神輿に祈りを込めました。

令和4年8月6日

地域の為に「頑張って神輿を作る」と職員が昨日も本来の業務を終えてからも一生懸命に頑張っている姿に「私は何が出来るか。」と考えて閃いたのは、私が半ば冗談の様に「神さんが入る扉がないがね。」と言った事を真正面からとらえた職員が神様が入られる様に立派な扉を作ってくれたので、「これで祈りのものがなかったら洒落にならない。」と言う事で、家に帰る途中で妙応寺に行き、山門は閉まっていましたので庫裏の玄関先で大きな声で「ごめん下さい。」と言うと、これまた大きな声で「は~い。」と方丈樣が返事をして出てきて下さいましたので、事なりを話して、「神輿の中の祈りのお札をわけて下さい。」と言うと一旦奥にいかれて大般若の立派なものを持って来て下さり「方丈の部屋にあったものだから、これでどうですか。」と言われたので私は恐縮しながらも遠慮なく頂いて来ました。家に帰り「明日持って行くのだから車の中に置いておこう。」と最初考えたのですが、「あまりに恐れ多い事。」だと考え直して、「一晩だけ我が家の仏壇に飾らせて貰おう。」と言う事で我が家の仏壇に納めさせて頂きました。(写真参照)

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本日の地域に出ての神輿担ぎは10時からですが、恐らく職員が早くからワクワクしてると思うので、私もテンション高くなってきました。8時15分に施設に行くと既に祭り男の伊藤主任が出発前の準備をしていたので早速妙応寺で頂いた大般若のお札を神輿の中に収めようとしたのですが、入り口が狭くて木の枠のままでは入らないので枠を外してお札だけ収める事にして、両面テープを活用して『神殿』に何とか収める事が出来ました。

順次参加する職員が集まってくる中で「神輿の重さはどの位あるのか」と興味が沸いて来たので入居者さんの体重を計るのを使って重さを計ってみると37.6キロあったので改めて「なかなかのものだ」と思った次第です。

9時40分になり、本館の玄関先で記念写真を撮ってから出発しました。先ずは施設の南側にある天満神社に安全祈願の意味も含めて行き参加した全員で柏手をたたきその後「ワッショイ、ワッショイ」の勇ましい掛け声と鐘と太鼓で地元新明地区を練り歩きました。

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響き渡っていたのと、事前にラジオ体操の会場で団扇を配ったのと、区長さんのご理解で神輿の企画を回覧板を回して周知して頂いた事により、家の前で応援して下さる方が沢山いて下さり口々に「神輿は上手に作ってあるね。」と褒めて頂いたので「材料は家族会の吉田会長さんが提供して下さり、職員が工夫をして作ってくれたんです。」と一人一人に話をさせて頂きました。そんな中で地元の方から「若い職員さんが沢山みえるんだね。」と言われた時には「本部施設職員は80人いますし、元気な若いのも沢山いますよ。」と話をしながら、つくづく思ったのは「地域に出て行ったからこその理解だ。」と思うと、神輿を担ぐ中での相乗効果は沢山あるのだと思った次第です。

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家の前で応援して下さった家の前では「〇〇家の家内安全を祈願して」と私が言った後は神輿を大きく上げ下げしながら「ワッショイ、ワッショイ、」を全員で繰り返しました。事前にお菓子や飲み物やおもちゃが入った袋を30個準備したのですが全部配り終えて、不足した方にはお茶やビールを配って何とか凌ぎました。これは、嬉しい悲鳴と言う事でしょうか。祭り男の伊藤主任は声をからして掛け声をかけていたためか、年の性なのか途中から声が枯れていましたが、私は途中から歩くのもしんどくなり、背中は滝の様に汗が流れていました。威勢の良い職員たちと一緒に練り歩くのは大変・・・。「いやいや、まだまだ若いもんには負けんもん」でこれからも頑張ります。

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とは言え、8時の段階で雨が降っていて我が家の地区の清掃活動はなくなったのに、神輿の練り歩きの時には雨もなく雲が厚くあったので反って熱く無かったのは最高でした。リピーターの皆さん。社会福祉法人杉和会はこれからも地域と共に歩む展開で頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

