何もかも大きく映るのは感動です。

朝のお墓参りの時に吉澤施設長からプレゼントされた懐中電灯は既にこのコラムにおいて写真入りで紹介しましたが、今朝もいつものように歩いていて懐中電灯からの光を受けて見る影を楽しんでいます。最初に気が付いたのは家を出る時の事です。懐中電灯を首に掛けていて同じく首に掛けている四国遍路の一番札所である霊山寺で購入したお数珠が滅茶苦茶大きく映っているのに感動しました。(数珠玉1個1個が大きいのです。)

その時に思ったのは日本昔ばなしに登場するものの中で大きな物が描かれるものはこの様にして出来たのだろうかなと思った次第です。

次に気が付いたのは今須稲荷でお参りをしている時に金剛杖を両手で握りながら正面を見るとまるで柱の様に見えました。そして、関ケ原与一様の墓では私が少し体を動かすととんでもなく大きな動きになったので感動と言うよりは楽しくなってきました。

 

【放射線治療を終えての車の中で】

移動中のラジオを聞くとは無しに聞いていると、岐阜県池田町出身の演歌歌手石原詢子さんがゲスト出演をされていたので聞いていると演歌歌手の世界の厳しさがひしひしと伝わってきました。

石原詢子さんは父親が詩吟の教室をされていて、4歳の時から厳しく教えを叩きこまれ、高校を卒業と同時に石川さゆりに憧れて演歌歌手を目指して状況したとのこと。演歌歌手になる事は父親の思いとは違ったので、厳しく躾けられた父親の前で決意を伝える時には「手も足も震えた状態だった。」との事で、状況をする条件として「新聞配達をして生活を成り立たせる。」「毎日電話をする。」との事だったとの事。

その当時は今と違って携帯があるわけでもアパートに固定電話があるわけでもない時代なので駅の公衆電話でかけるしかなく、ある時1週間くらい電話をしなかった時には父親がアパートの階段に座って待っていたのには「申し訳ない気持ちで一杯だった。」との話しや、歌がヒットするまではいわゆる『営業』をしてもなかなか人が集まってこなくて苦労した事や、テレビに出る毎にファンが増えて来て7曲目を出してようやくヒットしたのにその7曲目を出して1週間目に母親が他界して、それから2週間後に父親も他界したとの話しにはヒットの陰にはご両親の思いが託されていたのではないかと思った次第です。

私は石原詢子と言えば『せんねん灸』がスポンサーになっていたくらいしか知らなかったのですが、改めて社会に認められる存在になるには厳しい試練があるのだと思いました。私も『勘当されて』とか「お金も土地も無い中で何とか法人を設立して25年になります。」等と言っていますが、どんな世界も厳しいものがあると思った次第です。リピーターの皆さんはどの様に思われましたか。

何がほしいの 何がしたいの 何をしないで 何ができるの

令和4年12月13日

「おいおい、今の私の心理状況が大谷徹奘師はどうしてわかるの。」と朝のお参りで妙応寺本堂の日めくりカレンダーを見て思った次第です。但し今の私は『何ができるの』と言う事でもがいているのですが・・・。先が見通せない苛立たしさの中ではありますが、喉に詰まったものがすっと取れて楽になり大変だった事を忘れて元気に飛び回って流暢に語れる様になるまで頑張りますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

ところで、今朝は寒いと思って薄手のジャンパーを一枚余分に着こんで妙応寺の本堂経由のお墓参りに出掛けたのですが、いつもの幸福地蔵菩薩様の所まで歩いて行くと背中が熱くなって幸福地蔵菩薩様との会話が終わってから背中に背負っているリュックサックの中にしまいました。ところが妙応寺の本堂で般若心経を中心にしたお経を唱え終わって本堂を出ようとすると結構な雨が降っていたのでリュックサックの中からジャンパーを取り出してきたので、頭には毛糸の帽子を被っていると言う事で雨を苦にすることなく家まで歩く事が出来ました。結果的に防寒具が雨具替わりになり助かりました。ただし、明日からは本格的な冬将軍が来るとの事。寒さ対策をしっかりとしたうえで、『何が出来るの』が形になるまで頑張ります・・・。

