本日は『星』についてからです。

令和4年11月4日

本日は前立腺がんの治療の一貫として放射線課に9時の予約で行きます。大垣市民病院の駐車場はめっちゃ混むのでなるべく早く出ようと言う事で朝の日課をいつも以上にてきぱきと出来たので5時15分に家を出ました。家を出ていつもの様に東の空に向かって手を合わせていて空を見るとうっすらと明るくはなっていましたが『星』は全く確認することが出来なかったのに西の空を見ると空の半分位のところからは星が一杯確認出来て、改めて「夜明け前の15分の違いは大きんだ。」と思った次第です。歩いて行くうちに星の数は段々と少なくなり、妙応寺の駐車場の所まで来た時には完全に星は消えていました。

今日は星に気を取られていたので昨日の『影』については全く意識をしませんでした。歩くペースも早かったのか家には6時15分に帰る事が出来ました。家に帰って直ぐにシャワーを浴びて、最近は寒くなったのでお風呂にも浸かり身体を温めてからなので6時40分にあがると朝食の準備が出来ていたので朝食をゆっくり食べてからスーツに着替えて出掛けました。

比較的道路が空いていたので9時の予約には駐車場を遠い所に停めたのですが充分間に合い、受付をした時に横着く「10時までに岐阜まで行きたいので出来るだけ早く診て頂けたら助かるのですが」と言うと「なるべく配慮します。」との事で、実際に8時45分に診て頂く事が出来て、お陰様で10時からの自民党岐阜県連との友好団体との懇談会には充分間に合う事が出来ました。

懇談会では総会に引き続き厚生担当の議員に対する陳情の時間もあり、岐阜県老人福祉施設協議会の代表者として『人材確保と定着』『物価高騰に対する配慮』(この事については10月7日の県議会に於いて1食当たり30円の補助と言う有難い案が承認されましたので、この予算を半年とは言わずに介護報酬改正がある令和6年3月まで実施して頂きたいとお願いしました)『大規模修繕に対する補助』についてしっかりお願いしました。

懇談会終了後は直ぐに施設に帰り、昼食後は優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長を呼び今後の展開について打ち合わせをしました。吉澤施設長との打ち合わせは、今迄とは違い、施設の方向性を明確にするものになってきたので、お互いに気合の入る打ち合わせとなりましたし、施設への入所についてもコロナ感染の落ち着きの中確実に入居の話が決まっていくのは嬉しい限りです。

それ以上に嬉しいのは新たに入所される方がそれぞれに満足して頂いているのには感謝です。リピーターの皆さん、優・悠・邑 和(なごみ)は最高の施設ですから静慈圓大僧正の書を見に来て頂くついでで構いませんので一度きてみて下さい。来たことがある方は何度でも来て下さい。

 

『前文』

令和4年11月3日

私は学生時代にショートショートの神様(私はその様に思っています。)星新一さんの本を好んで読んでいました。私が読書に目を向けたのは中学2年の時ですから決して早くないのです。そのきっかけは然り気無く「ああ、無情」と言う分厚い表紙の本が置いてあり何と無く読み出して次々に変わる展開に一気に読んだのを今でも覚えています。「スミマセンです。いつもの悪い癖で『前文』なるものは短いものなのにだらだらと書いています。」そこで、結論を一言。「今日は短いのを沢山書きます。(だらだら書いて落ちが短い手法は井上ひさしのようですが、そんな良いものではありませんか)

『影』

本日はアラームの4時25分からてきぱきと行動が出来て、仏壇でのお参りを終えて外に出たのが5時25分で、外はまだ真っ暗な状態。だからなのでしょうか、街灯の灯りがいかにも明るく感じました。そして金剛杖をつきながら歩いているとしっかりとした私の姿を影が表現していてくれるのです。歩いているとその影が街灯の位置が変わる度に歩く前に映ったり、後ろに映ったり、或いは横に映ったりして、どうでも良いような事なのですが楽しかった。

そして『影』の決めうちは、本堂でお参りをしている時に私の影以外にもう1つの影が。思わず後ろを振り向くと、いつもは大抵私が幸福地蔵菩薩様でお参りをしている頃に妙応寺のお参りを終えた方にご挨拶をしていたのですが本日は私の後ろで手を合わせてみえたので正面にいた私は左側に寄ってから再びお経を再開しました。もしも影に映らなかったら私はとても失礼な事をしていた事になるところでした。

