どういうこっちゃ

令和4年7月6日

本日『清流の国』文化祭2024実行委員会設立総会がぎふ清流文化プラザで開催されると言う事で14時スタートなのに受付が13時からと一時間もみてあるので「受付が込み合う可能性が高いな。」と考えて月1回実施している『バイキング料理』を11時40分に提供して頂き急いで食べて出掛けました。(『ウナギの蒲焼』や『麦ごはんにとろろ汁』と言う夏バテ防止のメニューだったのですが、時間が無くて味わいながら頂く事が出来なかったのは少し心残りでした。)

『どういうこっちゃ』について述べます。13時10分には会場に着いたのですが、会場の地下駐車場には駐車場係りの方が、「予約で一杯なので入れません。」と言われたので「西隣の駐車場なら大丈夫ですか」と聞くと係りの方が申し訳なさそうに「本日西隣の駐車場はお休みです。」と言われたので私は「自動で入れる駐車場に休みがあるのですか。」としつこく聞くと「機械のトラブルか何かで入れない様になっているのです。」と言われ、少し離れた駐車場を教えて頂きましたので、教えて頂いた通りに車を走らせ、入り口だと思って入ろうとすると「バーが上がらない。」

私の後ろにも車が付いていたので頭が真っ白になり車を降りてよくよく掲示してあるのを見ると(折り曲がっていて見にくかったのですが・・・。)『ここは出口です』と書いてあったので後ろの車に事情を話てバックして貰い、ぐるっと車を移動させて何とか駐車場に入る事が出来ました。

リピーターの皆さん『どういうこっちゃ』が2つあった事をご理解して頂けたでしょうか。つまり、いつもの口癖である『予定は未定であり決定ではない。』が本日は「どういうこっちゃ」になった次第です。

13時25分には受付を済ませたのですが殆どの席は埋まっていて「早く来たつもりだったけど、上には上が多くみえるものだ。」と思いながら通路側の席が空いていたので座って14時のスタートまで待ち、最初に古田岐阜県知事がご挨拶をされて、ご挨拶が終わって壇上から古田知事が降りてみえて係りの方の誘導で席に着かれたのですが、その席が何と通路の境はあるものの何と私の隣の席だったのです。「指定席の一角の1席だけ空いていたので変だとは思っていたのですが。」席に座られるタイミングでご挨拶だけはさせて頂きましたが、流石にその後は舞台の方を見ているしか出来ませんでした。

実行委員会の総会は短く終わり、記念公演として岐阜県所縁の方が出演されてのイベントが行われました。少し紹介すると岐阜県図書館の名誉館長である俳優の紺野美沙子さんの朗読から始まり、創作オペラで演目が『紙すきのうた』(出演:ひだ・みの歌の仲間)があり、岐阜県出身の大前光市さん(下呂市出身の義足のダンサー)と加藤拓三さん(恵那市出身の和太鼓奏者)のスペシャルコラボがあり、最後にはいび祭子ども歌舞伎保存会による演目『芦屋道満大内鑑 狐葛の葉後日はなし』を見る事が出来ました。

実際の開催は2024年との事ですが盛大に開催されて岐阜をアピール出来たらと思いましたし「岐阜にも素晴らしい方が沢山みえるんだ。」としみじみ思った次第です。

『メロンの話』いやいや『リッドの話』です。

令和4年7月5日

3日前に立派なメロンを頂いたのですが私の奥たま『かをり様』が一向に冷蔵庫に入れる事もなく、頂ける体制になっていないので、昨夜私が寝る前に「もうそろそろメロンは食べ頃と違うの。」と言ったところ、「喜んでメロンの汁を飲んでくれていたリッドがいないのでメロンを食べる気がしない。」との返事に「おいおい、旦那様が喜んで食べるがね。」と咄嗟に思いました。つまり、「旦那様よりもリッドなんかい。」とふて腐れなあかんのか。その後のかをりさんの行動が絶妙でした。と言うのは、私が寝る前の水を飲んでいると、メロンを箱から出して迷うことなくリッドがいる所にメロンをドンと置いたのです。(写真参照)私はつくづく思いました。

