箱根駅伝100大会が2日間繰り広げられました。

令和6年1月3日

結論から言うと「勝負事に絶対は無い」と言う事です。と言うのは、絶対的王者」と言われていた駒沢大学が往路、復路共に二位に甘んじてかつて箱根駅伝では常勝軍団と言われていた青山学院大学の前評判は大したことがなかったのに、昨日の往路では新記録を打ち立てての堂々の優勝。本日の復路で絶対的王者と言われていた駒沢大学の逆襲がいつ仕掛けられるのかと思ってテレビを見ていても、青山学院大学と駒沢大学との差は開くばかり。

昨日のレース展開の中で私は決して駅伝の事を詳しくは知りませんがレース展開の中で青山学院大学の1番手が9位と出遅れたが2番手の走者が7人抜きの2位に浮上して勢いをつけ3番手が駒沢大学のエースに臆することなく、1位に躍り出て4番手の走者もその勢いのままに快走し5番手の走者も勢いのままに快走出来たと思います。青山学院大学の原監督のコメントをそのまま載せると「私自身が想定していなかった。誰一人勝つとは思っていなかったかもしれないが、たいしたもの。

学生たちが本当にプラスアルファ120%の力を発揮してくれた。」と述べられていて、本日の復路も往路の勢いのままに総合優勝を成し遂げた。勿論勢いだけでなし得る事ではなくて地道な練習の成果が往路でも新記録を樹立する結果となったと思います。勝負事には絶対は無いし毎回ドラマがあるから見てしまうのだと思います。

駒沢大学の走者も素晴らしい実力者ばかりであっても本来の実力を発揮出来なかったのだと思います。「気負い」によって或いは「使命感」によって・・・。とにかく勝負事に絶対は無い事をつくづく知る事が出来ました。城西大学の3位躍進には新しい歴史を予感するものだったとも思います。駅伝について何の知識も無い私の勝手な意見でした。

我が家の猫を紹介します

令和6年1月2日

我が家に20年いた猫「リット」はこのコラムでも何度か登場させましたが、天命を全うして、天に召されて私の奥さまはしばらく落ち込んでいました。実は私は最初の内はリットにとって天敵の様な存在だった様で、私が車を車庫に入れていると、今まで1階でのんびりしていたのが慌てて2階に行くと言うパターンでしたが、私が仕事の事で落ち込む事が多くて元気がないのを察知したのか急にスリスリするようになり、私の布団の上で寝るのが習慣になり、そうなると、私もいとおしくなったのですが、その様に仲良くなってしばらくして天国にいったのでそんな事ならもっと早くに仲良くなっておけば良かったと思っています。その後しばらくして、真っ白な猫「おもち」が我が家にやって来ました。

リットの事があるので最初から優しくしようと心がけたのですが、ある日お酒を飲んで帰り多分テンションが高かったのだと思うのですが、2階に上がって行くとおもちがいたので頭を撫でようとしたら逃げたので酔った勢いもあり大きな声でしつこく追い回してからは私の顔を見ると逃げると言う可愛げのない猫になってしまい、なかなか仲良くなれなくて、そんなある日、玄関から飛び出して探したのですが見つからず、その時の奥さまの落ち込み様は凄まじく家出猫のチラシを作り色んな家に協力を呼び掛けても見つからず家出猫が4ヶ月経過しても見つからないので、代わりの猫を10月に貰い受け「まる」と銘銘して飼い猫にしました。

まるはリットにそっくりな猫ですが私に言わせると「優雅さに欠ける」と言う事とどうも「まる」は自分が先輩猫だと思っているのか何となく威張っているようで「リット」に似ているけど「おもち」を可愛がろうとするのですが、まだまだ「おもち」はなついでくれません。どちらにしても「まる」は6キロで「おもち」は5キロで結構、猫としては重量級です。もっとも「リット」は最高に重い時は10キロはあっとので驚く事は無いのですが。池の鯉も大きな池の中で育てると大きくなるので、我が家では1階も2階も自由なので大きくなるのかと思っています。リピーターの皆さん。「おもち」と「まる」のファン投票をしたいのですがご協力頂けますか。

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お屠蘇の梯子をしました

昨夜は微熱があったのですが、若山家恒例の大晦日はすき焼きだったので、福井県の最高の酒「究極の花垣」を軽く飲み速攻で寝て3時間後に連続の咳が出て、それからはなかなか熟睡が出来ず、朝の目覚めが良くなかったので体が怠く微熱も有ったのですが10時から本部施設で5会場、14時から和合施設で3会場で「お屠蘇or抹茶&獅子舞い」が実施されるし、本部施設の南側にある村社「天満宮」のお参りもしなければいけないので9時過ぎに本部施設に行きました。

