『隠徳』は誰にも言わずに行うのですが・・・。

令和4年8月25日

昨日のお線香の煙が『龍の化身』になった事も、本日の朝のお墓参り中の出来事である墓仕舞いした所の水入れを綺麗にさせて頂いた事も、自分だけの事としておいた方が良いとの考え方がある事は百も承知しているのですが、小さい頃の私とは違い今の私は気が付いた事は口に出して形にしていく『有言実行型』の性格になってしまったので、その点についてはリピーターの皆さんご理解下さい。

六地蔵樣の所に設置してある洗い場のでバケツとヤカンに水を入れて、そこにあったタオルをお借りして無縁墓の所で、結構重い石を何とか傾けて汚れた水を出すと、底の方はヘドロ状態になっていて、正直驚きました。と言うのはこの入れ物にわざわざ土を入れる方はいないと思うので、長い年月でヘドロ状態になったと思うとより丁寧にそして綺麗にさせて頂かないとと無心になり綺麗にさせて頂きました。と言う事で今は(午前6時58分)は家に帰りシャワーを浴びて朝食前の休憩時間と言う事でコラムを打っているのですが何と無く充実した気分に浸っている私なのであります。

本日は長良川国際会議場5階国際会議室で13時30分から岐阜県からの委託事業を受けての『令和4年度 外国人材の理解支援の在り方を学べる研修会』と銘打って<岐阜県老人福祉施設協議会と岐阜県老人保健施設協会主催の研修があり、コロナ感染症対策の一貫で、いわゆるハイブリット(リアルとオンラインの併用)方式で行われ、岐阜県高齢福祉課長の挨拶はオンラインで行われると聞いていますが私は主催者の責任者として、金沢市から来て頂く講師の先生との対応や開会の挨拶もあるので、11時には施設を出て途中で簡単に昼食をとり、13時までには会場入りをしたいと考えています。

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介護人材の不足は深刻な状況の中、「岐阜県の補助金を頂いての企画が打てる事は大変ありがたい。」と思うと同時に「会員施設にとってよりメリットのある事を今後も提案して実践していかなければ」とも考えています。よく私は職員に対して「自分の当たり前が当たり前でない方もあるので丁寧な説明が大切なんだ。」と言っています。今回の研修も外国人材の導入を考えられている法人・施設にとっては必ず役に立てて頂ける企画だと思っています。勿論、今すぐに導入を考えてない法人・施設であっても今後の展開を考えてと言う事で受講される方もあります。本当に困ってからでは遅いとの考え方は素晴らしい事だと思います。『人材は確保すると共に育てる事が大切』と考えています。

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そんな中で本部施設では10年以上前からEPAによってインドネシアの人材の導入をして、今は特定技能で国内にいて介護を志すベトナム人、ネパール人を確保してます。勿論色んな問題はありますが講師の先生にも今後の展開等を聞かせて頂き実りある研修にしたいと考えています。リピーターの皆さん。色んな展開が日々の中であるので頭の切り替えをしながらこれからも頑張っていきますので今後ともよろしくお願いいたします。

 

信じて頂かなくても大丈夫ですが・・・。

令和4年8月24日

今朝のお参りの中で妙応寺の本堂で般若心経を唱えているときです。いつも方丈樣が点けて頂いているお線香の煙が私の顔を目掛けて、しかも迷うことなくしっかりと向かってきたのです。私はお経を唱えながらも煙を直視しているとその煙はより濃さを増して煙の形が間違いなく『龍』だったのです。

かつて私は高野山の大僧正である静慈圓前官から「若山さんにはお不動さんがついてるよ。」と言われたことがあり、その時も『身震い』をしましたが、本日は私にしか見えない現象なので自分がその現象をしっかり受け止めればよいと考えています。ただし私は『摩訶不思議』な事は色んな展開の中で起きると信じているタイプなのでありますので、その点についてはご理解願えると嬉しいです。

それにしても線香の煙から龍が現れたのには意味があると思いますので、より、ギアを上げて行きたいと考えています。そして本日の大谷徹奘師の日めくりカレンダーには『すべて 自分が 蒔いた たね』と書いてあるのを見て、「確かにその通りだ。一杯いっぱい種を蒔いてきたけど、良かった種ばかりでなくて、悪い種もあったな。

