頑張れたのは2時間だけでした・・・。

令和4年9月5日

昨日はお昼を施設で頂いてから、前日は他所の田圃のつるを必死に取り除き我が家の田圃で無いことに気が付きモチベーションを下げたのですが「前日のリベンジ」と言う事で草刈り機と燃料と磨ぎ石でしっかり磨いた鎌とペットボトルのお茶とポカリを車に積んで勇んで田圃に行きました。どうして、田圃の草刈りに拘るかと言うのは、稲刈りが盛んに行われていて、我が家の田圃だけ、全く草を刈ってないとなると迷惑をお掛けする事になると『今須の流儀』で分かっているからです。勇んで我が家の田圃に行くと、我が家の隣の田圃を稲刈りをされているのが分かり「配慮が遅れた。」と思いつつ「謝りに行くにしても、一生懸命に作業をされているのを邪魔するのは得策ではないな。」と考えて我が家の田圃の草刈りから始めました。開始して直ぐに理解したのは「あまりに草が伸びすぎていて、これはとても私の手には負えない。」と言う事でした。

と言うのは田圃の下の方から2メートル位の幅で草刈り機で刈りだしたのですが、東から西に刈って行き、西まで刈ってからよ~く考えたのは、「とても全部刈るのは無理だ。」との結論でした。リピーターの皆さんの中には「結論を出すのが早すぎ」と思われた方が多くみえたと思います。確かにその通りなのですが、最近は殆ど草刈り機を持っての作業をした事が無く、自分の体力と明日からの対応を考えたら最低限すべき事を考えるのは『良き配慮』だと思います。そこで私は『最低限すべき事』を瞬時に考えました。それは、他所の方にご迷惑を掛けない事と作業をされている方への話の持って行き方です。一つ目の課題は「最低限道の所は本日作業をしてしまう。」であり、二つ目の課題は「とにかくご迷惑を掛けている事を謝ると共に週明けには草刈り作業を依頼して綺麗にする。」との結論でした。その結論を得て道の草刈りに専念しつつ隣の田圃の稲刈り作業をされている方に話をするタイミングを計っていました。そして、そのタイミングとなり、勇気を持って話をしに近づき挨拶をすると何のことはありません。

朝のお参りの時に何度か親しく話をさせて頂いていた同級生だったのです。その事が分った瞬間に話す内容を変える事にしました。それは、「今回、道の部分は頑張って刈りますが、迷惑でなかったら草の管理をお願い出来ませんか。」と話をしました。すると「稲刈りが始まって30丁歩を任されているので、その作業が終わってからさせて貰う。」と言って頂けたので地元対策は一件落着。但し、道の草刈りはまだまだなので頑張りました。結局、鹿除けのフェンスのつるまでの作業が終了したのが15時と言う事で「草刈り作業の私の限界は2時間位なのだ。」と自嘲気味に思った次第です。しかしながら、自分の限界と次の日を睨んでの判断は正しかったと思っています。但し、作業を終えて帰る前に再び挨拶に行き話しをしていて「2時間頑張る体力があるのは大したものだ。」と言われたのには複雑な思いになりました。しかしながらリピーターの皆さん、ものは考えようだと思います。彼の仕事は会社勤務を早くに辞めて枝打ちの仕事をしているのですから外仕事はお手の物ですよね。私は一日中話をする仕事があったらきっと出来ますよ・・・。と強がりを言ってます。

 

笑えない話をします

令和4年9月4日

昨日の話です。施設に行く通りでは既に稲刈りを終えている田圃がちらほらあるのですが、我が家の田圃は管理して頂いていた方が亡くなられてから、年に3回草刈りをしていただくのみだったので、「何もしないのは勿体無い。」と草を刈って頂いている方が「実のなる木を植えるのなら大丈夫。」と言って栗や柿の木を植えて頂いていたのですが、その方も「足の手術をして自分の家の持ち物だけで精一杯」と言われて今年は草刈りをして頂いて無いことが気になり、墓参りのついでに我が家の田圃を見に行くと草はさほど伸びてなくて、川縁の鹿よけのフェンスにつるが延び放題になっているのを確認したので、講演資料ができて、コラムも書けた16時過ぎに施設の鎌を借りて勇んで田圃に行き、フェンスにしっかり絡み付いたつるになった草を一生懸命に切り取りました。

