最近のテレビは面白い

ニュースや天気予報は見ることが多かったのですが「半沢直樹」以来一時間のドラマを見る事は殆んどなかったのですが、予告をバンバンしていたので「VIVANT」を見ることにしたのです。今は便利です。番組予約をすれば間違いなく空いた時間で見れば良いのですから。「VIVANT」は一回目から息つく暇なく見ることが出来ました。

そして、「VIVANT」の後番組の予告を見て「少し泥臭い番組だけれども見ても良いかな」と言う事で「下剋上球児」を録画予約をしました。そして、同じ日曜日の22時30分から「セクシー田中さん」と言う番組も予約して見てます。

と言う事で我が家でのリラックスタイムでは横になりつつ録画したのを見ています。全国大会が大成功の内に終わったのと、少し疲労感があったので 2日間は必要に応じて本部施設で明日岐阜県の施設監査の為に施設に行く以外はゆっくりと過ごして久し振りに「VIVANT」を見たのですが、ネタバレはしているにも関わらず見いってしまいます。

今、録画しているのはコミックを番組にしていると言うので奇想天外な展開なのですが気楽に見ることが出来ると言う意味では、リラックスが出来て助かっています。安上がりのリラクゼーションですが、次の日の鋭気を貰えて有り難いです。私が中学生の時には勉強に明け暮れながらテレビ番組の話題についていけないといけないので母親が代わりに番組を見て話題についていくと言う涙ぐましい事をしていたとの事ですが今は録画をして見られるのですることはないのでしょうが私は頼む母親はいませんし、そこまでの努力をするタイプではなかったので関係がない話題でしたか・・・。

良くわからない話題になりました。明日からは頑張りますので、今日まではお許し下さい。

体がだるいです

令和5年12月3日

全国大会が11月29日にあり、病み上がりにも関わらず三日間無理をしたので再び熱が上がって来ました。1500人からの参加で多くの役員や講師の方やイベントに来て下さった方々に失礼がないように頑張って三日間共に懇親会のを設定してお付き合いをしました。勿論私も無謀な事は出来ないのでお酒は一切飲まずに烏龍茶で頑張ったので内蔵がいかれる事はなかったと思うのですが、純粋に単なる風邪をひいた様で、38℃の熱と頭痛に悩まされています。今までの私だったら疲れだけで風邪をひく事はなかったと思うとこれからは無理をせず上手に休みを取りながらの生活にしていきたいと思います。明後日は岐阜県の施設監査があり、迷惑をかけるわけにもいかないので今夜はしっかりと寝て体調を整えたいと思います。リピーターの皆さんも寒い日が続きます、お互いに健康には留意していきましょう。

整体に行きました

令和5年12月2日

全国大会の前夜祭を入れて三日間は、大会長である私はスタッフとしての役割は有りませんでしたが、国際会議場と都ホテルの動線は長くて、しかも国際会議場は構造が難しく効率良く行けなかったりした事もあり、1日1万歩以上革靴で歩いていたので右足の甲が痛くなり、姿勢良く歩けなかった事もあり、本部施設の向かいにある整体に行きました。

先ずは身体中の凝りを確認して貰うと「身体中が凝っていますよ。」と言われたので、「しっかりほぐして下さい。特に右足は大変な状態ですので。」とお願いしました。施術をして貰っていて、不思議な事に気が付きました。それは右足よりも左足の方が痛いので、その事を正直に言うと「痛い方をかばうので、知らない内に変な歩き方になり反対の方に付加がかかるからだと思いますよ。」と言われてなるほどと思った次第です。

