祈りの言葉が1つ増えました。

令和4年7月27日

とことん大変だった時に(今も大変なのですが。)高野山の静慈圓大僧正に手紙を書いて1ヶ月程して静慈圓大僧正が私の為に祈って頂いたお札に『諸障退散』『七難消滅』と書いて頂いたのでお経の後に何度となく唱えさせて頂いていたのですが、職員の方からの提案で手作りの神輿を作り地元新明地区を神輿を担いで地域に施設に元気と幸せの風を興したい。との発案で以前にもこのコラムで書きましたが家族会の吉田会長さんに材料を提供していただくと共に町内会長さんに地元への周知を相談に行き回覧板を作成したら町内に回すとの確約を得て、チラシは下絵を職員が描き色鉛筆での塗り絵は入居者さんがする形で完成したので、地域の方々により理解を得るための公文書は理事長である私の役割と考えて文章を作成しました。

その中で地域への交流と言う事、コロナ感染の状況によっては中止或いは延期もあり得る事を書いた上で神輿を担いで地域に出る事によって『諸障退散』と共に『幸福到来』の言葉を書かせて頂いて、文章を確認していて『幸福到来』なる言葉が果たしてあるのかと一瞬悩んだのですが分かりやすい言葉だし良いのではないかと自分自身に納得してそのまま印刷しました。そして、妙応寺経由のお墓参りを再開してからは『幸福到来』の言葉を好んで使っています。リピーターの皆さん良い響きだと思いませんか。考えてみると今までの祈りは『負』のイメージのみだったのですが、光輝く祈りのように思えてきました。そう言えばなかなか、問題解決の方向が見えてこなかったのが、最近は良い展開の兆しが見えて来たように思います。やっぱり『言葉は力なり』と言う事でしょうか。

本日も4時25分から行動開始でコロナの検査として、PCR検査の唾液を施設で取り、今はピロリ菌検査の為に関ヶ原診療所に来て息を吐く検査で15分の安静の時にコラムを打ってます。後は最後に息を吐いて終わりです。

さて、話はPCR検査についてなのですが、岐阜県から8月も全員のPCR検査を2回出来るとの事で施設として直ぐに申し込みました。第7波による急激な陽性者の数を見たとき、「施設でしかも無償で全員がPCR検査をして頂けるのは有難い。急激な陽性者の数を見ると月に2回とは言え確認が出来るのは有難いし、希望しない手はない。」と思った次第です。まだまだコロナ対策に対しても気を緩める事は出来ないし、その他にも対応しなければいけない事が山積みだと考えています。

いみじくも昨日本部施設で全体会があり、私は理事長として最後の総括の話の中で「一般論として歳を重ねる毎に1年が早くなると言われていますが、私は毎日毎日が充実した日々を送らせて頂いているので早く感じた事はありません。職員の皆さんも入居者さん、利用者さんの日々を楽しく過ごして頂く事を提案して実践することによって1年1年を充実した日々にして頂きたい。」と話をしました。

リピーターの皆さん。私はこんな考え方で生活させて頂いているのですが。勿論大変な事は沢山あります。それも含めて充実した日々と思っているのですが。そう言う意味では、本日の大谷徹奘師の日めくりカレンダーの『死んでからどうなるじゃなくて 生きているからどうするか』は上手い表現がしてあると思いました。