P1000480 P1000481 P1000482

「リッドは本当に家族そのものだったんや」と。しかしながら、家族の中で一番がリッドだったんだと改めて思った次第です。本来であれば、先ずは仏壇にお供えすべきなんですが、メロンについてはリッドとの思い出が一杯あるので、例外的に認めなあかんわな。と言うか、メロンの汁を喜んでリッドが飲んだきっかけは私が酒を飲んで帰ってきて、メロンを食べた汁を与えたところ、キャットフードと流れた水以外は口にしなかったのに、何故かメロンの汁だけは喜んで飲んだので特別と言う事なのであります。今朝の朝食のデザートでメロンを頂きました。リッドが元気だった時は自分が食べた後、一生懸命に汁が一杯になるようにスプーンで汁が一杯になるようにしていたのに、汁も含めて自分で頂くのが少し残念です。

話題はガラッと変わって朝のお墓までの散歩の時に本堂の線香立てに2本の線香に火が点いている事を確認してから、玄関の戸を開けて、先ずはお賽銭を入れてから般若心経を1巻と四国遍路で覚えたお経を唱えてから日めくりカレンダーを5日にすると『修(なお)しながら行(すす)むから修業という』の言葉が目に入ってきました。この日めくりカレンダーは大谷徹奘師(奈良薬師寺執事長)の言葉です。大谷徹奘師は岐阜県老施協の研修会にもお招きさせて頂き親しくさせて頂いたご縁もあるのですが、本日の言葉はいつも以上に私には響きました。と言うのは私が今置かれている厳しい状況も『まだまだ修業が足りない。』あるいは『色々な事を考えながら進んでいるのも修業』だと言われるのであれば、「死ぬまで修業しなければいけない。」と言う事か。仕方が無いか私はいつも「趣味は仕事」と言っているので。リピーターの皆さん私の生き方をどう思われますか。

P1000483

「いやー。咲いた咲いた。」

令和4年7月4日

IMG_6946 IMG_6943 IMG_6942 IMG_6938 IMG_6934 IMG_6935 IMG_6924 IMG_6916

写真を一杯いっぱい載せましたがリピーターの皆さん。写真の花を何と言うかご存知ですか。敢えて花の名前を言いますよ。「そうです。これが月下美人」なのです。一昨日の宿直者の吉田部長は、夜中の1時に匂いに誘われて月下美人の所に近づいたら見事な花が咲いていたとの報告があったかと思うのですが、昨日は北島部長の宿直で「花盛り花盛り」一輪咲かせて「わーわー」言ってるのに、「咲いたわ、咲いたわ。」なのであります。昨年までは「五次部長の宿直の時に大抵咲くよな。」と言っていたのですが、今年は北島部長が当たり年だった様です。この現象は私が察するに、北島部長は月下美人等の植木鉢が置いてある玄関ホールで一人作業をしている事があるので、ひょっとしたら月下美人を手なつけたのかも知れません。しかしながら本当に見事に咲いたとリピーターの皆さんも思われたと思います。

しかしながら、本日、一般社団法人岐阜県老人福祉施設協議会の常任理事会を終えて17時に見に行くと、朝にはあんなに綺麗に咲いていた花が萎んでしまっていて「う~ん。あわれ!」の一言。『花の命は短くて』とよく言われますが、月下美人の様に一晩だけと言うのは、ある意味『見事』と言わざるを得ないと思います。実は、この見事に咲いた月下美人のルーツは関ヶ原庁舎でさし芽を頂いたのがドンドン株分けをして増やしたものなのです。一年に一晩だけ見事な花を咲かせるのにはロマンを感じます。

IMG_6952 IMG_6953 IMG_6948 IMG_6950 IMG_6947 IMG_6949 IMG_6954 IMG_6951

もう1つの話題は『あじさい』です。7月2日までは40℃近くの暑さで雨は全く降らなくて紫陽花はくたくたでダレダレの状態だったのに、昨日今日の雨で生き生きしているのが嬉しくて思わず写メに撮りました。紫陽花にしてみたら、今年の梅雨の短さには参ってしまったのではないかと思います。梅雨が明けたと思ったら台風が来るとの予報が出ていて、雨量についての帳尻が合うのかも知れませんが『過ぎたるは及ばざるが如し』のような雨にならないことを祈っています。最近の雨には『想定外』が頻繁に起きているのには、複雑な気持ちがするのは私だけでしょうか。リピーターの皆さんはどの様に思われますか。

