お墓参りに行くために外に出ると・・・

令和4年10月25日

東の空は少し明るくなっていましたが、西の空は暗くて空気が清んでいるためか西の空にお星さまを5個見つけました。妙応寺の駐車場まで行くとお星さまは3個しか見つけられなくて、幸福地蔵菩薩様でお参りをして本堂の前で再び確認するとお星さまは全く見えなくなっていました。(このような、どうでもよい様な話題にリピーターの皆さん付き合って下さり、ありがとうございます。)

昨日は午前中に岐阜県福祉会館へ行き、午後は関市の施設に行くまでの時間でコラムを打ちバタバタと出掛けた関係でコラムの入力を頼まずに出掛け、その後もバタバタの中依頼の為の一本の電話をする配慮も出来ず、朝のお墓参りの時に「ふと」その一言の言葉かけもしていない事を思いだし施設に電話をすると、管理宿直の水野相談員が機転を利かせて23時過ぎに入力してくれたとの事で「有り難い事だ。」と朝から私の失敗をフォローしてくれた事を嬉しく思いました。

本日は明日が仏壇の『お休み』があり、朝食を済ませた後は蝋燭立てに蠟が至る所にこびりついていて尚且つ鶴亀の蝋燭立てなのでなかなか取れなかったので、かなり時間はかかりましたが何とか綺麗にして明日のシュミレーションをして、自分なりに頭の中で整理をしてから施設へ出掛けました。そして、先ずは明日の軍資金の確保の為に銀行でお金を下ろし、昼食用の木曽路のお弁当代、お供え用のメルシーのお菓子代、内藤仏壇への支払い、静慈彰さんへのお礼を封筒にそれぞれに振り分け、今は13時30分からのお参り(本日はデイサービス、新館1階、新館2階の3ヵ所です。)までにコラムを打ってしまおうと頑張っています。と言うのはお参りが終わった後は、17時の約束で花を購入に行くのです。(火曜日が定休日なのですがお店に無理を言って開けて貰う手はずになっています。)

どうして花の手配が本日なのかと言うと当日の朝だと、先代の理事長の家の方の準備が不安なのと静慈彰さん、内藤会長らとの集合場所は我が家なのでその場でバタバタするのは考えものだと思ったからです。昼食を貰いには副施設長に依頼して、メルシーへは私が当日の朝8時前に出れば何とかなるとの段取りをしたのですが、それぞれに無理なお願いをしているのですが、日頃のお付き合いのなかで何とかクリア出来ました。明日は、我が家に9時30分までに集まって頂き、義父、義母、叔母の魂を迎える事と先代の家のお仏壇の「お休み」が無事に終わったら、11月からは今まで以上にギアを上げて行きたいと思っています。

リピーターの皆さん。つくづく思うに、私の生き方は息が止まるまでギアを上げた状態なのかと自嘲気味に思っているのですが大丈夫ですよね。と言うのはニュースを聞いている中で「大臣が辞められて経済の専門性を持った方にしていかなければ」のような事が聞こえて来たので、私は「専門性の無い方でも大臣は務まるのか」と逆に思ったものですから・・・。

 

家の中は有り難い

令和4年10月24日

今朝も妙応寺経由のお墓参りから帰り、家に入った瞬間に「温かい」と思うと共に「外気温が低くなればなる程に家に入った瞬間はより温かく感じるのだろうな。」と思いました。それと共に夏は家に入ると『涼しい』と感じ、冬は逆に『温かい』と感じることが出来る、家と言うのは本当に有り難いと思いました。今、家に入ると温かいと言う事を書きながら、施設の入居者さんが「寒い」と言われた時に入居者さんを外の散歩に連れ出して施設に入ると「温かい」と言われる入居者に温かい飲み物を提供する事を提案して実践したのが現在、盲養護老人ホーム『優・悠・邑   和(なごみ)の吉澤施設長だったなと思い出しました。

発想の転換が出来る弾力性に富んだ職員は改めて頼もしいと思います。そう言う意味では本格的な神輿を手作りしようと提案してくれた伊藤主任も有り難い存在です。勿論一人一人輝いたところを持った職員ばかりなので、それぞれの良さを引き出しながら『チーム力』で、これからも頑張っていきたいと考えています。

