防災についての私見を述べます

令和5年7月12日

『防災』と言うのは単に自然災害だけではありません。感染症についても『災害』と捉えなければなりません。なぜならば、常日頃から心掛ける事によって被害を最小限にする事が出来ると思うからです。最初に『自然災害』について述べる事にします。最近も雨による土砂崩れや川の氾濫が北九州を中心に起きた時にテレビ等の報道では「何十年に1回の豪雨」と言われています。しかしながらこの言葉を毎年の様に聞きますし、雨についての言葉として『線状降水帯』と言う言葉も聞きなれた言葉となりました。

これは日本を取り巻く自然環境が厳しい状況に置かれていると言う事です。と言う事は今までは線状降水帯の中に入る事が無かっただけでいつ起きてもおかしく無いのです。当法人の本部施設が建っている所の本館の整地をして頂いた時に土を掘り返している時に大きな流木と思われるものが出てきました。その当時、施設の近所の長老の方が毎日の様に建設現場の様子を見に来られていて、その方から「あの流木は伊勢湾台風(1959年)の時に流れてきたものだと思う。

あの時はいつもほんの少ししか流れていない川が溢れていたから。一時水はあるぞ」と教えて頂いたものです。伊勢湾台風と言えば60年以上前の事。だとすると今年にでも起きても不思議ではないと言う事です。勿論起きない方が良いに決まっています。もう一つ自然災害で忘れていけないのは『地震対策』です。何故ならば、日本は元々『地震大国』であり地震を引き起こす地震プレートの上にあると言っても過言ではないからです。施設の建物は『震度7』までは大丈夫な建築工法になっているとは言え実際に起きた時には何が起きるか分からないのです。

最近聞いた話として「震度5でも成すすべがなかった。」と言われました。「備えあれば患いなし」の為に本部施設では「防災備蓄倉庫」を所有して食料品と水については1週間分を準備して、炊き出しが出来る様に大きな寸胴と大鍋と大釜も揃えていますが実際に大きな災害が来た時に対応出来るかは甚だ疑問なので今後は防災の専門家であるびわこ学院大学教授の烏野先生に本腰を入れて訓練を重ねなければいけないと考えています。『感染症』についてはこの3年のコロナ感染症対策において実際に経験して来て『手洗い』『うがい』『手指消毒』『マスクの徹底』が成されてきて、インフルエンザの罹患が極端に減った事実があったにも関わらず、最近はインフルエンザによる学級閉鎖等を耳にする事も度々です。

また5月8日にコロナ感染症が2類から5類になり、観光地にも賑わいが戻ってきて経済効果は出ている状況ではありますがコロナ感染症が9波に突入したとも言われています。「喉元過ぎれば」ではなく、感染症対策は平穏な暮らしに戻ってもしっかりとしていかなければいけない事だと考えています。リピーターの皆さんも『防災』についてはお互いに留意していきましょう。

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「清流の国ぎふ」文化祭2024実行委員会 第2回総会に参加しました

令和5年7月11日

岐阜県庁舎1階「ミナモホール」において、「清流のぎふ」文化祭2024実行委員会第2回総会が14時から開催されました。岐阜県をあげてのイベントで、岐阜県42市町村や各種団体の代表者が集まっての総会なので、多くの参加者が予想され、20分前には駐車場に着いたのですが一番奥の駐車場しか空いていなくて、会場に行くので結構な距離がありました。

今朝未明の3時54分に、宿直者から看取りの入居者さんが心臓停止の状況だとの連絡があったので嘱託医の先生に連絡をとると、「6時には施設に行きます。」との返事を頂いたので(30分は早く見える事があるので)「5時30分には施設に行かなければいけないので、いつもの様に4時25分に起きて仏壇と神棚のお水替えをした後、お経は唱えれるけどもお墓参りは出来ないな」と考えて、その通りに行動して施設に行くと、5時25分で私が施設に着いてどれだけもしないうちに先生が来て下さいました。

私は遠い駐車場から歩きながら思ったのは「お墓参りで歩かなかった分の帳尻が出来たな」とにんまりしたものです。(事実、今コラムを打ちながら確認すると5233歩で、いつもより多い位です。)ミナモホール前の受付は混雑していましたが、何とかして頂き座席は団体のエリア別になっていて入り口を入って行くと案内をして下さる方だいて、案内されると通路を挟んだ隣は県議会議員席である前から3列目に案内して頂けました。(恐れ多いことです。)