半分くらい出来た時に正直止めたい気分になったのですが、「いやいや頑張ってやらなければ。」と思い最後までやり遂げてからしみじみと我が家の田圃を見るとせっかく植えて頂いた果樹の木が一本もないのに気が付き(もっと早くに気が付けよと言う感じですが)「おかしいな。ひょっとすると我が家の田圃はもう1枚上だったかな」と思い上の田圃を確認に行くと私の背丈ほどの草が生えた中に、それ以上に高く育った果樹の木を見付ける事が出来て私は愕然としました。そりゃそうですよね。珍しく一生懸命に頑張ったのは私の家の田圃でなかったんですから・・・。本当に笑えない話っすよね。しかしながら、1年ぶりくらいに行った田圃を間違えるとは情けない。いかに私が田圃に執着していないかと言う事ですよね。(と言う事は私が大学時代に植林をした私の家の山には本部施設の本館が工事をしている時に持山に電力会社から補償金を頂いて(確か60万円だったと思いますが)施設の建設の為に土地を提供して頂いた方に枝打ちをして頂く為に山へ案内したきり行ってないので、我が家の山もきっとわからないな・・・。)他所の家の田圃を一生懸命に作業していたとわかった瞬間に力が抜けてしまいましたがものは考えようです。

果樹は一本もないと思っていたのが背丈ほどの草よりも高く育っていたので・・・。昔から言うでしょ。「桃栗3年柿8年」と言う事は「そろそろ収穫を楽しめるかも」と言う事で。不思議なもので青果物が採れるとなると嬉しい限りです。草を刈って(背丈ほどもあるので大変ですが)果樹の実がなっていたら嬉しいです。リピーターの皆さん。笑えない話にお付き合い頂きましてありがとうございました。(実は今までに書いたのはあまりに笑えたねただったので、昨日の内に一気に書いたもので、以下からが本日です。)

昨日書いた本日のコラムを(ややこしくてすみません。)読み直していて、私は随分前に見た『猿の惑星』の映画を思い出しました。リピーターの皆さんの中にも多くの方が見られたと思うのですが、猿の惑星は全く違う星にたどり着いたと思っていた宇宙船の乗組員が征服者である猿に追いかけられている時に放置された星条旗を見付けて「この星は地球だった。」と唖然となったジーンを思い出しました。私の体験はそんな大袈裟なものではありませんが。話題を替えます。

お墓参りに行くとき妙応寺の山門を方丈樣が正に開けられるタイミングだったので、私は方丈樣に見付からないように走って山門から離れてお墓に先に行く事にしました。(四国遍路逆打ちの要領です。)一気に我が家のお墓に行くつもりでいたのですが六地蔵様が「先に寄りなさい。」と言われている様に思えたので六地蔵様からのお参りにしました。正直8か所の所に水を手向けなければいけないのに逆打ち出の水の配分が分らなくて、及川さんのお墓の水を節約してスルーをしようとした瞬間にまたまたカエルの様に倒れてしまいました。草に滑ったのかも知れませんが前回とは違いコンクリ―ではなく草の上だったので手足は汚れましたが大した怪我は無かったのですが、及川さんが罰を与えられたとは考えにくいのですが及川さんのお墓にはたっぷりと水を手向けた次第です・・・。逆打ちで歩くと全く違う世界を見る様でした。

最後に本堂のお参りをしたのですが「流石は方丈様」私が逆打ちを理解されたように線香立ての線香は付けて直ぐの様な状態だったのには舌を巻く思いでした。今は12時45分でコラムを打ち終えるのですが、田圃の収穫をあちらこちらでされているので、背丈ほどになっている草の退治をこれから頑張ります。「だって、周りの田圃の所有者に迷惑掛けてはいけないし、人任せでは駄目だから・・・。」と言う事でリピーターの皆さん久しぶりに草刈り機で格闘してきます。

