今朝は木魚の音が響いていました

令和4年6月16日

昨日は早朝4時から大車輪の様に動き回り(ただし、大垣市民病院では椅子に腰掛けて順番を待っている時間も長かったのですが。)家にたどり着いたのは20時を過ぎていて、『へとへと』と言う表現がぴったりの状況でした。あまりにえらかった為か、直ぐにお風呂に入れば良いものを何と無くウダウダしていて、何とかベットに横になったのは21時過ぎ。流石に直ぐに眠りに入り何故かアラームが4時15分に鳴り、(前日のセットのままだったのだと思います。)「まだいつもの時間より早いので後15分寝ましょ。」と言う事で再び寝て再びアラームがなった4時31分に行動開始。外を見ると靄がかかっていましたが「雨は降っていない。」と言う事で仏間での水替えとお参りをしてから(5時20分まで)我が家の水道水をペットボトルに入れたのと金剛杖を持って家を出ました。

先ずは村社『若宮八幡神社』の出張りに向かいました。この時間だと必ず新聞配達の少年に会うのですが、「おはようございます。」の声が大きくなってきているのを嬉しく思っています。出張り所には3社あるので1社ずつしっかりお参りして、再び我が家の前を通り妙応寺に向かいました。妙応寺の駐車場北に設置してある『幸福地蔵菩薩』にしっかり手を合わせトンネルの中の杖の響きを楽しみながら妙応寺の山門が開いているのを確認して「確か2,3日前の17時30分頃に通った時には山門が閉まっていたと言う事は少なくても5時30分前には山門を開ける方がおみえになると言う事か」と思うと私が4時50分に厨房の従業員に鍵をお渡ししたように年中無休の施設だとかお寺はしっかりとした体制をとっていなければいけないと言う事かと思いました。

本日も本堂での般若心経を1巻と今須稲荷でのお参り(先日小銭を戸の隙間から入れるとカネの音がする事を知りましたので1円玉、10円玉、50円玉をジャージのポケットに忍ばせていなのを順番に入れました。予想通り10玉が一番大きな音でした。)関ケ原与一の墓では、「私にも力を」との言葉を掛ける様にしました。六地蔵さんでは右から3番目、次にその隣、と、右へ左へと手を合わせながら本日も左から2番目のお地蔵さんが「一番良い顔してはる」と思い、手を合わせたあと、六地蔵さんの前の所に草がたくさん生えていたので「本日からお参りした後に3本づつ抜いていこう。」と言う事で結構硬い草でしたが何とか抜きました。

我が家のお墓に着き湯飲みの水を替えて500ミリリットルのペットボトルなのでまだまだ余っているので、吉澤家(春子さんのいえのお墓)及川家(かつての入居者さんのお墓)柴田家(同級生のお墓であり私を可愛がって下さったおばさんの墓)の湯飲みにも水の入れ替えをしてから、若山家のお墓の前で般若心経を中心にしたお経を唱えてから再びお寺に向かうと(この段階で町報のチャイムが鳴りました。)本日は重々しい木魚の音が響いていたので本堂に向かって手を合わせてから家に帰りました。朝の散歩は歩数は伸びませんがリピーターの皆さん楽しいです。だってこの様な歩き方は『子どもの道草』と同じだと思うので・・・。と言う事は私の知的能力は小学生レベルなのか・・・。いやいや「これも楽しからずや」

 

今は5時50分ですが本部施設でコラムを打ってます。

昨夜は前日が朝早くから夜遅くまでハードだったので20時45分には眠りの中だったのですが、21時に携帯が鳴り「施設で何かあったのか」と言う事で無理やり眠りから覚め携帯に出ると本部施設の宿直者からで「家で父親がコロナの陽性が出て保健所から宿直業務を止めて直ぐに自宅待機をしなさいとの事なのですがどうしたらいいでしょうか」との事で、一先ずは入居者さんの緊急対応では無かったので一安心してから「保健所から帰る様に指示を受けた以上は帰らなければいけないので、夜勤責任者に協力を得て自分が帰っての戸締りを依頼すると共に外線用の携帯を持って貰う事にするので取り敢えず夜勤責任者から私に連絡を下さい。」と言って一旦電話を切り、夜勤責任者からの連絡を待ち連絡が来た時に夜勤責任者に「宿直者が施設を出てからの戸締りと私が4時30分には行くので私が施設に入れるように頼みます。」と言って再び眠りにつきました。

