本日は我が家のお墓で6時の町の広報チャイムが鳴りました

令和4年6月24日

この調子で外の時間が延びていくなら「アラーム設定を4時31分より15分早い4時16分にしなければいけないかな。」とお風呂に浸かりながら考えている次第です。さて、本日は岐阜県庁に16時にお約束がしてあるし、大切なお願いに行くので、仏間でのお参りにもより気合いが入りました。そして、いつものように準備して外に出ると靄が凄くて『雲の中』と言う感じでしたが頑張って歩きました。歩いていて「靴がしっくりこない。」と言う事なので途中で靴の紐を結び直し(この時にお腹が出ているのに苛つきます。理由はリピーターの皆さんなら理解されていますよね。つまり、トホホの話です。)靴紐を結び直し再び歩きました。分神社ではいつも以上に草むしりをしました。

その後幸福地蔵菩薩様、トンネルといつものように進み2つ目のトンネルまで行くと本堂からの鐘と木魚が響いてきました。そのまま本堂に進んで行ったのですが、木魚がまだ続いていましたが玄関前で般若心経を1巻唱えて丁度お経が終わろうとした時にタイミングよく鐘が3回叩かれました。お経を終えてから今須稲荷でお賽銭を賽銭口から入れてりんの音を聞いていると方丈様が廊下を勢いよく歩かれているのがわかりました。多分、方丈様は「誰が来とるんか」と心配になって様子をみに来て下さったのだと思います。六地蔵さん前の草むしりをしてから(結構頑張りました。)昨日備えた湯飲み茶わんの水で手を綺麗にしてから改めて湯飲み茶わんにそれぞれ我が家から持ってきたペットボトルの水を注ぎました。そしていつものように4家のお墓の水を入れ替え般若心経を中心にしたお経を唱えているとこのタイミングで町報のチャイムが鳴りました。

本日は9時に関ケ原町企画課に補助金申請の不足分の書類を提出しに行く事になっていたのに、肝心の書類は施設に置いてきた事を思い出し取り敢えず施設に行き書類の確認をしてから役場に向かいました。企画課の担当者に書類の確認をして頂き「全て大丈夫です。」との事で現地の確認については6月27日に実施して頂く手はずを整え関ケ原町役場の2階から1階に降りて行くと参議院選挙の期日前投票のエリアを通ったので「投票用紙はまだ来てませんが大丈夫ですか」と会場前にみえた担当者だと思える方に聞くと「選挙管理委員会の者を呼んできます。」との事。

「選挙管理委員会は2階だし少し時間がかかるな。」と思い受付の方に「まだ投票用紙が届いていないのですが投票できますか。」と聞くと「大丈夫です。」と言われて1枚の用紙を渡されたので書類に必要事項を記入して先ずは1枚目の『選挙区』の用紙を渡されて名前を書き、投票箱に入れてから『全国比例』の用紙を貰い慎重に名前を書きました。2枚目の用紙を投票箱に入れてから『期日前投票の証明書』を頂き無事に国民の権利を行使する事ができました。

よく考えてみえるに投票所前にみえる方は何の為にみえたのかと思ってしまった私はがおかしいのでしょうか。私の感覚では「入口に立たれている方は全て理解されている方。」だとの認識なのですがそうで無かった事に違和感を覚えたのです。少し格好を付けた言い方で言えば「受付(インテーク)の段階で80%の評価が決まる。」と考えています。(この事絵のこだわりはいずれコラムに書きます。)さて、本日16時からは岐阜県庁内での大切な打ち合わせがありますので、少し落ち着かない状況ですのでコラムは早くに書きました。

 