R4.7.41 R4.7.42

幸福地蔵菩薩様のシャレ、いやいや挑戦

令和4年7月3日

昨日のコラムで『前掛けを少し左にしました。』と書きましたが、本日、幸福地蔵菩薩様の前掛けをいの一番に確認して思わず『ニンマリ』です。と言うのは、いつも真っ直ぐにすると右に向いているので昨日はわざと少し左にしたので、「真っ直ぐになっているかまたまたいつものように右に向いているかな」と思っていたのが全くの想定外の『余計に左に向いているのです。』これは、幸福地蔵菩薩様のシャレ、いやいや挑戦と思った次第です。私はこの現象に幸福地蔵菩薩様の『粋な計らい』と思った次第です。

そしてもう一つ気付いたのは、向かって右側の花立ての花が無いようにしか見えないので、階段を上がって確認すると花が裏向いているのがわかり表を向けようとしたら、花立ての中の水が少しになっているのがわかったので持参したペットボトルの水を花立て(両方)に入れました。水を入れながら考えたのは「六地蔵さんとお墓の水を少しずつにすれば何とかなる。」と言う事です。つまり、『臨機応変こそ大切』と言う事です。その後はいつものように本堂にお参りをして(お線香2本は本日も点いていました。)今須稲荷様、関ヶ原与一の墓、六地蔵様、我が家のお墓プラス3ヶ所のお墓の水を替えてから再び幸福地蔵菩薩様で最後の祈りをしていると、私のお願いの言葉に応えるように雷がゴロゴロと鳴りました。何事もプラズ思考で考えると言うより自分の都合の良いように考えている私に自分自身感心しています。

でも、その様な思考回路でなかったら、今の私はとうにこの世にいないのではないかと思います。それほどに過酷な中で頑張っていることをリピーターの皆さんがご理解していただければ嬉しいです。

過酷と言えば昨日、石川県老施協会長から「今日は朝から50件位電話をしているけど、土曜日だからか施設の電話に施設長さんが出て下さったのは若山さんで三人目です。若山さんは流石ですね。」と言われたので「土日は基本的に施設にいます。普通の日は出掛ける事が多いですけど。」と答えると「流石ですね。」と誉められてしまいました。と言う事は私の当たり前は他の施設の施設長さんの当たり前で無いと言う事なのだ。と理解しました。

本日は朝から雨が降っていて、畑の野菜や花が喜んでいると思います。勿論、私は雨に濡れながらも昨日の暑さは無くなったと実感してます。本日の雨で色んなものが生き返ったし、異常な暑さも一掃されたので一安心ですが、お昼のニュースでは、1時間に100ミリも降った所があるとか。今の気候には『ほどほど』と言うのが無いのかと思っているのですが、リピーターの皆さんは今の現実をどの様に捉えていますか。

P1000477

幸福地蔵菩薩様との戯れ

令和4年7月2日

何と無くふざけたタイトルと言うか恐れ多いタイトルですみませんが私の正直な気持ちをタイトルにしましたのでお許し下さい。実はいつものように我が家のお墓に行くコースの中に何度もこのコラムで登場している『幸福地蔵菩薩様』の事なのですが、昨日しっかりと前掛けの位置を直したのに今朝も大きく右に向いているのです。私は思わず、幸福地蔵菩薩様が私に『おい、今日も曲がっているぞ。早く直せ。そして、蜘蛛の糸は除けなさい。』と言っているように感じたので、私は前掛けを少し左の位置のままにしました。そして、「幸福地蔵菩薩様。これで明日はどの様にされますか。」と問いかけた次第です。「う~ん。今から楽しみでワクワクするな。」と思っています。

何でもない事に対して色んな事を思ってしまう私は『変』なのでしょうか。小さい頃の私は自分で言うのも変ですがみんなが言われる事を素直に聞くだけの『素直さ』だけが取り柄の人間だったのに・・・。『幸福地蔵菩薩様』の所では蜘蛛の糸との戦いも楽しみの一つです。だって、排除しても排除しても蜘蛛の巣が張りますから。でもね、一瞬でも綺麗にしている事を喜んで頂いてるいるのであれば、私は自己満足の世界であっても嬉しいです。

