『メロンの話』いやいや『リッドの話』です。
令和4年7月5日
3日前に立派なメロンを頂いたのですが私の奥たま『かをり様』が一向に冷蔵庫に入れる事もなく、頂ける体制になっていないので、昨夜私が寝る前に「もうそろそろメロンは食べ頃と違うの。」と言ったところ、「喜んでメロンの汁を飲んでくれていたリッドがいないのでメロンを食べる気がしない。」との返事に「おいおい、旦那様が喜んで食べるがね。」と咄嗟に思いました。つまり、「旦那様よりもリッドなんかい。」とふて腐れなあかんのか。その後のかをりさんの行動が絶妙でした。と言うのは、私が寝る前の水を飲んでいると、メロンを箱から出して迷うことなくリッドがいる所にメロンをドンと置いたのです。(写真参照)私はつくづく思いました。



「リッドは本当に家族そのものだったんや」と。しかしながら、家族の中で一番がリッドだったんだと改めて思った次第です。本来であれば、先ずは仏壇にお供えすべきなんですが、メロンについてはリッドとの思い出が一杯あるので、例外的に認めなあかんわな。と言うか、メロンの汁を喜んでリッドが飲んだきっかけは私が酒を飲んで帰ってきて、メロンを食べた汁を与えたところ、キャットフードと流れた水以外は口にしなかったのに、何故かメロンの汁だけは喜んで飲んだので特別と言う事なのであります。今朝の朝食のデザートでメロンを頂きました。リッドが元気だった時は自分が食べた後、一生懸命に汁が一杯になるようにスプーンで汁が一杯になるようにしていたのに、汁も含めて自分で頂くのが少し残念です。
話題はガラッと変わって朝のお墓までの散歩の時に本堂の線香立てに2本の線香に火が点いている事を確認してから、玄関の戸を開けて、先ずはお賽銭を入れてから般若心経を1巻と四国遍路で覚えたお経を唱えてから日めくりカレンダーを5日にすると『修(なお)しながら行(すす)むから修業という』の言葉が目に入ってきました。この日めくりカレンダーは大谷徹奘師(奈良薬師寺執事長)の言葉です。大谷徹奘師は岐阜県老施協の研修会にもお招きさせて頂き親しくさせて頂いたご縁もあるのですが、本日の言葉はいつも以上に私には響きました。と言うのは私が今置かれている厳しい状況も『まだまだ修業が足りない。』あるいは『色々な事を考えながら進んでいるのも修業』だと言われるのであれば、「死ぬまで修業しなければいけない。」と言う事か。仕方が無いか私はいつも「趣味は仕事」と言っているので。リピーターの皆さん私の生き方をどう思われますか。