(いつもの4時31分のアラームではいけないので4時ジャストのアラーム設定をしました。)4時のアラームで行動開始。4時20分に施設に着くと既に事務所の電気が点いていて夜勤責任者の芝崎課長に労いの言葉を掛けて、芝崎課長には現場に戻って貰い事務所で待機(決して時間は無駄なく活用しています。)4時50分には厨房の従業員が鍵等と取りに来て玄関を開ける作業をしました。久しぶりの宿直業務に「平成10年5月に開所してから1年位は少なくても週に2回は宿直業務をしていたな。あの頃は私が宿直をすると宿直手当て1回3600円が要らないし、自分がしていた方が安心だと言う理由で宿直をしていたな。」と懐かしく思うと同時に「今は幹部職員が宿直を担っていてくれて有難い。」(あくまで当施設は管理宿直に拘っています。)としみじみ思った次第です。

そして、もう一つ思った事は1階のフロアが静かな事です。私が宿直をしていた時は4時を過ぎると1階のフロアには多くの入居者さんが起きてみえて、親切過ぎる入居者さんがデイサービスのエリアも含めて電気を付けて回られる方がおみえになり、点けられる後ろからモップで床拭きをしながら電気を消して歩いた事も懐かしく思い出していました。(館内の湿度が高いのと新しい建物と言う事でコンクリートから水が吐き出されていたからだと思います。この現象は1年程続きました。)水野相談員が気を聞かせて6時過ぎに来てくれたので久しぶりに全館の皆さんに挨拶をして回りました。

その時には一杯楽しい出来事がありましたので2つのみですが報告します。一つは常に樹木の事を気にかけて下さる入居者さんから、「枯れたような木はなるべく早く切った方が良い。」とか「1本元気のないモミジがあるのだけれど、多分虫が入っているので消毒した方が良い」などと丁寧に教えて貰いました。また、車椅子の女性入居者さんが、腕をさすってみえたので声を掛けると「腕が痺れていて痛い。」と言われたので私が暫くさすって差し上げたらその入居者さんが「痛いのが無くなった。」と言われたので私は「私の手は神の手かな」等と話をして盛り上がりました。久しぶりに一人ひとりにご挨拶をして回ると楽しい雰囲気になります。朝のお墓までの散歩も大切だけれど、朝の清々しい中での挨拶をして回るのも有意義なものだと改めて思いました。

リピーターの皆さん。私は身体を半分に出来るのんらして沢山の事を頑張りたいのですが、そんな事は出来ないので時間を無駄にしない事を心がけたいと思っています。

昨日の出来事あれこれです。

令和4年6月14日

新幹線の中でおむすび弁当とお茶を購入した事は昨日の内に書きましたのでその後の展開をご報告します。無事に東京駅に到着して、(当たり前の事ですが、これが考え方によっては奇跡とも言えるのです。)八重洲口から銀座1丁目にある顧問弁護士事務所に吉澤施設長のスマホのナビで歩きました。お陰さまで吉澤施設長のスマホがいい加減なのかスマホのナビはそんなものなのかはわかりませんが、無茶苦茶大回りをして何とか弁護士事務所にたどり着きました。(お陰さまでで歩数は結構な数字になりました。東京とはしっかり歩かされます。)6階までエレベーターで行くと事務所の玄関口に出て受付の方に「岐阜の若山です。」と言うと既に話が通っていたのだと思います。

打ち合わせが出来る部屋に案内して貰いました。しばらくして弁護士の先生が部屋にみえて早速打ち合わせをしました。打ち合わせを終えて吉澤施設長とは玄関先で別れて地下鉄の銀座1丁目駅はと探すまでもなく、玄関を出て直ぐ左手にありました。銀座には何本もの地下鉄が走っているので『有楽町線』と書いてある方に進み、改札前に永田町への地図を見て、『170円』と言う事を確認してから切符を購入して改札口を通過して、右に行けば良いのか左に行けば良いのかがわからずもう一度改札の所にみえた駅員さんに「永田町はどちらに乗ったらいいですか。」と聞くと、「左手に進んで下さい。」で無事に地下鉄に乗れました。地下鉄で永田町は直ぐだったのですか、出口がわからず、うろうろしながらも、何とか目指す全国老人福祉施設協議会事務所がある平河町塩崎ビル7階に行き事務局の職員に挨拶をしてから昼食休憩にカツ丼と蕎麦のセットしめて900円を頂き、その後、代議員総会会場の砂防会館に向かいました。

砂防会館には13時前に着いたのですが受付は既に始まっていたので受付を済ませて会場に入って行くと何人かの役員の方がみえたのでご挨拶をしていると、続々と役員の方がみえたので順次ご挨拶をして、定刻の13時30分になり代議員総会が始まりました。私は副会長なので代議員の方々の向かいに座らせて頂いているので、少し窮屈な感じですが、これは致し方がないこと・・・。