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修(なおし)ながら行(すすむ)から修行という

令和4年8月5日

いつものように仏間でのお参りを済ませて外に出ると雨がぽつぽつ降っていたのでタオルで頬被りをして出発しました。歩きだすと雷がゴロゴロ鳴っていましたが、ここは「けせらせら」いやいやそうではなくて「これまた修行」と歩きました。いつものように妙応寺の駐車場まで来て幸福地蔵菩薩樣を見ると「前掛けもしっかり大丈夫だ。」と言う事で花立の水を入れようとすると雨も降っているので「今日は大丈夫」と言うことで、お参りと祈願(『幸福到来』)をしてトンネルも快適に歩いて行くといつも以上に金剛杖の響きも良いのでますます幸せな気分に。そして本堂に入るとお線香が2本立っていたので方丈さんがみえるであろう方に向いて手を合わせました。

その後日めくりカレンダーを5日にすると本日のタイトルの『修(なおし)ながら行(すすむ)から修行と言う』が目に飛び込んできて「なるほど、私の生き方そのものだ。」と思った次第です。『ドクターX』大門さんの決め台詞「私は失敗しないので」のような人生は有り得ない。(あれはドラマですから。)私は一杯失敗をしてきましたが、その都度私の一生懸命の修正に対して支援して下さった方が沢山みえたから今がある。今も大変な状況に有りますが出来ることを精一杯することで前に進んで行きたいと考えていますのでリピーターの皆さんも宜しくご支援お願いします。

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さて、本日は午前中に全国老施協の常任理事会があり、令和5年度の全国大会が岐阜で開催される事が内定している(正式には8月8日の岐阜県老施協臨時理事会で決定する運びです。)事を含めての会議が有りました。勿論、物価の急激な高騰への対応やコロナ感染症対策への対応についても議論しました。正式に決める前に会場の事前の仮予約をしておかないと何も決まらないので、午後から国際会議場と岐阜都ホテルとの打ち合わせに林副会長も同席させての打ち合わせをしました。その結果として、基本的には令和5年11月29日~30日(28日は準備)で実施が出来る事になりました。勿論肉付けはこれからですが、「大会が岐阜で良かった。」と言って頂けるように頑張りたいと考えています。

岐阜都ホテルでの打ち合わせを終えて本部施設に帰ると、明日の手作り神輿で地元新明地区の練りまわしの準備を職員が頑張っていてくれているのに感謝です。『地域貢献』を頑張ってきた自負はあるもののコロナ感染症対策の為に地域行事と化した夏祭りがこの2年出来ていないことに対して職員からの提案で明日、神輿の練りまわしが出来る事は感無量です。リピーターの皆さんも職員を褒めてあげて下さい。地元の練りまわしの報告は明日のコラムで書きます。

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もう早々と飛んだのか

令和4年8月4日

妙応寺の駐車場に入り幸福地蔵菩薩樣の前掛けが見えないのに気が付きました。回りを探す前に、よ~く、幸福地蔵菩薩樣の首の回りを見ると「良かった。後ろ向きになっているだけや。」と言う事で花立ての水を入れさせて頂いた後に台座の上に乗り前を向けさせて頂きました。本日も幸福地蔵菩薩様と親しく出来たと思った次第です。

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さて、昨日は障害者雇用について語りました。そして、よ~く考えたら私は教員を辞めたあと26歳から福祉に関わる事を一筋に43年にもなるのだからこのコラムでもその経験と実践を時として語らなければと思った次第です。そこで、本日は8月1日付けの岐阜新聞の一面に掲載されていた『ヤングケアラー』について私の体験も踏まえて述べる事にします。(この問題はいずれ少なくとも岐阜新聞には投げ掛けたいと考えています。)先ずは『ヤングケアラー』の説明については岐阜新聞の解説をそのまま引用します。

【年齢に見合った手伝いの範囲を超え、本来は大人が担うべき家事や家族の世話を日常的にしている子どもを指す。病気や障害がある家族の介護・介助のほか、幼いきょうだいの世話、日本語が家族の通訳、アルコール問題を家族の対応、家計を支えるためのアルバイトなど負担は多岐にわたる。学業や友人関係に支障が出たり、健康状態に影響したりすることが懸念される。】と書いてあります。