『10時30分から面接です』

専門学校を来年3月に卒業するいわゆる『新卒者』の方の応募です。しかも、地元の方だとわかり本当に最高の気分です。本部施設を開設した平成10年及び新館を事業開始した平成16年の時には新卒者の採用をいくらでも選べる様な状況がありましたが、今は新卒者の応募自体が殆ど無いのが現状です。それは、介護職に対するイメージが一般的にあまり良くないからだと理解しているので、当法人ではホームページで色んな記事を載せる事によって理解して貰える様に配慮してきた成果かと思っています。

10時20分には緊張した面持ちでやってきました。予定より少し早かったのですが、新卒者には記述能力と思いを理解する為に400字の原稿用紙に2枚程度課題を与えて書いて貰います。今回の課題は『介護職として目指すもの』と言う題で書いて貰いました。作文を読ませて頂き簡潔に尚且つ目標とすべき事もしっかりとまとめられていました。そして直接の面接の時もはきはきと答えられていて好感度は間違いなくよかったし、面接者からの質問として施設見学がしたいと言うのも納得がいきました。

私は理事長として即決したいと考え、施設見学後に感想を聞いたあと、内定を確約しました。その時には本当に嬉しそうな表情をしてくれたのを頼もしく思った次第です。面接の最後には本人が書いた作文のコピーを「実際に仕事をしていてたまにはこの作文を読み返すと良いと思います。」と手渡しました。玄関で見送ったあと直ぐにハローワークに採用したと言う返事をファックスで送信すると共に内定通知書を水野相談員に作成して貰い、理事長印を押してから彼女が大きく成長してくれる姿を思い描いていた次第です。

リピーターの皆さん。『ショートショート』と言いながらも、書きながら「決して短くないし落ちもないな。」と思いながらも「本日は3編書きました。」と居直っています。どうかご理解下さい。

 

またまた、大難を少難に出来た事に感謝

令和4年11月2日

昨日は一日が息つく間もない状態だったので、意志が弱い私は夕食にお酒を飲んだのです。(飲食以外の事は大概我慢が人一倍出来ると自負しているのですが・・・。)お酒を飲むと余分なものを食べたくなる私の性(さが)で、大きなあられを食べていて口の中に違和感を感じて口の中のものを吐き出したら、入れ歯が外れて一部が欠けた状態で見つかりました。私がその時思ったのは「入れ歯を飲み込まなくて良かった。」と言う事です。だってその入れ歯は食べたものと一緒に飲み込める位の大きさだからです。もしも、飲み込んでしまったら「もっと面倒くさい事になるところだった。」と言う事でもじ通り「大難を少難に出来たことに感謝。」なのであります。

本日は10時の予定で岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会の事前打ち合わせがあるので8時40分に家を出て、スムーズに走れたので9時40分には事務局に着き11時25分までしっかり打ち合わせをがあり、12時30分には吉澤施設長が打ち合わせに本部施設に来ることになっていたので、急ぎたいのにこう言う時に限って渋滞しているのです。それは、優・悠・邑 和合近くで工事をしていて2車線が1車線に規制していたからです。尚且つ関ケ原駅前近くで車の単独事故で警官が来て交通整理をされていて・・・。「これはゆっくり走れ」と言う事だと理解して施設に「帰るのが予定より遅くなる。」と連絡して何とか本部施設に着いたのは12時55分だったんで5分で昼食をとり、13時から吉澤施設長との打ち合わせをしました。

打ち合わせをしながら予定を確定する為に色んな所に電話連絡をして、結局打ち合わせを終えたのが16時と言う事でこの段階でコラムは出来ていないけれども、昨日取れた入れ歯の補修の為に17時に予約がしてありほんの少しコラムを打ち歯医者さんに出掛けました。歯医者さんは予約の17時より少し遅れましたが直ぐに見て頂けて本日は型取りだけだったので17時25分には治療が終わったので「このまま家に帰るとコラムの継続が難しくなる。」と考えて本部施設に戻り頑張ってパソコンでコラムを打ち込んでいます。

今は18時30分ですが自分でも感心します。「何をか」と言うと6月から4時25分のアラームで行動開始をしての仏間でのお参りに引き続いてのお墓参り及び3年以上継続しているコラムの連続更新です。吉澤施設長との打ち合わせによって、過密なスケジュールにまたまた追加が沢山入り「いつゆっくりするの」と言う状況ですが「趣味は仕事」と豪語している私だから「何を今更」と言う事ですかね。リピーターの皆さんはどの様に思われますか。勿論元気な身体だから出来ると言う事も決して忘れてはいけないとも思っています。

