2024年度介護報酬改定に対する私見

2024年度介護報酬改定に対する私見

 

関ケ原町の本部施設本館は1998年の事業開始なので、2年間だけですが措置制度の時代を経験しています。措置とは市町村長から施設長に対して措置依頼をする形で、入居定員の数によって1カ月の措置費の金額が違ったので経営努力をすると言う意識が乏しかった時代です。そんな2年間を経て2000年4月1日からいわゆる、契約による「介護保険」が導入されました。正直、介護保険導入時の介護報酬単価は経営する側にとって余剰金を出す事が出来るものだったと思います。しかしながら、余剰金と言うのは法人がお金を貯め込む事では無くて地域貢献をする事に重きが置かれて来ました。と言う事で当法人も2004年には岐阜県で2例目のユニット型特養40床を建設して特養待機者の緩和に努めました。介護保険が導入されて23年が経過していく中で、コロナ感染症対策や物価高騰並びに介護人材不足と言う難題の中での介護報酬改正では正常な経営が出来る様に介護報酬の大幅アップに対する戦いをしていかなければいけないと考えています。その理由について次に述べていきます。

全国老施協が行った令和4年度収支状況等調査の速報値が10月3日のトップセミナーで資料提供されました。それによると令和3年度の赤字施設が43.0%(補助金含む場合は39.8%)であるのに対して令和4年度は62.0%(補助金含む場合は51.0%)と言う結果が示されています。令和3年から僅か1年で19%の施設が赤字に転落していると言う現実をしっかり捉えなければいけないと思います。尚且つ、岸田総理が人件費の大幅アップを謳いながらも介護事業の原資は介護報酬なのだからその原資が確保されない状況になれば介護職員と他産業との給料格差は拡がるばかりでますます介護業界の経営は厳しさを増すばかりだと言う事です。国家予算に対する諮問機関として財政審があります。財政審の見解では介護事業を展開している社会福祉法人においては「現預金を多く持っている」との見解を示して、暗に介護報酬の上昇を抑えようと言う意図が透けて見えます。しかしながら、借り入れに対する配慮はしないで、尚且つ建て替えを余儀なく迫られていながら、近年の物価高騰で改築の実施に踏み切れない法人もたくさんあると聞いています。と言う事は今の時点での現預金が膨れるのは当然の理だと考えるのが自然ではないでしょうか。人材確保の事を単純に考えても理解出来ると思います。大企業の中には好景気のなか大幅な賃上げをするところが多くあると聞いていますが、介護業界の現状の中では決して安易な状況ではありません。介護報酬は制度内での事業所ですから政治とは切っても切れないものがあります。つまり政治家の皆さんにこの現状を理解して貰う為に汗をかかなければいけないと考えています。

リピーターの皆さんもこの現状を理解して頂けると有難いです。

ようやく(18時)本部施設に帰って来ました。(妥当な言葉なのかはわかりませんが・・・)

いつもの様に朝のお参りとお墓参りを終えてお風呂と朝食を済ませて、7時40分に家を出て和合に向かい、8時20分に着いて8時30分過ぎからの申し送りに出て、申し送りの最後に私の1日の予定も含めて話をさせて頂きました。

その後2日間出張で不在をしていた時の書類等に目を通していると9時30分からの保健所の指導官の方2人がおみえになり、1時間の確認があり(指導すべき項目は無しでした。)終了したと思ったら銀行の支店長さんが10時30分のお約束でお見えになり、11時にはコピー機の新規購入の件で業者の方がおみえになり、そうこうしていると「気が付けば12時を回っている。」と言う事で昼食を頂き、13時から職員との面談をして気が付けば13時30分になっていたので慌ててカラオケのお約束をしていた1階に行くと利用者さんが待ってみえたので準備した曲目を歌う事にしました。

今日の企画では利用者さんにしっかり歌って頂く事に主眼を置いていたので皆さんが歌って頂ける様に進行をしていき次の曲が出ない時に私が歌うやり方で進めて行きました。最初は「私は下手やし」とか言ってみえた方も段々に歌って頂ける様になり、歌って頂くと車椅子の方の姿勢も段々と良くなっていくのが分かったのは本日の成果だと思っています。

