ボストン会の報告

令和4年9月25日

昨日お約束をしたボストン会の報告をします。先ずは、米原駅に合流する為に11時30分に水野相談員に車と運転を提供して貰い本部施設を出発。途中で昼食するつもりで早く出ると、福岡の花田先生から「名古屋開催だと思い飛行機で来たので今は名古屋なので在来線で間違いなく13時には着きます。」との事だったので、太田先生も名古屋で前泊されていたので、その旨を伝える為に電話をすると太田先生の返事は「既に米原駅に着いている。」との返事に私は「昼食をどうされますか」と聞くと「私は1日2食しか食べないのでここで待っています。」との返事が返ってきたので、私が思ったのは「急いで昼食をとって太田先生との合流をなるべく早くしなければいけない。」と言う事で途中にあったお店で味噌カツ定食を急いで頂き、米原駅に向かい、水野相談員に車で待機して貰い、2階の改札口に向かい太田先生と合流が出来て先ずは一安心。

しばらくすると花田先生が在来線の改札口を出てみえて、またまた一安心。3人で話をしていると太田先生のスマホに大久保先生から、「予定の列車に乗れなかった。」との連絡に「大阪を出られたら連絡下さい。」との対応の後はまたまた3人で話をしていると再び大久保先生からの連絡があり米原駅に向かわれた事がわかり(予定より30分遅れ)、ほっとして再び3人で話をしていて、到着時間になり、3人で改札口でお迎えして水野相談員の車で本部施設へ。

施設内の案内はコロナの関係で出来ないので、施設の外周を車で回り、本館・新館・アパート・事業所内保育所兼アパート・アパート・コミュニティハウスと見て頂いてから施設に入って頂き、会議室でケーキと紅茶を頂いて貰いながら積もる話と共に本部施設の状況を話させて頂きました。

30分の予定でいたのですが1時間近くの滞在となり、次の盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)に行き措置施設故の厳しい状況を話ししながらも今後へのビジョンを話すると、今回参加の方での最長寿の大久保先生が「25年前に施設を計画していると言うので正直止めた方が良いのではと思っていましたが、ここまで良く頑張ったね。今回の厳しい状況も若山さんなら必ず打開されると思いますよ。」とのお言葉を頂き本当に嬉しかったです。そして太田先生からも「若山さんは何も基盤の無い中でここまでされたと言うのは素晴らしい。」とのお褒めの言葉を頂き嬉しさは倍増しました。お話と当法人のホームページに掲載しているユーチューブを大きな画面で映しながら見て貰いました。

この時点で予定より1時間以上遅れているので、施設最後の優・悠・邑 和合については『3施設で唯一の理事長室の見学』の様な感じで20分程の滞在でホテルのチェックインは17時20分を回っていて、17時48分に大垣駅に着かれる気仙沼からの参加の小原先生を迎えに水野相談員と伊藤主任に行って貰い、私はその間にシャワーを浴びて18時30分からの懇親会に供えました。

「持ち込みOK」を頂いていたので、石川県の久藤会長から頂いた取って置きの『菊姫』を1升持ち込んでの懇親会でした。私の好みで和食だったのですが何よりも話が一番のつまみで沢山頂きました。2次会は私の部屋で職員が準備してくれたつまみと果物で(こういう時には伊藤主任の元洋食屋の料理人は大活躍です。)またまた話で盛り上がり結局持ち込んだ菊姫は小原先生と私で飲んでしまいました。(残りの3人は専らビールです。)

23時にお開きになり、即爆睡して朝起きてしっかり水を飲みシャワーを浴びてシャキッとして、7時14分にホテル前から出るバスで小原先生が出発されるので、朝食会場で挨拶をして、バスも見送りその後片付けをして8時からの朝食の約束の朝食会場で大久保先生・太田先生・花田先生をお待ちして私も入れて4人で朝食を頂き、花田先生が9時10分過ぎの電車に乗られると言う事で8時45分に水野相談員の車に大久保先生と花田先生をお乗せして(太田先生はもう少しゆっくりしているとの事で。)花田先生を大垣駅で降ろし、大久保先生は米原駅までお送りして無事にボストン会の幹事役は終わりました。