そうしてもう一つ『幸福地蔵菩薩様』の花入れに新しい花が供えてありました。昨日までは枯れた花のままだったのですが本日新しくなっていたので私は「ピン」ときました。と言うのは昨日が『7月1日』なので「月初めにはお花を供えにみえるのかな。だとすると8月1日に確認しなければ」と要らぬ心配をしている私なのであります。六地蔵さんの周りの草を毎日5本10本と抜いているのですが『継続は力なり』です。

確かに少しずつ綺麗になってきたようで嬉しいです。但し、久方降っていない雨を頂いたら草がぐ~んと伸びて来るかも知れません。でも、「これも楽しからずや」と思える今の私がいます。本日も朝から仏間での祈りの時とお墓に行った時の2度に渡って背中がびっしょりなる程に汗をかきました。汗をかいてお風呂に行き水のシャワーを頭から全身にかけると何とも言えない充実感を味わっています。この様な事が出来るのも風邪もひかず、ましてやコロナにもかからず元気で過ごさせて頂いているからだと思うと改めて生きている喜びが沸いてきます。厳しい状況で眠れぬ夜が続いても、頑張れる体力があり、頑張って努力をすれば、必ず良い結果が得られると信じてこれからも頑張って行きますのでリピーターの皆さん、これからも宜しくお願い致します。

1年の半分が過ぎ新たな半年が始まります

令和4年7月1日

前半の半年は色んな意味で厳しい状況の中で自分を見つめ直す時間でした。後半の半年は見つめ直した事を形にしていく半年にしていきたいと思いますのでリピーターの皆さん、改めて宜しくお願い致します。本日は恵那市文化センターに8時30分待ち合わせで東濃支部の支部長さんと副支部長さんの案内で施設回りをします。と言う事でいつものアラームの時間をより早い時間の4時11分にセットしてアラームで目覚めて行動を開始しました。自分でも感心するのですがいつから私はこんなに意志強固になったのかと思っている次第です。それにしても暑い日が続きますが、今朝、私が仏間での祈りを終えて外に出て空を見上げると雲一つない『快晴』です。いつものようにお墓まで歩いたのですが家に帰りシャワーを浴びようとシャツを脱ごうとすると背中が汗でベッタリ。と言う事でシャツがなかなか脱げなくて・・・。そうでした。お墓まで歩いた時の事を楽しく報告します。先ず一つ目は妙応寺の駐車場の幸福地蔵菩薩様の所まで真っ直ぐに歩いて行き気が付いたのですが幸福地蔵菩薩様がかぶられている帽子が目の所より深くかぶられているし、エプロン(前掛け)が真っ直ぐになっていないのが気になり「きちんと直して差し上げよう。」と、石の上にのぼって直そうと近づくと蜘蛛の糸がいっぱいあるので綺麗に取り除きました。蜘蛛を殺す事はしたくないので毎日根気よく取り除くしかないな。と思いながら手を合わせました。二つ目は 本堂の戸は開いていなかったのですが窓越しに線香立てを見ると線香の火が点いているのが見えたので戸を開けようとすると開いたので、本堂に入らせて貰いお経をあげている時に改めて線香の火を見ると2本のうちの1本がしっかりと火が点いていなかったのか、煙も出ていないのです。その時に私は思わず笑いが込み上げてきました。と言うのは火が点いた1本についつも、ほんの少し前に点けられたとしか思えないくらいだったので、私が勝手な解説をするならば、『若山宏君が山門をくぐり抜け真っ直ぐに本堂に向かって来るのがわかります。あっ、まだ線香に火が点いていません。取り敢えず慌てて線香に火を点けました。あっ、玄関の鍵が開けてない。そこで、慌てて玄関の鍵を開けて、あっ、線香の2本のうちの1本が点いていませんが、まもなく若山宏が6段の階段を上ろうとしてます。若山宏に見られたくないので、取り敢えず奥に引っ込みます。』と言う事ではないかと思うのですがリピーターの皆さんはどの様に思われますか。それとも「しょうもない事を長々と書きよって。」と思われますか。とにかく、意味のないトークに最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

