本日は富山に出張です。

令和5年7月28日

朝8時に本部施設出発で私と吉田部長、和(なごみ)から吉澤施設長と武藤事務係長、和合から古川係長の5名のメンバーで出掛けます。8時丁度に吉田部長の運転で8人乗りのアルファードなので、ゆったりと車に乗っています。富山への出張はロボットICTを先進的に導入されていて、全国老施協8ブロックの中で東海・北陸ブロックの中から選ばれた施設に行きます。当法人も今年度導入を目指して計画を遂行するための一貫としてのものです。「百聞は一見にしかず」でのアクションです。8時に出発したので11時過ぎに富山インターを降りてはしりながら昼食を食べれる所を探してもなかなか見つからず結局8番ラーメンで食事をして食事が済んだ頃になるとお店が混んで来たのでお店を出て見学する施設の確認をして、近くの公園で時間調整をして約束時間である13時前に施設に着くと岩井理事長自らが出迎えて下さり既にパソコン等を準備して下さった部屋に案内して下さり、先ずは岩井理事長から法人の概要を説明して頂き、引き続き今年1月の全国大会でも発表された江尻次長さんからケアカルテのソフトについての説明を受けました。導入するための苦労話も含めてしっかりお話下さり、時には岩井理事長からもお話を伺いました。15時に質問も終えて一段落した段階で施設見学をさせて頂いたのですが、経済産業省からの補助金も頂いて建設がなされているとの事で至るところに工夫がされていました。施設見学を終えて再び研修会場に戻り私は理事長として経営の視点にたった質問をさせて頂き岩井理事長から参加した5人それぞれに手土産を頂き恐縮してしまいました。今は 行きと同じく吉田部長の運転でアルファードに乗っていて、小矢部サービスエリアでそれぞれにお土産を購入したのですが、 「富山と言えば白エビ」と言う事で形は変わっても白エビのお土産になりました。今は17時で金沢辺りなので賤ヶ岳サービスエリアで軽く夕食を食べて本部施設に帰りたいと考えています。今回の施設見学は来年2月にはソフトの入れ換えをするための検討の一貫なので本日学んだ事をしっかり取り纏めすると共にもう一社「ほのぼの」のソフトの検討を急いでしっかりした方向を決めていきたいと考えています。高額な買い物になるので慎重に尚且つスピーディーに決めていきたいと考えています。リピーターの皆さんも情報があれば教えて下さい。

5時16分に施設からの連絡に緊張しました

令和5年7月27日

いつもの様にお墓参りをしている時に携帯が鳴り、確認すると施設からだったので緊張が走りました。携帯に出ると管理宿直者の吉田部長からで、思わず「入居者さんに何かあったか」と聞くと「入居者さんの連絡では無いのですが、デイサービスが管理している畑の散水栓近くで水漏れしています。」との報告に「取り敢えず入居者さんの事では無くて良かった。」と思いつつ「大倉社長に連絡します。」と携帯を切り、直ぐに大倉社長に携帯を掛けると2コール目に出てくれたので「流石!」と思いつつ状況を話しすると「取り敢えず直ぐに向かいます。」との事。

6時3分に幹部職員に一斉メールで漏水に対する情報共有ができたら、6時40分には大倉社長が施設に来て頂いたと言うメールが来て、7時30分には「水野相談員(メンテの担当もして貰っています。)も到着し、大倉社長と一緒に対応してくれています。7時に一旦水を止め、7時20分に復帰。漏水箇所などまた報告します。」との連絡が来たので、「取り敢えず水野相談員の対応に任せよう。」と自宅で待機していると、7時42分に再びメールで「役場水道課も到着。外から受水槽に引き込む水道管からの漏水。現在、水野相談員と大倉社長と役場職員で話をしてみえます。」と管理宿直者の吉田部長から連絡。

8時34分に、漏水の対応をしていた水野相談員からのメールで「本館畑内の漏水修理して頂きました。畑内の散水栓の系統でしたので、キャップコマを打って処理。畑の水は、いつも貯水槽横の水を使っています。メーターからのバルブで水を止めたのですが、バルブも古くグランド部分より水が漏れているので交換が必要です。作業は重機等で掘らないといけないと思います。漏れが少ない所でバルブ調整してあります。大倉社長は片付けをしています。また、役場の方からは水道代の減免申請出来るとの事です。」との事だったので、朝早くから大倉社長と水野相談員に作業をして貰っているので、お腹も空いているだろうからと思い、大倉社長が好きなサンドイッチとブラックコーヒー2人分をローソンで購入し施設に行きました。