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朝から爽やかです。

昨日は私の奥さんかをりさんの両膝が痛くて特に右膝は変形が著しくて階段もなかなか上がり降りが出来ない状態と言う事で膝治療専門の病院が名古屋栄にあると言うので私がお抱え運転手兼付き添い(当てにならない付き添いですが。)で施設には行けなくて電話での指示のみをした一日でした。さて、本日も4時25分のアラームで行動開始。仏間でのお参りを済ませて家を出たのが5時20分。外に出ると爽やかな風が吹いていてますます爽やかです。本日は昨日6時30分までに新明の区長さんに神輿の案内チラシを持っていかなければいかなかったので出来なかった事をしなければと言う事でいつもだとビニール袋にペットボトル2本、我が家の水を持って行くのですが本日はビニール袋のみを持って(勿論金剛杖とお賽銭は持ってます。)昨日気が付いた幸福地蔵菩薩樣の帽子は無いのが気になりましたが、お参りとお願いだけして、本堂に行くと玄関の戸は閉まっていましたが戸は開けることが出来たので本堂の中に入りお参りする事にしたのですが、本当に有り難い事に線香2本が立っていたのは嬉しかったです。と言う事は「毎日頑張れよ。」と方丈樣に叱咤激励されているのだと思った次第です。今須稲荷神社でのお参りもさせて頂いた後、六地蔵樣に六地蔵樣の側に設置してある水をやかんをお借りして6個の湯飲みにたっぷりと水を入れさせて貰い、花立にも水をたっぷり入れてお参りをしてから若山家、吉澤家、柴田家(及川家は造花が入れてあるのでパス)の花立全部で6本を持参したビニール袋に入れて六地蔵さんの隣に設置してある水道水を利用して綺麗に洗わせて貰いました。綺麗にすると心まで爽やかになりました。お墓でのお参りを終えて西側にある大きな駐車場の方を見ると写真の様に材木が沢山積んであるのを確認したので、色んな事情で外国の木材が輸入しにくい関係で値段もかなり高くなり、地元の木が有効活用されるようになってきたのは良い傾向だと思い写メに撮った次第です。家に帰り軽くシャワーを浴びて朝食を頂き、8月1日に開催される岐阜県老施協の常任理事会の事前打ち合わせの為に岐阜県老施協事務局がある岐阜県福祉会館に出掛けました。9時30分からの開始予定でしたが9時10分に事務局に着いて直ぐに打ち合わせを始めましたが色々な課題があり、11時40分までかかり、急いで本部施設に帰り、14時からは全国老施協東海北陸ブロック会長会議がリモートで行われると言う事で林副会長も同席すると言う事で13時30分に来てくれたので事前打ち合わせをして、14時からのリモート会議に挑みました。議題は全国老施協の全国大会の令和5年度の大会が東海北陸ブロックで開催される事になっていて、未だ開催県が決まっていないと言う事での緊急会議でした。色んな意見が出たのですがなかなか開催県が決まらないので結局色んな条件を付けて岐阜県で開催することにしました。令和5年度とは言えあと1年数か月後の開催なのでこれからやるべき事が山積していると思いますが東海北陸ブロックの役員の方々、全国老施協大会フォーラム委員会の方々及び全国老施協事務局の方々と岐阜県老施協の方々の協力を得て立派にやり遂げたいと考えていますのでリピーターの皆さん。今後はこの話題も度々出てくると思いますがこの点についても応援よろしくお願いします。P1000522 P1000521 P1000520

昨日13時30分からのお参りの報告です。

令和4年7月25日

昨日13時25分に本館1階の係長がお参りの準備が出来たと言ってきたので本館1階のデイルームに行くと全館放送の音楽が流れていたので、消すように指示を出してから(本来、音楽はお参りの前に切ってあるのです。)入居者さんに挨拶をしてからお経をお腹から声を出して唱えました。お経をお腹から声を出して唱えていると背中を滝の様に汗が流れるのがわかりました。正信偈と般若心経を唱えると爽やかな気分になり、1階の入居者さんの方から「歌を歌って」と言われて2曲気持ちよく歌わせて頂き、既に準備が整っている2階に急ぎました。

2階の入居者さんからは拍手で迎えられて、ますます気分が良くなり皆さんの前で「お経を唱えた後は歌ではじけま~す。」と言ってからお経を一生懸命に唱えて2階でも、1階同様に背中を滝の様に汗が流れました。2階の主任は『祭り男』なので入居者さんは既に歌を聴く体勢が完璧に出来ていたので、少し下手であっても許されるのではないかと考えていて、和(なごみ)の入居者さんからの宿題になっている『奥飛騨慕情』を敢えて歌いました。本館2階の入居者さんは聞き上手なので、少し音程がずれていてもしっかりと聞いて下さり、祭りの課題曲(題名はわかりません。)をこれも初めて歌いました。この曲は「どっこいしょ、どっこいしょ」歌えば乗ることが出来るのでこの曲も何とか歌えて自信を持った私は勢いに乗り歌いまくりました。