さて、昨日は15時30分の約束で彦根東福寺の静慈彰さんに会いに行きました。慈彰さんは私の話を一生懸命に聞いて下さり、10月26日(つまり、明後日ですが)一日のスケジュールを開けて頂きました。そして、「この様な話は早いに越したことが無いし、私と若山理事長と内藤会長の3人の都合が付く日がこんなに早い時期に有ると言うのは素晴らしい。」と言って頂けたので、正式に仏壇の『お休み』と『性根抜き』と『性根入れ』も含めて出来る予定が立ち正直ホッとしています。先代の理事長の家の仏間は電気も点かない状態で改めて「先代に申し訳ない事をしていた。」と思った次第です。「10月中に下準備を整えて11月からはガンガンと活動していきたいとも思いました。

そんな状況の中、昨夜は20時30分と言う驚異的に早い時間から爆睡したので午前1時40分には目が覚め(しっかり5時間は眠れたと言う事です。)その後は目が冴えていたので10月26日の準備について色々と考えている内にアラームが鳴ったので(4時25分)行動を開始して午前には岐阜県福祉会館内にある岐阜県老人福祉施設協議会の事務局に行き、15時のお約束で関市にある施設に行くので、14時までに諸々の事に対処しておく為に昼食は5分位で済ませてバタバタと対応しながら開いている時間でコラムを打っています。「時間は有効に使うべし」が実践出来ている事に幸せを感じながら、11月攻勢を頑張りますのでリピーターの皆さん『社会福祉法人 杉和会』の今後の展開にも留意して頂けると嬉しいです。

 

明快な方向が決まりました。

令和4年10月23日

本日午前中に私の奥様の実家に行って義兄と先代の義父と義母と叔母の遺影を我が若山家でお祭りする話と共にお仏壇及び神棚については若山家に二つ設置する事は物理的に出来ないので滋賀信行会会長で仏壇店を経営されている内藤会長にお願いをして奥様の実家の物は「お休みして頂く事にしました。」(「処分」と言うのは如何なものかと内藤会長にお伺いするとその様な言い方が良いとの事でした。)義兄は私の話にしっかり理解を示して下さったので、その場で仏壇を「お休み」して頂くのと、我が家への迎い入れの為のお参りとして『性根抜き』と『性根入れ』の両方を同時に実施して貰う為に「この様な事をしっかりして頂けるのは彦根の東福寺の静慈彰師(静慈圓大僧正様の次男)が一番だと思い、その場でアポイントメントを取る為に電話をすると、本日は午前と午後にそれぞれ法事が入っているとの事で15時過ぎのアポイントメントが取れましたので14時30分には施設を出てお願いに行く事にしました。

電話でお願いすると言う方法もあるとは思いますが、私の性格上その様な対応は出来ないのです。先代の理事長の家には義兄が一人で生活をしているのですが、本宅の隣の家に住んであて仏壇が設置してある本宅は電気もきていないと聞いていたので、懐中電灯を持参して仏間の中を確認すると、仏花は枯れ枯れのまま入れてある状態であるのをみて、申し訳ない気持ちで一杯になりながらも、今迄配慮出来なかったのを申し訳なく思いました。部屋の中を懐中電灯で照らすと生前に天皇陛下から頂かれた叙勲の額があり、折角の物が勿体ない状態でした。

また、四国八十八か所の掛け軸が床の間に掛けてあったのも「折角の物が勿体ない」と言う事で施設において飾らせて頂く事で了解を得ました。その他にも義母は真多呂人形の先生でもあったので、素敵な物があちこちにあっても大切にされていないので「この様な事では人形も泣いている。」と思ったので近い内に頂きに来て3施設で皆さんにお披露目をして喜んで貰える様にしていきたいと考えています。私が配慮出来なかったのと同じ様に義兄には色んなものに対する配慮をする余裕が無かったのだと思います。そう言う意味では私も同罪です。

6月から我が家でのお参りとお墓参りが毎日出来る様になり、心に拠り所が出来たのか視野が広くなったと自分でも思っています。『半沢直樹』の番組の中で大和田常務が「施されたら施し返す、恩返しです。」などと言う大袈裟なものでは無くて、当たり前の事が出来ていなかった事を挽回するとの気持ちです。義父、義母、叔母の3人も若山家の一員として迎えれる事に喜びを持ってこれからはしっかりと供養していきたいと考えています。リピーターの皆さん。私はこんな人間ですがこれからもよろしくお願いします。