私が今で言う『ヤングケアラー』と言う言葉など無かった30年前に出会ったその当時中学1年生だった男子の話をします。それは私が穂積町(現瑞穂市)の児童施設を退職して大垣女子短大に籍を置きながら大野町にある児童施設の地域交流ホームの一角をお借りして勝手に『教育・福祉カウンセラー』との肩書を付けて不登校児・虐待児の学習支援や親子共々の支援をしていた時の事です。その子は「学校には行けないけど地域交流ホームでなら勉強したい。」と言う事で関わったケースです。

その子は凄く純粋な子で色々な事を私は彼から学びました。その子と話をしていて私は怒りの感情が持ち上がりましたが、その子は当然の様に頑張ってる姿に感動もしました。どの様な話しかと言うと「両親は土方仕事の下働きの様な仕事で日払いで貰ったお金を持ってパチンコに行きお金が有れば閉店まで遊んでいて、儲かった時には機嫌よく帰ってくるのですが、お金が無くなると家に帰って来て食べるものが無いとその中学1年の子をりつけ、時には暴力を受けたりもしてたようです。しかも、家には全盲の祖母がいて、その祖母の食事から病院対応まで中学1年の子がしていたのです。彼はその事に何の疑問も持たずに無茶苦茶な親の言う事を聞いているのです。

その頃の私は彼の勉強を教えたり話を聞いたりはしましたがそれ以上の事は出来なくて、学校に情報を提供するくらいしか出来ませんでした。但し、『ヤングケアラー』の事をインターネットで検索してみてびっくりしました。最初にヤングケアラーの事を取り上げたのは福祉先進国であるイギリスが2014年に『子どもと家族に対する法律』が出来、2015年に日本ケアラー連盟・ヤングケアラープロジェクトが出来、2020年に埼玉県が全国初のケアラー支援条例を制定し、2021年に厚労省と文科省が連携し立ち上げたヤングケアラーの支援に向けた福祉・介護・医療・教育連携プロジェクトチームが実態調査の結果を発表して支援に動き出したとの事。おいおい、2021年と言えば昨年のことやないか。環境に慣らされるとそれが当たり前だと考えてしまい表に出てこないのか。30年前の私も出来なかったので言える立場では無いかも知れませんが『ヤングケアラー』の問題はこれから大人側がしっかりと向き合わなければいけない問題だと思います。リピーターの皆さんも意識の中に持って頂けると嬉しいです。

この瞬間の為にお墓参りをしているのかも

令和4年8月3日

タイトルから言いたいことは朝4時25分にアラームが鳴り行動を開始して、仏間の若宮八幡大菩薩樣と内仏樣の水替えと蝋燭と線香に火を点け若宮八幡大菩薩樣でのお祈りと内仏樣に経を唱えていると汗が吹き出てきて、お参りを終えてから玄関を出て外に出ると本当に爽やかな風が吹いていて『健康に感謝』と素直に思える瞬間なのです。幸福地蔵菩薩樣の所に行くと帽子はゴムがしっかり効いているので、しっかりかぶられていたのですが前掛けは向かって右に寄っていたので直させて貰いました。この瞬間は幸福地蔵菩薩樣に合法的に近づく事が出来るわけで、これまた幸せな瞬間なのであります。(写真の通りです。)

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妙応寺(本当に最近理解した事なのですが『妙応寺』は正式には『妙應禅寺』と言うのです。)では本日と明日の2日間に渡って施餓鬼が行われるからでしょうか窓と言う窓が全部開けてありましたので、一昨日に幸福地蔵菩薩樣の帽子を持って来て頂いた方が「前掛けも作って頂ければ」と話をしていたのを翌日である昨日夕方に持ってきて頂いて感動していたので早速本日も昨日同様、本堂に入り大きな声で「おはようございます。」と声をかけると方丈樣が出てきて頂けて昨日頂いた前掛けをお渡ししました。これは、コラムによるソーシャルアクションだと考えています。