本日は6時15分に家に帰り着きました。

令和4年6月23日

いつものように4時31分のアラームで行動開始をしていつものように水かえとお参りをしてからいつものように数珠、金剛杖、ペットボトルの水を持って家を出た時の時間は5時20分とこれまたいつもの時間です。大抵は家の手前あたりで町の広報の6時のチャイムがなるのですが本日は6時のチャイムは妙応寺の境内で聞きました。だからタイトルの通り6時15分に家に帰り着いた次第です。どうして15分近く時間がかかっているのかを考えてみるに分神社と六地蔵さんの2ヶ所で草をむしる事をしていた事。しかも『3本』にこだわらず「これも、これも」と草取りをしていて、手の汚れを六地蔵さんの水かえの時の水を活用して丁寧に手を洗ったりしていたから。それからもう一つ思い出しました。駐車場内の幸福地蔵菩薩様のエプロンいやいやよだれ掛けがだらしない感じだったので、石の上に乗り自分が気に入るまで直していてついでに蜘蛛が出てきたので(しかも3匹も)お地蔵様から追いやったりもしていたなと思い出しました・・・。私は毎日コラムの継続をしているのですがここまでの出来事と言っても妙応寺まで行ったことだけでここまでに書き上げているからこそ続いているのだと思います。(ここまでの原稿は朝食を終えて施設に出勤する前に書きました。)寸暇を惜しんでと言う程に大袈裟な事ではありませんが自画自賛です。『じがじさん』とパソコンで打ち込むと『自画自賛』と出てきました。「これは間違いではないか。」とこれまたパソコンで調べてみました。『自画自賛』が正解だと言う事を知りました。(めっちゃ勉強になりました。)

本日は10時30分から、3施設合同の給食会議を厨房の委託業者である日清医療食品を交えて行いました。3施設合同での給食会議は初めてだったのですが3施設合同だと言う事で色んな視点から意見が出たのは有意義でしたので、理事長として最後に「お互いに入居者さん利用者さんにとっての生活により豊かになる為に、出来る事を精一杯して頂きたい。」と話をしました。午後からは盲養護老人ホーム優・悠・邑 和(なごみ)の施設でお参りと共に全体会に参加する為に移動して和(なごみ)の施設で昼食を頂き、時間なく仏間に移動して皆さんと共にお経を唱えお参りが終わった後は予定通りカラオケで歌わせて頂くのですが『奥飛騨慕情』のリクエストを頂いたのですが、私は岐阜県民でありながら歌った事が無いので上手く歌えなくて1番のみ歌った段階で「御免なさい。次回までに勉強してきます。」と言って北島三郎の『祭り』と『酒よ』の2曲を歌わせて頂き名誉挽回しました。リピーターの皆さん。バタバタの毎日ですが地に足が着いた毎日にして頑張りますのでこれからも宜しくお願いします。

雨が降っていましたが・・・。頑張りました。

いつものように、仏間でお経をあげてから、数珠、金剛杖、ペットボトルの水を持って外に出ると細かい雨が降っていたのですが、「ここは気合いを入れて」と分神社に向けて歩きだし、分神社に着いて3社に手を合わせ、それぞれに『心願成就』を祈願していると雨足が少し強くなってきたので急ぎ家まで戻り「ここで終了は駄目だ。」と玄関先にあった傘を持ち、改めて妙応寺に向けて歩きました。いつもの様に『幸福地蔵菩薩様』に手を合わせながら「南無幸福地蔵菩薩様」と言いながら幸福地蔵菩薩のよだれ掛け(この表現は失礼か。前掛けの方が正しいかも)が真っ直ぐになっていないのが気になり(結構背の高いお地蔵様で)石の上に登ってきちんと直そうとすると蜘蛛が出てきたので殺す事はしたくないので「ここから離れて」と言って手で蜘蛛にはお地蔵様から離れて貰いました。トンネルを2つ抜けると山門は開いていたので本堂まで真っ直ぐに進み般若心経を1巻唱えて「諸障退散、七難消滅」を一生懸命に唱えてから、今須稲荷に進み家で準備した1円、5円、10円、50円、100円をズボンのポケットから出して1個ずつ賽銭口に入れると澄んだ音でおりんが鳴り音の違いを楽しんでいました。今須稲荷では『心願成就』をお願いしてお参りを終えると本堂の方から鐘と木魚の音が響いて来て「今日はいつもより早くに方丈様が読経をあげているな。と言う事で何となく幸せな気持ちになれました。その後『関ケ原与一』の五輪塔に手を合わせながら、「私に力を」と気合を入れました。次に六地蔵様の所に行き先ずは草を抜き蝋燭があったのでライターで火を点けてよくよく見るとお地蔵さんそれぞれの所に湯飲みが有り湯飲みを囲む様に数珠があるのは理解していたのですが湯飲みの中の水を入れかえる発想には至っていなかったのですが「ペットボトルの水があるがね。」と言う事で6個の湯飲みの水を我が家の水に替えさせて頂き我が家のお墓に行き我が家の湯飲みの水を替えてから、吉澤家、及川家、柴田家の水を替えて回ると「あ~ら不思議。ペットボトルの水が丁度でした。」こんな事も不思議だと思える心の余裕が出来ている事に私自身嬉しくなりました。「だって、つい最近まで心に余裕が無くてイライラしていたのに」と思える自分がいました。正直今はとても厳しい状況が有りますが、厳しい状況だからこそ『本当の支援者とそうでなかった人』が良く分かります。つまり、今は自分を見つめ直す良い時期なのだと思います。リピーターの皆さん。私の大親友の一人に児童福祉の専門家である、八楽児童寮(愛知県新城)の太田一平理事長がいるのですが、彼は私の事を「若山さんの常にプラス思考でいる姿が素晴らしい。」と言って頂いているのですが、そうではなくて小さい頃はマイナス思考ばかりだった反動だと思うのですが、マイナス思考より、プラス思考の方が良いと思いませんか。