『自分 自分 自分 だよ』に悩んでいます

令和4年9月3日

朝のお墓参り兼ウォーキングで妙応寺の本堂に入りいつものように大谷撤奘師の日めくりカレンダーを3日にすると『自分    自分    自分    だよ』とあり、この言葉の意味をどのように理解して良いのか悩んでいます。「う~ん。悩めば悩むほどわからなくなる。」と言う事で私は居直った考え方をすることにしました。つまり、「これは自由解答で良いんだ。」と。そして私の結論は『自分で決めた事は、自分の意思で、自分で解決する。』との結論に至りました。

今置かれている厳しい状況を作ったのは誰のせいでもない。自分なんだから、自分で刈り取らなければ。自らが選んだ道に対して恨み言を言っても何の解決にもならないし・・・。何で朝からこんな話になるかと言うと、昨夜の私の夢の中に生母秋江さんが出てきたのです。その夢は何の脈絡もなく、私は秋江さんに「頑張っても出来んことがあるんや」と喚きながら泣いていたのです。思い当たる事はありますが、だからと言って私が13歳の時に他界した秋江さんが夢に出て来て私が必死に訴える等と言う事は少なくても、母秋江さんが生きていた時のやり取りでは皆無なので不思議です。

いやいや、私が56年の生き様の中で成長したと言う事でしょうか。夢の中ではわめいていましたが、今はしっかり前を向いてるから大丈夫なのに秋江さんが出てきたのは『あいからわずの、甘やかし』ですかね。実は本日は久しぶりに集中して9月16日に岐阜県商工労働部主催による『障がい者雇用推進セミナー』での講演を依頼されているのでその為のレジメを作成しました。当法人では人材確保と育成に力を入れてきたと自負していますが、今回の様な機会を頂いたのでフィールドバックをしながらまとめて行くと「障害者雇用のみならず色んな事を実践してきたな。と言う事は色んな事に頑張って来たんだ。」と自分を褒めたい気分の中でレジメをまとめました。

具体的に言うならば、『人材確保が厳しくなる。』と言われ出してた2007年には事業所内保育所と1Kのアパートを4部屋つくり、その後も2010年にEPAによるインドネシア介護福祉士候補生が4人来ると言うので8部屋を新築して、アパートへの需要が増えて来たので2015年にも8部屋を新築しました。事業所内保育所を計画したのは結婚や子育ての為に退職するのはいかにも勿体ないとの発想でしたし、外国人介護職員の導入の為にもアパートの新築は必然でした。

しかも、法人の持ち物であるアパートですから敷金・礼金も必要なく働いた給料のなかからの支払いで良いと言う事で派生的に需要が増えた次第です。この事も一生懸命の中から出て来た事なので、今抱えている問題も一生懸命の中から解決すると信じています。リピーターの皆さんの中には「甘い考え方」とのご指摘もあるかも知れませんが私は一生懸命の中で頑張っていきますので、これからもよろしくお願いします。