上には上があるお話

令和4年6月30日

私は自分でも自分が今している事を凄いと思っているのですが、私よりも勝る凄い方が一杯みえる事に驚きと感動を感じる朝の出来事です。と言うのは、私の事をリピーターの方はご存知の通りアラーム4時31分(本日は事情があり4時21分)により行動開始をして若宮八幡大神様と内仏様の水かえをしてから仏間に籠り祈りをしてから正信偈を唱えてから出張り神社経由で我が家のお墓まで行くコースのウォーキングをしているのですが、私が金剛杖を突きながら国道と町道の交差点の所まで歩いて行くと花壇があるのですがその花壇の所で草むしりをされている方を確認して「昨日もこの時間に草むしりをされていたな」と言う事で「暑くなる前に作業をしてしまおう。」との考えだとは思いますが「皆さんに見て貰おう。との考えでされているのは素晴らしい。」と思った次第です。

そして、朝刊を配っている少年も大体同じ様な時間に会うのも素晴らしい。ただし、私ははっきりと大きな声で「おはようございます。」と言っているのだから少しは反応を示して欲しいなと思うのは『要らぬお節介か。』そして、妙応寺の駐車場内の幸福地蔵菩薩様の所で手を合わせる前にエプロンと帽子をきちんとしようと石の上によじ登って直していると蜘蛛の巣がいっぱいあるので手で排除していながら「幸福地蔵菩薩様、私のしている事は要らん節介ですか」と聞きながら作業を続けました。そして作業をしながら、「何が作業がはかどる道具を持って来なくては。」とも思いました。

幸福地蔵菩薩様でのお参りを終えてトンネルでの響きを楽しんでいて、一番響きの良いであろうレンガ作りのトンネルの真ん中でしっかりと杖を突いたのですが、良い音がトンネルの上を通る車の音で邪魔をされて「世の中思い通りにはいかんな。」と実感しました。お寺の山門は開いていたのですが本堂の入り口は開いていなかったので「昨日も駄目だったし今日も駄目か。」と思いつつも元気よく幅広い階段を勢い良く上がって玄関の戸が開くかと試してみると開いたのです。そして勇んで本堂前に進むと線香が2本火が点いて立っていました。その線香の燃え方から私はニヤリとしてしまいました。と言うのは「線香を今点けました。」と言う感じで、しかも玄関の戸が開いていなかったのは方丈様が私の姿が見えたので玄関の鍵だけ開けて姿を隠されたのだと・・・。そこで私は「さりげなくをして頂いていてありがたい。」との思いました。

先ずはペットボトルの水を置いてから賽銭箱にお賽銭を入れようとズボンのポケットをまさぐると財布から出した覚えがない5百円玉があったので不思議に思いながらも「これは賽銭の中からごまきに願い事を書くべし。」と思い『がん克服』と書きました。リピーターの皆さん。このような行為は『偶然』ではなくて『必然』だと私は考えています。つまり、『夜明けは近い』と考えている私をリピーターの皆さん。これからも宜しくお願い致します。タイトルの中身がかなりずれましたがいつもの事ですがお許しください。

普通、歩きますか。

令和4年6月29日

昨日18時から彦根にある東福寺において護摩供養法要があると言うので(毎月28日です。)17時前に施設を出て参加しました。東福寺について不思議な少年に出逢いました。その少年は埼玉県からヒッチハイクで東福寺に来たとの事。しかも、岐阜市内で降ろして貰って夜中の午前零時から歩いて東福寺に14時に着いたとの事。しかも、何も食べずに歩いて来たとの事。大まかに距離は60キロです。歩き続けたとして時速5キロ(かなりの速足ですが。)12時間かかります。

2時間の仮眠を取ったとしても「速足で歩き続けと言う事ですか。」昨日の昼間の気温は35℃前後あったと思われるので「良くぞそんな過酷な条件の中で熱中症にもかからずに歩けたものだと感心しています。あまりに不思議な少年なので疑問に思った事を聞いてみました。「夜はどんな所で休んでいたの」と聞くとその少年は「夜に公園なんかで休んでいると警察に通報されてしまうことが多いので夜は歩いて昼間に休息を取ります。それに、夜の方が昼間よりは気温が低いので。」とサラッと答えられて私は「この子はこういう事に慣れているんだ。」と思いました。