14時30分に施設を出ていかなければいけない所があり、14時20分に「後は宜しく。またの機会もご参加頼みます。」と言ってある意味後ろ髪を引かれる思いもありましたが、次の予定は岐阜県感染症の責任者の方の所へコロナ感染症が2類から5類になってからの施設対応についての確認と岐阜県老人福祉施設協議会の会員施設の対応の標準化を進めて頂く為に研修講師の依頼もさせて頂きました。

一昨日は全国介護福祉政治連盟の事、来年の介護報酬改正への取り組み、前回の参議院選挙で組織内候補が残念な結果に終わった事への根回しと多方面に対応した事もあり、しなければいけない課題は沢山あります。しかしながら私のベースは社会福祉法人杉和会にあり、そこでの展開をしっかりと行なはなければ本末転倒になってしまうので、月月火水木金金の毎日ではありますが頑張っていき、より充実した体制になる様にしていきますのでリピーターの皆さん、より一層の支援を宜しくお願いします。

昨日のコラムで社会的論評もすると宣言したのですが、本日は頭が働かないので出来ませんでしたが明日は「来年度介護報酬改定について」と言う事で書きたいと考えています。乞うご期待?

昨日の東京出張の報告をします

令和5年10月4日

昨日は10時15分岐阜羽島発の新幹線に乗り東京へ向かいました。東京駅に着いてから、先ずは泊まることになっている赤坂見附にあるアパホテル(カニさん歩きをしなければいけないような部屋です。)に荷物を預け、ホテルの近くにあった「はなまる」でうどんを食べてから全国老施設協本部がある平河町の塩崎ビルに行きました。13時30分から全国介護福祉政治連盟役員会があるのですが、13時前に着いたので事務局の職員一人ひとりに挨拶をしてから会議室に入って行くと、まだ誰も来てみえなかったのですが、しばらくすると続々と役員さんが入ってみえたので、それぞれに挨拶をして、13時30分に定刻通り事務局長の仕切りで会が始まりました。

介護を取り巻く環境が厳しい中、その状況が少しでも良くなる為には施設長が理解するだけでは駄目で、職員の理解と協力を得る必要性についての議論がなされました。議案の進行は会長がされており、私が最初に意見を求められたので、私なりの持論を述べさせて頂きました。役員会は一時間で終わり、全国老施設協主催の「トップセミナー」が16時から都市センターで行われるので移動をして、参加者の方には出来るだけ挨拶をさせて頂きました。先ずは大山会長、園田常任理事のご挨拶の後、小泉副会長が介護報酬改定の今後の動向についての講演と田村元厚労大臣が介護報酬改定の国の流れについての講演がありました。

17時30分に終了して、5階から3階に移動して18時からの「園田修光君の再起を期す会」があり、最初に元菅総理大臣が挨拶に立たれ、次に森山総務大臣の挨拶があり、その後も元厚労大臣の田村衆議院議員、加藤衆議院議員らの挨拶等々があり、多数の参加を得て熱気ある会に参加する事が出来ました。会が終了後かつて全国老人福祉施設協議会総括幹事とし本部事務所で席を並べていた、前福井県老施協会長の皆川さんと夕食を共にしながらの情報交換会を行い、それを終えてからは法人同士で交流がある埼玉県の法人の理事長以下職員さんとの交流を温めました。

今年11月29日~30日の全国大会岐阜大会には、多数の職員が来てくれるとの事で、大会が終了後の後泊をして頂いて岐阜を堪能して頂ければと考えています。私が昨日色んな会合等で多くの方にご挨拶をしたのは、コロナ禍で本当に久しぶりにお会いした事への対応と共に全国大会岐阜大会に多くの方に参加して欲しいと言う事を知らせたかった思いもありました。本日は東京で会議等が計画されていないので、東京駅8時33分のひかりに乗り本部施設に移動して仕事をしています。今は心身ともに充実しているので、2足であろうが3足であろうが草鞋を履いて頑張りますので、リピーターの皆さん、これからも宜しくお願いします。

南東の空に衛星が、東の空に月と星が

令和5年10月3日

5時35分に妙応寺境内で月と衛生は確認出来ましたが星は無くなっていました。但し衛星はかなり見にくくなっていました。常在不滅之搭で青空の中でも月は健在でした。6時10分に家の玄関先でお月さまを確認すると東の空でまだ頑張っているのを見ることができました。 さて、本日の対応は午前1時19分に本部施設宿直五次副施設長からのメールの確認から始まりました。

