本日は4つの話題をお届けします。

令和4年11月12日

『登録していない番号からの電話でした』

昨夜19時前に家に帰りゆったりとお風呂に入ってリラックスしている時に登録してない番号からの電話(私は1500件位電話登録しているのでめったに番号で知らせる事は無いのです。)少し警戒気味な低温の声で「もしもし」と出ると高校時代の同級生からの電話に急にテンションを上げて話をしていると、私が病気をしていることを知っているので「どうして私の病気の事を知っているの」「どうして私の携帯番号を知ってるの」と質問している自分がいました。多分、私の病気の事は私のコラムを見ている同級生からの情報だろうとの予測をしたのですが、電話番号については予測が出来なかったのですが「かつての連絡網で調べた。」との事だったので、「そんな事もあったな。」と思い出しながら話をしていた時に「70歳になった事だし、同窓会で旅行に行きたい。」との話だったので「まだ、60代ですよ。」と言うと「私もこの12月には70歳になる。」と言うので「おいおい、今度の誕生日で69歳になるのだよ。」と言うと「えっ、そうか」と不思議な事を言うので、私は思わず「歳に対する拘りはないのか。」と思った次第です。しかしながら、今は全く連絡を取り合っていなかった高校の同級生の連絡も嬉しいものだと思った次第です。

 

『朝靄が凄いです。』

5時30分に家を出て六地蔵様のお参りを終えて(6時過ぎです。)お墓まで左手に田圃があり、その田圃から朝靄が凄い勢いてあがっているので「夜中が冷えて急に気温が上がっているからかな」と思った次第です。

 

『手の先が冷たい』

我が家のお墓で手を合わせながらお経を唱えていると所謂末梢神経がある手の先が冷たいので両手で手を擦り合わせました。そして擦り合わせていると、母秋江さんが一生懸命に暖めていてくれているような錯覚に陥りお経を唱えているのに何故か涙が溢れてきました。私はお墓の中の母秋江さんに今でも甘えている事を改めて自覚した次第です。

 

『頭の良い方には落とし穴がある』

今朝の新聞一面のトップに法務大臣の更迭記事が掲載されていました。その方は東大法学部を卒業され警察官僚となり、国会議員の娘さんと結婚され秘書の経験を積まれてから議員になられたとの情報を得て私は「文字通りのエリートの道を歩まれた方だ。」と思うと共に「頭が良い方の中には何事も自分の思い通りになると思っている方がいるのだな。」と思うと同時に、頭が良いと思っている職員の中にも『この程度の事をメモする必要はない』とメモしない職員がいたりします。私は『うさぎとかめ』の寓話を持ちだし「亀であってもコツコツ確実に頑張る職員を評価します。但しうさぎであっても謙虚に積み上げればそれに越したことはない。」と言っています。更迭された前法務大臣は多分政治パーティでの挨拶なので『うけ狙い』のつもりで言われたのでしょうが『苦労』と言う文字をご存じなかったのだろうと勝手な論評をしています。但し『他山の石』として今後も気を付けて話し方をしていきますがリピーターの皆さん、万が一『可笑しな言動』に気が付かれたらビシバシ指摘して下さい。

会いたいと思っていたら相手側から連絡がありました。

令和4年11月11日

今の事業展開で相談出来ると良いなと思っていた方から昨夜連絡を頂きビックリです。電話の用件は「明日どこかの時間でお逢い出来ませんか。」との事だったので、「スケジュールを確認して折り返します。」と言って携帯のスケジュール管理で確認すると午前中は全国老人福祉施設協議会の常任理事会が有り、会議が延びたとしても14時には終わると考えて折り返しの連絡をすると「14時過ぎに参ります。」との返事だったので、改めて『持ちつ持たれつ』の関係に感謝です。どの様な内容かはわかりませんが私に出来る事なら頑張って対応しようと考えています。

さて、本日も朝の仏間でのお参りと妙応寺へのお参りに引き続いて我が家のお墓にお水を持って行くのですが、仏間でのお参りを終えて5時30分に外に出るとまだまだ真っ暗。(岐阜の日の出は午前6時24分)真っ暗な中でも街灯が適当な位置にあり、歩くのには苦労しないのですが、最近は暗いが故に困った事があります。と言うのは本堂までは月明りも入ってこないし、街灯の光も入ってこないし、灯かりらしい灯かりも無いのでお賽銭を確認するのも一苦労です。「お賽銭はポケットから出すだけなのにどうして。」と思われるリピーターの皆さんもおありかと思うので私のお賽銭投入のこだわりについて述べる事にします。