妙応寺では色んな発見や思い出が浮かびます。

令和4年6月21日

『関ヶ原与一』は藤原基清と言う人物で牛若丸にも関わった(殺されたと言う事ですが)と言う事ですが、平家と源家が争っていた平安時代末期の事で歴史で語られるのは『勝者からみた伝えかた』になるので、真相はわかりませんが、謡曲になって伝わっている位ですから、どちらにしても関ヶ原を中心とした有力者に違いないと思います。本日も山門が開いてなかったので山門前で般若心経を1巻唱えてからぐるっと回り六地蔵さんに行き、それぞれのお地蔵さんに手を合わせ、草をむしってから我が家のお墓に行き、水かえを4ヶ所(若山家、吉澤家、及川家、柴田家)してからしっかりとお経を唱えて再び六地蔵さんから今須稲荷、本堂経由で帰ることにしました。

六地蔵さんから『常在不滅之塔』に移りいつも気になっていた木魚に頭を乗せて眠っている可愛いお坊さんを見て本日はふと私の次男が小学生の時に四国遍路に一緒に参加させた時の事を思い出しました。その出来事とは大阪から船底に乗って四国に向かった時に(旅費を安くする為の方策だったと思います。)次男は初めての船に興奮すると共に自販機でカップ麺を購入して食べたりするのが嬉しくて何度注意しても眠りに着こうとせず、(私はしっかり寝ましたが)殆ど寝てない状況でいざ四国遍路が始まって札所ごとにお経を唱えるのですが、次男はお経が始まると階段の所に頭をもたげて寝ているのを思い出しました。

その時は父親らしく「あれ程寝なければいけないと言ったのに。でもこれも良い経験だ。」と思いましたし、何となく次男の事を微笑ましく思っていたことを思い出しました。次の写真は本堂の屋根から雨どいの水受けの大きな物に龍がレリーフの様になっているのを見つけ(何度となく見ているはずなのですが興味を持って見ていなかったようです。)龍は私にとってトレードマークの様なものなのに今まで気付かなかったのが不思議な気がしてます。本堂の写真は流石に別格本山としての威風堂々と言う感じでしょ。私が小さい頃は(50年以上前)修行僧も沢山みえて、クコ料理の精進料理があり、観光バスでのお客さんもあり、近所のおばさん達が多くお手伝いに行かれていたのを覚えています。(今はその様な事も無くなってしまい非常に残念に思います。)赤い鳥居がある写真が『今須稲荷』です。本堂の西隣にあるのも当たり前の様に存在してますが本当は不思議な事の様に思います。