静慈圓大僧正がまたまた凄い事になっています。

令和4年10月22日

滋賀信行会の内藤会長から一昨日、「静慈圓大僧正からのご招待を頂いた。」との連絡を貰い、いつもはゆったりとした話し方の内藤会長がいつもになくテンション高い話し方で静慈圓大僧正からのご招待について話をしてくれているのです。しかしながら、雰囲気的には「凄い事」とはわかりましたが、具体的内容が全く理解できなかったので、その案内状をそのまま掲載したいと思います。

【大伽藍金堂内陣両壁画完成披露会のご案内   謹啓 清秋の候 御尊台益々御隆祥の段、大慶至極に存じ上げます。さて来年は、宗祖弘法大師御誕生千二百五十年を迎えます。総本山金剛峯寺は記念事業の一つに、大伽藍金堂内陣正面の仏画「弘法大師御尊影」と「四社明神」の二幅の描き換えを決定し、高野山清涼院静慈圓前官様へ、この大仏画二幅の制作をご依頼いたしました。約一年をかけて取り組んでいただいた仏画は、草木染めの手法を用いて染めた絹布を使用し、岩絵具によって重厚さを増す工夫などが施された、高さ450センチ・幅220センチの大作となって、今秋完成いたしました。金堂に納まれば容易に拝見する機会がありませんので、この度は静前官様のご意向を伺い、有縁の皆様方にご披露させていただく会を催したく存じます。ご多用中誠に恐縮では御座いますが、ご来駕賜りますようご案内申し上げます。  合掌】

とあり、発起人には高野山真言宗の宗務総長、総務部長、教学部長、法会部長、財務部長、山林部長と高野山大学学長の名前があり、後援が総本山金剛峯寺となっていたので、招待を頂けたのは全く持って恐れ多い事ですが、有難い事ですので11月18日は万難を排して参加させて頂こうと思っています。

そして詳細書きの中に【静前官様は「曼荼羅芸術制作会」を立ち上げて活動されています。こらはデジタルフォトの伝道師として独自の境地を開く小川勝久氏とのコラボ芸術で、世界に例がない新分野を開拓した「屏風の写真アート」作品群です。自然界をテーマにして描写される花や木や水や鳥の一つ一つの、細かな自然描写に驚かされます。この屏風作品に、静前官様が即興で墨書することによってコラボ作品となり、芸術をより高めようとするものです。】そのまま文章を書かせて頂きました。

そして、改めて静前官様の凄さを実感すると共に、昨年5月16日の盲養護老人ホーム 優・悠・邑 和(なごみ)での竣工式典において書のパフォーマンスをして頂いた事が如何に恐れ多いことだったと思っています。しかしながら静前官様に思いが無ければ高野山のお山を下りてわざわざ来て頂く事は無いのだから静前官様思いを裏切るわけにはいかないので、今は厳しい状況であったとしても必ずや視覚障害者の方にとってかけがいのない施設として日本の中で無くてはならない施設になる様に杉和会に関わる皆々様のご協力と頑張りで今まで以上にギアを上げて頑張っていきますのでこれからもご支援宜しくお願い致します。

  •  静前官様の直筆の書は本部施設にも和合の施設にもありますが特に盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)には多く書いて頂いています。是非にご来場下さい。そして、益々のご支援を重ねて、よろしくお願いいたします

 

今朝(5時30分)外に出ると息が白かったです

天気予報での岐阜県の最低気温は7度との事でしたので、多分我が村『今須』の気温は5度位だと思うのですが自分の吐いた息が白かったのには感動しました。だから外に出た時には「さむいな。」と思いましたが歩きだすと寒いのは気にならなくなり、橋の欄干で屈伸運動をしていた時にはじわっと背中に汗をかいているのがわかり「健康的だ。」と思った次第です。

本日は盲養護老人ホーム『優・悠・邑    和(なごみ)』で10時から入居者さんと一緒にお経を唱え、引き続きカラオケで私が歌を歌わせて貰い、その後、会議が出来るように会場を設定した後に全体会があります。14時からも緊急の大切な会議があるのでほっとする時間はありませんが、本日は本部施設の昼食はバイキング料理なのですが、昼間は外ばかりなのでバイキングの様子を見ることは出来ませんがバイキングについては職員に任せて理事長としての仕事を頑張りたいと考えています。