また、「空腹でも大丈夫な生活習慣があるんだ。」と感心もしました。14時に東福寺に着いた少年の対応をした方によると「こんなに食べれるのか。と思えるほどに食べたのでビックリしました。」との話に私は思わず「人間も食い溜めが出来るのだ。」と言うのが正直な感想でした。その少年と住職である静慈彰さんはどれほどの関係かはわかりませんが静慈彰さんの『来るものは拒まず』の真骨頂だとは思うのですが、この少年は初めて東福寺に来たと言うものの「実に機敏に動く」いわゆる『今どきの少年ではない。』とも正直思いました。護摩供養が実施され彼が太鼓をたたく事になり、その流れの中で般若心経を太鼓をたたきながら唱えるのですが何度も般若心経を間違えてしまった事を全ての事が終わってから聞くと、「正直上がってしまいお経が飛んでしまった。」と詫びれる事無く正直に言うので「こんな素直な子が今どきいるのだ。」とこれまた感心してしまいました。

次に護摩供養で静慈彰さんが、真剣にお経を唱えながら護摩木を火の中に入れ出した時に私は自分の体に異変を感じました。と言うのは一生懸命に般若心経や不動明王様のご真言を唱えている時に私の肩が異常に重くなりました。たったそれだけの事なのですが今回も護摩供養に来て良かったと思っています。リピーターの皆さん、こう言うのは理屈では無いので私はこの様な現象を素直に受け入れています。私が弘法大師空海(お大師さん)によって導いて貰ったのは高校2年の夏休みに四国遍路に行き、自暴自棄になっていたところから救って頂きました。

そして2度目は私が社会福祉法人杉和会を設立するに当たって大変な時にも救って頂きました。そして今も3度目の救いを求めています。今までの2回についてはみんなで救って貰ったのですが今回は孤独な戦いでのお願いだったのですが東福寺に月1回参加させて頂いていて色んな形で救って貰える様に思える様になってきました。リピーターの皆さん。今回も自分の世界に入った形のコラムになってしまった事申し訳なく思いますがご理解下さい。

結局お大師様にすがっている私が見えてきました。

 

梅雨明けだとわかりました

令和4年6月28日

いくら私が小さい頃から理科が嫌い(『苦手』』と言った方が適切かな)だったとは言え、人生を重ねてきたから『夏雲』がどんなものかくらいはわかりますよ。また、昨日の朝起きて外を見たとき(4時30分頃)凄い靄が出ていて「梅雨の中での蒸し暑さはいやだな」と思ったものです。ところがお昼前には青空になり、ガンガンと温度が上昇してきたと思ったら、午後零時からのNHKニュースで「梅雨が明けました。観測史上最も期間が短い梅雨でした。」との事。と言う事は梅雨らしいジメジメした期間が短かったのは有難いけれど「まだ本格的な夏の暑さには体が慣れてない。」と言う事で本日のお昼の番組でも『熱中症』と疑われる救急搬送が昨日は多かったと報道しています。

そんなタイミングで昨夜、本部施設において全体会が行われ、私は思わず中学生時代の記憶が蘇ってきた事を職員に話しました。私の記憶も定かではないのですが、多分その当時のインドでの事だったと思うのですが、インドでの気温が40℃になり、少しでも涼しさを求めて木陰で人同士の皮膚と皮膚(肌と肌)をくっつけていると言うものです。どうして人と人がくっつけているのかと言うと、人間の体温は基本的に36℃前後なので40℃の外気温より低いので冷たく感じると言うものでした。その頃の私は「そんなものなのか」位に思っていたのですが、現代の日本でも今正に40℃を超えている所があると聞くと「日本ではどんな対応をすべきなのか」と言う事と「電力会社は需要が追い付かなくなるといけないので節電してくれ」と言ってるし、そうかと思うと「電力料金がめっちゃ上がっているので高齢者が冷房を控えて熱中症で厳しい状況になっても困る。」との懸念もあるので、対応に苦慮する毎日がこれからも続くと思います。