しっかりとほぐして頂いたので、明日からはバリバリと頑張りたいと思っています。

流石に本日はホッとして疲れが出てます

前日の準備から理事会、全国と岐阜県合同の実行委員会に引き続いての前夜祭。そして本番の2日間。大会が終了後は埼玉県で法人同士で交流しているところとの懇親会のがあり、本日も午前中に岐阜県初の盲養護老人ホームである優・悠・邑    和(なごみ)の見学と意見交換会を終え、本部施設に戻り書類の整理だけをさせて貰い家に帰らせて貰いました。家に帰ると昨日までの足が棒の様になった状態は緩和されていましたが身体中の疲れがどっと出て何も出来ないでいます。そんな中で大会ホストの責任者としての総括を頭の中で総括しています。先ずは参加者が1500人を越えた事には安堵してます。そして何より評価を受けたのは岐阜県のスタッフが元気な挨拶をしてくれた事に感謝です。「礼に始まり礼に終わる。」が実践出来た事は素晴らしかったと思います。本部施設に戻りパソコンでメールの確認をした時に全国老施協理事で大学の先生からお礼のメールを頂いていて全国老施協事務局の手配のまずさのご指摘はあったものの大会に対する評価には高いものを感じたのでここでも安堵しました。大会では岐阜県らしさも出せましたし充実感で一杯です。明日からは頭を切り替えて本業に徹したいと考えています。

全国大会最終日です。

令和5年11月30日

国際会議場と都ホテルはつながっているのですが結構歩く距離は長くてしかも構造が複雑で余分に歩く事になり歩数が増えて足に鉄下駄を履いている様な気分です。大会長として本日は何かしらの役割を担っているわけでは有りませんが8時前にはスタッフ控え室に行きスタッフの方々に今日が最終日なので参加者の方々に気持ち良い気分でお見送りをしたいと思いますので宜しくお願いします。と話をして、9時から全国老施協の大山会長と企業ブースを回る事になっていたので本部控え室に移動して大山会長と共に企業ブースで名刺交換をして、引き続き外国人紹介ブースに行き沢山の名刺交換が出来ました。12時過ぎにお弁当を食べてから全国老施協では初めてのランチョンセミナーの様子を見に行き、その後はスタッフの責任者に次回の大会の為に気付いた事をレポートするようにお願いをして、反省会と言う名の飲み会を企画するように話をして、岐阜県の流れ星が進行を勤める会場であるメイン会場に移動して15時からの大喜利に備えました。各会場の研修発表が終わってからの企画なので参加者が少なかったら嫌だなと思っていたのですが流石に一世を風靡したコンビだけあってそれなりに集まってくれてホッとしました。大喜利の前に流れ星の漫才を楽しんで全国から勇気ある4チームによる大喜利になり流れ星さんのテンポある進行で楽しく見させて頂きました。後は16時10分からのご当地プレゼント抽選会で全てが終了します。16時40分に全てが終了して全国老施協役員のお送りをしてから、参加者さんのお見送りをスタッフみんなが整列をして元気良くしました。全ての見送りをしてからスタッフを集めて大会長として労いの挨拶をして、大会が全て終了しました。本当にスタッフは良く頑張ってくれました。正直岐阜県の底力を示すことが出来ました。この事は感謝以外にありません。

15分の企画に岐阜県の役員が団結しました。

令和5年11月29日

本日から岐阜県大会が始まりました。入場受付が10時からだったのですが8時前に岐阜県スタッフの控え室に行き、スタッフに挨拶をしてから信長武将隊と岐阜県の役員とのリハーサルを本番が行われる舞台で行いました。

PXL_20231128_232120630 PXL_20231128_234939584

当初の計画では私の他にも甲冑と兜を4人が着ける予定だったのですが、「大将の若山会長が目立た無くなるので会長以外は足軽の衣装に変更すると武将隊の責任者の方の意見を取り入れ私だけが鎧兜を着ける事になってのリハーサルでした。役員の方に異論が出なくて30分のリハーサルで何とか様になり、13時30分からの本番に備えました。一旦控え室に戻った後、て9時45分に受付の所に参加者の受付状況を確認に行くと既に信長隊の信長さんが声を張り上げ受付への誘導をしていて、「いつもとは違う雰囲気の中で岐阜県らしさが出せた。」と思いました。