夜中の雷は凄かったです。

昨日も岐阜県福祉会館に行く折に車を運転中に雷と共にどしゃ降りの雨が降りましたが、昼間であった為かさほど『凄まじい』との恐怖感は有りませんでしたが、昨夜の雷は長い時間で、しかも深夜の静寂な時間だったので、うつらうつらしながらも「凄まじい雷の音だな。流石の私も目が覚めたわい。」と思った次第です。そんな状況の中でも、いつものように4時25分のアラームで起きて仏間のお参りをした後で玄関を出た時には雨は降ってなくてしっかりと歩く事が出来ました。本日は昨日購入したお花を持って行ったのですが、ペットボトルの水は背中のリュックサックに収まっているので右手に金剛杖、左手に6つの花束を持って歩いたのですが楽勝でした。さて、夜中の雷が凄まじかったので、浅い眠りの中で、「しっかり眠れないなら時間が勿体ないので『障害者雇用推進セミナー』の内容の検討をしよう。」と考えてうつらうつらしながら1時間位考えていました。施設に着いたら一気に資料をまとめたいと考えています。勿論、半分寝ながらの考えなので実際にパソコンの画面を開けると大きく内容が変わる事もあると考えています。半分寝ながら考えていた時は「素晴らしい考えだ。」と思っていたのですが、実際にはなかなか考えがまとまりません。「まとまらないのなら、先ずは資料の整理をしてから流れを作ろう。」と言う事で本日は資料集めをのみにして流れについては明日じっくり考えて作成をして5日の日に岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会の会議終了後に、当法人のパンフレットと共に商工労働部に届けたいと考えています。本日午後からは諸般の事情で本館2階のみ実行されていない『夏祭りイベント』が実施されるので、今は夏祭りイベント参加の為のモチベーションを上げていきたいと考えています。(本館2階の夏祭りイベント情報を以下に報告します。)流石は本館2階は夏祭り男、夏祭り女が多くて始まる前から熱気むんむん。若山宏バージョンのちぎり絵PART2が正面にあったので私も悪乗りをして開会の挨拶から「わっしょいわっしょい」の掛け声だけ元気な歌を職員の踊りの中心で歌わせて頂き、引き続き定番となった北島三郎の『祭り』を歌わせて貰い(繰り返し歌っているから上手くなって当然か)の他に山崎ていじの『おまえしか 愛せない』(入居さんからしっかり「ゴー ゴー ひろし」の掛け声を頂きました。)その後催し物の時間調整の為に鳥羽一郎さんの『兄弟船』も歌わせて貰いました。(時間調整だろうが何だろうが場を盛り上げる為ならやりますよ・・・)と言うわけで頑張りました。職員が手作りで「入居者さんに楽しんで頂きたい。」の気持ちが伝わる良いイベントに感謝です。9月は敬老週間もあるのでますますヒートアップしていきますのでリピーターの皆さん、優・悠・邑の情報には目を離さないで下さい。

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『日々決心』の言葉を頂きました。

いつものように歩いていて、幸福地蔵菩薩樣の前掛けは後ろに向いていたので、「ラッキー。今日もしっかり密着しながらの会話が出来る。」と、恐れ多い事ですが思った次第です。(勿論、当然の事ながら密着して会話をさせて頂きました。)本堂に入らせて頂くと線香はしっかり立てて頂いていました。ただし、心なしかいつもより短くなっていましたので、「昨日は点いてなかったので、方丈樣が早くに点けて頂いたのだな。」と思い、改めて深々と方丈樣がおみえになる方向に向かって頭を下げました。そして、本尊樣に手を合わせてから大谷撤奘師の言葉が『日々決心』とあり、「そうなんだ。毎日毎日目標を決めて実践する充実した日々を送らなければいけない。」と思った次第です。そして本日は月始めと言う事もあり、護摩木に願い事を書かせて頂いたのですが、本日の願い事は大谷徹奘師の日めくりカレンダーのお言葉を頂いて『日々決心成就』にしました。その後六地蔵様では、しきび以外の花が枯れていて入れておくのも申し訳がないと考えてリュックサックの中から新聞紙(その為に入れておいたのです。)を取り出し、しきび以外の枯れた花を新聞紙に包んで持って帰る事にしました。そして、六地蔵様に手を合わせながら「本日午後から岐阜県福祉会館で岐阜県高齢福祉課長以下の係長さんと岐阜県老人福祉施設協議会の理事との懇談会があるので、帰りにコメリに行って菊を買って帰り、明日にはお供えさせて頂きます。」とお約束をさせて頂きました。午前中は、ベトナムの女性の方が縫製の技能実習生としての3年を終えて日本に留まる為に特定技能の介護の資格を取得してハローワークを通じて面接を希望してきたので登録支援機関としてお付き合いしている方にベトナム語の通訳が出来る職員にもきて貰い面接をしました。「一生懸命に頑張りたい。」との気持ちが前面に出ていて入国時の借り入れも返済できているとの事だったので採用を前提に健康診断の用紙を渡すと共に登録支援機関の方に手続きの依頼をしました。介護人材については色んなツールに基づいて確保して育てていかなければいけないので、当法人として挑戦する事にしました。面接を終えて、急いで昼食を取り、午後からの会議に出掛けました。午後の懇談会は会長としての挨拶でもさせて頂いたのですが「会長として10年目を迎えて今回初めての懇談会を実施出来たのは本当にありがたい。」と。そして、理事の10人の方それぞれに提案をしてもらい、県高齢福祉課長を中心に答えを頂く形で雰囲気の良い懇談会になりました。懇談会終了後は5日の常任理事会の事前打ち合わせがあり、16時30分に全てを終えて施設に帰る途中にコメリに行ってお花を買い、今は施設で必死にコラムを打ちました。18時30分に地元の方が亡くなられたお悔やみに行かなければいけないのでリピーターの皆さんまだまだ書きたいことが有りますが以上で・・・。