山門の右手にある鐘突き堂なのですが実に立派な建物だと思います。この鐘突き堂へは12月31日の夜には紅白歌合戦が終わってから鐘を突きに毎年参加してましたが、正直紅白歌合戦を見なくなってからはその年中行事が若山家から無くなったなとしみじみ思った次第です。「あっ。そう言えば思い出しました。」小学生のころは日曜日学校が開かれていて座禅やお経を習った事を。リピーターの皆さん。朝早くウォーキングマシンが動かなくなり、外を歩くようになって小さい範囲ですが『地元探訪』を楽しんでいます。これは一石五鳥位になっていて素晴らしいと自画自賛です。と言うより、子どもの様な目で色んなものが見れる事に幸せを感じています。

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昨日の『供養祭』について語ります。

令和4年6月20日

供養祭の準備について仏壇の花の手配をするのが私の役割としてあったので、施設に行ってから地元の花屋さんである花茂(はなしげ)さんにお店が開いてるかの確認をすると「お待ちしてます。」との事でお店に向かうとご主人が待っていて下さったので、花瓶を渡すと既に電話連絡をした段階で段取りが出来ていたようで私が見ている前で講釈をしながら立派な仏花を作って下さいました。立派な仏花を作って頂いたので作って頂いているときに「これ程にこだわって頂いたなら蝋燭や線香もこだわらなければいけない。」と考えて施設に戻る前に我が家に寄り、以前に頂いた和蝋燭と東福寺で頂いたラベンダーのお線香を家から持って行きました。

施設に戻り仏間の最終確認に行くと既にお供え用のお饅頭は届いていて綺麗に供えてあり、職員がきちっとしていてくれているのに感謝です。全ての確認を終えて事務所に戻り書類の確認をしているとかつての入居者さんの家族の方が長浜からわざわざお供えを持って来て頂いたので、仏間に案内してお参りをして頂きました。昨年も来て頂いたのですが、昨年は仏間には上がらず会議室の所から手を合わされた記憶があるので、「今回は是非に」と話をして仏間に上がって頂きお参りをして頂きました。お参りを終えた後で「木魚が大きい。」との話になり、「理事長が強く木魚を叩くのでこの木魚は3代目(3台目?)」等との話で盛り上がりました。なお、「理事長さんが『たねや』のバームクーヘンがお好きだと聞いていたので」と言う事で毎年の事何ですが沢山に頂きました。沢山持って来て頂いたのも嬉しい事なのですが、案内状を出すと必ずお供えを持って来て頂けるのは本当に有難いです。

昼食を頂いて待っていると家族会の吉田会長が来て頂けたので話をしていると、本館と1階の入居者さんが会議室に誘導されるのを見て、コロナ感染に伴いなかなか合同での開催は出来なかったのが少し緩和されたのには正直心が熱くなりました。但し、本館2階、新館1階2階についてはテレビを見ての参加だったので、完全に合同開催出来る日を切に望みたいです。本館1階とデイサービスの皆さんが揃われた段階で理事長である私から「施設にご縁を頂いたかた441名のお名前が書かれていますが、お名前を一人ひとり見ているとそれぞれの出会いが走馬灯の様によみ返ってきます。とご挨拶をさせて頂き、引き続き家族会の吉田会長さんからもご挨拶を頂いた後、地元法忍寺のご住職であり当法人の監事でもある皆田さんの読経と講話を皆さんが一生懸命に聞いて下さいました。

その様子を見ていてつくづく思う事は当施設の入居者さん、利用者さんは色んなイベントへの参加は上手だし良い顔されていると思いました。リピーターの皆さん。当施設の職員は常に一生懸命です。機会があればコロナも収束したら来てみて下さい。

 

『恩返し』と共に『叱咤激励』です。

令和4年6月19日のコラムにつきましては、諸般の事情で削除させていただきました。

 

 