寒くなると思い出す事があります。それは高校1年生まで悲惨だった『霜焼け』の事です。特に小学生の頃の私は11月の声を聞くと両手両足の手首足首までリンリンに腫れてまっ赤、赤のてかてかで、学校から帰ると母秋江さんがゴボウの湯がき湯と冷水を準備して待っていて、湯と冷水の入った中に10秒ずつ手を入れる事を繰り返しするのが日課でした。

リンリンに腫れている時はしくしく泣いていて、少し良くなって布団の中に入るとむず痒くて「痒い、痒い」としくしくしていて、自分の事だったのですが今となったら「面倒な子」だったと思います。小学校へ行く時には靴を履くのも痛いと言って小学3年生までは姉光子さんにおんぶして貰っての通学だった様に記憶しています。(御免なさい。春子お姉さまにはカバンを持って貰っていたのですよね・・・。「ですよね」と書いたのは私の中での記憶は無いのです。「すみません。」)小学4年からは何とか自分で歩いて行ったのですがその理由は姉光子さんが中学校を卒業していまい、春子お姉さまにおんぶを頼むのは恐れ多かったのだと思います。

中学生になり、流石に『軍手』の様な腫れ方はしなくなりましたが、間違いなく高校1年の冬までは霜焼けがありました。では、高校2年生の時から霜焼けが出来なくなったのはどうしてかと言うと私は高校2年の夏休みに四国遍路に行ってからだと記憶しています。(私はこの現象を「ご利益を頂いた」と思っています。)

そして、本日10時から盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)のお参りで正信偈と般若心経を唱えてから「お経さんを大きな声で唱えさせて頂くと汗が出てきました。これは身体が活性化されている証です。」とお話をさせて頂きました。と言う事は今の私は小さい頃の私とは全く違った体質になっていると言う事で「ありがたい」とつくづく実感しています。その他にも春子お姉さまに「小さい頃の宏は音痴だったのに。」と言われているのですは、お話のあとで、しっかりとカラオケで2曲(『シクラメンのかほり』と『浜防風』)歌わせて頂きました。

リピーターの皆さん、私はますます進化していますので、これからもよろしくお願いします。

【追記】今朝の妙応寺の本堂にある大谷徹奘師の日めくりカレンダーには『ほしいのは 自分に 負けない 心です』とありましたが今の私は「負けとるわけにはいきません。」の考えしか浮かんできません。だからと言って奢った気持ちは全くありませんので。つまり、今を活かさせているのが嬉しくて嬉しくて・・・。

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議題・2題。

① 蛙さんの変貌術

妙応寺の境内にある三佛様(本尊様、不動明王様、毘沙門天様)の所まで行ってしきびの葉っぱが3枚落ちているのを拾おうとして3枚目が上手く拾えないと思ったら実は葉っぱではなくて蛙だったのです。「う~ん。実に上手く変貌術を使ったものだ。」と感心していると慌ててピョンピョンと佛様の方に逃げて行きました。そこで私は「この蛙は佛様に守られているのか。」と思った次第です。

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② 先代の理事長を守らなければ

先代の理事長とは私の奥様の父親。つまり私の義父なのですが、義父は私が今の事業をすることに対して絶大なる理解と協力と支援をして下さいました。私は施設が完成して事業開始をした翌年のお正月に義父と二人でお酒を酌み交わしている時に私からしみじみと「多くの資金を投入して頂けたのには感謝と共に申し訳ない気持ちでいます。」と話しすると、「立派な建物が建ったのだから素晴らしい財産になったのだからそれで大丈夫だよ。但し、建物が建ってからの方が大変なんだから頑張る様に」的な話をして頂き「ずっと頑張らねばいけない。」と思ったものでした。盲養護老人ホームの経営が厳しい中で色んな方々に相談したりすると共に寒い時期にも関わらず(1月、2月)2時間くらいウトッとすると寝汗をかいて眠れないので、ウォーキングマシーンで歩きながら『祈り』に没頭した時期もありました。

今は、他の施設に頼りながらではありますが経営の目途が立ち、6月からは朝早くからの仏間での祈りも妙応寺の本堂でのお参りや我が家へのお参りも落ち着いて出来る様になり、自分自身に少し余裕が出て来た為か昨日の朝の仏間でのお参りの時に「先代の家の仏間は悲惨な状況だと聞いているのに私は何の手立てもしていない。これではあまりに無責任ではないか。」と思ったのです。