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やはり帯状疱疹でした。

令和4年8月31日

昨日の朝起きたとこは『帯状疱疹かも』と思っていた事を報告しましたが、専門医に診て貰い『帯状疱疹』との診断を得て、1週間飲み薬の塗り薬で様子をみましょうと言われて、一晩が経ち腫れの方も少し退いてきた様に思うし痛みも少し和らいだように思い、今朝も元気に4時25分のアラームで行動開始。

昨夜は夜中の23時33分に、メールで体調を崩された方のメールでの連絡が管理宿直の吉田部長からきたので、折り返しの連絡でのやり取りをしたのですが、やり取りの後も比較的直ぐに眠れたので元気にお墓参りに託つけた散歩が出来ました。

六地蔵樣の所で6時を知らせる関ヶ原町の広報が鳴ったので「6時なら管理宿直の吉田部長は起きているだろう。」と言う事で昨夜の体調を崩された方の確認をすると「今は大分良くなられました。」の報告に安堵してゆっくりお墓のお参りをして、汗をしっかりかいたので、シャワーを浴びて今は休憩をしながらコラムを打っています。

ところで本日のお参り中も色んな事がありました。先ずは本日は8月最後の日で、「9月1日に幸福地蔵菩薩様のお花が替わっていなかったら、コメリに行って菊を買ってきて9月2日に花の入れ替えをしよう。」と考えていたのですが、本日綺麗な花が飾ってあったので、思わず写真を撮ると共に「本日コメリに行って菊を沢山購入して明日は色んな所に飾らせて貰おう。」と思いながら劣化して落ちたと思われる葉っぱを一生懸命に集めていると、いつも犬の散歩をしている方から挨拶をされました。この方は最初の頃は挨拶をしたくないのか私の姿が見えた時に私を避ける様にしてみえたのに、今では向こうから挨拶をして頂ける様になってはいたのですが、葉っぱ集めに一生懸命で気が付いていなかったのに声を掛けられたのでビックリもしましたが嬉しくも思いました。

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妙応寺の本堂の玄関先まで行くと玄関の戸の鍵を開けられている音がしたので中に入るのを躊躇していると、方丈様の方から「どうぞお参り下さい。」との声で戸を開けて入らせて頂き線香台を確認すると線香が立てて無かったので「方丈様がいつも線香を準備して頂いているのに、私が行くのが少し早すぎたのか。」と思いました。本堂の中に入って改めて方丈様の方に向かって深々とお辞儀をしてから大谷徹奘師の日めくりカレンダーを31日にすると『自分が心に 決めたなら 自分で守り 続けなきゃ』の言葉を頂き、改めて自分自身に気合を入れました。

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明日から9月です。今までに整理してきた事を実践していきますので、リピーターの皆さん『攻めの気持ちでの展開』をしていきますので私の動きを見ていて欲しいと思っています。

 

帯状疱疹のようなものが頭に出来て痛いです。

忘れもしません。3年前の参議院選挙で全国老人福祉施設協議会から組織内候補として出馬した角田君を一生懸命に応援して、岐阜県での雰囲気も良かったので岐阜県で最低でも五千票、あわよくば一万票と思いがあったのですが、投票の結果は三千票に届かない結果に終り私は完全に人間不審に陥り、1ヶ月後には頭から耳にかけての帯状疱疹になり高熱は出るはメチャクチャ痛いはで大垣市民病院に入院した嫌な経験があるのです。その時は「完全にストレスからだ。」と思っていたのです。