今の時間が、1日で一番爽やかな瞬間です。

『今の時間が、1日で一番爽やかな瞬間』と言うのは、朝早くに起きて、我が家の仏間に籠り(『籠り』と言うほどおおげさな事ではありませんが。)お参りをした後、数珠と金剛杖とペットボトルの水を持ち、妙応寺にある我が家のお墓まで行ったあと「ほっ」としつつ、お風呂に浸かった瞬間です。今朝は気温が高かった為か服を脱いだ時に背中にじっとりと汗をかいているのがわかりました。洗い場で頭から全身に水のシャワーをかけた瞬間は格別な思いになりました。

本日は当法人杉和会の評議員会が13時30分からあり、私は理事長として、盲養護老人ホーム優・悠・邑    和(なごみ)が大きな赤字を出していることに対する今後の方向性をしっかりと説明して理解して頂かなければいけないので朝からプレッシャーです。定刻より5分早くに皆さんが揃って頂けたので、事務局長が開会を宣言して、議長と議事録署名者を指名させて頂いた後、理事長挨拶の所で厳しい状況ではありますが、収入をあげつつ、節約に努めると共に特養への変換をなるべく早くに出来るように今は色んな手立てを講じていることを話させて貰いました。『節約』する中でも入居者さん、利用者さんに不利益にならない配慮はしていく事を話させて貰いました。話をしながら「赤字が出ることがわかっていながらも岐阜県の視覚障害の方の安心の為に実行した事には決して後悔しない。」との思いを再確認しました。それと共に老人福祉法の根幹を成した昭和38年の弱者救済の信念が今はないがしろにされている事を強く訴えていかなければいけない。とも思っています。

令和3年度の決算も承認され、無事に評議員会を終えると15時から開催予定の園田参議院議員の7月の選挙で関ヶ原で多くの票を取るための打ち合わせを関ヶ原で協力して頂ける方にお願いして開催しました。時期的にはもっと早くに開催すべきだったのですが、私自身身動きが出来ず今日になった事を先ずはお詫びしてから論客揃いの方々に話を聞きました。どのような結果になるかはわかりませんが悔いのない戦いをしていきたいと考えています。

リピーターの皆さん。私の1日の中では色んな形で切り替えをしなければいけない毎日ですが、くじけず頑張りますのでこれからも私を見守っていて下さい。

山門が開いてない

令和4年6月17日

昨夜はお腹が張った状態だったので、夕食はパンと牛乳のみにして、20時過ぎには眠りにつきました。まだ少しお腹は重い感じはありましたが、いつもの4時31分のアラームで爽やかに起きて行動開始。水かえとお参りを終えて、5時20分にはペットボトルに入れた我が家の水とお賽銭の小銭と杖と数珠を持ち我が家を出発。いつもの様に歩いたのですがいつもと違っていたのが2つ。

1つ目は「仏間の蝋燭は消してないのでは。」と言う事で若宮神社の出張り所から戻った段階で一旦家に帰り、確認すると仏壇の蝋燭は消してなかったのでしっかりと消してから再び家を出て、妙応寺に向かいました。幸福地蔵菩薩様でもしっかりお参りをして、トンネルも快適に歩けました。

いつもと違う2つ目の事なのですが、『お寺の山門が開いてない。』と言う事で、山門の前で般若心経を1巻を唱えてお寺の境内が通れないのでぐるっと回ってお墓に向かいました。若山家のお墓に行く前に六地蔵さんの所で中央のお地蔵さんから一人ひとりに挨拶をして、お墓の方からだと本堂にいけると言う事で改めて本堂に向かうと鐘が鳴ったので「うん」と思うと続いて木魚の音が本堂から響いてきましたので、改めて本堂の前で手を合わせてから(この段階では山門は開いていました。)今須稲荷に行き小銭を賽銭口から入れると軽やかな音が響きました。

再び六地蔵さんの所を通り我が家のお墓に行きペットボトルの水を若山家、吉澤家、及川家、柴田家と入れて回り改めて我が家のお墓で般若心経を中心にしたお経を唱えて再び六地蔵さんの前を通り「うん、何か忘れて無いか」(頭をポクポクと叩いて思い出しました。「六地蔵さん前の草を3本ずつ抜くのを忘れていた。」と言う事で「一日坊主になるところだった。」と思いつつ「継続は力だ。」と思うと同時に「毎日少しずつにしていけばきっと綺麗になる。」と思いつつ爽やかな気分になりました。