ぎふチャンのアナウンサーの進行で、最初に実行委員会会長である古田知事が挨拶をされたのに引き続き、総会に議事提案と承認がされてから、「いしかわ百万石文化祭2023」PR映像の上映があり、次に応援大使の委嘱状が古田知事から俳優の竹下景子氏、俳優の紺野美沙子氏、俳優の伊藤英明し、義足のダンサー大前光市氏に手渡され、次に県民運動の発表を総合プロデューサーの日比野克彦氏(岐阜県美術館館長・東京藝術大学学長)がされたあと、日比野克彦氏の進行で応援大使トークセッションを~「清流の国ぎふ」文化祭2024に向けて~が行われました。

トークセッションは、流石に皆さん経験豊富な方々なので話題が豊富で、楽しい時間となりました。トークセッションのメンバーが岐阜県所縁の方々だと言う事で、実行委員会に参加させて貰って誇りに思いました。

全国老人福祉施設協議会主催の全国大会が岐阜の地で本年11月29日、30日に実施されるのにも参考にさせて頂きたいと思います。但し、決して岐阜県に対抗しているつもりはありませんのでリピーターの皆さん「そこの所は宜しく。」

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これを不思議と言わずに何を不思議と言うのか

令和5年7月10日

先月28日の東福寺での護摩供養が終わり自分の車に乗ろうとした瞬間にポツポツ雨が落ちてきたので慌てて車に乗ってホッとした瞬間に強い雨が降ってきました。助手席に乗った水野副施設長も同じ事を感じた様で私が車を走らせながらひとしきりその事を話題にしたのを覚えています。そして昨日は妙応寺駐車場内の幸福地蔵菩薩の前掛けを新しいのに換える為に(今までの前掛けに比べると写真で見比べて貰えばお分かりの様にかなり大きな前掛けです。)

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水野相談員を連れて行った時(換えるのは水野相談員がしてくれたので私は見ているだけだったのですが)にも、前掛けを新しくしたので車に乗ろうとした時に激しく降ってきてこの時も2人共々「不思議なタイミングだ。」と思った次第です。これを単なる偶然と言わず『み仏のご加護』と思ってはいかんのでしょうか。この様な不思議は意外にあるものだと私は思っています。人生最大の不思議はやはり大学生の時に四国遍路歩き団参の時に70人位の集団で歩いていて、私は大抵最後尾を任される事が多くてその時も最後尾を歩いていると、ぼろぼろの法衣を着ているお坊さんが私に向かって「次に行くお寺では生水を飲んだらいけない。」と言われたので、私はその事を先頭を歩いている先達の方に伝えなければいけないと思い全力で走って伝えに行きました。(その当時は携帯電話等と言うものは無い時代なので走って伝えるしか無かったのです。)先達の方は「お寺に着いたら確認してみる。」と言われお寺について確認したらその通りだったのですが、お寺の方から「その通りなんだけどどうしてその事を知ったのか」と不思議そうな顔をされたのですが、後から先達の方に聞いた話として「若山さんに教えて下さった方こそお大師様だ。」と言われて「なるほど」と思いその後可能性がある所を探したのですが「それらしき人すら見かけなかった。」と言う事で益々不可思議な話しでした。その他にも四国の遍路をしていると不可思議な事が沢山おきます。でもよくよく考えてみると、色んな体験を四国遍路の最中はさせて頂くのであって当然なのかも知れません。そう言えば高野山真言宗の静慈圓前官大僧正と年に1日とは言えお会いして(今年の場合は8月21日)親しくさせて頂けるのも不可思議な話ですが、リピーターの皆さんこれは事実ですから。

 

びっくりです‼️

朝のお墓参りに家を出た時に「雨が降りそうだけど傘はどうしようか。」と一瞬迷ったのですが「ままよ?」と傘を持たずに家を出ました。

歩きだして2つ目の橋に来て「川の水の勢いが強くてまっ茶色だ。夜中に結構降ったのか」と思いながら歩いて行くと「ぽつぽつ」と雨が降って来たのでいつも以上に急いでお参りをする事にしました。(決して手抜きはしていませんよ。)