そして、十日位前から頭の左下(前回は左上)に違和感があったけれど多少の痛みはありましたがさほど気にせず生活していたのですが、昨日から痛みがひどく、大きくなったように思えて、今年の2月から3月のしんどさからくるストレスに比べたら今は少し落ち着いてきたと思っていたけれど根底ではしんどい思いをしている結果として、帯状疱疹になったのかと今は思っています。

確かに2月から3月は生きているだけでしんどかったのと比べたら今は生きてる感じはあるので状況は明るい兆しがあるのですが、今帯状疱疹になったと言うのは、あの頃は帯状疱疹になる余裕すらなかったと言う事なのかも知れません。ただし、私は医者でもないし知識もないので、帯状疱疹なのかもわからないので午前中に皮膚科で診て頂こうと考えています。

そこで、8時15分に病院に連絡すると、「これから来て貰えればなるべく早く診させて頂きます。」と言って頂けたので急いで病院に出掛けました。事前に連絡をしておいたので、受付を済ませて直ぐに診察室に入らせて頂き、院長先生に3年前の事も話をして、患部をみて貰うと「1週間位前からなら、そろそろ湿疹が出てきますね。厳しい状況になる前なので抗生物質の飲み薬と塗り薬で1週間様子をみて下さい。大抵大丈夫だと思います。」と院長先生に言って頂いただけで少し痛みが軽減した様に感じたのは人間の摩訶不思議な事だと自分の事ながら思った次第です。

そうしてもう一つ思ったのは本日は「お酒を飲むつもりだったけど・・・。」と思いましたが、病院に入院する事も無くなったので1週間の我慢だけなので良しとしなければと思っています。病院の向かいに薬局があり処方箋を持って行き「抗生薬は1日1回なので早く飲まれた方が良いですから水をお持ちしますのでここで飲んで下さい。」と言われて飲んでから施設に向けて帰る事にしました。運転をしながら「水野相談員は家にコロナ陽性の子どもがいるのでしばらく施設内のコミュニティハウスでの寝泊まりだから、途中で何か美味しいものを買って帰ろう。」と言う事でバロー(垂井にあるスーパーです。)でお刺身、唐揚げ等を買って帰りました。

買い物を終えて車を運転しながらかつては雪で帰れなくなった職員の為に「合宿だ」と言って買い出しをしてよく飲んだな等と感傷に耽っているのは少し歳を取ったからかな。リピーターの皆さんはどう思われますか。

「帯状疱疹も大したことなく治癒しそうだし、明日からバリバリうごめくぞ」と思った次第です。本当に痛さが取れたので良かったです。思いきって病院に行って良かったです。改めて決断することの大切さを理解しました。

 

朝から『秋』を感じています

令和4年8月29日

朝の仏間でのお参りは大きな声で唱えているから『汗をかく』と思っていたのですが、今朝はそれほど汗をかかなかったのです。それは、仏間も気温が高くなくて爽やかだったと言う事なのだと気が付きました。施設においても冷房を入れなくても良いと言うのは経費の面からも有り難いですが、それより何より「無理矢理涼しくなる。」と言う事でないので、入居者さんの体にとっても良いことだと思っています。

いつものように妙応寺の駐車場に入り幸福地蔵菩薩樣の前掛けを確認すると全く前掛けが見えない状態なので私は思わず「今日は久しぶりにラッキーだ。幸福地蔵菩薩樣を合法的にしっかり抱き締められる。」等とわけのわからない事を瞬間に思った次第です。先ずは幸福地蔵菩薩樣の所の花立に水を手向けてから持参したペットボトルをリュックサックにしまい、しっかり抱きしめながら前掛けを直したくて蓮の段まで登らせて頂き前掛けを直させて頂きました。その後、本堂に行き玄関に入り線香が二本立っているのを確認したので方丈樣の方に向かって深々と頭を下げて、これまたいつものように大谷撤奘師の日めくりカレンダーをめくりましたら『その一言 待ってる 人がいます』とあり、自分自身の言動について立ち返る事が出来た言葉となりました。