話題を変えます。当法人が障害者雇用に積極的に取り組んでいると言う事で昨年表彰をして頂いたのですが、その実践事例を9月に40分程度話をして欲しいと岐阜県商工労働部から依頼が来ましたので喜んで受けさせて頂く事にしました。特別養護老人ホームと言うのは生活全般の対応をするところです。しかも多くの方の介護も含めた生活をです。つまり、朝の起床介助から3度の食事、お風呂のお世話、着替え、就寝介助に1日を快適で楽しくしていく所です。食事を作って、洗濯をして、清掃もして、介護もして、デイサービスでの送迎での業務もショートステイにおける送迎や余暇や病院対応での送迎もと、ありとあらゆる仕事があります。そんな中で私は障害者雇用を『単なる人材不足の補填』としての活用ではなく、適材適所としての雇用としての視点で積極的に導入してきました。そう言う意味では障害者雇用だけではなく『高齢者雇用』『子育て支援』にも力を入れてきました。今回はその中の『障害者雇用』の実践についての展開についてお話させて頂くので、そのイメージをしっかりする為にコラムで少し述べさせて頂きます。

障害者故に仕事が出来ないのではなく、障害者の方の特性を生かして出来る仕事が特別養護老人ホーム・デイサービスでは色々とあるという事です。例えばデイサービスでの機能訓練の中で全盲の方をマッサージが出来ると言う事で採用して既に10年勤めて頂いています。但し、全盲の方に対する受け入れがしっかりしている事も採用が出来た理由に挙げなければなりません。と言うのは施設の食事の提供、施設の敷地内にアパートがあり通勤が可能な事も採用にとって有利に働きました。勿論職員たちの理解と協力も必要です。しかしながら色んな配慮をしていくなかから職員自身が気付きの多い職員となる事も有難い事だと思っています。

また、足に障害が有り施設内の移動は松葉杖を利用していますが、パソコン業務を中心に仕事をして貰っています。その職員は既に15年の勤続年数を数え実直な勤務態度は職員の模範となっています。また、特別支援学校高等部を卒業した職員が最初はシーツ交換や洗濯等の周辺業務から始めて介護福祉士の国家資格を取得して正職員として働いている者もいます。採用する側の配慮と職員の理解や協力によって立派に働いて貰えるのです。と言うような事を話したいと考えています。

リピーターの皆さん、色んな展開をしている社会福祉法人杉和会を今後もよろしくお願いいたします。

感動しました。でも少しトーンダウンです

令和4年8月2日

昨日夕方の事です。垂井の事業を進めて行く中でお世話になった方が施設に来て下さったので、玄関先に出ていくと「コラムをいつも読ませて貰っていて、お地蔵さんの帽子が何とかならないか。との事だったので家内が作ってくれたのを持ってきました。よければまた、前掛けも作ると言っていました。」との事で、感謝するやら驚くやらで、とにかく「間違いなく幸福地蔵菩薩に届けます。」と言って受けとりました。そして、本日妙応寺の方丈さんにお断りを入れてから幸福地蔵菩薩樣に帽子をかぶせようとお墓に行く時に持参したのですが駐車場に行ってびっくりです。

と言うのは幸福地蔵菩薩樣には新しい帽子と前掛けになっていたからです。「う~ん。頂いた帽子を無駄にはできないな。」と言う事で本堂に入ってお参りをする前に方丈さんがみえるであろう方に歩いていき大きな声で「おはようございます。」と言うと、これもまた元気な声で「は~い。」と返ってきて方丈様が出てみえたので先ずは「いつもお線香を点けて頂いてありがとうございます。」と挨拶をしてから当法人のホームページの中の理事長コラムで幸福地蔵菩薩様の帽子を新しくしたいと書いたところわざわざ持って来て下さった方があり、本日持参しましたが、既に新しいのをかぶられていたので取り敢えず方丈様の方で有効活用して下さいとお渡ししました。

