母秋江さんのフィーバーシリーズその①

朝のお墓参りで妙応寺の参道のトンネル(私はトンネルと言わずに何故かマンボウと言っていますが。)のところまで来てふと「最近母秋江さんの事を良く話題にしているな。」と思い付き「よし、コラムで母秋江さんシリーズを書こう。」との思い付きで本日からしばらくの間「母秋江さんシリーズ」で行きます。但し、トピック的に違う話題になることはあると思いますが、しばらくは「秋江さんシリーズ」でいきたいと思います。何度も書いた事も含めて書く事にします。

私が生まれたのは昭和28年5月16日で育てるには一番楽な時期に長女光子さん、次女春子さんの後を受けて生れたいわゆる末っ子の長男と言う文字通り甘やかされる環境の中で生まれたのです。しかし、私は生まれて半年が経過する頃に30秒程心臓が停まっていて、不思議な事に息を吹き返して今に至っているのです。(心臓が停まってからの方が圧倒的に長いです。)末っ子の長男で虚弱と来れば大切にと言うか大事にされるのは当然の理。しかも母秋江さんは春吉じいさん(昔の相場し)にとって可愛くて可愛くてたまらない末娘なので跡取り息子がいるにも関わらず養子に父進さんを迎い入れたわけだから、母秋江さんは地元では天下無敵。

そんな母秋江さんが虚弱な末っ子の長男を真綿に包むように私を育てるわけですから大変な逸話は一杯ありますので明日からのフィーバーにご期待ください。

「地獄に仏」とは正にこのことか

令和5年11月3日

昨日予告した東濃支部の支部会の事を書くのですが、先ずは支部会の定刻に間に合った話からします。この事が正に表題の通り「地獄に仏」の話しですから是非に読んで下さい。支部会は中津川市「ひと・まちテラス」と言うオープンして半年くらいしか経っていない建物で「地元の方でもあまり行ったことがない」との事でしかも、開催責任者の方から「駐車場がややこしい。」と事前に聞いていたので「早くに出発しよう。」と言う事で開始時間は13時30分からで車のナビで行程時間を検索したら1時間30分程度だとわかったのですが11時に和合の施設を出発して、昼食は大垣インターチェンジ手前のコンビニでおにぎりとパンとお茶を購入して車に積み込み大垣インターチェンジから高速道路に乗り東海北陸自動車道に入り中津川に近いサービスエリアの駐車場でコンビニで購入したパンとおにぎりを食べて「十分に時間があるな」と中津川インターチェンジを目指し中津川をおりて、ナビの指示に従い目的地に向けて進めて行く時に「新しい建物なので地番まで入れても入れた数字が出て来なかった事に不安を覚えながら進めて行くと「多分近くまで来ているはずなのに目的地がわからない。」と言う事でコンビニに飛び込み聞いてみるとしっかりと教えて下さるのですが私には地元の建物がさっぱりわからないので、大体のイメージで車を動かして行き、またまた不安になり食べ物屋さんに入り聞くと親切に店の外に出て教えて頂いたので「良し、これで行ける。」と思ったらその信号は一方通行で入る事が出来ず、その信号をやり過ごし入れる所で右折したら目標としていた建物の裏正面に出たのでそこにあった駐車場に停めようとしたら「この駐車場は月極めだから駄目ですよ」と言われて細い路地を通って表側に出たのですが「駐車場らしきものがない。」と車を停めて思案をしていると私の車の右横に車を停めて「ひと・まちテラスの駐車場を探されているのですか。」と聞かれたので「実は駐車場がわからずに困っていたのです。」と言うと「私の車の後について来て下さい。ご案内します。」と言われて、「これぞ正しく地獄に仏。」駐車場まで案内して下さり車がから降りて建物までの行き方を教えて頂いたのでお礼を言って名刺をお渡ししました。車に書いてあったのには「図書館」と書いてあったので「ひと・まちテラス」内にある図書館の職員さんだとわかり「わざわざ誘導していただいた事に感謝です。」結局会場に13時25分に着いたので迷惑をかける事なく支部会に参加する事が出来ました。リピーターの皆さん人が困っている時に「何とかしてあげたい。」と言う方はまだまだおみえになるのでまだまた捨てたものでは有りませんね。