16時前に総会は終了して、同じ会場で園田参議院議員の励ます会が18時から行われるので会場替えもあると言う事で本部事務所に移動して7月に行われる参議院選挙の打ち合わせをして、17時過ぎに再び砂防会館に移動して18時までの一時間は知りうる限りの方々にご挨拶をしました。(と言うよりも、皆さんから挨拶をして頂くのでそれぞれに話をした形です。)励ます会は会場一杯の大盛況で平石会長の挨拶の後はメインゲストの元総務会長の佐藤勉衆議院にして頂き、その後は支援団体の代表の方々に挨拶を頂き(それぞれに1分の持ち時間と言う事でしたが、なかなかそんなわけにはいきませんでした。)それぞれの支援団体の挨拶を受けて、園田参議院議員が挨拶をして、最後の締めとして、田中全国老人福祉施設協議会副会長であり東京都会長が先頭に立っての『頑張ろう』があり散会になりました。

私は施設の看取りの入居者さんが他界された対応をしなければいけないし、今は浮かれて酒を飲んでいる状況にないと言う事で岐阜羽島に一本で帰れる『ひかり』20時12分に乗るべく永田町駅から地下鉄に乗り、取り敢えず『銀座1丁目駅』まで行ったのですが、正直そこでどうやって東京駅に行ったら良いのかがわからず(情けない話しですが・・・)通りかかったお店の方に「東京駅はどの様に行ったら良いですか。」と聞くと親切に教えて下さったので「歩いたらどの位かかりますか。」と再び聞くと「10分以上かかりますよ。」と言われたので、「うろうろ迷っていて列車に乗れないと大変だ。」と思い、タクシーに乗り「近いと思うのですが東京八重洲口までお願いします。」と言う事で基本料金420円ではなく500円だったので、タクシーは正解だったのですが、私の対応の悪さに「もっとメカに強くならねば」と思っています。

ただし、昨日の歩数は12403歩と言う事でこのガラケーの歩数新記録です。夕食も食べずに(お茶はリュックサックお茶は入っていたので飲みました。)くたくたの体で高速道路を何とか運転して23時前に家に着きお風呂に直行をして寝ました。正直今も疲れが無いと言えば嘘になりますが、園田さんの選挙も近いし、法人の課題等々やるべきことが山積みなので咤激励で頑張ります。リピーターの皆さん皆さん「69歳若山」はこれからも頑張りますのでご支援宜しくお願い致します。

 

本日は久しぶりに東京出張です。

令和4年6月13日

本日は全国老人福祉施設協議会の代議員総会が13時30分からあり、16時に終了後は会場設定を替えて『園田しゅうこうを励ます会』があり、本日は日帰りの為に岐阜羽島に最終便になる新幹線で帰る事になると思うのですが、せっかく東京に行くのならば東京駅から歩いても10分位(銀座1丁目)の所にある顧問弁護士事務所に行くべしと言う事で吉澤施設長と岐阜羽島から一番早い列車(7時5分)に乗りました。いつもだと4時31分のアラームで起きて水の入れ替えとお参りに続いて我が家のお墓までの散歩なのですが、先に述べたように岐阜羽島に一番早い列車に乗り、最終列車で帰る強行軍。(しかも、緊張する事ばかりです。)朝の4時31分のアラームは無しにして、アラームは5時30分に設定をして、いつもだと4時前後には目が覚めるのに本日は5時過ぎまで眠ることが出来て5時30には爽やかに起きる事が出来ました。

ところが、私の悪い癖が出てしまいました。と言うのは、洗面とうがいをしてから仏間に行ったのですが、「水かえの前に線香たての灰を綺麗にしよう。」と言う事で、先般数珠の直しと共に手に入れた灰をこす道具と新聞広告を持って仏間に行き灰を綺麗にしだして、「これは大変だ。」と作業して直ぐに気が付いたのですが、やっている内に楽しくなってきて、「気が付けば時間がない!」と言う事で半分は残したまま「家に帰ったらやろう。」と言う事で、途中で作業を止めて慌てて水かえと共に超特急でお経を唱えてからご先祖様に手を合わせ、これまた超特急でスーツに着替えて車に乗り込みました。ラッキーだったのは朝早いので道は空いていたのでスムーズに走れて6時40分には駐車場に車を預けて吉澤施設長の分も含めて往復切符を購入して(私は決して吉澤施設長のマネージメントではありませんから)窓口を出た所で吉澤施設長に合流出来、今は顧問弁護士さんとの打ち合わせを終えてコラムを書いてます。