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リピーターの皆さんの中で「帽子と前掛けを作ろうと考えていたのに」と言う方がみえたら、「屋根のない所におみえになる幸福地蔵菩薩様ですから、替えはいくつあっても必要だと思いますから宜しくお願い致します。」と言う事で、予定して頂いているリピーターの方は宜しくお願い致します。ただし、私の正直な気持ちとしては、昨日頂いた帽子を方丈さんにお断りして「本当は、かぶせたかったな。」と言う事で正直少しモチベーションを下げています。でもね、考えようによっては私以外にも幸福地蔵菩薩様の帽子の事を心配して下さっている方があると言うのは嬉しい限りです。そんな事を考えながら本堂からお墓の方に歩いて行くと墓じまいをされた一角にあるお地蔵様の帽子も新しくなっていて、その後六地蔵さんの所でもそれぞれの六地蔵さんの帽子も前掛けも新しくなっていました。そう言えば、地域の地蔵盆は8月23日だった事を思い出し「お地蔵様にとって8月は大切な月なんだ。」と思った次第です。日本の中で四季折々の催し物が無くなっていくのを寂しく思っていた私としては、お地蔵様の帽子と前掛けが新しくなっていたのには少しホッとした気分になりました。

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本日は8時30分からお客様がみえての打ち合わせがあり、9時30分からはデイサービス⇒本館1階⇒本館2階⇒新館1階⇒新館2階の順にダンボールで作った神輿での行列があり、それぞれのフロアで歌も歌わせて頂き、最後には皆さんで神輿を囲んで万歳三唱をして皆さんの健康を祈りましたので汗びっしょりになって良い汗をかかせて貰って、私は入居者さんに元気を頂いてるといる幸せ者だと思っているのですがリピーターの皆さん、私の考え方をどう思われますか。

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またまた遊ばれてます。

リピーターの皆さんは私のコラムの書き方から予想されている通り、幸福地蔵菩薩樣の私に対するちょっかいです。今朝も妙応寺の駐車場に入りいの一番に確認したら案の定と言うか予想通りと言うかはともかく幸福地蔵菩薩樣は帽子をかぶられていませんでした。ただし、帽子は探すまでもなく蓮の台座に置いてありました。多分、施餓鬼を前にして、シルバー人材センターから派遣された方が清掃に入ってみえたので大きな脚立も置いてあったので間違いないと思います。つまり、私が蓮の台座によじ上っていたのを見てみえたので、「帽子をかぶせるのは若山さんに譲るは。」との配慮だったと思います。

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施餓鬼の話題を本日はします。写真の通り施餓鬼は8月3日4日の午前9時から午後4時までとの掲示に唖然としています。どうしてかと言うと私の記憶の中にある妙応寺の施餓鬼は午前9時から午後9時までで1週間位は開催されていたと思うのです。考えようによっては「寂しい限りです。」この様に規模が縮小になっているのには色んな理由が考えられます。一番に考えたのはコロナ感染症対策の為にお参りが少なくなった事。二番目に考えたのは信仰に対する希薄化だと思います。一番目の理由は『止む無し』の面もありますが、コロナを契機にして、なし崩し的にお参りが減るとしたら残念です。二番目の『進行に対する希薄化』については残念で仕方が有りません。若山家も妙応寺の施餓鬼の時には朝早くにお供え等を持ってお願いに行き都合の良い時間を頼む事をして、全員が揃ってお寺に行き本堂前で手を合わせてから、夕食のお接待を受けて順番が来た段階で本堂に行き若山家の順番になったらお坊様の案内で中心の席に着き大勢のお坊様の読経を聞きながらお焼香をあげてお供えを頂き無事にお参りを終了すると言う夏の風物詩だったように思います。日本にはしっかりとした四季があり四季折々の行事があり、日本人はその行事を大切にしてきた国民性があったはずなのにと思うと忸怩たる思いがあります。だからこそ本部施設では、昔からの風物詩を行事の中に取り入れたり、食事にも季節感あるものの提供に心掛けてきました。しかしながら、これまたコロナ感染症対策の一貫で色んな行事ができなくなったり、ボラティアの協力を得られなくなっているのが現実です。最たるものが地域行事と化した『夏祭り』が地域行事では無くなり、フロアのお楽しみイベントのような形態になっています。しかしながら本部施設職員は強かです。と言うのは「地域の方々に来て貰えないのであれば『密』にならないような配慮をして「神輿を作り、神輿を担ぎ、地域を練り歩こう」との提案に家族会の吉田会長も賛同して下さり、区長さんの理解も得られたので、地域の方々が沿道で応援して下さるのであれば施設に出入りしている取引業者さんにも景品等の協力をして頂いて盛大に実施しよう。と言う事で実施日は8月6日午前に実施する事になりました。リピーターの皆さん。当施設はこんな調子なので良かったら沿道に来て応援して頂けると嬉しいです。