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悪い種については自分で刈り取るしか無いので今も苦しんでいるけれど、毎朝4時25分に起きて我が家のお墓まで行く事が出来る気力と体力がある以上必ずや悪い種は刈り取って、良い種をもっともっと育てて行きたい。」と考えています。

本日は午前中に一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会事務局との打ち合わせで、私が会長になって初めて役員と岐阜県健康福祉部次長、課長を初め担当責任者を交えての懇談会があるので(9月1日)事前打ち合わせをして、午後は当法人の理事会が15時からあり17時15分からは本部施設の幹部会が開催されます。色んな事はありますが、間違いなく前進していると思いますのでリピーターの皆さん、これからもよろしくお願いいたします。

 

本日はいつもと違う予定です。

いつもだと、5時25分のアラームで起きて仏間の花と蝋燭と線香を用意してからお参りを約30分した後、お墓まで歩いてからシャワーを浴びて朝食を食べて、朝食後に少し休憩を取りながらコラムの半分位を打ってから施設に出掛けるのですが、本日は朝食が6時過ぎと言う事なので仏間でのお参りのみ無しにして、外に出たのが5時と言う事で、まだ少し明るくなった程度でしたが「歩くには支障がない。」と言う事で妙応寺に向けて歩きました。

いつもの様に幸福地蔵菩薩樣の所で花立に水をさし、前掛けは少し曲がっていたのですが「これくらいは許される範囲だ。」と考えていたのですが水をさした後で「幸福地蔵菩薩樣としっかり会話をしたいし、後から直しておけば良かった。と思うのは嫌だから。」と言う事で石段を上がって会話をしつつ前掛けを直しました。

その後山門は早い時間にも関わらず開いていたので本堂まで行くと本堂の方から木魚と鐘が聴こえてきたので「方丈樣の邪魔はしてはいけない。」と考えて本堂の戸の外で『般若心経』のみを唱えて今須稲荷、【本尊樣、不動明王樣、毘沙門天王樣】の所で水をさし、関ヶ原与一の墓、六地蔵樣にも水をさした後でお参りをして、我が家のお墓で初めて我が家の水道水ではなくて飲み水にしている水を注ぎました。と言うのは昨夜の水分補給の為の準備に昨日飲みきれなかったペットボトルのお茶で間に合い、水の入ったペットボトルは手を付けなかったのでいつもの3本の水道水以外に持っていったからです。お墓の主もさぞかし喜んでいる事だろうと思っています。

お墓でのお参りを終えて再び本堂に行くといつものように戸が開いて線香も点いていたので改めて本堂のお参りをすることにしました。本日は『地蔵盆』と言う事でお賽銭の他に200円を用意しておいたので先ずはごま木に今一番思っている事『全力解決成就』の祈願を書きました。

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その後家に帰り着くと丁度6時で、家の前の朝顔の5時と6時の比較の為にガラケーの携帯で写真を撮ろうと持ち出すとメールが入っていたのに気が付き慌ててメールを開くと看取りの方が5時49分に心停止したとの連絡だったので直ぐに管理宿直の北島部長に連絡すると既に多賀先生と家族の方には連絡したとの事だったので、私は本日の対応が出来ないので副施設長に対応して貰う旨を話しました。本来であれば、いの一番に施設に行くところなのですが、本日は私の奥さまの膝治療の為に名古屋まで行く予定があり、いつもとは違う対応になってます。

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7時15分には奥さまを乗せて名古屋に向けて出発。途中での渋滞は有りましたが9時30分には病院に着き今は奥さまは検査に行ったので私は待ち時間を利用してコラムを書いている次第です。本日の病院は手術をしないで自分の血液と脂肪を利用しての治療と言う事でいわゆる『無保険治療』なのでかなり高額にはなるのですが痛くて歩くのに苦労している姿を見て「申し訳ない。」との気持ちがあり、治療に付き合ってます。私は38歳から30年以上に渡って『自分の使命を果たす』と言うわがままを貫いてきたので、奥さまだけでなく、子ども達にも無理を通してきたので、(私の生き方の中で母子家庭に近い生活だったと思います。)「せめて、楽に歩ける足にしてやりたい。」との殆ど『罪滅ぼし』に近い思いです。

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ただし、だからといって今の事業を適当な形にしたいとは考えていないのでリピーターの皆さん、これからも過激な生き方をしていきますので今後とも宜しくお願い致します。