本日はまだ6月28日ですから、まだ悩ましい日が2か月以上続くのかと思うとゾッとしてしまいます。本日はデイサービスと新館2階及び新館1階のお参りがあったのですが、熱いからと言ってお経さんの導師が手抜きには出来ないのでしっかりと声を出して頑張ったのですが、お経を唱えながらも背中に汗が流れるのが分かりました。但しこの汗は『快感』と言っても過言ではないし、新館のフロアではカラオケを2曲ずつ歌わせて頂くおまけつき。但し、新館2階の1曲目に久しぶりに地元の歌手である砂田おさむさんの『人生夢の途中駅』を歌わせて頂いたのですが、感情移入が過ぎて歌っている途中で涙がこぼれてしまいました。勿論最後まで歌いましたが歌い終わってからさり気無くタオルで涙を拭ったのですが、入居者さんから、「理事長さん上手だったよ」との合いの手が入ったのは「流石年の功」と言うより有りません。

リピーターの皆さん。お気づきだと思いますが暑さのせいで本日のコラムの内容は話題がつながらないものになっていますが、リピーターの皆さんも『合いの手』と言う事で・・・。

DSC06763

100歳のお祝いに関ケ原町の藤田副町長さんが来て下さいました。

令和4年6月27日

大正11年6月26日生まれの100歳のお祝いに関ケ原町の藤田副町長さん、西村住民課長さんが来て頂き、身内の方も4人がおみえになり、優・悠・邑の職員も参加しての100歳のお祝い会が開かれました。優・悠・邑への入居は平成20年5月30日と言う事で優・悠・邑での生活が15年目と言う事です。入居当初は認知症状はあるものの身体機能はしっかりされており、『元気で頓智の効いた楽しい方で好き嫌いなく食事もしっかりととって頂ける方。』と言うイメージを持っていたのですが、15年の経過のなかで、残念ながら車椅子での生活になられました。とは言え興味のある事に対しては目力もあり楽しく生活されています。

また、家族の方への気つかい、職員の方への配慮も出来、大らかな性格が長寿の秘訣なのかとも思います。100歳になられる方はいくら日本が超高齢化社会とは言え誰もが100歳を迎えられるわけではないので『特権』のようなものがあるのだと思いました。と言うのは昨日が家族会主催の「誕生会」があり、家族会の吉田会長さんからお祝いの品を貰って頂いたばかりです。しかも、本当に6月26日と言う正に自分が生まれられた日に・・・。(誕生会は、月に1回実施されます。)これは、持って生まれた強い『運』のようなものを感じました。

優・悠・邑での生活は本館2階の方なのですが、本館2階の職員が『金屏風』と『久寿玉』を手作りしてくれたので、身内の方も非常に喜んで頂きました。私的には職員の「参加した方が喜んでくれたら嬉しい。」との気持ちがとても嬉しいと言う事です。(会が終了するまでに記念写真を撮ったのを、プリントアウトして身内の方に喜んで頂きました。『嬉しい』と言えば本日も妙応寺の本堂の玄関口が開けて頂けていて線香立てには2本の線香に火が点いていました。

線香の点き方から言って私はいつも絶妙なタイミングでお寺に行けているのだと思うと「これからも時間をきちんと守って頑張って行かなければ」と考えています。それと共に改めて『気づかい、気くばり、思いやり、そして、ほどほどの距離』をきちんと実践されている方丈様に畏敬の念を持つと共にこの対応は私が児童養護施設『誠心寮』に勤務している当時の理事長で禅宗妙心寺派の高僧だった方から『陰徳』について教えて頂いた事と同じだなと思いました。毎日出張所の神社から妙心寺に行きお墓まで行けているのは、風邪もひかずにましてやコロナにも感染せずに、頑張れているからだと思うとリピーターの皆さん。ある意味『神憑り』と言うと大袈裟かも知れませんが「いやいや、そうに違いない。」と思う私なのであります。

IMG_6852 IMG_6857 IMG_6860 IMG_6864
1 111 112 113 114 115 116 117 118 119 298