東京に着いてからはコラムを打てるタイミングがないと思った方が賢明だし、全てを終えて新幹線に乗ってからでは疲れてしまって、なかなかイメージが湧かなくてコラムの原稿にならなくて、コラムを施設に送信するのが遅くなると宿直者に迷惑をかけてしまう事も考えられるので、リピーターの皆さん。申し訳ありませんがあまり中身のないコラムになってしまいました。そうだ1つだけ、新しい話題を。家で朝食を摂らずに新幹線の中で『朝のおむすび弁当お茶付き500円を食べるのを楽しみにしていたのですがなかなか販売に来てくれない。「このまま来なかったら飢え死にするぞ。」(そんな事は絶対に有り得ません。)ようやく来ました。販売員の方に元気よく「おむすび弁当お茶付き2つ」と頼むと「1個しかありません。」と言うので吉澤施設長はコーヒーとサンドイッチのセットを購入して一件落着。しかしながら、久しぶりにおむすび弁当お茶を頼みましたが、今もワンコイン500円とは嬉しい限りです。

リピーターの皆さん。どうでもよい話題でスミマセン。とにかく、本日は1日緊張感の中で頑張ってきます。数珠もリニューアル出来て新しい展開になる予感があります。リピーターの皆さん。私のこれからの展開に対しても応援宜しくお願い致します。

改めて『週刊現代』の話題を書きます。

令和4年6月12日

今回の興味あった記事は『脇役稼業―加藤嘉―孤高のロマンス』と言うものでした。私が知っている加藤嘉さんは『ふるさと』と言う映画で認知症のお爺さん役を熱演された知識くらいしかありません。『ふるさと』と言う映画には少なからず私との因縁があったから覚えていただけで、普段は主役を張った方くらいしか記憶に残らないものだと私は思うのですが(『ふるさと』では主演を熱演されていますが)リピーターの皆さんはどのように思われますか。

ただし、今回の特集記事を読ませて頂いて滅茶苦茶人間としての魅力を感じたのでコラムの題材にさせて頂いた次第です。(ここまで書いた段階で方向転換する事にします。と言うのは加藤嘉さんの魅力を一杯書くつもりでいたのですが、『ふるさと』をインターネット情報で検索して私の記憶のいい加減さがわかり、『ふるさと』に特化する事にしました。)『ふるさと』の舞台になったのはリピーターの皆さんの多くもご存じだと思うのですがダムで沈んだ『旧徳山村』です。

徳山村は私の青春の1ページでもあります。既にご存じの方も多いと思いますが、私が父進さんに教員を勝手に退職して勘当されて(とは言え勘当期間は5か月間だけですが)勝手気ままな生活を送ったところで、撮影のメインになった所は私が居候をしていた民宿(増山たず子さん)がロケ地の中心だった事を後から知りました。私の記憶のいい加減な所は『ふるさと』の映画は私が居候をしていた時期よりも後だったにも関わらず前だと思っていて都合の良い記憶になっていたのです。『ふるさと』の上映は1983年ですから私は30歳。つまり私は26歳から児童養護施設の指導員をしていたわけですから、居候をしていた時代から4年は経過しているのに・・・。

多分、私が記憶違いをしているのは『ふるさと』の映画をみてから何度か徳山村を訪れていて、原作者がその頃徳山村で教員をされていた平方浩介さんで何度となくお酒を酌み交わして徳山村の将来について激論をした記憶が年代をがぐちゃぐちゃにしてしまっているのだと思います。週刊現代の記事で改めて加藤嘉さんの凄さを書きます。小見出しに『本当に死んだと誰もが錯覚した』とあり、『ふるさと』で監督をされた岐阜市出身の神山征二郎さんの記事をそのまま書きます。【嘉さんの役柄に没入する姿勢は群を抜いていました。代表的なのは今井正監督の映画『米』です。

当時43歳の嘉さんは半身不随の老人を演じるんですが、今井監督のダメ出しが続いた。そこで健康な前歯を全部抜いて現場に現れたと言うんです。似た話は三國連太郎さんにもありますが、同じことを嘉さんはしていた。私は監督作『ふるさと』で嘉さんに認知症の老人を演じてもらい、彼の没入ぶりに凄みを感じました。嘉さんは撮影中、ロケ先の村に一軒だけある喫茶店でコーヒーを飲むのを日課にしていました。