歌が終わると入居者さんから自分が持っているうちわにサインをお願いされたり、坂本九さんの『見上げてごらん、夜の星を』をリクエストされて、この曲は以前に上手く歌えなかったので自信がなかったのですが何とか上手く歌えてますますヒートアップ。結局本館2階ではお経を入れて一時間以上私が楽しませて頂きました。

そして、本日は有言実行と言う事で4時25分のアラームで行動開始。本日から歩いての我が家へのお墓参りが再開されるので昨日の内に花を買っておいたので花を持って外に出ました。外に出ると空気がピンと張り詰めているようで「再開して良かった。」と思った次第です。いつもの様に妙応寺の駐車場まで来て幸福地蔵菩薩樣に異変を感じました。

と言うのは、前掛けが右に曲がっているのはいつも通りだったのですが帽子をかぶられていないのです。私は「これは大変だ。」と思い回りを探しても「ない、ない、ない・・・。」仕方無く階段を降りようとして、花が枯れ枯れなのが気になりお墓様に用意した花を「せめて1本づつでもお供えしよう。」と枯れた花を持参したビニール袋に入れてから、新聞紙に包んだものの中から菊を1本づつお供えして、これも持参したペットボトルの水を入れてから久しぶりに幸福地蔵菩薩樣に手を合わせる事が出来ました。続いてトンネルで杖の響きを楽しみながら歩いて行くと山門は当然の様に開いていて、尚且つ本堂の戸もしっかり開いていたのです。ただし、流石に線香は立っていませんでした。当然ですよね。

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10日以上来てないのですから。と言う事は明日も怪しいな。だってこれが正に実績と言うものだと思うから。久しぶりに本堂でのお参りなので護摩木2本にマジックでお願い事を書いてから、大谷徹弉師の日めくりカレンダーを見ると13日のままだったので、思わず写メを撮り本日の25日までめくりこれまた写メを撮りました。

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引き続き本堂でのお参りをして今須稲荷神社でお賽銭箱に1円、5円、10円、50円、100円と順番に入れてリンの音を楽しんでいたのですが5円と50円が音無だったのが気になりました。次に六地蔵さんで、花瓶の水が少なかったので持参した水を継ぎ足しました。我が家、吉澤家(姉の所)、及川家(かつての入居者)、柴田家(同級生の親で世話になった。)の4ヶ所にたくさん買った菊を1本づつ入れて、流石に水が足らなくなったので六地蔵さんの所に設置してある水道から水を頂き入れました。若山家のお墓で急いでお経を唱えてこれまた急いで家に帰り、金剛杖を家に入れてから直ぐに車に乗り神輿の案内を持って新明の区長さんの所に行きました。この後の詳しいことは明日のコラムでと言う事でリピーターの皆さんご理解下さい。

明日からは4時30分スタートにします

令和4年7月24日

転倒して唇が痛いのとコロナワクチン接種で熱を出した事により朝4時30分からのスタートを切れずにずるずると今日を迎えてしまいました。家の仏間でのお参りも、我が家のお墓に行ってのお参りも出来てない日々が続いています。そんな生活に『人間は楽な方に流れるな。』と改めて思うと共に「明日からは襟を正そう。」と気合いを入れています。ただし、お参りについては、有り難い事に昨日はデイサービス、新館2階、新館1階でお参りさせて頂きましたし、本日も本館1階、本館2階でさせて頂く予定です。

この10日の間に和合でも、和(なごみ)でもさせて頂いたので、お参りとのご縁は色んな形で頂いていると改めて思った次第です。最近は安倍元首相が凶弾に倒れられ、犯人逮捕の報道で『旧統一教会』の詐欺紛いの話題が頻繁に出ていましが、私は宗教を信じる事を拠り所にするのも個人の自由だとは思いますが、弱味につけこむような事は、宗教の名を語った詐欺行為だと思います。勿論自分が納得をして多額の寄付をされる事がいけないとは思いませんが。私が中学1年で他界した母秋江が癌の末期に鎮痛剤で痛みを押さえる事しか出来なかった頃に、わけのわからない祈祷師が家に出入りしているのを不思議な目で見ていたのを今も覚えています。