契約している業者だからとは言え、5時過ぎに連絡をしての対応であり、水野相談員にしても、早くに来てくれたわけで、私が出来る事は、その様な対応が当たり前の事では無くて、有難い事との感謝の意味を込めての対応しか出来ませんが、この様な対応を25年してきたわけです。管理宿直者の吉田部長共々連携が上手く出来ている事にも感謝です。リピーターの皆さん充実したスタッフ体制にも感謝と言う事で・・・。

週刊現代の記事から

【〈日本一!超豪華「老人ホーム」を見に行く〉〈入居金4億超!医師が24時間常駐〉〈施設内の調度品は全てが一級品。ロビーではフランスを代表する芸術家・ルノワール作のブロンズ像が出迎える。レストランで供される、季節の食材をふんだんに使用した御膳。一歩踏み入れると高級ホテルのような空間が広がる。そこには誰もが憧れる幸せな暮らしがあった・・・。〉〈全国屈指の高級住宅街・成城。この閑静なエリアに、多くの富裕層から絶大な人気を誇る介護付き有料老人ホームがある。「サクラピア成城」だ。ロビーに入ると、贅沢な空間が広がっており、庭の池には錦鯉が泳いでいる。フロントスタックは24時間常駐しており、車の手配など、居住者に様々なサービスを提供している。〉】

(ここで少し私のコメントを述べさせて貰います)この様なこだわりを特別養護老人ホームに望めるものではありません。成城の高級住宅地の価値観だからこその設備だと思います。仮に関ケ原の地で同じものを計画したとしたら「何を考えているの」となると思います。また、季節の素材をふんだんに使用した食事の提供はお金さえ出せば出来る事なのでしょうが、工夫次第では満足した食事の提供は当施設においてもしています。具体的に言えば月1回のバイキングがそれに当たると思います。一般家庭においても月1回の贅沢であったとしても何ら問題は無いと思います。『24時間スタッフが常駐している。』とありますが介護が必要になった方は24時間の体制は当然な事としてされています。ちなみに本部施設においては夜勤者が5人必ずいますしそれに加えて管理宿直者が特変時には対処して必要に応じて私も自宅から10分もあれば駆け付ける事ができます。(この体制で25年対応してきました。)

【サクラピア成城のスタッフには「すべては居住者様のために」という意識が浸透しています。スタッフは、居住者様一人ひとりの名前和覚えるのはもちろんのこと、お仕事や、体調、嗜好を把握し、適切な距離感を保ちながら見守っています。さらに、食欲が落ちている、顔色がすぐれない、いつもと様子が異なる、といった、日々のご挨拶の際に気付いたことをスタッフ間で共有し、適切な対処ができるようになっています。】

(ここでコメントです。)入居者一人ひとりの対応をする為に一人ひとりのケアプランを立てて実践していく事も職員同士で情報を共有する事も当然な事として対応しています。但し、人材不足により悪循環に陥っている施設の中には職員の資質が低くて事件を起こしている事が新聞等に出ている事は残念に思っています。

【常勤スタッフが102名、非常勤が26名に対して、居住者が約160名です。介護が必要な方に対しても実質一対一に近いようなスタッフ数となります。他の老人ホームと比べても、非常に手厚いサービスを提供できると自負しております。】

(ここでコメントです。)確かに手厚いスタッフです。しかしながら、介護の現場は年中無休の24時間体制が当然です。つまり、職員の公休もあれば、夜勤をすれば明けもあります。スタッフの中には洗濯や清掃の業務方もおみえになると思います。私はこのサクラピア成城の施設は行った事がありませんので、これ以上のコメントは出来ませんが、一つだけ他の所より優れていると思ったのは離職率が低いと言うのは素晴らしい事だと思います。そして最後に「起きて半畳寝て一畳」で贅沢なものがあれば幸せが手に入ると言うものでは無く、一人ひとりにあった対応が出来る事こそ肝要だと考えています。