いつもよりも早くにお参りができた為か、6時の町報が鳴るまでに若山家のお墓でのお経も終えて我が家に向けて歩きだそうとしたら、お墓よりもう少し行った所に椎茸栽培をしている工場があるのですが、そこの従業員の地元の方が代車を押しながら歩いてみえたので朝の挨拶をすると「ようさん降ったな。」と言われたので「私はしっかり寝ていたので何時頃に降ったのですか。」とお聞きすると「新聞配達をしている時が凄かった。」と言われたので「新聞配達もされているのですか。ちなみにそれは何時頃の事ですか。」と投げかけると「3時頃や。道が川の様に流れていたぞ。本当に凄かった。」と答えて頂いて、立ち話を終えて家に向かって歩きながら「3時頃はしっかり寝ていたんやな。確かに川の流れと水の色を見たら納得やな。と思いながら、歩いて帰り雨も止んだので川の写真を4ヵ所撮りました。4ヵ所撮った場所を説明します。

1つ目の写真は妙応寺本堂からの参道でトンネル(私達はマンボウと言っていますが)2つを通って幸福地蔵菩薩様のある駐車場に行くまでの所です。

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2つ目の写真はお墓参りに行く時に「凄く降ったんだ。」と自覚した我が家から2つ目の橋の所から撮ったものです。

一つ目の写真も二つ目の写真も水かさがいつもより遥かにある事がわかります。

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3つ目の写真は我が家の西を走っている側です。つまり我が家から一つ目の橋から撮ったものなのですが、リピーターの皆さん川の水の色が綺麗だと思いませんか。この現象は川の源流までの距離が短くて山肌を削る事が無かったからだと思うのですが。この考え方が違っていたらごめんなさい。

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川の水の色を比較する為に敢えて4つ目の写真を撮る為に我が家の西側を歩いて写真を撮りました。

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リピーターの皆さん間違いなく水の色が違うでしょ。私は写真を撮りながら小さい頃の事を思い出していました。

私が中学校を卒業するまでは学校にプールが無かったので、我が家の西を流れている上流でどっぷりとした比較的広い所で泳いでいたと言うよりは水遊びをしていたな。そして、写真を撮った川では手つかみで魚獲りを良くしたな。と昔の事を懐かしんでいます。

川の水を見ただけでこれだけの事を思い出して懐かしむのはリピーターの皆さん歳のせいですかね。

いやいやまだまだやらなければいけない事が山積です。リピーターの皆さんからの咤激励を宜しくお願い致します。

手の甲ばかりを蚊が刺します

令和5年7月8日

朝のお墓参りの時に最近は蚊の集中攻撃を受けています。六地蔵様の所で湯飲みの水換え等をしている時は凄いです。その時に蚊が一番に停まるのが何故か手の甲なのです。確かに半袖のTシャツの下に長袖のパジャマを着ているので(どちらにしても汗をかき着替えるので出掛ける時にパジャマの上にTシャツを着ているのです。)パジャマの上からは刺し難い事もあるのでしょうが手の甲を刺されるのです。

水替えをしていて「痒い」と思った時には「時、既に遅し」で手を振って蚊を追い払うと離れるのですがその時には猛烈に痒さを覚えます。「どうして同じ所を刺すのか」としみじみ自分の手の甲を見て理解しました。と言うのは手の甲だけは唯一血管が浮き出ているのです。

身長は変わらず体重だけが倍になった事により(「とほほ」と言う感じですが)色んなところの血管が見えなくなっていると言う事は蚊が針を刺しても血管にまで達しないのかも知れません。(実に情けない話です。)点滴を打って貰う時に腕では血管が見つからず唯一血管が見えている手の甲に針を刺されるのかと思うと考えただけで痛さに卒倒してしまうのではないかと今から心配しています。

岐阜県らしさを出す為に。

全国老人福祉施設協議会主催の全国大会が11月29日~30日に当県が担当で岐阜国際会議場と都ホテルで開催されるのですが「岐阜県らしさ」を出す為に色んなアイディアを出さなければと役員が色んな知恵を出し合っています。先ずは資料の表紙には岐阜を代表するものをコンパクトに入れていきたいと言う事で『岐阜城』『鵜飼』『白川郷』『郡上踊り』『高山祭』『飛騨古川の起し太鼓』等々岐阜県が誇るべきものは沢山あります。

また記念講演も講演をして頂きたい方が岐阜県には沢山おみえになります。但し、高齢者施設の役職員にとっても聞きやすいものになる様にする為の選定には迷うところです。また、娯楽的要素の部分も入れる為の計画も立てなければいけないのでなかなか骨の折れる検討が必要です。全国から岐阜県に来て頂く以上は「岐阜に来て良かった。」と思ってそれぞれの地に帰られてからも頑張って仕事をして貰える様にしなければいけないと思っています。

リピーターの皆さん2千人の大会ですのでこれからもたまにはその報告をこのコラムでしていきますので宜しくお付き合い下さい。

 