毎日歩けて凄いと思っていましたが・・・。

令和4年8月22日

「毎朝歩いて凄い。」と自画自賛していたのですが今朝歩いていてふと思ったのは、①この時間に妨げになるような事がない。②夜も早く寝れる状況にある事。③何よりも健康だと言う事だと思いました。

私のコラムでも何度も話をしていますが、私は小さい頃虚弱体質で(今もその影響はあります。例えば予防接種をすると必ず熱を出すとか・・・。)学校をよく休んでいました。母秋江さんは、息子である私が「元気に育ってくれればよい。」との思いしかなかったので勉強は二の次三の次の考え方だったのです。お陰さまで私の勉強への姿勢は適当と言うか、いい加減だったので社会人になってから苦労しました。しかしながら『人間は人生の中のいずれかの時期で必ず頑張って勉強(努力と言った方がより分かり易いかな)しなければいけない時がある。」と私は思っています。

私の場合は26歳の時から13年間児童養護施設の相談員をしていた時だと思います。あの時期は勉強したことを吸収出来た時の喜びがあったように思います。ただし、あの頃の自分は指導員仲間の中では上から目線的な所が多少あって見方によっては『嫌みな奴』だったかもしれません。ここでも『ただし』一生懸命だった事は間違いありません。勿論今もなお一生懸命さは変わらないと思っています。と言うより一生懸命の幅が今の方があると考えています。

本日の大谷撤奘師の言葉に『心の中で    自分ダケ という 毒キノコを育ててる』を見て、「ドキッ」としましたので、本日は私の考え方生き方の中で『毒キノコ』の部分はどこなのかを考えいます。

ガラッと話題を変えます。8月には夏まつりを各フロアで実施して手作りの神輿を職員が作り地域の中を練り歩いたのですが9月は敬老週間があり職員も各フロアでの計画を練っている中で、20日は恒例の『千巻経』で、22日はバイキング、23日は高木さんとのジョイントカラオケの日程が決まったとの打ち合わせを行事担当責任者としていて、携帯のスケジュール管理の所に打ち込んでいたら、23日と24日の日に『ボストン会』と既に入力されているのです。

それを見た瞬間に「そう言えば愛知の太田さんから7月位に依頼があったな。忙しさに忘れていて何もしてない。」と言う事で『ボストン会歓迎計画プロジェクトチーム』(そんな大袈裟なものではないのですが)を急遽編成して(職員に協力して貰う事もありますので)私が一番最初に手配したのは移動の手段と宿泊及び夕食についてでした。

車の手配については職員が都合をつけてくれましたし、宿泊及び夕食については大垣フォーラムの協力が得られる様に話がまとまったので一先ず安心です。後は3施設の見学をどの様にするかを本日中に決めて世話役の太田先生に連絡したいと思います。リピーターの皆さん。久しぶりに海外研修団『ボストン会』のメンバーに会えるワクワク感と出来るだけ快適に過ごして貰える為のプレッシャーがありますが頑張りたいと思っています。

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ついに私は『僧侶』と間違えられました。

令和4年8月21日

昨日はかつての入居者さんのお通夜が18時からだったのですが、会場が狭いところと聞いていたので、ジョイントカラオケを5ヶ所行い(私は合計11曲歌わせて頂いたのですが)カラオケを終えてボランティアの藤下の高木さんと話をしてから玄関に見送って「多くの人が集まれないのであれば早くに行くべし」と言う事で通夜会場に出掛けました。5台しか駐車出来ないスペースでしたが停めることが出来て葬儀の係員の方が私の車に近づいて見えたのでガラス戸を開けると「お坊様ですね。」と言われたので私は心の中で「おいおい。私は遂にお坊様に見えるような存在になったのか」と思いつつ「いえ、違いますがご住職は間も無くおみえになると思います。」と答えてから沁々私の風体を考えてみたら「間違えられても仕方がないな」と思った次第です。と言うのも、礼服を着ているわけではなく、作務衣を着ていて、しかも坊主頭なのですから・・・。

私の車に引き続いて打ち合わせをしたかのように、入居されていたフロアの責任者西川課長が職員を乗せて来てくれました。我が施設の職員は熱い心を持っていてくれるから有り難いと嬉しくなりました。身内の方にご挨拶をして、職員と一緒に般若心経を一巻唱えさせて頂き、亡くなられたかつての入居者さんのお顔を見て本当に安らかなお顔をされていた(私もその様に思いました。)のを西川課長が「綺麗に口紅が塗れている。」との言葉には「安らかなお顔をされている」と同意語の様で嬉しく、しかもたくましく思った次第です。