いやいや、光が見えた展開になってからも健康の為に足が動く限り頑張って歩きます。だって6月4日から妙応寺の本堂経由の我が家の水を持参してのお墓参りをするようになって風邪もひかずましてやコロナにもかからず元気なのですから。それに歩くのが楽しくなっているのかも知れません。と言うのは放射線治療の為に9時30分頃に大垣市民病院の駐車場に車を停めるのですが、病院近くの駐車場は『満車』の赤い表示ばかりで一番遠い駐車場が辛うじて空いている状態なのです。(本日、その駐車場に行くと一台も入っていなかったので楽々に停める事が出来ました。)30ヵ所以上ある駐車場の中には受診が終わって帰られる車もありタイミングが良いと入る事が出来るのですが、そんなにまでして空いている駐車場を探さなくても楽々に停められる駐車場に入れる事にしています。その理由にはもう一つ大きな理由があります。それは、一番奥の駐車場からの往復をすると『歩数』が2500歩は稼げるのです。と言う事はスポーツクラブ等でお金を払ってマシーンに乗るよりも効率的で何と言っても爽やかに歩けるのが嬉しいのです。リピーターの皆さん、考えようによっては何事も長友選手ではありませんが「ブラボー」と言う事で・・・。

 

大切なのは こころの向きだと 思います

令和4年12月12日

大谷徹奘師の日めくりカレンダーの本日の言葉なのですが・・・。

私は正直に言って「人間には煩悩があるから全てをさらけ出す人はいないと思います。」と妙応寺の本堂でお経を唱えながら抵抗している自分がいます。私の信念は『有言実行』を基本にした生き方なのでリピーターの皆さんに宣言します。「私は今モヤモヤしている問題が解決するまで禁酒いやいや断酒をします。但し、お付き合いで飲まなければいけない時は例外とします。」

私が断酒をするのは人生69年間において一度だけ。と言う事は今回が2度目になるのですが1度目は残念ながら参議院議員2期目で急逝された元全国老人福祉施設協議会会長だった中村博彦先生の2回目の参議院議員選挙がある前の年の全国老人福祉施設協議会の役員による忘年会の折に皆さんを前にして「中村会長が再選されて最高に美味しい酒を浴びる程飲むのを楽しみにしてお酒を断ちます。」と宣言して実行に移したのを思い出しました。2期目の当選を立派に果たされた時は本当に美味しいお酒を飲んだのを思い出しました。

と言う事は『お付き合いで飲まなければいけない時は例外とします。』等と中途半端な事を言っていてはいけないので「心が晴れる展開になるまで断酒をします。」と、このコラムの中でリピーターの皆さんに宣言します。と言う事で『こころの向き』が決まりましたので後は『モヤモヤ』の元を断つべく戦略を立ててより具体的に実行に移していきます。

私は社会福祉法人杉和会を設立して25年の中で一貫として、『地域のニーズ』を理解した展開をしてきました。厳しい状況に置かれても耐えている時に理解ある支援者の方々に支えられて頑張ってきました。一人の力は小さくても多くの方とスクラムを組み今回も苦難を乗り越えて行く覚悟です。どの段階で解決の糸口を見つけれるはわかりませんが『こころの向き』は定まっているので迷うことなく展開して行きます。だって、『視覚障害者の方に安心とやすらぎを提供したい』との気持ちで頑張り全うしていきますのでリピーターの皆さん、益々の支援をよろしくお願いいたします

福祉の原点による草の根の大切さ

令和4年12月11日

タイトルを見ただけでは、リピーターの皆さんは何の事かわかりませんよね。だから次に説明します。

私が社会福祉法人杉和会を関ケ原町今須の地に設立出来たのは、地域の方々のご理解があっての事。特に現在、本部施設である特別養護老人ホーム『優・悠・邑』の家族会会長の吉田さんのネットワークを大いに活用させて頂きました。勿論、吉田さん以外にも多くの方のご支援を頂いた事は言うまでもありません。本部施設を立ち上げた頃は、正直言って特別養護老人ホームの受け入れに対して否定的な方も多くみえました。と言う事で、今須地内に入ってからの道路で「職員がスピードを出し過ぎだ。」とか、職員が入居者さんの状況がわからないのと職員の経験不足もあり、「夜の救急搬送が多くてうるさくて眠れない。」等々と言われたものです。それから四半世紀が経過した今、職員が作った手作りの神輿を担いでの地域への練り歩きでは沿道に出て来ての応援を受けたのは、単に「良かったね。」では済まない思いが沸き上がってきます。と言う事は、一つ一つ積み上げてきた成果だと思っています。勿論この四半期での高齢化率の飛躍的伸びや認知症疾患の急増により特別養護老人ホームへの依存と共に杉和会が『地域と共に歩む』との理念による展開と実績によるものと思っています。