本日は7時30分には出勤します。

早くに出勤するのは朝イチのデイサービスの運転業務が回って来たからです。と言う事で4時25分から、いつもの様に行動して今はお風呂に入ってコラムを打っているのですが(朝風呂とは小原昭介さんのように贅沢な事なのでしょうか。)朝食を済ませたら家を出る事にしてます。今は久しぶりのデイサービスの運転にワクワクしてます。だってお迎えに行った利用者さんとワイワイお話が出来るのですから。(どこやらの認定子ども園の理事長さんのように「運転だけしてやる」的な考えはありませんので・・・。)(ここからは、息つく暇なしに色々な事があり、今17時45分からコラム打ちが始まります。)「いやー。デイサービスの運転は楽しかった。だってデイサービスの利用者さんと滅茶苦茶話が出来ましたから。但し、添乗員の案内が正確で無くてUターンを2回しましたが。その事を差し引いても楽しかったです。勿論運転は手を抜いていませんよ。9時10分に送迎を終えて、自分の車に乗り換えて直ぐに施設を出発をして岐阜県福祉会館に向かいました。福祉会館では10時30分から一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会による21世紀委員会があり、(本来、会長である私が参加しなければいけないものでは無いのですが、委員会のテコ入れの為に参加しました。)12時までの予定でしたが12時5分に会議が終了してから林副会長と田中委員長と各務事務局長と今後についての打ち合わせをしてから、またまた急いで本部施設に帰り(13時20分)、14時から米原市役所から『虐待案件の措置入居の件』で打ち合わせにみえる事になっているので急いで昼食をとっていると、役所の方3名がみえたとの事でこれまた急いで会議室に行き課長さんとは初めてお会いしたので名刺交換をしてから打ち合わせに入りました。打ち合わせの最初では私の悪い癖で過去の辞令を色々話をしてしまい、本題に入ったのは14時20分で、気が付けば15時から全国介護福祉政治連盟と全国老人福祉施設協議会正副会長との合同会議があるのに14時55分と言う事で慌ててリモート会議の準備をして何とか会議に贈れる事無く参加出来ました。この会議は16時30分終了の予定でしたが17時15分まで延長され、その後本日来たメールの対応をして(出張案内の出席申し込みの対応も2件ありました。)コラムの画面にしたのが17時45分と言う事なのであります。移動の時間は頭の切り替えをするのには有難い時間なのですが、打ち合わせからリモート会議への切り替えはなかなか大変でした。【追記】朝のお墓参りの時に幸福地蔵菩薩様の帽子と前掛けが新しくなっていたので写真を撮ったので報告します。なお、幸福地蔵菩薩様は屋根のない所にみえるので特に帽子は赤いのが直ぐに色落ちをしてハゲハゲになってしまうので、新しくなった今、次の帽子の準備をリピーターの皆さんよろしくお願いいたします。

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異様が異様でなくなった

令和4年10月31日

タイトルだけでは何の事かリピーターの皆さんわかりませんよね。私はあいからわず自分だけの世界に入っていてスミマセン。だから今から解説をします。(そんなに大袈裟な事では無いのですが。)

それは、昨日のハロウィンでの事です。と言うのも、今回北島部長が着た紫色のドレスは私が昨年着たものなのです。その時には「理事長はあそこまでするの。」と言う雰囲気があったのですが、今年のハロウィンでは北島部長の他にも早瀬主任も白のドレスを着たし、その他の職員もそれぞれに工夫を凝らしたものになっていました。だから、入居者さんも利用者さんも大いに喜んで頂けたと思います。一時流行った言葉の『赤信号みんなで渡れば怖くない。』ではありませんが、みんながあれだけの奇抜な仮装をして貰うと(昨日のホームページ『今日の優・悠・邑』と『今日のえりかの里』及び『理事長コラム』を見て下さい。)「私の布袋様の仮装がかすんでまう。」と言う嬉しい悲鳴です。そして、「率先垂範をした宏君は偉い」そして「その気になって頑張っている職員達にブラボー」です。

本日の岐阜新聞で見つけました。

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めっちゃ懐かしい方の記事が写真と共に岐阜新聞に掲載されていましたので、記事の主である『平方浩介さん』について語ります。