それで、仕事はしていたものの上の空の様な状況で、全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議でもしっかりとした発言が出来なくて、この事もまたまた尾を引くような状態があり、大垣での用事を済ませて家に帰ったのが20時10分でその後お風呂に入りながら考えた結果、「先代の家でお守りが出来ないのであれば、私の家でお守りすれば良いのではないか。」との結論に達した時に今後やるべき事がスカッとしました。それは「仏壇はどうするか」「お参りはどうするか」です。

お風呂から上がり、早速奥様に私の思いを話しすると「その様にして貰えたら有難いです。」との事だったので私は改めて自分の配慮の無さを恥ました。リピーターの皆さん思いませんか。位牌になったとしても暗闇の中で放置しているのは如何なものかと。なるべく早くの対応で義父、義母、叔母さんに喜んで貰える様にしたいと考えています。今日のコラムは私勝手の話で申し訳なくおもいますが、私はこう言う人間ですがこれからもよろしくお願いします。

 

今朝は一段と冷えていたように思います

令和4年10月19日

仏間での祈りを終えて、水の入ったペットボトル5本をリュックサックに入れて背負い、金剛杖を右手に持ち外に出ると、東の空がほんのり明るくなっていて、西に向いて歩きだした時には街灯の灯りがまだまだ元気でした。それより何より外に出た瞬間に「今朝は一段と冷えているな。頭に毛糸の帽子が欲しい。」と思った次第です。

さて、前々から「膝が弱くなってきたな。」と感じていて1週間ほど前から(それまでにも、時々はしていたのですが。) 施設にある手摺を使っての屈伸運動をしていたのですが、3日前からは朝の歩きの時に橋の欄干、今須稲荷のおきつねさんの台座、本堂と今須稲荷を結んでいる廊下の下の石垣を利用しての屈伸運動を加えたのですが、わずか3日目なのですが、膝の動きが良くなって来たように感じています。と言う事は何もしなければ良くなる事はないけど、少しの時間でも工夫する事によって良い方向に向く事があると言う事なのだと改めて思った次第です。その事はこのコラムの連続更新にも言える事だと思っています。

例えば朝食が終わってから施設なり出張等に出掛ける前の僅かな時間でも、ガラケー携帯の画面に向かって原稿を打っているのですがその時の100文字、200文字、時には300文字がある事によって、毎日の原稿になっていると思います。勿論、毎日書く事によってスムーズに原稿が書ける様になった事と歩きながらでも話題となるものを見つけようとしたり、構想を練る事が常態化しているのも大きいと考えています。

本日は午前中に外部からのお客様が2人みえたので2人目をお見送りして事務所に戻ったら12時になっていて、13時30分からは全国老人福祉施設協議会正副会長委員長会議が開かれ(リモート会議)16時までの予定で17時30分からは大垣に移動しなければいけないし、多分家に帰れるのは20時30分過ぎになると思うのでそれからコラムを書くのはしんどいので、昼食を急いで頂いてからパソコンに向かって今(13時10分)コラム原稿を書いている次第です。

小学生の時には夏休みの宿題も、夏休みも残す所あと3日位になるまで殆ど手付かずで、怖~い春子お姉さま(断っておきますが今はとてもとても優しいですよ。)に怒られながら半分泣きべそをかきながら、結局読書感想文とか工作などの宿題は春子お姉さまに手伝って貰ってと言うより完璧にして頂いた私だったのにと思うと、私は小さい時には成長せずに今になって成長しているのかと思っています。しかしながら、私も児童養護施設の指導員時代には小学生の感想文などは私が下書きをして正書だけを書かせた事を思い出しました。その時は小学1年生ならこの程度の文章だろう。6年生ならこの程度だろうと考えながら書いていたので、『相手の身になって』はこの頃身に付けたのかも知れません。と言う事はリピーターの皆さん「何事も無駄なし」。本当にありがたい事です。(ここまで書いて13時25分で本日もクリアと言う事で・・・)