不思議に思っていた月の疑問が解けました

令和5年11月2日

「解けた」と言うより「納得した。」と言った方がリピーターの皆さんにとって、よりわかりやすいかも知れません。そんなに仰々しい事ではないのですが。

今、原稿を打ちながらも私の思考の仕方が「粘っこくなっているな」と自分自身でも思っています。正直小さい頃の私は「何に対しても興味を持ってやりきる。と言う事のない人間でしたのに・・・。」5時過ぎに綺麗なお月様を拝みながら「満月の様なお月様を何日拝めるのか」と思いながらしみじみ見つめていきはたと気が付いたのが私の結論です。

一つには空気が透き通っているので鮮やかなお月様であること。

二つには私の目が近視で乱視が入っているためだと理解しました。でもね、毎日綺麗なお月様が見られるのは幸せな事だとリピーターの皆さんも思われませんか。

私は毎日の生活で素敵だった事を思い浮かべながら、常にブラス思考で頑張りたいと考えていますのでこれからも宜しくお願い致します。

明日は本日の東濃支部での武勇伝と素晴らしい出会いについて書きますので乞うご期待を。

今朝お墓参りの時に思った疑問について書きます

妙応寺の参道を歩いていて疑問に思った事なのですが、いつもは当たり前に通っている国道21号線及び東海道本線の下にトンネルが2つあるのですが、このトンネル2つは元々が山だったからトンネルにしたのかわざわざ土盛りをして敢えてトンネルにしたかと言う疑問です。と言うのは妙応寺は室町時代から続く曹洞宗の別格本山ですから山門の目の前に小高い土盛りがあるのは不自然だし、かといってわざわざ土盛りをして道や鉄道を作るのも変だしと全く唐突に悩んでいるのです。もし、土盛りをしてトンネルを作ったとすると当時の寺の方丈やそれに関わる方々が良く理解したなと思うからです。私が本部施設の新館を増築した時に本館と新館を結ぶ通路が川の上を通ると言うだけでも難しかったからです。しかも、妙応寺の場合はトンネルからお寺を見るわけだから景観にも問題があるし難しい問題だったのではないかと一人考えていたのです。多分その時代での都合もあったのでしょう。私は今の有り様しか知らないので何の違和感も持たないのですが、出来た当時の人達にはかなりの違和感があったと思います。

※昨日から極端に行数が減った事にリピーターの皆さんはお気付きになられていると思います。今の私には時間的に限界であると共に言いたい事を端的に書くのも悪くないと考えたからですのでご了解下さい。

自分が心に決めたなら 自分で守り続けなきゃ

令和5年10月31日

今回も大谷徹弉師の言葉なのですが、昨日の会話の中で「昨年の6月から仏間でのお参りと我が家のお墓へのお参りを出張で泊まりになった日以外は雨が降ろうが雪が降ろうが4時25分のアラームでの行動開始で続けている。」との話をしていたのですが、そんな話をしている時に「高校1年の冬までは霜焼けに苦労した。」とも話をしていて、「どうして高校2年から今まで一切霜焼けにはならない。」との話をしていた時に「どうして高校2年からは霜焼けがなくなったか」を私自身で考えてみたら、高校2年の夏休みから四国八十八箇所の歩き団参に行く様になり、血の循環は良くなって霜焼けが出来なくなった様に思います。但し、「お大師さんのお陰」とか「ご利益を頂いた」との考え方もあります。そして今は毎朝仏間でのお参りとお墓参りをやりきっているので「風邪さえひかない」と言う事です。勿論体を丈夫にしていただいたからこその連続記録だと思いますし、コラムについても4年は毎日掲載出来ています。この事は毎日刺激的な生活が送れているからだとも思います。表題の様に出来るのも毎日頑張れているのも健康であればこそ。リピーターの皆さんやはり「神仏のご加護だとも思います。少し体がだるく熱があるようにも思いますが体を温めて早くに寝て明日も頑張りますので応援宜しくお願い致します。

気にしても苦にするな

令和5年10月30日

いつもの奈良薬師寺の大谷徹弉師の妙応寺の日めくりカレンダーの言葉なのですが、今までにも何度もこの言葉を目にしてきて、いつも思っていたのは「そんなこと言っても無理じゃ。だって苦になる事はどうしようもないじゃろが。」と心の中でつぶやいていたのですが、本日の感じ方は「苦にしても解決出来ない事はある。だから努力して解決するしかないのだから、気にしてアクションを起こし続けるしかない。」と思ったのです。つまり「苦にしても何の解決にもならない。アクションあるのみ。今までもそうやって苦難を乗り越えてきたのだから」と・・・。どうしてこの様な感情が湧いてきたのかと言うと、澄みきった空気の基、神々しいお月様が私を見つめていて下さったからだと思っています。六地蔵さんの前掛けと帽子が新しくなったし、昨夜は凄く眠くて早くに眠りについて夜中に目が覚めてから色んな事を考えていて、私がすべき事を整理出来た事も一因だと思います。