本日も途中で雨に打たれましたが、お墓まで頑張って歩きました。毎日お墓まで頑張って歩くようになって2ヶ月以上になる中(予防接種で熱を出し5日間休みましたが)たくさん祈りの場はあるのでスルーしていた仏様に昨日初めてお顔を見させて頂いたら、私は仏様の事は詳しくないので正面の仏様がどのような方かはわからなかったのですが、向かって右側の仏様は『不動明王』(この仏様は書いてなくてもわかりますが)左側の仏様は『毘沙門天王』と記してあり興味を持ったのですが、本日は綺麗にお花がお供えされていたので6ヵ所ある花立てに水を足したのですが水が殆ど入っていなかったのか3本持っていったペットボトルの水の内2本は無くなり3本目も3分の2が無くなったので、残った分は若山家のお墓のみで使う事にしました。いつもだと何か所かに水を入れるので時間がかかるのですが、その時間が無かった為か若山家のお墓から帰る時に6時の関ヶ原町報が入りました。

幸福地蔵菩薩様の所まで帰って来ると木魚の音が聞こえて来たので「昨日立ち話をしていた同級生が幸福地蔵菩薩様のお参りをしてから家でお参りをしていると言っていたけど本当だったんだ。」と思いながら家に帰った次第です。

リピーターの皆さん。私は気が付いた事を何でもコラムに書いてしまいますのでこれで良いのか悪いのかはわかりませんがこのスタンスでこれからも行きますので今後ともよろしくお願いいたします。

【追記1】大谷徹奘師の日めくりカレンダーに『ほしいのは 自分に 負けない 心です』の言葉に今の私はずしんと来るものが有りました。

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【追記2】本堂の電気が点いていましたので、思わず写真を撮りました。

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幸福地蔵菩薩樣の前で立ち話

令和4年8月20日

昨日会った中学までの同級生に今朝は私が幸福地蔵菩薩樣との会話を終えて(リピーターの皆さんならば私と幸福地蔵菩薩樣とがどんな関係かお分かりだと思いますが・・・。)振り向いて階段を降りようとしたら昨日会った同級生がこちらに向けて歩いてくる・・・。と言う事は私と幸福地蔵菩薩樣との会話を間違いなく目撃していると言う事。見方によっては見られたくない場面を目撃した第一号が私が中学時代に「とても追い付けない存在。

特に私が劣等感を持っていた英語は多分クラスでトップクラスで近寄りがたい存在だったのに。今朝は約20分間立ち話をしているのです。朝の挨拶の後「お互いに朝が早いね。」からの会話だったのですが、その後は私が展開している事業への思いから今のコロナの話題までしっかり話をさせて頂きました。話をしながら、「中学時代には私が一方的に話をすると言う事はなかったから、これは私の実績を認めて貰っている証しか。」と思うと朝からテンションが上がりました。

約20分の立ち話を終えてからの本堂でのお参りになったのでいつも立てて頂いている(本当に有りがたい事です。)線香は半分位になっていました。いつもの様に方丈様の方にお礼の意味で深々と頭を下げ、次に大谷徹奘師の日めくりカレンダーを20日にすると『相手の人にも心有り』との言葉が目に入り「この言葉を大谷徹奘師が私に贈って下さるとはとても意味深だ。」と思いました。

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と言うのは私自身に思う所があるからです。その後お参りを本王、今須稲荷、関ケ原与一の墓、六地蔵様、我が家を中心にした4家にしての帰り道にいつも気になっていた『墓じまい』をしたお墓がある所の中心に地蔵菩薩様がおみえになるのですが地蔵菩薩様の前掛けが横を向いているのが気になっていたのですが、「早く帰りたい」あるいは「一番高い所にあるので無理」と思いスルーしていた直す事をしてこなかったのですが、本日は一旦スルーしたのですが「遅くなったついでに直せたら直そう。」と言う事で地蔵菩薩様の所に戻り、「何処かに登り口がないか。」と思いその方向を向いた所に階段があったので階段を上がって行くと何の事は無いです。その道は地蔵菩薩様の後ろに続いていたので難なく地蔵菩薩様の前掛けを直す事が出来ました。これこそ『案ずるより産むがやすし』であり、『百聞は一見に如かず』だと思うと共に「何事も恐れず挑戦しなさい。」と地蔵菩薩様に教えて頂いた様に思った次第です。