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慣れ❔❔❔

令和4年7月31日

私にしてはメッチャ短いタイトルで始まりましたので、リピーターの方の中には「どうしたのか」と心配して下さる方もおみえになるのでは無いかと思っています。

実は昨日に引き続き本日も幸福地蔵菩薩樣の帽子が頭の上にないのを妙応寺の駐車場に入って確認して「これは幸福地蔵菩薩樣に遊ばれているのかな。」と思った次第です。幸福地蔵菩薩樣の回りを探すと本日は土の所まではいってなくて、土台の上に有りました。帽子を手に取り汚れを払い、蓮の台座まで上り左腕を幸福地蔵菩薩樣の首にしっかり絡めて右腕で帽子をかぶせました。何回もしているので要領がわかってきたのか少し手慣れたように思いますが。私のしているのを誰かが見ていたとしたら「あいつはいったい何をしているのだ。」と言う事になるのだろうと改めて思った次第です。だって、幸福地蔵菩薩樣の首に左腕をからませて幸福地蔵菩薩樣の顔近くてモゾモゾしているのですから・・・。私が見る側だったとしたら「あいつは何をしとるんや。」と言う事になると思います。

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昨日のコラムを見て頂いたリピーターの皆さんの中で手作りの帽子を作成して頂ける方があるのであれば、一つお願いがあります。それは、小学生の児童さんの帽子が脱げない或いは落ちない為にゴムの様なもので首に止める様にされているようなものもして頂けたら有難いです。但し、不思議な事に今気が付きました。毎日幸福地蔵菩薩様の頭には帽子がかぶられていました。ところが、一度落ちたのを確認してからは毎日かぶられていないのはどう理解したら良いのでしょうか。考えられるのは、①長い間に劣化して、しかも洗濯までしてしまったのでぶかぶかになってしまった。②洗濯をしたのでゴムが緩くなってしまった。③私の帽子のかぶせ方がしっかりしてなかった。いずれにしても帽子は赤色が殆ど白色になっているのでリピーターの皆さんの中で何とか宜しくお願い致します。

もう一つの話題に移ります。それは、本堂の日めくりカレンダーを31日にした時の事です。『自分が心に決めたなら 自分で守り続けなきゃ』が目に飛び込んできました。その言葉を見た瞬間に私の覚悟が決まりました。それは、『社会福祉法人杉和会も先月(7月)17日で法人設立25年になりました。私が決意して色んな方のご協力とご支援で設立され今に至っているものに対して厳しい状況から決して逃げる事無く頑張って行く』と言う事です。そうです。逃げの体制からは決して良い方向は生まれてこない。大谷徹奘師の日めくりカレンダーによって朝から咤激励されたように思いました。改めて心機一転頑張りますのでリピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

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祈りの言葉を変えていきます。

大変な状況の中で高野山の大僧正である静慈圓前官に手紙を書いた事により、祈願をしていただいたお札に『諸障退散』『七難消滅』が書いてあり、毎日の祈りの最後には、必ずその言葉で祈願していたのですが、厳しい状況から少し光が見えつつある今(正直2月~4月は特にきつかったのですが)、妙応寺の駐車場内にある幸福地蔵菩薩様と会話をしている中で、『幸福到来』の言葉を思いついた事は既にコラムに書きました。

本日はあれ程必死になって幸福地蔵菩薩様の頭に綺麗に洗った帽子をかぶせたので「今日はしっかりかぶって頂いてるかな。」と一番最初に確認してショックでした。「だって、帽子をかぶっていないんだから。」と言う事で手を合わせる前に周りを探したら落ちていました。