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つまり「忙しいから」等と自己弁護をしないで、気が付いた時に出来るだけ早くに時間を作り話する事を今迄以上に心掛けて行きたいと思いました。さて、彦根東福寺で毎月28日に行われる『護摩木法要』に昨日も参加させて頂きました。今年の5月から参加させて頂いているのですが、このコロナ禍にありながら欠かさず参加出来るのは有難い事だと思っています。

導師である静慈彰住職によって、毎回感動の中での参加なのですが昨夜の護摩木の燃え方は今までに無いものだったと感じていたのですが導師を勤めて頂いた静慈彰住職からも終了してから「ことのほか火の勢いが凄かったですね。」と言われたので、私と同じ事を感じられていたのだと思いました。私は10本の護摩木に1本1本お願いを書かせて頂いたのをこれまた、1本1本祈願したのを読み上げながら燃え盛る火の中に入れさせて貰いました。「祈り続けていれば必ず形になる。」との思いで燃え盛る火の中に入れました。

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昨夜から一夜が明け、熱いものを胸に秘めて施設に行くために我が家の玄関を開けると植木鉢の中の朝顔が綺麗に咲いていたので思わず写真を撮りました。リピーターの皆さん。喜怒哀楽が激しくある人生の中で私は生きていますが、危なっかしいのも含めてこれからもよろしくお願いいたします。

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本日は日曜なり、本日は日曜なり

リピーターの皆さんの中には「何を当たり前の事を表題にしているのか。」と思われた方もおありであった事と思います。私としては『素直な気持ち』を表題にしたつもりです。

と言うのは、最近よく幸福地蔵菩薩樣のところでお会いする同級生の影も形も無いのです。(家の方からの木魚の響きも無いのです。)ただし、妙応寺の方丈樣は流石です。と言うのは、いつものように本堂の線香たてに二本立てて頂いていたから。でも、よく考えてみたら私が事業をさせて頂いている高齢者施設もお寺さんも年中無休が当然何だから。年中無休と言うのは言葉では簡単に言えますが本当は大変な事なのだと改めて思っています。

と言うのも、これまたいつものように幸福地蔵菩薩樣の所で手を合わせようとした時に携帯にメールが入りました。「これは朝から施設で何かあったのか。」と慌ててガラケーの携帯を取り出して(ジャージのズボンの左のポケット)画面を確認するとデイサービスの職員の体調不良による欠勤の連絡だったので「入居者さんの急変ではないな。」と一先ず安心するとと共に、直ぐに管理宿直の水野相談員に連絡をとり「必要に応じて添乗でも運転もするよ。ただし、運転の場合はしっかりとした添乗が出来る職員にしてね。」と言うと「北島部長と相談します。」との返事だったので「北島部長が私に遠慮して私を業務のフォローをさせないようなら、遠慮は3流。いやいや遠慮は五百流だと言っておいて。」と話をすると共に「えらい早くの連絡だね。」(メールが送信されてきた時間は5時29分)と言うと水野相談員の方から「5時前の連絡だったのでびっくりしました。」との事だったので「いくら何でも早すぎだね。」と話をしました。

その後、いつものようにお墓参りを含むお参りを終えて、シャワーを浴びて休憩をしながらコラムを打っていると、7時06分にデイサービスの責任者である北島部長から、「吉田部長が来て頂いて運転業務をして頂けますので理事長は大丈夫です。」との連絡だったので「朝食を食べたら施設に行って久しぶりに運転が出来ると思っていたのに残念だ。その様な配慮ばかりされると手も足も出なくなって私はダルマの様になってしまう。皆で私をダルマにしたいんだな。」と笑いながら電話を切ると、電話のやり取りを聞いていた奥様かをり様が「今でもダルマのようですよ。」と言われて私は思わず『絶句』です。