『今日一日楽しかったよ』を当施設で職員一丸になって実践していきますのでリピーターの皆さん、当施設の展開をしっかり見守っていて下さい。

私より一回り年上なのに凄い

令和5年7月25日

昨日まで仙台市の秋保温泉でボストン会が開催された事はこのコラムで紹介しましたが、その時お会いした大阪の大久保先生の従兄弟の方も折角の機会なのでご一緒したいと言う事で一昨日の夕食と昨日の朝食もご一緒させて頂いたのですが最初にお会いした時に8ミリカメラの撮影をしながら部屋に入ってみえたのでビックリしました。夕食時に大久保先生の従兄弟の方とそのお友達の方もみえると言う事で改めて自己紹介からさせて頂いて、大久保先生の従兄弟の方が昭和16年生まれと聞いて正直びっくりすると同時に「私の12年後が従兄弟さんの様にありたい。」と思った次第です。と言うのは身に付けてみえるものも粋ですし、話題も豊富で凄い記憶力だったからです。

昨日の朝食の時にはバイキングだったのですが色々な物を適度に持って来て下さる配慮にも教えられました。また、昨日10時に仙台駅までホテルのバスで送って貰う時にもホテルの玄関前で写真を撮る手配もして下さりバスが出発するまで暑い中でしたがお見送りをして頂く律義さでの対応をして頂けました。そして本日、昨日別れ際に私の名刺をお渡ししておいたのですが、なんと、メールで写真を何枚も送信して頂いていたのには驚き以上の感動でした。

正直私の12年後をイメージしてもなかなか大久保先生の従兄弟の方の様に出来るかと言うと正直自信がありません。勿論彼の様に元気に飛び回っていたいし、色んな事に気が付く生き方をしたいと思いますがいつまでアクセルを踏んだ状態で頑張れるのかと悩んでしまいます。そう言えば大久保先生の従兄弟の方のお友達の方は昭和2年生まれと言われていて(その意味では元気な方だと思いました。)終戦直後に看護学生だった頃のお話を聞きました。

その中でアメリカ軍が焼夷弾を落とす時にお城であったりお寺であったりをさけていたし、特に病院は戦争が終了した時に、怪我をしたアメリカ兵の為に直ぐに病院が使える様に特に気を付けて爆弾を落とされなかったので良かったと言うお話を聞いて改めて「日本が負けたのは必然だった」と思いました。改めて色んな方との出会いがあるのは幸せな事だと思いました。35年前に資生堂財団の事務局長としてボストン会に参加された横浜の守谷さん(とっても紳士な方でした。)が亡くなられたので寂しい気持ちもありますが新しい出会いもあるので色んな出会いを糧としてこれからも頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願いします。

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昨日からのボストン会の報告です。

東京から「やまびこ」に大久保先生、太田先生と私が横並びで乗り3人で仲良く楽しい会話をしながらも私は間隙を縫ってコラムを打ち無事に仙台駅に降り立ち、小原先生と倉品先生と花田先生とも無事に合流が出来、大久保先生はご両親の出身地が仙台と言う事で従兄弟の方が車でのお迎えだったので、後の5人は緑水亭のお迎えのバスでホテルに。バスに乗ると今回の幹事の小原先生から早速のビールを。私はホテルに着いての夕食時の為に飲まなかったのですがホテルのチェックインの後幹事の小原先生の部屋に集合したらまだ夕食までに二時間はあると言う事で小原先生が準備して頂いた焼酎とウィスキーを飲むことになり私は焼酎をロックで一杯だけ頂き、17時になり、「せっかくだから温泉に行こう。」と言う事になり大浴場に行き温泉の湯とサウナと水風呂を堪能しました。17時50分になり夕食会場に同室の太田先生と行くと一番乗りでした。順次皆さんが揃い、大久保先生の従兄弟の方とそのお友達もご一緒にと言う事で8人で会食をしたのですが、従兄弟のお友達と言う方は92歳との事ですがかくしゃくとした方でかつては大学の看護科の教授だった方で従兄弟の方共々博識 家で話題が豊富で料理も素晴らしかった(「ほや」は太田先生をに食べて貰いましたが。多分食べず嫌いなのだと思うのですが)ボストン会は資生堂財団からアメリカ研修に行かせて頂いた仲間が17名。35年が経過して残念ながら亡くなられた方も有りますが今回も6名が集まった事は素晴らしいと思っていますし、一年に一回しか会えないにも関わらず35年前に戻った様に楽しく話が出来る事に感謝です。35年が経過してお互いに立場は変わっても35歳の私に戻れるのも嬉しいし、私が社会福祉法人を設立し特養老人ホームの建設を計画している時も、事業開始をして経営が軌道に乗らない時にもみんなで心配してくれた仲間だからこそ大切にしていかなければと思っています。今は仙台駅から大宮まで一気に行く「はやぶさ」に乗っていますが東京で乗り換えて岐阜羽島に15時29分に着いて車を運転して本部施設に行って16時30分からの全国老施協の制度政策検討会議に臨みます。多分19時までだと思いますが、よく学びよく遊べの精神で頑張りますのでリピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。

