目がさめたら 生きていた 死なずに 生きていた
令和5年4月21日
妙応寺駐車場入口の掲示板の言葉だったのですが、最初に見た時は一瞬「ドキッ」としました。確かに眠る前に明日があると言うことを当たり前だと思って生きているけれども、ある意味不可思議な事だと言えるし極端な事を言えば奇跡だと言えるのかも知れません。心臓が間違いなく動いているのは「当たり前」と思っていますが本当は「当たり前ではない」のです。
だって精密機械でもトラブルを起こす事があるし、「平和」と思っていても1秒後に大地震が起きないと言う事を断言する事が出来る人はだれ一人いないのですから。現に最近も自衛隊の幹部の方が乗ったヘリコプターは通常通りの飛行をしていて2分後には消息が分からなくなり海の底に沈んでいて遺体が見つかったとの報道がされていました。
最近も岸田総理が和歌山県の選挙応援に行きパイプ爆弾で襲われると言う事件がありました。少し話題が違う方向に行きましたので戻します。私も来月16日に誕生日を迎えると70歳になります。自分では「まだまだ若い」と思っていても20代の様な動きは出来ない自分がいます。今原稿をパソコンで打ちながら大谷徹奘師の講演でお話頂いた「若いもんには年寄りの気持ちはわからんよ。」と大谷徹奘師が薬師寺での修業をしてみえた時のおばあさんの言葉を引用してから「病気をして健康の有難さを知る」との言葉を思い出しました。
そして、今70歳を目の前にして父進が42歳の時に生まれた子どもである私は私が28歳の時には父進は70歳と言う事で28歳だった私は「何をもたもたしているのですか。もう少しちゃっちゃと動けませんか」と思っていた様に思います。しかし、私が今その年齢になって父進さんの動きは今の私より動けていた様に思うと正直申し訳なく思います。めちゃくちゃ迷惑を掛けて甘えてばかりいた私ですが一つだけ息子らしい事をした事があります。
それは私が言うのも変ですが聡明な父進が突然認知症の様な症状が出現して息子である私の事も義母の事も分からなくなった事がありました。その頃の父は関ケ原町内の町医者にかかっていたのですが私は常日頃から薬の量が異常な位に多かったので不信感を持っていたこともあり半ば強引に大垣市民病院に連れて行きました。
その結果診察をして頂いたお医者さんが当時13粒もの薬を飲んでいたのを3粒だけに減らす様に指示して頂き3日もしない内に認知症の症状は無くなり父親も苦しむことが無くなったのを思い出しました。この経験から私は薬は本当に飲まなければいけないもののみにすべきだとの考えになりました。本日の結論は「当たり前の生活に感謝。そして死ぬまで皆さんの為に役立つ生き方をしていきたい」です。



