そんな中で盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)は、まだ僅か1年9カ月の実績しか無いのと、この3年はコロナ感染対策の為に地域での展開が殆ど出来ない状況下でしたので『草の根』の展開等皆無と言っても過言では無かったと思います。そこで、今後の盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の展開としては、施設が垂井町梅谷地区にありますので垂井町梅谷地区を中心にして広く垂井町の皆さんに杉和会が地域の中で貢献できる存在になる様に支援して頂ける様な展開をしていきたいと考えています。その為には杉和会の事を理解して頂ける方を一人一人増やしていきその方にそれぞれの地区の核となって頂ける様な展開にしていかなければと考えています。

よ~く考えてみたら、この展開は私が常套手段にしてきた手法であるにも関わらず出来ていなかった事を真摯に反省して、今後の展開を頑張っていきたいと思います。垂井町での展開とは言え私が四半期前に展開した頃の殆ど『ゼロに近い状態』からのスタートとは違うので正直なところ色んな展開の仕方を組み立てる事が出来ます。後は具体的実践をなるべく早くすることだと思いますので、リピーターの皆さんの中でも協力して頂ける方があれば積極的に声を掛けて下さい。

『蛇足的話題を2題』

  •  パソコンの上にある青いものが何かリピーターの皆さんわかりますか。これは首に掛ける懐中電灯です。昨日吉澤施設長からプレゼントされたものなのですが、今朝から首に掛けて歩きました。正直吉澤施設長温かさを感じずにはいられませんでした。と言うのは歩いている時に足元が照らされるので助かりました。もっとも有難かったのは妙応寺の本堂と今須稲荷様でのお賽銭を入れる時に1円、5円、10円、50円の確認が楽勝だったからです。
12.11.1
  •  新居猫『おもち君』が大好物の『チュール』を私の手から食べている時の写真です。まだまだ食べ物欲しさでの甘えにしかなっていませんが私は「ニャーニャー」と甘えた声で鳴いているとメロメロです。
  •        12.11.2 12.11.3

雲一つない空に綺麗なお月様

朝のお参りに行くために家を出た時の感動です。感動がある日々に先ずは感謝です。そして、歩いている時は常に綺麗で鮮やかなお月様を見ながら何かがあったわけではありませんが嬉しくなってきました。私がこんな感情移入が出来る人間だった事に自分の事ながら驚いています。

本日は岐阜県グループホーム協会の会長と、会長が仲の良い岐阜県議会議員と一緒に盲養護老人ホーム優・悠・邑   和(なごみ)の見学に来て下さるので現在の窮状と措置施設の厳しい実態を私なりに精一杯伝えると共に精一杯のおもてなしをしたいと考えています。

お約束は10時からだったので直接和(なごみ)に行くと昨日伝えていたので朝食後は少しゆったりとした時間を過ごそうと考えていたのですが8時20分に優・悠・邑家族会の吉田会長から「明日のイベントの為に餅つきの子ども用の杵や風よけ等を貸して欲しいとの事で、本日事務所にいる職員では何処にあるのかわからないようだ。」との連絡に慌てて本部施設に行き対応しました。対応をしながら、何をするにも特定の職員にお任せにならない事の大切さを理解する事となりました。