ある時、村の道の真ん中をふらふらと歩く嘉さんを見た住民がこう言うんです。「あの人は本当にボケているんでねえのか?こりゃあ映画が終わるまでに、村で葬式だぞよ」と本物の認知症の老人に見えていたわけです。亡くなる場面も見事でした。嘉さん演じる老人が山奥の釣り場で倒れ、息子の背負子(しょいこ)で下山する途中、命が尽きる。それまで生きていた人間の力が抜けて、ただの“モノ”になる。嘉さんは、生と死の境の瞬間も演じられるのです。

上映会で頂いた感想文の中に「加藤嘉さんのご冥福をお祈りしています。」と書かれたものがあったほどで、黒澤明監督からも「加藤嘉は絶品だ」とお褒めの言葉を頂きました。演じると言う感覚を超越して、「本当に呆けた」「本当に死んだ」と思わせる。嘉さんこそ本物の役者です。』私がコメントする余地が無い程のまとめ方を神山監督がされているので差し控えますが、余談のような事だけ述べさせて下さい。最初に結婚されたのがその当時既に大女優だった山田五十鈴さんで4回の結婚歴がある事も書いてありましたが、私が思うには『芸』に対する真剣さに魅力を感じられてとその情熱の純粋さ故だと思いました。私は『福祉・介護』の世界で『馬鹿になってこれからも仕事をしたいと考えていますので、リピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。

『園田修光を励ます会』の報告をします。

令和4年6月11日

昨日は15時から、ハイブリット(リアルとリモート)でのコロナ感染対策の研修があり、私は主催者の責任者としてリアルでの参加をしました。この研修では、2年半前に日本で初めて発症したコロナ感染からその変遷までの経過を、感染症対策の岐阜県の責任者である、岐阜大学医学部名誉教授の村上先生からお話頂き『施設の職員として留意すべき事』をお話頂きました。今、猛威を振るっている『オミクロン株』は感染力が強いが重症化は減っている、が、予防については今迄以上に徹底しなくてはいけない。と何度も話して頂きました。また、コロナ陽性者が出た時の初期対応の大切さについても諭すように話して頂きました。

研修については急遽な実施だったにも関わらず、タイムリーな企画であった為に参加者は130人を数え、尚且つ岐阜県高齢福祉課長さんも急遽来て頂き、ご挨拶の中で岐阜県としての対応についても話をして頂きました。村上先生の講演の後の質疑についても活発にされましたので、それぞれの施設がしっかりと取り組まれている事が伺えました。

16時40分に講演会場を出て『園田修修光を励ます会』の会場である岐阜都ホテルに移動しました。開始は19時からなのですが17時過ぎに2階の会場に行くと既に会場内は400の椅子が整然と並べられ会場の内外に園田修光参議院議員のポスターが張られていて準備万端になっているのに『感謝』です。会場責任者の田中信輪会理事長と打ち合わせしていると、司会を担当してくれる私の姪っ子の大倉幸子さんが来て進行の打ち合わせをすると言うので、私は来賓控室等の確認の為に会場がある2階のフロアを行ったり来たり・・・。実に落ち着かないのです。18時にはグループホーム協会の加藤会長さんが、18時30分には老健協の長縄会長がおみえになり、18時40分の段階で会場の確認に行くと続々と参加者が会場に入って行かれ、それを確認してから再び来賓控室に行くと園田参議院議員本人がおみえになっていたのでご挨拶をしました。

時間を確認すると18時50分だったのですが、その段階で来賓挨拶をして頂く予定の岐阜県自民党の村下幹事長のお顔がみえない事に気付き、携帯に連絡すると渋滞が酷くてとの事だったので玄関先まで迎えに出てホテルの係員の方に駐車スペースの確保をお願いしていると、18時58分に着かれて19時には会場に入って頂けたので「ホッ」として自分も指定された席に座りました。(正直、この辺の事を私に代わって出来る様にしなくてはいけないと痛感してます。)

一瞬部屋の中が暗くなり大きなスクリーンから映像が流れだしてプログラムが開始されました。映像が終了すると共に会場が明るくなり、園田参議院議員が拍手の中入場されました。開会宣言を林副会長がされた後、来賓挨拶を村下自民党幹事長にして頂き、来賓紹介と祝電披露がされた後を受けて主催者挨拶のトップバッターで私がさせて頂きました。挨拶の中では介護に関わる者すべてにおいて園田参議院議員に当選して頂いて組織の為に汗をかいて頂く必要性を話させて頂きました。椅子席は全て埋まり立ち見の方も多く見える中でしたが、私なりに誠意を持って話させて頂きました。そして話をしていて感じたのは、前回以上に手応えがありました。私の主催者挨拶のあと3団体の会長さんの挨拶があり、いよいよ園田参議院議員本人からの話です。園田参議院議員本人の話は実際の実績に基づいた話しなので、皆さんの頭の中にもしっかりインプットされた事と思います。