そのメールは 看取りの方が残念ながら亡くなられて死亡確認には6時に多賀先生が来て下れて後見人の方には連絡が着かないのでまたかけます。」との事だったので直ぐに電話で、「朝早くからの対応になるので寝て下さい。」と連絡しました。その後私も東京への出張はあるけれど4時25分のアラームで起きていつもの様に行動したいので再び寝ました。最近は不思議な事にアラームの5分前の4時20分に目が覚める事が多くて本日も4時25分のアラームから行動を開始しました。本日がいつもと違ったのはお墓参りの途中やお風呂に入っているときや朝食中に本部施設から後見人とのやり取りの連絡があり、途中からは私が直接後見人の方とやり取りをして、9時30分に本部施設を出て岐阜羽島に向かう前に銀行に行く予定に加えて関ヶ原役場に行く事にしてバタバタでしたが後見人の先生に本部施設でご挨拶も出来て何とか今は予定通り10時15分岐阜羽島で新幹線に乗り今は東京に向けて移動中でコラムを打っている次第です。

16時からトップセミナーは開始(受付は15時から)なのですが、全国老施協本部のある平河町塩崎ビルで全国介護福祉政治連盟の役員会が行われるのでそれにも参加させて頂くので久しぶりのお付き合いも含めて夜までびっしりの予定が入っていて私は手抜きが出来る性格では無いので今、コラムを打たなけれは打つ時間が無いので新幹線の中で頑張りました。東京駅には12時12分に着く予定ですので昼食はお蕎麦を食べる位の時間しか無いのですが美味しいものを食べに来たわけでは無いので「それで大丈夫」と思っています。 青空に恵まれたので移動がしやすいのも助かります。

今コラムを読み直してみて、最近のコラムは社会風刺的なものを書いていないなと感じた次第です。新聞の情報では大きな会社であったり、社会福祉法人によるモラルを疑わざるを得ないものを多く見掛けますので時間に余裕がある時にじっくりと書く事をリピーターの皆さんにお約束をして本日のコラムとします。なお、本日の行動については明日のコラムで報告します。

1時間の贅沢

令和5年10月2日

昨日は朝から体か重くて(お断りをしますが体重の事では有りません。)眠気が有りましたので、集中力に欠けていた1日でした。と言うわけで、昨日は15時に1階でのカラオケタイム1時間を終えた後は、直ぐに本部施設に向かいました。本部施設では打ち合わせ等を終えた後、コラムの原稿を書き上げ、これまた直ぐに家に帰らせて貰い、18時30分からのお風呂の時間までベッドに横になりながら、眠いのを我慢してビデオを見て(中途半端に寝るとかえってしんどいと考えたので)、18時30分になって(この時間には何故か拘っているのです。)お風呂に入り19時から夕食をとり、19時30分にはベッドで寝る体制になり、間違いなく20時には眠りについていました。つまり、いつもより少なくとも1時間は早くに寝たので「1時間の贅沢」と言うわけです。

午前3時20分まで一機に寝て4時25分のアラームでしっかり覚醒していたので、朝の行動もテキパキと出来て昨日とは雲泥の差で行動が出来ました。昨日は和合に向かう時から頭が冴えなかったのですが、本日は快晴の空の様にスカッとした気分で運転も出来ました。そんな気分だったからか、車の渋滞もなく、これまたスムーズでした。

和合の理事長室で9時30分からは和(なごみ)の吉澤施設長との打ち合わせ、10時30分からはコピー機の買い替えと打ち合わせ等々をこれまたテキパキとこなし、12時過ぎには厨房で作って頂いた外来食を食べたあと、13時30分から行われる岐阜県老人福祉施設協議会常任会議のために岐阜県福祉会館に行きました。13時には事務局に着いたので事務局長との事前打ち合わせをして、常任理事のメンバーが13時30分には集まったので、常任理事会の開始を会長として宣言して、15時で終了して16時からのリモートによる全国介護福祉政治連盟の役員会議が予定されているので急ぎ本部施設に向かいながら、リモート会議の接続を電話で依頼して本部施設に着くと15時55分で『セーフ』と言う事で、16時丁度に始まった会議に迷惑を掛ける事無く参加する事が出来ました。