9時20分になり和(なごみ)に向け出掛けました。駐車場に着くと丁度グループホーム協会の車が入ってきたのでご挨拶をした後一緒に施設の中に入って行きました。会議室の席に着いて頂くと私の悪い癖で一方的に熱く『措置控え』の休場と視覚障害者への」思いを語ってしまいました。その後は私が若干反省?をして意見交換会のような状況にしておそばせながら、吉澤施設長を紹介してから施設見学をして貰いました。会議室に戻り再び意見交換会をするのですが3人が3人共にいろんな視点で話が出来るのであっと言う間に12時になり、喫茶室に場所を移して施設の食事をとって頂きました。その後も会長さんの予定時間ギリギリである13時30分まで話し合いを持ち、私自身今後の展開に対しての貴重なアドバイスを頂けたので素晴らしい時間が共有出来たと思います。帰り際には県議の方から私の携帯番号を聞かれたのでお教えしました。これでまた太いネットワークを構築するツールが出来たと思うと嬉しくなってきました。2人を見送ってから早速、吉澤施設長と共に戦略練りました。しかしながら私の日常は「予定が立って立たない状況になるのは『予定は未定であり決定ではない』等と言っているからなのでしょうか。但し。少なくとも「今日、何しよう。」という様な状況で無い事は間違い無いのでリピーターの皆さんこれからの展開についても興味津々に見守っていて下さい。

 

『一生懸命』と言うのは気持ちが良いものです。

令和4年12月9日

朝の仏壇でのお参りで『正信偈』を目いっぱいの声で唱えていると、決して厚着をしているわけでは無いのですが背中にじわっと汗をかいた様で清々しい気持ちでお経を唱える事が出来ました。その勢いのままに妙応寺経由の我が家のお墓に行く為に家の外に出ると昨夜帰り際に見た今年最後の満月は雲が掛かっているにも関わらず月明りの方が勝っていたのか綺麗に見る事が出来て感動したのですが、今朝も、またまた見る事が出来ました。月が厚い雲に覆われた時には隠れてしまう月を確認しながら歩いて行くと妙応寺の境内では全く街灯が無いので逆に月明りを鮮やかに見る事ができました。そして手前味噌な思い込みかも知れませんが我が家のお墓で般若心経を唱えている時にお月様が雲の切れ間からしっかり顔を出してくれたのは自分の中では感動してしまいました。

がらりと話題を変えまして、本日は放射線治療の機械のメンテの為に大垣市民病院に行く必要が無かったので朝食を食べた後少しはゆっくりしていようかと思っていた7時31分に本部施設からメールが来てデイサービスの朝の送迎に入っていた職員が急遽休む事になったと言う事で代わりの職員についての相談だったので「本日は病院に行かないので私が行きますよ。」と言う事でゆっくりするのを返上して施設に行く準備をして施設に向かいました。添乗の職員が待っていたので、事務所に挨拶だけしてキャラバンの運転席に乗り込み出掛けました。一人目の利用者さんの家は滋賀信行会山東支部の所に車をつけると添乗の職員が家まで迎えに行ったのでその間に運転席から大師堂に向けて手を合わせて般若心経を唱えさせて頂きました。利用者さんをお乗せすると「理事長さんが迎えに来て下さった。」と恐縮されていたので「間に合いませんが宜しく」と話をしてから滋賀信行会の事や四国遍路の話し等をしながら車を走らせ盛り上がった時間となりました。2人目の利用者さんは助手席に乗られて「理事長さんの運転やとみんなが羨ましく思われるやろな。」と言われてからデイサービスでの様子等を一杯聞く事が出来ました。いつもの事ですがたまにデイサービス等で運転をすると色んな状況も分かるし利用者さんも喜んで下さるので得るものも多いのでこれからもしていきたいと思っています。午後からは全国老人福祉施設協議会の総務・組織委員会が開催されて私も担当副会長として忌憚なく意見を述べさせて頂いたのですが、委員会の締めを副委員長がされたのですが最後には「皆さんとお会い出来るのは(とは言えリモート会議なのですが)今年最後になりますので来年もよろしくお願いいたします。」と言われて私も「そんな時期なんや」と思った次第です。リピーターの皆さん、私が年の暮れのご挨拶をリピーターの皆さんにするのは12月31日になります。だって毎日コラムを書いているわけですから今年最後の日と言えば12月31日ですよね・・・。

『あなたの笑顔がわたしのしあわせ』

令和4年12月8日

いつもの大谷師の妙応寺本堂の日めくりカレンダーの言葉なのですが、この言葉を見た時に「う~ん。私は自分の笑顔を見た事が無いので相手を幸せにしているのか・・。」と悩んでいます。と言うのは私の顔は一見「怖い」と言われる方が多いので・・・。但し、怖いと言われた方とでも、じっくり話をすると「若山さんは何事も一生懸命に活動されているし、熱く語られるんですね。」と言われます。そして、「本当は優しい方なんですね。」と言われると複雑な気分になります。