10時40分になり舞台の袖に行き開会式典に備えました。11時の定刻に開会式が始まり全国老施設協大会フォーラム委員長の菅原委員長の大会宣言、全国老施協の大山会長の挨拶に引き続き私が開催県の会長として挨拶をしました。事前に挨拶文は用意していたのですが、テンションが高くなり事前に用意した文に捕らわれずに挨拶をしました。結果的には自分らしい挨拶ぬなったと思っています。

12時10分に開会式が終了して、甲冑を着る控え室に行くと役員達は既に盛り上がっていて、私も昼食のお弁当を急いで食べたあと胴当てと兜以外の着付けをしてもらいました。

PXL_20231129_034431799.MP PXL_20231129_034349721.MP

13時20分に舞台の袖に移動して13時30分にアトラクションが始まりました。自分で言うのも何ですがリハーサルの時よりも上手く出来たし声も良く通ったと思います。たった15分のアトラクションでしたが岐阜県役員の絆はより強固になった様に思います。この様に出来たのも全国大会が成功りに行くようにまとまったお陰だと思っています。その結果として、1500人を越える参加があったからこそと思っています。

PXL_20231129_043546140 PXL_20231129_043529223 PXL_20231129_044148212 PXL_20231129_035320085

これ程天気予報に神経を使ったのは久し振りです

令和5年11月28日

何度かは「天気にして下さい。」と言う事はあったと思いますが、過去を振り返ってみてもこれ程に真剣に思っったのは、平成18年8月8日以来だと思っています。

平成18年8月8日と言うのは、私が全国老施協の役員として初めて東京本部(当時は日枝神社の近くでTBRビルの2階に有りました。)にその当時出来たばかりの総務委員会幹事として行く日でした。勿論東京に出張に行くと言うだけなら雨であっても問題はなかったのですが、前日から地元の中学生(関ヶ原中学と今須中学)総勢67人が体験学習で施設に泊まっていて、尚且つその日に施設の夏祭りを予定していたのです。(出張は急遽に決まったので変更は出来なかったのです。)8日の夜には台風が直撃するとの情報があったのです。

主催は関ヶ原町社協なので施設側は場所提供をしているだけとは言え施設の責任者が不在になり、何かしらの判断をしたり、トラブルがあったらと考えると施設を留守にするのは大変な勇気がいることでした。7日の夜は施設に泊まっていたので早朝5時30分から玄関先で土下座をして線香を立てて真剣にお経を唱えて雲を切る祈りをあげました。そして身を切る想いで職員にお願いをして出掛けました。

結果的には天気予報よりかなり東にそれてくれ、尚且つ進路が早くて私が東京の本部を出るときには晴れていました。だから、夏祭りの最後にも間に合い有り難かった事を覚えています。それと同じ位に今はプレッシャーです。

 

いよいよ明日から本番です

明日28日は15時からの全国老施協理事会があり、引き続いての前夜祭があります。参加して頂く方の足元を考えると雨は降って貰いたくないし、出来たら前夜祭会場は長良河畔にあるので、会場のガラス越しに岐阜城を見上げて、ほぼ満月を仰ぐ事が出来るロケーションなので、一点の雲もない空であればと願っています。

「岐阜らしさ」を前面に出す為に鵜飼シーズンは終了しているのですが、ナンバーワンの鵜匠さんである山下さんに鵜飼の説明と共に鵜によるパフォーマンスも行って貰う予定です。

また、大垣日大高校の後輩にいわゆるエンターテインメントがいて鵜飼い船の中で、艶やかな衣装を来て踊るパフォーマンスをしているのがいて舞台で艶やかに踊って貰ったり、日曜22時30分からの「セクシー 田中さん」でブームになりつつあるベリーダンスも準備しました。

本当は当日のお楽しみにしまっておかなければいけない企画だったのですが「明日から始まる」と言う高揚感の中でネタバレをしてしまいました。

ネタバレついでに29日の開会式後の岐阜県の企画で、役員は武将のかっこうで出てきます。私は舞台の中央で鎧兜の着付けをして貰う事になっています。勿論研修は無雁なく出来る準備も整えています。北は北海道から南は沖縄から岐阜に来て頂くので、沢山のお土産を持って帰って貰いたいと考えています。(ワクワク、わくわく)