本日からデイサービスに異動になったお祭り男の伊藤係長が待機していたので、先ずは天満宮にお神酒とお塩を持つと共に昨年のお札を持って出掛けました。天満宮の篝火は大きな株が燃えており お札などはあっと言う間に燃えました。本殿でお願い事をしっかりとして、本部施設に戻ると獅子舞いの準備も整っていたので早速新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順に回りました。入居者さん、利用者さんから大歓迎を受け、獅子舞いに頭をがぶっとされながらも皆さんいい顔をされていました。

その後昼食に餅を焼いて頂き、それを食べた後は獅子飾り、鐘や太鼓とお酒を積み込み和合に向かいました。お酒のつまみがないとの事だったので、途中でえびせんをコンビニで買って和合に着き、1階、2階、3階と順次回りましたが和合にもお酒が好きな方は大勢おみえになり、4合瓶二本ととっておきの愛知の酒一升も封を開けましたので結局一升以上を振る舞った様です。和合の栄養士さんによると「いつもは4合瓶一本で良かったから今日は凄く飲まれたのですね」との事だったので「雰囲気が良かったんだと思います。」と話をしました。お屠蘇の梯子は大成功だったと思います。和合でも多くの笑顔が貰える様に頑張って行きたいと考えています。

本日は大晦日です。

令和5年12月31日

私の仕事は年中無休なので、午前中は本部施設の正月の花を買いに行き、午後からは和合に行き、昨日ついたお餅を本部施設から持参した道具を使って切りました。道具を使うと楽しいくらいに簡単に切れるので、袋詰めを手伝ってくれた伊藤副施設長と佐々木事務員にも体験して貰いました。「やって見せ、やらせてみる。」事は大切だと思ったからです。切り餅を本日出勤している職員に5切れずつビニール袋に入れて配る予定です。手つきのお餅だから美味しいと思って貰えたら嬉しいです。

餅切りも1段落したので3階、2階、1階の順に今年最後のお参りを急遽ですが、することにしました。入居者さんは有り難いものです。お経をあげるとの理解は早く、しっかりと参加して頂けました。移動できる仏様を持参して実施します。正信偈と般若心経を大きな声で多くの入居者さんが唱えて下さり、お経を終えてからは「明日からは新しい年を迎えます。お屠蘇にとっておきのお酒を準備しましたので、お酒を飲める方は楽しみにしていて下さい。お酒が駄目な方は抹茶を用意してます。その他にも獅子舞も特別参加します。頭をかじって貰ってより頭を良くして下さい。とにかく、毎日を楽しくしていきますので、来年も宜しくお願いします。」と話をしました。

最後になりましたが、リピーターの皆さん、ますますこのコラムを愛して下さい。

2日連続の餅つきです。

昨日は本部施設での餅つきで、本日は和合て餅つきが実施され、私は8月から和合の施設長ですから本日の餅つきにも当然の様に参加しました。朝ご飯を6時45分から頂き、7時15分に家を出て和合に向かいました。今朝は年末年始の休みに入っている会社が多い為か信号にも殆んどひっかからずスイスイ走れたので、8時前に和合の施設に着きました。本日は本部施設から風避けの板と大きな金バケツを借りたのを運ぶため久しぶりにキャラバンを運転したのですが運転席が高いので乗り降りは大変でしたが、運転自体は大丈夫でした。和合の施設に着き伊藤副施設長に風避けとバケツを降ろして貰い、火を炊く釜戸、ちぎり餅の会場と入居者を集めての餅つきをする2階のフロアを行ったり来たり。8時40分に釜戸の回りに盛り塩をして回りにお酒を振る舞いました。和合の施設ではこの様な行為はなかった様ですが、しっかりと実施してから釜戸に火を点けました。今は着火材があり、薪もしっかりと乾いているので直ぐに燃え上がりました。火を点け一時間しっかりと薪をくべたので蒸した状況を確認したのですが、蒸した米を食べたのですが、「まだ固い」と思い、後10分蒸して2階の餅つき会場に持って行きました。昨日は力自慢の助っ人が大勢いたのですが、本日はあまり慣れてない男子職員でしかも杵が特大のが無くて手間取りましたがちぎり餅を2臼とのし餅を2臼を12時前に突き終えました。本部施設施設は30キロを和合は12キロを同じように12時前に終えた差は何だったのかをしっかりと分析する必要を感じています。とわ言え2日間の餅つきは無事に終わりました。気が付けば明日は大晦日です。お正月の準備をしっかりとして、明日は午後から和合の施設長として、各フロアで感謝の気持ちを込めてお経を唱えて気持ち良く新年を迎えたいと考えています。