私が平方浩介さんにお会いしたのは、私が教員を辞し父進さんに実質上の勘当をされて、今須の地にはいられないと言う事で、大学時代に柳田民俗学の流れを受けた『郷土研究の会』と言うサークルにも所属していて(他に『落語研究会』とか『世界民族研究会』とかにもウロウロしてました・・。)徳山村の調査に2年間関わっていたご縁で、その当時の徳山村で民宿をされていた増山たづ子さんの家に居候を決め込み、5カ月間殆ど民宿で泊にきたお客様と酒を飲んでいた時に増山たづ子さんの甥っ子である平方浩介とも何度かお酒をご一緒させて頂き、平方浩介さんの徳山村への熱い思いを何度となく聞く機会を得ました。

当時は地元徳山村の教員をされていたのですが、新聞記事の写真でも髪は白かったのを記憶していて「殆どあの頃と変わられていないな。」と思いながら年齢を確認すると86さいとなっていて「えっ、私と17歳しか違わないのか。と言う事は私が当時25歳だったのだから平方浩介先生は42歳だったわけですか。う~ん、もっとはるかに年上だと思っていました。」あれから44年の年月が経過しているのですが、記事を読む限り「平方浩介先生のエネルギーはあの頃のままだ。」と思いました。記事を読みながらあの頃からの葛藤を今もされているのに感銘した次第です。と言う事で早速新しく出版されたものを購入したいと思いました。

リピーターの皆さんのなかでも考えを共有出来たらと思いますので是非に本を手に入れて下さい。しかしながら86歳で本を出版されるとは素晴らしいエネルギーの持ち主だと改めて思った次第です。

 

大難を少難にして頂いた事に感謝。そして、本日は一日早くのハロウィンです。

昨日は午後から先代の理事長の家に真っ暗な中で寂しく飾られている先代理事長の叙勲の額と西国三十三ヶ所の掛け軸を我が家に移して皆さんに見ていただこうと搬入をしたのですが、先代理事長の本宅玄関前に車をつけようとして、50センチ位の頑丈なポールに左のドアをぶつけてしまい、その時は「良いことをしているのにどうして」と苛ついていたのですが今朝の朝のお参り前に我が家の玄関の廊下の所に放置してある状態だったのを仏間に運んで若宮八幡大神様のお祈りを終えて仏壇に手を合わせた瞬間に「大難が少難になったんだぞ」の声がして心のつかえが取れると共に「自分が運転していたのを誰のせいにしようとしていたのか」と恥ずかしさも覚えてしまいました。車は修理して貰えば元通りになるのだし、と思うと心軽やかになり朝食後は本日の一日早くのハロウィン企画のモードになりました。

私は「布袋様になり切る」との使命があるのですが、施設に行くと本部施設職員のお祭り男が(本部施設職員ではこう言う事に対しては男性職員が頑張るのです。)ワイワイと準備していてくれて私は衣装替えをする事になっている新館2階のボランティア室へ行くと既に着替えを済ませた職員の姿を見ると「それぞれに工夫していてくれて気合が入っているな」と私自身もテンションが上がりました。

新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順番に移動しながら行ったのですが、職員の気合の入れ方に温度差がありましたが、どのフロアも盛り上がりました。私は水野相談員の運転でリヤカーに乗ったままの移動でしたがどのフロアでも「私はこのハロウィンで布袋様になり切る為に何年も掛けてお腹を成長させてきました。明日からはガリガリになる為に頑張りますが、このお腹の見納めと言う事で、本日は特別に私のお腹をさすって頂きます。布袋様のお腹をさすれば健康長寿は間違いなし。」と言いながら各フロアで因幡の白兎の大国主命の様に白い大きな布袋を持ち袋からお菓子を入居者代表の方にお渡ししました。

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5会場を回り玄関前の地域交流スペースに各フロア代表で仮装をした職員が集まった所で職員の仮装の評価をする中で、北島部長と早瀬主任のドレス姿は絶品だったと話をしました。勿論その他の職員も工夫を凝らして頑張ってくれて入居者さん利用者さんも滅茶滅茶喜んで下さった、笑顔が健康の元だからこれからもみんなで楽しい企画をしていきましょうと話をしました。

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リピーターの皆さん。入居者さん、利用者さんの笑顔は最高ですからこれからも施設の動向をしっかりチェックしていて下さい。