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と言う事で花立に水を入れてから、幸福地蔵菩薩様の首の所に私の腕をしっかり絡めて必死に帽子をかぶせました。かぶせ終わってから「しっかりかぶせれたかな。」と一旦下に降りて周りを一周すると「後ろがしっかりかぶれてない。」と言う事で再び蓮の台の所までよじ登り後ろもしっかりかぶせました。

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そして帽子をかぶせている時に『幸福到来』の他の言葉として『祈願成就』の言葉が浮かんできました。勿論、『諸障退散』『七難消滅』も大切な言葉として祈りますが『負』のイメージだけではなくて『幸福到来』『祈願成就』の『光』のイメージも大切だと思いますのでこの2つも祈りの言葉として大切にしていきたいと思います。

幸福地蔵菩薩様の所から本堂に移り玄関を入ると本日も線香が2本立てて頂いていたので「方丈様いつもありがとうございます。」と方丈様がおみえになるだろう方向を向き手を合わせました。

次に日めくりカレンダーを30日にすると『気にしても 苦にするな』の言葉が目に入り「そうか。気にしても苦にしない事が肝要なんだ。」と、これまた今の私にとっては気が楽になる言葉に安堵しました。

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話は変わりますが実は本日の中日新聞の岐阜版に一昨日(28日)岐阜県老施協会長として取材を受けたのが記事になっていたので少し話題とします。それはコロナ感染症に対する取材だったのですが、『予防的PCR検査』の希望が低迷している事に対する老施協会長としての考え方を述べたものです。私は第7波の陽性者の数が多い中で無症状の方が多いと言う現象の中でも排菌しないとは言えない現実があると言う事は自分は元気でもうつす可能性はゼロではないと言う事は『リスクヘッジ』の考え方から8月も2回の実施を岐阜県が無償提供して頂ける事の意味をしっかり捉えて欲しいとの思いを話させて頂きました。勿論色んな考え方はあると思いますが、職員が全員唾液の提供によって全員が陰性であれば一先ず安心だし、仮に陽性者が出た時にも迅速な対応が出来るのだから私は出来るだけ多くの施設が希望してくれる事を望んでいます。

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リピーターの皆さん。私の考えの中で是は是として言うべき事は今後もしっかりと発言していきたいと考えていますので今後共ご支援宜しくお願いします。

新明地区に団扇を配りました

 

 

昨日は18時からの護摩供養が18時から彦根の東福寺であり参加させて頂き(写真参照)20時過ぎに家に帰り、(夕食はおにぎり2個とメロンパン1個とお茶で凌ぎました。)今朝も4時25分のアラームで行動開始をして仏間での水替えとお経を唱え5時20分から妙心寺経由のお墓参りコースを終えてから施設6時15分に合流しての新明地区のラジオ体操に合わせての団扇配りに参加しましたので以下に詳細を述べます。

 

先ずは護摩供養ですが、17時に施設を出て途中のコンビニで夕食を買い車の中でむしゃむしゃ。17時30分には東福寺に着きご住職の静慈彰師(静慈圓大僧正・前官の次男)に挨拶すると、流石に自分の生き方がしっかりされている方なので全くもって元気が良い。当法人の職員の西川課長も既に来ていたので18時まで雑談をしていて18時過ぎに護摩供養が執行され、静慈彰師の素晴らしいパフォーマンスとお経に圧倒されながらも10本のお願い事を書いた護摩木を炎の中に祈りを込めて投げ入れました。全ての護摩供養のパフォーマンスが終わりその後は静慈彰師の漫談の様な機関銃の様な話を聞かせて頂きお茶のお接待を受けて散会して家に着いたのは20時過ぎで夕食は済んでいたので直ぐにお風呂に入り21時には寝ました。

 

 