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本日からボストン会です

朝はいつもの様に仏間でのお参りとお墓へのお参りを済ませてお風呂に入った後、朝食を頂き一泊の準備をしたあと外出着に着替えて一旦本部施設に行き留守をすることをお願いしに行きました。

岐阜羽島駅まで車を運転していつもの駐車場に入れようとすると「満車」の表示があり、隣の(一日で50円高い所)駐車場に入れ(私が駐車したら後1台分しかありませんでした。)たのですが「流石に夏休みの日曜日」と思いました。

10時15分発のひかりに乗り込むと、大阪から乗られてみえた83歳の大久保先生と合流し、豊橋からは太田先生とも合流して東京までしっかり3人で話をして 話をして、あっと言う間に東京に着き、東北新幹線に乗り換える為に移動して、「ひょっとしたら社内販売が無いといけない」とお弁当を販売しているところを探しても無くて太田先生をが「ホームにあるかも知れないよ。」と言われて急いでホームに行くと「有りました。」

と言う事で幕の内弁当とお茶を三人分購入して「やまびこ」に乗り込み3人の会話の間隙を縫ってコラムを打っています。仙台駅には今回の幹事を引き受けてくれた、気仙沼の小原先生が秋保温泉の宿の車をつけて待っていてくれているし、総勢6人のボストン会メンバーが揃ったらコラムを打つような時間は無いので今頑張っているのであります。

本日は秋保温泉の緑水亭での宿泊になりますが、詳しくは明日のコラムで書く事にさせて頂く事をリピーターの皆さんご理解下さい。

「良かった」と言うお話

令和5年7月22日

いつもの様に妙応寺の本堂で手を合わせ、お賽銭を入れてから日めくりカレンダーをめくりお経を唱えようとしていつも首にかけている弘法様のお数珠を手に取ろうとして「?」大切な数珠が首にかかっていないのです。「幸福地蔵様でのお参りをしていた時には数珠を外してお参りをしたはずなのに・・・。」と言う事で本堂でのお経を唱えていても、観音様、毘沙門天様とお不動様の3仏でも、関ヶ原与市のお墓でも、常在不滅之塔でも、六地蔵さまでも、もちろん若山家のお墓でもすっきりしないでのお参りとなりました。

帰り道では、数珠探しをしながら結局家に着くまで無くて重い足取りで家の中に入り「ひょっとして」と一日の仕事が終わってお風呂に入る前に掛けておく椅子の所を見ると数珠があったのでブルーな気持ちが一機に晴れて、お参りから帰ると直ぐに頂くお水をこのタイミングで美味しく頂く事が出来ました。

でも不思議です。間違いなく幸福地蔵菩薩様のお参りでは数珠を手にしていたと思っているので・・・。もしかしたら弘法様が数珠をいつもの所に届けて頂けたとしたら・・・。「う~ん。リピーターの皆さん。コメントしづらいですよね。」リピーターの皆さんの中には「若山さんの思い違いだろ。」との声が多く頂ける事だと思いますが・・・。

二つ目の「良かった」のお話をします。朝食を終えて少しゆっくりしているタイミングの時間に我が家の奥様かをりさんが血相を変えて私の所に来て「2階の洗濯干し場の所に蜂の巣があり蜂に体当たり(めっちゃリアルに話していました。)をされて刺された。」と言うので私はおっとり刀で洗濯干し場に行くと足長バチが何匹か飛んでいたのです。