① ② ③

本日は親不知の治療の為に9時の予約で歯科医に行く為に早く家を出て、受付を8時30分にはしたいと思っていたのですが、国道を右折する所でずらっと並んでいたのでなかなか進まず、結局病院に着いたのは8時40分で家からマスクをせずにきたので、車にあったマスクをして息せき切って受付に行くと「紹介状をお持ちの方は1番の窓口です。」と言う事で、並ぶ事無く手続きが出来て「何とか9時には間に合う」と思っていたら「マイカードをお持ちなら手続きをして下さい」と言われたので「時間が無いのですが」と言うと「簡単に出来ますので」と言われたので仕方なくマイカードが出来る機械の所に行くと何回かボタンの操作をしなくては行けなくて「何が簡単じゃ」とイライラしながら操作をして何とか歯科のある2階に行き受付をすると「先ずは血圧を計って下さい。」と言われたので若干9時を回っていましたが『受け付けて頂けた』と一安心しながら血圧を計ると急いで来た為か『150-90』と高めの数値が出たので「息が整っていなかったからだと思います。と話して、そうこうしていると先生に呼ばれたので先生の前で座るなり「前回の予約を無断で来なかったのは駄目ですよ」と言われたので素直に謝ると共に、私の仕事の状況で緊急な用事が入った為にバタバタしてしまい、連絡も出来なかった事をしっかり謝ると、「大変な仕事をなさっておられるのですね」と逆に慰めて頂きました。結局先生とお話をして、今痛みがないのであれば全国大会岐阜大会が終わってから、親不知の抜歯をする事で了解を得ました。歯医者を終えて和合の施設に行き、午後からは全国大会岐阜大会の打ち合わせ等々で本部施設で落ち着いたのは17時過ぎで、待ち時間にガラケーの携帯でコラムを少しづつ打っていたので今18時10分で本日のやるべき事が終了しました。本当はじっくりとした仕事がしたいのですが今は無理な様です。リピーターの皆さん、こんな私ですが宜しくお願いします。

 

東の空より西の空が明るいです

5時10分にお墓参りの為に家を出たのですが、2つの事を思いました。

1つ目には「寒いな」と言う事で、2つ目は歩きだして気が付いたのですがタイトルの通り「東の空より西の空が明るいです」と言う事です。その現象は夜明け前で月の明かりが半端なく明るかったと言う事です。

特に今の時期は空気に透明感がある為なのか本当に綺麗でした。この様な事を若い時には感じませんでしたが今は・・。いやいや感性が豊かになったんだと思うのですが、リピーターの皆さんはどう思われますか。

妙応寺の六地蔵さんの前掛けと帽子が新しいのに替わっていました。私は自分では作る事が出来ないので気にはなっていたので新しくなっていて良かったと思いました。当然六地蔵様ですから6対作らなければいけないので、大変な労力だったと思いますので本当に有難い事だと思いました。

滋賀県の方から伊吹山文化資料館で旧徳山村の紹介を増山たづ子さんの写真を中心に開催されていると聞いていたので、午前中は和合でのカラオケを終えてから本部施設に移動して、昼食をとり終えた頃に家族会の吉田会長さんが家族会主催の誕生会におみえになり、誕生会が終わった後お見送りをしてから、米原市伊吹山文化資料館に行きました。

本部施設からはそれ程遠くはない所にあるのですが、行った事が無かったのでナビを頼りにして行ったのですが迷うことなくナビに案内して貰いました。

敷地の中には車が1台しか停まっていなかったので「開館しているのか」と怪訝な思いで入って行ったのですが、受付の窓口に人がみえたので「徳山展を見に来ましたが大丈夫ですか。」と言うと「2階に展示してありますが1階にも素晴らしいものが展示してあるので見て下さい。と言われたので、私が一番聞きたかった事を聞く事にしました。

「どうしてこの地で徳山村の紹介がされているのですか」と聞くと「私はダムで沈む前に考古学の調査で入らせて貰って関りを持ったので」と言われたので「私は26歳の時に増山たづ子さんの民宿で5カ月間居候をいていたので、私の方が時代的には早いですかね」と話をしてから館内を見て回りました。