本部施設のお餅つきが行われました。

8時15分に施設に着くと夜勤明け休みの次の日なので公休日のはずの伊藤係長が「今や遅し」と言う様な顔で待っていたので「予定通り8時30分の火入れにするぞ。」と指示を出し、水野係長に上手く火が回るように木を組んで貰い、着火材を付けた木を水野係長から受け取りチャッカマンで火を点け木を組んでくれた下の所に入れるとしばらくして勢い良く燃え上がりました。

8時30分の点火でしっかりと一時間燃やしたので9時30分に蒸した米の状態を確認すると軍手をした指で確認すると大丈夫に思ったのですが、慎重を期して蒸した米を食べて見ると「やや固い」と感じたので「あと10分。」と言う事で9時40分までしっかりと蒸して石臼のある地域の交流ホールに伊藤係長が持って行き1臼目の突きを開始しました。

本日は高橋工務店から子どもさんも含めて多くのつきてがきてくれ、西川課長のお父さんと弟さんも来てくれ、たぎり餅の働き手に五次家の高校2年と小学6年の娘さんもきてくれました。五次家の娘さんは小さい頃から毎年来てくれているのですが、今年は2人ともにしっかりと働き手になってくれて、素晴らしい成長期を遂げていると思いました。

最初の1臼目は蒸すのに一時間以上かかりましたが、その後はちぎり餅4臼、のし餅3が順調に出来上がり12時には突き上がり、片付けも要領よくてきぱきとしてくれたので、地域でお世話になっている家に届けに行き、全ての作業が終了したのを見届けてから明日和合で実施される餅つきの準備の為に和合に行きました。準備をしていて、外で火を炊くのに風避けがないので本部施設の風避けを借りに行き、明日の餅つきの段取りも終えて明日に備えて早くに家に帰らせて貰い、朝からお腹が張っていて、絶食状態だったのですが和合の帰り道に猛烈にお腹が空いてきたので、ゲンキーでパンと牛乳を買い、17時と早い時間でしたが夕食を食べて、コラムが今(19時過ぎ)書けたので明日に備えて寝ることにします。

リピーターの皆さん私の生活はこんなものなのであります。勿論自分で決めた生き方なので何ら不満は有りませんが。ただ、「明日天気にしておくれ。」と言う事で。

花魁のカツラ合わせと衣装合わせのお話をします

令和5年12月28日

昨日山崎ていじさんをお見送りしてから、花魁(おいらん)のカツラ合わせと衣装あわせに、聖はじめさんと花魁の格好で踊られる方が来て下さった事についてお話します。

「何故理事長自ら花魁なの」との話しからします。その話は、4年前の山崎ていじを招いてのクリスマス会が非常に盛り上がり、クリスマス会の終了時に私が司会者のマイクを取り上げて「来年も山崎ていじさんに来て貰いますが、その時に私が花魁になって乱入します。」と言ったで、年が明けて聖はじめさんにカツラ合わせをして頂いたのですが、コロナウイルス感染症対策の為に実現出来ていなかったので、12月になってからは「今年こそ花魁をやる」と誰かれなく宣言していたのですが、『一日遅れのクリスマス会』が近づくにつれて、当日の流れをイメージすればするほど「私が花魁の準備で浮かれている余裕はない。」と言う気持ちが強くなり、聖はじめさんには「年明けにするから」と連絡しておいたのが、昨日の聖はじめさんと花魁らしき人とのカツラ合わせと衣装あわせだったのです。

先ずは聖はじめさんに頭を覆う帽子の様な物を被らせて貰い、その上で額の所にテープを滅茶苦茶強くグルグルに巻いて貰い、その時点で鏡を確認すると、目が少し吊り上がっているのが分かりました。「これで見栄えが良くなるぞ。」と思った次第です。次にカツラを被らせて貰ったのですが、「結構重い」と正直に聖はじめさんに言うと、「これに飾りをいっぱい付けるので、もっと重くなりますよ。」と言われて「花魁になると言うのは大変だね。」と言うと「1時間もそのままでいたら頭が痛くなりますよ。」と聖はじめさんに言われて、プレッシャー状態に陥りました。衣装を着せて貰う為に立ち上がると、真っすぐに立っているつもりでいても『頭でっかち』状態でフラフラでした。着物を何枚か着るのですが、私のお腹は人一倍なので普通の人なら白い紐が二重には届くのですが二重には出来なくて、一重での結びになり何度もやり直して貰いました。花魁らしい帯を結んで貰う時も、悪戦苦闘して頂き着付けをして頂くのが申し訳ない想いでしたが、何とか衣装を着せて貰い鏡で自分の姿を見ながら「小梅太夫よりはましにしてよ」と聖はじめさんにマジでお願いしたら「綺麗に化粧しますので大丈夫です。」と言って頂きました。