私はお参りの為に家を出る前に『1円玉2個』『5円玉2個』『10円玉3個』『50円玉1個』(※毎月1日には護摩木の分としてプラス200円を持って行きます。)をジャージのズボンの左側に入れて出発します。先ずは妙応寺の本堂で「良いですか(1円玉)良縁ご縁を(5円玉)充分に(10円玉)頂けますように。」」と順番に大きな賽銭箱に入れます。ちなみに、今須稲荷神社では「良いですか、良縁ご縁を、充分に、そして五重(50円玉)の喜びを」と言っています。残り1個の10円玉は六地蔵様に順番にお供えしてそれぞれのお地蔵様に5枚が並んだ日に「30日が無事にお参り出来ました。」とお礼を言いつつ10円玉を回収して大きな器に入れる事にしています。

昨夜電話を頂いた方が14時2分前におみえになったので、色んな面の意見交換をしてお互いに協力し合えることについての話し合いもしました。先般頂いた富有柿を出して貰ったら「会長この柿はコラムに出て来た柿ですか。」と言われたので一講釈コラムについても話をしました。毎日コラムを書くようになって3年以上になると思うのですが色んな方が私のコラムを読んで頂いている事にも感謝です。これは読んで頂けることに感謝と共に3年以上続いて書けたと言うのは健康であり、毎日の話題に事欠かない状況があると言う事にも感謝です。リピーターの皆さんも今生きている事に感謝しませんか。

 

ようやくお花をお墓に持って行けました。

令和4年11月10日

施設で管理している高野槇と菊を我が家のお墓に持って行こうと、何日か前に家に持ち帰りバケツに水を入れて置いたままになっている事を仏壇で朝のお参りをしていた時に思いだし、本日お墓に持って行きました。本日この様に出来たのは少し心に余裕が出てきた証しかと思っています。と言う事は今の私の頭の中には行うべき方向と戦略が脈々と浮かんでいるのです。こんな時は何をしていても効率的に対応出来る事に自分自身驚いている状況です。

さて本日は全国老人福祉施設協議会主催で東北ブロック6県1市の役員懇談会がありました。東北ブロックの会長さんは秋田県の萱森会長さんだし、青森県の会長の棟方会長さんは、私が総務・組織委員長の時の委員さんで委員会のご意見番でした。山形県の会長さんは峯田会長さんで、前全国老人福祉施設協議会副会長さんで、福島県の会長さんである秦会長に至っては、現全国老人福祉施設協議会副会長としてご一緒させて頂いていると言う事で、和気あいあいとした雰囲気の中で会議を実施する事が出来ました。そして、つくづく実感したのはブロックによる温度差です。だとすると温度差を出来るだけ失くす努力を私も副会長として汗を流さなければいけないと思った次第です。

そんな和気あいあいの雰囲気の中でも、話題の中心は『人材確保』の問題で、人材紹介の紹介料が高いと言うのと、紹介して貰っても短期に退職して契約金が戻らない悪質な業者が蔓延っている問題については、全国老人福祉施設協議会が良識的な業者の選定が出来るシステムを確立する必要があると痛切に思いました。また、コロナ感染症によるクラスターについても未だ厳しい状況があるとも伺いました。また、業務の効率化でのICT・ロボットの導入については、予算を伴う割には効率化がなかなか計れない状況にも直面されていて、この事については好事例の紹介や研修等に力を注がなければいけないとも感じました。また、入居条件が要介護3以上になった事によって入居待機者が多くない状況については切実な問題なので『政治が制度を変える』事について組織内候補がいない状況の中でどの様な展開をしていくべきなのかと言う事を、より具体的に考えていかなければいけないとも感じました。

政令指定都市である仙台市の会長さんからは、事業所が増えて過当競争になって利用者さんの奪い合いが起きているとの話を聞いた時には「そのような事に頭を悩まされているのか。」と思うと、これからはますます厳しい経営を強いられると思った次第です。今日の会議を終えて改めて『2040年問題』について当法人である杉和会も真剣に考えていかなければいけないと理事長の立場で思った次第です。

リピーターの皆さん、会議等でうごめいていますが決して無駄な事は無いので、与えられた事を精一杯努めて今後も頑張っていきたいと考えていますので、宜しくお付き合い下さい。