その時リアルに思い出したのは今の家の建て替えの為に借家への引っ越しをしていて大きな蜂の巣を見つけたのでホームセンターに行ってジェット式の鉢駆除の道具を買って来て見事に退治したのを思い出しました。

但し今回は洗濯干し場ですから遠くから狙いを決めての噴射は出来ないので「近づいてスプレーをしなければいけないので困ったな。」と思った私は「ここは、蜂バスターの水野相談員に無理を言うのが一番だ。」と考えて施設に行き正直にお願いすると「長足蜂ですか。」と聞かれたので「だったら直ぐに行きましょう。」と言う事でキンチョールとほうきとビニール袋を持って我が家に来てくれて、あっと言う間に蜂の巣を退治してくれてキンチョールで下に落ちた長足蜂をほうきでビニール袋に入れているのを見ていて「流石に蜂バスター。手慣れたものだ。」と感心してしまいました。私は我が家の蜂退治には役にたちませんでしたが、私が出来ない事を難なくしてくれるスタッフがいてくれた事にも感謝です。

夏の風です❗️夏の空です‼️

令和5年7月21日

朝4時25分のアラームで目覚め、着替えをする前に朝の冷気を部屋に入れようと硝子戸を開けると、爽やかな風を感じました。「完全に梅雨は開けたな。」と肌で感じる事が出来ました。但し、こんな日は太陽が昇ってからは温度がどんどん上がってくると思いました。雨が多い時期には多くのカエルをお墓で見ましたが、本日久しぶりに六地蔵様のお地蔵様にへばりついている、少し大きめのカエルを見る事が出来ました。

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車の移動中のラジオの情報です

ラジオから投稿記事が紹介された内容に思う所があったので、コラムで紹介します。その内容は、投稿者の父親からの教えの言葉でした。その言葉とは「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」です。もう少し詳しく知りたくてパソコンで検索してみました。「人から受けた恩はその人に返すのみならず、より多くの人に施せ。そして自分が施したことは、その瞬間に忘れよ」と言う意味である。【元々は、仏教経典にあった「懸情流水 受恩刻石」から来ている。ところが、自戒を込めて言うと、この言葉とは逆の状態になっていることが往々にしてある。つまり、自分が受けた恩は水に流し、自分が他人にかけた情けの方を石に刻んでいる。】と書いてありました。

私自身に投影してみました。私は生母秋江さんからの遺言「蒔かぬ種は生えぬ」の教えを、私が事業を行う様になっての25年で精一杯行って来た自負を持っていますが、それは「させて頂けることによる喜び」であって、今の自分があるのは色んな方々の支援があっての事で、私は皆さんの力をお借りして今があると思っています。但し、基本の中に「蒔かぬ種は生えぬ」で一生懸命にネットワークを拡げる事を常としてきました。今も「人の為に」「地域の為に」と思いながらの毎日です。

私の場合は『恩』=『支援』ですので『支援』をして頂いた方の事はしっかり心に刻んでいます。今は拠点施設を3施設持っていますが、常に「皆さんのお陰であり、地域の中で貢献させて頂きたい」との気持ちです。「してあげる」では無くて「させて頂く」の考え方を基本にして法人の役職員が一体になって実践していきますので、リピーターの皆さんこれからもよろしくお願いいたします。

大津の石山寺に行って来ました

令和5年7月20日

実は石山寺の境内の入り口近くに大黒天をお祀りしたお寺があり行く度に升に入った大黒さまを購入して我が家の仏壇には3つ入っているのですが令和元年に行った後はコロナ感染症対策の事もあり行けてなくて昨日5年振りに行ってきました。境内の駐車場に入ると停めてある車の数は少なくて、「今日はお参りが少ないんだな」と思いつつ山門目指して歩いていくと、何軒かあるお店の殆どが開いていないのです。(駐車場からの大きな食事を食べる所は1軒のみで、山門前のお土産屋さんも1軒のみ開いている状態でした。)折角石山寺まできたので大黒天のお寺は本堂のお参りをしてからにしようと拝観料(600円)を支払い境内を進んでいきました。