お客様が満足して帰って頂けたのは職員の色んなサポートがあったればこそと思うとリピーターの皆さん、当法人も設立して25年が経過した結果だと思うと考え深いものがあります。

いよいよボストン会です。

本日、13時に米原駅に西は福岡と大阪から、東は愛知から(遅れて気仙沼から)集まって来ます。昭和最後の年に私は35歳で参加した海外研修団『ボストン会』も当時は17人の団員がいたのですが、亡くなられた方や体調が優れない方もみえて、今回の参加は私を含めて5人ですが、34年も続いているのは素晴らしい事だと思います。

バタバタの毎日で・・・、いやいや充実した毎日の中で、なかなか受け入れ側としてのイメージも出来ずぼんやりと『3施設の見学と私の思いを語り、旧交を温めればいい。』と考えていただけだったので、本日午前2時に目覚めてからは色々とイメージを膨らませていて、4時25分のアラームで飛び起きて、いつもの様に仏間での祈りとお墓参りを済ませて朝食後は施設に行き、3施設で準備すべきものを指示して、新しく出来た関ヶ原古戦場館に行きミニ屏風を手土産に購入してこなければとも考えています。ただし、台風の影響が心配ですが、気仙沼からは無理だとも考えられますが最悪でも4人のメンバーは揃うのでこじんまりにはなりますがおみえになった方々に喜んで頂けるように最善を尽くしたいと考えています。

35歳で資生堂さんがスポンサーで児童施設等で秀でたメンバーが集い、アメリカに行かせて頂いたのですがその時の研修が私の生き方を大きく変えたと言っても過言ではありません。と言うのは問題を抱えている子どもに対しての支援の仕方が半端ではなくて「5年後の日本もアメリカの様になるのではないか」と言う大いなる勘違いによって私は38歳の時に児童養護施設の指導員退職して今に至っているのです。

さてさて、本部施設での段取りをして後の2施設に連絡すると、盲養護老人ホームの吉澤施設長は私と同じことを考えていてホームページにユーチューブに張り付けてあるのを画面に映すように指示をすると、「既に準備してあります。」との返事が返ってきて、尚且つ飲み物の話をすると「コーヒーとケーキを準備してます。」と言うので「私もケーキを予定しているけどどこのケーキ」と聞くと「勿論メルシーです。」との事で「どんなケーキを予約したの」と再び聞くと「苺ショートです。」と言うので絶句と共に苦笑いです。と言うのも私が予約したのも全く同じだったからです。

ここ2年は吉澤施設長との密度が高く苦しい状況も共有しているし、吉澤施設長の運転で出掛ける事も多く色んな話をしていると言う事は「ここまで思考が同じになるものなのか。」と思うと頼もしくもなりました。「『1言って10を知る。』を吉澤施設長は実践出来る様になったのか。」と思うと厳しく指導してきた甲斐があったと意外な所から感じた次第です。

さて、久しぶりに開催されるボストン会については明日のコラムで書く事にして、お迎えする体制にしますのでリピーターの皆さん、明日のコラムを楽しみにしていて下さい。

 

一本の電話にこだわってます

令和4年9月23日

昨日、五次部長から「就職希望の電話です。」との事で電話を代わったら、2ヶ月ほど前に面接の日時まで決めて待っていたにも関わらず、何の連絡もしないで面接に来なかった方だとわかったので、「前回は何の連絡も無しでキャンセルされたのは如何なものですか。」と聞くと間髪入れずに「ガチャン」と電話を切られたのです。確かに今の介護業界の人材不足は深刻ですが、そのような対応しか出来ない方だと採用する前にわかったのは幸いだったと思っています。それは決して強がりでは無くて、本当にその様に思っています。しかしながら、自分の方に非がある事は間違い無いにも関わらず、非を認めず謝る事もしないで、自分の用件が通らないと言う事で一方的に電話を切ってしまう事がまかり通ると考えている方が、介護の世界に入ろうとされているのには非常なる違和感を持ったので、午前1時過ぎに目が覚めてからずっと眠れませんでした。