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全てのプログラムを終えて園田参議院議員本人は勿論の事、主催者代表の4人の他にも村下幹事長も来賓の県議の方も退場口に並んで感謝の意を表す事が出来たのにはまたまた『感謝』です。片付けも大方終わった段階でお手伝いを頂いた方々に感謝の挨拶をさせて頂き全てが終了した時には急にお腹が空いていたので  帰る途中で『餃子の王将』に寄り、夜も遅くていつもだったら寝ている時間だったのですが、ラーメン、チャーハン、餃子のセットされたのを美味しく頂きました。流石に布団に入ったのが23時を過ぎていたので、いつもの4時31分には起きれなくて(アラームは停めておきました)6時に起きてのお仏壇でのお参りはしましたが、歩く事は出来ませんでした。リピーターの皆さん、つくづく思ったのは票を積み上げるのも事業を頑張るのも地道な活動以外にはないと言う事でしたので、これからもご支援宜しくお願い致します。

 

 

『園田修光を励ます会』の報告をします。

昨日は15時から、ハイブリット(リアルとリモート)でのコロナ感染対策の研修があり、私は主催者の責任者としてリアルでの参加をしました。

この研修では、2年半前に日本で初めて発症したコロナ感染からその変遷までの経過を感染症対策の岐阜県の責任者である、岐阜大学医学部名誉教授の村上先生からお話頂き『施設の職員として留意すべき事』をお話頂きました。今、猛威を振るっている『オミクロン株』は感染力が強いが重症化は減っているが予防については今迄以上に徹底しなくてはいけない。と何度も話して頂きました。また、コロナ陽性者が出た時の初期対応の大切さについても諭すように話して頂きました。

研修については急遽な実施だったにも関わらず、タイムリーな企画であった為に参加者は130人を数え、尚且つ岐阜県高齢福祉課長さんも急遽来て頂き、ご挨拶の中で岐阜県としての対応についても話をして頂きました。村上先生の講演の後の質疑についても活発にされましたので、それぞれの施設がしっかりと取り組まれている事が伺えました。

16時40分に講演会場を出て『園田修修光を励ます会』の会場である岐阜都ホテルに移動しました。開始は19時からなのですが17時過ぎに2階の会場に行くと既に会場内は400の椅子が整然と並べられ会場の内外に園田修光参議院議員のポスターが張られていて準備万端になっているのに『感謝』です。

会場責任者の田中信輪会理事長としていると司会を担当してくれる私の姪っ子の大倉幸子さんが来たので進行の打ち合わせをすると言うので私は来賓控室等の確認の為に会場がある2階のフロアを行ったり来たり・・・。実に落ち着かないのです。18時にはグループホーム協会の加藤会長さんが、18時30分には老健協の長縄会長がおみえになりました。

18時40分の段階で会場の確認に行くと続々と参加者が会場に入って行かれるのを確認し、再び来賓控室に行くと園田参議院議員本人がおみえになっていたのでご挨拶をし、時間を確認すると18時50分だったのですが、その段階で来賓挨拶をして頂く予定の岐阜県自民党の村下幹事長のお顔がみえない事に気付き携帯に連絡すると渋滞が酷くてとの事だったので、玄関先まで迎えに出てホテルの係員の方に駐車スペースの確保をお願いしていると18時58分に着かれて19時には会場に入って頂けたので「ホッ」として自分も指定された席に座りました。(正直、この辺の事を私に代わって出来る様にしなくてはいけないと痛感してます。)

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一瞬部屋の中が暗くなり大きなスクリーンから映像が流れだしてプログラムが開始されました。映像が終了すると共に会場が明るくなり園田参議院議員が拍手の中入場されました。開会宣言を林副会長がされた後、来賓挨拶を村下自民党幹事長にして頂き、来賓紹介と祝電披露がされた後を受けて主催者挨拶のトップバッターで私がさせて頂きました。挨拶の中では介護に関わる者すべてにおいて園田参議院議員に当選して頂いて組織の為に汗をかいて頂く必要性話させて頂きました。椅子席は全て埋まり立ち見の方も多く見える中でしたが私なりに誠意を持って話させて頂きました。そして話をしていて感じたのは前回以上に手応えがありました。