日本は完全に亜熱帯圏域になったのかな

令和5年7月7日

今は梅雨の気候だと思いますが、本日は「梅雨の晴れ間」と言う事なのでしょうか。朝から天気が良く暑いです。夜になると雨が降って来るようですが、最近の雨は「しとしと雨」では無くて豪雨になる事がしばしばです。と言うか「線状降水帯」と言う言葉を最近はよく聞くようになりましたのでパソコンで情報収集すると、2014年の広島県の集中豪雨からよく使われる様になったと書いてありました。勿論それ以前にも同じような事は有ったのですが、今は常態化しているので度々耳にする事が多くなったのだと思います。しばしば豪雨がくると言うのは「熱帯雨林」をイメージしてしまうのは私だけでしょうか。そう言えば先般北海道の方と話をしていたら「梅雨がない北海道でも梅雨の様な気候がみられる」と言われていましたっけ。

8時15分からウェブ会議をしました。

朝一の会議になったのは、私自身が10時30分から岐阜県福祉会館において会議があり、ウェブ会議の相手の方との予定がその時間しか取れなかったからです。ウェブ会議をした相手は大阪に本社があるトラピと言う経営コンサルタントの会社です。トラピからは3人の方が参加されたのですが東京、大阪、福岡からそれぞれの参加です。(今はその様な仕事が出来る時代なんだと、つくづく「昭和おじさん」は感心しています。)トラピとは、私が全国老人福祉施設協議会副会長をしていた時に、デイサービス部会の担当副会長だったので、トラピのデイサービス事業者に対する経営相談業務が成果を上げている事に目を付け、先月6月にデイサービスセンター「えりかの里」と1年間の契約を結び、1カ月間職員の動きであったり、一日の動きであったり、周辺の状況を把握して貰ったりして、第1回のウェブ会議を本日持った次第です。

トラピの3人の方は三者三葉の立場で話をして頂き「流石に相談業務でお金をとるだけの価値はある。」と思ったので、私は理事長として最後にお願いしたのは「私はいわゆるエビデンスに基づいての手法では無くて、感性で対応してきた様に思いますが、数字的根拠や実践分析の中でのアドバイスについて正直「いらっ」とする様な内容もありましたが、私はそこに期待をしていますので、どんどん耳の痛い事も指摘して貰いながら、やるべき事をどんどん実践してデイサービスの経営を盤石にしていきたい。私が協力できる事はさせて貰いながら「今日一日楽しかった」の事業所となる様にしていきますので、リピーターの皆さんも良きご助言を宜しくお願い致します。

コロナ感染症9波到来と言われています

令和5年7月6日

新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、季節性インフルエンザなどと同じ「5類」にされてから2カ月が経過したが感染者の数は緩やかに増加し、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長だった尾身茂氏も「第9波が始まっている可能性がある。」との発言があった。当施設の様な高齢者施設においては、なかなか感染症が2類から5類になったからと言って、「すべての事を緩和する。」と言う訳には行きません。

第9波の傾向は10代の若者の感染が多い傾向があるそうですが、若者と言う事は同居している家族がおみえになると言う事でいわゆる「家庭内感染」によって拡がる確率は大きいと言う事です。インフルエンザの様に季節によって猛威を振るうと言うのでは無くて、感染力は今だ衰えていないとなると全く油断することが出来ません。尚且つコロナの厄介さはインフルエンザのタミフルの様な絶対的治療薬が無いと言う事です。当施設においては家族等の面会にしても制約をしながらのものですし、イベント事にしても全員が揃って地域交流ホールに集まってのものは出来ていません。

新型の感染症は3年くらいで落ち着くのが定説でしたがコロナ感染症についてはどうも違うようです。とにかく「ウィズコロナ」でいく為にも当たり前の感染症対策として「うがい」「手洗い」「消毒」と「必要に応じた マスクの着用」をして感染症防止に努めながら「今日一日楽しかったよ」を職員一丸になって取り組んでいきますのでリピーターの皆さん高齢者施設の実態をご理解下さり今後とも宜しくお願い致します。

本日は岐阜県庁6階大会議室で17時から感染症対策策定会議が開催され医療代表、感染症専門の大学の先生、福祉施設代表の方々が集まり検討会が実施されました。これは、平時の内に対策を練って厳しい状況になった時に備えると言う意味で開催されました。沖縄県では既に厳しい状況になっている中で岐阜県の取り組み検討が開催されたのは意義深いものだと思いました。高齢者施設は個別化が言われてはいますがなかなかその対応は現実的に難しいので岐阜県を核にして医療との連携強化を図りながら対応していきたいと会議の中で意見を言わせて頂きながら思った次第です。