再び本堂の所を通って家に帰りました。家に帰る間に「一体だれが山門の戸を開けられたのか」と色々と考えていました。本堂で鐘が鳴り木魚が叩かれて読経が聞こえてきたので、妙応寺の方丈(一般的には住職と言いますが)が開けられたに違いない。と思いながらもだったら毎日読経が聞こえてきても良いはずではないか。と思ったりしました。

さて、本日は10時から全国老人福祉施設協議会による制度政策検討会議が行われました。この会議は今後の全国老人福祉施設協議会の進むべき方向性を決めて行く大切な会議で、私は会議に参加された論客揃いの皆さんの意見を聞いていて最後に私なりの意見を言わせて頂きました。「社会福祉法人の担うべきものが希薄になっているのではないか。」「かつて施設で当たり前にしていたことが出来ていない施設があるのではないか。」との意見を言わせて頂きました。

話をしながら単に嘆いているだけでは何も変わらない。だから私は全国老人福祉施設協議会副会長として何をすべきかを明確にしながら頑張らなければと考えていますのでリピーターの皆さん、私の動きにも注目していて下さい。

今朝は木魚の音が響いていました

令和4年6月16日

昨日は早朝4時から大車輪の様に動き回り(ただし、大垣市民病院では椅子に腰掛けて順番を待っている時間も長かったのですが。)家にたどり着いたのは20時を過ぎていて、『へとへと』と言う表現がぴったりの状況でした。あまりにえらかった為か、直ぐにお風呂に入れば良いものを何と無くウダウダしていて、何とかベットに横になったのは21時過ぎ。流石に直ぐに眠りに入り何故かアラームが4時15分に鳴り、(前日のセットのままだったのだと思います。)「まだいつもの時間より早いので後15分寝ましょ。」と言う事で再び寝て再びアラームがなった4時31分に行動開始。外を見ると靄がかかっていましたが「雨は降っていない。」と言う事で仏間での水替えとお参りをしてから(5時20分まで)我が家の水道水をペットボトルに入れたのと金剛杖を持って家を出ました。

先ずは村社『若宮八幡神社』の出張りに向かいました。この時間だと必ず新聞配達の少年に会うのですが、「おはようございます。」の声が大きくなってきているのを嬉しく思っています。出張り所には3社あるので1社ずつしっかりお参りして、再び我が家の前を通り妙応寺に向かいました。妙応寺の駐車場北に設置してある『幸福地蔵菩薩』にしっかり手を合わせトンネルの中の杖の響きを楽しみながら妙応寺の山門が開いているのを確認して「確か2,3日前の17時30分頃に通った時には山門が閉まっていたと言う事は少なくても5時30分前には山門を開ける方がおみえになると言う事か」と思うと私が4時50分に厨房の従業員に鍵をお渡ししたように年中無休の施設だとかお寺はしっかりとした体制をとっていなければいけないと言う事かと思いました。

本日も本堂での般若心経を1巻と今須稲荷でのお参り(先日小銭を戸の隙間から入れるとカネの音がする事を知りましたので1円玉、10円玉、50円玉をジャージのポケットに忍ばせていなのを順番に入れました。予想通り10玉が一番大きな音でした。)関ケ原与一の墓では、「私にも力を」との言葉を掛ける様にしました。六地蔵さんでは右から3番目、次にその隣、と、右へ左へと手を合わせながら本日も左から2番目のお地蔵さんが「一番良い顔してはる」と思い、手を合わせたあと、六地蔵さんの前の所に草がたくさん生えていたので「本日からお参りした後に3本づつ抜いていこう。」と言う事で結構硬い草でしたが何とか抜きました。