昨夜の護摩供養は凄かったです。

令和4年10月29日

東福寺で滋賀信行会が『子ども団参』を本日から2日間されて、企画の中心者として本部施設の西川課長が青年会に所属していることもあり、『準備を兼ねての前夜祭』で昨日は護摩供養の参加に合わせて準備の為に青年会のメンバー東福寺に泊ると聞いていたので、護摩供養は18時からなのですが、準備の為に集まる青年会の方々への差し入れと本日からの子ども団参に参加する子ども達へのお菓子の提供の為の買い物を東福寺に近い所に『ビバシティー』と言う大きなショッピングモールがあるのでいつもより1時間30分早くに施設を出ました。

施設を出て先ずは我が家に寄ってお手製の梅酒を2本(青年会用と静慈彰師の分)と祈りの書いた護摩木と数珠を持ち、先ずはビバシティーに行きビールや冷酒(大吟醸)も含めてつまみになる様なものを中心に購入して、子どもの参加者については参加者4人と聞いていましたので1人余分になる5人分を購入しました。

遺影の移動の為に来てくれた内藤会長と17時30分み合流する約束をしていたのに丁度お互いに東福寺の駐車場で合流する事が出来ました。昨日は滋賀信行会の青年会のメンバーも参加すると言う事で参加者がいつもより多かったのと、それに合わせたわけではないかも知れませんが静慈彰師の高野山大学大学院の同級生の方等も来て見えて護摩供養が始まる前から賑やかな雰囲気でした。(ここから本題ですので悪しからず。)静慈彰師から背の高い同級生の僧侶を紹介されました。

その方はお寺さんの家に生まれた方では無くて所謂『在家』の方が「宗教を学びたい」と言う事で高野山大学を卒業してその後大学院でも学ばれ15年を高野山で過ごされ、今は和歌山県で『魚供養の為の護摩供養』を毎日の様にされているとの事で、尚且つ1年間は金剛峯寺の管長のお付きを(ご本人は「秘書の様なものです。」とサラッと言われていました。)されていたと静慈彰師から紹介をされた時にその僧侶の法衣の至る所に穴が開いていて「これは護摩供養の時の火花によって出来たものだな。」と思うと「凄まじい毎日をなされているのだ。」と理解すると共に改めて「類は友を呼ぶ」と思った次第です。

18時になり護摩供養が開始されたのですがいつもと違い導師は至る所に穴が開いている法衣をまとったお坊様が(後で名前は『高橋』さんと分かりました。)されて、(簡単に住職の仕事を譲られる静慈彰師の器の大きいのには舌を巻く思いです。)太鼓や鐘を静慈彰師が、もう1人のお友達がクラリネットで雰囲気作りをされると言うのでお経を唱える我々も気合が入ります。高橋師の導師で18時から護摩供養が始まりました。いつもとは違い高橋師の導師は粛々とされているのですが護摩木に火が点くと凄まじい勢いで炎が上がり尚且つ火の粉もバンバンと飛んでいるのが分りました。

その間に静慈彰師の鐘と太鼓は激しく叩かれ、クラリネットの音色はさり気無くではありますが雰囲気良く聞こえてきました。その間に参拝者の般若心経も声を枯らして唱えるのですが静慈彰師の鐘と太鼓に打ち消されてしまう事も度々で・・・。護摩木を炎の中に入れるのを内藤会長の次にさせて頂いたのですが、炎がいつもより遥かに凄くて尚且つ護摩木を炎の中に祈りを込めて入れている時に火の粉が飛んできて、護摩木を一生懸命に祈りながら入れている時に足の所が「熱い」と思って思わず火の粉を払った後でそこの所を確認すると直径1センチ程の穴が開いていました。

この現象は不動明王様が私に何を語りかけていらっしゃるのかまでは分かりませんでしたが、護摩木を入れ終わった時にはいつも以上に幸せな気分になりました。リピーターの皆さん。私はこの様な思考の仕方をする人間なのですがこれからも宜しくお願い致します。

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昨夜は早くに寝ました。

令和4年10月28日

いつも寝るのは早いのですが、昨夜は特に早くに寝ました。20時20分に横になり、直ぐに眠りにつきました。「しっかり寝たかな」と思い時間を確認すると23時過ぎだったので「再び寝よう。」と思った時の23時14分に施設からの電話が鳴ったので「血圧も計れない状態になったとの報告を受けていた看取りの入居者の事か」と思いながら電話に出ると、管理宿直の北島部長からで、「先程心停止しました。」との事だったので「多賀先生に連絡をして、その結果を下さい。」と言って暫く待っていると「多賀先生と連絡が取れて6時前には行きます。との事ですしご家族の方もその時間に合わせて来て頂けるとの事です。」との連絡を受けたので「アラーム4時25分の行動開始と仏間でのお参りはいつもの様にしてお墓参りは看取り対応が終わってからにしよう。」と朝の行動をシュミレーションしてから再び眠る事にしました。