と言うのは、昨日家に帰るとテレビが点いていて東京北区の特養で入居女性が死亡、介護職員が指名手配されてその追跡がされているとのニュースを見たからです。関連付けてはいけないのですが、戦後間もない頃『学校の先生にでもなるか』(『でも』『しか』)的な風潮があったと聞いています。私が大学を卒業した頃の採用試験は非常に難関だったので、レベルの高い先生が多かったように思います。(私は落ちこぼれましたが・・・。)一般論として景気が悪く就職氷河期と言われた時期の離職率は低く、景気が良くて安易に採用された時期の離職率は高いように思います。話を戻します。

東京北区の事件をインターネットで情報収集すると、入居者の方への暴行の結果、司法解剖をしたところ、「頚髄(けいずい)・脳幹損傷の可能性があり、胸椎(きょうつい)や腕の骨が折れていたほか、胸や背中などに熱湯をかけられたみられるやけどの痕もあった。」との記事と共に「容疑者は今年の6月から非常勤職員として勤務しており、7月に入居された本人の介助を担当していた。」との記事も掲載されていた。施設での状況の詳細が明らかになってこないとわからない事が多いので本来コメントをすべきでないし、結果的にピント外れなものになるかも知れませんが敢えてコメントをさせて頂きます。

同じ様に特別養護老人ホームを運営している立場で述べさせて頂くなら、入職して3か月の経験しか無い職員が夜勤帯でフロアに1人になり責任ある立場になる業務を任せて良いのか。(他の施設での経験があるのならば話は別ですが。ただし、容疑者は50歳と言う事ですから、もし経験者だとすると『非常勤職員』と言う事は無いと思いますが。)東京では人材不足がそこまで顕著だと言う事なのか。施設に任せると言うのは『専門性がある』と家族の方は信じられていると思います。但し、この様な記事が出た今、「どこも同じ様な現状があると思われたら一生懸命に頑張っている施設にとっては悔しい思いになってしまいます。また、解剖の結果の記事からは介護を業とする資格は無いと思われるが、運営者はその事を見抜けなかったのか。また、いきなり殺人にまでエスカレートする事は考え難いので、3カ月の間に他の職員が何も気付いていないとは考えられない。

「う~ん」考えれば考える程特養での出来事とは思えない。仮に『認知症』が顕著な方だったとしても「有り得る事」と言えない。特別養護老人ホームには認知症の方は多く入居されているのだから、認知症に対する知識をしっかりと持った対応が望まれる。「そこまでの余裕が無い」と言うのであれば、稼働率を落としての対応も必要なのではないか。

重い話になったのでリピーターの皆さん、少し明るい話をして本日のコラムを終えたいと思います。本日は家族にコロナ陽性者が出てデイサービスの運転手が足らないと言う事で、朝の送迎の運転を買って出て送迎に出て、利用者さんが乗られる度に(3人だけでしたが距離は30キロ位ありました。)お声掛けをすると、最初の利用者さんは私の母親代わりの姉光子さんの事を良くご存じの方で、元役場職員だと言う事で盛り上がりましたし、二人目の方は私が坂内中学に勤務していた時の校長先生の話をすると「音楽の先生だったね」との話しから盛り上がりました。3人目の方は私を四国遍路に導いて下さった伯父さんの話をすると、これまた盛り上がりました。その様にそれぞれ盛り上がったのは、その地区その地区に私に関わって下さった方が見えたのと、私も積極的に話をしていったからだと思います。送迎の運転も「また楽しからずや」と言う事で。

ゆっくりしようとしたのですが・・・。

令和4年9月22日

昨日は朝イチで薔薇を購入に行ってからバタバタの一日で岩田理事の税理士事務所での打ち合わせを終えて施設に寄らずに家に帰ったのが18時30分で「本日は一日頑張ったので、お風呂にゆっくり入ってご褒美として熱燗を一杯だけ飲もう。」と言う事でお風呂に入って脱衣場で服を着ようとした時に携帯が鳴り、その電話は施設からで「看取りの入居者さんが息を引き取られた。」との事だったので、取り敢えず裸のまま、多賀先生に連絡すると多賀先生が「直ぐに行きます。」との事だったので、急いで着替えて施設に向かいました。施設に着いて30分後には多賀先生に続いてご家族の方もみえたので、多賀先生に死亡診断書いて頂き、家族にお話をして頂いたので、その後、多賀先生をお見送りしてから、ご家族の方と今後施設側が出きる事の話をして、役場や葬儀を取り仕切って頂く業者さんに対してお手伝いさせて頂いて「明日9時に家へ亡くなられた入居者さんをお送りする。」とのお話をさせて頂き、家族の方が帰られてから家に帰らせて頂きました。