 

東京でのタクシードライバーの事です

昨日は全国老人福祉施設協議会本部(平河町塩崎ビル)に事業評価委員会の為に行ったのですが、10時からの会議という事で東京駅からタクシーに乗り、「平河町の交差点までお願いします。」と言うと「平河町ですね。」と言われたので安心して座席にゆったりしようと思ったのですが、信号待ちになった所でナビの操作をやり出されました。

不安になった私は「国会議事堂前の交差点を右に行って下されば大丈夫ですよ。」と言うと「はい、わかりました。」と言われたのですが、その後も信号で止まる度にナビの操作をされているので「この運転手はひょっとしたら国会議事堂の場所もご存じないかたなのか」と不安に思いつつ乗っていました。

極めつけは国会議事堂が見えている所まで来ているのに手前の信号で「右に回りますよね」と言われたので「国会議事堂の所まで進んで頂いて右折して下さい。」と言うと「はい、わかりました。」と答えられる。しかも国会議事堂の信号を右折してその後直ぐに左折をしないと平河町の交差点にいけないのに一向に左車線に行こうとされないので「信号の手前を左折ですよ。」と言うと「えっ、そう何ですか。」と言って無理矢理左に付けられる。

極めつけは(『極めつけ』を何度も使うもので無い事は分かっているのですが、敢えて『極めつけ』の2度目を使いました。)平河町の交差点の1つ前の国会図書館の交差点で右折車線に入られたので私は思わず「運転手さん。次の信号ですよ。」と言うと慌てて本車線に入られる状況にあんぐりでした。何とか無事に塩崎ビル前に付けて頂きお金を支払った時にも「慣れてなくてすみませんでした。」の言葉が無かったのも残念でした。

次に帰りに東京駅丸の内までタクシーに乗ったのですがその時も大変でした。と言うのはタクシーを停める為に手を挙げていると2車線目を走っているタクシーが勢いよく左の車線に入って停まったのですが、左車線を走っていたバイクがクラクションを鳴らしながら急停車して改めてタクシーの右側を通って行きました。何とかタクシーに乗り「東京駅丸の内までお願いします。」と言うと聞き終わる前に(私はその様に思いました。)アクセル全開で走り出しました。私は何度かタクシーに乗っていますが、東京の道で80キロのスピードを出されたのは(首都高速は別ですよ。)初めてでした。

行きのケースも帰りのケースも私に言わせると「困ったケース」と言う事です。だってリピーターの皆さん、行きのケースの様にナビの操作を繰り返し、地理が全く頭に無くて運転する運転手で尚且つその事を悪いと思っていないのも、帰りの運転手の様に慣れからくる行為なのかも知れませんが無謀な運転も困りものです。どちらにしてもタクシーは安全に快適に目的地までお送りするのが使命だし、タクシーの運転手は看板を背負って運転している事を理解して貰いたいと思うと共に当施設でもショートステイやデイサービス等々で入居者さん利用者さんをお乗せするので私も含めて心していかなければいけないと思った次第です。

7時5分の岐阜羽島発で東京に行きます

令和4年11月8日

昨夜は今朝のお参りをどうすべきかを考えながら眠りにつきました。そしてアラームの4時25分を前にした4時18分に目覚めていつも以上にてきぱきとお参りまで済まして仏間でのお経を終えて外に出たのは5時15分。こんなに早く家を出たのは初めてです。早くに歩きながらも橋の欄干での屈伸運動と背伸びはしっかり実施して幸福地蔵菩薩様でのお祈りをして(本日は時間の関係で水替えをしないのでリュックサックの水は無くてリュックサックは背中の保温の為に背負ってます。)本堂でのお経と今須稲荷での祈願をして、ここでも屈伸運動と背伸びをしてからお墓の方に向いて手を合わせてから家に戻りました。

5時45分だったので急いでお風呂に入ってしっかり体を拭いてからスーツに着替えて、準備して貰ったおにぎりとお茶を持ち、背中には昨日かつての入居者さんの家族が持って来てくださった富有柿をリュックサックに背負って出掛けました。おにぎりは岐阜羽島の駐車場に着いてから急いで頂き切符を買って7時5分の東京行きに乗りました。