今までならこんな状態の時にはなかなか眠れなかったのですが最近『ヤクルト1000』が良いと言う事を大リーガーの大谷翔平さんが言っていたとの話題があり月2回販売に来ているヤクルトおばさんに購入して飲んでいる為かそれともたまたまの事なのかはわかりませんが直ぐに眠りにつけて4時25分にはしっかりと目覚める事が出来ました。本日から昨日のコラムで写真で紹介した仏間の写真6人に挨拶をしてから若宮八幡大神様での祈りと仏壇での正信偈と般若心経を唱えさせて頂いたのですが本日も蝋燭の炎は高く上っていました。お経を終えてからリュックサックを2つ持ち金剛杖を来るに載せて施設に向かいました。施設には5時30分に着いて多賀先生と家族の方をお待ちしていると 5時40分に多賀先生が来て下さり、死亡確認をして頂き事務所で書類を整えて頂いていると家族の方がおみえになり、多賀先生から家族の方にお話をして頂き、その後多賀先生をお見送りをしていると、家族の方が居室から戻ってみえたので会議室に案内をして今後の対応でお手伝い出来る事を話させて頂きました。

結論としては、家での準備もあるのでご自宅へは13時に施設が責任を持って運ばせて頂く事。職員の体制が出来たらお風呂に入って頂く事。荷物等の引継ぎは葬儀も終わって落ち着いてから等々のお話をさせて頂きました。手際よく対応が出来たので一旦家に帰る事にして、「いつもの様に幸福地蔵菩薩様、六地蔵様や我が家も含めて4軒のお墓に水を届けて本堂でのお墓でもお経が充分唱える時間がある。」と言う事で妙応寺の駐車場に車を停めさせて頂きお参りをする事が出来ました。

本日は彦根東福寺に於いて護摩供養の他にも滋賀信行会の青年部が明日からの子ども団参の準備と言う名の前夜祭を開くと西川課長から聞いているので少なからず子ども達にはお菓子を青年会の方には前夜祭用の差し入れを持って参加したいと考えています。リピーターの皆さん。毎日が充実している事に感謝しながらも日々精進をして頑張りますのでこれからもこのコラムのご愛読をよろしくお願いいたします。

 

今朝の蝋燭の炎は凄まじさを感じました。

昨日の静慈彰師のお参り中での蝋燭の炎も凄かったのですが、今朝のお参り中の炎はそれを凌ぐ勢いが有りました。本日、内藤会長が9時に来てくれて先代理事長夫婦、つまり私の義理の両親の遺影を若山家の父進、母秋江、姉光子、養母英子さんが並んでいる所に取り付けに来てくれる事になっているのですが、朝のお参りでは仏壇の前に並べてお参りをしたのです。先代の理事長夫婦も喜んでいてくれるのを表現するかのように蝋燭の炎が勢いよく上っているのだと思っています。そう言えば昨日、静慈彰師が我が家の仏壇でお参りをして頂いた後に然り気無く「仏さんも喜んでみえるようです。」と言われていた事を思い出してますます「迎い入れて良かった。」と思った次第です。9時過ぎに内藤会長が来てくれてもともと飾ってあった四人の写真も全体に手際よくかけ直してくれて「少しは仕事をしとるんや」等ととても失礼な事を言いながら作業を見ている中、紐の長さも調整して綺麗に6人の写真が並び仏間が賑やかになりました。もっと嬉しかったのはバランスの関係か父進と母秋江の間に柱があったのですが、めでたく二人の写真が同じスペースに並んだのは嬉しい限りです。内藤会長が全て作業を終えてからお茶を飲んで貰いながら『お大師様の不思議』について、内藤会長から熱く語って頂きました。私と同じ38歳の時に(同級生なのです。)内藤会長は5月に私は8月にお互いに父親を亡くしています。)お互いに父親を亡くしていて、内藤君は父親の跡をついで滋賀信行会の会長になられたわけですが、会長になられて既に30年の年月が経過していて、あまり『お大師様の不思議』等と言う話をしてなく、どちらかと言うと仏壇店の経営者としての話が多かったのですが、改めて内藤会長ほ凄い奴だと思った次第です。(気が付くのが遅すぎた様にも思います。)明日は静慈彰師の寺坊である東福寺で毎月28日に開催される護摩供養があるのですが、29日から30日に滋賀信行会の子どもを中心にした合宿が行われるのに合わせて滋賀信行会の青年会のメンバーが準備の為に集まるとの事だったので、青年会のメンバーとも親しく出来るのを楽しみにしていると共に滋賀信行会の会長として内藤会長がどんな振る舞いをされるのかも楽しみにしてます。コロナ感染症対策の一貫で集まる事が出来なかったので、今回の子どもさんの参加は4人と聞いていますが、「団参の復活」として生き生きした顔が紹介されると、間違いなく参加者は増えて行くと思うので「参加が少ないから今回限り」等と言う事で無く「継続していく」事の大切さを明日は私も熱く語りたいと思っています。リピーターの皆さんまとまりのないコラムになってしまいましたが、私自身は今後の色んな意味でワクワクと充実の日々でなる予感を感じていますので、このコラムでも適宜お話をしていきますのでこれからもよろしくお願いします。