17時30分に会議が終了して今は18時32分ですが、昨日とは比べ物にならない位にスムーズに原稿を書く事が出来ました。明日は久しぶりに東京で宿泊を伴う出張があるのですが、本日の体調であれば頑張って行く事が出来ると思います。しかし、我ながら1時間の贅沢で元気を取り戻せると言うのは有難い事だと思っています。

今は農林業で生計を立てている同級生の話です

令和5年10月1日

中学時代には英語が得意で一時期は自宅において英語塾も経営していた同級生が、今は農林業で生計を立てていて、久しぶりに朝のお墓参りのおり、幸福地蔵様の所で会いました。お互いに朝の挨拶をした後(沢山の耕作放棄の田圃の面倒をみてみえるので)「米の収穫は終わりましたか。」と声を掛けると「何とか終わったけど、昔と違って疲れが出ている。」との答えが返ってきたので「お互いにホッとした時には疲れが出ますよね。疲れが出て当たり前だと思いますよ。」と返しました。それでいて私は「我が家の田圃の草刈りも頼みますよ。」と言いにくい事を言ったのですが「気にしてるから大丈夫」と言って軽やかに走り去っていきました。私は「同級生なのに私とは違い随分身軽だな」と思った次第です。「そりゃあ身軽でなければ、枝打ち作業など出来んわな」とも思いました。

8月から和合の施設長に就任して文字通り2足の草鞋どころか、3足の草鞋を履いた様な生活で丁度2か月が経過しました。結果的に1日の休みも無く3つの施設(主に本部施設と和合の施設)を行ったり来たりの生活で、文字通り『月月火水木金金』なのですが、和合での『新米施設長』の役割りにも少し慣れてきたためか、少し疲れを感じています。本日も7時40分には家を出て、和合の施設で14時から1時間1階の入居者さんとカラオケをして楽しみました。但し本日の8曲は『およげたいやきくん』『すきま風』『スーダラ節』『瀬戸の花嫁』『夕日が泣いている』『365歩のマーチ』『なみだの操』と、余り歌った事のない歌でしたが、それ程声量を聞かせる歌では無かったので無難に歌え、最後の1曲は『十八番』(おはこ)である『北の漁場』で締め括りました。スパイダースの『夕日が泣いている』は、私が中学時代の歌ですからと言うよりグループサウンズの曲ですから、今一入居者さんの反応は良くなかったのですが、残りの曲は受け入れて頂いた様に思いました。

カラオケを終えてからは本部施設に行き、神輿の打ち合わせ等々をして、流石にバテているのでコラムを打てたら早いですが(今は17時10分)帰らせて貰い、明日はシャキッと出来る様にしたいと思っています。疲れを取るのはしっかり寝る事だと思っています。

4時20分に目覚めました。

昨日は石川県小松市で全国老人福祉施設協議会東海北陸ブロックの役員としてお世話になった方のお通夜があり、急遽吉澤施設長にボディーガード兼運転手をして貰って行かせて頂きました。家に帰って来たのは21時30分過ぎで、それからお風呂に入り寝る体制になったのが22時を遥かに回っていたのでいつもの4時25分のアラームのセットを敢えてオフにして寝る事にしました。と言うのは「睡眠が6時間を切るのはしんどいので」と考えたからです。

ところが習慣とは凄いものです。

タイトルの通り4時20分には目が覚めたのです。4時過ぎに目が覚める様に体が覚えてしまっているようです。目が覚めて一瞬「無理をしない方が良いのでは」とも思ったのですが「えいやー」で起きました。そしていつもの様に仏間でのお参りとお墓参りに行く事が出来ました。行った結果は大変ラッキーな事がありました。と言うのは我が家の2階の廊下の窓から実に素晴らしい中秋の名月を見る事が出来て、尚且つ、お墓参りの為に妙応寺に向かって歩く間、ずっとお月様を仰ぐ事が出来ました。

そう言えば昨夜のお通夜の帰りの車の中でも私が運転しているのでは無くて吉澤施設長が運転してくれていたので助手席の窓越しに(左手)東の空にずっと出ているのを楽しむことが出来ました。お月様を見て「幸せだ」と思える自分がいるのを嬉しく思っています。