本日は10時から事業評価委員会で担当副会長として、総務・組織委員会とデイサービス部会の評価に対する提案をしなければいけないので東京に着くまでの二時間を使いデスクワークに徹しました。本部事務所のある平河町の塩崎ビル7階に行き、専務さんの部屋に挨拶をしてから事務所に行きそれぞれの職員に挨拶をしてから背中に背負っていた富有柿を渡してから会議室に入ると何人かの副会長がいたので挨拶を交わしていると一人ひとりぼちぼちと評価委員の方が入ってみえたのでそれぞれに挨拶をしていると10時になり事務局長さんが開会を宣言されてから平石会長、寺尾委員長が挨拶をされてから寺尾委員長の進行で委員会が始まり『入会促進』のテーマから始まったので入会促進の担当責任者としてトップバッターで私が提案する事になりました。

私は最初に正直に「被告人のような感じですが宜しくお願いします。」と気分を和らげる事を言ってから私なりに10分ほど提案をさせて頂きました。その後5人の委員さんから質問を受けて40分程の被告人の役割を終えました。提案については私なりにしっかり出来たと思っています。その後私以外の副会長が提案をされて、 委員会は終了時間の12時を20分オーバーしましたが無事に終了しました。終了後はお弁当が出たのですがその時に大事に持ってきた富有柿を出して頂きました。お弁当を食べられた後に皆さんが柿を食べて頂きましたが異口同音の様に「甘くて美味しい。」と言って頂けたので、一つひとつ丁寧に包んで持ってきた甲斐があったと思いました。

今はとんぼ返りで新幹線のなかですが、やり終えた充実感に浸っています。とは言え明日は盲養護老人ホームの一部転換の大切な話し合いがされる日なので、体制を整えて頑張れる様に頭を切り替えていきたいとは思いますが今はしばし充実感に浸りながら も新たな気持ちで挑んでいきますのでリピーターの皆さん、これからの社会福祉法人杉和会の同行を見ていて下さい。

 

強い思いで頑張らせて頂いています

私は岐阜県老人福祉施設協議会の役員を今年で20年させて頂いています。そして会長に就任をして10年目にして今年の4月1日に待望の『一般社団法人』になりました。この一般社団法人になる事を私はずっと心の中で温めていて、時には役員の方々に一般社団法人の必要性を語ってきました。

『一般社団法人』になる事によって何が違うのかと言うと単なる『岐阜県老人福祉施設協議会』と名乗るのは単に名称を名乗るだけなので何処からも認められた存在ではなく、事務局も岐阜県社会福祉協議会に委託しているだけと言う事で、何らかの補助事業を実施する事も出来ない団体だったので、補助事業を実施するには岐阜県社会福祉協議会に名義を借りて実質的な部分のみを担うしか無かったのです。4月1日からは法務局に登録をして正式な認可を頂いたので『責任と義務』もしっかりしていかなければいけないのです。

ただ今年度については移行期間と考えての1年としてきた事とコロナ感染症対策の一貫でリアルな事業が出来ないと言う事で上半期は思う様な形で出来なかったのですが、下半期は来年度からの積極的な展開の為に地ならしをしている状況です。その中で一番大切にしているのは、役員の意識改革です。つまり、事務局に頼るのではなく役員自らが企画をして会員施設にとってメリットのある展開をしていく事だと、本日の岐阜県老人福祉施設協議会常任理事会の場でしっかりと確認しました。

「会員施設が今岐阜県老人福祉施設協議会に求めている事は何なのか」を理解した展開の必要性です。『職員確保と育成』『物価高騰への対応』『法人連携』等々難題が山積みです。また、財政審が画策している要介護1、要介護2の『地域支援への移行』問題については全国老人福祉施設協議会との連携を密にして会員施設に対して情報提供をしていく事も大切だと考えています。

どの問題にしても一朝一夕に解決するものではありませんがしっかりと取り組んでいきたいと考えています。その為には岐阜県との関係をより密にしておくことも大切なので『点を線にして面にしていく為に地道な積み上げをしていかなければいけないとも考えています。

本日は全国老人福祉施設協議会主催による近畿ブロックの役員との懇談会がリモートで15時から17時まで行われました。私は全国老人福祉施設協議会副会長としての参加だったのですが、全国8ブロックの懇談会が企画されているのですが先般の中国ブロックに続いてのものだったのですが、それぞれのブロックによって抱えている問題が違い(勿論共通するものも多く有ります。)全国老人福祉施設協議会としてもやるべき事が沢山あると改めて認識しました。