我が家のお墓に着き湯飲みの水を替えて500ミリリットルのペットボトルなのでまだまだ余っているので、吉澤家(春子さんのいえのお墓)及川家(かつての入居者さんのお墓)柴田家(同級生のお墓であり私を可愛がって下さったおばさんの墓)の湯飲みにも水の入れ替えをしてから、若山家のお墓の前で般若心経を中心にしたお経を唱えてから再びお寺に向かうと(この段階で町報のチャイムが鳴りました。)本日は重々しい木魚の音が響いていたので本堂に向かって手を合わせてから家に帰りました。朝の散歩は歩数は伸びませんがリピーターの皆さん楽しいです。だってこの様な歩き方は『子どもの道草』と同じだと思うので・・・。と言う事は私の知的能力は小学生レベルなのか・・・。いやいや「これも楽しからずや」

 

今は5時50分ですが本部施設でコラムを打ってます。

昨夜は前日が朝早くから夜遅くまでハードだったので20時45分には眠りの中だったのですが、21時に携帯が鳴り「施設で何かあったのか」と言う事で無理やり眠りから覚め携帯に出ると本部施設の宿直者からで「家で父親がコロナの陽性が出て保健所から宿直業務を止めて直ぐに自宅待機をしなさいとの事なのですがどうしたらいいでしょうか」との事で、一先ずは入居者さんの緊急対応では無かったので一安心してから「保健所から帰る様に指示を受けた以上は帰らなければいけないので、夜勤責任者に協力を得て自分が帰っての戸締りを依頼すると共に外線用の携帯を持って貰う事にするので取り敢えず夜勤責任者から私に連絡を下さい。」と言って一旦電話を切り、夜勤責任者からの連絡を待ち連絡が来た時に夜勤責任者に「宿直者が施設を出てからの戸締りと私が4時30分には行くので私が施設に入れるように頼みます。」と言って再び眠りにつきました。

(いつもの4時31分のアラームではいけないので4時ジャストのアラーム設定をしました。)4時のアラームで行動開始。4時20分に施設に着くと既に事務所の電気が点いていて夜勤責任者の芝崎課長に労いの言葉を掛けて、芝崎課長には現場に戻って貰い事務所で待機(決して時間は無駄なく活用しています。)4時50分には厨房の従業員が鍵等と取りに来て玄関を開ける作業をしました。久しぶりの宿直業務に「平成10年5月に開所してから1年位は少なくても週に2回は宿直業務をしていたな。あの頃は私が宿直をすると宿直手当て1回3600円が要らないし、自分がしていた方が安心だと言う理由で宿直をしていたな。」と懐かしく思うと同時に「今は幹部職員が宿直を担っていてくれて有難い。」(あくまで当施設は管理宿直に拘っています。)としみじみ思った次第です。

そして、もう一つ思った事は1階のフロアが静かな事です。私が宿直をしていた時は4時を過ぎると1階のフロアには多くの入居者さんが起きてみえて、親切過ぎる入居者さんがデイサービスのエリアも含めて電気を付けて回られる方がおみえになり、点けられる後ろからモップで床拭きをしながら電気を消して歩いた事も懐かしく思い出していました。(館内の湿度が高いのと新しい建物と言う事でコンクリートから水が吐き出されていたからだと思います。この現象は1年程続きました。)水野相談員が気を聞かせて6時過ぎに来てくれたので久しぶりに全館の皆さんに挨拶をして回りました。

その時には一杯楽しい出来事がありましたので2つのみですが報告します。一つは常に樹木の事を気にかけて下さる入居者さんから、「枯れたような木はなるべく早く切った方が良い。」とか「1本元気のないモミジがあるのだけれど、多分虫が入っているので消毒した方が良い」などと丁寧に教えて貰いました。また、車椅子の女性入居者さんが、腕をさすってみえたので声を掛けると「腕が痺れていて痛い。」と言われたので私が暫くさすって差し上げたらその入居者さんが「痛いのが無くなった。」と言われたので私は「私の手は神の手かな」等と話をして盛り上がりました。久しぶりに一人ひとりにご挨拶をして回ると楽しい雰囲気になります。朝のお墓までの散歩も大切だけれど、朝の清々しい中での挨拶をして回るのも有意義なものだと改めて思いました。

リピーターの皆さん。私は身体を半分に出来るのんらして沢山の事を頑張りたいのですが、そんな事は出来ないので時間を無駄にしない事を心がけたいと思っています。

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