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本日も和合の施設の2階のフロアで14時からカラオケをさせて頂きました。お陰様で会を重ねる中でしっかりと聞いて頂ける様になってきているのは本当に幸せに思います。勿論私のワンマンライブにしないで入居者さんにも歌って頂きながらの和気あいあいの企画になりつつあると思っています。と言う事はこれからはもっともっと入居者さんの笑顔を一杯頂けるものと思っています。カラオケタイムを終えて17時30分から3人の面接希望者にリモート行う事になっていたので本部施設に向かいました。久しぶりに本部施設の自分のデスクに納まると私を待っていた様に、余暇の責任者の伊藤主任が昨年好評だった手作り神輿で地域を練り歩く起案の打ち合わせに来ました。私は事前に地元の区長さんにはお願いに行くフォローはしておいたのですが、その後の事は私が和合中心の生活をしているのですがしっかりとした計画が出来ていたことに安堵しています。

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明日も和合の1階のカラオケが14時からあります。喉が丈夫である為に明日の朝食では生卵でも飲んで頑張りますか・・・。

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リピーターの皆さん、小さい頃の私だったら間違いなく高熱を出している状況なのでしょうが『お腹パワー』で、熱も出ない私になっています。勿論過信は禁物ですが。

六地蔵さんがしっかり立ってみえました

いつも6時前に台車を引きながら椎茸工場に向けて歩かれていて、お互いに元気に挨拶を交わしている方がいつもの様に挨拶をすると、一生懸命に指を指しながら話し掛けて下さるのですが、声が小さくて聞き取りにくかったので手をさされている方向を見て納得しました。それは、昨日まで寝てみえた六地蔵さんががしっかり立ってみえたので「そう言う事か。」と思った次第です。寝てみえた時も律儀に一つひとつ手を合わせていたのですが立たれていたのでいつも以上に気合いが入りました。

気合いが入ったと言えば本日の和合の3階で14時30分からのカラオケのオファーでは事前に職員から「理事長がカラオケに来るのを皆さん楽しみにされていますよ。」との事前告知と共に5人の入居者さんが歌いたい曲のメモが事務所の私の机に置いて あったのでますます気合いが入りました。13時30分から第三者委員の方に意見を聞く会議があり、第三者委員の二人の方は和合の立ち上げ前からお世話になっていた方だったので私にとっては初めての参加でしたが色んな話を取り纏めてしっかりと話ができ話をして頂けたので30分の予定が50分かかり、2人の第三者委員の方をお送りしてから急いで3階に階段で行くと少し息が切れていましたが懐かしい曲を中心に歌い、5人の入居者さんにも順次歌って頂き最後の締めは「帰ってこいよ」の替え歌でしたが沢山の方が口ずさんで下さり、「また呼んで下さい。」と言ってまたまた急いで事務所に戻り、これまた急いで車に乗り本部施設に向けて走りました。

  と言うのは、吉澤施設長の運転で石川県小松市で19時からのお通夜に行かなければ行けなかったからです。お通夜は全国老施協と東海北陸ブロックでお世話になった方なので義理欠けは出来ないと考えたからです。今は吉澤施設長の運転で本部施設に向けて帰るのですが、バタバタの中でもしっかりとやるべき事が色んな方の協力で出来ている事に感謝で明日からも頑張ってやらねばと思っている次第です。DSC_0476

金剛杖のルール

令和5年9月28日

以前にもこのコラムで紹介しましたが、橋を渡る時には橋の上では杖をつかないルールがあるのです。その理由は弘法様が修行の旅で橋の下で休んでみえると「申し訳無い」と言う風に聞いています。私が初めて四国が遍路に行ったのは高校2年の夏休みでその頃は参加者も多くて80人位の団体で小学生も中学生も高校生も多く参加していて、お互いに「橋に来たから杖をついたらあかんよ。」等と注意しあっていたものです。

私は高校2年の夏休みから26歳で児童養護施設に就職してからも、四国巡礼だけは優先的に行かせて頂いていたので37歳の時までの丁度20年間は春と夏に参加させて頂いたので、橋の上で杖をつく事は無いのですが、今朝のお墓参りの時にふと橋にかかり自分の姿を確認すると橋の上では自然に杖を抱えているのを確認して「習慣は凄いな。初めて参加した時にはやいのやいのと言いながら歩いていたな。」と思った次第です。