なお明日は久しぶりに全国老人福祉施設協議会本部がある東京平河町で『事業評価委員会』が開催され、私は総務・組織委員会とデイ部会の担当副会長として評価を受ける立場としての役割りがあり、このコラムを打ち終えたら明日の委員会に供えて報告書をまとめる対応があります。何事も大変を大変と思ったら余計に大変になりますのでそうではなく明日7時5分の岐阜羽島駅発の列車に乗った時には爽やかでいられるように頑張ります。リピーターの皆さん、毎日が充実している事に感謝です。

朝から興奮しています。

令和4年11月6日

いつもの様に朝のお墓参り兼ウォーキングの為に妙応寺の駐車場で幸福地蔵菩薩様を目指して駐車場の半分ほど進んだ時に何気無く後ろを振り向いて南の空を仰いだ時に流れ星が流れて行くのを見ました。だから私は朝からテンション高く興奮しています。流れ星を見たからと言って何かが激変して良くなると言うわけではないと思いますが、昔から流れ星を見られるのは『吉兆の証し』と言います。ご先祖様からの言い伝えには必ず『真理』があると思っているのでやはり、「ワクワクしています。」瞬間的な出来事だったので、しっかりしたお願いが出来ませんでしたが「南無・南無・南無・南無・南無」と唱えました。今考えても何となく振り返る事が出来たのは不思議でなりません。

除雪の契約をしました。

11月になり寒くなってきた時期なので、12月16日から翌年2月15日の3カ月間の除雪をお願いしている地元の木材業者の責任者の方に来て頂きお話をしました。昨年まで責任者をして頂いていた方が「年齢的にきつくなった。」と言う事で改めて契約内容について説明させて頂きました。もっとも昨年の除雪にも協力して頂いていた方なので「雪が降った時の除雪依頼のタイミング」についての打ち合わせをしました。本部施設の所在地である関ケ原町大字今須は所謂『昔からの豪雪地帯』であり、私が高校生の頃である50年前には屋根の雪下ろしを黙々とした記憶があります。どうして豪雪地帯として沢山の雪が降るのかと言うと、北陸寒気団が南下してきて今須の方に寒気団が来た時に平地を通過して伊吹山(標高1377メートル)に雪の塊が当たって、伊吹山の麓に当たる今須にドンと雪を降らすのです。

その年年で積雪量に違いがありますが、私が高校生の頃と比べると少なくなっているとは思いますが、それでも年によっては多く降る事があります。25年前に本部施設を開設した頃は職員の協力を得て(当然の事ながら私が先頭に立って除雪をしていました。)自前で除雪していましたが、平成16年に新館が出来てからは敷地の面積も倍以上になり、尚且つ町道沿いに大きな駐車場を設置してからはとても自力での除雪は出来なくなり、地元の製材所を営んでみえる方にお願いをしています。

夜の内に雪が多く降った時には午前4時には宿直者から雪の状況を連絡して貰い、業者の責任者の方に連絡をします。「どうしてそんなに早い時間なのか」と言うと厨房の従業員の方は早い方は4時45分には出勤してみえます。その時に車を置く場所もないと仕事に取り掛かって貰えないからです。何と言っても5000坪の敷地ですから半端な除雪ではありません。いくら地元だからと言ってもその時間から除雪をして頂かないと施設の機能が回って行かないのです。だから、雪が多いか少ないかではなく、施設が安心して回る為にも3か月の契約はしなければいけないのです。

リピーターの皆さん所によって大変な状況には違いがあると思います。本部施設においては大変な冬がやってきますがそんな状況の中でも『今日一日楽しかったよ。』と言って頂ける様に入居者さん利用者さん共々頑張りますので益々当法人のホームページをご愛読下さい。そしてご意見等を頂けると嬉しいです。

本日は『雲』です。

令和4年11月5日

『影』、『星』ときて本日が『雲』とは「私はこんなにもロマンティックな人間だったかな。」と、しみじみ思いながらも「いやいや、私は夢を求めてあがき苦しみながらも形にしていく『夢追い人生』ではないか。」と自分の事ながらクスクス笑っている私なのであります。