そう言えば、雰囲気を和ませる為なのか全国老人福祉施設協議会の平石会長は私の事を『昭和おじさん』と言われる事があるのですが、その訳は「昔話が得意で、若い方には厳しいとの事だし。」と言う事だとの事です。「う~ん。私は厳しいのかなあ。でも駄目な事を駄目と言わなくて通してしまうのは如何なもんだ。」と言うのが私の考え方です。この事を『昭和おじさん』と言われるのならば受け入れるしかないですよね。是は是、非は非の考え方を全うした生き方をこれからもしていく覚悟ですのでリピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

さて、本日の大垣市民病院での出来事をお話しします。先ずは駐車場についてですが、大垣市民病院の駐車場近くに行くと『満車』の掲示があちらこちらに出ている中で、診察を終えた方との入れ替えで駐車場に入る為の車で大渋滞をしているのです。私は「待つよりは遠くても早く停めて病院に急ごう。」と昨日停めた一番遠い場所の駐車場よりは手前の所に楽々停める事が出来歩いて病院に向かいながら「お墓参りと駐車場からの往復で歩数が延びてますます健康になれる。」と思った次第です。(しっかり歩ける事に感謝です。)

9時30分の診察予約の時間に受付が出来て待合で座って順番を待とうとすると事務方の方が「先に着替えを済ませて待って頂いた方が効率が良いですよ。」とわざわざ言いに来て下さったので、ロッカー室で着替えを終えて再び待合で座っていてどれほども経たないで尿量を検査して頂く検査の方が「これから確認しましょうか」と声を掛けて下さり「若山さんの赤のタオルはトレードマークの様で似合いますよ。」等と声を掛けて下さりリラックスするように配慮して頂いているのに感謝です。尿量は放射線を当てるのに適した量だったのでそのまま放射線治療室に向かい15分足らずで終える事が出来ました。そして再びロッカー室で着替えを終えて待合に戻るとこれまた直ぐに診察室に呼ばれて看護師さんに伴われて診察室に入って行きました。

そこで順調に治療が進んでいて体調も至って元気である事を伝えたまでは良かったのですが、私の放射線治療の日程で年が明けての1月25日から27日が私の都合で出来ない事(全国老人福祉施設協議会の全国研修大会栃木大会参加のため)を話しすると「あまり飛んだ日程にすると効果が低下する可能性がありますよ。」と言われて正直「イラッ」としました。「だったらお正月の1週間の休みは大丈夫なのですか。明日も機械のメンテの為に土日を含めて3日間無いのは大丈夫なのですか。」と言いたかったのですが、「治療が始まったばかりで先生を怒らせるのは得策ではない。」と言う事で言わなかったのですが、この事から私は『他山の石』の格言を思い出しました。つまり、「私も色んな場面で相手の方を苛立たせる事を話していないだろうか」と。

こんなコラムを書くと私の姉春子さんから「宏は随分大人になったね」と言われる様な気がしますが「春子お姉さま。私は充分大人ですよ。」・・・。リピーターの皆さん、と言う事で。

いかなる時にも自分は思うあせるな今が一番大事な時あせるな

令和4年12月7日

いつもの妙応寺本堂の大谷師の日めくりカレンダーの言葉なのですが、本当に大谷師は私の状態をいつもいつも言い当てられるので参ります。大きな課題に対して焦ってみたところで何ともならないので、手を尽くして大きな山が動くのを待つしかない事は分かっていますが、まだまだ人間が出来ていない為にイライラしています。

話は変わりますが放射線治療が3回目になり早くも『慣れ』の状態になっているのか、疲れがたまっているのか・・・。う~ん多分疲れがたまっているのだと思うのですが朝食を食べた後に30分だけ横になって、8時から病院に行く行動をとるつもりで8時にアラームをセットして目をつぶるとあっと言う間に眠りにつき、確かに8時にアラームはなったのは分かっていたのですが余りに眠くて8時20分に目を覚ましバタバタと準備をして、車に乗り込みました。