明後日(28日)からいよいよ全国大会です

令和5年11月26日

実際の大会は29日~30日なのですが大会前日は午後1時30分から岐阜県の実行委員会のメンバーと事務局での資料詰めから始まり15時から全国老施協の理事会があり、18時30分からは、全国老施協と岐阜県老施協及びデイ協の役員による懇親会(前夜祭)が開催されるので、大会前の落ちがないかの確認は明日1日しかないのです。

勿論私は大会長ですから28日も午前中から会場の確認を全国老施協大会フォーラム委員会のメンバー及び事務局とすることになるので28日も早くに出掛ける事になると思います。11月末の大会ですから寒いのは覚悟の上ですが、青空に恵まれたいと願っています。半年前に資料の表紙をどの様なものにするかを岐阜県実行委員会で検討した時に29日は満月に近いと思うので岐阜城の上に立派なお月様が上がれば最高のロケーションだから、その様なイメージで表紙を作製していくことになりました。

これは、「岐阜らしさを全面に出す。」と言う意味でもインパクトが強いと考えたからです。そう言う意味でも絶対に良い天気でなければいけないのです。いつもはそんなに一生懸命に聞いていない天気予報に神経を尖らせています。本日床屋さんで丸刈りになった後、車を運転していたラジオの天気予報を聞いていたら「明日の夜は次第に雨になる。」と言われて「う~ん、困った。」と思っていたら、最後に「ここ1週間は大きく天気が崩れる事はない見込みです。」と言われて「微妙な情報じゃのう。」と思いながら「とにかく天気を良くしていて欲しい。」と思った次第です。

とにかく準備は念入りにしてきました。後はスタッフのみんなが気持ち良く挨拶をして、参加者の皆さんに多くの良かったを持って帰って貰える様に実行委員長として悔いのない頑張りをしたいと考えています。リピーターの皆さんてるてる坊主を作って頂き天気になるようにお願いします。

人生に「もしも」と言う事は無いけれども

今まで生きてきた70年余りの中で一杯の出会いが有りました。私は一人として出会いをいい加減にした事はない。と言い切れるかは怪しいですが、出来る限り大切にしてきたつもりです。

正直自信がないのは幼少期及び少年期です。特にオギャアと生まれてこの世に私を引き出してくれた母秋江さんには私自身が甘えるばかりで何も恩返しが出来なかった。母秋江の私に対する執着がなかったら、多分私は少年期を迎える前にこの世からおさらばしていたかも知れない。但し、そんな事を考えてもやり直しが出来るわけでないので、今の私を受け入れるしかないのですが。

何か禅問答の様な書き出しになってしまいました。本来の私はそれほど理屈をこねる性格では無いのですが。来週火曜日(28日)から全国大会が始まるので、神経が研ぎ澄まされているからかも知れません。人生にもしもは無いのですがもしも母秋江さんが46歳の若さでこの世からあの世(どんな世界なのかはわかりませんが)に行かずに今も健在だったら「60―90」で私自身が存在していたかもわかりません。と言うよりもその可能性は大ではなかったか。

かつて読んだ本の中にカンガルーの赤ちゃんを厳しい社会に出したくないと考えたカンガルーの母親が少年期を迎えても袋から出さずにいて、子どものカンガルーがタバコを吸いたいと言ったのでタバコを与えて袋の中に火が燃え上がり・・・。何てのもあったな。但し、母秋江が中1の時に他界した事により、私は最低限の事は自分でやり、高2で母親代わりだった姉光子を失くして四国遍路に巡りあってからは相手の気持ちになった生き方が出来る様になり、今は母秋江に出来なかった恩返しを地域の要介護の高齢者に出来ていることに喜びを持って生きてます。

リピーターの皆さん、本日も支離滅裂の文章ですがお許し下さい。全国大会が終わったらじっくり書きますので。

1 71 72 73 74 75 76 77 78 79 309