さて、タイトルの『雲』の話題に移ります。今回も朝のお墓参りに行った時のお話なのですが、家を出たのが5時30分だったので「西の空には沢山の星があるかな。」と空を見上げると「あまり見えないな。」と言う事でしっかりと空を仰ぐと「どうやら、雲が空を覆っているところが多いのかな。」と言う事で雲の切れ間の空にポツポツと星が覗いているような感じでした。いつもの事ですが、毎日の様に表情を変える自然の姿に「だから、楽しいな。」と思った次第です。

さて本日は午前に関ヶ原診療所に行き定期受診の為に検尿と血液検査を受け、その結果を基にしてお医者さんから結果講評のように「この数値は云々」と話を聞くのです。「それだけの事ならば結果を見せて貰うだけで良いのになあ。」と思ってしまう私がいます。もっとも、「数値を見て、高い低いだけでは今後の治療につながらないし、とことん悪くなってからではいけないので定期受診をしているわけだから仕方がないか。」とは言え国の方では『生産性の向上』を掲げているのだから、「もう少し効率の良いシステムにならないのかな。」とは思います。昨日は大垣市民病院への受診だったし、確かに『健康』は大切な事だから「やむ無し」と言う事ですか。

関ケ原診療所の待合で待っているとかつて関ケ原町役場の課長をされていてお世話になった方が私と同じ様に受診にみえたので挨拶をすると隣の席に座られたので「この様な場所でしかお会い出来ないのではいけませんね。」と話しかけると「この歳になると色んな病気が出て大変です。」との返答が返ってきたので私は苦笑しながら頷くしかありませんでした。

施設に行って昼食後はフロアの代表者の職員と『12月のバイキングをどの様にしていくか』との話し合いをしました。と言うのは月一でバイキングを実施しているのですが(ちなみに今月は11月23日に『寿司バイキング』と銘打って行います。)最近のバイキングが『業務的』になっていないかとの視点に立って『入居者・利用者及び職員参加型でのワクワク感の再構築』との見地に立って話し合いをしました。私は話を分かり易くするために先月30日に開催した『ハロウィン』と8月に開催した『手作り神輿での地域練り歩き』についての話をしました。

『ワクワク感』『思い』がある企画は何事にも増して有意義なものだとの認識を共有してから検討に入りました。最終的には、手作りケーキを各フロアそれぞれに作る企画を11月20日までに取りまとめる事になりました。『業務的では無く余暇を楽しみながら笑顔を共有できるもの』ということでまとめました。12月14日が当日となりましたがリピーターの皆さんもワクワク感を共有できるものになると嬉しいなろ思っています。

本日は『星』についてからです。

令和4年11月4日

本日は前立腺がんの治療の一貫として放射線課に9時の予約で行きます。大垣市民病院の駐車場はめっちゃ混むのでなるべく早く出ようと言う事で朝の日課をいつも以上にてきぱきと出来たので5時15分に家を出ました。家を出ていつもの様に東の空に向かって手を合わせていて空を見るとうっすらと明るくはなっていましたが『星』は全く確認することが出来なかったのに西の空を見ると空の半分位のところからは星が一杯確認出来て、改めて「夜明け前の15分の違いは大きんだ。」と思った次第です。歩いて行くうちに星の数は段々と少なくなり、妙応寺の駐車場の所まで来た時には完全に星は消えていました。

今日は星に気を取られていたので昨日の『影』については全く意識をしませんでした。歩くペースも早かったのか家には6時15分に帰る事が出来ました。家に帰って直ぐにシャワーを浴びて、最近は寒くなったのでお風呂にも浸かり身体を温めてからなので6時40分にあがると朝食の準備が出来ていたので朝食をゆっくり食べてからスーツに着替えて出掛けました。

比較的道路が空いていたので9時の予約には駐車場を遠い所に停めたのですが充分間に合い、受付をした時に横着く「10時までに岐阜まで行きたいので出来るだけ早く診て頂けたら助かるのですが」と言うと「なるべく配慮します。」との事で、実際に8時45分に診て頂く事が出来て、お陰様で10時からの自民党岐阜県連との友好団体との懇談会には充分間に合う事が出来ました。

懇談会では総会に引き続き厚生担当の議員に対する陳情の時間もあり、岐阜県老人福祉施設協議会の代表者として『人材確保と定着』『物価高騰に対する配慮』(この事については10月7日の県議会に於いて1食当たり30円の補助と言う有難い案が承認されましたので、この予算を半年とは言わずに介護報酬改正がある令和6年3月まで実施して頂きたいとお願いしました)『大規模修繕に対する補助』についてしっかりお願いしました。