私は自力本願の『弘法さん信仰』をしていますから自らが仏さんにすがる術しか知りませんが・・・。そんな時に職員の方から「コロナ感染症対策の為に夏祭りを3年も地域イベントとして出来ないのは地域との隔絶になってしまってはいけないので『神輿行列』で地域の中を回りたい。」との提案が出たのです。sこで、家族会の吉田会長さんや地元の区長さんの協力を得て8月6日に実施する方向で職員共々頑張っているところです。

職員が自ら地域への提案をしてくれた事に法人設立25年の重みをしみじみと感じているのは私だけではないと思います。「神輿を作って町内を回る」にしても、「明日から4時30分に行動を開始する。」にしても文字通り『有言実行』と言う事でリスクは伴いますが実行出来た時の充実感は得るものがあると思います。無理だと思える事でも声に出して言う事によって形になったり応援や協力をして下さる方が出てくる。

この事に喜びを感じる事が出来る事によって『1』の力を『2にも3にも』出来ると言う事。何かを成し遂げるには色んなリスクがあります。そのリスクを一つひとつ解決していく事によって大きな喜びや成果が産まれる。「明日から4時30分スタート」もその一つ。リピーターの皆さんに「な~んだ。若山は大した事ないな」と言われない様に頑張りますので見守りを宜しくお願い致します。

 

そんな事するか

令和4年7月23日

「なんのこっちゃ」と言うようなタイトルを付けましたが、たまにはこんなタイトルでもお許し下さい。ぼちぼちとタイトルに近付けますので。(そんなに大袈裟な事では無いのですが・・・)

私が家のすぐ前の橋のところでしっかり転び、膝→肩→手→唇の順にしっかりと傷付いた事は周知の通りなのですが、そんな中で一番耐えられなかったのは最後に傷付いた『唇』です。(最後だったからこの程度で済んだのだとは思うのですが。)転んだ時に上唇の左側には砂粒が幾つか付いて思わず手で砂を払った記憶があるのですが、次の日には砂粒が付いた所がぶつぶつになり、痛さが増しました。勿論上唇の真ん中の所はジンジン痛くてメッチャ腫れていて小さい頃の私だったら母秋江さんに甘えながらしくしくと泣いているところですが今、そんな事をしても洒落にならないし、格好も付かない事なのですが・・・。

さて、私は男性ホルモンが少ない為か腕も拗ねも殆ど薄い毛が申し訳程度に生えているだけで、スベスベなのであります。(それなのに、今は治療の関係で女性ホルモンの薬を飲んでます。と言いう事は顔の髭も殆ど薄くて1日2日髭を剃らなくても何の問題も無いのです。(だからだと思うのですが、電動の髭剃り機は殆ど役に立ちません。)

ところで、私が転倒したのは7月13日午前5時30分頃だったので、既に10日は経過しているので流石に写真の様な状態になったのですが(あまり見せたくない写真ですが、コラムに臨場感を出す為に恥を忍んで掲載しました。)昨日設備のメンテをして貰っている方と話をしている時にマスクを外した時に「理事長さんは髭を伸ばされるんですか」と聞かれたのでおいおいと思いながら「私が髭を生やしても洒落にならんよ。転倒したところが完全に治っていなくて、剃刀を当ててせっかく治ってきたのが悪くなるといけないので髭を剃って無いだけ。見ての通り10日近く髭を剃ってなくてもこんなもんなんや。」と話すると「髭が濃いと大変ですから羨ましい。」と返されて「それもそうだ。」と思った次第です。

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つまり、タイトルの『そんな事するか』とは、「私がカッコよく髭を伸ばす事は出来ないから100%無い。」と言う事が言いたかったわけです。私は無いものねだりはしませんから。でも、カッコ良く髭を伸ばしている人を見た時には「髭を整えるのも大変だから、髭が薄くて良かった。」と思うようにします。それに、最近の男性の中には脱毛にお金をかける人もおみえになるとか。私はそんな事にお金を掛けなくて良いのでその分美味しいお酒と美味しい物を食べる事にするとの考えでいます。リピーターの皆さん。この考え方は負け押しにに聞こえますか・・・。

