは難しいが、『2』『3』と実施する事は『1』の時とは違いはるかに実施したい。」との意見も出ました。外でのお経は「天まで届け」と言う事で声を張り上げてのものでしたが声が枯れる事も無くできました。「外での護摩供養」と言う事で蚊取り線香があちこちに設置されていましたが、不思議なくらい蚊の餌食になる事もなく無事に終わりました。発想が柔軟な静慈圓前官大僧正親子とは今後共に末永いお付き合いをしていきたいと考えています。先般21日の日にお会いした静慈圓前官大僧正は私より10歳年上の80歳との事ですが、柔らかい発想の持ち主なのでいつまでも元気でおられる様に思いましたので静慈圓前官大僧正を恐れ多い事ですが真似させて頂ければと考えています。

 

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流石に元高校の校長先生です。

令和5年8月28日

先般地元の高木さんとのカラオケジョイントの写真を撮って一杯撮って頂いた入居者さんで元高校の校長先生の所に新館1階のお参りを終えてフロアにご挨拶に行き、お部屋を覗くとパソコンの画面を一生懸命に見つめていたので、背中を擦るようにして私の存在を理解して貰うと、私を待っていたかの様にお話をして下さいました。その内容は「理事長さんのカラオケの様子を写真に撮って元気さを感じないので心配しています。」との事で、「休みを取ってリフレッシュする事も大切です。」と諭す様に言って頂いたのですが、私としては朝5時から5か所でお経を唱えさせて頂き毎朝どんぶり飯を完食して「絶好調」と思っていたのですが「疲れている様に見えるのはいかんことだ。」と思いました。

話をしている中で3ヵ所でジョイントカラオケをさせて頂いたのですが、たまたま新館での選曲が静かな曲だった様で「もっと元気の出る曲にして理事長さんも歌っている内に元気になって欲しい。」との事だったので、「色んな要望に応えるのはなかなか難しいな。」と思った次第です。

今朝も5時からのお経から始まり、朝食にどんぶり飯を食べて、本日は11時から施設経営者協会の役員会があるのでスーツに着替え、先ずは和合の施設に行き職員との懇談や決済をして(その間に特浴の機械のメンテの為の連絡を電話でしたり、岐阜県教育委員会事務局と支援学校の講師依頼の打ち合わせをしたりして10時15分になり、慌てて経営協の会議の為に車を走らせ11時5分前に会場に着き役員会に挑みました。13時30分から特浴の機械の打ち合わせに業者の方が来て頂けるので昼食を頂いて午後からの研修は中座して再び和合の施設に行き、打ち合わせ後は本部施設に行き今は(16時)コラムの原稿を必死にパソコンのキーを叩いています。

必死になって原稿をかいて入るのは本日28日と言う事で彦根東福寺と月1回の『護摩供養』が18時からあるからです。先月は富山市の施設見学があり、連続参加が途絶えたのと、先般21日に東福寺の住職の父親である静慈圓大僧正の報告もしなければいけないので絶対に護摩供養に参加しなければいけなくて、護摩供養が始まる前に21日の事を報告したいので夕食は食べなくても大丈夫なのですが時間が気になるからです。

毎日こんなバタバタの生活なので確かに生活自体は充実して私としては元気に飛び回っているつもりなのですが、ひょっとしたら疲れた顔をしているのかも知れないと考えさせられました。但し本日、印金木魚セットが送って来たので明日からのお参りは賑やかになり私も元気になるのではと思っています。リピーターの皆さん、パワーアップした私に乞うご期待と言う事で。

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