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御守りが出来る事に感謝です。

令和4年10月26日

本日は先代の家から遺影を我が家に迎えいれる日です。「偉いな」との見方もあろうかと思いますが私は「御守りが出来る喜び」で一杯です。だってね。私が今を元気でいられるから出来る事。勿論、先代の理事長である義父にも義母にも叔母にも計り知れないくらいに感謝をしているからの本日の遺影の迎い入れだと考えています。考え方によっては「もっと早くに気がつけ」との考え方もありますが「その考え方が出来るようになった今がその時」と思い「やろう」と決めたらトントン拍子で本日を迎える事が出来ました。

昨日は19時から本部施設で全体会が開催されたのでいつもよりも遅くの眠りだったにも関わらず午前3時には目を覚まし、いつもの様に朝の日課を行いました。(作朝と同じく外に出ると星は5つ確認が出来ました。)家に帰り(家に入ると温かかったです。)シャワーを浴びてから朝食を頂いてからは、お迎えモードに入り、先ずは施設に行き、昨日購入した『松茸のお吸い物』(永谷園)とスリッパを借りに行きました。そして、そのままメルシーに行きお供えを貰いに行って、家の仏間の再点検をしていると9時い5分に静慈彰さんが来て下さったので仏間に招いてお話をしていると仏壇に参って下さり、お経をあげて下さいました。9時30分には内藤会長さんと小倉さんが来て下さったので静慈彰さんは私の車に乗って頂き、先代の理事長の家がある養老町に向かいました。

本宅は電気が停めてあるのですが本日は快晴と言う事で静慈彰さんのお経にも迷惑をかける事なくあげて頂き、さてさてメインイベントのお仏壇の搬入は幅は90センチだったので、それほど苦労することなき作業が進むと考えていたのですが、昔のしっかりとした仏壇であった為か高さがあり、重量もしっかりあり、内藤会長と小倉さんプラス静慈彰さんが悪戦苦闘して何とか軽トラ一杯いっぱいだったですが積む事が出来ました。「えっ私はどうだったか」とリピーターの皆さんは聞かれますか。私は・・・。迷惑がかからない程度に参加すると共に近所対策をさせて頂きました。

12時前に我が家に到着して静慈彰さんには早速僧侶に変身してもらい性根入れのお経を唱えて頂きました。お経をあげて頂いている時に仏壇の蝋燭の火を見ているといつもより勢いよく上っていたので、先代の理事長も喜んで頂いているような感じました。性根入れが終わってから準備しておいたお弁当を皆さんで食べて頂き、食べ終わってから仏壇の中にあった軸に静慈彰さんに法名を書いて頂き、無事に魂の移動を無事に終える事が出来ました。

静慈彰さんと内藤会長さんらをお見送りをすると、大して仕事をしていないと思うのですが、疲れがどっと出たようで、施設には行かずに言えでゆっくりさせて頂きました。そして、眠りから覚めてからお風呂に入っている時にコラムが書けていないことに気が付き夕食後の今(20時15分)何とか書くことが出来ました。さて、明日からは先代の理事長も我が家に来て下さったのでより頑張っていきたいと考えています。

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