昨日の夕食時には本当に美味しくお酒を頂きました

令和4年7月22日

一昨日、久しぶりにお酒を飲み、お酒の入ったビールグラスを唇に当てた瞬間に飛び上がる程に痛くて、でも喉を通った時には最高の美味さを感じたので「唇は痛いけど、これは本当に美味しいお酒だ。」(写真参照)と言う事で、昨日のコラムで書きましたが「お酒で消毒したら殆ど治った。」と言う事で(本当かどうかは定かではありませんが・・・)一昨日封を開けた純米大吟醸『南部美人』を昨夜も頂きました。琥珀色の日本酒は今までには石川県の『菊姫』の一斗樽を頂いた以外には記憶が無いので素晴らしいお酒だと思いながら頂きました。その時つくづく思ったのは健康であればこそ、お酒も美味しいし、食べるものも美味しいのだと言う事を。

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制度政策検討会議が開催されました。

本日10時から全国老施協主催の『制度政策検討会議』が行われるにあたり、検討会の一員として今回は、デイサービス部会の担当者としてもしっかりとした意見を述べなければいけないので、8時には施設に行き所謂『予習』をしました。この会議は介護保険制度等の見直しに対する介護現場の要望事項の検討を行うもので、課題は多岐に渡りますのでしっかりとした形でまとめておかないといけないので責任重大の会議です。その中で私が責任を持って提案しなければいけないのが『日常生活支援総合事業』について、財政審議会では要支援1と要支援2の他に要介護1と要介護2についても地域支援事業に移行する検討がなされている事に対して、どの様な考えで挑むのかと言う検討をしました。

そこで少し、日常生活支援総合事業とは介護予防、健康づくり、地域とのつながり強化が主たる目的です。と言う事は要支援の方であれば何とか対応出来ると思いますが、要介護の方にまで範囲を広げると現実的には対応が難しく、利用が出来ないのが現実です。その上今でも要支援の方がデイサービスを利用するとしたら、要支援1の方は週1回、要支援2の方は週2回しか利用できなくなった現実があり、今回の意図も『総量規制』が狙いでは無いか。つまり、『財政論』のみでの考え方ではないかと思えてなりません。うがった見方をするならば、『要介護3』以上の方が楽しむ事は出来ないと言う事が『業務の省力化』なのでしょうか。当法人が掲げている『今日一日楽しかった』の考え方はいけないのでしょうか。

施設が『姥捨て山』の様になる事は絶対にあってはならない。『死ぬまで自分らしく』を出来る様な制度設計になる様に頑張って行きますのでリピーターの皆さんこれからもご支援宜しくお願い致します。

無茶をしてしまいましたが結果往来です。

令和4年7月21日

昨夜は施設から帰ると18時30分を過ぎており、お風呂も準備ができているとの事で直ぐに入りました。お風呂を出ると食卓の夕食の品が並べてあり、その中に『お刺身』があったのを確認して私は頭の中で格闘しました。「お刺身と言えばお酒やろ」(その様なルールはどこにも無いのですが。いやいや、私の食生活の中にはあるのです。)「でも、唇に醤油が触ると大変だぞ」「いやいや何とかなるって。それにお酒で消毒も出来るかも知れんし。」と言う事で、お中元に頂いたお酒の栓を開け結局飲むことにしました。お刺身は唇を避けて口にいれれば大丈夫だったのですがお酒が・・・。

お酒は岩手県の有名な大吟醸でビールグラスに注ぐと琥珀色でまるでウィスキーのようで、「これは旨そう」とビールグラスを唇に当てて飲みだしたら、正直飛び上がるほどに滲みるのです。ただし、唇が痛がっている間に何とか喉の所までお酒が行ったら「これは辛口の最高のお酒だ。」と言う事で恐らくビールグラス一杯ですから5勺位だったのですが、「痛い」「旨い」「痛い」「旨い」で何とか飲むことが出来ました。(こんな状態で飲まなくても唇が完全に治ってから飲めば良いのにとの考え方も確かに有りますが。)「やっぱり日本酒は美味い」と言う決論に達しました。僅か5杓のお酒でしたが久しぶりに美味しいお酒に酔いました。