岐阜新聞の記事から

令和5年7月4日

「社会・総合」(19面)欄に大きな見出しで『子ども世帯 初の1000万割』『22年「老老介護」63%に上昇。』『家族介護者 女性が7割』が載っていました。これは、厚生労働省が4日に発表した2022年国民生活基礎調査結果の公表結果です。その中で【児童(18歳未満の未婚者)がいる世帯は991万7千で、初めて1千万世帯を下回った。全世帯に占める割合も、19年の前回の大規模調査から3.4ポイント低下し、18.3%と過去最低を更新。少子化の加速が改めて示された。】との記事を見て、1990年(平成2年)の「1.57ショック」を契機に、政府は、出生率の低下と子どもの数が減少にある事を問題として認識し、仕事と子育ての両立支援など、子どもを生み育てやすい環境づくりに向けての対策の検討を始めた。」そして、1994年に「エンゼルプラン」、1999年に「新エンゼルプラン」2004年には「子ども・子育て応援プラン」と立て続けに計画されていながら、右肩下がりに歯止めがかからない状況の中、30年以上の月日が流れているのは愕然としますが、本当に難しい問題なのだと思います。

高齢者に目を向けると【同居の家庭らによる介護では。介護を受ける人と世話をする人がともに65歳以上の「老老介護」が63.5%に達した。19年調査から3.8ポイント上昇。過去最高を更新した。高齢者世帯は1693万1千。全世帯に占める割合は、19年の前回の大規模調査から2.5ポイント上昇し31.2%だった。高齢化が進む中、単独世帯も1785万2千へ増えた。19年から4.1ポイント上がり32.9%を占めた。】との記事には間違いなく高齢者のみ世帯が増え、どちらかが無くなる事によって高齢者の単独世帯も加速度的に増えて行く事になる事がわかる。また介護に目を向けると【同居する家族の介護を担う「介護者」のうち、68.9%が女性だった。別居している家族の介護者の場合でも女性が71.1を占め、家族介護が女性に偏っている傾向が明らかになった。同居している家族を介護する時間を尋ねたところ、全体の19.0%が「ほとんど終日」と答えた。このうち、女性が74.5%だった。介護が必要な人の介護を主に誰が担っているかを聞いたところ、配偶者、子どもなど同居する家族や親族が全体の45.9%で、19年の前回調査より8.5ポイント減少した。一方、事業者と答えた人は15.7%で前回調査より3.6ポイント増えた。在宅で介護が必要な人がいる世帯のうち、核家族世帯が42.1%、単独世帯が30.7%を占めており、いずれも増加傾向にある。厚生労働省の担当者は「今後、事業者に介護を依頼する世帯はますます増えるだろう」と分析している。家族介護を巡っては、働きながら家族の介護を担う人の支援や介護離職防止が課題になっている。】との統計結果が出ているが、優・悠・邑では介護相談を受ける立場なので、介護現場においては当然の様にとらえている事についても、数字的根拠を示して制度政策に生かして行かなければいけないので、いわゆる「エビデンスの構築」が必要なのですが、当施設が担っている事の評価を上げて行く事によって、事業所の安定経営につなげていかなければいけないとも考えています。リピーターの皆さんますますの支援をお願いします。

4年振りに本部施設の職員懇親会があります

コロナ前は互助会主催の懇親会が夏場はボーリングを2ゲーム楽しんだ後、ビヤガーデンに場所を移しての実施と、冬場はしゃぶしゃぶであったり焼肉であったりの飲み会をしていたのですが出来なくて、料亭で作って貰ったお弁当を配ったり、バームクーヘンを持って帰って貰ったりしていたのですが、ようやく本日互助会による飲み会を養老の焼肉街道のお店で実施します。

正直私は経営者の立場なので互助会の一員にはなれないのでご招待と言う形で参加させて頂きます。(勿論、御祝儀は持参しますよ)正直私は焼肉があまりお勧めではないのですが、招待を受ける側が我儘を言う事は出来ませんので焼肉のご招待に喜んで参加させて頂き海鮮や野菜を中心に少しは肉も頂きながら楽しみたいと思っています。但し、4年前までの飲み会ではお酒を注ぎに来てくれた職員が注いでくれたお酒にしてもビールにしても喜んで頂いていたのですが、「ビールは1杯で後は麦焼酎をロックで」と決めているので職員からビールやお酒を注いで貰う事は出来ませんがコミュニケーションはしっかりとっていきたいと考えています。