懇談会終了後は直ぐに施設に帰り、昼食後は優・悠・邑 和(なごみ)の吉澤施設長を呼び今後の展開について打ち合わせをしました。吉澤施設長との打ち合わせは、今迄とは違い、施設の方向性を明確にするものになってきたので、お互いに気合の入る打ち合わせとなりましたし、施設への入所についてもコロナ感染の落ち着きの中確実に入居の話が決まっていくのは嬉しい限りです。

それ以上に嬉しいのは新たに入所される方がそれぞれに満足して頂いているのには感謝です。リピーターの皆さん、優・悠・邑 和(なごみ)は最高の施設ですから静慈圓大僧正の書を見に来て頂くついでで構いませんので一度きてみて下さい。来たことがある方は何度でも来て下さい。

 

『前文』

令和4年11月3日

私は学生時代にショートショートの神様(私はその様に思っています。)星新一さんの本を好んで読んでいました。私が読書に目を向けたのは中学2年の時ですから決して早くないのです。そのきっかけは然り気無く「ああ、無情」と言う分厚い表紙の本が置いてあり何と無く読み出して次々に変わる展開に一気に読んだのを今でも覚えています。「スミマセンです。いつもの悪い癖で『前文』なるものは短いものなのにだらだらと書いています。」そこで、結論を一言。「今日は短いのを沢山書きます。(だらだら書いて落ちが短い手法は井上ひさしのようですが、そんな良いものではありませんか)

『影』

本日はアラームの4時25分からてきぱきと行動が出来て、仏壇でのお参りを終えて外に出たのが5時25分で、外はまだ真っ暗な状態。だからなのでしょうか、街灯の灯りがいかにも明るく感じました。そして金剛杖をつきながら歩いているとしっかりとした私の姿を影が表現していてくれるのです。歩いているとその影が街灯の位置が変わる度に歩く前に映ったり、後ろに映ったり、或いは横に映ったりして、どうでも良いような事なのですが楽しかった。

そして『影』の決めうちは、本堂でお参りをしている時に私の影以外にもう1つの影が。思わず後ろを振り向くと、いつもは大抵私が幸福地蔵菩薩様でお参りをしている頃に妙応寺のお参りを終えた方にご挨拶をしていたのですが本日は私の後ろで手を合わせてみえたので正面にいた私は左側に寄ってから再びお経を再開しました。もしも影に映らなかったら私はとても失礼な事をしていた事になるところでした。

『10時30分から面接です』

専門学校を来年3月に卒業するいわゆる『新卒者』の方の応募です。しかも、地元の方だとわかり本当に最高の気分です。本部施設を開設した平成10年及び新館を事業開始した平成16年の時には新卒者の採用をいくらでも選べる様な状況がありましたが、今は新卒者の応募自体が殆ど無いのが現状です。それは、介護職に対するイメージが一般的にあまり良くないからだと理解しているので、当法人ではホームページで色んな記事を載せる事によって理解して貰える様に配慮してきた成果かと思っています。

10時20分には緊張した面持ちでやってきました。予定より少し早かったのですが、新卒者には記述能力と思いを理解する為に400字の原稿用紙に2枚程度課題を与えて書いて貰います。今回の課題は『介護職として目指すもの』と言う題で書いて貰いました。作文を読ませて頂き簡潔に尚且つ目標とすべき事もしっかりとまとめられていました。そして直接の面接の時もはきはきと答えられていて好感度は間違いなくよかったし、面接者からの質問として施設見学がしたいと言うのも納得がいきました。

私は理事長として即決したいと考え、施設見学後に感想を聞いたあと、内定を確約しました。その時には本当に嬉しそうな表情をしてくれたのを頼もしく思った次第です。面接の最後には本人が書いた作文のコピーを「実際に仕事をしていてたまにはこの作文を読み返すと良いと思います。」と手渡しました。玄関で見送ったあと直ぐにハローワークに採用したと言う返事をファックスで送信すると共に内定通知書を水野相談員に作成して貰い、理事長印を押してから彼女が大きく成長してくれる姿を思い描いていた次第です。

リピーターの皆さん。『ショートショート』と言いながらも、書きながら「決して短くないし落ちもないな。」と思いながらも「本日は3編書きました。」と居直っています。どうかご理解下さい。

 

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