東の空から明るくなってきました。

令和4年10月18日

家でのお参りをして妙応寺経由の我が家以下4軒のお墓参りの為に外に出るとまだまだ暗くて(5時25分)空気が透き通っているからだと思いますが、まだ暗いと言う事もありお星さまをいくつか見ることが出来ました。そして、いつもの事ですが東の空に向かって手を合わせると、東の空がうっすらと明るくなっていたのですが、西の空を確認するとまだまだ暗いので、間違いなく東の空から明るくなる。つまり、東の空から太陽が上ることが理解出来ました。と言う事は『天才バカボンのパパ』が言っている事は「ちがうのだー」と言うくだらない事から書き出してしまいました。

本日は13時30分から全国老人福祉施設協議会による、『第一回代議員等の選出に係る制度検討特別委員会』があるのですが、この委員に会長を含めて5人の委員の中に選ばれたのは総務・組織委員会担当副会長の任にあるからだと言う事を理解しているので「ここはしっかり意見が言える様にしておかなければいけない。」と言う事で午前中にしっかり資料の確認をしました。私は全国老人福祉施設協議会の役員になったのが平成18年8月ですからすでに15年以上直接的な関りを持っているので、役員さんのなかで色んな考え方を持ってみえる方がある事は理解出来るだけに、全国老人福祉施設協議会が今後も高齢者福祉の中で中心的な役割を担って行く為にも精一杯自分なりの意見を述べて行きたいと思っています。

13時20分からパソコンの前に座ってスタンバイしていると平石会長が画面に入られたので昨日相談させて頂いた事のお礼を話していると、外部委員の弁護士の先生と全社協の常務理事の2人の方も入ってみえたので本日が初会合の為進行をされる平石会長がお互いの緊張を取る為だと思ったのですが「若山副会長は自己紹介する時に必ず『岐阜の若山です。』と言われる方で、朝6時30分からお経をあげられている方なんです。」と紹介して頂いたので「ここは、リラックスする為に」と考えて「会長6時30分からでは無いですよ4時30分からです」と言うと平石会長が「流石に年寄りだ。朝が早い」と切り返され外部委員の2人の先生に「何時ですか。」とふられたら一人の方が「6時です。」と言われてもう一人の方が「私はもう少し若いので6時30分です。」と答えられたところで定刻の時間になり雰囲気よく検討会が始まりました。

初めての検討会議と言う事もあり本日は事務局からの説明が中心になりましたが、そんな中でも外部委員の方からは専門性のある意見を多く頂く事が出来ました。私は役員として15年の経験を生かした提案をさせて頂きました。人数が限られている中での会議なので密度良く進行したので次回の会議でもしっかりとした参加をしたいと考えています。リピーターの皆さん緊張感ある時間が持てている事に感謝なのであります。

雨が降っていましたが頑張りました。

令和4年10月17日

前日に10時間以上しっかりと寝たので昨夜は眠りが浅かったのですが不思議な事にアラームセットの4時25分の1分前に時間を確認してアラームがなってからてきぱきと行ったので本日は5時25分には外に出ることが出来ました。外に出ると雨が降っていたので傘を左手に右手には勿論金剛杖を持ち、背中にはリュックサックに5本の水が入ったペットボトルを背負い、お墓へのお参りまでしっかり頑張りました。本日は岐阜県庁に9時30分までにいかなけれはいけないし、14時からは和合で幹部会とお参りがあり、17時15分からは本部施設の幹部会があるので1日充実した日になりそうです。

昨日、1昨日の土日は比較的ゆっくりさせて貰ったので何と無く帳尻があっているように思っています。本日9時30分までに岐阜県庁に行くのは、岐阜県庁が来年(1月4日)から新しい庁舎に移る事になっていて、私は設計の段階から『ユニバーサル検討会委員』として関わらせて頂いていて、あと2ヶ月になった段階での見学会と共に検討会が行われるのです。この様な企画は素晴らしいと思います。と言うのは建物が完成してからでは仮に使い勝手が悪い所が見つかったとしても、なかなか直せるものでは無いからです。勿論殆ど完成に近い段階で直す事は難しいとは思いますが私なりにしっかりと見て指摘すべきは指摘していこうと考えています。

家を8時10分に出たので充分に時間があるはずだったのですが、大垣辺りまで車を走らせるとナビでの到着時間がいきなり9時40分になったので焦ってしまいましたが、穂積の道なら児童養護施設時代にくまなく走っているのでコース変更をして、何とか9時10分に着いたのですが、いつもの駐車場から新庁舎に向かったのですが何処が会場なのかがわからず工事の誘導をしているガードマンの方に聞いてもわからなくて急ぎ高齢福祉課に連絡すると「確認します。」と言う事で5分程待っていると迎えの方が来て頂けて事なきを得ました。