そして朝の目覚めの時にペットボトルの水を飲んで舌で腫れている所やぶつぶつになっている所を舐めてみました。そして、「まだ違和感はあるけれども昨日までのような痛さは感じない。」と言う事で、この現象は酒を飲んで目一杯沁みて痛かったけれども「酒で消毒出来た。」と言う事なのか、「痛さを感じない程度に治癒したのか」どちらにしても食べても飲んでも沁みないのは有難い事です。と言う事は「人間は何処かが悪くても調子が出ない。」と言う事です。いやいや、人間だけではなくて生き物全てがそうであり、機械にしても、部品一つが動かなくなったとしても本来の機能を発揮する事は出来ない。と言う事だと思います。

この様に書き進めていて、静慈圓大僧正が書の中で『平安之福』と言う文字が浮かんできました。さり気無い言葉ですが意味の深い言葉だと思いました。今朝の食事は昨日とは比較にならない位に楽に食べれていて「今日から頑張れる。」と半分ほど食べた段階で1本の電話が。そこで、この4月から地域にある民家を回収して4人のネパール人がシェアしている所の家主であり、当施設の家族会の会長さんから「何度注意してもゴミ出しのルールが守れない。」とのお叱りの電話を頂き、久しぶりに落ち着いて頂いていた朝食ですが突如へびの生吞み宜しく急いで食べて、紹介して頂いた会社に連絡した後、電話を頂いた家に行くと、奥様がみえて「注意した時は元気よくわかりました」とは言われるのにその後も出来ていない。

との指摘を頂いたので「日本語のものをネパール語にして貰って徹底します。」とお約束をして、9時30分になりネパール語がわかる方に来て頂き話し合いを持ちました。4人共に決して悪気はない事はわかったので「今後しっかりするように」話をして紹介業の方にお願いしてからバタバタでこれから(14時20分)無くなった方の遺骨を骨箱に収めに行き(天涯孤独の方なので垂井町の職員と共に)その後16時のお約束で県会議員の所に陳情に行きます。

リピーターの皆さん。救いはコラムが完成したことです。

 

 

3日間もベットの中での生活からの復帰はしんどかった。

令和4年7月20日

昨日は10時からの盲養護老人ホーム    優・悠・邑    和(なごみ)でのお参り及び全体会議からの復帰だったのですが『病み上がり』で『タラコ唇』の中ではありましたが自分としては『よく頑張った』との思いと共に『まだまた頑張れる』との思いを強く持つことが出来た一日だったと自画自賛です。10時開始の入居者さんとのお参りだったのですが、少し吉澤施設長と打ち合わせをしたいとの思いから9時前に家を出て久しぶりに車のハンドルを握りました。このとき、右手首の違和感が無くなっていることに『感謝』です。(転んだ後の夜から右手でグーを作る事が出来なかったのです。)昨日は14時から和合での全体会議があるので、そんな予定の日は和(なごみ)で昼食を頂き和合に向かうのですが、本部施設に12時前後に嘱託医の多賀先生が回診に来てくださる事になっていて、どうしても話をしておきたいことがあり、いつもの予定である昼食を事前に吉澤施設長に断りの(無駄になるのは勿体無いので)連絡を朝一番の7時に入れておきました。

9時30分に施設に着き吉澤施設長との打ち合わせを終えて仏間に行くと皆さんが集まられていたので「唇が腫れていて昨日まで臥せていたのですが皆さんに力を頂いて頑張ってお経を唱えますのでお腹からしっかりと声を出して一緒にお願いします。」と話をしてから声が出る限りにお経を唱えました。正直唇が痛いのも忘れてお経を唱えた後は清々しい気分でした。

お経を唱える前は「本日はカラオケは勘弁して貰おう。」と思っていたもですが、仏間の上から(1段上がっているので)会議研修室を見ると既にカラオケのセットも出来ているので、マイクを職員から渡された時に「先月リクエスト頂いた奥飛騨慕情は上手く歌えませんでしたが、まだ練習が出来ていないので、来月のお参りまでに必ず練習をして歌えるようにしておきますので本日は岐阜県にちなんだ『織田信長』を歌います。」と言う事でタラコ唇である事を顧みず気持ちよく歌わせて貰いました。歌い終わるとギャラリーの入居者さんの男性から「砂田おさむを知っとるよ。弥八地蔵さんの所に店があるな。」と言われる方があり、私は嬉しくなって「本日は1曲だけにしようと思っていたのですが、もう1曲砂田おさむさんのオリジナル曲で『人生夢の途中駅』を歌わせて頂きます。」と言ってこれも気持ちよく歌わせて頂きました。