明日は3階でカラオケです。

先般の2階でのカラオケの時にも分厚い歌詞カードの本から選曲して挑んだのですが、2014年11月版の本だったので山崎ていじの曲は「昭和男唄」一曲しか入ってなかったのですが、本日歌手別の本を1ページづつ確認してパソコンで曲目と番号を打ちました。

少し自信の無いのは省いて自信を持って歌えるだろう曲を選んだ結果、140曲をパソコンで打ち込みました。140曲あれば「いつも同じ曲だ」と言うことは無いと思います。まだまだ山崎ていじの曲もたくさん自信があるし、グループサウンズの曲も一杯自信があるので200曲は楽に越えそうです。明日の3階では選曲するのが大変です。でも、前回2階で実施した時は「水戸黄門」の主題歌が一番受けたのでその辺りに気を付けて選曲をして喜んで貰える様にしたいと考えています。

今は(午後8時49分)護摩供養から帰ってきてお風呂でコラムを打っているのですが、明日のカラオケで入居者さんが喜んで頂けるかと思うと今からワクワクしています。実は朝から1日バタバタでしたので正直クタクタなのですが、ワクワク感クタクタの体に勝っているようですが、明日の為に即効で寝て明日の体調を整えたいと考えていますので、コラムはここまでにします。

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和合施設でカラオケの依頼を受けました

令和5年9月27日

依頼を受けたのは2階からでした。本日と30日の2日間の依頼です。朝から気合が入っていたので、和合の施設に行く前に本部施設に先ずは向かい、カラオケの一番分厚い本と(「2013年の本ですが大丈夫ですか」と職員に聞かれたのですが「新しい曲なんか歌えないのだから構わないよ」と言いました・・・。)ステージ衣装の緑色の服を取りに行き、急いで和合の施設に向かいました。朝の申し送りで気が付いた事を話させて貰い、その後は事務所に置いての対応をしつつカラオケの分厚い本のページのあいうえお順にページをめくりつつ私の知っている歌手の所でめくるのを止めて歌えそうな曲をパソコンに入力しました。

間違いなく自信を持って選べるのを記録していったのですが、まだ、「た行」までしか出来なかったのですが結構選ぶ事が出来たので、「結構な曲が歌えるもんだ」と自画自賛です。10時20分になっうたので2階に上がって行くと既にカラオケの周りに入居者さんが集まって来て頂けていたし、デンモク操作をしてくれる職員もいてくれたのでスムーズに進んでいきました。

最初の曲は「青い山脈」だったので、曲自体は良く知っていたのですが私自身は歌った事が無い「本邦初公開」だったのですが、自分で言うのも何ですが「透き通った声で上手く歌えた」と思ったら一気に乗る事が出来て、2曲目を歌い終えると「自分が歌いたい」との入居者さんが出て来たので「もう1曲私が歌った後にお願いします。」と言って3曲目を歌った後、「歌うと」と言われた方の所にマイクを持って行き、歌って貰いました。その後も2曲歌わせて貰うと、またまた「歌いたい」と言う入居者さんが見えたので、これまたマイクを手渡し歌って頂きました。

気が付くと既に40分が経過していたので「本日楽しくカラオケをさせて頂きましたが最後の曲になりましたので皆さんが良くご存じの歌を歌いますので皆さんも歌って下さい。曲は水戸黄門の主題歌である「ああ人生に涙あり」です。と言って歌わせて頂いたのですが多くの入居者さんが口ずさんで頂けたのでこれまた楽しく歌う事が出来ました。オファーを頂いての初めてのカラオケでしたが、デンモクの操作を職員がしてくれた事と、入居者さんの対応の合間に職員が入居者さんの輪に入って手拍子等をしてくれたお陰もあり素晴らしい入居者さんの笑顔を頂く事が出来ました。

2階のフロアは30日にも依頼を受けているので今から楽しみにしています。その前の29日には3階でもさせて頂けるのでこれも気合を入れて頑張りたいと思います。(蛇足の話を一つ。折角緑色のステージ衣装を持参したのですが1曲歌った段階で汗が吹き出しぬいてしまいました。でも衣装はともかく楽しく出来たので良かったです。)

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