8時を過ぎていたので渋滞もなく大垣市民病院までは行けましたが駐車場がどこも満車で係りの方に聞くと「ここを真っ直ぐに行くと26番は間違いなく空いていますのでそこまで行って下さい。遠くなって申し訳ないです。」との事。私は「申し訳ないです。」の言葉を聞いたので苛つく事もなく26番の駐車場に停めてから病院を見ると「確かに遠いな。」と思いましたが「朝のお参りほどには遠くない。」と考え直して病院の方に歩いて行き、先程親切に案内して下さった方に「先程はありがとうございました。」と言うと「今日は凄く込み合っていて申し訳ない。」と返ってきたので「こう言うのを神対応と言うのかな。」と思った次第です。

本日は泌尿器科受診もあるのですが、先ずは放射線科に行き受付後はロッカーに行って着替えをすまして待っていると、要領も理解した3回目と言う事ですんなりとして頂き、いつも山崎ていじの赤いタオルを首に巻いているのを見て放射線科先生から「トレードマークの様ですね。」と言われたので「何枚もあるし、施設の入居者さんにも受けが良いので。」と軽口を叩く余裕も出てきました。

放射線科を終えて泌尿器科に行くと沢山ある待合の椅子が全く空いていなくて「これは時間がかかるぞ」と思っていたのですが、30分程で中待合に呼ばれたのですが前の方がなかなか終わらなくてイライラがつのりました。先生の話は異常が無ければ3か月後の受診で良いと言われたのですが、担当の先生が代わられたとの事で「う~ん。もう少し丁寧に説明して欲しい。」と思いこちらから色んな質問をしました。「結局もう1回だけホルモン注射を打ちましょう。」とのことで、場所を移動して打って頂いたのですが、正直これ以上女性化して大丈夫か等と思っています。

病院での極めつけは清算をしようと思ったらずらっと50人ほどの列が出来ているのには驚きました。特に本日が多いのかどうかはわかりませんが人の多さに驚いてしまった次第です。38回の放射線治療で癌克服出来る事をリピーターの皆さんも信じて頂ければ幸いです。

 

放射線治療の2日目です。

令和4年12月6日

昨日はお医者さんの問診があったので8時30分には大垣市民病院の放射線科の待ち合いで待っていたら直ぐに呼ばれて放射線での留意点等を聞いて再び待ち合いで待っていると技士の方に尿量のチェックをして頂いて丁度良い状態だと言う事ですんなりと放射線を当てて頂いたのです。尿量をチェックして頂いた時に「10時位に来て貰った方が混まなくて良いのですが」と言われたので本日は朝食後に一時間程度横になってから出掛けました。

「昨日はぴったりのタイミングだったけれども本日はどうかな。」と思いながら尿量を確認して頂く技士の方と歩きながら話をしていて、検査をして貰うと「尿量が100CCほど多いな。」と言われたので技士の先生に「100CCだけ出して止めて放射線を当てて貰うことをしたいです。」と言うと、「出来ますか。」と言われたので「1回目の練習の時に出来たので自信があります。」と言うと「それでは。」と紙コップを渡されたのでトイレに行ってしっかりと100CCだけを出して、放射線を当てて頂く所へ行きました。正にこれは『大は小を兼ねる。」だとくだらない事ですが思った次第です。

今はコラムを書きながら面白く書いていますが、その時は真剣そのものだったのですが。検査も2回目になると1回目の時よりは余裕が出来てきて、同じように放射線治療の方々と話が出来ました。その中で私は38回の治療が必要なのですが部位によっては私よりも回数が少ない方がみえたり、後2回で終了する方など様々な方がみえる事を理解しました。順番がきて放射線治療は簡単に終わり、その勢いで地下水1階から2階まで階段をかけあがり検尿と採血を終えて着替えをしてから会計の所で順番待ちの紙を貰ってびっくりしたのは掲示されている番号から100番は後だと言う事で私は思わず「よくもよくも皆さん静かに待ってみえるものだ。」と関心してしまいました。

順番が来て支払いをカードでして、駐車場に向かうと私の車が見当たらない。焦りながらうろうろして「車が見当たらないはずだ。」と気が付きました。と言うのは、昨日停めた駐車場でだったからです。この現象は疲れている為かなあ・・・。病院を出て急いで本部施設に戻り午後から行われる西濃支部の施設長研修の資料の確認をしてから昼食を頂き再び大垣に向けて車を走らせ、本日の講師は全国介護福祉政治連盟の幹部が長崎県対馬からと和歌山県と徳島県から来ているので控え室に行き会長としての挨拶をして14時から研修が始まったのですが16時30分の終了予定が40分も延びて会場の玄関口で講師の3人を見送ったあと、18時からの別の会議会場に急ぎました。