私の主催者挨拶のあと3団体の会長さんの挨拶があり、いよいよ園田参議院議員本人からの話です。園田参議院議員本人の話は実際の実績に基づいた話しなので皆さんの頭の中にもしっかりインプットされた事と思います。

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全てのプログラムを終えて園田参議院議員本人は勿論の事主催者代表の4人の他にも村下幹事長も来賓の県議の方も退場口に並んで感謝の意を表す事が出来たのにはまたまた『感謝』です。

片付けも大方終わった段階でお手伝いを頂いた方々に感謝の挨拶をさせて頂き、全てが終了した時には急にお腹が空いていたので帰る途中で『餃子の王将』に寄り、夜も遅くていつもだったら寝ている時間だったのですが、ラーメン、チャーハン、餃子のセットを美味しく頂きました。流石に布団に入ったのが23時を過ぎていたので、いつもの4時31分には起きれなくて(アラームは止めておきました)6時に起きてのお仏壇でのお参りはしましたが、歩く事は出来ませんでした。

リピーターの皆さん、つくづく思ったのは票を積み上げるのも事業を頑張るのも地道な活動以外にはないと言う事です。これからもご支援宜しくお願い致します。

お参りの後は外を歩きましたの報告と週刊現代の話題を。

令和4年6月10日

無理の無いコースにしてからは爽やかに家に帰り着き(大抵は携帯の6時のアラームがなり、その後間髪を入れずに関ヶ原町のスピーカーから6時のチャイムがなります。本日も我が家の水道水をペットボトルに入れて我が家のお墓に持って行きました。若宮八幡神社の分神社でかしわ手を打ちお願いをして再び我が家の前を通り過ぎ妙応寺の入り口に掲示板があり『真実    生まれたものは    必ず死ぬ』と書いてあったのが、本日はいやに気になり写真に納めました。

言葉としては簡単な言葉ですし、「当たり前やないか。」と言ってしまえば当たり前の事ですが、本日の私はいたく感銘したのです。「深すぎてついて行くのが大変だ。」と・・・。『死ぬまで生きる。』と言う事は『生きている限り精一杯生きなさい。』と言う事を示しているのだとすると「この言葉は重い!」と思ったからです。

確かに私は体調が悪いとき(目の手術をしたり、予防接種の後で熱が出たりした時など)以外は休まずに仕事をしてます。でも、常に全力かと言えば、そうでもない日があるのも事実です。人間が常に百パーセントで生きるのは難しいと言うよりも不可能だと考えています。しかしながら、『死ぬまで生きる』のだから「生きている限りは精一杯に生きなさい」と言う事何だと思います。

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実は今は22時30分を過ぎて家に帰って来ました。しかしながらコラムは半分も書けていません。タイトルの後半部分の週刊現代の話題は手付かずですが、本日は10時から全国老施協のデイサービス部会がリモートであり、昼食後は15時から岐阜市に移動して感染症の研修会があり、開会の挨拶をしなければいけないし、

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終了後は場所を岐阜都ホテルに移して『そのだ修光参議院議員を励ます会』が19時からあり、その主催者責任者として会場準備があり、来賓の対応と本番で今から本格的に書くのは無理です。リピーターの皆さん。明日は週刊現代の話題も含めて頑張りますので本日はここでお許し下さい。

自分の歌に聞き惚れました・・・。

令和4年6月9日

本日は月1回の地元藤下の高木さんとの『ジョイントコンサート+ONE 』があったのですが、感染症対策の一貫でデイサービスと本館2階のみだったのですが、(いつもは5会場)その分多くの曲を歌う事が出来ました。

最初にデイサービスで、トップバッターは藤下の高木さんで私より9歳年上の78歳なのですが声量もあり歌も実に上手い。これは、若い頃に余程授業料を払っているなと思った次第です。次に私が歌を歌ったのですが、正直自分の歌に自分で言うのも可笑しいのですが聞き惚れてしまいました・・・。歌いながら「これほど上手に歌えるようになったのはどうして何だろうか。」と考えていて思い当たったのは「低音の音域が広くなり、歌うのに余裕が出て来た事による相乗効果と、カラオケ機器を1年前に購入したのが性能が良いからだ。」と言う事です。デイサービスの利用者さんは聞き上手なのでちゃっかりとアンコールまでしっかり歌わせて貰いました。低音の音階が広くなったのは毎日仏間に1時間以上籠ってお経を唱えている事による相乗効果だと思っています。だって自分で言うのも可笑しいですが確かにお経も上手になりましたから・・・。

 