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本日は午後から地元のカラオケが上手な方とのジョイントコンサートがあり(5会場で歌います。)18時からはかつての入居者さんのお通夜もありますので、毎日やるべき事があるのは本当にありがたい事です。リピーターの皆さん。やるべき事がある限り精一杯頑張りますので今後ともよろしくお願いいたします。

午前零時45分に携帯が鳴りました。

令和4年8月19日

看取りの入居者さんがおみえになり、夜中もいつも以上に臨戦態勢の様な状況であった(正直いつもなんですが・・・。)ので、直ぐに対応して管理宿直の吉田部長に指示を出してからは、いつもの様に4時25分のアラームで起きてからの行動について頭の中でシュミレーションしてから再び眠る事にして、再び目を覚ましたのは4時23分で私的には「グットタイミング」と言う事でアラームがなる2分間は起きてからの行動についておさらいをしているとアラームが鳴り、いつものベット上での体操をして着替えをしてお花替えと蝋燭と線香に火を灯し若宮八幡大神様での祈りまではいつもと同じパターンでした。しかしながらいつもよりはテキパキとすることが出来ました。仏壇に移ってからのパターンはかなり違う形にしました。と言うのはいつもだと『正信偈と御文さん』をゆっくりあげて、その後四国遍路で耳から覚えた『般若心経を中心にしたお経』を唱えさせて頂くのですが、本日は『般若心経』と写真4人へのご挨拶のみにしました。

5時07分には幸福地蔵菩薩様の前掛けの直し(勿論幸福地蔵菩薩様とのコミュニケーションはしましたよ。)とお祈りをしてからトンネルの所まで行くと「既に山門が開いている。と言う事は夜中にシュミレーションした事の変更をしなければ」と考えながら歩いて行き、流石に本堂の戸は開いていなかったので戸の前で『般若心経と南無観世音菩薩』を3回唱えて、今須稲荷から関ケ原与一の墓、六地蔵様から我が家のお墓にお参りして本堂の前を通った時に「ひょっとして本堂の戸が開いているかも知れない。」と言う事で本堂の戸に手を掛けると開いたので本堂に入ると、線香が2本いつもの様に供えて頂いていたので、先ずは大谷徹奘師の日めくりカレンダーを19日にすると『逃げれば こわさが ましますよ』との事で私は改めて(いつもの事ですが)「大谷徹奘師の教えは凄い」と思った次第です。(勿論私は決して逃げる気持ちはありませんが、ある意味プレッシャーを掛けられた気分です。)

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本日2回目の般若心経を唱えさせて頂き「すみません。お賽銭は本堂の分も含めて今須稲荷さんにチャリンチャリンしてしまいました・・・。」本堂のお参りを終えて幸福地蔵菩薩様の所まで来ると幸福地蔵菩薩様を目指して歩いてみえる方があったので、ご挨拶をすると(お互いに誰だか分らずに)中学までの同級生だったので親しく話し込んでしまい、慌てて家に帰り玄関先でメールが入り『多賀先生が来て頂いた。』との連絡に思わず時間を確認すると5時42分だったので「おいおい、早すぎる。」と思いつつ家に入りリュックサックを持ち、急いで施設に向かいました。施設に着き丁度多賀先生が死亡診断をして頂いたところだったのでお礼のご挨拶をして事務所で亡くなられた方の親族の方がおみえになるのをコラムを打ちながらお待ちしていると、6時45分に来て頂けたので先ずは亡くなられた入居者さんにお会いして頂きその後、お話をさせて頂きました。お話の中で「宜しければ、最後のお風呂に入って頂こうと思うのですが。」と言うととても喜んで頂けました。リピーターの皆さんこんな緊張感の中での毎日を送らせて頂いている私はとても幸せ者だと思っています。

5時25分に家を出た時はかなり強い雨でした

令和4年8月18日

強い雨でしたので流石に傘をささないわけにはいかず、左手で傘をさし、右手に杖とペットボトル3本の入った布袋を持っての歩きでしたので杖はつけない状態だったのですが頑張って歩く事にしました。橋の所で歩きながら川を見ると茶色い水が勢いよく流れていたので「結構に降ったんだ。写真を撮りたいけど、この状態で写真を撮るのは無理だ。」と言う事で写真は諦めて歩きました。