お酒を飲むのも食事をする気にもなれずパジャマに着替えて寝ることにしました。もっとも、施設に着いてから多賀先生とご家族を待っている間に前日移動販売で買ったパンを食べたから決して痩せる事はありませんが、つくづく私の生き方は『予定は未定であり決定ではない。』と思った次第です。朝はいつもの様に妙応寺経由のお墓参りの後に朝食をとり、9月26日の介護保険審議会に委員として参加する小泉副会長との緊急打ち合わせが10時から行われるのでその前に昨夜亡くなられた方を8時45分にお送りしようと出発をする前に連絡すると、家の方がまだ準備が出来ていないとの事でお送りするのを代わりの職員に任せて玄関前でお見送りだけさせて頂き10時からの緊急打ち合わせの下準備をして会議に挑みました。会議の進行はデイサービス部会担当副会長の私が担いました。

1時間と言う比較的短い時間での取りまとめなので、密度良くそれぞれの立場で話をして頂けることを念頭において会議を進めていきました。今回の話は『介護保険の根幹』を揺るがしかねない問題なので、財務省と厚労省の考え方を今は事務局の立場ですが元厚労省審議官をされていた専務さんからも意見を聞いて戦略を練り、最終的には小泉副会長に審議会で発言して頂くので最終的取りまとめをして頂くように話をすると共に今後は世論を味方に付けた展開と国会議員の協力も得ていかなければいけないと思いました。

さて、明後日24日には私が児童養護施設の指導員をしていた35歳の時にアメリカ研修に行かせて頂いた時の仲間が岐阜に集まります。何と言っても34年前の研修団ですので17名いた団員の内の5名しか集まりませんが(されど35年です。北は宮城県から南は福岡県の強者が集まり、当法人の3施設を見学して宿泊をするフォーラムホテルで懇親を深める予定で、本日フォーラムホテルの総支配人との打ち合わせをしてきました。リピーターの皆さん、何事も手抜きが出来ない私ですのでやるべき事は頭を切り替えて頑張りますのでその報告は「いずれまた。」と言う事で。

 

朝のお墓参りは6月5日から続いてます。

令和4年9月21日

本日が9月21日ですから、コロナの4回目の予防接種のあと熱を出して1週間の中断はありましたが、それでも、丸々3ヶ月は朝のお参りとお墓参りが続いてます。昨日は台風が厳しいと言っていたので「流石に駄目か。」と思っていたのですか、予想を覆して青空だったので連続記録も途切れる事がなくて、本日は朝のお墓参りとウォーキングを終えて朝食後は薔薇農園のある神戸町まで車を走らせます。この神戸町のハウス栽培は私の記憶を遡ると私が小学6年の時に父進が西濃教育事務所に勤務しており、その当時の農業を営む青年会組織にハウス栽培でのしっかりとした組織を作る指導に力を入れていたのをおぼろげながら覚えています。

50年以上前に父進が力を入れていたのが今も脈々と続いている事に感動を覚えながら私が今正に展開している『社会福祉法人』の展開が50年後にも語り継がれていたいと考えています。そうなる為には今を大切に頑張りたいと思っています。本日のウォーキングは爽やかで汗を少しだけかく程度で。そう言えば仏間でのお参りの時に昨日までは腕にまで汗をかいていましたが、本日は全くかかないので、気温がぐっと下がっているのだと思います。高齢者の方にとっては寒暖の差が激しい時期は体調を崩される事も多いのでより充実をしたケアに取り組まなければと考えています。ただし、本部施設では本日も薔薇湯で楽しんで頂きます。元気で活性化されれば病気も逃げて行くと根拠があるようなないような事を思っていますが、「今日一日楽しかったよ」を徹底して展開して行けばより良い施設になると確信しています。企画を立て実践していくのは『職員』であり、私は理事長・施設長として、出なければいけない時には躊躇しないで出て、不充分な対応があった時にはフォローに入るスタンスでこれからも頑張っていきます。薔薇農園からは9時過ぎに施設に着き、玄関ホールで購入してきた薔薇をひろげて各フロアに40個づつの予定で購入したのですが毎年購入させて頂いているので何と各フロア70個づつ渡す事が出来たので、各フロアから取りに来た職員の顔を見るとワクワク感がみなぎっていました。