そこで、私の花魁の日取りを年明けの2月4日の日曜日に決めましたのでリピーターの皆さん、良ければ怖いもの見たさでも結構ですので来て頂けると嬉しいです。勿論その日は「聖はじめ一座」による聖はじめさんによる歌(聖はじめさんは名古屋音大声楽家を卒業されているのです。)と鵜飼船で踊りを披露する大学生に踊りの指導をしている方による花魁での踊り、今は『セクシー 田中さん』で有名になったベリーダンスもある盛りだくさんです。私が花魁になるのはグリコのおまけ程度のものですが何度も言いますが「怖いもの見たさで行くのも一考」と思われるリピーターの皆さんも是非に来て頂ければ・・・。

一日遅れのクリスマス会が実施されました

令和5年12月27日

昨日、本部施設で一日遅れのクリスマス会が行われました。朝から伊藤係長が中心になって準備がされていました。本部施設では23人の来賓及び招待客があり本館、新館の入居者さん及びデイサービスの利用者さんで120人なので職員を入れると総勢170人は優にこれる人数が本館玄関を入った交流スペースに集いました。13時前から猫田県議、木村県議、西脇町長を初めとした来賓や招待客の皆さんが続々と来て下さり、メインゲストの山崎ていじさんも来て下さったので、いつもの事ながら開会宣言が(進行担当の伊藤係長)されるまで落ち着かず走り回っていました。先ずは主催者挨拶を理事長である私と家族会会長の吉田さんがして、来賓挨拶を猫田県議、木村県議、西脇町長の順にして頂き、あとの来賓及び招待客については肩書きと名前の紹介のみにさせて頂き、次の祝電紹介も棚橋衆議院議員、野田衆議院議員のみ文面まで紹介して残りの武藤衆議院議員、渡辺参議院議員、大野参議院議員については名前のみの紹介としました。いよいよ山崎ていじが登場してテレビやラジオでお馴染みのプロの演歌歌手の歌を堪能して貰いました。山崎ていじさんの曲は私も良く歌わせて貰いますので我慢ができず「浜防風」と「お前しか愛せない」には乱入させて頂きました。昨日は、クリスマス会が終了後に18時30分に座長のお店「カラオケくんくん」に山崎ていじさんをお招きすると共に日頃ボランティアでお世話になっている方も交えて飲食を楽しみながらカラオケも楽しみました。本日も午前は和(なごみ)で午後は和合で「2日遅れのクリスマス」を勿論山崎ていじさんの歌謡ショーで楽しんで頂きました。但し、山崎ていじさんは12時から「FM845」の生放送があった為、11時に和(なごみ)のクリスマス会が終了後、ファックスで送信されてきた多くのメッセージをまてめ(放送内で紹介するリピーターの原稿)てから、職員が作ってくれた味噌煮込みうどんを食べて頂き、12時からの番組に挑んで貰いました。進行役の方と携帯でやり取りをして、ファックスで送られて来た原稿を実に軽妙に紹介され、山崎ていじさんの歌が流れた後、約束通り12時23分からは約3分間進行役の方の質問に答える形で飛び入り参加させて頂きました。終了後は和合に移動して14時からの「2日遅れのクリスマス」に挑みました。和合にも、家族会の役員の方や地域の方も来てみえて、私は「お前しか愛せない」をフルで歌わせて貰いました。終了後は山崎ていじさんを見送り、花魁のかつらあわせをと着物あわせをさせて頂いたのですが、その話は笑えるので明日のコラムに譲ります。

目が回る様な一日になりそうです

令和5年12月26日

午前10時からは、全国老施協『月刊老施協』の1月号で全国老施全国大会岐阜大会の特集が組まれ、岐阜大会の実行委員長としての記事掲載の為にリモートでインタビューを受けます。角川の担当者と記事をまとめて下さる方と私の3人で行いました。角川の担当者の方は以前にも一度インタビューを受けた事のある方だったし、リラックスした雰囲気の中で進行して下さったし、実際に実践した中での話ですから質問に対してもしっかり答えられたと思っています。