妙応寺の駐車場にある幸福地蔵菩薩様の帽子を昨日回収したのを綺麗に洗ったのが乾いていたのでペットボトルの水を入れた布袋にに入れておいたのを取り出し石段をよじ登り幸福地蔵菩薩様の腕につかまりながら何とかかぶせる事が出来ました。(不安定な所なので怖かったし、幸福地蔵菩薩様の背が高いので大変でした。)帽子をかぶせながら本来赤色の帽子だったと思うのですが殆ど白色になっていたので(写真参照)新しいのを手に入れなければと思うのですがリピーターの皆さんの中で協力して貰えると嬉しいです。出来たら前掛けも・・・。(いつもの事ながら皆さんのご理解宜しくお願いします。)ちなみに頭の周囲は85㎝でした。(めっちゃでかい頭です。)いつも通りに本堂のお参りと今須稲荷のお参りとお墓4か所の水替えとお参りを急いでさせて貰い、急ぎ家に帰り、金剛杖を家に入れてから車に乗り施設に行くと既に西川課長(昨夜も一緒でした。)と伊藤主任(自他ともに祭り男)が既に来ていたので3人でラジオ体操会場である白山神社に歩いて行き会場に着いて区長さんに団扇を配る了解を得て一人一人に挨拶をしながら配らせて頂き、ラジオ体操をご一緒させて頂いた後にラジオ体操が終わったあと神輿行列の趣旨とご協力の話をさせて頂きました。このコロナ禍で多くの参加者を得ての夏祭りイベントが出来ない中職員の発案で地元新明地区を神輿行列して地域とのつながりを密にしたいと話をさせて頂きました。ここまで書かせて頂きながら、充実した毎日に感謝をして、これからも自分なりに精一杯自分の役割りを果たしていきたいと思いますのでリピーターの皆さんこれからもよろしくお願いします。

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幸福地蔵菩薩樣の帽子を見つけました。

7月25日から朝4時25分からの仏間でのお参りと我が家のお墓参りコースの歩きを復活した日から何度となく幸福地蔵菩薩樣の帽子が無いかと回りを探してもなかったのですが、本日幸福地蔵菩薩様の頭の大きさを確認しようと、幸福地蔵菩薩様の手にしがみつきながら数珠を使って頭の大きさを計ろうとしてふと下を見ると、川ギリギリの所にさりげなく有るのを確認しました。

慌てて下に降りて慎重に帽子を拾いあげました。(何度も探したのに見つからなかったのは全く不思議です。)汚れてはいましたが、極端な汚れを手で払ってから、ペットボトルの水を入れた布袋(ビニール袋から本日布袋に替えました。)に入れて持ち帰る事にしました。

その後本堂でお参りをしたのですが、本日県庁での大切な話があるので護摩木に『打ち合わせが上手くいくように』と書いて所定の場所に置かせて頂いたときに、大谷徹奘師の日めくりカレンダーを28日にして見ると『いらぬことは言わぬがいい』と書いてあったので、本日の岐阜県庁での話は言葉を選んで挑まなければと思いました。

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本日も線香が2本立ててあったので『陰徳』の素晴らしさに対しては多分方丈様がみえるであろう方向に対して深々とお辞儀をさせていただくようにしてます。

その後、六地蔵さんの所に設置してある水道で幸福地蔵菩薩様の帽子を洗ってからいつものように、水替えとお参りをして我が家のお墓に行くと共に4軒分の水替えをして、急いで家に帰り汗びっしょりになったのでシャワーを浴びてさっぱりしてから着替えをして朝食を頂き、7時過ぎに県庁に向けて車を走らせました。岩田理事の事務所で岩田理事と吉澤施設長に合流して吉澤施設長の運転で県庁に向かいました。

大垣までは順調に行けて「早くに着くな。」と思っていたのですが揖斐川の橋を渡った所から大渋滞になり、ノロノロにしか動かなかったのですが、8時40分に県庁の駐車場に車を停め、2階のフロアで9時のお約束だったので時間まで待って行動開始。私の思いはしっかりと伝えさせて頂きました。大谷徹奘師の日めくりカレンダーの戒め通り余分な事は話さずに出来たと自分では思っています。

今日の話の結果は直ぐには出ませんが地道な活動は結果を産むと信じて、いみじくも本日は18時から彦根市高宮にある東福寺での護摩供養があるのでここでもしっかりお願いして『諸障退散』『七難消滅』だけではなく『幸福到来』もしっかりお願いしてきます。リピーターの皆さんも一緒にお願いして頂けると嬉しいです。

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