その後、入居者さん一人の方が10分でいいので話を聞いて欲しいとの事だったので、場所を喫茶『しずか』に移して話を聞きました。話を聞いていて入居者さんの話がすべて正しいとは限りませんがしっかりと話を聞いて状況把握が出来たら必ず返事をすると話をして終わりました。その後会議研修室に行き(少し待って頂いていたのですが)全体会を私が席について直ぐに始めて頂きました。全体会の最後に理事長として総括的な話をさせて頂きました。11時30分を回っていたので急いで帰ろうとすると、吉澤施設長から、「昼食を食べ損なうといけないので職員がおにぎりを準備してくれました。」と言う事で本部施設に帰って多賀先生がフロアの回診に回られている間に急いで頂いたおにぎりを頂いたのですが、ふんわりと握ってあるのに型崩れしないのに感動しながら美味しく頂きあまりに美味しかったので吉澤施設長に直ぐに連絡をして作ってくれた職員にお礼を言っておくように伝えました。

多賀先生の回診を終えられて事務所にみえた段階でお話をさせて頂き、次の全体会議会場である優・悠・邑 和合に10分遅れで会議に参加しました。(佐藤施設長が機転を利かせて頂き、烏野先生のお話から始めて頂きました。)烏野先生のリモートによる話を終えて改めて全体会議になり、最初に永年勤続表彰5年の職員2人に表彰状と金一封(1万円)を理事長として渡しました。和合での全体会を終え、本部での幹部会が17時15分からなので、地域包括支援で入居された方の相談に垂井町により、幹部会後に食事をしたくないとの思いでおにぎりを2個急いで食べて会議に挑みました。

幹部会終了後に本日15時10分からの会議の事前提案を作成して最後にコラムを書いた事は昨日書いた通りです。リピーターの皆さん。病み上がりにしては頑張ったと思いませんか。そう言えば、寝てばかりの時は歩くのも耐えられない位に腰が痛かったのが嘘の様です。と言う事は元気でいないと元気でおれないと言う事だと理解しました。だから、咤激励の生き方をこれからもしていきますのでこれからもよろしくお願いします。

 

国民の祝日について思うこと

令和4年7月19日

私が小学校、中学校時代(半世紀前)に国民の祝日が日曜日に重なると「1日休みが無くなった。」と正直残念がった記憶があります。と言うのは『振替休日』等と言うシステムがなかったからです。ところが、今は『振替休日』システムによって、休日は確実に確保されて連休の割合がメッチャ増えました。そこでパソコンで『国民の祝日』を検索すると色んな事が判ったのでリピーターの皆さんに『知識のお裾分け』をしたいと思います。(リピーターの皆さんの中には要らぬお節介と思われる方もあるかも知れませんが、敢えて書きます。)先ずは、『振替休日』については、祝日法第3条第2項で「『国民の祝日』が日曜日に当たる時は、その日後においてその日に最も近い『国民の祝日』でない日を休日とする。」この規定は、昭和48年の祝日法改定により設けられました。と書いてありました。昭和48年と言えば私が20歳の時です。つまり私は大学生活を謳歌していたので『振替休日』なんてどこ吹く風でいたので全く「ラッキー」等との思う事が無かったので、働き出して「振替休日」なるものがある事を意識した次第です。でもこれは大学を卒業してから教員時代のほんの短い間だけのものでした。そしてもう一つ違和感を持っているのは『成人の日』(1月の第2月曜日)、『海の日』(7月の第3月曜日)、『敬老の日』(9月の第3月曜日)、『スポーツの日』(10月の第2月曜日)の設定の仕方です。「年寄りの戯言」あるいは「こだわりすぎ」との誹りを敢えて受けてでもリピーターの皆さん私は言いたいのです。「国民の祝日」には設立された当初にはその日と決めた理由がありました。一例を書くならば『スポーツの日』になった日は元々は「第1回の東京オリンピックの開会式」を記念して出来たものと記憶してます。5月3日は『憲法記念日』ですがこの日は「日本国憲法の施行を記念して国の成長を期する。」との事で制定されたものですがこの時期はいわゆる『日本のゴールデンウィークの真っ只中』ですから譲る必要がないので不動の日となっていますが、この日が替わってしまったら「一体、憲法記念日って何なの」と言う事になってしまう。休みを多くすると言うのにも意義が全く無いとは言いません。「長期に休みが有れば、家族団らんも出来、旅行も出来てリフレッシュ出来ると言うことなのでしょうが、今はコロナ感染症が発生して3年目になり、今月16日~18日の3連休があって「コロナ感染者が増大した。」とのニュースを見るにつけ『これは何か今の現状を嘆いている天の声』と考えるのは私の考えすぎですか。リピーターの皆さんはどう思われますか。そしてもう一つ。介護に関わる方々はカレンダーには関係なく仕事をされています。そう言う方々の評価を高めて頂ければとも考えています。