さてさて、実際のお風呂での様子は明日職員から聞くとして、11時過ぎから全国老施協デイサービス部会長と9月26日に開催される『介護保険部会』での老施協の意見陳述の骨子をまとめる為の会議が明日あるので、そのまえの下打ち合わせを部会長とさせて頂き、(先程も会長の意向を確認しました。)13時30分からは岐阜県老人福祉施設協議会の理事会が岐阜県福祉会館で行われるので、その対応をします。役割を与えて頂けると言う事は大変ありがたいので、これからも与えられた役割を頑張って行けばこのコラムの題材にも事欠かないと思いますのでリピーターの皆さん、これからもご愛読よろしくお願いいたします。(11時以降の予定が目一杯なので早々と書いてしまいました。リピーターの皆さん、『時間は作るものと言う事で・・・。』)

台風一過で清々しい朝です。

令和4年9月20日

アラームが鳴った4時25分に目覚めたのですが、部屋が暗いので「うん?」と言う感じでしたが、段々と頭が回転してきて、「台風対策で雨戸が閉まっているからだ。」と気が付き行動を開始しました。いつもの事ですが水かえをして、蝋燭と線香に火を点けてから若宮八幡大神様に一生懸命に手を合わせ、仏壇でお経をあげて外に出ると「爽やか」と言う事で快適に歩きました。確かに昨日の『寸胴祭り』は時には強風が吹く中でしたが、素敵な企画が実践できたので最高でした。火の番は生気を吸いとられるのか、かなりバテバテでしたが、昨日は早く帰らせて貰ったので体力、気力共に充実しています。本日の『千巻経』でも、しっかりと頑張って祈りを一杯に参加したいと考えています。

ただし、未だコロナ感染症が収束していないので、リアルでの参加は外部からは滋賀信行会の内藤会長の他に3人、家族会は吉田会長のみで、デイサービスの利用者と本館1階の入居者さんが仏間の東西に分かれてお参りして頂き、その他のフロアの方はテレビにつないでの参加となります。リスクを最小限に抑えての企画ではありますが、その中でも「今日一日楽しかったよ」にしたいと考えています。

ところで敬老週間の企画の一つである『バイキング』(9月22日)に暗雲が立ち込めています。と言うのは例年松茸をお願いしている業者さんから「今年は例年の様に松茸が手に入りにくくてどれだけ頑張ってもキロ20.000円より下がる事はない。」との事だったので、流石にキロ20.000円で購入するくらいなら、違うものに変更して安価になった時に松茸ご飯を提供した方が良いのではないかと考えて『松茸ご飯』は『栗ご飯』に変更して提供したいと言う事でバタバタと手配をしました。久しぶりの言葉となりますが『予定は未定であり決定ではない。』と言う話でした。昨日の『寸胴祭り』にしても「台風の為に中止したら」との意見もありましたが「昼食を非常食にするわけにはいかんから、充分気を付けてやりきろう。」と言う事で結果的には皆さんに喜んで頂けました。

さて、本日午後1時30分からの千巻経は滋賀信行会の内藤会長さんと青年会の3名(とは言え、西川課長は夜勤明けにも関わらず親子で参加)と家族会の吉田会長を中心にデイサービスの利用者さんはデイサービスエリアから、本館1階の入居者さんは会議室での参加で後の入居者さんはテレビに映るのを見ての参加で内藤会長さんの導師と西川課長のパパさんの木魚で21巻を唱えました。総勢130人からの参加ですから千巻何てものでは無いのでお経が終わった時には「施設が清まって浄化された。」と正直に思った次第です。

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明日は『薔薇風呂』を楽しんで貰う為に朝8時30分までに神戸町で薔薇農園をされている方の所に直接行って安価な薔薇を購入してきます。リピーターの皆さん、明日はお風呂の中での満足な笑顔が見られると思うとワクワク感一杯なのですが・・・。