幸福地蔵菩薩樣の前掛けはやや曲がっていましたが「雨も降ってるし、この程度なら許される範疇か。」と言う事でお祈りのみをして本堂に向かおうとしたのですが、私の性格がそれを許さず、祈った後から幸福地蔵菩薩樣の前掛けを納得がいくまで真っ直ぐにして幸福地蔵菩薩樣に軽く抱きしめる事をしながら「やっぱり幸福地蔵菩薩樣と親しくしないと一日が始まらないな」と思った次第です。本堂に行き、「流石にこの雨だから方丈樣も線香を点けてはいないだろうな」と思いつつ、玄関の戸を確認すると戸は開いてしかも線香も点いていたので「方丈樣との根気比べ。いやいや方丈樣の支援に感謝です。」

本日の大谷撤奘師の日めくりカレンダーは『人生一幕』と書いてあり私の頭では理解できない教えだったのですが、勝手な解釈をするならば「まだまだ人生は終わりじゃない。」としましたので、「これから集大成に向けて頑張らねば。」と思った次第です。

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さて、昨日からの話題である『サマージャンボ宝くじ1等当選前後賞で7億円についてですが、まだ確認出来ていませんが我が家の神棚とお仏壇の中の石山寺の中の大黒天と若宮八幡大神様の所に安置している大黒天の所からいつも持ち歩くナップザックの中にはしまい込んだのですが、まだ確認していません。今日一日はドキドキ感を楽しみ、施設での仕事を終えたタイミングで確認したいと思っています。『ドキドキドキドキドキドキ』【宝くじの結果を発表しま~す。】結論としては『夢』だけはしっかり味わう事が出来ました・・・。と言う事で下1桁『2』だけは10枚に1枚ありました。この結果を私なりに総括すると(そんな大袈裟な事では無いのですが)「7億円が当たって安直な対応が出来る道を選んだ。」と言う事ですが「そんな安直な選択肢はあり得ない。もっと確実な生き方をしなければいけない。」と暗に教えられたように思いました。だから・・・。安直な考え方ではなくて地道に出来る事を計画して確実に成長出来るやり方で頑張っていきますのでリピーターの皆さんこれからの杉和会の展開にも注目をお願いします。でもね、「宝くじは買い続けます。但し、勿論お小遣いを節約した分で」と考えています。

【蛇足的写真】行く時にはペットボトルの水を入れた布袋が重くて写真を撮れなかったのですが、帰りにはペットボトルの水が無くなったので写真を撮りました。秋田県の様な状況ではありませんが結構に降ったのでその状況を見て下さい。

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『あと、5分遅かったら』のお話です

令和4年8月17日

昨日の17時にお盆の締めのお墓参りに行く為に早じまいで帰らせて貰い、私の奥さまかをりさんに「これから行くよ」コールをして、家に迎えに行ってからお墓に行きました。お墓に着くと同時位に突然に黒い雲が東の空を動いて行き、急いでお経を唱えて車に戻ろうとすると凄い風がビュービュー吹き出して、これまた大急ぎで家に向けて走りました。

家に着いてかをりさんを先に降ろし車庫に車を入れていると玄関先の植え木鉢が風によって、転がるのをかをりさんが慌てながら拾っているので加勢しようとすると、「2階の窓が全部開いているので閉めてきて。」との声に私は全速力で2階への階段(15段)を上がり、あまりに風が強い中で窓が全開だった為にカーテンが思いっきり激しく揺れていて、それに反応するようにセンサーが稼働して電気がついて・・・。

と言う事で急ぎ窓を閉めると殆ど同時に強い雨が降ってきました。雷も遠くで鳴っているようで、横になった瞬間におへそを隠した次第です。(嘘です。だって、お臍は腹の肉でめり込んでいますから・・・。)しかし、本当に神業的に雨に打たれる事もなく家に着いて雨で濡れる事もなかったのは毎朝お墓詣りを頑張って、しかも水を運んでいるからかなと思うと「明日はサマージャンボの当選発表の日だ。これはもしかしたら・・・。