先ずは1階を見て昔懐かしいものが一杯有り「私が小学生の時に持参した豆炭アンカがあったので「確かに今はそんな物を見る事は無くなったな。」と思った時に思い出したのは大学時代に郷土研究の会と言うサークルの顧問だった祝(はふり)宮静先生が言われた「1年に1回同じ場所で撮影をし続けて30年やり続けたら立派な研究になりますよ。」と言われたのを思い出しました。

感傷に浸りながら2階に行くと増山たづ子の天真爛漫な顔を見る事が出来、亡くなっても未だ健在と言うのは素晴らしい事だと思いながら一点一点見させて頂きました。

作品を見ていると26歳の頃の事が蘇ってきてなかなかその場を動く事が出来ませんでした。考えてみたら44年も前の事なので私にとっても若き日の良き思い出。

そう言えば増山たづ子さんの民宿から近い所でお世話になった近所の方が、女優志望だった娘さんと私を一緒にしようとされていたけど娘さんには相手にされなかったけど今、彼女はどうしているのか等と思っていると楽しい気分にもなりました。

リピーターの皆さん、太平楽な事を言っているのですがこれからも宜しくお願いします。

 

先ずは訂正とお詫びから

令和5年10月28日

先般のコラムで「歯医者に行くのを忘れてしまう程に忙しくて」的な事を書いたと思うのですが、事実は少し違っていたのでお詫びをして訂正をします。(私ってそんなに律儀な性格だったかな)実は歯医者の予約がしてあった10月24日は午後からは東京への出張はわかっていたのですが、歯医者の予約は9時だったので 十分に間に合う予定を立てていたのです。ところが、夜中にガラケー携帯の全く反応しない事件があり、スケジュール管理はガラケー携帯に入っているので見れないし、それどころか東京出張の時にいつものガラケー携帯が使えない時の状況を考えると大パニックで・・・。

とにかく、ドコモショップが開店する10時までにお店に着いて治して貰う事しか頭には無かったです。ガラケー携帯が動かなかった原因が充電器の劣化とわかり安心したところで本部施設に戻り早めの昼食をとり、余裕綽々で車に乗り岐阜羽島に向けて走りだししばらくしてから「議員の先生との写真を撮る為のデジカメを忘れた。」と言う事で本部施設に「車を停めて待っているのでデジカメを大至急持って来て。」と 連絡をして、急いで持って来てくれたデジカメを受け取り、これまた急いで再び岐阜羽島に向けて走り出して考えてみたら最悪予定していた次の列車でもギリギリだと言う事については以前書いた通りです。昨日スケジュールの確認をして抜けはないかと確認して歯医者の予約が抜けていた事に気が付いたのが全てです。新たな予約は昨日31日9時からでとれたので一件落着。

さて、本日は午前中は和合1階の皆さんとお経を唱えて、その後は本部施設に移動して午後からのハロウィンの確認と職員と入居者さんの出で立ちを確認して思った事は新しく購入したドレスとドン・キホーテで購入したかつらだけでは全く目立たない事を理解してのハロウィンにしなければ職員に軍配が渡る事になる。「う~ん。今年は職員に軍配が上がりそうだと思った次第です。いつまでも同じような内容ではインパクトがない。新しい職員の知恵も借りながらより良いものにしていきますのでリピーターの皆さんもがんばっ知恵をかして下さい。

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自分の事は後回しと言うか、忘れてしまうことが多いです。

令和5年10月27日

今はお墓参りを終えてお風呂に浸かりながら予定の確認をしていて気が付いた事があります。それは、11月の予定の確認をしてから10月の予定(過去の事を「予定」と言うのは変ですが)を見ていて、10月24日の午前中に親不知の抜歯の為の予約がしてあったのですが、24日は東京への出張があり「15時までに議員会館に着いていれば大丈夫だから、9時の予約なら大丈夫」と考えて予約の変更をしなくて24日のスケジュールは文字通り「予定は未定で決定ではない。」を地で行くような展開で午前中は目が回る様な時間が過ぎ、予定していた新幹線には乗れず、次の列車にも飛び乗る様な事態になり、午前中に歯科の予約が入っている事すら忘れていました。忘れてしまったもう一つの理由は、地元の歯科医院での応急処置で痛みが取れていたこともあったのですが・・・。お風呂の中の確認で予約していた事を完全に失念していたので改めて「自分の事は最後になるな」と思った次第です。