 

本日はいよいよ『寸胴祭り』です。

令和4年9月19日

いつもの様に4時25分のアラームで行動開始。「よしよし、雨は降っていない。何とか寸胴祭りが無事に終わる午前中は雨も風も大した事の無いように。」と仏間でのお参りはいつもとは少し祈りの内容を変えながら一生懸命に祈りました。仏間でのお参りを終えて外に出ると突風の様な風。私は思わず「痩せてるから飛ばされそう。」等とワケわからんことを言っています。ポツポツと雨粒が落ちてきたのですが「傘は風が強いので意味がないな。」と言う事で、傘なしを強行したのですが、不思議な事にしばらくすると雨粒は落ちてこなくなり青空も少し見えるようになりました。「不思議な事だけれど、ありがたいな。」と思いました。幸福地蔵菩薩様の前掛けは真後ろになっていましたので私は思わず「幸福地蔵菩薩様をしっかり抱きしめられる。」等とこれまたワケわからんことを思いながらしっかりと前掛けを直しこれまたしっかりと「本日の寸胴祭りが無事に終わりますように」とお願いしました。

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風は凄かったですが、本堂のお参りもお墓を中心にしたお参りも終えて再び幸福地蔵菩薩様の所に行くとまたまた前掛けが左に大きく向いていたのですが「この風では直しても駄目だからご免なさい。」と言うと、風がヒュースっと吹いて前掛けが大きくなびいたので私は「幸福地蔵菩薩様がラジャーと言って下さった。」と思った次第です。(都合の良い考え方をするのが私の特性です。)玄関前まで帰って来た時に施設からの電話が鳴ったので慌てて電話をとると、北島部長からで「デイサービスの職員の家族がコロナの陽性になり濃厚接触者に指定されたので欠席になり、送迎の運転が足りません。」との事だったので「椎茸を取りに行くのを副施設長に代わって貰い私が運転をします。」と言う事で、シャワーを浴びて朝食を食べてから施設に行き久しぶりにデイサービスの運転をさせて頂きました。

5人のお迎えだったのですが、行くとこ行くとこで大歓迎されて、「時々は運転業務をやらなくてはいかんな」と思った次第です。送迎から帰ると9時10分で玄関を入って行くと伊藤主任、吉田部長、若園管理栄養士が寸胴の下準備に余念がなく、私は状況を見ながら9時38分に塩とお酒を釜戸の周辺に撒いたあと、大鍋と大釜の点火をしました。

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その頃には風が強く吹く事はありましたが雨は落ちてこなくて「寸胴祭りを強行して正解だった。」と安堵しながらも「必死にお参りをした甲斐があった。」とホッとしたものです。9時45分から順次各フロアの入居者や利用者さんが見学に来て下さったので水野相談員が準備してくれたポップコーンを食べて貰いながら、入居者さんや利用者さんとおしゃべりを楽しみました。

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私はもう少し薪をくべた方が良いのではないかと思っていたのですが「既に焦げた臭いがするのでこのままの方が良い。」との意見があり、その意見に従った結果、お焦げは殆ど無くて「これ以上ない」との最高の出来で10キロの米と椎茸2キロの他にも諸々のキノコが入ったご飯と味噌汁が出来ました。

自分も美味しく頂きましたがこの企画も多くの職員の頑張りとワクワク感があったればこそと言う事でその中心にいる私は本当に幸せ者だと改めて思った次第です。リピーターの皆さん、施設の迎いの方が臭いに誘われておみえになったので一緒に食べて頂いたりして和やかな雰囲気も満足感を増幅させました。明日は『千巻経』です。全員が揃ってでは出来ませんがお経が施設を益々清めてくれると思うと明日は明日で嬉しいです。

 

