今須を憂いています・・・。このままでは決して良く無い。
令和5年4月2日
朝はいつもの様に4時25分のアラームで行動開始をしたのですが、着替えてスマホのラインが沢山きていたので、先ずは読んでから返信をしたりしていて、結構な時間になり、仏間でのお経は正信偈と般若心経共にめっちゃ早く唱えても、いつもより15分程お墓参りに出掛けるのが遅くなった為か、久しぶりに妙応寺の駐車場の西に住んでいる同級生と会いました。と言うよりも幸福地蔵菩薩様の前掛けを直して、幸福地蔵菩薩様を擦りながら祈願をしている時だったので、少し動揺しながらも、幸福地蔵菩薩様の所から降りて行き、改めて挨拶をしてから会話が始まりました。
最初は昨日から始まった統一地方選について話していたのですが、段々と今須の話になり空き家が多くなっていて今後が心配だとの話しから、妙応寺の駐車場の南にある生活改善センターが、耐震の関係で取り壊されるとの話になり、生活改善センターが建っていたところは元々本陣があった所なので、生活改善センター等造らずに補修をしながら今に至っていたら、今はNHKの大河ドラマで『どうする 家康』が放映されているし、本陣が健在で家康が関ケ原の戦いで勝利して座った石がそのままに残っていたら最高だったのに。(今は妙応寺の境内に設置されています。私が小さい頃には、よく遊んでいた青坂神社にあり忍者ゴッコの時には随分お世話になりました。)
これも『覆水盆に返らず』ですし『後悔後に立たず』です。生活改善センターは関ケ原町の管理なので次の計画がどの様になっているのかが知りたいところです。と言うのも農協今須支店は営業をしていないし、今須小中学校は廃校になり、その上生活改善センターまで無くなってしまい、公共的なものは今須派出所と今須郵便局くらいしかありません。こんな状況だからあちらこちらに空き家が目立ち、空き家の中には崩れたまま放置されているのもあるのが実態です。若い方は仕事に行くのに不便だからと都市部に行かれるばかりなのですが、Uターンした方に話を聞くと「家賃は要らないし田圃や畑があるので食べる者には困らないので、町にいた時よりも生活が安定している。」と言われていたのが印象的でしたが、「保育園や学校へはバスでの通学と言うのが少し大変です。」と言われたのも現実の問題ではあります。
私が介護施設を建設したいと考えていた40歳の時に「建てるのであれば生まれ育った今須で」と強く思っていました。その理由は風光明媚な今須の地は高齢者施設には最適だと言う事と、地元の雇用対策や若干であったとしても人口を増やす事にならないかと考えたからです。「車が無いと通えない」と言う事に対しては、1Kではありますが20部屋を施設の敷地内に所有しているので(現在18名が利用しています。)クリアしました。買い物に行くのには不便と言う事に対しては、移動販売の方に来て頂き、必要な物があれば次の販売日に持って来て頂く事も可能にしています。また車が無いと言う職員は最寄りの柏原駅までの送迎の配慮もしています。
アパートだけの話だけでなく、地元の若手の方が当施設に就職をして結婚をして子どもが出来て地元に貢献しています。(消防団員として頑張っていて、PTAの役員としても貢献しています。)関ケ原町の広報を見て愕然となりました。と言うのは『戸籍の窓』のコーナーでは死亡が6人で誕生はゼロだったからです。憂いてばかりでもいけないので真剣に考えないといけない。リピーターの皆さんの中で妙案があれば連絡下さい。