私は初めて行く所だったのですがナビが順調に案内してくれ、会議の世話役の方々と名刺交換をして私は会議の中で話をしなければいけなかったのですが、無事に出来て一時間で会議は終わったのでこれまた急いで自宅に向けて車を走らせながら「コラムが書けてない。」と言う事で自宅に帰ってお風呂の中と夕食後に何とか書けました。リピーターの皆さん明日は放射線治療の為と共に泌尿器科の受診もあるのでこの原稿をメールしたら速攻で寝ます・・・。

前立腺がんの放射線治療が始まりました

令和4年12月5日

治療前から緊張していたためか午前2時に目が覚めてからはなかなか寝る事が出来ず、うとうとしながら何とかアラームの4時25分からベットでの体操をして着替えをしてから『おもち君』の部屋の前を通ると「にゃーにゃー」と甘えてきた(多分)のですが、「それどころではない。」と1階に降りていつもの様にお水替えをしてから若宮八幡大神様での祈りと仏壇でのお経を唱えてから外に出たのですが、本日は毛糸の帽子を頭に軍手を両手にはめて出たので「お母ちゃん(秋江さんの事)寒くない。」と思わず甘えてしまいました。(リピーターの皆さんこの私の感覚を理解して頂けると嬉しいです。)そして、空を見上げると5時30分ですが星が沢山きらきらしていました。いつものようにお参りをしていてもいつも以上にお経に力が入っていたように思いました。だって、本日から放射線治療が始まるので緊張していたのです。

朝食を済ませて7時30分には家を出るつもりでいたのですが、急いでいる気持ちとは裏腹に準備にもたついてしまい7時45分出発になってしまいました。時間的に渋滞も若干ありイライラもしましたが、駐車場が意外に空いていたので8時35分にはパスポートなるものでの受付を終えて放射線科に行くと、順調に案内して頂けたのと私の体が放射線を当てるのに適した状態だったのか、不思議な位に早く治療が終わりました。正に『案ずるより生むがやすし』でした。最悪でも13時30分からの岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会へ直接いかなければいけないかもと考えていたのですが11時前には本部施設に帰れたので、病院にいる間に5件の留守電が入っていたのでその対応をする事が出来ました。

ただし、いつもいつもこのように順調に行かない時もあると思うと少し憂鬱になります。と言うのは放射線を当てる部位によるのか、進行状況によるのかはわかりませんが、私の場合は38回の治療が必要と言う事ですので取り敢えず本日1回目が終了したと言う事ですから道のりを考えると気が遠くなりますが、その治療をしたら癌が撲滅されるのであれば「やるしかない」との心境であります。

話題をがらりと変えてサッカーの話をします。とは言え私はほとんどサッカーの知識は無いので、日本を中心にした私のテレビや新聞による情報を基にした感想の様なものですが良かったら読んで下さい。

先ず日本の初戦でのドイツ戦は「忍耐の勝利」と言っても過言では無いし、スペイン戦は「奇跡とスペインの油断」だと思っています。スペイン戦については「スペインが2位通過の方がベスト16からの試合が楽だから負けようとしている。」等との風評もあった様ですが私は「勝負はそんな甘いものではないし、サッカーに命を賭けている選手がそんな愚かな事はしない。」と思っています。それにですね、日本の2点目はビデオ判定で入ったものですよ。あり得ません・・・。ブラジルが1位通過を決めての最終戦での敗退については「ブラジル選手に油断があった事」と言わざるを得ませんが、勝利したチームには得難い喜びがあり負けたブラジルには永遠の屈辱ではなかったかと思います。

リピーターの皆さん私はブラジルが優勝を勝ち取り「優勝したブラジルに勝った国」と言う筋書きが最高だと思うのですが・・・。それとも山崎ていじの歌の中にある「まさかの坂を転げ落ち」にならない事も祈っているのですが。

 

 

1 89 90 91 92 93 94 95 96 97 292