いやいや当たった時のプランも考えているのだから当たるはず・・・。このように考えるのは宝くじを買った方の殆どの方が思うことかな。明日は本当に良い夢が見られるようにしっかり寝ます。」と言う事で一夜が明けていつものように、5時25分に外に出ると雨が降っていたのです傘をさして歩く事にしました。本堂に行くと「雨の日でも線香が立てて頂いていると言う事は方丈樣からの叱咤激励だな。」と思うと同時に方丈樣の方に深々と頭を下げさせて頂きました。昨日は本堂の中でのお参りが出来なかったので大谷徹奘師の日めくりカレンダーを先ずは16日にすると『弱い自分に出会った時が強い自分になるチャンス』とあり、これまた大谷徹奘師にまで咤激励されている気分になりました。

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そして17日の日めくりカレンダーには『できるとき できること できるだけ』と書いてありましたので「120%で無くても100%で頑張れば大丈夫なんだ。」と理解しました。

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綱渡りの様な人生で69歳までこれたのだから「このスタンスでこれからも行こう。」と考えた次第です。さて、今は16時30分ですが、午前中は和(なごみ)でのお経と(カラオケで3曲も)全体会があり、お昼は本部施設にばたばたと帰ってバイキング料理を頂き13時30分からは全国老施協の正副委員長会議と引き続いての緊急常任理事会があり、このコラムが打てたら大垣に17時30分までに行かなければいけないのでサマージャンボの確認は大垣から帰ってからと言う事で当選報告の様な事は明日のコラムに譲りましたのでリピーターの皆さんご留意下さい。

 

人の寿命はわからない

令和4年8月16日

朝4時25分のアラームでの行動は変わらなかったので仏間でお経を唱えていた5時5分に携帯がなり、施設で管理宿直をしていた吉田部長からだったので、新館の入居者で看取りの方がおみえになり、覚悟の上での連絡だと思い「亡くなったか。」とこちらから声を掛けると吉田部長の方から「その方ではなくて昨日から体調が悪くなった方です。」との事で、改めて「人の寿命はわからないな。」と思いつつ、今後の対応について打ち合わせをしてから、再びお経を唱えていると再び吉田部長からの連絡で「多賀先生が死亡確認に7時には来て貰えて、家族の方は車の手配が出来たら連絡がくる。」との事だったので、「お経を急いで唱えてからお墓参りについては急いでして、これまたシャワーについては簡単に汗を流すだけにして、施設に向かえば私の役割は大丈夫だな。」と考えてお経を終えて家を出たのは吉田部長とのやり取りもあり5時28分と言う事で歩くスピードも上げて歩きました。

幸福地蔵菩薩樣はこの状況を理解されていたためか『前掛け』は真っ直ぐになっていましたので、花立てに水を入れさせて頂きお祈りをするのみで「時間節約が出来て有りがたい。」と思いつつ、本堂に行くと本堂の戸が開いていないので(山門は開いていたのですが)玄関前で般若心経のみを唱えさせて貰い「ここでも、かなり時間短縮が出来た。」と思いました。六地蔵樣の所に行くと「私以外にもお参りされる方があるようだ。」と理解したので水替えはせずにお賽銭をそれぞれのお地蔵樣にあげながら祈りを捧げて、我が家プラス3家のお墓に参り我が家のお墓でお経を唱えて急いで家に向けて歩いていると施設からのメールが5時56分に来て、既に多賀先生がおみえになり死亡確認をして頂けたとの連絡だったので、直ぐに携帯で吉田部長に連絡をして「多賀先生の対応が出来たと言う事なので家族の方の予定がわかったら連絡をして下さい。家族との対応はしますので。」として、一先ず家に帰りゆっくりシャワーを浴びて、今は(7時丁度です。)ガラケーの携帯でコラムを打ってます。「多賀先生、早すぎ」とも思いましたが早朝にも関わらず対応して頂いた事に感謝です。

この報告を書きながら改めて思うのは表題で書いた様に『人の寿命はわからない。』と思った次第です。親族の関係が希薄な方だったのですが、施設側で協力出来る事について精一杯話をさせて頂き納得をして頂いて亡くなられた入居者さんがそれなりに満足して頂ける形を整えれたので正直「ホッと」してます。と言うのは以前に地元のお寺さんに協力して頂いて共同墓に入って頂ける事になったのは嬉しい限りです。リピーターの皆さん。私はこんな人間なのですが今後共宜しくお願い致します。

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