会場内はスリッパに履き替えるようになっていて、午前と午後にグループ分けがしてあり、午前は障害と高齢者の4団体のみで、県庁舎開設準備課長さんの挨拶に引き続き係長さんからの説明を受けたあと新しい建物の議会棟及び県庁舎を詳細に渡って説明を受けながら議会棟及び庁舎を見させて頂きました。検討会は平成29年から継続的に7回開催されましたが視覚障害者の方の立場や身体障碍者の立場に立っての意見はしっかり言わせて頂いたので指摘した事に対しての配慮はかなり組み込まれていて、バリアフリーもしっかり出来ていました。

私の素直な感想は「とにかく広い」と言う事(最上階の20階はオープンスペースで約3000㎡)と「岐阜県の物が多く使われている」事には驚きました。県産の物は美濃の和紙、東濃檜、多治見の陶器等です。12月16日には竣工式典がありご招待を頂けるとの事なので楽しみにしています。岐阜県が誇る岐阜県庁舎としての機能をしっかりと果たして貰う事を期待してます。リピーターの皆さんも来年の1月4日からは新庁舎での事業開始です。一度見学などされたら如何でしょうか。ちなみに駐車した所から雨にぬれずに行けるようになると聞いてます。

 

飲みすぎは色々と支障をきたします。

令和4年10月16日

一昨日も一週間ぶりに強かお酒を飲んで、一週間前のしんどさが全然反省につながっていないのは自分自身の事ながら如何なものかと思っています。しかしながら、世の中にはお酒の強い方は沢山おみえになるとつくづく思っています。と言うか私も決してお酒は弱い方では無いのでいやいや、強い方だと思いますが『類は類を呼ぶ』と言う事なのでしょうか。

昨日は二度寝をして流石に運転は控えた方が良いと思い迎えに来て貰い、「最低限度の仕事はしよう。」と考えて、書類の決裁とコラムは書くことにして、昼食は二日酔いには最適な味噌煮込みうどんを作って貰い、少しは味噌にお酒が吸収されたのか少し気分が良くなった様で、少しは頑張れました。但し、15時過ぎには頭が全く働かない様な状態になり、「このまま施設にいるとだらだらしてしまい職員に示しが付かない状態になってはいけない。」と思い家まで送って貰い、直ぐに自室で横になると直ぐに眠りにつき、気が付いたのは19時30分が過ぎていて「今ならお風呂に入って夕食を食べる事が出来るな。」と考えて1階に降りて行くと、奥様から「20時過ぎたら自分だけ食べようと思っていた。」と言う事でお風呂にゆっくりと浸かり夕食もしっかり食べる事が出来ました。

3時間位しっかり寝たにも関わらず21時30分には眠りにつき本日はアラームセット前の4時15分に爽やかに目覚めました。そして、仏間での水替えをしながら昨日は仏間での水替えもお経も出来てない事をお詫びしていつもは2本の線香に火を点けるのですが、本日は昨日の分もと思い4本のお線香に火を点けて気合を入れてお参りをしました。気合が入っていたからか本日が気温が高かったかはわかりませんが、ほんのりと背中に汗をかきました。そして一番理解した事は妙応寺の本堂でのお参りをしている時に痛感した事ですが、お経を唱えようとしても声が出なくて立ったままいるのも辛くて、大きな賽銭箱に持たれるようにいたのです。勿論本日はしっかり立って手を合わせながら大きな声でお経を唱える事が出来ました。

昨日から気になっていたのですが、確認するのが怖くて出来なかった事をお参りを終えてシャワーを浴びて朝食を済ませてから恐る恐る確認したのがガラケーで撮った写真です。大変な所を強調する為にめっちゃ左足が巨大に写っていますが、それ程でもないのですがリピーターの皆さん「痛々しい」と思いませんか。「どうやってこんな傷が出来るの」と思われるかも知れませんが私の右足は特に器用なのです。お酒を飲んで体が火照って文字通り『痒い所に手が届く』と言う事ですが『過ぎたるは及ばざるが如し』との格言通りです。今回は『3日酔い』にはならずに本日は元気ですので午後からの藤下の高木さんとのジョイントカラオケは頑張りたいと思っています。

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