話題は変わって、週刊現代の記事【シリーズ 情熱の時代 第19回 東京ディズニーランド開園 1983年「夢と魔法の王国」がやってきた】を見て、考え深いものがあったので書く事にします。考え深い意味について先に書きます。(たいした理由では無いのですが。)実は私が結婚式を挙げたのは1983年5月で、結婚式前の日本の状況はディズニーランドが開園するとの情報が氾濫していた時期と重なります。と言う事で結婚式(5月26日)を終えた後は名古屋に泊まりました。と言うのは結婚式の日の夜に吉田拓郎のコンサートがあったからです。(その頃の私はこよなく吉田拓郎のファンでしたから)そして翌日には成田空港からハワイに飛び29日の日に日本に帰って来て、30日には開演間もない東京ディズニーランドに行きました。ディズニーランドに行ったのは月曜日だったので空いていると考えていたのですが、どういう訳か神奈川県の学校が振替で休みと言う事で大賑わい。と言う記憶しかありません。つまり、開園間もない東京ディズニーランドに行ったと言うご縁が言いたかっただけです。

週刊現代の記事に基づいて話を進めます。先ずは広大な土地を手に入れる為に元々「浦安」は漁師の町だったと言う事で、漁師の人たちとの土地の交渉と漁業権の問題を解決するのには想像もつかないくらいの苦労があったと思います。また、ディズニー社との交渉にも色んな配慮があったとも書いてありました。私は開園して40年も経過すれば飽きられても仕方がないと思うのですが「40年を経てもなお夢と魔法の王国は進化する」との見出しを見て、『現状維持では、後退するばかりである』と言ったウォルトディズニーの思想により常に進化を追求してきたからこそ、多くのリピーターを獲得したとの結びの文章には大きく納得した次第です。

朝のお墓参りを済ませて家の中に入ると

令和5年10月26日

家に入ると体に温かさを感じました。「これが正に幸せ」と言う事だと思います。ウクライナでのロシアの侵攻によって、電気がない或いは燃料が思うように手に入らない状況で寒い冬を迎えられるのは大変な事だと思います。日本が戦火に怯えた時代を私は戦後生まれですからわかりません。終戦から78年が経過して「日本人は平和ボケしている。」と言われたりします。空襲警報が鳴り響き怯えながら耐え忍ぶ毎日等想像もしたくありません。そう言う意味では4時25分のアラームで起きて仏間でのお参りと妙応寺経由のお墓参りが出来るのは幸せな事だと思います。

昨年の6月から出張で家を不在にしていた時以外は毎朝2500歩を歩き大きな声で般若心経を唱える様になってからは風邪もひかないで要られる事にも感謝です。話はガラッと変わりますが、今朝の新聞の1面トップ記事には驚きました。大見出しに『性別変更の手術用件「違憲」』『生殖能力巡り最高裁』『特例法で初、国は見直しへ』具体的な内容としては『性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更する場合、生殖能力をなくす手術を事実上求める性同一性障害特例法の規定(生殖能力要件)が憲法に反するかどうかが争われた家事審判で、最高裁大法廷は25日、規定を違憲、無効とする決定を出した。最高裁による法令の違憲判断は12例目となり、特例法では初めて。』その理由として『生殖能力要件について、医療の進歩により、現在では手術の必要がない人にも性別変更に当たって手術をするか、性別変更断念かの過酷な二者択一を迫っていると指摘。憲法13条が保障する「意思に反して身体への侵襲受けない自由」への制約は重大だと判断した。

裁判官15人全員一致の意見。卵巣や精巣の除去といった生殖能力要件に関し、最高裁が2019年に「現時点で合憲」とした結論を、社会情勢の変化などを踏まえ変更した。国は要件の見直しを迫られ、当事者には手術を経ない性別変更に道が開かれる。』との記事を読み、最近富に『多様性』なる言葉が使われ「何でもOK」的な発想があるように思う。確かに色んな考え方があって当然で、全ての人が満足できる解答があるとは思えない。但し、記事の中で『社会情勢の変化などを踏まえ変更した』との文面に「私は正直なところ正直社会情勢の変化なるものについていけない」と思っています。リピーターの皆さんの中には「何を言っているのか」とのお叱りを覚悟の上での発言であります。

岐阜県庁の新庁舎建設のユニバーサルデザインの検討会でも参加させて頂いた時にも、多様性を考えた時にトイレの表示をどの様にすべきかの話し合いもされました。この問題に対しての知識をさほど持ち合わせていない私ですが、男性から女性への性転換手術を日本で一番に受けられたカルセールマキさんはのお気持ちを聞いてみたい気持ちだけは持っています。正直炎上しかねない問題でしたが、これからも色んな形で討論されるのでしょうが私は見守りながらコメントしていきたいと考えています。

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