本日から敬老週間が始まります。

令和4年9月18日

本日は職員が手作りしてくれた神輿で施設内を練り歩き、敬老週間の告知に回り入居者さんとワクワク感を共有します。台風の影響で雨を心配しなければいけない状況があり、特に明日のイベントは『寸胴男飯祭り』で、外に出て(だって、火を燃やすのですから)入居者さんと利用者さんにもギャラリーとして火の温もりや会話を楽しみたいのですが、入居者さんと利用者は玄関ホール(正式には、地域交流スペースと言います。)から見ていただく事になるのかな。それへの配慮として、デイサービスの北島部長が玄関先での提案をしてくれました。本当にありがたい事なのですが、防災や緊急避難の関係で残念ながら却下しました。北島部長の『ワクワク感』への提案はありがたいし、素晴らしいものだと評価してます。

さて、本日9時に施設に行ったら既に玄関ホールに祭り男が何人も揃っていて(男性職員に交じって西川課長も参入していましたが・・・)怪獣のぬいぐるみを着てる職員や猿のぬいぐるみを着ている(これが実に猿そのもののようでしたよ北島部長)のがいるかと思ったら、関取の格好をしたのが何人かいて、思わず「関取そのものやな。でも私の方が関取の格好ならピッタリやと思うがな。」と軽口を言っているのを抜け目なく聞いていた伊藤主任が「理事長用がとってあります。」と言うので「何も聞いてないぞ」と言うと「明日の告知は理事長でないと」と言いながら持ってきたので「ここは引いてはいけない。」と言う事で、私も関取の格好をさせて頂きました。そこで、『関取の揃い踏み』と言う事で開始前の記念写真を撮りました。

新館2階、新館1階、本館2階、本館1階、デイサービスの順に5会場を回るのに、お酒と抹茶の振る舞いもあるので急ぎ用意して先ずは新館2階に行き景気よく「わっしょい、わっしょい」の掛け声で乱入すると大歓迎して頂き、先ずは、理事長としてのご挨拶をしてお酒を飲まれる方にお酒を注いで歩き、抹茶も含んで皆さんに行き渡った段階で「乾杯」の音頭をとり、その後、関取同士による相撲をとり楽しんで貰い(私も2番参加したのですが、当然私が勝つシナリオですが、取る前に私の前で転がるのがいた時には苦笑いと共に「私の目力だけで勝った・・・」)その後私がカラオケで1曲歌わせて頂きお開き。

1会場が終わった段階で疲れを感じてしまい、「だって、カツラをかぶりマスクをしていると熱くて熱くて・・・。5会場も回れるのか」と不安になりました。その後の4会場もそれぞれに盛り上がりをみせて何とか頑張りました。結局カラオケはアンコールもあり7曲歌わせて貰ったのですが声が枯れる事も無くて良かったです。但し、カツラの黒は墨汁だったと言う事でマスクも含めてまっ黒になったり、背中を滝の様に汗が流れたりしましたが自分の歳を感じる事もなく出来たのは良かったし、何と言っても入居者さんと利用者さんの笑顔がたまらなく最高でした。

しかしながら、本部施設にはよくもよくもこれだけの祭り男が集まったものだと感心しますが、リピーターの皆さん、よ~く考えたら私が一番の祭り男なのかもしれません・・・。

4人 カラオケ カラオケ2 酒 酒2 相撲1 相撲2

昨日の報告から

令和4年9月17日

昨日、朝食後には施設に行ったのと突発的な出来事がなかったので、10分30分からの常任理事会と13時30分からの岐阜県商工労働部主催のセミナーでの講演の事前準備もしっかり出来ました。そして、常任理事会での一番の課題がデイサービス部会からの『総合支援事業への要介護1・要介護2の移行への反対』に対する検討だったので、デイサービス担当副会長として、しっかりとした方向性を立てる事が出来ました。

全ての対応が終わり(セミナーでの講演と岐阜県老人福祉施設協議会での次回理事会の事前打ち合わせ)岐阜からの帰りの車の中で全国老人福祉施設協議会の平石会長、小泉副会長(厚労省の介護保険部会委員)、波潟部会長と事務局に今後の対応に対する根回しが出来たのも良かったと思っています。

さて、岐阜県商工労働部主催のセミナーでの講演はかなり私自身気合いを入れて準備したのと、社会福祉法人杉和会の経過の中からの話を『障害者雇用』に特化した内容でしたが、具体的実践の話だったので、聞きやすい内容だった為か皆さん一生懸命に聞いて頂けたので、話す側としても話し良かったので楽しく語ることが出来ました。セミナー終了後には多くの方と名刺交換をさせて頂き、色んな話が出来ました。今回も色んな方々とのネットワークが出来、今後の展開にも楽しみが出来ました。