寝ているのがしんどくなってきました。

令和4年7月18日

リピーターの皆さんの中には「何を贅沢な事を言っているの」と思われた方があるかとも思いますが正直な気持ちなのであります。ただし、この傾向は快方に向かっている証だと思うと「また頑張れる」との嬉しさもあるのです。寝てばかりで後ろ向きな考えばかりがフラッシュバックで余計にブラックな気分だからでしょうか中学1年の5月のゴールインウィークが終わって登校をしなければいけない朝になり、異常にお腹が痛くなり当時の関ヶ原病院に行くと腸捻転で手術で入院することになり2週間学校を休み再び学校に行き特に英語の授業に体が固まってしまった事を今でも覚えています。

その当時の英語担当の先生が僅か1クラス34人のみの小規模な学校なのに優秀な10人位にしかついていけないような指導方針(その頃の私にはそのように思えました。)だったようで、尚且つ私自身に『努力をして何とかする』と言う気持ちがなくてそのまま今でも英語コンプレックスを持っている次第です。批判はどこからも出来るのであまりしたくはないのですが、敢えて批判的な考え方を述べてみます。僅か34人しかいないクラスで2週間全く授業を受けてない生徒に対して2週間分をフォローする為のメニューがあったら「僕の為にわざわざ作って頂いたのだから精一杯頑張ろう。」と思ったのではないかと都合のよい考え方を述べましたが実はこのような事を考えれるようになったのは僅か13年ですが児童養護施設で学習遅滞児と学習に取り組んだ事による自負と言うか自信によりそのようになったのだと思います。

本来私の出勤時間は14時から22時だったのですが、自分がやるべき業務を理解した1ヶ月位経った頃から出勤は10時頃で退勤は23時30分頃と言う勤務になりました。勿論この勤務は私が決めたいわゆるフレックスな考え方です。実際に実践している時はメッチャ楽しかったし充実していました。

と言うのは、私の思いを受け止めてくれる子ども達ばかりで私自身子ども達の学習に対する意欲が芽生え成績が上がってくるのを共有出来たのは最高でした。勿論最初から上手く言ったわけではありませんが子ども達の方から「若山先生の言われる様に頑張れば成績が上がって高校進学が出来る。」と言う信頼関係が出来てからでした。そんな中で集団による『グループダイナミクス』が起きた時には私も子どもと共に感動して泣きたいほどに嬉しかった事があります。

勿論この事例はその子どもに能力があったからなのですが。(紹介します。)その子中学3年の9月に入寮した子で、入寮する前には触法少年として中学校での問題児で中学校を卒業したら就職してバイクを乗り回すと言っていた子だったのですが、どれだけ意気がっても苦労して高校に進学した子が沢山いて先輩からのアドバイスには耳を傾けてくれて、11月からは進学する気持ちを固めてくれたので、私は、集団学習を終えた22時から2時間近く毎晩マンツーマンで行いました。

と言うのはその学年には中学3年がいなかったラッキーもあったのですが。第1回の模擬テスト(8月)では90点だったのが第4回(1月)では256点までになったのです。正直自分の事の様に嬉しかったし、『自分の天職』とまで思ったものです。話を私の事に戻します。中学校の先生に熱く取り組んで頂く方だったらと思うのは私のわがままでしょうか。だって、中学1年位で『努力をせねは。』等と思っている子どもがどれだけいるとリピーターの皆さん思われますか。

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