インタビューは1時間で終了して、本日午後から本部施設で実施される『一日遅れのクリスマス会』の準備をしている玄関ホールに行くと、着々と準備が進んでいる事に安堵すると共に25年の積み重ねをしみじみ感じています。13時30分から始まるのですが、お客様の中には早い時間からおみえになる方もあると思うので、12時前に昼食を食べて今は落ち着きなくコラムを打っています。(寸暇を惜しまずに出来ているから、毎日続いているのだと自画自賛しています。)

お客様がおみえになったら、いよいよ本部施設の『一日遅れのクリスマス会』です。入居者さん、利用者さんと、日頃お世話になっているご招待客25名と職員が一堂に会して行われます。『山崎ていじオンステージ』はコロナウイルス感染症対策の為に4年振りですので、デイサービスの利用者さんも本日の利用者さんはいつもより多くおみえです。

『一日遅れのクリスマス会』が終了して、18時30分にはてるてる座の座長のお店である『くんくん』を貸し切って山崎ていじと共の交流会も企画しています。この企画は山崎ていじが明日は午前中に優・悠・邑 和で、午後は優・悠・邑 和合でも『二日遅れのクリスマス会』が行われるので、今夜は山崎ていじさんが岐阜に泊まられるのを活用してボランティアでお世話になった方々もご招待をして行います。夕食は、座長にデリバリーの手配をして貰いおつまみと果物と当然の事ながらお漬物も持ち込んでの企画です。『くんくん』のカラオケはとても高品質なのが入っているので私もしっかり歌わせて頂こうと考えています。

今は12時40分です。会場の最終確認をしてお客様もお出向の為にスタンバイしたいと思いますので、 『一日遅れのクリスマス会』の詳細は明日のコラムに譲ります。リピーターの皆さん、本日のコラムがクリア出来たと言う事で。

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為せば成る

令和5年12月25日

朝からどうしてこんなタイトルにしたのかと言うと施設運営にも、私自身の中にも「もらもや」している事があり、「でもね、必死に頑張ってきたから今がある。」 と考えると「まだまだ対応不足なんだ」と思っています。そんな中でつくづく実感しているのは「私の人生は常に火中の栗を拾う」様な生き様だと思っています。その様な生き様になったのは四国遍路歩き団参を高校2年の夏休みに参加させて頂き「人の役に立つ事は実母秋江さんの遺言の蒔かぬ種は生えぬの教えにも通ずる」と考えて高校2年生の後期に生徒会副会長、3年生前期に会長になって、その頃いわゆる『3無主義』と言われて『シラケ』の時代であったにも関わらず私は熱く語り実践していました。

大学時代も私が入部した『郷土研究の会』が無認可のサークルで、サークルの顧問であった教授の研究室での活動に違和感を持っていた私が当時の『学術局』にモーレツにアタックをして学術局の承認を取り付け、目立った存在だったのか翌年の学生会の改選で学術局長に任命され、翌年には大学祭の実行委員長も務めました。学生運動は下火になっていた中でしたが、自分ができる事を目一杯やったお陰で父進には大変迷惑を掛けたのですが大学を通常より1年余分に行かせて貰いました。

大学を卒業して父進の進めもあり、教育者の道に進んだのですが、私が進んでやろうとしたことはことごとく認められる事がなく、教員生活にピリオドを打ち、自分探しをしたのがダムで沈んだ徳山村での5か月間はモラトリアム(執行猶予期間とでも言えば良いのかと思います。)の様で、徳山村まで来て私の人生の道しるべとなった児童福祉(児童養護施設の指導員)の展開は、文字通り自己犠牲(自分ではその様に思ってはいないのですが)の13年間でしたが結果的には私自身が成長できた13年だったと思います。

そして、自分で道を切り開く為に13年勤めた児童養護施設の指導員を辞し、『児童の個別指導で在宅で困っている親子共々をサポートしたい』との思いから『教育・福祉カウンセラー』と言う肩書で大学・短大・専門学校で週13コマの講義をさせて貰いながら家庭教師もさせて貰いながら、『不登校児の親の会』『知的障害児の親の会』を」主催しながら、学校に行かない子どもの学習指導を頑張りました。この道は茨の道と理解していましたが文字通り「火中の栗を拾う」ものでしたが、やりがいはありました。毎週月曜日は午前2コマ、午後2コマ、夜間2コマをこなしたのですが、お弁当を二つ持参して非常勤講師室で同じような中味のお弁当でしたが何の違和感も無かったです。『火中の栗を拾う』と書きましたが本当は「厳しい状況の方のお役に立ちたい・」との思いからでした。リピーターの皆さん、こんな私ですがこれからも宜しくお願い致します。

 

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