デイサービスを終えた勢いで本館2階でもガンガン歌おうと思ったのですがカラオケの機械操作がしっかりわからない職員ばかりで、尚且つデイサービスの機械より性能が劣る機械だった為にトップバッターの高木さんの「音階を5つ下げて」の要望に応えれなくて10分程時間が無駄になってしまい、その繋ぎで高木さんがマイクを持ってお話を始められて「私と理事長はどれだけ年が離れていると思いますか。」との声掛けに入居者さんの方から「理事長さんが3つ上」との答えに私は思わず『絶句』です。私の方から思わず「私の方が9歳年下です。」と言いたかったのですが「ここは大人の対応をしよう。」と言う事で「高木さんは若く見えますから本当に羨ましい。」と答えながら「私はよっぽど貫禄があるのかな」と自分自身を慰めにならない慰めを考えている私なのであります。

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2会場のカラオケを終えて会議室でお茶を飲みながら『カラオケ談義』をしました。その中で高木さんが「若い頃は、しっかり声が出たけど今はあかん」と言われたので私は「78歳にして10曲以上歌ってもしっかり声が出ているのに何を贅沢な」と言ってから「だから私より9歳も年上なのに私より若い等と入居者さんから言われるのですかね。」と返すと高木さんは満更でもない顔をされていました。リピーターの皆さん。私は老け顔ですか・・・。

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雨の中でしたが、しっかり歩きました。

家を出た時には雨は降っていなかったのですが、若宮八幡神社の分神社にお参りをしていると太陽は出ているのに雨が降って来ました。分神社から我が家の前を通り過ぎようとした時にはかなり雨が強くなってきたので歩くのをここでやめるかどうかと迷ったのですが、「えい、やー。」で歩き続ける事にしました。(結果的には続けて良かったです。)

ただし、首に巻いていた山崎ていじの赤いタオルを頭にかぶる事にしました。(泥棒さんではないですから悪しからず)

段々と雨は激しくなってきましたが、妙応寺の駐車場の所まで行くと西の空に虹が見えたので「ラッキーだし、吉兆の現れ」と思うと何と無く、昨日も色んな事があって、早くに寝たのですが午前1時以降はしっかりと眠れなかったのが吹き飛んだ気分になりました。

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本日も『幸福地蔵菩薩様』に『幸福』を念じてトンネルを抜け出て妙応寺の山門を入り、本堂前で『般若心経』を1巻唱えてから『諸障退散』『七難消滅』を一生懸命にお願いしました。今須稲荷では『心願成就』をお願いしてお墓に向かう途中にある六地蔵さんで少し雨宿りをしながらお地蔵さん一人一人に『おん、かーか、せんだり、まり、そわか』を唱えながら一人一人の顔を見て、「左から3番目のお地蔵さんが一番色男だな。」とわけのわからない事を思っていました。

雨宿りを終えて(とは言え、まだ雨は降っていたのですが)改めて西の空を見たら、先程より虹が綺麗に出ていたので、ここでも写真をガラケーの携帯で撮りました。

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我が家のお墓に着き、ここでも般若心経を1巻あげて、亡くなった順に(秋江さん、進さん、英子さん)に私の今の厳しい状況を話してから、お墓でも『諸障退散』『七難消滅』をお願いしました。昨日は本堂に再び向かうと木魚の音が響いていましたが、残念ながら本日は聞こえて来ませんでした。本日は雨が降っていた為なのか誰にも会う事はなかったのですが、その分『虹』がずっとお付き合いしてくれたのは本当に幸福な気分になりました。

家に帰ってお風呂に直行をしました。少し体も冷たくなっていたし、頭も濡れていたのですが、改めて水のシャワーを頭から浴びてから、ゆっくりとお湯に浸かると「正に極楽、ゴクラク、ごくらく」そして朝食は昨日の夕食の残りとは言え『朝カレー』元気モリモリ頂きました。朝歩いているから朝食は最高に美味しいし、昼食も朝食が7時と早いのでこれまた美味しいし、夕食はお風呂に入ってゆったりと美味しく頂いているので、これではお腹の肉を凹ませる事など出来ませ~ん。このコラムで『がん』の告知をしたので、色んな方から心配のメッセージを頂いていますが私は「体の外に出来たのが『吹き出物』で体の中に出来たのが『がん』だと思ってるから気にしてませ~ん。」等と訳の分からない事を言ってます。リピーターの皆さんの中には「若山と言うのは困ったものだ」と思われている方もみえると思いますが、『死ぬまで生きる』のだから『生きている限りは120パーセントで頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。

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