ところで本部施設職員が全員参加してしまうと、特養の本来の業務が出来ないので2回に分けての企画なので来週の水曜日(12日)にも同じメニューで実施されますので、8日後にも参加させて頂きます。5月8日にコロナ感染症が2類から5類に変わり、飲み会についても少しずつ緩和されて来ましたが職員の健康管理をしっかりした上での飲み会ですので、優・悠・邑職員互助会の一角での会食になる配慮はしっかりとしていきたいと思います。

緩和された事によりマスクの着用も自己責任になった影響でしょうか先日6月30日~7月1日に高山への出張に行かせて頂いた時に『特急飛騨』での移動になって思ったのは「殆どの乗客が外国の方だ。しかも、殆どマスクをされていないな。」と言う事でした。私も外を歩く時にはマスクを外していますが列車の車内ではしっかりマスクをしているのですが。これは、コロナ感染症が2類が5類になったから無しでよいと言う事では無くて、インフルエンザ対策にもなり、風邪対策にもなる事だと思います。勿論予防にはマスクの他にもうがい、手洗いも欠かせません。と共に元気な身体を維持する事も大切だと思います。と考えていてふと思ったのは、昨年6月から外泊した時以外は朝の仏間でのお参りと妙応寺、今須稲荷経由のお墓参りを欠かさずにする様になってからは風邪さえひかなくなった事に気が付きました。リピーターの皆さん私は元気な身体に感謝です。お互いに健康には留意したいものです。

大谷翔平が弱音を吐かないのは「中村天風」の言葉があったから

令和5年7月3日

週刊現代7月1日・8日号の特集が「大谷翔平」で、最初からの記事はカラー特集だったのですが、それ以上に私が興味を持ったのは(勿論、カラー特集での大谷翔平の歩みも良かったのですが)、カラー特集の次に掲載されていた表題の通りの記事でした。私は正直「中村天風」と言う人物の知識は全くありませんでした。中村天風の言葉に「私は力の結晶だ」「積極一貫」「虚心平気」の言葉が1ページ目にあり、2ページ目には大きく「私は力だ、だから何ものにも負けないのだ」とあり、小見出しに「大いに希望の火を燃やせ」とあり、具体的内容の中に「大谷翔平の強靭な精神力の源はどこにあるのか。

そのひとつが、花巻東高校時代の恩師・佐々木洋監督から勧められて熟読したという本『運命を拓く』にある。著書は昭和期の思想家中村天風(1876から1968年)だ。物事を悲観的に考えたりせず、つねに前向きでいることが幸福と成功への道である、と天風は教える。天風思想のキーワードは『積極精神』です。一度しかない人生を、積極的に明るく、朗らかに勇ましく生きれば、自分自身が潜在的に持っている力を最大限に発揮できる」と説いています。また「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事があっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」そして大谷翔平が花巻東高校時代に書いた目標達成シートには『プラス思考』『頭は冷静に心は熱く』『一喜一憂しない』とあり、大谷翔平が「無理だ」「できない」と弱音を吐かないのは、天風の言葉があったからと断言している。

天風の言葉の中には「欲を捨てろなんて、そんな消極的な、できないことは大嫌いだ。もっと人生は積極性を発揮して、大いに欲望の火を燃やせ」と説いています。この言葉の源は何なのかと思って次のページを開くと、大見出しに『肺結核で死に直面した後、秘法に出会った』とあり、私はつくづく逆境を乗り越えた人だからこそこの様な強い言葉を発する事が出来るのだと思いました。そう言えば滋賀信行会の初代会長である内藤欣峰先生も、結核になり四国遍路を決行されて『徳』を得られて滋賀信行会を開かれたと聞いています。中村天風先生との共通項がある様に思いました。

パソコンで『中村天風』を検索すると東郷平八郎、原敬、宇野千代、広岡達郎、松下幸之助、稲盛和夫、松岡修造、大谷翔平等々名だたる方が影響を受けられています。私はこの記事を読んだ時に昨年の1月2月頃に優・悠・邑 和(なごみ)の経営が芳しくなく一杯弱音を吐きました。私の考え方は基本的には『プラス思考』だと言われていますが、今回の中村天風の記事に巡り合い「お主まだまだじゃのう」と言われた気がしました。

リピーターの皆さん、これからは常にプラス思考で前を向いて行きたいとは考えていますが、もし弱音を吐くような事があったら咤激励をお願いします。

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