主催者側の方々にご挨拶をさせて頂いた後、慌てて車に乗り岐阜県老人福祉施設協議会事務局(岐阜県福祉会館6階)に行き21日の理事会の打ち合わせをして、先程述べた車の中での根回しをしたら流石に疲れを感じたので施設には行かず直接家に帰らせて貰いました。(以上が昨日の報告で、ここからは、本日のお話です。

家でのお参りを終えて、ウォーキングの最初に気が付いたのは幸福地蔵菩薩様の花筒に新しい花がお供えしてあったので、「枯れた花を片付けておいたので新しいのを供えて頂けて良かった。幸福地蔵菩薩様についてはお水換えだけさせて頂こう。」と思った次第です。最近は2か所のマンボ(一般的にはトンネルですかね)の中を通る時には「南無大師遍照金剛」と四国遍路の時と同じ様に2回繰り返しています。マンボの中と言う事で心地よく響いてくるのですが、上を走る車や列車の音で気分が悪くなることもあるのですが、本日は綺麗に響いて来たので嬉しかったです。

本堂では、大谷徹弉師の日めくりカレンダーからの言葉の『できるとき できること できるだけ』の言葉に『弱気の虫』に咤激励して頂けたので、より積極的な展開をしていきたいと思います。リピーターの皆さん充実した日々を送らせて頂いている『宏クンに拍手』と言う事で。

R4.9.17

責任ある対応。でもいつもギリギリです。

令和4年9月16日

本日は10時から全国老人福祉施設協議会の常任理事会があり、本日のメインでの討議が『総合支援事業への要介護1・2の移行への反対』の意見集約でデイサービス部会担当副会長としては責任ある答えを出さないと国が9月26日に開催する介護保険部会で財政審議会の狙いを阻止して、デイサービスの健全な運営体制の構築をしなければいけないので、とんでもない重責でプレッシャーは凄いです。ただし、救いはデイサービス部会の部会長はとても優秀な方なので何とか良い方向に行くように頑張ります。

昨日デイサービス部会長から方向性や考え方をまとめたものをメールで送ったとの連絡を頂いていたのですが昨日もバタバタで読めてないので、朝食後には施設に行き事前に頭に入れておこうと思っています。常任理事会は遅くても12時30分には終了するので、13時30分から岐阜県図書館で開催される岐阜県商工労働部主催の『障害者雇用セミナー』での講師の役割を頂いているので、常任理事会での整理が出来たら事前に作成した資料の見直しをして、講演のイメージを再度膨らませればと考えています。

どちらにしても、「本日の昼食は車を運転しながらおにぎりを食べるしかないな。」と思いながら「これも時間を作る一つの手立てか」と思っています。ただし、セミナー終了が15時30分で、16時の約束で岐阜県老人福祉施設協議会事務局(岐阜県福祉会館の中にあります。)に行き、21日に開催される理事会の事前打ち合わせがあるので、多分家に帰ってからのコラムの打ち込みは無理だと考えて、お墓参りとウォーキングを済ませてシャワーを浴びた今、朝食前の時間で書いてます。

さて話は大谷徹弉師の日めくりカレンダーの言葉が『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』には、勇気を頂きましたし、確かに今までの展開で厳しい状況の時に弱音を吐いたり、酒で紛らわしたり、大きな声でわめいたりしながらも今まで頑張ってきて今がある。それらを『試練』と言ってしまえば確かにそうだけれど大波小波を乗り越えてきたからこそ、今、振り替えると「随分強くなった。」と自分でも思います。

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勿論、自分一人で頑張ったのではなくて、その都度色んな形で支援や支えになって下さった方があったればこその今だと思っています。ただし、その都度自分なりに必死に取り組んできた事も事実だとも思いいます。時間がない中でのコラムですが、何とか施設に行くまでにコラムを書くことが出来ました。リピーターの皆さん。改めて『時間はつくるもの』と思ったのですが、とにかく本日の大役をしっかりと頑張ってきます。その成果は明日のコラムで書くことにします。

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