7時半には施設に向けて行く予定が無くなったので少しゆっくりしていた所(7時43分)水野相談員からメールで『息子の職場で陽性者が出て検査を受けて結果が出るまで施設内のコミュニティハウスで泊まりたい。』との連絡がきたので、直ぐに携帯に連絡をして「こちらとしてはそう言う時も想定してのコミュニティハウスなので使っていいですが着替えと食事の確保はしてきて下さい。」と話をしました。

コミュニティハウスは単なるゲストハウスではなくてこのような使い方を職員の方から提案してくれた事に頼もしさを感じたのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。

朝食が美味しく頂けると言う事。

令和4年8月27日

今朝のお墓参りには先客がありました。と言うのは妙応寺の駐車場に入ると幸福地蔵菩薩樣の方に向かって歩かれている方がありました。その方は先般も立ち話をした同級生だとわかったので、ゆっくり歩いて同級生がお参りを済まされるのを待って幸福地蔵菩薩様の所に行くと先客の同級生が私を待っている形になったので幸福地蔵菩薩様にお参りをする前に今朝も立ち話をする事にしました。お互いに挨拶を交わした後で私が「お互いに朝が早いね。」と投げかけると「夜中の2時には目が覚めてテレビを点けると為になるのをやっていた。」との答えが返ってきたので思わず私は「歳を取るに従い睡眠時間は短くなるのか。」と思った次第です。

色々な話をしていて「朝食が美味しいのは健康な証です。」との話を最後に本堂に向かいました。昨日気が付いたのですがペットボトルの水が3本では足りないと言う事で昨日空になったペットボトルを綺麗にして4本目の水として持って行く事にしたのですがリュックサックを背中に背負って歩くので「それ程苦にならないな。」と思いながら歩く事が出来ました。

本堂の所の大谷徹奘師の日めくりカレンダーには『死んでからどうなる じゃなくて 生きているから どうするか です』とあったので、私は「確かに自分が蒔いた悪い種は自分で刈り取り、良い種は次代に繋いでいく事が肝要だ。」と思った次第です。本堂でのお経のあとは、今須稲荷様、3仏様(本尊様、不動明王様、毘沙門天様)、関ケ原与一の墓、常在不滅の塔、六地蔵様とお参りをしてから若山家、吉澤家、及川家、柴田家のお墓に水を手向けると、「大正解。4本のペットボトル水で丁度良かった。」と言う事で感謝の気持ちを込めて『お墓参りグッツ』をお墓の横にある石に並べて記念写真を撮った次第です。(手前から山崎ていじから頂いた赤のタオル、四国遍路1番札所で購入した数珠、最近使いだして便利なリュックサック、4本になったペットボトル)お参りを全て終えて家に向かって歩いていて、かつての床屋さんの階段の所に黒猫が悠々と座っていてガラケーの携帯を向けても意に返さない様子だったのでしっかりと写真に収める事が出来た時にふと思ったのは「我が家のお墓にいたカエルとは随分違うな。」と思った次第です。

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この黒猫は時には2匹で行動するのですが1匹で行動する時には我が家の敷地内でも大きな顔をしているのでたまには追いかけたりしてコミュニケーションを取るのですが黒猫は「この辺りの縄張りは俺のものだ。」と言わんばかりにこの辺りを好き勝ってしています。

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シャワーを終えて自室で横になりながらコラムを打っていると6時48分に緊急連絡が入り、6時49分には朝食の準備が出来たとの事だったので急ぎ朝食を頂き施設に行くと救急車が来ていたので状況把握をして大垣市民病院に向けて出発をした救急車を見送りました。当施設は特別養護老人ホームなのでこの様な出来事はあってしかるべきですが、最近は看取り希望の方が多いので久しぶりに救急車を見送りながら「24年前の施設開所当初は救急対応が多くて地域の方から苦情が来たことも度々あったけど、今は状況が随分違うな。」と思いに浸っている次第です。リピーターの皆さん。わたしは24年の重みを感じながらも今以上に良い施設を目指して行きますので今後ともよろしくお願いいたします。

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