立派なお寺になると大概のお寺は階段が多く有ります。(京都の東寺は違いますが)石山寺も階段が多くて「いつまで、この階段を一機にあがれるかな」と思いながら上がって行くと大師堂があったので般若心経を1巻唱えさせて頂き、またまた階段を上がり本堂に行きここでも般若心経を唱えさせて頂きました。本堂が一番高い位置にあるので今度は階段を下りるのですが、下りは手すりを使って下りなければいけない体たらくで上りとは違う大変さを感じた次第です。

階段を下りきった所が大黒天の場所なので本堂の階段を上がっても人の気配を感じなかったので「すみませ~ん。」と大きな声を出すと「は~い」と出て来て頂いたので「来るたびに升に入った大黒さんを頂いていたのですが新たに購入すると4つになるのでこのお寺に収める事は出来ませんか」とお話すると「それぞれが仏様ですから家の方で大切にお祀り下さい。」との事だったので「分かりましたが改めて頂きますか」と言うと3種類の仏様を見せて頂き自分の気に入ったのを購入する事が出来ました。

但し、「少し小さいかな」と思っていたのですが大黒様を抱かせて頂くと意外にずっしりしていて5年前に購入した者よりかは大きくて立派である事がわかり安心しました。さて、昨日購入時に頂いた説明書きを読んで改めて理解したのは通称「石山寺大黒天」なのですが正式なお寺の名称は『医王寺』と言う事がわかり『医王寺』は社会福祉法人杉和会の認可時に筆頭理事を務めて頂いた福祉の師である吉田宏岳先生の自坊の名前であった為に、何度か訪れた事を今になって思い出しました。

私が社会福祉法人杉和会を設立して優・悠・邑本館を運営するようになって25年の月日が経過していて決して楽な経営をした事は有りませんが今までここまで何とか経営出来たのも大黒天様に救われた事も何度かあったのだと思いますがこれからもしっかりお祀りさせて頂き、皆さんのお役に立てればと考えていますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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朝の出会い

令和5年7月19日

朝のお墓参りに行って二人の方にお会いして爽やかさと「なるほどな」と感じた事をお話します。一人目の方は関ヶ原与一の墓でお参りをしていると六地蔵様の近くで車を停めてお墓参りにみえた方の事です。私が順次お参りをして六地蔵様の所に行くと車から降りられた方の姿は確認出来なかったので私はいつもの様に花立に水を入れ蝋燭と線香に火を点け6か所の湯飲みに水を注いでからそれぞれのお地蔵様に祈りを捧げて我が家のお墓に向かう為に振り向くと、私のお参りを静かに待って頂いていたのだろうと思います。

3メートル離れたところに立ってみえたので「私のお参りが終わるまで待って頂いていたのだ。」と思いながら「お先にすみません。」と言うと同時に感謝の気持ちに爽やかさを覚えた次第です。6家のお墓に水を入れ家に向かって歩いている時に家のご近所さんの犬の散歩に出会いました。

そこで私が「朝から暑いですね。」と言うと「本当に暑いね」と答えられたので私は「5時30分に家を出た時にはひんやりしていたのですが。」と言うと「お日様が出て来て照り出すと途端に暑くなるな。」と言われたので「なるほど、その通りだ」と感心してしまいました。こんな事に感心してしまう私なのであります。そしてお墓参りから帰り家に帰っていの一番にするのはコップ1杯の水を飲みお風呂の洗い場で水のシャワーを頭から掛けてから、温くなったお湯に浸かりながら追い炊きの浴槽に浸かっている時は一日の中で一番ゆったりとした気分になれます。

これは単に朝風呂に入って朝酒をしている「おはらしょうすけ」とは違い(※ おはらしょうすけは架空の方の様ですが)雪が降っていても、雨は降っていても今日の様に暑い日でも仏間でお経を唱えてから5時20分過ぎからペットボトルの水8本を背中に背負いお墓参りに行ってからのシャワーとお風呂なので至福の喜びなのであります。

ここ1年以上風邪もひかずに頑張れているのは朝から元気に活動出来ているからだと考えています。天国から見守っていてくれている生母秋江さんの「宏は偉い」との声が聞こえて来るようです。リピーターの皆さん。私はこんな生き方しか出来ないのですがこれからもよろしくお願いします。

 

 

 

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